西方見聞録...マルコ

 

 

にこにこさんときりきりさん - 2003年01月31日(金)

なんか1号に関する記述が多い私の毎日であるが
次女おKを愛していないわけではない。
愛している、じゅてーむ、ぶちゅうってなもんだが
きりきりと緊張しているひとと
にこにことなごんでいる人が並んでいると
人はきりきりしている人のご機嫌を伺い
緊張をとくために奔走するのだ。

にこにこさんの次女おKは問題もなくすくすくと日々太っている。

わたしがこんなに余裕のよっちゃんで日々を過ごしているのは
このおKのなごみ系なにこにこさんのおかげかもしれない。

1号の0歳時期はなんか本当に大変だったことばかりが思い出される。
断崖絶壁での育児って感じ。
しかし今は育児は二の次でてめえの野望にめらめらしている。
おK、お母さんがこんなにめらめら出来るのも
君がこんなに至近距離で1人でおねいちゃんのおもちゃをいじりながら
おうおう言っていい子にしていてくれるおかげだよ。

でもべらちの日記を読むと
「もちっとおKと会話しよう」と唐突に思い立ち
おKに様々なことどもを語りかける。
おKはうれしそうに、おうおうとおたけぶ。

ところできりきりさんであるが
今度の保育園の生活発表会で劇に出る。
関西語劇、1人だけ川崎弁。
どの台詞を言いたいか先生が子どもたちに希望を取ったところ
なんと1号は要の台詞を希望したという。その希望を退けるわけにも行かず
先生は劇のクライマックスの成否を1号に託すことにした。

「1号チャンは前の保育園で劇の経験はどうですか?大丈夫でしょうか?」
と問われ
「いや〜どうでしょうね〜」
と当てにならない評論家のように答える私。

もう、きりきりさん。
私の胃もきりきりさん。

いやいや黙って君についていくよ。



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嵌る1号 - 2003年01月28日(火)

1号はいろいろと熱中屋さんである。
今百人一首の坊主めくりに嵌っている。
それにしても百人一首、恋に狂った歌が多くて
大人になってから歌を詠み返してみると
「坊主のくせに何言うてんねん」
と突っ込みたくなる歌が多い。

景色を詠んだ歌には自転車で10分ほどのところにある竜田川がでてきたりして
「お、近所じゃん」なんて喜んだりしながら
百人一首しています。

ところで1号が嵌っているものにもう1つ。
Eメールがあります。
ひらがなを1本指でピシピシ選んで打ってます。
東京のじじばばX2や前の保育園のお友達の家には
迷惑かなーと思いつつ、たくさんのひらがなメールが届いています。

ある日、1号が打ったメールに
「ほおりゅうじはたのしいです。あたらしいほいくえんもたのしいです。」
とあって、母はちょっと感動した。
ほらね、親の考える36倍くらい子どもはたくましい。
黙って君についていくよ、1号。


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法隆寺金堂壁画焼損自粛法要 - 2003年01月26日(日)

本日10時から法隆寺で上記の催しがあるので
家族で出かける。

1949年1月26日に法隆寺金堂で白鳳時代の壁画を模写作業中に
絵師の照明などの電気の漏電が原因で12面の壁画が焼失する火事が起こった。
この焼損の法要と防火放水訓練が毎年今日行われるのだ。

10時から金堂にて僧と消防署の幹部が読経、礼拝。
それが終了すると近所の消防署と消防団が総出で
池に向かって放水訓練。

坊さんの僧衣が修正会のときのような粗衣ではなく
黒い喪服調だったのが法隆寺の失火に対する深い哀悼の意を
感じさせる。

すごい近くで放水訓練(写真)をばっちり見ました。
消防車好きの子どもにはたまらない場面です。
訓練後、池の向こう側の道はびしょぬれになっていた。
来年はあめでおは全裸で池の向こう側で踊ってくれるそうです(本人談)



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古都のシュプレヒコール、オフ会 - 2003年01月25日(土)



久しぶりで予定のない晴れた週末。娘1号に何がしたいか尋ねると
「大仏の鼻の穴くぐりがしたい」
というので、家族で家の前のバス停からバスに乗ってでかける。
東大寺大仏殿前で下車し(所要時間は40分)
大仏を見て、鼻の穴くぐりをする。
ところで偶然にもこの日奈良市内では
日教組の全国大会が開かれており、全国の右翼の皆さんが
街宣車で駆けつけておられて古都は騒然としていた。
街のいたるところに可動式のバリケードを用意した機動隊が待機し
街宣車が来ると、バリケードを広げて街宣車の街の中心部への
侵入を阻む。見事に組織立った整然とした機動隊と
右翼の人々の駆け引きに年中行事のマニュアル化された様式美を感じる。
「日教組」粉砕を叫ぶ右翼の人々は
学校や先生が嫌いな人生を送ってきたのだろうなとしみじみと思う。
学校や先生が好きな人はきっと日教組さんにあんなに反感を抱かない。
自分が受けてきた学校教育を憎む人と、そうでない人の世界観の
分裂を熱く語る街宣車の兄ちゃんに感じた。

大仏拝観後、鹿におびえる娘をあめでおが肩車して行きつけのイタ飯屋に行く。
なんと3週連続土曜の昼をそのイタ飯屋で食べている。
家庭的な良い雰囲気の店なのだが、とにかく他の客が
ものすごい勢いでしゃべりながら食べていてうるさい。
某サイトによるとこれは普通の関西人の行動パターンらしい。
先週の土曜日、隣の席に座った人は開発デベロッパーと建築家だったらしく
建築家が、まくクダをデベロッパーの老若2人組がひたすら拝聴していた。
今週の土曜日は隣の席で
ノート型パソコンとデスクトップの癖はどう違うか、30代後半の女性2人組が
ノート型支持者とデスクトップ支持者にわかれて
激烈に論じ合っていた。

まあおもしろいっちゃ、おもしろい。
疲れるといえば疲れる。

その後、2時半のバスで法隆寺の自宅へ帰る。
夕方夫が得意のカレーを作ってる間に外出の準備をし
天王寺で開催される件のサイトのオフ会に夕方から出かける。
にんにく屋という結構以前からアコガレの店でのオフ会。
全国チェーンで東京にも支店はあったが行ったら、
必ず全身にんにく臭にまみれるという店なので
あんまりあだやおろそかにはいけない。
でもいつか必ず行きたい店だった。
12月のオフ会のとき知り合った人も何人か来ていた。
まともや楽しくて飲んで食べて笑う。
面と向かって、知人として対すると
関西の人の話芸というのはものすごくおもしろい。
流れるようにオチにもっていく語りに聞き惚れる。
しかし街の人の通りすがりに聞く関西弁はまだ耳に障る。
まあ、移動してきて日も浅いことだし仕方ない。
異文化に加入しようとするときの普遍的な違和感だ。
いつか年月が私を喫茶店ででかい声で語る正しい関西人へと換えてくれるだろう。

実はこの日、関西VS関東異文化コミュニケーションに関わる
舌禍事件を某サイトで私は引き起こしているのだが
あまりに面白かったので後日ゆっくりと紹介したい。
本日はただYAYOIさんに深く感謝の念を捧げて
沈黙を守ろう。


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母の野望燃ゆ - 2003年01月22日(水)

本日午前11時、野望に向けて願書提出。

まあいろいろ準備したので眠いです。

どうでもいいけど郵便局のおねいさん
大きい声であて先を読まないで。

さてこんなときですが21日はおKの入園前身体測定がありました。
デブだ、大仏だ。と散々な言われようですが
おKは小顔であることが判明。

おお、よかった。

確実に姉に似てきているので母よりは美人になるであろう。

また、21日は同じマンション婦人が近くに1戸建てのおうちを買ったので
そのお披露目にも1時間程参加。
なんかね、こういうときほどNOといえない日本人なのよね。>ぢぶん。

でも21日夜は徹夜したのでなんとか22日の出願に間に合いました。
でも通るかどうかは不明。決戦は3月3日。
それまでは、とにかく今週いっぱい少しゆっくりしようと思う。





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18の春 - 2003年01月18日(土)

さて本日と明日の週末
あめでおはセンター試験の試験監督で不在。

センター試験なんて18の春にやって
後は娘の試験まで無カンケーな私と比べ
彼は毎年あの台本どおり、試験監督をしている。

彼の経験値は私のそれと比べて地味だな。

私は娘2人を連れて奈良市に娘1号の第2回インフルエンザ予防接種を
打ちに行く。

その後この前のいた飯屋でまた昼食。
女が1人で子ども2人を食べさせていると
関西の人は必ず声をかけます。
夫同伴だとほっといてくれるんだけどね。不思議。

猿沢池を散歩。「鹿が怖いけど見ないのは寂しいから
2,3匹だけ見よう」
という1号のわけのわからん注文で
猿沢池の北岸に鹿を4匹発見する。
そのあと「ならまち」を散歩し、喫茶店でお茶をし
雨が降ってきたのでバスに乗って法隆寺前バス停まで帰る。


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そして神戸 - 2003年01月16日(木)

本日は母の野望第2幕の行方を握る人物Kに会いに神戸へ行く。

神戸おしゃれです。

大阪・東京をOとすると奈良がマイナス1、神戸がプラス1。

こういうことを言うと地方差別反対主義者のおっとあめでおが激怒する。
その尺度は何か、と論理的な説明を求めるので
「都会度」
と応える。

私がフェミニズム的に女性の権利について言及すると
あめでおは地方の権利と都市の横暴について
力説する。
いずれも中心と周縁について語ってるのだけどね。
構造主義的にはあめでおと私の立場は等しい。

さてK師との面会は順調におわる。
ただラオス語の勉強をするように注文を付けられる。
やばい。文字しか読めない。

そういうわけで(どういうわけで??)
しばらくラオス語の勉強をすることになりそうです。
久しぶりに帰宅が遅くなり
1号は延長保育にはいる。

延長の部屋はすげ保育園に似ているので
1号は御満悦。

1号にとっての中心はすげ保育園だな。
早く中心の軸が現保育園に移動することを祈る。きみのために。


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今宵宇宙の片隅で - 2003年01月15日(水)

今日は失業認定日。
郡山のハローワークへスチャラカでかける。
もちろん、おKの面倒を見てくれるシッターN婦人の登場である。

朝1番で失業を認定してもらい、
近鉄郡山の総合病院で健康診断を受ける。
ふふふ、母の野望第2幕の準備じゃよ。
週1日の居場所は大阪心斎橋に確定したが残り4日の居場所確定のために
準備は水面下で進んでいるのだ。

その後、近鉄で奈良に出て
さくら小路のこじゃれた店でキーマカレーなんかを食する。

はああ、うっとり。こういうのが出来ないのだよ
>0歳児抱えた田舎のフルタイムマザーって。

まだN婦人に子守りをお願いした時間が1時間程あまっているので
JR奈良付近のこんな店
お茶する。

なんだかすごい不思議空間に紛れ込んじゃった感じだよ。
そこで私はラオスの初等教育支援事情というレポートを書いた。
すごい不思議。

2時に帰宅。普通の暮らしに戻る。
でも夜もまたラオスの初等教育事情と戯れる。






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若草山山焼き - 2003年01月12日(日)

11時から法隆寺で金堂修正会(こんどうしゅしょうえ)
というのがあるので家族で出かける。

法隆寺HP(http://www.horyuji.or.jp/shiki.htm)によるとこんな催しだ。
「金堂や大講堂で行われる「修正会」の法要は、法隆寺を代表する行事です。冷たい風に叩かれる金堂の大きな扉。隙間から吹き込む寒風。そのたびに堂内の燈明のあかりが揺れ動き、仏前で焚かれる香の煙が神秘的な雰囲気を醸しだしています。修行僧にとって仏の顔が優しくも見えたり、恐ろしくも思えるひとときでもあります。ピーンと張り詰めた緊張感とともに、一つの安堵感のようなものを覚え、それは仏に抱かれ、救われるとの思いにかられているからかもしれません 」

とにかく感じたのは坊さんたちがものすごく粗衣だったこと。
高僧も、修行僧も、警護役らしい僧兵っぽいにいちゃんも。

他寺から招かれたらしい他の僧の袈裟の金ぴかと対比すると
なんというか、布切れなのだ。
でもそれが本物っぽいといえば本物っぽい。

その後参道のクレープ屋でクレープ食べて、帰宅。
帰宅後休日食事当番の夫がエスニック風のカレーを作ってくれる。
相変わらず、上手い。

夕方6時10分前から若草山で花火が上がり
6時から山焼き。

ベランダから見える。でも豆粒みたい。TVニュースのほうが迫力がある。
そんなもんかもね。


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奈良へ - 2003年01月11日(土)

さて年末からあめでおはおみね喘息医をインターネット上で
探し続けていた。
ものすごくいい小児喘息専門医を隣町に発見したのだが
とにかく激混みで行けば必ず家族メンバーの誰かが風邪をいただく。
そこで空いてて、有能で、小児喘息専門医を探すという至難の業を
やっていたのだ。

稲田堤時代のかかりつけ医まつもとくん@仮名から
アレルギー学会の奈良県の医者名簿をもらって
とにかく片っ端から検索し、メールを送る。

そのうちひとつの奈良市内のさくら小路のS医院が有望そうなので
本日は奈良へ家族で偵察に。

あめでお、マルコ、1号3人でインフルエンザの予防接種をしてもらう。
インフォームドコンセンサスは合格。

この後、あめでおがこれまでの喘息経過を3年分グラフにまとめた
大経過とここ1月の様子を細かく数値化してグラフにした
小経過を示して病状を説明。
この何年かの投薬状況をすべて記録したお薬手帳も提出。

これからS先生とパートナーとして喘息治療にあたっていくこと
になる。

その後、いた飯を家族で食し、
ちょっとなら公園に行くが娘1号が鹿を見て泣くので
帰る事にする。
途中近鉄奈良駅の上の奈良ならセンターで
奈良の町や仏像のレプリカを見る。
娘1号は建物などの模型が死ぬほど好きなので
大興奮する。ちょっと変わった5歳児だが
まあそこも将来有望ということで。


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おK突発 - 2003年01月05日(日)

4日から、おKが40度の熱をだす。
5日にも下がらないので長い休暇の最後の日
タクシーを呼んで休日診療センターに行く。

「風邪でしょう」
とのこと。

すごい立派な施設だけど
うーん、ソフトはいまいち。

翌日かかりつけの大人用内科に行く。
ここは私たちの浅い経験でもっとも頼りになるダンディーDrがいらっしゃる。

「多分、突発疹。あしたになっても熱が下がらなければ
中央病院にいき血液検査を」
と指示をもらう。

果たして6日夕には熱は下がり赤いぶつぶつが体中を覆った。
めでたし。


お、そういえば1月2日に帰還すると留守録に心斎橋の某専門学校より
採用留守録があり。
担当科目は地球環境論とNGO論
ますます履歴書が意味不明になる。

でもとてもうれしい。まずは週1日の居場所が確定。
後は残り4日の居場所を求め、母の野望第2幕が開く。


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法隆寺に帰還 - 2003年01月02日(木)

1日にあめでお実家からマルコ実家に家族4人で移動し、
マルコ実家に1泊した後、2日朝から奈良に向けて帰還。
富士山も駿河湾も大変きれいでした。

実家X2に滞在中、娘1号が「早くおうちに帰ろうよ」
という。
「どのおうち?」
と聞くと、一瞬絶句し、搾り出すように
「稲田堤の」
という。
もうそこに私たちのスイートホームはない。
さて休暇は終わった。故郷は十分楽しんだから
いざ現実に乗り出そう。
わたしたちのおうちは奈良にある。
喘息の発作のおきない法隆寺の結界の中にある。


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