西方見聞録...マルコ

 

 

ドライブ する〜 奈良 - 2004年09月27日(月)

 マルコはもともと走り屋さんで一夜にして茨城県から鳥取まで愛車のへなちょこサニーで移動したり、ペーパードライバーの時代に「海がみたい」と呟いて突然東京の実家から親父さんのコロナで新潟の海に突き抜けちゃったりしたこともございました。

 しかし、あめでお@哲学するサルのおかげさまでこのところトンと自動車に乗っておりません。

 車でどっかいこうというと

 「あんさん、あらゆるリサイクルに励み、エネルギー節約をしても、たった一回のドライブの方が地球環境に悪いんよ。温暖化といいながら車を走らせ続けたわしらの狂気は100年後いや50年後、必ずや指弾されるで」

 と説教をたれられます。

 そんなわけで我が家の基本的移動手段は電車、バスなどの公共交通だす。
 本日は運動会後の振替休日。2児を連れて、電車に乗って奈良市に行って、1号さんの喘息医にお薬もらいに行くことにしました。あめでおさんはお仕事で不在です。さて準備万端でかけるべ〜と思ったところに大雨が降ってきました。自転車で駅まで行くつもりだったのですが、雨では3人乗りは出来ません。じゃあ家の前のバス停から春日大社行きのバスに乗って、、、と思った瞬間目の前を春日大社行きのバスが行ってしまわれました。

 そこでマルコははじめて車にて古都奈良を目指すことにしました。

 走り屋時代は全国版のマップルを車に積んで、どこの県だって参りました。しかし現在のわが車には道路地図が無く、あめでおさんの5万分の1の地形図しかありません。観光ガイドの大縮尺の適当な地図を見ながら一路奈良に。混んでます。国道24号。えいっと裏道にまいります。このへんは野生の勘です。通りが碁盤の目状なので野生の勘を多用するドライバーには走りやすい街ですな>奈良市。

 奈良公園内を抜ける169号に乗り、県庁前の通りを左折し、興福寺の裏手の国宝館脇の駐車場(900円/DAY)に着陸しました。

 車を運転することでその土地と気脈を通じるっているか、車で走ってみると土地鑑に血が通う感じがするんですわよ。

 
 あめでおさん不在時をねらってまた土地鑑に血を通わせる活動に勤しみたいと思います。50年後環境テロリストと指弾されるかもしんないけど。

 


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彼岸会 - 2004年09月23日(木)

 非常に久しぶりですが法隆寺の年中行事を探るシリーズ、行ってみたいと思います。

 さて秋のよく晴れた休日。本日10時より法隆寺律学院にて「彼岸会」が催される模様です。引っ越してきた直後から大学院入学するまでの空白の6ヶ月間、割とよく法隆寺の年中行事の観察に通ってたんですが、ここのところ今ひとつ予定が合わなくて法隆寺年中行事チェックを怠っておりました。

 まあ10年計画くらいで全ての行事制覇したいと思います。

 それで朝9時45分までに掃除だの洗濯だの様々な朝のデューティをあめでおさんと手分けして終わらせ、法隆寺へGO!という状態になったとき、1号さんが「いや〜いかない〜。お家にいたい〜」とごねられました。おりしもTVでは、アニメ「名探偵ポワロとミス・マープル」がやっていて1号さんは熱視聴状態。

 法隆寺へデジカメひっつかんで駆けつけたい、マルコ&あめでお。なんだかよくわからないけどマルコの行くところならどこでもついていきたいおKさん、そして家でねっ転がってアニメ見てたい1号さん。4人の欲望がぶつかりどうなったか!


、、、あめでおさんが1号さんとおうちに残られ、後の3人が自らの欲望のおもむくままに行動いたしました。許せ、あめでお、人柱。

 そんなわけで今日は10時ちょっとすぎにマルコとおKさんと2人でチャリチャリっと法隆寺にまいりました。まずは法隆寺山内にある律学院の門の外から激写。すでに美しい声明が雅に聞こえてまいります。この門は平時はしっかり閉ざされております。

 


 門の中に入って、法要に参加している人を激写。ワタクシもさすがに2歳児連れでしたので遠慮してお庭から中をうかがうのみ。下駄と靴から判断して11人のお坊さんと7人の一般人と1人の寺男さんが堂内にいらっしゃる模様。




 堂内に入れないので、律学院の庭の石仏群なんかを撮影してみます。
いつもは入れないエリアですのでね。




 さて終わった。まずは高田良信長老が出ていらっしゃいます。お珍しい麦藁帽子姿に儀式のカジュアルさが伺えますな。




 そんで高僧3名が雑談しながら門を出ていかれます。




 一般参拝者7名もわらわらとでていらっしゃいます。2名は観光客のようでした。3名はガイドボランティアの方々でした。1名は謎ですがもう一人はどうもプレス関係者でしたな。




 そんで中堅+新米の働き盛りのお坊さんらが出てこられます。みんなでお供物を分担して持って。お供物を入れてるのが近所の町民の台所スーパーマンダイのビニールなところも泣かせます。




 そしてみんな出て行っちゃって、寺男さんが門の鍵を閉めているところにプレスさん(朝日新聞の腕章をしていた)はなおも質問しており
「私はわからないから社務所でお坊さんの話を聞いてきな。」といわれていました。

 マルコは単にそのへんで子どもをあそばせている主婦の振りして(事実そのとおりなんだけど)ときどき後ろ手に隠し持ったデジカメで上記写真をとったりしてました。立派な坊主ストーカーだな〜。





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旗振りマルコさん - 2004年09月22日(水)



さて、秋の交通安全週間でございます。
PTA活動の一環として、地区ごとの「旗振り当番」が回ってきました。旗振り当番とは、黄色の交通安全のたすきをかけて、横断中とかかれた黄色い旗を持って登校する子たちとそのへんを走る車や自転車の間に立って交通整理をする役ですな。

日ごろから歩行者に対して無礼な車に一発食らわせたいともくろむあめでおさんは旗振り当番に非常に興味を持っておりました。が、あめでおさんに黄色い旗を持たせると、旗を振りかざして車に躍りかかるのではないかという懸念があったので、ここはマルコが旗振り役を務めました。おなじみお向かいに住むAちゃんのママとふたりで旗を振らせていただきました。

続々と登校していく子どもらのなかに当然1号さんの姿もあったのですが「絶対声かけないで!」という本人希望のため、また帽子を目深にかぶって絶対こっちを見ようとしない恥ずかしがり屋さんのため、ニアミスしましたがアイコンタクトもしないまま1号さんはマルコの目の前を通り過ぎていったのでした。

さて私どもは「通学路につき朝の時間帯は車輌進入禁止」の道の出口のところで旗を振ったのですが、結構、標識を無視して車が進入してきます。

Aちゃんママは華奢な外見からは想像しにくいのですが、大型自動車運転免許をお持ちの方で、びっとなさった1面があります。標識を無視して進入してきた車に対しては「あかんで!標識見てみい」と相手がヤンキーだろうがヤンママであろうがしっかり突っ込んでおり、大変りりしかったです。これがあめでおさんだったら問答無用できえ〜とか奇声を発して車に向かって旗を凶器に打ちかかっていったことでございましょう。相棒がAちゃんママで良かったな〜と胸をなでおろすマルコでございました。



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明日香2004秋ー彼岸花とぶどう狩りー - 2004年09月19日(日)

 よく晴れた連休の中日、明日香にでも行って一発彼岸花でも見るべえ、と一家打ち揃ってバスに乗って近鉄に乗って奈良県を南下致しました。現代の交通機関使っても1時間半ほどかかるんですが、聖徳太子は自宅のある斑鳩から職場(大和朝廷)のある明日香まで毎日馬で出勤してたわけですから、まあお大変だったと思います。現在のマルコの神戸通いよりよっぽど遠距離感のある通勤だったと思います。

 さてその明日香では19日はこんな催しをしておりました。これまで明日香ではレンタサイクル借りてあっちこっち回ってたんですが、本日は近鉄橿原神宮前駅より亀バスという別に何の変哲も無い奈良交通のバスでまずは石舞台古墳のある公園に参りました。

 ここでは屋台が立ち並んでいて、ねぎ焼きや古代米(赤米)の散らし寿司、芋餅、などゆかしい食品を中心に購入し昼ご飯にいたしました。

 その後「富本銭投げ」と言う超ゆかしいゲームに参加。これは写真のような巨大富本銭の真ん中の部分めがけてテニスボールを3球投げ、中心の穴にボールを投げ入ったら、記念品のハンカチがいただけるというゲーム。子どもの投げ位置と大人の投げ位置が著しく違って、女性は子どもラインから投げられるというので、こういうことに異様に自信があるマルコは絶対必中をねらって参加したんですが、力みすぎてダメでしたわ。マルコの直後に投げた70代と思しきおばあさんが3球とも的中させ凄いうらやましかったっす。マルコの修行はまだまだ続くのでした。




 そんでこの石舞台古墳広場ではいろんな工作教室など体験教室が開かれてたんですが、我が家はちょいと大きめのどんぐりをくりぬいて笛を作るという教室に参加しました。




 その後、稲淵地区の棚田で案山子コンテストがやってるのを見ようと、石舞台古墳から裏の方にてくてくと歩くと、白い彼岸花があったので激写。





 目を上げると、山の淵を飾るように彼岸花が群生しておりました。






 案山子コンテスト会場は微妙に遠かったのであきらめて、一路進路を橘寺方面にとります。これまでいつも自転車で来てた道のりを、子どもらを叱咤激励しながら歩くんですが結構大変。自転車に乗ってると自転車に乗った人ばっかりが目に付いて、徒歩の人のことなんて目に入らなかったんですが、歩いてみるとハイカーも結構たくさんいますな>明日香ハイキングコース。

 人間同じ立場のものにしか意識が行かないものです。

 そんでこちらが聖徳太子生誕の寺、橘寺の二面石。善面と悪面が表裏一体になっております。




 橘寺は法隆寺に比べるとチープな聖徳太子グッズがたくさん売られていました。法隆寺も様々なグッズも売ってますがかなり格調高くまとめられてます。 この写真の聖徳太子二歳像、2000円。思わず買いそうになりました。でも2000円は高いな、このつくりで。うちのおKさんはよく「南無仏」といって合掌して聖徳太子二歳像のまねをするという瞬間芸をするので、この2000円の像を買って「おKさんは今この像の真似をしてるんです」と瞬間芸の解説用に購入したかったのですが、よく考えたらあほらしいので止めました。




 そんで橘寺を下りたところの彼岸花。ちょっと色があせかけてますな。この写真の紫の実をつけた草は古代米の稲のようでした。この古代米で作られた散らし寿司を先ほどたべたんですわ。




 そんで高松塚方面にバスで移動し、ぶどう園にぶどう狩りに行きました。つくづく狩の好きな家族です。ぶどう園は山の斜面一面に広がる広大なもので、まさにぶどうの迷路。その中の1区画が今日の狩場です。巨峰、食べ放題。大人1200円子ども1000円なので我が家の場合3400円かかりましたが、巨大な巨峰7房ほど家族で平らげ、十分元は取りました。またしても料金をとられない乳児のおKさん全身ぶどう果汁にまみれながらの大健闘。ご立派です。




 これは割りと小ぶりです。1房ごと狩るのですが、狩る度により大きく良いぶどうを求めて狩り区画の奥へと迷い込む私たち。何事も奥は深いです。




そんでぶどう食って大満足な私たち。彼岸花群咲く田んぼの間の道を近鉄飛鳥駅まで歩き、帰宅しました。それにしても聖徳太子さんは良くこの道を毎日通勤したもんです、と帰路の電車に揺られながら再び感心する私たちでした。





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篠田節子はじまる - 2004年09月17日(金)



 昨日から篠田節子が朝日新聞の新聞小説を書いちょります。

 私は不勉強にも関西に引っ越してくるまでこの作家の存在を知らなかったんですが、こっち来て当HPの掲示板の重鎮のお歴々(ぎんちゃん、さるとるさん、なみなみさん)からご紹介戴いて、「100年の恋」、「女たちのジハード」、「インコは戻ってきたか?」をよんでみたんでした。あと図書館で借りて「第4の神話」、「変身」なんて感じの芸術性と通俗性の拮抗の物語も読みましたが、今度の新聞小説はこの後者の系譜にあたる作品みたいですな。

 実は今週、村上春樹の「アフターダーク」を買って読みかけてあったのに、ふらふらと昨日「変身」を借りてしまったんです。夜、子どもと布団にひっくり返りながらどっちを読もうと迷ったとき、切実に、乾きを癒すように先を読みたいと思ったのは春樹さんじゃなくて篠田さんだったのですな。村上春樹の新作なんてそう簡単に出ないし、出たらもう楽しみに読み終わっちゃうのがもったいない感じで大切に読むのに、篠田節子の力技の読ませる話術の前に、ゆっくりと心をほぐしてくれる春樹君は「ちょっと待ってて」と机に置かれてしまいました。

 現在、「変身」を読み終わっており、「アフターダーク」はまだ読みかけの段階なので、心が篠田節子に深くうがたれてしまってる状態の現時点での両作家への思いを書いときます。アフターダークも読了したら違う感想があるのかもしれないけど。

 あの篠田節子の力技は「芸術」なのか「通俗」なのか。篠田節子のエンターテイメント性は芸術と両立するのか。新聞小説の主題がそのまま篠田節子のありように帰ってきます。

 すでにカリスマとしての地位を獲得し、ひたすら春樹ワールドと言う「自分の世界」へ向かっていく村上君と対比すると篠田節子の読者に対する「逃がさん!」と言う気迫にちょっと打たれます。モノを書くという行為は作者の意識が自分に向かうか、他者(読者)に向かうか、その配分でいろいろなことが分かれるのかなーなんてぼんやり考えてます。

 ところで今、1号が「エルマ−とりゅう」に心をわしづかみにされており、「変身」の先を読みたくてたまらないマルコはまずエルマ−君の冒険を完結させ、しかもそこで1号さんを眠らせないと、自分の本が読めないのでした。優先順位としてはエルマー>篠田節子>村上春樹って感じ?

そういうわけでものすごい久しぶりに(筒井康隆の「朝のガスパール」以来?)新聞小説を読もうと思います。



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西大和の遠洋航海者 - 2004年09月16日(木)


 わが町はもうすぐ周辺の7つだか6つだかの町村と合併して「西大和市」になる予定。合併協議会で市の名称は「西大和市」と「法隆寺市」が最後まで競ったけど、前者に軍配が上がった模様です。合併イニシアチブ取得合戦において、斑鳩町民、痛恨の敗北ですわ。市庁舎は王寺町が場所的にも持ってくと思われます。合併町村内では抜群の知名度と最大人口をかかえながら市の名称・市庁舎の位置の取り合いに負けるとは切ない限りです。

 まあ別に良いんですけど。西大和市民として雄々しく生きていこうじゃありませんか。

 さて1号さん小学校での友人関係もなかなか良好に卒無くやってるようです。1学期末の個人面談でも先生から「1号ちゃん友達関係は大変上手くいってます。本人もいろいろがんばってると思いますが。」とおっしゃられた通り、クラス内では「目立たないけどドン臭くない」と言うあめでおさん直伝の転校生のサバイバル術にのっとり(もう転校生ってポジションでもないとは思うけど)上手に泳いでるようです。

 平日は18:30まで学童なんですが、その学童で1号と一緒に一番遅くまで残ってるNちゃん、Yちゃんはクラスもいっしょ、出身保育園もいっしょです。学童保育所にお迎えに行くと、よく3人で創作ダンスを作ってくるくる回ってるのを目撃します。先週末はNちゃんが拙宅に遊びにいらっさりました。そんで今日の朝、Nちゃんが書いてくれた1号さんへのお手紙を発見しました。

1号ちゃんへ
1号ちゃんだいすき!1号ちゃんもNのことすき?1号ちゃんのことだいすきだから「おちゃけん(注:お茶犬のこと)」あげるね。シールもあげるね。プラバンもあげるね。くびかざりもあげるね。1号ちゃんもNにかわいいおてがみかいてね。ぷれぜんともちょうだいね。一号ちゃんのことだいすき!

 とまあ、熱烈の一言ですわ。そして愛の表現が物のやり取りに直結する幼い2人の友情にマリノフスキー著の「西太平洋の遠洋航海者」と言う本を思い出してしまいましたわ。これは太平洋に浮かぶ、トロブリアント諸島の人々が不定期に航海を行い、他の島の人々と交易をしながら生活を組み立てていく様子を活写したエスノグラフィーでございます。文化人類学学徒必読の民族誌の古典ですな。

 交易(を行うときはA島の人々は船でB島へ航海します。A島民にはそれぞれにパートナー関係のB島民がいるんですわ。そんでパートナーとの間で伝統的な腕輪(ムワリ)、首飾り(ソウラヴァ)がある一定のルールで交換(クラといいます)されます。B島民はC島民ともそういうパートナー関係を持って、贈り物は時間をかけてぐるぐるとパートナーの手から手へと移動していくんだそうです。そうした伝統的な贈り物のやり取り(=象徴的交換)によって確立された人間関係の上で安心して交易(=経済的交換)が行われるわけです。

 さて1号さんと、Nちゃん。物のやり取りがトロブリアント島民のように儀式化して整然と行われれば良いのですが、北米インディアンのポトラッチみたいにならないように母は祈ります。

 ポトラッチとは権力者同士がプレゼント合戦をしてお互いの威信と権威を獲得するために繰り広げられる饗宴で、最後には自分の財産ぶっ壊して「おれはこんなことしても平気だもんね!どうだおれは度量が大きいだろう!はっはあ!」というちょっとイカレタ民族慣行ですな。昔から一度北米で現場を見てみたいと思ってたんですが、日本で子どもがやっちゃいけません。

え〜と何の話だっけ?

追記:西大和市ではなくて西和市でしたわね。失礼しました〜(2004年10月7日)



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失神家族〜3度目のクワガタ - 2004年09月15日(水)

 この夏、我が家のベランダに3度クワガタムシがやってきた。朝起きてベランダに行くと仰向けになってじたばたしているので、救助してキュウリをやって、子どもらが十分に観察し、興奮したのちベランダの朝顔の鉢植えのところにおいてやるといつのまにかいなくなっている。

 夏の初めと、盛夏とそして今日と。

 いずれもスレンダーな女の子のクワガタである。ひょっとして同一人物(いや人じゃないけど)なんじゃないの?と疑っている。

 キュウリの味が忘れられないのか?でも今日はキュウリがなかったからアスパラをやってしまった。キュウリじゃなかったから怒ってもう来ないかな。

 どうでもいいけど、クワガタを救助したのち必ずあめでおさんがクワガタをもっておKさんを追いかけて失神寸前まで興奮させるのはいかがなものかと思う。今日なんてわたしゃ、ぱにくったおKさんにしがみつかれて、おKさんのひじがマルコの喉に食い込んでマルコまで失神寸前だったよ。


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下見のち完成披露 - 2004年09月11日(土)

 本日、マルコが久しぶりに土曜恒例のフィールドワークがなかったため、家族打ち揃って過ごしました。そんで11月に予定されている1号さん及びおKさんの七五三の会場下見をしようということになりました。計画では春日大社に一発繰り出すべえ、となるはずだったんですが、とってもあめでおもマルコも疲労していたので、近所の竜田神社に行くことになりました。必然的に本番の七五三も竜田神社でやることにしました。人生疲れないのが一番です。

 ちゃりでちゃりちゃりっと行ける竜田神社はこんなところ。




 まあ、わりとよくある町の氏神様ですな。

 その後法隆寺の門前のいろいろと立ち退き問題でゆれてた部分が広い公園的空間として完成に近づいたようなのでそちらにも参りました。




 こんなかんじです。ここで作ってきたサンドウィッチを家族で貪り食いました。途中、鳩が攻めてきたのであめでおさんがおとりとして遠くへ移動してそこでちょっとパンをやったりして鳩をひきつけてくれました。

 その後法隆寺の社務所に行って今年度の友の会の会員権を更新してきました。下記は非常にめづらしい社務所から見た法隆寺の五重塔。




 まあそんな感じの何の変哲もない平和で抹香臭い休日でございました。


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愛と幻想のあめでおさん - 2004年09月08日(水)


 この日は大阪の中心街、北浜というところで某畑・働く母ランチオフがございました。ちょっと仕事が阻害されてる日々が続いたので「どうかな〜」と思ってたのですが前夜徹夜してやるべき仕事をちょっこり進めたのと、ちょうど心斎橋あたりに仕事があったので出かけることにしました。1時間ほどの会合でしたが当HP掲示板の重鎮ダイヤさんやら女弁護士のHさんやら大阪の畑会員元老Yさんやらまあ会いたい人に会えた楽しいオフ会でございました。

 そのオフ会で「遠距離恋愛でお互い良いことばっか見ていたカップルが結婚してお互いの真の姿に幻滅して破綻した」と言う大変リアルなお話を聞いたのですが、あ〜それはあるある!と思わずうなづくマルコでございました。

 ご存知マルコとあめでおさんは、札幌―ケニアの遠距離恋愛を2年、その後東京―札幌の遠距離恋愛&遠距離結婚を3年。合計5年のいわいる遠距離さんをいたしました関係で、遠距離中のことなら私に聞いて状態なのですわ。 そんで「会えない時間が愛を育てる」なんて美しいことをおっしゃる方も居られますが、まあ相手に対して幻想と妄想を育てるのが「会えない時間」なのは確かです。

 とくにケニアでの2年間は上司であるグシイ族の族長の息子とけんかして呪いをかけられたりいろいろつらいことがあると回りのケニア人が日本語がわからんことをいいことに「あ〜あ、あめでおさんにあいたいな〜」と職場で結構大きな声でつぶやいたりして毎日を過ごしておりました。

 そんで帰国してさらに遠距離時代を無事に乗り越えめでたく同居がかなって、あめでおさんといっしょにテレビ見たりしながら、職場であったいやなことをひょいっと脳裏をよぎったりすると「あ〜あ、あめでおさんにあいたい。」とあめでおさん本人を前につぶやいちゃったりしたことがあります。つぶやかれた本人は「はい?」と律儀に返事してくれたりするんですが、多分私が口癖のように呼んでるあめでおさんはこの目の前のあめでおさんとは異なる存在なんではなかろうかと思います。マルコの妄想と幻想が育て上げた物分りが良くって、つらいときはヨシヨシしてくれて、ついでに現実よりちょっこり背が高い愛と幻想のあめでおさんなんだと思います。

 幸せの青い鳥はもしかしたら人間なんかが到達できないものすごいところにいるのかもしれないけど、手近なところの青い鳥で手を打ったチルチルとミチルのように、このあめでおさんとあのあめでおさんの違いなんて厳密に問うことなく、愛と幻想のあめでおさんを程よく現実と混同させながら今日も生きていくのだと思います。 

 



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地震のち台風 - 2004年09月07日(火)

はいはい、ご近所でわりと大きな地震が起こりました。夕方7時過ぎと夜11時半ころでしょうか。我が家は休日は午後7時ころから布団引いてみんなで寝っ転がってトランプしたり絵本読んだり耳垢ほじったりしてるんですが、まあそう言う体制のときに第一波がきました。

お子さん方はひ〜とかきゃ〜とか申してマルコにしがみついてまいります。寝室には電灯以外何もおちてきそうなものは置いてないんですが、一応気分を出すために子供を体のしたに隠して天井が落ちてきてもOKな体制を取りました。でも全然ゆれは大きく無かったです。ゆれの大きさより長さが気になりました。船酔いしそうでした。地震好きなあめでおさんは(業務にちょっぴり関係してます.別にマニアではありません)「おお、こりゃ南海大地震につながるかな?この感じなら震源は紀伊半島の沖やな〜」とちょっぴり楽しそうに薀蓄を垂れつつ揺られていました。

この日は夜11時ころ起きてちょっこり仕事をする予定だったんです。そんで11時過ぎ目覚めて、さてコーヒーでも飲んでごそごそやっか、と思ったら、第2発目の地震が来て、再びお子さん方に両脇から抱きつかれ、文字通り朝まで沈められてしまいました。

さて火曜日、今度は台風です。しかし多少風は吹いていても大変良く晴れてたので神戸の西方の鷹取方面で何事か活動すべく朝からマルコは大和路快速に乗りました。目的地で何事か活動し、1時になった時点でさっくりインターネットの天気情報をみて見ると、ばっちり奈良県に暴風警報が出ていたので、こりゃいかん、保育園からも学童からも呼ばれっぞ、と思い帰路につきました。電車に乗ったのは1時48分だったと思います。神戸以西の電車が止まったのは2時過ぎだったというのでマルコぎりぎりセイフ。車中で保育園からも学童からもお呼出電話を戴いちゃいましたが、まあ予想通り、3時過ぎには2児とも引き取り雨が振り出す前に帰宅できました。

被害は少ないんですけど、なんだか仕事がものすごく阻害されてるこのごろの天災ウィークなのでした。





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あなたでよかった - 2004年09月03日(金)

本日は夏の間の追憶日記。

お盆のころ、姑に来襲され中のマルコは上機嫌なふりして結構つらかった。姑はキャラ的にも善人で、とりたてて問題のある人ではない。この日記なんかでは根本的な部分でマルコは尊敬の念を抱いていることも伺える。

駄菓子菓子、何が哀しいって24時間(いや睡眠時間を差し引くから18時間か)マルコの知らない人の噂話を聞くのがつらい。なぜ姑の従姉の息子のお嫁さんが夕方いつもあかんぼを散歩させて風邪を引かせる話や学生時代の親友の息子の嫁さんが流産した話なんかまで「はあ〜なるほど〜」「ほっほ〜それは凄いですな〜」と相槌打ちながら聞かねばならないのだ(どうでも良いけど息子の嫁の話が多いな。なるほど向こうも話の種にしてるな。私も持ちネタにしているが)。

せっかく久しぶりに会ったんだから、おばあちゃんとお話したくてたまらない1号さんの話をもっと身を入れて聞いてあげれば良いのに、姑は1号に向かってかなり生返事をしながらほとんどの時間を私に向かって誰か知らない人の話をしてすごす。

そんなご苦労さんな数日間の後、今度は実家に帰ってエルザさんと会話した。エルザさんの専門の「社会教育」(現在は生涯学習ってのが一般的ですな)の話題になって「絶対生涯学習は受け手のニーズと送り手のサービスがかみ合ってない。社会移動の野望無くして学習無し、リターンなくして投資なしだよ。」というマルコの意見と「教養を得ること自体が目的の社会階層は存在する。」と言うエルザさんの論を2人でいろいろ展開した。

エルザさんはいくつになっても話術が錆びないね〜思い、「ところでお姑さんからは人の噂話しか聞けないのだけど、エルザさんはあんまり生産的でない他人の噂話はしないね。」と言うと、エルザさんは「あ〜!」と叫んで「私の姑(マルコの祖母)もなんだかよくわからない噂話をずーっとしていてそれを聞いてるのはほんとにつらかった。だからあんたの気持ちはわかる。しかしあんたは同居じゃなくてたまのことなんだから、ここはひとつ付き合ってあげなさい。」と理解と説諭を戴く。そして「ちなみに噂話が話題のメインの女性ってのは確実に存在して、彼女らは社会移動より教養を求める階層なんじゃない?」とさっきの議論に立ち戻ってストレートを一発下さる。

マルコが「う」とつまって「でも、」と反論しようとすると、エルザさんは「まあまあいいじゃん。ところで最近では河野洋平の戦没者追悼式典でのスピーチが良かったよね。」とひらりと話題を変えられた。

まあ何と言うか、実母がこの人で姑があの人で良かったのかもしれない。反対だったらマルコも場の空気が読めず、えんえんと自分の親戚の話をするマダムになってたかもしれない。

ところで、「この人で良かった」つながりでマルコは青年海外協力隊終了時に外務省からの感謝状を時の外務大臣河野洋平名義でもらった。「田中真紀子の方がキャッチ-で面白かったのに」なんてたわけた発言もしたが、河野洋平で良かった、とこの夏思った。あんなでかいばかりでくその役にも立たない感謝状だけど、河野洋平に免じて大切にしようと思った。





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東京帝国主義 - 2004年09月02日(木)

 今日から専門学校の講義も再開(はやい〜)。ちょっと夏休み中の学生服よりぱりっとした講師服着て心斎橋に出かける。

 木曜は2コマ3時間をぶっ続けで同じクラスに教えるというハードな日なので、途中でビデオを上映して間を持たせる。ビデオはNHK特集のデータマップシリーズの中から。大都市圏のドーナツ型の貧困層の拡大をいかに食い止めるか、町の再生に取り組む行政やNPOや教会の活動を紹介した番組だ。

 ケーススタディとして、フィラデルフィア、門真、バーミンガムが取り上げられていた。その中でフィラデルフィアの貧困層居住地域がいかに広いかを視覚的に提示するために貧困層が分布する地域の地図に東京の山手線の路線図が重なり、アナウンサーは「山手線の内側よりもずっと広く貧困地域が広がっています。」と解説する。

 ほとんどが関西もしくは西日本出身の学生はそれまで集中して画面を観ていたのにその場面でいっせいに「わからへんで!」と抗議の声をあげる。

 NHK全国放送なのに東京地域放送のようなツールをつかうなや、と思い、この話を帰宅後、東京帝国主義と戦うレジスタンス兵士のあめでおさんに伝えると、「NHKも所詮、井の中の蛙やな」とニヒルに呟く。


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スナップの行方 - 2004年09月01日(水)

 朝、久しぶりの登校準備の1号さんが机の上に「スナップ写真袋」と言う保育園からの紙製の角封筒を発見。定期的に園が撮ってくれる写真に購入申し込みするとこの袋に写真を入れて家庭に届けてくれるというシステムである。

 1号「スナップOX▲?」(1号さんは漢字が読めない、ひらがな・カタカナ界の住人である)
 1号「おとーさん、スナップって何?」
 あ「そりゃあんた、洋服をぽちっととめる銀色のボタンみたいな奴じゃろー」
 1号「へ〜、わたしはスマップの方がいいな」
 あ「わしゃ、スワップの方がいい」

 、、、、とまあ、話は異次元へと飛び立っていった。

今日の新出単語  スナップ、スワップ
既出単語     スマップ

写真としてのスナップはついに1号さんの辞書には載りませんでした。



 


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