宇佐美彰朗の雑記帳

2004年02月24日(火) 2月22日「NSVA」通常総会が開催されました。

「NPO 日本スポーツボランティア・アソシエーション(NSVA)」の法人
発足から初めての「通常総会」が、去る2月22日に開催され、無事終了す
ることができました。
年度末でお忙しいなかを、30名余の方が駆けつけてくださいました。
本当に親身になってのご意見もいただき、代表(理事長)として涙が出る
ほどに感激した次第です。

結局は厳しいご意見でもあり、当然のこととして理事関係がやらねばなら
ないことでもあると確認されました。それらの裏には折角、NPO法人とし
て認証されたのであるから、さらなる活性化を期待してのご意見であった
のだと思うのです。心から感謝申しあげます。

早速に取り組めることから、具体的にどんどんと着手していく所存です。
今後とも皆さまからの積極的なご意見と、会員獲得のためのご尽力・ご協
力をいただけましたら幸いです。

           NPO法人「NSVA」理事長・宇佐美彰朗



2004年02月04日(水) 小学校6年の「道徳」の時間、研究授業に飛び入り参加!

 去る1月28日、宇佐美は、横浜市立東小学校に突然、出向きました。
宇佐美が書いた本の一部が道徳の副読本に採用されているのですが、
その小学校の6年生のあるクラスで、「自分を高めるために、目標に向
かって努力する」というテーマの授業が行なわれ、私の副読本を資料に
使ってくれるというのです。

 担当の渡辺誠先生は宇佐美のホームページを見て「授業の参考にする
ので、資料か写真を貸してもらえないだろうか」と問い合わせてきまし
た。以前にも小学校の授業に直接出向き参加するという経験があったの
で、幸い時間的にも都合がついたこともあり、東小学校に直接出向くこ
とにしたのです。

 ただし仲間の先生や生徒諸君には、内緒にしておきましょうというこ
とにしました。とはいっても、校長先生には話さないといけないのでと、
校長先生の了解は取りつけておきました。

 授業に使った副読本は、宇佐美が箱根駅伝を初めて走った頃、30キ
ロを一人であれこれ苦心をしながら走りきった内容が書かれていました。
質問の前に先生が丁寧に読んでくれていました。そのあと先生から、角度
を変えた質問が生徒に出されたのです。

 私は廊下で一部始終を聞くことができました。今の小学校6年生はここ
までしっかりと、自分の考えを発表できることに、驚くとともに感動もし
ました。私自身の小学生時代を振り返ってみると、ここまでの発言や考え
に到達できたていたかは疑問であります。

 いよいよ45分の最後、10分間が私の持ち時間です。ぴったりとこち
らに廻ってきました。それまで「実物」が来ていることには一切触れるこ
となく経過したわけです。

 そこでぴょこっとみんなの前に出ました。
 生徒は、誰がのこのこ出てきたのだろうかと、不思議そうな顔をしてい
ました。間髪いれずに渡辺先生が、「今日の資料の宇佐美選手です!」と
紹介してくれました。「宇佐美ですよろしく!」と挨拶すると、みんなま
るでビックリ箱を開けたような顔をしていました。

 胸を広げ、手を叩かんばかりにしている生徒、下向き加減の生徒は顔を
上げて、またある生徒は目を目を丸くして、私に注目したのでした。「エ
ーッ!ウォー(文字では表現できないビックリ状況)」。声にならない声
が教室を包みました。

 宇佐美:「そんなにかっこよく走りきったわけでなく、負けるのが悔し
かったことと、少しの可能性が実現できることにかけただけでした。やれ
ばできることに、自信が沸いてくることは実感できました。あるいは目標
が達成できない時にはもう一度トライすること、工夫することだと思います。・・」

 終了後、とうとうほとんど全員にサインをしてあげることになりました。
校長室では、持ち帰ったサインを見た時の、親御さんたちの様子が話題と
なりました。先生方と雑談をかわし、帰りにはまた思いがけなくも、美味
しい「焼酎」まで頂いてしまいました。ありがとうございました。
 





2004年02月03日(火) 新潟県立巻高校「34ルーム」同級会開催。

 1961年当時、新潟県立巻高等学校3年生の「34ルーム」は、50数名が
在籍していた。そのクラスメートが還暦を迎え、東京・上野に集合した。
出席者は20名。「34ルーム」とは当時のクラス番号である。巻高校は新
潟県西蒲原郡巻町にあって、ほぼ県の中央部、海岸寄りに位置する。当
然、この地域も米所として一面田圃に囲まれていた。

 卒業して以来の仲間が半数であった。「宇佐美は時々、テレビで見て
いたから・・」といわれたが、ほとんど会うのは久し振りの仲間ばかり。
さすがに当時を思い出すのに時間がかかった。しかし時間がたつにつれ、
言葉も「新潟弁、西蒲原弁(?)」となり、とうとう、当時の高校生仲
間に戻っていた。
 
 そうこうするうちに、とても気持ちが楽になり、仲間のエネルギーで
も貰ったかのように内心ホットとすると同時に、心身に「故郷」が身に
染み込んでくるような感じがした。

 「卒業アルバム」を持参してくれた仲間がいて、少年の頃とのあまり
の違いに驚きあきれ、一人一人当人の確認をする始末だった。「あのひ
と誰れ? これらてばね!」。顔写真との違いのひどさに、ひとしきり
話に花が咲いた。
 
 この企画や世話役は、もちろん東北地方に在住のかつての「級長」さ
んである。やはりクラスのまとめ役は、卒業後も級長さんがはまり役。

 アルコールが入り、気分も高まりあれこれ情報が入ってくると話も弾
み、ふっと見直すと、かつては確か無口で大人しかった印象の男が、い
まや多弁・雄弁にも感じられる人物となっていて、想像以上に各方面で
大活躍であることが判明したりした。当時確かにクラスメイトであった
が、ほとんど目立たなかった彼が、彼女が、集まりの中心的存在になっ
ていたり。時間はいろいろな作用を引き起こすのだ。

 別れ難い仲間たちだが、予約の時間がやってきて、一人また一人と帰
路に着きはじめ、お開きの時間が来てしまった。楽しいひと時を過ごし
た会だったが、再会を約束して終了した。





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