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クセ - 2001年09月23日(日)

今日は、昼くらいに起きました。
起きて、洗濯物を取り込み、布団を干し、部屋の掃除をしました。
部屋って、思った以上にほこりが出るのだという事に、一人で生活し始めて気付きました。
当然、掃除をしてくれる人なんていません。

夕方、と言うよりも、夜でしょうか(笑)。
高校時代の友人に誘われて、その友人の大学時代の友達の彼氏の友達と(ややこしいなー)ご飯を食べに行きました。
楽しい、食事会でした。
彼氏とか、恋愛とか、そういうことは抜きにしてもっと遊べる友達がほしいなあと、去年あたりから思います。
別に、友達がいないわけではありませんが・・・。

昨日、京都へ行って感じました。
あの子が、通るかもしれない場所で、私はまだあの子を探しています。
大勢の人がいる中で、ふと、あの子に似た人を見ています。
それは、まだ好きだとか、そういうんじゃなくて、もう既に癖になっている習慣なんだと、思います。

君に、同じ癖があったら、よかったのに。




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京都まで行きました - 2001年09月22日(土)

京都まで仕事にいってきました.
今日は,また他の編集部の人と合同の取材です.
最近良く話す人だから,気心は知れているので楽なのですが.

今日行った取材は,あまり私の興味がある分野ではありませんでした.本当は.
けれど,話を聞くうちに,純粋な知的好奇心というか,新しく知ることが多くて,結果的には楽しい学会となりました.

帰りは,京都で店を見ていこうかとも思ったのだけれど,荷物が多くて,断念しました.給料日前だということもあったのですが(笑),

とりあえず,明日と明後日はゆっくりできそうですが,実家に冬用の服を取りに行かなければいけません.
今日はかなり寒かったし.
そろそろ,長袖を出しておかないといけません.

一人暮らしは,なかなかたいへんです.


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経験的な若さ - 2001年09月21日(金)

今日は本当は会社の創立記念日でした.
でも,再来週の北海道への出張の関係で責了が一日早まってしまい,会社に出ました,

人がいない(少ない)編集部で仕事をするのは好きです.
落ち着く.普段は全然気にしてないのだけれど,それでも人の気配や声は無意識のうちに気になっていたんだなと思います.

一人暮らしを初めて,以前よりずっと仕事に集中できる気がします.
単に自宅にいるときよりも睡眠をたくさんとっているからかもしれないけれど.

仕事をした後,久しぶりに久しぶりの人とのみに行きました.
最近はその人は忙しくて,なかなかのみに行くことも,話すこともしていなかったのだけれど.
その人の持つ雰囲気が好きです.
最初は不思議な人だなあと思っていたのだけれど.
その人を見ていると船を思い出すんです.
「船」というよりも「舟」かな.
一見,すごく危なっかしそうなんだけれども,バランス感覚がいい,というか,柔軟性のある感じがするんです.
同じように,年齢を重ねていくことはきっと私にはできないでしょうけれど.それでも,ある意味の憧れがあります.

社会人1年目のときは,仕事になれるのにたいへんでした.
社会人2年目では,会社に慣れるのに苦労しました.
3年目になった今は,もう「新人」と呼ばれることのない,そのための「師xy回の常識」に苦労しています.
それでも,少しずつ,年齢ではなく,経験的に「若くない」自分を感じるんです.



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できること - 2001年09月20日(木)

色々なことが,あった週でした.
社会的にも,個人的にも.

自分を持て余していることも,知っている.
人との距離は,やっぱり難しくて,それが果たして経験からくるものなのか,それとも年数の差なのか.

どれほど「落ち着いている」と「年上に見える」といわれても,私はまだまだ若いのだと思う.
いい意味でも,悪い意味でも.

とりあえず自分にできるのは,自分の仕事をこなすこと.
どれだけ胸をはれる仕事ができるか.
せっかく,形として残せる仕事をしているのだから.

できることは今しておこう.


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花を、飾ろう。 - 2001年09月16日(日)

2週間ぶりくらいに、実家に帰ってきています。
本当は、来週か得るので今週は帰らずにいようかと思ったのだけれど、家から持ってきたいものがまだ幾つかあったので、帰る事にしました。

金曜日は、会社の同僚たちが遊びに来、昨日は大学時代の友達が泊りにきました。
人が来るのは、やっぱり嬉しい。
「落ち着く部屋だね」といわれるのが、嬉しい。
まだ、本当に何もないのだけれど(笑)。

部屋には今、小さいひまわりとくっつき虫のような綿帽子の形をした花とトルコキキョウが飾られている。
一人暮らしをするときに、花を飾るのに憧れた。それは、ソファを置くのと同じくらい。
いろいろな、花を飾ろうと思う。

一昨日、あの子から電話があった。
私の同僚たちが帰る間際にちょうどかかってきた。
「頼みたい事があるんだけれど」
仕事で、ある企画があって、それにまつわる話があれば、教えてほしいという内容。
「去年『ネタない?』って話していたのとあまり変わらないのだけれど」
とあの子は言っていた。

君は、私が「ネタのために電話をしてきてるんでしょう?」って言うと「違うよ」ってずっと、否定してきていたのにね。
今になって、自分からそう言うんだね。
本当は、ずっと知っていたんでしょう?
本当は、ずっと気付いていたんでしょう?

けれど、まだ、そんなことで傷ついている私は、小さなひまわりの花の明るさに救われた。
小さくても、上を向いているひまわり。

花があって、よかった。






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テロ - 2001年09月11日(火)

しばらく,日記をサボってしまいました.
心配していた家事も,今のところ何とかできている.
一番楽しいのは,実は料理だったりする.
レパートリーなんて,ないに等しいのだけれど,それでもできるものを本を見ながらちょっとずつやっている.
昨日は,シチューを作ったし.これが,意外とおいしかった.

眠る前に,めったに見ないテレビをつけてみると,各放送局が同じニュースをやっている.
アメリカで連続テロが起こったというニュース.
貿易センターはつくづくテロの標的になりやすい.
爆発の映像は,映画なんかでは見慣れているはずなのに,実際の映像にはなんともいえない感情がついてくる.

各放送局のニュースのスタイルは,最初に繰り返しビルに飛行機が墜落し,ビルが倒壊していく映像を流し,続いて現地の邦人の安否を流す.事件の原因だとか,背景についてはもう少し,全体が整理できてからになるのだろうけれど.

ハイジャックされた飛行機がビルに突っ込んだということなのだけれど,ハイジャックした人も死ぬことを覚悟した行為.
どんな言葉を使っても,「卑劣」としかいいようがないのだけれど.
どれだけの犠牲が出ているのか.
危機管理,テロ対策,どれをとってもアメリカは世界の最新設備,最先端を行っていたはず.それでも,こんな大混乱が起こっている.
非常事態に対しては,どれだけ準備しても,予想を上回る事態が起こる.

しばらく,このニュースは続くんだろう.









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できることから - 2001年09月03日(月)

朝起きると雨が降っていました.
実家にいたときなら,雨の日は駅まで車で送ってもらっていました.今は,もちろん送ってくれる人などいないので,徒歩です.

一ヶ月で一番忙しい月末を乗り越えた月初めは,いつもゆっくりです.
このゆっくりとしたときに,色々と作業を進めておけば,楽なのはわかっているのですが.

午前中は,課の打ち合わせと勉強会で何もできませんでした.
昼からは,たまっていた取材の報告書書き.
以前よりは,時間をとらずに書けるようになりました.

今日の夕ご飯は,ほとんど昨日と一緒です.
一人暮らしだと,結構冷蔵庫のものに気を使います.野菜なんて,結構足が速いものも多いし.
まだ,というか全然レパートリーのない私にはあるもので工夫するという技がまだ身についていません.周囲の人が,ちらほらと料理の本を貸してくれたり,新聞の料理欄を切り抜いてくれたりします.
ひょっとしてこれは「作って招待しろ」ということなのでしょうか(笑).

料理は,楽しいです.
実は,全く料理をしなかった割に,料理をするのは好きなんではないかと密かに思っていたりしました.思い込みかもしれませんが(笑).
もちろん,まだまだ人を招待するほどではありません.なんといっても,なべひとつしかないのではそれも無理でしょう(笑).

少しずつ,少しずつ,ゆっくり進んでいこうと思います.
まずは,基本的な料理くらいは,できるようになりたいなあ.








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母親 - 2001年09月02日(日)

初めて,一週間この部屋で過ごしました.
昨日,ようやく初めて料理を作りました.

初めての料理は野菜炒めです.
ちょっと,しょっぱかったけれど,初めてにしては上出来でしょう.
初めての洗濯もしました.
今日は少し,曇っていたけれど,布団も干してみました.

午後からは,母親と同居しているいとこがきて,先週買った食器棚を組み立てました.
といっても私は見ていただけですが(笑).

昨日作ったというハンバーグと,味噌とかを母親は持ってきてくれました.なおかつ,買えるときには味噌汁も作っておいて行ってくれました.
一人暮らしを始めるときに,実は一番反対したのは父親ではなく,母親でした.
けれど,いざはじめてみると,いろいろと物をそろえてくれるのは母親です.
こういうとき,自分がどれだけ大切にされているかを感じます.

本当は,家を出る必要のない私が言い出したわがままなのに.
たくさん,たくさん,心配をかけているのも,わかっているのだけれど.

今日の夕食は,母親が持ってきてくれたハンバーグを焼いて,この間イタリアに行ってきた友人が暮れたトマトピューレをソースにして食べました.
ちょっと変な組み合わせですが,味噌汁も.

帰り際には,近所のスーパーで果物まで買ってもらいました.
栄養ドリンクも,いつの間にか冷蔵庫に入っています(笑).
お茶と,水とりんごジュースしか入っていなかった冷蔵庫の中は,もういっぱいです.

ありがとう.









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移り変わり - 2001年09月01日(土)

今日は昼から仕事でした.
先週から引き続き,世界の移植経験者が集まる移植者のためのオリンピック,世界移植者スポーツ大会の閉会式の取材です.

移植に限らず,医療全般,特に白血病だとか,難病と呼ばれるものについて回る悲観的なイメージは,そこにはありません.
もっとも,必要以上に「普通」を強調しようとする感じが無きにしも非ずですが,それでも,そうせざるを得ない現実も彼らにはあるのでしょう.

大勢の,マスコミも来ていました.
果たして,彼らのうちのどれだけの人が,移植者について,詳しく知っているのかはわかりませんが,少なくとも,私たちのような専門雑誌の記者とは視点が違う気がします.
それでも,一般社会への影響は彼らのほうが大きいのだけれど.

一昨年の医療のメイン・テーマは,移植でした.
どの学会へ行っても,移植に関する話題であふれていました.
少なくとも,その時期,医療関係者の中で,それぞれの移植へ対する考えはあったはずです.
脳死を人の死と認めるか,自分がそう思えなくても,移植医療に携われるのか,
直接移植とは関係のないポジションにいる人でも,「医療関係者」全般に移植への考えを促す要素はありました.

けれど,昨年,大学病院での取り違えをきっかけに,医療の中のメイン・テーマは一気に移植から医療事故へとポジションを奪われてしまいました.
移植,という,いわば倫理的な面を多々含む話題よりも,医療事故という,倫理面を含みながらも,自分にも医療訴訟という形で責任を問われる可能性がある話題のほうが,重要だというのはわかりますが.

「移植」に対して,世間への興味も薄れてきたような気がします.
テレビに,食い入るようにしてみていたであろう,脳死一例目の移植で,ジェラルミンケースに入れられた臓器を見ていた人たちは,どこへいったんでしょうか.

この仕事をしながらいつも感じるのは,ひとつのテーマを追い続ける,難しさ,です.














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