西方見聞録...マルコ

 

 

キャッチャー イン ザ ライス(お米畑でつかまえて)2 - 2003年06月29日(日)

 水田は区画によってものすごい個性的です。
 藻が一面に発生しちゃって、水面が見えない田んぼもありますし、なんかものすごい数の微生物が発生しちゃってる田んぼもあります。どんな薬を使ったんだか、何の命の気配も感じられない水田もたまにあります。
 そんなわけでうちの二人組が突然水田観察会を開いてなんだか怪しい生き物をたくさん生け捕ってきて、玄関の靴箱の上においています。

 玄関の水槽。DR.コパに怒られそうですが、まあいいか。

 ちなみに水槽の中ではものすごい殺し合いがあった模様です。詳しくは上記ページをご覧ください。


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サルベージ「世界の男求愛紀行・地中海編」 - 2003年06月28日(土)

 このネタはまだ続くのであった。忘れたころにサルベージ。


「地中海男にアジアの女の取り合わせは悲劇の典型」投稿者:いとこ  4月 9日

よくもこんなステレオタイプ的な言葉を吐いたものだと我ながらあきれる。
で、ついでにこの台詞の生まれた背景を説明すると。。。

10年前、イギリスで勉強が忙しすぎて外出もできなかった私の唯一の楽しみはALL ASIANSで固められたルームメイトたちが持ち込む「留学生スキャンダル」だった。ちょっとしたワイドショー並みのきわどさに息を呑んだり、笑い転げたり、いやー楽しかった。

ある日、インドネシア人のルームメイトアズダのところに彼女の同胞女性(ふだんはあまり付き合いがない・彼女の名前もアズダ)が突然相談におとずれ、
「自分とつきあっていたと思っていたキプロス出身のジョニーが今はタイ人の女の子とやたらと一緒にいる。気が狂いそうだ」と苦しい胸の内を明かす。アズダからその話しを聞いた私達の台詞が上記のものであり、腕を交互に前後にゆらしてリズムをとりながら「めでたれーにあんまーん」と歌うことがそれ以後、我々の間で大いに流行った。

ところで当のジョニーは同じ寮の一階に住んでいて、我々の台湾人のルームメイトエレノアとクラスメートであった。ある日、彼がエレノアを訪ねて3階の我々のところまで訪ねてきた。私が彼を廊下まで案内しているときに「どんな中国語をしっているか」という話になり、彼はアズダを狂わせた微笑みを浮かべながら「僕が知っているのはこれさ、WO AI NI(I love you)」とのたまった。私は「ああ、I love youね」と答えつつ、頭の中では「メデイテレーニアンマーン」の音楽が一気にスタート!ちなみに、そのとき、自分の個室にいた香港人ルームメートのキャンの耳にもばっちりその会話が入り、彼女の頭も「メデイテーレーニアンマーン」メロデイが。。。。!

みんな思考回路が国際ワイドショーチャンネルに乗っ取られていたのですね。


「エーゲ海の青いバカ」 投稿者:らいむ  4月 5日
 海外ナンパ男で印象的だったのは、ギリシャはサントリーニ島でみかけたウェイターだ。
と言っても私がナンパされたわけじゃない。
その時私と夫はサントリーニからミコノスへ渡る船を待ちながら、桟橋のカフェでお茶を飲んでいた。我々を日本人と見て取ったウェイターが笑顔で「今夜オドリニイキマショー」と日本語で話し掛けてきたのだ。
残念だが(別に残念じゃないけど)これからこの島を出るんだ、と話すと、自分の日本語が通じたのが嬉しかったらしく、知ってる日本語を次々に披露してくれた。「マエニ ドコカデアッタヨネ」「キミ カーイネー」「アナタノ瞳ハキレイデス」・・・陳腐なセリフが出るわ出るわ。半分呆れてそんなセリフどこで覚えたわけ?と尋ねると、ポケットから大事そうに黒い表紙の手帳を取り出した。覗き込んだら、まー、色んな筆跡で“anata no hitomi ha kirei desu”などなどびっしりと書き込んであったのだ。
「あーあ。皆面白がって書き込んでるよ」「見上げたバカ者だ。ナンパのために丸暗記してるんだ」「じゃ、協力してあげよう」
私は手帳を受け取ると“Kimino hitomini KANPAI”と書いて差し上げた。「あーあしょうもない。そんなんでナンパが成功するのか」と夫がいちゃもんつけてきたが、いいのだよ、夫。要は女の子が振り向いて笑ってくれれば。この男はシリアスな交際をする女性を求めてるわけじゃないって。ついでに“Kimino hohoemiha eien no NAZO sa”も書き加えておいた。日本語コレクションが増えて、ウェイターはにへらにへらと笑っていた。
サントリーニの桟橋で、以上のセリフを棒読みするギリシャ人に出会ったら、笑ってあげてね、みなさん。




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ジョルジュ=サンドな一日改め、ボーヴォワールな一日 - 2003年06月27日(金)

 今日はさるとるさんと近所のショッピングセンターの奈良ファミリーでおデートざんす。そんなわけでこんなタイトルになりました。
 奈良ファミリーはJUSCOや近鉄デパートが合体した総合ジョッピングセンターで久しぶりの繁華街にマルコはわくわくです。
 さるとるさんとは初対面なのでお互いがつれている子どもの月齢がお互いを識別するヒントなのですが、奈良ファミリー、赤ちゃん連れだらけで、結構めぐり合うまでどきどきしました。こさるとるくんはアングロサクソンさんとのダブルな少年なのでソレもヒントです。行き交う子どもの顔をじろじろ見ますが皆さん純モンゴロイド系のお顔です。そうこうするうちに来ました来ました。ざ・あんぐろさくそんって感じの赤ちゃんを連れたさるとるさんの登場です。こさるとる2号君は非常に思慮深い感じの赤ん坊でした。私は解空第一人者の須菩提似のおKさんを連れてったんですが、二人で哲学的宗教論争とかはじめちゃいそうなアカンボたちでした。

 保育園の園長と地方政治の関連やモモちゃんに見るイデオロギーの時代背景の変遷など(単に保育園の園長はえばってるとか、モモちゃんはいきなり核実験反対って子どもに語らせるのはどうよ、とかそういう話だったんですが)まあとにかく時間はあっというまに過ぎました。一番面白かったのはさるとるさんの最近の研究ネタの英単語つづりコンテストの話でしたわ。私はスヌーピーとチャーリー・ブラウンという映画に出てくる「スペリング大会」という形で子どものとき見た覚えがありました。現在でも行われているそうで、現代難読英単語のレベルの高さにちょっとびっくり。皆さんハルマッタンって英単語のスペルわかる??


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夜の大走査線-斑鳩〜橿原大激走 - 2003年06月24日(火)

 それは6月24日火曜日夜のことでした。
 私はD論の構想発表会を翌25日に控え、徹夜っぽい日々が3日ほど続いていました。その夜は子どもたちが寝たあとであめでおにパワーポイントを使った発表の予行練習を聞いてもらい、最終チェックをしてもらうことになっていました。

 夜8時、あめでおが帰宅した音を聞きつけて次女おKが大興奮のターボハイハイで玄関まで迎えに出ようとしていました。私は台所からおKの後姿を見ていたのですが、ハイハイでダッシュするおKが部屋から廊下に出ようとして、段差に躓き転ぶのが見えました。おKさんはオペラ歌手のように朗々とした声で泣きました。「まったくもう」とか何とか言いながらあめでおとふたりでおKさんを助け起こしてギョッとしました。

 
 生えたばかりの下の歯の根元が切れて血が噴出しています。また真珠のように白い4本並んだ下の歯の左の歯があらぬ方向にいがんでいるように見えます。あめでおさんにとにかくすぐに夕ご飯を胃に流し込んでもらいながら、私は消防署に電話をし、夜間外来を受け付けてくれる子どもを見てくれる歯科医を探しました。私の暮らす管区にはそういう病院はありませんでした。外科を紹介されて電話をしましたがこの状況の子どもを診察することが出来る医者はいないと断られました。もう一度消防署に電話をすると、管区ではないがはるか南の橿原市の県立医大病院なら口腔外科があり、救急も受け付けてくれるはずと教えてくれました。

 電話すると果たして救急に口腔外科医が待機中なのですぐくるようにとのこと。ご飯を食べ終わったあめでおさんとそろそろ眠りそうな1号となみだのおさまったおKさんと4人で車に乗り、一路橿原を目指しました。橿原は神武天皇が即位した橿原神宮のある町です。正直申し上げて遠いです。道中あめでおさんともしおKさんが手術入院、もしくは自宅療養になった場合、どういう順番で仕事を休むか相談しました。わたしは水曜のD論発表会を休み、あめでおさんが木曜日の仕事をブッちぎることで話がまとまりました。なんていって明日のD論発表会の欠席理由を皆様に連絡しようか、文面を思案しながら夜の国道を南下しました。

 さて救急救命ERの皆様はお医者さんも看護婦さんも全員20代って感じの若さで大変活気がありました。夜の病院は研修医が支えてるって感じですか?

 中でもひときわ若く可憐で、モーニング娘の新メンバーって雰囲気の超美形の女医さんが診察にあたってくれました。

「傷も浅いし、薬や縫合は必要ありません、神経が死んでるかもしれないので3,4日たったら小児歯科でもう一度処置してもらったほうがいいかもしれませんが、日常生活に影響はないでしょう」

とのことでした。「保育園はいってもいいでしょうか?」と聞いたところ
「休む必要は無い」とのことでした。

 11時半過ぎにすでに夢の中の子どもたちとともに帰宅し、もう発表の予行練習なんかする気力も無く、朝までみんなでぐうぐう寝ました。

 よく25日は予定通りD論発表会に出ました。ぶっつけ本番の発表だったけど、まあ発表の場に立てただけでも良しと言う事で。

追記:28日に小児歯科で見てもらったところ、神経も死んでおらず、ちょっと歯が外むいちゃったけどかみ合わせに問題の無い範囲なのでこれ以上の治療は必要ないそうです。まあ、よござんした。


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須菩提似 - 2003年06月15日(日)

いやん、うちのおKったら、ほら、あの人に似てるわ〜。

え?だれだれ??

ほらほらあの人、えーっと須菩提!


 はい、須菩提とはこの人です。

興福寺の国宝館にいらっしゃいます。かの有名な阿修羅像の並びにありますのでぜひ機会があったらご覧ください。

 6月14日は1号さんの喘息の定期検診でした。定期検診にわれわれは奈良の興福寺のすぐ脇の病院に行きます。帰りにイタ飯屋で昼ごはんを食べて帰るのが掟なのですが、このごろ1号さんの経過が順調なのと、冬も終わり、病院が空いており、あっという間に診察が終わってしまうのです。そうすっと昼飯時まで小一時間ほど時間が空いてしまうので、興福寺の国宝館に行くのがこのころの我が家の新たな掟。

 あめでおさん、興福寺友の会に入会。おかげで2名まで無料で興福寺関連施設には入れます(幼児はもともと無料です)。

 そんなわけで興福寺のお宝の八部衆像とか十大弟子像とかと仲良しになりました。件の須菩提はお釈迦さんの十大弟子の1人で「空」を最も理解した解空第1人者だそうで、なるほどそのあかんぼのようなお顔は並の人間に出来る表情ではございません。

 須菩提さんの隣に羅ゴ羅さんという十大弟子の方がいらっしゃいます。こちらはお釈迦さんの実子で「皆に注目されていることをよく自覚し、人一倍身をつつしみ戒律をよく守った」方だそうです。なんだか切ないというか生きにくい人生を感じます。隣で須菩提さんがぱっかーんと口あけてるのと対照的に眉根を寄せたお顔をしてらっしゃいます。

 羅ゴ羅さん、ちっと須菩提見習って肩の力をお抜きなさい。

 そう思いながら、わたしは思わず1号の肩を抱いていました。
 うちにもいるよ、須菩提と羅ゴ羅。


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キャッチャー イン ザ ライス(お米畑でつかまえて) - 2003年06月14日(土)

 さて、当地は大和米の産地ざんす。米どころに暮らすというのは初めての経験。
 満々とたたえられた水田に次々と田植えがされていきます。
 
 昨日植えた田と今日植えた田では緑の濃さが違ったり、雨が降り出すと一斉に田の水面がゆれて、雨が降り出したことがすぐにわかったり、都会で暮らしていたときよりも命の息吹を感じちゃったりします。

 夕暮れ時、保育園で2児を引き取って、田んぼの間の道を自転車で走っていると1日の田植え作業を終えた耕運機とすれ違います。いやーいろんな年代のいろんなサイズの機械がございます。この時期は耕運機の品評会ですな。

 耕運機でがーっと植えたあと、間隔を埋めるように稲を手で植えているおじさんには本当に頭が下がります。こうやっておいしいお米は出来るんだねえ、としみじみと1号と語り合いながら夕暮れの田んぼのあぜ道をチャリチャリ帰宅する今日この頃。田園の日々も結構いいもんです。


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ふぃくしょなる・でぃすちにー - 2003年06月13日(金)

 制御できない現実や自然に立ち向かうとき、人は超自然的なパワーに働きかけたり、帰依したりして、雄雄しく不条理な現実や自然と対峙する力を得る。
 南洋の孤島の漁民が様々な儀礼で森の精の加護で丸太船を作り、海の精の加護で安全な航海ができると信じてひとまず出航するように。

 フィクションや文学も多分そういう機能があるのではないかな。つらい現実と折り合いをつけ、納得できない世界を理解するために人は虚構の助けを借りる。

 夫婦の縁が運命的なものなんて、結局はフィクションだけど、それで世界と納得して和解出来るのであればそれもよし。でも自分の虚構を相手に押し付けるとストーカーの世界になりうるのがちょっと怖いけど。(君はぼくを嫌ってるがぼくたちの縁は運命なんだからあきらめたまえ、とかね。)

 文学(フィクション)とも宗教とも全く縁を持たない文化というのは地球上に存在しないよね、きっと。そういう世界と折り合いをつける手段をもたずにわたっていける程、世界は人間にとって優しい場所ではないと思う。

 今日のたわごとは「運命の子猿」への自己レスですが、べつにあめでおとケンカしたわけじゃ有りません。掲示板でいとこにそのフィクションを夫婦で共有しているのか?と聞かれたのでちょっと考えてみただけです。

 本日は自宅学習日。むしむししますわ〜。


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運命の子猿 - 2003年06月09日(月)

 あめでおさんのことです。

 さてあめでおさんは大変頑固者で、マルコが意志を通そうと思うと無理やりぎりぎりと相手を征服しないといけない場合があります。まあ、例をあげれば海外出張のスケジュールをどこに入れるかでもめたりした場合は上記のような事態が起こります。

 征服されるあめでおさんは当然面白くないようで不機嫌になります。

 夫婦というのはそういう調整活動の積み重ねなわけですが、調整作業に傾ける時間と情熱が大変めんどくさくなる場合もままございます。そんなときは下記のように妄想すると上手くいきます。

 以下妄想ーーー
 しょうがないよね。あめでおとマルコは前世で清王朝のお姫様と匈奴の首領だったのさ。お姫様(あめでお)は野蛮人(マルコ)に略奪されて結婚したので、ほんとは野蛮人のマルコのことを好きなくせにプライドが邪魔してすきだっていえないんだよね。そのうちお姫様(あめでお)は蛮地での暮らしが肌に合わずに、野蛮人のマルコにちゃんと思いを告げずに死んじゃうのだ、かわいそうなお姫様め。
 以上妄想ーーー

 そういう妄想をすると、無理やりマルコの思うようにスケヂュールを入れられちゃってすねているあめでおにも哀れを感じてあげることが出来ます。
 またマルコに対して冷たい態度の場合も「全くマルコのことほんとは好きなくせにプライドが邪魔してすきだって言えないんだねえ」なぞとかってに解釈することも出来ます。こういうのをシチュエーションコメディーっていうの?ロールプレイゲームか?
 


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君の雲古は浮いているか? - 2003年06月08日(日)

 
 ハイ皆さんクイズです。
 うんこは細切れと1本モノとどちらが良いでしょう?

 はい。その通り1本モノです。


 では次の質問。
 沈むうんこと浮かぶうんこはどちらがいいうんこでしょうかあ?


 コレは悩みますね。後者のほうが良いんだそうです。浮かぶのは食物繊維がたっぷり取れている証拠だそうです。大体今は肉魚の摂取が多すぎるそうです。秋刀魚は1回1人大人で半匹。アジは3分の2で良いそうです。


 保育園の家庭支援講座で大変ためになるお話を聞きました。



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サルベージ「世界の男求愛紀行・中東編(一部座敷女)」 - 2003年06月03日(火)

 このシリーズは続きます。ネタが切れません。

 さあ今回は中東です。さすが中東情勢アメリカと切っても切り離せません。

 投稿者:ダイヤ  投稿日: 3月18日(火)

昔アシスタントをしてくれてた女性(かなりユニーク)が、中東方面に行くとモテモテ、ととっても自慢していたのを思い出しました。彼女は結局キューバ人と結婚しました。中東じゃないじゃん! 今話題の地域あたりではプロポーズされまくりだったそうです。
 国内では同年代にはぜんぜんでしたが、親父(50歳超)に絶大な人気を誇ってました。私は一緒に京橋(!)にいたとき、70くらいのじじいにナンパされてるのを目撃しました。


 投稿者:マルコ  投稿日: 3月19日(水)

 48時間ってブッシュのおじさんが言ってるのにこんなことしてていいのか?
いいのです。表面の行動のみを読み解いてイスラムとアメリカは反目していますが
その異なる行動を巻き起こす文化構造を理解するところに互いを理解する鍵があるのです。

 そういうわけで今日もその男たちが何故そんな楽しい求愛行動をしちゃうか考えてみましょう。

 今日は中東編です。なぜならダイヤさんが振ってくれたからです。
>中東方面に行くとモテモテ、
>ととっても自慢していたのを思い出しました。

 中東の男性は中東の女性に対しては求愛も求婚もとっても慎重です。求愛と求婚の間に大きな隔たりがありません。このあたりがサハラ以南のアフリカの男性諸君と違うところです。イスラムの戒律に従いとっても紳士な彼ら。しかしたまった憂さは外国人で晴らすのです!以前ロイヤルモロッコエアウエイに乗ってたらスチュワードが外国人女性乗客全員に宿泊ホテルを聞き、今晩飲みに行かない?と誘っていました。

 こんな環境でモテモテと喜んでいてはなりません。

 ちなみにエロ本なんですがイスラム女性を被写体にしたそんなものはありませんし西欧ものではあんまり民族的に違って楽しくないので日本モノのエロ本がモロッコでは重宝がられておりました。

 しかし彼らは彼らの共同体ではとっても紳士なのです。

 またこれは結構話のネタとして私が愛用している事例です。
 中東の男性は結構、紳士という例です。
 
 私は15歳のときイランからの出稼ぎ労働者あすがる氏と図書館で隣に座りました。あすがる氏は
「すいません、「たった」と「だった」はおなじですか?」
と聞くので
「いいえ、「たった」はONLY「だった」はWASです。」と賢い中学生の私は
こたえました。
 あすがる氏は当時まじめに交際する女性を探していたのでしょう。それ以来図書館ではいつも私の隣にいらっしゃって黙って日本語の勉強をしていました。当時、老け顔の中学生だった私はちょっと困りましたが図書館で受験勉強をするのが趣味だったので時々日本語を教えてやっていました。
 あすがる氏はしばらくしてやっぱり図書館で中東人のお友達に私を紹介し
「明日鎌倉にいっしょに行きませんか?」
と誘いましたので「中学生ですので殿方とのお出かけは親が許しません」とお断りし、毎日行く図書館をその図書館ではなく違う図書館に変えました。
 あすがる氏は私の歳を知ってびっくりしていました。
 数年後、池袋のサーティンワンであすがる氏と偶然会いました。
「あなたはあのときの?」
とお互いに声をかけました。当時私は大学生になってダイヤ夫とともに学んでいました。
 あすがる氏は勉強はヤメタと言っていました。そして
「ちゃんと夢をかなえて、大学にいってえらいね」とほめてくれました。

 あすがる氏はとっても紳士で、最初から最後まで父親が娘を守るように接してくれていました。

 ところで70歳のじじいが難破、もといナンパしてくるとは。
 そこはどこ?
 日本も所によりラテンだなあ。キューバ人とはどのように知り合ったのだろう。
興味は尽きません。


  投稿者:ダイヤ  投稿日: 3月26日(水)

求愛行動、詳細なフィードバックに大感動です。一度しか会ってないけど、マルコ様、さすがですわ。素晴らしいですわ。こんなに濃い濃いお話が聞けるとは。

 中東方面モテモテ話、彼女も一応、自分が特別枠というのは多少自覚してたようではあります。なんか、一般の普通の女性はみんな目しか見えないので、(チャドルでしたっけ?)顔全体が見えるのは外国人だけ、とか言ってたし。それだけでも非常に違いますよね。
 で、その中東方面を一人旅してたので、いとこ様が10回以上死んでいたのなら
ヤツは100回位死んでるんじゃないでしょうかねえ???
 5,6年前にはよりによってレバノンやイスラエルに行ってましたわよ。
 でもあの頃はクリントンで、今思えば平和でした。ルインスキー姉ちゃん、どうしてるんでしょうか。

 でですね、爺ナンパはJR京橋駅前でした。京橋は私も数回しか行ったことがないのですが、東京で言えば、上野か浅草、ですかねえ。JRと京阪が交わる交通の要所でありながら不思議に庶民的かつ、猥雑な町です。
 ほいでもって、爺は、急にトコトコやってきて、
「姉ちゃん、モデルみたいやなあ」「別嬪さんやなあ」「どうや、これから飲みにいかへんか」「おいしいところ知ってるで」などとひつこく誘っていたのでした。
そばに私がいたんですけど、軽く無視されていました。あ、社交辞令として「いっしょにどや?」と誘われたのかなあ?その辺曖昧です。

 ちなみにその彼女ですが、背は170センチ以上あって痩せていて当時は髪を伸ばしていたので、*後ろから*見ると、確かに米倉涼子みたいだったかもしれない。
しかし、こういう発言をするとあー、人格疑われるかもしれませんが、米倉涼子とゆうよりは「座敷女」by望月峯太郎だったかもしれません……。


  投稿者:マルコ  投稿日: 3月27日(木)

 いいねえ京橋のラテンな爺。そういう楽しい老後を迎えたいものだ(まじか?)。私なんか23歳のときあめでおを仕留めて以来、狩から遠ざかってるのにラテン爺は70歳でまだやってるのか。

>でもあの頃はクリントンで、今思えば平和でした。
>ルインスキー姉ちゃん、どうしてるんでしょうか

 そうだねええええ、本当だよ。 ベイビーにうつつを抜かしてる「かの方」は平和だったねえ。
 しかしあのスキャンダルで民主党が不利だったのでは?そしてゴア君が超僅差で負けちゃって今このような悲劇に世界が突き進んでいるとしたらクリントン、身をつつしめ。とわたしはタイムマシンで言いに行ってやりたいよ。




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マゾの惑星 - 2003年06月02日(月)

 「Education For All」という言葉がございます。。「全ての人に教育を」という意で全世界での「人権としての初等教育の普遍的普及」を目指したキャッチコピーでございます。1990年にタイのジョムティエン会議(UNESCO)で採択されたEFA宣言により2005年までに全世界の子どもたちが初等教育を受けられる世界をめざそうと、教育協力分野の援助機関はそれなりに色めきたっている今日この頃なのであります。

 さて学校というところは「モダンマン(近代人)」を作るところと定義されています。学校によって作られるモダンマンとはどんな人か?今日の講義で習ってきたので受け売りさせていただきます。

 *たくさんの子どもが一緒に教育を受けるので欲求の充足が即座にかなえられず、我慢を学ぶところである。

 *学年制を採用しているので1年ごとの目標を与えられ時間とともにより難しい課題の克服が可能になる。こうした営みを通じて「時とともに進化する」という概念を会得する。

 この結果、今我慢して勉強すればよりよい未来が開かれるという、未来のために今を我慢する生き方を、学校教育の結果、人は会得していくんだそうです。

 受け売りはここまでここからはマルコの見解。

 未来志向のガンバリズム、それはまさに「マゾの生き方」。

 学校教育を全世界に広めようというEFA宣言は、地球をマゾの惑星に変えようとしているのです。

 しかし進歩と発展のイデオロギーに駆られて突っ走った時代は終わりました。停滞の時代、学校教育は果たして今後も有効なんざんしょうか?これからはサドの時代???


 


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