西方見聞録...マルコ

 

 

2011年夏子連れお出かけダイジェスト - 2011年08月31日(水)

 この夏子どもと遊んだ日を中心に夏のイベント記録しておきます〜(参考文献おKさん@9歳児の夏休みの宿題の1行日記より)

 7月23日  
斑鳩町商工祭り ビンゴで物欲を炸裂させた。町在住のケニア人のナオミさんというひととちょびっとお話してマルコのスワヒリ語能力(さびさび)の存在証明をした。もっと仲良しになりたかったけど大阪に転出予定なんだって。ざんねん。そのあとノロさん一家と花火を見た(マルコとおKさん、1号さんはお友だちと参加)。

 7月28-30日
小豆島に行って海水浴行って二十四の瞳映画村に行った(既述・全員参加)。

 7月31日  
なんばパークスシネマにいってハリーポッター死の秘宝パート2を見た(1号さんとおKさんと)。そのあと天王寺Q'sモールというところに行って、娘2人洋服のショッピングをした。私本人は食指の動く服があんまりなかったのと、金欠なので買わなかった。 

 8月5日 
おKさんと最寄り駅が富田林駅のワールド牧場というところに行った。富田林にあるPL教の施設の「塔」のある風景がすごかった。犬猫に触れ合いたいおKさんには天国のような場所だった。フィールドアスレチック場があったのでおKさんがやった。綱を使って板を垂直によじ登るおKさんの華麗な身のこなしを見て、この人は自衛隊とか入ったら大成するかもしれないけど、でもやっぱり、それは、、という逡巡を抱いた。

 8月7日
新長田の夏祭りにちょっと前後に別件で用事があったので行く。おKさん連れて

 8月14日
おKさんを東京の夫実家に連れて行った。わたしは2時間ほど夫実家に滞在して、おKさんにしばしの別れを告げて、新宿で関東板友の皆さまと「サバトオフ」。
そんでマルコは実家に一泊して、翌15日斑鳩に戻りました。
おKさんは3日間夫実家、3日間マルコ実家、真ん中の1日が移動日で6泊7日しました。そんでその間青少年科学館(千代田区)行ったり、コクリコ坂見たり、富士山の風穴行ったりイロイロ楽しく過ごしたようです。

 8月18日
いやこの日は子どもは関係ないんですが、午前中、近隣の3町中学校PTAが主催の合同高校進学説明会があって出席。奈良高専の先生のプレゼンテーションが上手だったのと、平城高校という高校のキャッチフレーズが「平城心」というのが気に入ったのが収穫。でも1号さんの進学候補?の高校はいまいちぴんときませんでした。ちょっとイロイロ考え直し。まあまだ2年生だし。で、お昼から中ノ島の府立図書館で論文修正して、そのあとJR野田駅の「はたごや」で関西板友様と「平常心オフ」。

 8月20日
マルコ実家父母に名古屋まで連行されてくるおKさんを引き取りに名古屋へ。
お昼ごはんにドレさんにお勧めいただいたとり五鐵へ。
大変おいしゅうございました。そのあとセントラルタワーズの最上階の喫茶店でお茶して、両親と別れて(両親はこの後名古屋城を見て1泊する予定)、わたしとおKさんは斑鳩に帰還。 あめでおさんの作ったカレーで久しぶりの家族再結集を寿ぎました。

 8月24-25日
おKさんのお絵かき教室の合宿が柳生であったのでマルコも一緒に参加。柳生青少年自然の家にて。1日目は羊毛を使った手仕事のかばんつくりと水彩画。2日目は渓谷での川遊び、ピザ釜でのピザつくりとなかなか楽しかったです。1日目、青少年自然の家にはアジア各地から集まった100名ほどの青少年がなにやら国際交流ワークショップを行い、そんでそのあと被災地にボランティアにはいるとのこと。ありがたや。皆さん「日本は大変!」と思っているので私たちも「被災地から避難してきている母子の集団」と思われた模様。中でもマレーシアから来ているという特殊教育学校の校長先生(女性)は私たちが行ってた手仕事に物凄く興味を持ってずーっ途張り付いてイロイロと質問していて。マレーシアでこれやってみるわ!羊毛がどこで買えるか教えて頂戴!と張り切っていて楽しかった。またもやマルコの怪しい英語能力の存在証明。

 8月31日
おKさんと田原本図書館。マルコはなぞの原稿書き。おKさんは夏休みの宿題は終わってたけど読書宿題の量が他のみんなと比べて少ないのを気に病んでたので、学童休ませて、図書館に連れて行き児童書コーナーに放置。お昼に二人でお弁当を食べて、1時間ほどのビデオを見た以外、おKさん読書。椋鳩十の動物本の未読のものや実験犬の悲しい話とかを5冊くらいイッキ読み。読書の習慣づけをするのが多分夏休み読書宿題の狙いだと思うのですが、おKさんは8月31日にイッキ読み体質を身につけるという、泥縄体質の一子相伝というか、ちょっと違う方向の学びを手にしていました。まあでも泥縄でも「とにかくやる」ってことは大事だから。

、、なんかおKさん関係の事例が多いですね。
1号さんはずーっと部活をしつつ、物凄い大量の宿題をまいにちあめでおさんと取り組んでました。泥縄じゃない方向に育成中。あ、友達同士で体育館を借りてバトミントンに行ったり、USJ行ったりしてたな。あと歯の矯正してました。結構我が家的には大事件。

 あめでおさんは、1号さんの宿題係りをしながら、四国のほうの大学の集中講義に行ったり、教員免許更新講習の講師をしたりしてました。忙しそうだったけど、家事はなんか気合が入ってていつもよりご飯も凝ってたし、お盆の頃1人で大掃除を挙行してました。

 マルコは前半は某書き物で、後半は投稿論文の修正とか、そんで途中で11月の海外フィールドワークの関係者と会ったり、国内の近場のフィールドにうきうき通ったりしてたくらいかな〜あと平常心オフ@関西とサバトオフ@東京の恒例夏オフの幹事が出来て幸せでした。
 ランニングは週2回くらい、6-8キロしつこく続けてます。でも体重は減りません(キリッ)。
 






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多文化時代の「われわれ」とは誰か-ヘイトが町にあふれ出した日に - 2011年08月21日(日)

 多文化共生、という言葉を使うとき暗黙に文化による境界の存在が示唆される。複数の異なる文化を担う人が共存する、といっているのだから異なる文化と文化の間には境界線があることになる。文化というか民族性(エスニシティ)の境界線が本質的に生来的に設定されているという立場のエスニシティ本質主義(ギアツとか)の考え方がある一方で、文化を担うエスニック集団の境界は政治・社会・経済的な配慮のもと道具的に引かれたもので、その複数のエスニック集団の境界に存在する接合部分で、人は結構自由に行き来する、つまり自らのエスニシティというのは道具的に選択できてしまうものなのだ、というのがバルトのエスニック道具論だ。

 日本生まれの外国人の子ども達のインタビューを集めていると確かに境界線というのは本人が選択的に設定していて、時と場合によって視点をさまざまな場所に移動させ、ホスト社会の内部からもエスニックな自集団文化の中からもこの社会を見つめることが出来ることを感じた。そういう視点の移動は物事を立体的に客観的にそして自らの属する集団を相対的に見る力につながる。

 また松田素二は、文化本質主義、文化構築主義の2項対立から一歩超えたところに「創発的連帯」という言葉を使って新しい<我々>の存在を示唆する。つまり、「あらかじめ境界やカテゴリーを想定せず、現前の状況において便宜的な対応をする中で暫定的なアイデンティティが生成されたり放棄されたりする不安定な連帯によって開かれた集合」(松田素二著「文化/人類学」杉島敬志編「人類学的実践の再構築ーポストコロニアル転向以降ーP.145より)の存在が新しい文化を担う集団となる可能性を指摘している。 


 さて、この日フジテレビデモというのがあり、韓国由来のメディアコンテンツとそこから連想される在日コリアンの人々へのヘイトスピーチが町にあふれ出すということが起こった。詳しくはこんな感じ

 あまりマスメディアでは報道もされなかったようだが、なんと言うか、かようなあからさまなレイシスト的行動が黙認されてしまう社会に移行しつつある「今」に戦慄を覚える。

 このデモに賛成のスタンスで参加した区議がツイッターで何事か語っていたが、レイシスト的行動を実名で行う人間が公職を追放されないという事実に慄然とする。(匿名のネット空間では以前からこういうヘイトは吹き荒れるが、それは匿名空間だから。実名でそれをやるとその人の社会的な地位が脅かされるというのが私の認識だった。じゃあ石原都知事はなんなんだ、って気もするが、ああいう人に治外法権を与え、その言動がレイシスト的言動の一般化を招いていたという、現代史が幾重にも悔やまれる。)

 ヘイトスピーチはその言葉が発された瞬間には、標的となったマイノリティを傷つけ、標的とならなかったマイノリティにも恐怖を与える暴力だという認識をもっと共有されるべきだ。そしてすべての人が、事故で、被災で、あるいは老化で、誰もがマイノリティになる可能性と老人というマイノリティへの階段を確実に歩んでいる存在であることに、あまりにも無頓着な「生得的本質論的我々日本人の日本論」の中のマジョリティの自己規定のように思われる。

 震災、原発事故以降の社会不安、将来への不安、放射能を垂れ流していることへの各国からの批判、そういう自信喪失、不安、不満を昇華するために無関係のマイノリティをスケープゴートにすることで、高揚感を得、自信を回復しようとする「我々日本人」の存在を感じる。

 そうした「本質主義的日本人マジョリティ」が幻視する日本人の枠の幻想性を指摘したい。わたしはヘイトを語る人々の「本質主義的日本人の枠」にからめとられることに息苦しさを覚える。私はマイノリティとしての創発的連帯の側に身を置きたい。女というマイノリティ、子どもをもち仕事をする自由主義経済下の労働者というマイノリティ、非正規労働者というマイノリティ、老人への階段を歩むプレ・マイノリティ、そういう自分の中のマイノリティ性を社会を客観視する力としたい。そして、今回ヘイトスピーチの対象となったマイノリティ集団とそのほか攻撃のターゲットとなりうる多くのマイノリティとの創発的な連帯のもと、「我々」となりたい。

 マイノリティへの現実空間での攻撃が始まった2011年8月21日という日付をいつ攻撃される順番がまわってくるかわからないマイノリティとしてしっかり記憶しておこうと思う。


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夏の休日 - 2011年08月08日(月)

 えーっと6月から私を籠らせていた初稿が先週金曜日にいずこかへと飛び立っていったので、本日は休日だ〜!ということでともたさんとちえちゃんとランチしました。

 心斎橋のインドネシア料理屋ウブド・スチ にいって、(ともちゃんとわたしはビールも飲んだぞ!)職場に去っていくちえちゃんを見送り、わたしとともちゃんは心斎橋から歩いてなんばの丸井へ。

 途中なんだかよくテレビに出てくる<道頓堀>を関西移住10年目にして初めて目撃しました。観念の関西の実体化と言ったらいいのか。



 

 関西に住んでるだけでなく、ご近所の心斎橋の職場で非常勤ながら7年間も勤めたというのに、道頓堀は本当に初めてでした。どんだけ職場と家のピンポン野郎(コピーBy ちえちゃん)だったのかい、って話ですな。まあこれからは子どもも大きくなってきたしもうちょっとピンポンの軌道を緩くとって過ごしていきたいと思いました。

 丸井ではカルディというエスニック食材店でともちゃんが職場の同僚に頼まれたなんだかレアな食材を買っていました。私は韓国のチョコレートブラウニーがものごっつうおいしそうだったので衝動買いしました。

 よき1日。


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鳩子さん@pochi29から働く母への3つの質問に答えてみたよ(8月6日朝と夕方、加筆) - 2011年08月05日(金)

 きのうツイッタのほうで鳩子さん(@pochi29さん)からいただいた働く母への3つの質問に答えてみたいと思います〜
第1問<非常時、母のキャリア途絶をせまられた際、その状況を母が納得するためにどんな思想、考え方があるか>

 ふむふむ。

 鳩子さんは具体的に原発の影響による避難、を挙げてらっしゃいますが、子どもの病気(長期)とか夫の転勤とかとかく原発事故に限らず、さまざまな危機は母のキャリアを脅かします。

 でそんなときの対処ですが、「行った先で働き続けること」ではないでしょうか。

 私がその立場だったらですが、避難先の自治体選定の折は支援の充実度とともに保育施策の充実度(待機児童がいないか、保育時間の長さ、病気になったときのファミリーサポート制度通称ファミサポはあるかなど)を勘案して、選定します(役場の福祉課に電話すると割りと親切に教えてくれます。10年前関東から関西に移転するとき、引越し先を決めるために私も、いろんな自治体に、たくさん電話しました)。
 また自分の仕事の求人サイトなどで自分の仕事の求人が多そうな場所を選ぶと言うのもポイントかもしれません。
 そして、移転したら子どもを預けてキャリアを継続させるような場にアクセスし続けることです。移民の社会的地位の格下げはあるでしょうが、(常勤から非常勤へとか学校教員が塾講師へ、主任看護婦からヒラ看護婦へ、正社員から派遣社員など)とにかく移転先での生活が長引くのであればそこでの生計手段を先に子どもと避難したほうの親が確保し、そのつてを頼ってもう一人の親も移動すると言うことは共働き夫婦の場合、可能だと思います。

 私も実際、10年前夫の転勤でキャリアを途絶して関西に移動してこちらでキャリアの再形成をしましたが、そのとき私を支えた「思想」「考え方」は「働き続けると言う決意」です。

第2問その1その2要約すると、<働く母親の世代間格差を親世代が如何に認識しているか主に就業形態と保育サービスについて>ということですね。

 まあケースバイケースでしょうね〜
 文化資本(学歴、親の収入等)は世代間で継承される傾向にあるので母の職業的威信が子どもの代のそれと格差が生じるケースって、、どうかな〜まあ、あるか。
 うちの場合で回答すると、就業形態に関しては、私は母と同じ職業ですし(大学教員という面では一緒ですが、むこうは私の年にはもう専任助教授だったんだよな。わたしは客員、特任、非常勤なんでもします状態だけど、それこそ時代差はあるかも。でもアクセスしている大学が私のほうが偏差値高め設定なので母は「このご時勢にあんたよくやってるわね〜」と割と褒めてくれてるような、、これも同じ業界人だからわかることなんでしょうか?)、あんまり世代間格差がないので答えにくいですね。
 保育サービスに関しては母は保育園にアクセスしなかったので、私の子育ての折に保育園の内部を知って「こんないいものがあるなら、私も利用すればよかった!」と悔しがってました。まあ母は実家も婚家もじじばばそろい踏みの中で子育てしてたんで、関西移転でじじばば抜きで子育してる私のほうが公共保育サービス利用率が高いですかね。公共サービスの充実度は子ども世代の勝ちじゃないですかね。

 ところで鳩子さんの例、、、鳩子さんひょっとしてすごい若者?わたし昭和40年代生まれなんですが鳩子さんの母世代に近いの?
>(例:S30生まれ母が教師、S60生まれ娘が会社員)

第3問<働く母は専業主婦蔑視から抜け出せるか?>

 うわああ、鳩子さん、その設問古いよ。
 働く母親のサイトムギ畑(女性であれば誰でも入会できます)でその質問したら袋叩きにあうよ。

 回答は「専業主婦と働く母の単純な対立軸は現在はない」でしょうか。

  まずその感じは鳩子さんのお母さん世代の専業主婦がマジョリティだった時代のものでしょうね。現代は下の子どもが小学校に入れば専業主婦してる人って超貴重です。(わが町はPTA本部役員女性枠は専業主婦が勤めるっていう不文律があるので、そんで本部役員の選考委員やったことあるので知ってますが、ほんとうに子どもが大きくなるとパート、非常勤が多いですが多くの女性が働き始めます。なので幼稚園卒園したての就業前のお母さんを狙って、本部役員ヘッドハントが行われます)それに男性の就労も不安定になりつつあるので、女性も何らかの就労についているケースは多いです。
 で働いているものの間の格差のほうが複雑でイロイロ大変なんでは?ずっと最前線で働き続けてる人、時短とって働き方を変えた人、契約社員にした人、下の子が小学生になってから非常勤や臨時職で復帰した人、その間でのケンケンガクガクはあるでしょうね。でもそれは職場での問題。地域社会においては、PTA活動や子ども110番の家などの子どもの見守り活動を引き受けてくれる専業主婦の人に感謝し、いつもお世話になってすみません、社会関係資本(地域社会のネットワーク、信頼、規範など)をしっかり形成してくださってるのは地域活動しっかりやってくれてる皆さまのおかげです、と言う感覚が現代の働く母には多いように思います。

 

 と、私なりに回答してみました。

 どうですか?他の働く母の皆さまは私の回答と不同意かもしれません。もしよろしかったら皆さんも3つの質問に答えてみませんか?


加筆(8月6日未明):

 質問1の回答について:避難者の移転先での自助努力をうたってはいるが、もちろんこれは母の問題とのみ考えるべきことではなく、家族の問題であり、出身地域と避難地の地域社会も、国を含むさまざまなレベルの行政がステイクホルダーとして存在していることには注意を払いたい。その上で、もし私が当事者だったらと言う視点で書いた。(ただ避難者を被支援者として福祉的に受け入れると言う観点ではなく、ホストとなる地域社会は人材として新しいメンバーを獲得しているのだと言う、受け入れ側の意識変革の可能性は謳いたかった)
 いずれにしても本当にさまざまな苦難の中で苦労している福島の人々のあり方を、観念論のレベルで取り上げるのは申し訳ないことであったと思っている。具体的な友人達の顔を思い浮かべながら。


 質問3について:鳩子さん自身がその後、紹介しているこの記事の中の

>「専業主婦VS働くママ」というような、無意味な対立構図で
>ワイドショー的に書き立てる記事をあまり見なくなった。
>正直、ちょっとホッとしている。

と言う記述の「あまり見なくなったワイドショー的な記事」的なものを私は鳩子さんの質問の中に見て、古い、と感じたのだが、鳩子さんはその私の感じ方を不本意と思われた模様。では鳩子さんの質問の真意はなんだったのか。今もって申し訳ないが私は読み取れていないようだ。すんません。

さて友人の働く母から寄せられたご意見をちょっこり紹介しておく。

Sさま
「女対女の構造への違和感」

Cちゃん
「専業主婦ってブラックボックスだなと思います。メデイアイメージとは隔絶した生活もあり、この層は現代日本のサバルタンかも…と思う。世代間の問題も、いる場所によって見える景色が違いすぎる」

Cさま
「自分ではないが専業主婦や非正規雇用への偏見をネット上で感じたことがある 」

Aさま「相手が気になる人は自分を認めて貰いたい事の裏返しでは?」

 

、、、てな感じでした。多様な年代の、専業主婦という選択をしたり、働く母という状態になったり その他さまざまな生き方をしている友だちを出来るだけ多くもって、具体的な実感を持ってそれぞれの生を許容出来るといいですね。今回の質問と回答大会が鳩子さんに多様な世界観を持つ人々との具体的な出会いの機会となりますように。


加筆(8月6日夕方):
鳩子さんに第3問の質問の意図を教えていただきました。
質問の真意は「マスコミの煽る専業主婦VSワーキングマザー(WM)の構図に飲み込まれず、距離を置いておくコツはなんですか?」

と言うことだったようです。
マスコミの煽りとそれを内面化するかはイコールな問題でないことがポイントですね。

で、それへの回答はちょっとA様案を参考にしつつ、「自分の生き方を肯定する(他人を蔑視する裏には自分への肯定感、是認されていると言う実感の欠如があると思います)」と自説から「気の合ういろんな立場のリアルな友人を持つ」とお応えしました。

まあ自分の生き方を肯定するのは難しい場面もあると思います。わたしも結構黒い思いにひきづられることもあります(あんまり表明しないけど、もったいないから)。

でも友達を作ることはできます。働く母の場合PTA参加はいろんな社会的立ち位置の友を持つ一つのきっかけになります。ぜひ仕事が忙しくって出来ません、とかソーシャルキャピタルのフリーライダー宣言なんてせず、働いててもできる職務や有給を上手に使って参加し、楽しみかつ友達をゲットするといいと思います。(このとき気のあわない人と無理には友だちにならないこと、その個人への嫌悪を専業主婦嫌悪に転化する恐れがあるので。結構な大人数で共同作業をするので気のあう人ってわりとできやすいです>PTA)で、「専業主婦って」、とか、「パートの主婦って」とか、ある塊で人をグルーピングしてなにごとかを語りたくなったら、具体的なその立場の友の顔を思い浮かべながら語ると、あんまりひどい言葉を選ばずに理性的な「語り」ができると思います。


「専業主婦」の観念的イメージにもし陥るとしたら、それは働くママ友としかリアルで接触を持ちにくい保育園時代の話ではないでしょうか。小学校に子どもが行くようになると、顔のない<観念の専業主婦>が目鼻を持って語りだしますので。


まあ突っ込みどころも満載でしたが、私には楽しい対話でした。お付き合いいただいた鳩子さんはじめ、Aさま、Sさま、Cちゃん、Cさま、ミクシのほうの友人の皆さん、ありがとうございました。またつぶやきをリツイートさせていただいたそこのあなた、帰国したら飲みましょう。


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姉御ジャパン振興策を勝手に考える - 2011年08月04日(木)

 さて、本日はこの前フランクフルトワールドカップで優勝した姉御ジャパンの振興策を勝手に考えてみたいと思います。

 ちなみに姉御ジャパンとはナデシコ・ジャパンって呼び名がジェンダー的にアレなので、ワタクシが勝手に考えた代替名称です。他の案として家族会議で主にあめでおさんからはスッポン・ジャパン、月の輪ジャパン、マグロ・ジャパンなどが考案されましたが、そんなアホなあめでお案をツイッタでつぶやいていたら、キレてる板友らいむさんから「オカン・ジャパン」がよろしいのではと言うご提言を賜り、そこから連想してより広い範囲の女性に適用される名称で、そんであのイレブンの雰囲気に合う呼称ということで「姉御ジャパン」を代替名称としました。そんなわけで新聞とかでナデシコの呼称を目にすると、勝手に「姉御」と脳内変換して世界を認識している最近のマルコなのでした。

 さて、最近三宮の地下鉄への階段はビュッセル神戸のポスターとINAC神戸レオネッサのポスターが右と左にみっしり張ってあり、姉御リーグの試合にはたくさんの人が詰め掛けるようになりました。このフランクフルトワールドカップ効果を持続させるためには何が必要でござりましょう。

 男子サッカーも大変なマイナースポーツ時代があったわけですが、現在はJリーグで盛り上がってマイアミの奇跡とかドーハの悲劇とかジョホールバルの歓喜とかいろいろあったり、押しも押されぬ国民的スポーツになってまいりました。その繁栄の陰には私は漫画キャプテン翼の存在が非常に大きいと思っています。

 あのキャラクターの見分けが微妙に難しい熱血漫画が、少年にそして主に腐女子と呼ばれる、しかし結構な数の女性たちにサッカーを広く浸透させ、今、その世代ががっつり中年で消費動向を握っていると言う事実は男子サッカーの盛隆に一役買ってることでございましょう。

 お、さすが、すでに姉御リーグ関係者高橋陽一に頼んで女子サッカーイメージキャラ楓ちゃんを作ってもらってたのですね。相変わらず顔の書き分けが出来ない高橋陽一さま。しかし女子サッカーは楓ちゃんよりぜひ海街ダイアリーすずちゃんにイメージキャラやってほしいものです。

 海街ダイアリーがうんと盛り上がって女子サッカー人気の永続性をもたらすようなメディアミックス的展開を期待したいところですが、まあそういう漫画じゃないですね。しみじみほのぼの漫画ですね。

 ところで姉御ジャパンの代表の7人までを輩出し、しかもマイナー時代からプロ契約で選手を守ったINAC神戸レオネッサの親会社株式会社 H&Rコーポレーションは偉かったと思います。今回の姉御ジャパンのWC優勝に重要な役割を担ったといえます。H&Rコーポレーションは神戸の在日コリアンの社長さんの興された会社とききます。私たちの社会もうとっくに多文化なメンバーがさまざまな局面からがっしり支えていると言う事実に多文化共生論とかの授業の御題で何事か語っちゃう私としてはとてもうれしく思います。イロイロ制度とか人々の意識とかが現実に追いついていない観はあるけれど。


 とりあえず今度の平常心オフははたごや(H&Rコーオペレーション経営のお店)でやろうと思いますが、いかがっすかね?参加者諸君。




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