西方見聞録...マルコ

 

 

とびひをこじらす - 2010年06月14日(月)

 さて先週、水曜日おKさんが鼻の下に「とびひ」をこしらえた。朝は小さな水泡だったものが夕方にはずりむけていたので、なんとなく不穏なものを感じて終業間近の隣町の皮膚科にタクシーすっ飛ばして駆けつけたんである。
 
 そのおKさんのお鼻の下の治療に携わっていたマルコ、まったく同じ場所に同じ疾患が現れた。金曜日のことだ。でもおKさんを連れて行った人気皮膚科Aは行くと2,3時間待ち当たり前なので、そこではないもう少しすいている皮膚科Bに行った。

 おKさんのとびひ罹患の事も、その治療に携わってることも申告したのだが、いただいた診断は「ヘルペス」だった。

 そしておKさんとはまったく違う薬をいただいた。

 さて、おKさんは発見も早く、抗生剤投与を初期から行ったので土曜にはお鼻の下はきれいになっていた。

 対照的にマルコの鼻の下は週末の間、悪化を続け、鼻の下に巨大な鼻くそを蓄えているような不快な外見になり、さらに目の横やおでこにも不穏な水泡とそれがはじけた赤い変色箇所ができている。こうなるともうお化粧もできない。

 どうして皮膚科Bは患者から事前診断に、かたくなに違う病名を言いたくなっちゃったのだろうか。なんかオリジナリティの発揮をしたくなっちゃったのか。

 さて今週、皮膚科AにもBにも行く時間を、とても捻出できそうにはない。調べたら職場の近くに皮膚科があるので昼休みにちょっくり行ってこようかと思うのだが、これまでの経緯をどう説明すべきか、悩む。淡々と時系列に事実だけ記述した紙を持ってけばいいか。


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土日ランナー - 2010年06月13日(日)

 地道に早朝ラン続いております。

 最近は週末のみ走っているのですが、土曜は少しからだが重いので、5キロ弱しか走れないのですが、日曜には土曜に比べて、ちょぴっと強靭になってる感じがするので土曜のコースに2キロ増し位の距離を走ります。そんでウィークデイ体をなまらせて、また週末を迎える、という感じです。

 ダイエットとか体を鍛えるみたいな当初の目的は胡散霧消してひたすら自己効力感を得るためというか、過ぎたウィークデイのブルーな気分を前向かせるために走っている感じです。しかし走ると、確実に気持ちが前向きます。

 暖かい時期を向かえ、他の早朝活動家も活発になってます。ゴルフの練習してる人、草野球の早朝練習のおっちゃんら、犬のさんぱー、ウォーキングの老夫婦&お姉さま方。そして同列に論じては申し訳ないでしょうが、農作業の皆様。私も含めて中高年が多いです。

 みんないろんな人生抱えて、それぞれに朝の光から元気をもらってるんでしょうな。ふぁいと。

 



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岡目八目ー私という迷宮ー - 2010年06月12日(土)

 ちょっと過去日記。

 地元で、しかも電車で10分とかの場所で学会があった。

 我が家には、「自分が発表しない学会は出席不可」、というちょっと変なファミリールールがあるのでわたしもあめでおさんも参加するときはいつも発表者ってかんじで学会に臨んでいる。

 しかし今回はあんまりにも近場なので、発表しないけど、関係ある人の話だけちょっと聞きに行く、ということができた。

 初めての発表者でない学会。

 すごい楽しい。

 いつも、どの発表聞いても「私より、いっぱいデータ取ってる!」とか「私より先行研究がしっかりしてる!」って感じでいつも荷物まとめて逃げ出したい気分で他人の発表を聞いてたんだが、自分の発表がないとなんと心豊かに他人の話が聞けることか。そしてなんと他人の発表のアラがよく見えることか。

 いっぱい楽しく質問してしまったよ。自分が発表する学会だったら、ああはいかないねええ。

 そして、さあ、わたしも論文書こう!と家帰って自分の論文を広げると、アラ不思議。とたんに迷宮に迷い込んでアラも見えなければ、何を書きたいのかもおぼろげになってきて自分の得たデータにべたべたにしがみついて底なし沼にはまってく。

 自分の他人になりたいです。(意味不明)

 


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臨界のひと - 2010年06月07日(月)

 東京WM時代、私は転職しているので職場Aと職場Bを経験している。Aは某お金持ち財団で、私は東南アジアの大学ネットワーク化事業を担当していた。職場Bはやっぱり東南アジアを現場にするけど初等教育の普及を仕事とする草の根NGOだったので同じ東南アジアの教育を仕事にしながら職場の雰囲気はずいぶん違った。

 志を持って職場Bに転職したんだが、職場Bはなんだか激しくとも濃いところであった。晩年回顧録を書いたらもっとも盛り上がる部分に当たるのがこの職場B時代になると思う。愛と憎しみの混じりあった青春の激闘の場所である。

 それに比べると職場Aはとにかくお金持ちなので、新宿の高層ビルのオフィスで毎日足元に都民を睥睨しながら仕事をしてたんであるが、まあ余裕のあるこっちの職場で私は基本ビジネススキルを身につけさせてもらったことになる。青っ洟たらしてた20代の終わりから30代になり、1号さんを妊娠して2歳児くらいになるまでの新米WM時代を私はこの場所で過ごした。

 さて、本日この職場A時代の上司のスーパーWMにして私の働く母像のロールモデルになったHさんが現在の私の京都の職場に会議で現れたので、一緒にお昼ご飯を食べた。

 Hさんはあのころ40歳、わたしがあのころ30になるかならずかだった。あれから12年以上、干支が一回りしている。

 Hさんは当時、小学校低学年児の母で、ものすごい忙しい出張スケジュールで東南アジアの国々を飛び回りながら「今日子どもの家庭訪問なの〜」とか言って涼しく職場から消え、1時間後に戻ってきたりしていた。生後4ヶ月の子どもを置いて出張するとか、産後45日で職場復帰するとか、私がその後歩む道はすべて彼女によって実現可能であることが実証されていた道だった。

 さて十数年が経過し、私が彼女に妊娠報告をした1号は中学生になったし、小学生だったHさんのお子さんはすでに大学生になっている。

 お互い人生の駒を一こま進めたことになる。でも私たちはあんまり変わってなかった。Hさんは相変わらず、かわいく、のほほんと激務スケジュールをこなしていたし私はいつまでもガキっぽい言動のまま今に至っている。

 共通の知り合いの近況を報告しあうと、若手だった私、中堅だったHさんの上にいたおっさん・おばさんたちが軒並み鬼籍に入り、あるいは現場を引退していることにしみじみとする。

 当時私たちが情熱を傾けていた東南アジアの主要大学のネットワーク化事業は欧米からアジアを見るのではなくアジアの研究者がアジアの視点で域内研究を進めるためのプラットフォームつくりという大きな文化運動を目指していた。各大学間の単位交換制度やや客員教授制度、大学院生の自国以外の東南アジア言語の習得支援などいくつかの成果を残しながら、日本からの支援は2000年代に終了して2010年からのディケイドはこのプログラムに前職場はかかわっていないそうだ。

 私自身は、その後、そうした研究・教育を支援する立場から、より研究の内部に進路をとった。だが、分け入ってみると、アカデミックな世界の住人たちが欧米フィルターを通して、非欧米社会を「見る」ことに疑問の感じない習い性にときどき愕然とした。

 東南アジアの知識人に向かって旗を振る前に日本国内においても、もっとやるべきこともあったであろうし、バブルの余波の残る日本でアジア視点のアジア学の確立を目指しながら、撤退したあのプロジェクトの存在意義というのは後々検証されてしかるべきだと思った。

 まあそんなことを京都の喫茶店で語り合いながら過ぎた12年間に思いをはせる。Hさんとの出会いがあの時期にあったからこそ、子どもがいても「ああ、子育てって大変ねえ。で、次の出張だけど明後日からでいいかしら?」ということを日常として受け止めることができたのだと思う。

Hさんは50歳を目前に少しメンタル面で危機に陥り、1年間休職を経験したという。育児もメンタル危機も、キャリアの山も谷も併せ呑み、淡々と息をするように仕事する50歳を目指したいな〜と思う元上司との邂逅だった。

 


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休日の亀 - 2010年06月05日(土)

 さて、土曜日。

 この日はほんとは部活少女1号さんはわれわれと別行動の予定だったのですが、1号さん、アレルギー鼻炎で耳鼻科検診に引っかかったので、プール開始前に医者にいって診断書書いてもらうというミッションが生じました。

 そんなわけで1日部活サボってもらったんで、せっかく久しぶりに家族でお出かけなんだから、奈良公園に行って、奈良公園の近くの耳鼻科に行こう、ということになりました。

 喘息のかかりつけ医@興福寺下、にまずいって、猿沢池の近くの耳鼻科を紹介してもらって、そちらに参上します。

 耳鼻科は混んでたので、1号さんとあめでおさんは待合室で順番を待ち、おKさんとわたしは亀のえさもって、猿沢池へ。






おお〜群れ群れと亀がいます。お麩を亀のえさとしてまいていると、、




おや?




あなたちょっと他の亀と違いますね、、、って感じの巨大ガメが池から登場します。

動画もご用意しました。
ミクシですのでログイン状態でこのURLをカットアンドペーストで見てみてください。


http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1506771466&owner_id=401519

池の亀を見ていた人々もざわめきだし皆口々に「スッポンや、スッポン」と叫びます。わたしも丁度そこに診察を終えて現れた1号さんとあめでおさんに、「すっぽんだよ!」と鼻の穴膨らませて報告すると「なぜ、スッポンだと分かるのです。ガラパゴスオオウミガメだったらどうします」といつもながら冷静に会話を4次元に持ってくあめでおさんでした。

で、帰りにビブレの地下に出来た大型本屋で爬虫類図鑑を見てみると、点々の感じが「ニホンスッポン」と似ていますが、甲羅がすっぽんはもうちょっと肉っぽい感じなので、これはオーストラリアクビナガガメかもしれない。という家族の結論に達しました。


さて、亀への興奮がさめたところで、適当にその辺でお昼ごはんを食べ、興福寺に。

おお〜大きな木を買って、中金堂再建工事が本格化しています。



なんと平成30年完成予定。
私とあめでおさんが新婚旅行で奈良きたとき(平成8年)にすでに、工事が始まってたわけですから、長尺な工事です。




しかし昨年あたりから秘宝のご開帳をあっちこっちで開いたおかげで、阿修羅と仲間の八部衆、十大弟子の人気がブレーク。



この日もリニューアルされた国宝館は40分待ち、と長蛇の列。
今までは国宝館行ってもホントにヒトがいなくて、私たちだけでゆっくり見れたんですが、まさに人々にその価値を「発見された阿修羅」。しばらく阿修羅フィーバー続きそうです。がんばれ阿修羅と仲間たち。君たちの肩に興福寺の中金堂再建工費が捻出できるかどうかがかかっているのだ!


友の会員なのでただで国宝館も見れるのですが、今日は国宝館はあきらめて、東金堂で維摩居士像を見て、近隣のお習字教室の皆さんが書いたお経を読んで、帰路につくことにしました。



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