西方見聞録...マルコ

 

 

加速装置付きチェイサー - 2009年06月27日(土)

 えっとサイボーグ009の話でなくて子どものピアノレッスンの話です。

 昨年6月おKさんがたっての希望で始めたピアノレッスンですが、おKさんなんとか続いています。今年の年明けには、これまで堆積させといたお年玉とか入園祝いとかの埋蔵金を発掘して安いほうから2番目の電子ピアノを買いました。で、せっかくピアノも買ったことだし1号さんもやってみなよ、ということで今年4月から姉娘1号さん@6年生もピアノを始めました。

 そして今は6月、あわれ、おKさんは姉に追い抜かされました。

 うちんとこのピアノの先生はバイエルとかブルグミュラーとか私の世代の知ってるピアノ教本を使わずハル・レオナルドスチューデントピアノライブラリ」というピアノ教本を使っています。このシリーズの中のPiano Solo, Piano Lessons, Piano Techniqueという3冊セットをやってます。それぞれ段階ごとにBook1からBook5へと進展していく模様。おKさんは1年かけてようやっとBook1を終えようとしています。しかしおねえちゃんは4月5月のレッスンでBook1を終わらせ、6月現在Book2もかなりすすんじゃってます。

 幼児用の教本なので、小学校高学年ですでに楽譜の基本的な読みを学校で勉強済みの姉娘からみるとそんなに難しいものではないのかもしれません。しかし、この1年のピアノの前の椅子に座ることから、とってもも大事業だったおKさんと、そのおKさんを宥めてすかして怒って泣かせてピアノ弾かせてきたマルコの血のにじむような努力の日々があっちゅうまに抜き去られるのは、なんつうの「努力って何?」って気分でございます。

 1号さんを見ているとあんまり練習してなくても初見で弾けちゃってるようなので、やっぱり曲が小6には簡単なんでしょう。1号さんは「1年間だけピアノやって中学校に入ったら部活とかあるから、辞めようと思う」とクールです。そういう1号さんの心積もりを知ってか知らずか先生は1号さんに「あなたはピアノにむいてると思う。将来も考えて本気で取り組んでみないか」なんて言っています。そんなこと言われちゃうと親が動揺してしまって、帰り道1号さんに「ねえ、先生あんなこと言ってたね」とどきどき1号さんのキモチを聞いてみます。すると、1号さんはニヒルに笑って

「少子化だからじゃない?」

と、生徒確保目当てのサービストークだろう、と指摘します。まあ、冷静に考えてみれば、そうだよね。初めてまだ3ヶ月ですわ。

 それにしても今日もレッスン中に首を後ろにガクッと倒して思わず眠ってしまうおKさんのレッスンに付き合いながら努力の尊さを子どもに教えるのって難しいよね、とじっと手を見るマルコなのでした。


 


...

聞き覚えのある話 - 2009年06月26日(金)



 よく男の子のお母さんたちが「プリントを家に持ち帰らない」「筆箱開けてみたら中が空っぽ」「家に帰ってきたらドロだらけで家に上げられない」とかそういう悩みを話していて、こぎれいな1号さんの幼いころ、ワタクシは思っておりました、 「男の子の親御さんって大変なのね」、って。

 さておKさん小学校デビューからわずか2ヶ月で上記のようなうわさに聞いた「大変な男の子の育児」という具体的事例が目の前で次々と展開されております。それにとどまらず近所のガキ大将に君臨し、ガキ大将仲間の3年生女児とふたりでよその家の庭のでっかいムカデを殺すためにバンバンでっかい石をよその家に投げ入れてその御宅から「お嬢さんを外で遊ばせないで下さい」なんて苦情もいただいちゃいました。もちろんマルコは平謝りです。

「こいつ、少女の皮をかぶった夕焼け番長だな」と思っていたら、ついに学校から電話が!

 クラスのでっかい暴れん坊の少年にむかっておKさんはなんと目潰し攻撃に出て相手を保健室送りにしてしまったというのです!幸い病院送りマターでなかったので相手方へは謝罪電話で許されました。病院送りマターだと菓子折り持って謝罪に出向かねばなりません。

 しかし一通り各方面への謝罪が終わった後、おKさんがいうには「そのでっかい男の子は視界にはいっていなくて、となりにいた保育園からの親友(で、暴れん坊将軍)のR君の胸倉を掴もうとしたら(R君とおKさんは日常的に胸倉を掴んだり馬乗りになったりするハードコンタクトをしているので二人の間の激しいコンタクトには周囲はわりと寛容なようです。2人の間でガス抜きができれば、周囲は安全ってことか!?)そこにでかい子が通りかかって目に指が入っちゃったそうです。

 その釈明もねえ、どうかねえ。 つうか釈明は最初にやってよ。小学校1年生のトラブルってのは本人に説明能力がないから周囲が事実を解釈するって言うか構築するんだからさ!

 どうか決定的な大事故を起こさないうちに、おKちゃんが人間ぽく成長しますように。




...

階段の途中 グラントリノ - 2009年06月24日(水)

 えーっとまだいろいろこの先もありますが、D論関連がとりあえず一山越えたのでしばらくのんびりしています。
 そんなワタクシの山を越えたら食べようと思って、山越えのエンジンにしてたニンジンたちを貪り食うの図をちょっとまとめとこうと思います。

 んで、この日は梅田ピカデリーにグラントリノを観に参上しました。

 どうでもいいですが、この梅田のピカデリー界隈って結婚関連行事で両親と来阪して宿泊した東急系ホテルの近くですな。関西移転以来この辺来るのは初めてなんですが、あ〜ここが大阪初体験だった私の上陸の地だよ、となんか懐かしかったです。

 で、グラントリノ。イーストウッド爺さんがラオス難民のモン族に注目して作った映画です。爺さんとアジア、わりとキーワードですね。ダーティハリーはこのような視線をアジアに向けていたのか、と興味深いです。

以下、ネタばれ注意です。未見で本作を見るつもりがある人はこの先は読まないことをお勧めします。あと未見の人にはわかりにくい部分もあると思います。お許し下さい。














 で、ポーランド移民のイーストウッド爺さんは朝鮮戦争に従軍したりしながらフォードの工場で働いて子ども二人を育てあげ、今は現役引退して奥さんに先立たれちゃった独居爺さんなわけですね。モノつくり大国だった古きよきアメリカを支えて繁栄させてきたのは自分たちだ!という自負があります。じーさんの仲よしの老人達はみんなそう言う白い移民の手に職系です。
 そんな爺さんの隣近所にラオス難民のモン族の皆様が移り住んできてコミュニティを作ります。で、最初は葛藤もあるけど爺さんは慎ましく「古きよき」モンソサエティの人々と心を通わせるようになる。
 対照的に爺さんの息子たちが、「モノを作らずお金を動かす系」の現在の主流アメリカ市民として出てきます。しかし全然爺さんと話が合いません。 爺さんは移民としてやってきてアメリカ社会の梯子を登るべく苦闘した自分たちこそ、アメリカだ、この自分たちのがんばってきた人生のバトンを渡すべきは息子達、階段の上にいるやつらじゃない、今、階段を苦労して登ろうとしているモン族の青年のタオやスウなんだ。と主張しておられます。なるほど。

 後発の白い移民や日系、韓国系、ベトナム等アセアン諸国系がそれなりにアメリカ社会の社会上昇の階段を登っていくのに、アフリカ系、そしてモン族のみなさんはすごく階段を登りにくい存在であることが劇中示されます。モン族はベトナム戦争の時期ラオス戦線でアメリカの特殊部隊に動員された山岳民族なんですが、本国においても就学経験を持つ人々はごく、わずかでインドシナにおけるアメリカの敗戦によって居場所を失った彼らは突然アメリカ社会移転させられるのですが、アメリカでの適応は本当に苦難の連続だったようです。
 ベトナム難民がそれなりに社会適応を果たしていく中、なぜ時を同じくして移動した同じような顔のモン族がこんなに上手く行かないのか。
 移民の持ってる社会的バックグラウンドやホスト社会の理解の有無っていうのが鍵になるのかな、とか思いながら見ました。

 で、モン移民の中にもストリートギャングになっちゃってる「不良」グループがいてその「劣化した」モン族がよきモン族タオやスウの社会適応を決定的に足を引っ張る存在として出てきます。この「劣化した」モン族への爺さんの激しい制裁はさすがダーティハリーだぜ、って感じでした。まあ移民社会の光と影といえばいいのか。古きよき心を持ち勤勉な移民は歓迎だけどストリートギャングになる不心得ものは許さないぜ、という爺さんのメッセージはよくわかりました。でも移民が不良になっちゃう前にあるいは不良になっちゃっても長期刑で社会から排除するんじゃない「生きる道」ってのはないのかね、と思いました。

 しかしアメリカ社会でトラブルに巻き込まれないために「車」がかなり鍵になるってことが何度も描かれます。でも私がタオだったらグラントリノよりあの爺さんが日常的に使ってるトラックのほうが実用的でトラブルのタネにもなりにくいのでありがたいかな、とチラッと思いました。が、グラントリノは爺さんの「がんばってきた人生のバトン」の象徴なのでまあ、物語的にはあのラストでいいのでしょう。
 
 爺さんの戦争体験観に関しては、朝鮮戦争を朝鮮半島の人々の視点で捉えた「トンマッコルにようこそ」と絡めてあとで言及するかもしれません。
長くなっちゃったので本日はこれまで。


...

青春の赤っ恥 - 2009年06月16日(火)

 栗本薫氏がお隠れになられた。

 中学校時代と高校時代にかなり夢中になってたグインサーガは完結を見ずに、話が広がるだけ広がって、そして、そこで止まってしまった様だ。

 私は30巻くらいでもう追っかけるのをやめてたんだが、でも一番最初のころ物語を引っ張ってたリンダとイシュトバーンの初恋はどうなるのかだけ時々立ち読みでチェックしてたんだが、もう複線だか脇キャラだかが入り乱れてわけがわかんないくらい複雑な話になってて、最初のころのヒロインのリンダやアムネリスの運命だけ拾って立ち読みするのはものすごい難しいことになってた。

 あ〜中原の陰謀と戦いの絵巻物はもう完成しないんだな。読者もザンネンだけど、作者はもっとザンネンだったろうな。

 さて、時々大和路快速で一緒になるママ友のR君ママがグインサーガを読んでたという情報を某筋からいただいた。ほう、さすが同世代、と感心してたらまたこの前R君ママと朝の大和路快速でご一緒したので
「栗本薫、読んでたんだって?死んじゃったね〜」
という話から
二人で青春の読書傾向暴露大会になった。

恥ずかしかった。

青春時代はまってた媒体を打ち明けるのはけっこう恥ずかしいオコナイだな〜。栗本薫はまだ良いのだが、新井素子や氷室冴子と言ったコバルト系読み物への嵌り具合をお互い打ち明けあったのだがこれは恥ずかしかった(太宰も読んでたけど今はお呼びではない)。

しかしR君ママと私は青春の赤恥読書傾向がかなり似ている。漫画系読書傾向も似ていた。
「僕の地球を守って」とか私なんてケニアまで兄貴が送ってくれたとか。新井素子からファンレターの返事もらっちゃったとか、できれば墓まで持っていきたい青春の赤っ恥だ。

そんでそんな似たような青春の赤恥読書歴を持つ私たちが今お勧めの漫画を厳選して選ぶとなんだ、という話になった。私は佐々木倫子の「チャンネルはそのまま」とよしながふみの一連の作品と「聖なるお兄さん」を推薦した。R君ママは浦沢直樹が今は一番だろう、ということだった。浦沢直樹は私も注目して「プルートウ」は読んでたんだが各所で話題の「20世紀少年」は巻数が行っちゃってるので、フォローできてない。

じゃあ今度「20世紀少年」貸してよ、とお願いすると、R君ママはよしながふみ関連をフォローできてないのでそれを借りたいということだった。
今、私とR君ママは同じ駐輪所に自転車を置いているので、朝漫画をそれぞれの自転車の前かごに突っ込んでおく協定を結んだ。

私は翌日早速よしながふみの『大奥』と『西洋骨董菓子店』をR君ママの自転車の前かごに突っ込んだ。R君ママは私のD論締切日の翌日の朝「20世紀少年」を私の自転車の前かごに突っ込んでくれることになっている。

というわけで禁欲的なD論執筆の日々とそろそろおさらばするのでニンジンがすでにあちこちにぶらぶらしてるのであった。

、、青春でなくても恥ずかしいかも。ま、楽しいからいいのだ。






...

放課後の自由 - 2009年06月05日(金)

 おKさんは1号さんが持ってなかった物を持っている。それは放課後の自由だ。
 1号さんは6時半まで学童にいたので放課後は学童で過ごして家に帰るとご飯食べて寝てた。でもおKさんは1号さんが学童にお迎えに行っちゃうので、放課後しばらく家で遊ぶ。家の近所のギャング子ども軍団(幼稚園児から3年生くらいまで、男女混合)と団子になって遊ぶ。

 休耕地のススキの種を分解して「米づくり」に余念がない。近所の犬と全部仲良しですべての犬に挨拶ツアーをして、ときどき犬のいる家に集団で入り込んでいるのもこの前発見した(あわててつまみ出した)。

 私が帰宅しておKさんが家にいたことはまずない。帰路途中の道端で泥にまみれているのを発見するが、手を振ってあらぬ方向に友と一緒に自転車で走っていってしまう。

 夕食が出来てからおKさんを連行しに近所を探す。ギャングの母達と息を合わせて捜索しないと、団子になってる集団から1人だけを連れ戻すのはほぼ不可能だ。

 あ〜子どもってこんな風だったよな。私はそういう子どもでした。

 ところで放課後は静にTV見たり、ピアノ弾いたり、宿題したりして過ごしてる1号さんは最近「両思いの彼」がいるらしい。ちょっと学校で自信喪失しちゃうようなことが去年末くらいからあったのだが、なるほどこういう方法で自信回復したか。この前は修学旅行のお菓子を買いに、駄菓子屋でダブルデートをしたらしい。

 こっちの子どもは相変わらず異文化だわ。




...

沈黙を破る - 2009年06月03日(水)

ミクシに書いたレビューの再録です。ごめんなすって。


年度: 2009
国: 日本
公開日: 2009/5/2
パレスチナ・イスラエル―“占領・侵略”の本質を重層的に描く


今日の午後、ぽかっと時間が空いたのでナナゲイにダッシュしてみてきた。

村上春樹の「卵と壁」スピーチについて考えていたとき、イスラエルのシステム(壁)の中の個人(卵)はどうしているのか、と大変興味を持っていたので、この映画をみていろいろと「そうだったのか」と腑に落ちる部分があった。

まず冒頭。2002年4月パレスチナ難民キャンプ「バラータ」が自爆テロをきっかけにイスラエル軍に包囲され攻撃に晒されるところから始まる。
(監督は封鎖されたキャンプ内から攻撃を描くの。これはすごい。)バラータの閉じ込められ、理不尽に晒された日々、しかし子どもや人々はそこでもなんとか生きていく様子がなんと「戦場のピアニスト」で描かれたポーランドのゲットー内のユダヤ人の暮らしと相似であることか。

そしてバラータでラジオを聞く人々に伝わるジェニン難民キャンプの悲劇。ここでカメラは悲劇の2日後のジェニン映像に切り替わる。カメラはジェニン被害を全体ではなく、個々の人々に焦点を合わせて迫っていくのでパレスチナの悲劇が顔の見える悲劇として私たちに伝わってくる。

その後舞台はイスラエル国内に移り、元兵士・将校達が占領地でいかに自分が非人間的になって行ったか、そしてイスラエル国内がその非人間的な占領と如何に断絶して「占領の理不尽から目をそらして」人道的な国と言う自画像を抱いて生活しているか、語られる。

元・兵士・将校達がイスラエル軍は世界1道徳的な軍隊、と信じて入隊し、そして占領地の現実とのギャップに苦しみながら生きるためにシステムに取り込まれていった過程を告白していくのだけど、個人がシステムに取り込まれていく過程がものすごいリアル。

そしてその告白に対するイスラエル国内のさまざまな反応も興味深い。文部科学省の公聴会に告白する元兵士達が呼ばれて「子どもの教育と占領の体験」について意見を聞かれるんだけどそのとき国の政策立案・施行者レベルの人々がまさにシステムに取り込まれた状況から「パレスチナの子どもがかわいそうだっていうならユダヤの子どもはどうなるんだ」と叫ぶ。その声もまたイスラエルのひとつの真実なのだろう。

また占領地での暴力を告白をした元兵士の息子に共感できない両親へのインタビューも出色。小学校教諭の母の一見人道的な語りに対し、元兵士の息子がコメントをする(息子は現場にいないであとでビデオをチェックしてコメントする)。その息子のコメントがすごく心に残った。「占領地の不幸な兵士と幸せなイスラエルの国内は断絶してるのではなくて、あなたたちの拳として私たちはまさに暴力をになったのだ」

そう、わたしたちは拳を持ってる。拳の痛みも拳の先の痛みも拳が守ろうとしている「私たち」と連続していることにここではじめてきづく。

またこの兵士の告白を支援し、顧問を務めているヒトの背景が後半で明かされるのだけど、システムに、ここでは憎しみの連鎖に取り込まれないでいることに、それがどれほど大変かと思うと涙が出た。

最後は5年後のジェニンとバラータが登場し、5年前の映像に残ってる人々と再会し、5年の歳月を振り返る。5年はある者にはより過酷で、ある者は生きる道を見つける時間でもあった。

そしてまだ、イスラエルとパレスチナは兵士と民衆の痛みを抱えたまま旅を続けている。私たちもアメリカのパレスチナーイスラエル政策を支持する政府の元でそこに関わり続けている。


...



 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home