ビー玉日記
きのう  もくじ  

2006年06月17日(土)  新しい日記帳

↓今後、日記をこっちに書くことにした。
ビー玉日記 http://blog.beedama.ciao.jp/

理由は、日記だけじゃなくいろんなテーマの文章を書く上で一括管理できるため。
私の場合、まったく何も書かないこともあれば、書く時はどかんといろんなテーマで書くので、一つのしくみの中で複数のテーマを分類して管理できるブログの形が合っていることがわかったから。

エンピツのこのページは半永久会員になっている場所なので、
これまでの5年間の記録はそのまま残す。
今まで特にトラブルもなく、5年分の記録が丸々残っているというのは貴重だし、管理人の方の管理が行き届いているためだと思う。
ありがたいことです。

これだけ長いこと書き溜めたものなので、最近は検索ワードでひっかかってアクセスがあることが多い。
それはそれでおそらく今後も続いていくのだろうし、その時々でどんな言葉が人気なのか、密かな楽しみとしてこれからもチェックしたい。
ちなみに、今現在は、断トツで「ねずみにひかれる」が多く、最近では「村瀬明道尼」。(テレビで何かやっていたんだろうか)
あ、またここでひっかかっちゃう!?

もしかしたら別の用途で(例えば「トーキョー・ハッピーデイズ」みたいに架空の日記として、または何かのイベントの記録などで)使うことがあるかもしれないし、
ブログの調子が悪ければ結局戻すかもしれず、
先のことはわからないけど。
とにかく、ここでの更新はしばらくお休みとする。



最後になりましたが。
こちらでいつもチェックしていただいていた方々に、
この場を借りてお礼を申し上げます。
ありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願いします。

ビー玉日記
森崎るう子改め、小島 澪

PS。最近筆名も変えました。
オンライン上の仮名なので、どっちを呼んでもらってもいいのです。
私自身が新しい方を使っているだけです。

2006年06月16日(金)  雨音考

夜中に目を覚まして雨の音を聞く。

雨の音から外の様子を想像するのは、子どもの時から好きだった。
よく授業中耳を澄ましてぼーっとしているような子どもだった。
実際に窓の外を眺めて思いにふけることもあったけど、
そんなに何度も先生に注意されるわけにもいかなくて。

黄色い空は夕立の前兆。
耳を澄ましていると遠くから一気に雷が近付いて、
ざっと空から水があふれ出す。

雨が窓をたたく。
雫が木の葉の一枚一枚にあたる。
濡れたアスファルトを車が走る。
バケツなどに水がたまって、そこに落ちる雫の気配。
ごーっと勢いを増す川の流れ。
水溜りに足を踏み入れる感触。
車が水を跳ね上げる。
傘の上やトタン板を跳ねる雫の奏でる音楽とリズム。

雨の時期は結構楽しい。

夜中に聞く雨の音は、一人の時と二人の時ではまた違う。
強い雨でなくても外界から隔絶されたような気がするのだが、
一人であれば過ぎた日のことやまだ知らない未来のことをぼんやりと想う。
誰かと一緒の時は、なんとなく手をつなぎたくなる。
特に雨の日の想い出があるわけではないのだけど。

2006年06月15日(木)  されど仕事

出張でいろんなところに行ってるけれども。
今日の場所は最も観光地に近い気がする。

アルプスです。
ハイキングで人気の場所です。
心なしか空気がおいしい。
だけど、仕事です。
このまま休みたい。遊びたい。
羽を伸ばしたい!
だけど明日も会社です。

今度はプライベートで来てのんびりするのもいいなあー。


5月の半ばくらいから、日本各地で田んぼに水がはられました。
昼間は鏡のように周りの風景を映し出す。
夜は月明かりや街灯や家の灯りが飛び込んでキラキラしている。
カエルが鳴く。
こういう日本の風景って好き。
あと1ヶ月もすると稲が青々と育って水面が見えなくなるんだ、と思うと稲の生長って本当に速い。
子どもの頃、新幹線で東京から博多まで青い田んぼだけを果てしなく眺めて移動したことを思い出す。

2006年06月14日(水)  小旅行

明日の早朝からの会議に備えて夕方から移動開始。
遠い、というのは知っていたんだけど(だから前日から移動するんだけど)、実際東京から電車で4時間半かかるとなると相当遠いと実感。
4時に会社を出て、ホテルに着いたのは8時半過ぎ。

乗り継ぎの駅でのこと。
ホームでトイレを探していたら、こんな看板が。
「トイレ ホームのはずれ→」
ホームのはずれ。
トイレまで距離感出てます。
電車の扉が押ボタン式なのも慣れなくてドキドキした。

ホテルに着いた時には空腹で倒れそうだった。
本当は2時間半の電車の移動中にお弁当でも食べればよかったんだけど、食欲をそそるものがなかったので着いてから何か食べよう、と思っていた。
……甘かった。
ここは東京ではありません。
夜中に出歩いて買い物ができる生活をしていると、ついついそれが常識の範囲ではないということを忘れてしまう。

ホテルで周辺地図をもらった。
ほとんど居酒屋。
ホテルの周りの店は、どう考えても女一人で入るのは違う感じだったので、コンビニを目指して歩いた。
その途中で、暗い夜道に「うまいもんが食いたい」という小さな看板がピカリ。
「そば・うどん」というのぼりがはためいている。
ああ。まさに私の心の叫びを文字にしたような。
なぜわかるのですか。

腹ペコの私は、コンビニに到達する前にその不思議な看板の罠にはまり、ふらふらとその小さな家のようなお店の引き戸を開けた。
カウンターだけのこぢんまりした居酒屋。
いかにも昔の日本の家、という雰囲気を演出している内装(柱や天井の高さから言って、ベースは本当に古い建物なのだと思う)でありながら、さりげなく小さな音量でジャズが流れている。
奥でニッコリしたご主人の感じがよかったので、安心して中に足を踏み入れた。

飲み屋に入ってアルコールを頼まないで「食事をしたい」と言うと嫌な顔されることがある。
とりあえずそれが心配だった。
恐る恐る「食事のメニューありますか」と聞くと、申し訳なさそうに、
「今日はご飯を炊いてなくて、うどんか蕎麦しかないけど、いい?」
という答え。
もちろん。麺を食べたくて入ったんです。

危うく行き倒れになりかけたところ、どうにか月見うどんをお腹におさめ、しかもうどんを茹でている間に調子に乗って梅サワーを飲み、息を吹き返した。
(時間も遅く、アルコールを入れる気はまったくなかったのに、飲んでもいいな、と思わせる雰囲気があった。不思議。)
ご主人とちょっと会話している合間に、そっと三つ葉のおひたしとサンマを甘辛く煮たものが差し出された。
東京から一人でやってきた飢えた娘に、土地の美味しいものでも、と気を遣ってくれたのだろう。

一人であまりにも遠いところに来てしまった、とさすがに心細くもあったのが、なんだか楽しくなった。

2006年06月13日(火)  昨夜の余韻

いつも聞いている朝のラジオ。
ワールドカップがはじまる前から各国の選手の状況や監督の情報を事細かに報じてやたらと盛り上がっていた。
なのに、今朝は。
「じゃあー、まず日本人の活躍からお知らせしましょうか」って、女子ゴルフ、プロ野球、大リーグときて、「……ではワールドカップいきましょうか」ってため息つきながらいかにも嫌々切り出しました。
そんな敗戦翌日。
どこ行ってもなんかみんな暗い。どんよりしている。

キオスクや人が読む新聞で見かけた見出しには、
「日本は終わった」と言わんばかりの絶望感が漂っていた。
いつも思うんだけど、1回負けたくらいで監督や選手の力不足を論じるのはどうなのかと。
リーグ制なんだから、一回負けたくらい何とかなる。
日本は言霊の国だ。
たまには嘘でも前向きな記事書こうぜー。

恐ろしく前向きな新聞っていうのも楽しそうだな。
明らかに有り得ないってわかりきってるんだけど、おもしろいからついつい購読してしまうような。
「日本ウォームアップ終了。勝負はこれから」
「出生率1.25。未来の受験はらくらく。産むなら今だ」
「月30時間超 残業代の割増率50% 残業でがっぽり稼ぐか アフター6を楽しむか」
……それほど楽しい記事じゃないか。

2006年06月12日(月)  ワールドカップ初戦

気付いたら、誰もいなかった。
ぎょ。
前の席で仕事に没頭しているKさんの背中に声をかけた。
「Kさーん。最後になっちゃいましたよぉ」
「えっ? ええーっ!?」
振り返ったKさんもびっくり。
まだ20時です。
いつもみんな22時過ぎまでいるんです。
私は21時過ぎの英会話の予約があったので帰り支度をはじめていたんだけど、戸締りをすることになることはまったく考えてなかった。
「私も帰りますー」
Kさんもあわてて帰り支度をはじめた。

今夜は日本のワールドカップ初戦。
まさかこんなことになるとは。
英会話に行く時、駅に向かう人の波をかきわけるように、一人で逆流して駅から離れた。
みんな家に帰るんだねぇ。
英会話が終わって駅に向かったのは22時。
1時間前の人の波が嘘のように消えていた。
みんな、どこに行っちゃったんだよー、っていうくらい。
最寄り駅に帰り着いた。
家の前の通りにも人がいない。
通り沿いのいくつかの家の開いた窓から歓声が聞こえてきた。
お。点が入ったな。
ドアの鍵を開けてテレビをつけると、確かに点が入ったところだった。

結果は残念だったけど、次頑張ってください。
後半はオーストラリアに完全に押されちゃってたねえ。
チャンスはあったのに点につながらなかったのは残念。
川口選手とディフェンスは相当頑張ってたけどね……。
勝つと言われていた試合ほど勝つのは難しい。

2006年06月11日(日)  雨の日のおでかけ

朝から雨。
洗濯物を干すことに限って言えば残念な天気だけど、
こういう細い雨の日も悪くない。
雨の日に傘を差して出かけるのは結構好き。

午後、実家に帰った。
母(ガッコの先生)の学校の運動会が先日開催された際に雨で徒競走ができなかったため、昨日、徒競走だけが延期で開催されたそうだ。
私は子どもの頃、走ることだけは平均より少し速かったので徒競走は好きな競技だったが、友達の中には大嫌いだと公言する子もいた。
「せっかく徒競走をやらずに済んだのにわざわざやるなんて、嫌がる子もいたんじゃないの?」
と言ったら、やっぱり急に足が痛いと言って休んだ子もいたらしい。
そうだよねえ。
私だったら、マラソンであれば確実に同じようにサボったと思う。
最初から最後まで全速力で手加減をしないタイプの私は、短期決戦の短距離走が好きで、マラソンのように計画的に力を加減することが求められ、しかも長く苦しい競技は大嫌いだった。
今でもそういう性格は変わってない。
三つ子の魂百まで。

昼と夜と栄養補給をして帰ってきた。


そうそう、今日は大河ドラマで本能寺の変をやってました。
昨日、お昼の再放送を見て、明智光秀役の坂東三津五郎と織田信長役の舘ひろし、濃姫役の和久井映見が、なかなかよかった(偉そう)ので、今日も見なくっちゃと思った。
このドラマがはじまった時は配役が相当変わってると思ったけど、ここまで来たらそれぞれがかなりのハマリ役になっててよかった。
天下統一間近のキレた舘ひろしの信長と、生真面目で頑固な雰囲気の三津五郎の光秀の対立が、リアル。

信長は光秀の才能を認める一方で、光秀が自分をどこか見下しているのを見透かしてたんだと思う。
光秀は、ものすごくプライドが高くて、自分の才能を信じていて、自分が正しいと思うことに関しては絶対に譲らないで押し通すタイプだったのではないかと。しかも伝統的なシキタリや決められた手順なんかをすごく重んじる保守派。
信長は常識とか慣習にとらわれない革新派で、光秀のクソ真面目さが時にはうっとうしかったと思う。
「おれがいいと言ったらそれでいいんだよ! 黙って言うとおりにしろ」
みたいなイライラがいつもあって。
光秀は光秀でそういう信長のちょっとした態度から自分だけがイヤガラセをされているんじゃないかと思い込んで萎縮していく。
人を見る目が曇って信長の心が見抜けなくなっていく。
怒らせないようにするにはどうしたらいいのか、と自己保身に走れば走るほど信長を苛立たせる。
信長は精彩を欠く一方の光秀を奮い立たせるつもりがますます追い詰めていく。

……あー、なんか会社でもあるなあ、こういう図。
年の近い上司と部下って、うまくいかないんだよね。
しかも部下にそれなりの才能がある場合。
なぜか敵対してしまう。
上司は部下に過度の期待をして重荷を背負わせて、うまく仕事が処理できないときつく叱りつける。
部下は最初はおとなしくしていても、理不尽さに気付いて上司の管理能力を疑うようになる。
上司は部下の反抗的な態度に気付き、自分が上司として敬われていないことが気に障って更に無理難題を押し付ける。
仕事に関して言えば、男の人の方がプライド高いからなー。

話が逸れた。

本能寺の変。
火縄銃はそんなに早く連発できないだろう、とか。
坂東三津五郎の動きや台詞の言い回しがやや歌舞伎調で笑いを誘ったり、とか。(別に悪いということじゃなく、おもしろかった)
ちょっと気になったことはあったものの。
やっぱりベテラン俳優陣が揃っているだけあって、いい演技だったなーと思った。
(やっぱり偉そう)
好みで言えば光秀と濃姫のロマンスっぽい部分は好きじゃないけど。

2006年06月10日(土)  贅沢病

今年は六星占術で言うと「財成」の年にあたる私。
実は4月、5月とまとまったお金ががさっと続けて入った。
なぜなら契約社員から正社員になったので、契約社員の時の休暇の残りがお金に精算されたり、退職金があったり、契約社員と正社員の分ダブルで給料が振り込まれたり、したわけです。
考えてみれば制度としては当然のお金だけど、予想外の収入で懐が潤うのは金額の大小に関わらずうれしい。
そんなわけで「ラッキー。やっぱり細木氏すごい」と幸運に慣れきってほくほくしてた。
頭の中ではシャリーン、というedyの音鳴りまくり。
頑張ったら頑張った分だけちゃんと見返りがあるものね。

ところが。
昨日外出で会社に行っていないので明細を見ないまま、
インターネットで銀行口座を見たら、ボーナスが振り込まれてた。
その金額に、固まった。
……ええっ。
一ヶ月の家賃にもなりません……。
何、これ出張の交通費精算分?
でも他に9日に振り込まれているお金はないし。
やっぱりボーナスってことでしょ?

そういえば入社の時に人事部の人から説明あったっけ。
「最初の夏のボーナスは、2005年度下期の活動を評価するものなので、
今回は新入社員だから寸志になります」
契約社員になった時、その寸志だってうれしかったものじゃないの。
だって私の社会人生活において定期的にボーナスが入るというのはこの会社が初めてだったんだから。
「ボーナスが少なくて申し訳ないけど、契約社員の退職金と有休休暇の買い上げの分をボーナスと考えてください」
そうでした。
思い出しました。

お金が入ることに慣れちゃだめね。
ボーナスもらえるだけありがたいと思ってた私に戻らなくっちゃ。
なんてったって新入社員なんだから。
ちょっと最近の私は欲深かったみたいです。
(元々か)

2006年06月09日(金)  社会科見学

今日は一日、空港のお仕事見学。
いいでしょ。>235さん。

最近はセキュリティが厳しくなってしまい、
飛行機の中には入れてもらえないのですが
(去年チャンスを逃したのが運のツキ。ちっ)
それでも、いいね。空港は。
旅立つ人々の高揚した気分がうつるのか、
そこにいるだけでうきうきします。
エンジンの音とか、離発着の気配とか、いいね。
基本的に飛行機とか電車とか乗り物好きだからなのか。
子どもの頃から私にはそういう男の子みたいなとこがある。

輸入されたばかりの白く細長い箱を指して
「これはマグロですね」と説明される。
「中はマグロと、ドライアイスですねー」
そっかこれはマグロの棺おけか。
世界の海を自由に泳いだマグロも最後はこんな白い箱に押し込められて人の口に入るのを待つばかり……。
なんてまたブラックな発想をしたけどさすがに口には出さなかった。
(一応知らない人の前では猫をかぶる私)

空港見学に参加するのは初めてだったのに、
月に一度はお邪魔している支店の人々が主催だったので、
「あれ、何してんですか。説明頼みますよ」
と冗談言われると困ります。
いかにも遊びに来てるみたいじゃないですか。
勉強しに来たのですよ。今日は。

でも、本音は。
……はい。今日は安息日でした。サボリ1。

日曜出社したから一週間長かったー。
週末はありがたい。土日二日休めるって、究極の幸せ。って気分。

2006年06月08日(木)  日々の疑問

よその部署の人から「いつも残業してる人」というイメージで
見られているっぽい。
私もなぜ残業してるのか、知りたい。
なぜだ?


最近のダイレクトメールはかなり謎が多い。
怪しい。怪しすぎる。
だけど、リンクはクリックできない。
このジレンマ!!

Subject:涙が、出ました……「稼げる」体感!
-----------------------
涙が、出ました……
母が、パソコンに向かっている私を見るのが辛いというのです……
30歳も過ぎた私に向かって           
険しい顔ばかりして「かわいそうだ」と……
-----------------------

「このビジネスなら…」「このノウハウなら…」
稼げるはず…なのに…稼げない!
ならば次…次とビジネスに参加し、情報を購入していた頃の事です。
あるサポートに出会わなければ
私は今でも、稼げるはずの「何か」を闇雲に探し続け
ネット上を彷徨い続けていたに違いありません。

そのサポートとは!!

ネットで「仕掛けられる側」ではなく「仕掛ける側」になること。
『本当に必要な』スキルとノウハウを身につけること。
そして
誰かの作ったビジネスやノウハウを探すのではなく、
自分自身が「お金を稼ぐことの出来る”人間”になる」こと・・・
これらを実践の中で教えてくれるサポートなのです。

最初は、お金を稼ぐには遠回りのような感じすらしました。
しかし、目先の収入ばかり追っているより、一見遠回りに見える
このサポートを受ける方が、目先の収入を得ることだって
簡単にしてくれたんです!

美味しい話は一切なし。
楽してお金儲けが出来る方法を教えてくれる訳でもありません。
しかし・・ いや、だからこそ
現実に数多く実績が出ているサポートです、
全くの初心者がゼロから始めて月収100万円を達成しています。
(私ももう少しです)

サポート通りに実践を繰り返していくことで
あれほど出来なかった「稼ぐ」ということが
自然に、簡単に出来るようになっていた自分に
驚きさえ、感じます。

「稼げる」という体感、
お金に追われない穏やかな気持ち・・
家族の安心感・・・

家族を悲しませた数ヶ月前の自分が、嘘のようです。

(途中一部省略)

ダイエット食品のテレビ通販っぽい畳みかけ方で、
最後まで読まされてしまった。
パソコンでどう稼ぐんだか知らないけど、
必死でパソコンに向かう息子または娘を見て部屋の戸口に隠れてそっと涙をぬぐう一人の母親。
巨人の星のおねえさんみたいな感じを想像すると、ちょっと異様な情景。

何をどうするんだか書かれていないところがこの広告のミソ。
私のようにうっかり興味を持っちゃった人がクリックするように仕組むなんて、巧妙な罠だ。
危ない、危ない。

どう見ても美味しい話をしようとしてるのに、
美味しい話は一切なし、なんてかえって胡散臭さ倍増。
家に帰ってきたら知らない人が中にいて「怪しい者じゃありません」と真面目くさって言うようなもんです。
気をつけよう。

2006年06月07日(水)  なんでか

村上ファンドの村上氏をテレビで見かけると
なぜか「あ、欽ちゃんだ」と思うのは私だけでしょう。
……写真を見ると、似てないんだけど。
なんでだろう?

2006年06月06日(火)  ギブ&ギブ&ギブアップ

仕事の話ばっかりで恐縮だけども、近頃フラストレーションのたまることが多くて。

なぜに何事も人任せなんだ、って思うことが多い。
この会社(グループ全部含めて)の特徴かも。
いわゆる大企業病?
小さい会社の場合は、思いついたことは自分でやって自分で完結させる、誰もやらないから自分で片付けるしかない、っていうのが当たり前だけど、ここではそうじゃない。
「この仕事はうちの部署の仕事じゃなくてあんたのところでやるべきでしょ」っていう話があまりにも多い。
確かに線引きしてお互いのテリトリーを守るのは必要なんだろう。
実際自分でもそういう考え方をすることはある。
それに直接手を出したくても必ず決まった手続きを踏まなくちゃいけない仕事だってある。
明らかにやるべきことをやってない部署はあるし、
たぶん私もやりきれてないことはたくさんあると思う。

だけど、「こういうクレームがうちに来て困るんだよね。あんたんとこでなんとかしてよ」ってぽんって投げつけるのはちょっと勘弁してほしい。
青天の霹靂ってやつです。
いきなり点火されたダイナマイトを手渡しされるみたいなもんです。
何かをする必要があるというのはわかる。
自分のところでパワーがないからそう言うんだろうというのもわかる。
だけど、なんで「こういうことで困ってるから一緒に解決するのを手伝ってくれないか」とならないんだろう?
そう、一緒にするものです。人に押し付けるんじゃなく。
じゃなければ「うちではこれをするから、そっちではここをやってくれる?」ってなんかお互いにメリットがあるようにするとかさあ。
何事もギブ&テイクでしょ。

最近みんな疲れきってます。
このままだとそう遠くない時期に誰かが抜けます。
最初に一人がつぶれたら、その後はドミノ崩しになる。
だって人の仕事をカバーできるほどの余裕が誰一人としてないんだから。

今ってどこの部署も、どこの会社もこんな感じなのかなあ。
人員削減しながら(増員なしに)業務拡大するって
すごく矛盾してると思うんだけど、
駒を動かしてる人たちはそうは思わないものなのか。
決められた時間内に一人の人間にできることは限られてるというのに。

2006年06月05日(月)  とりあえず無事

施錠のことは誰にも何も言われなかったので、問題なかったらしい。
……一安心。

今日明日は社内イベントの主催者。
昨日出たお陰で今日は問題なく無事終了。

既に今日、疲れました。
明日は午前と午後の2回。
3時間って結構長い。

2006年06月04日(日)  心配事

ちょっとドキドキしている。
今日は日曜だと言うのに午後から仕事をしに行った。
予想より少し手間取って、帰りは9時。
当然誰もいない。
最終退館者になってしまった。
そして。
うまくロックできたかどうかよくわからないのだ。

平日は二十四時間稼動の部署がいるのでそんなものとは無縁なのだ。
そんなの言い訳だけど。
そういえば、自分のフロアのロックをかけたら10分以内に外に出ろ、って言ってた気がする。
だけど、一回出た後で不安になってもう一回入ってしまった。
これってアリなの?

コンピューターの声って不安をあおるだけだってことがよくわかった。
だって決まったことしか言ってくれない。
わからないことに答えてくれない。
(柔軟に答えられても怖いけど。)

明日、出社早々総務に呼びつけられるかなあ……。
二度と日曜に仕事なんかするもんかー!


淡いパープルの紫陽花が咲いていた。
もう梅雨の時期だね。

2006年06月03日(土)  ハリーに考えさせられたこと

「ハリー・ポッター」の第6巻を読んでつくづく考えたことがある。
それは最近とても反省していることでもある。

例えば、自分が深く考えずにやったことで誰かにものすごく迷惑をかけたり、助けてもらったりすること、とか。
誰かのことを偏見をもって見てしまうことがあったり、とか。
(特に時間に追われている時なんかに)自分が正しいと思っていたことに対して意見を言われるとちょっといらだって反感をもってしまったり、とか。それが態度に出ちゃったり、とか。
そういうところがまだまだ子どもっぽくて嫌なところだな、と思ってたんだけど、第6巻のハリーがまさにそういうところがあった。
私は16歳のレベルと変わんないんだ。
……もっと大人にならなくちゃ。

私が自分で前と少し違うと思うのは、そういう子どもっぽいことをしてしまった後に「バカなことしちゃったなあ」と気付いて反省するところ。
前は自分のそんなところに気付きもしなかった。
反省しても同じことしてしまうのはまだ問題だけど。
(これって弁解?)


第6巻でハリーが愛についてようやく理解する。
恋愛だけではなく、もっといろんな意味の愛。
やっぱり世の中を動かしているのは愛だと思う。
殺人事件や交通事故や。いろんなことあるけど、そこには誰かが誰かを想う気持ちがあったり、愛が憎しみに変わってしまったり、愛情の記憶がないために起こってしまったことだったりがある。
小さな男の子がひき逃げにあった時、その子の親は逃亡した犯人について「犯人を憎むことより、子どもが元気になってほしいという気持ちしかない」と話した。
20年前、墜落していく飛行機の中で書かれた遺書は全て、家族への愛を綴ったものだった。
誰か大切な人がいる人の方が、誰もいない人より強い。
誰かのために生きようと思えるから。死を恐れることは生きることだ。
誰も愛せず愛されない人は、自分がもうここでいいやと思えばそこで人生を終わらせることができる。
その方がある意味強いと言えばそうかもしれないけど、本能的に人間は誰かに愛されたい生き物だから、それはけして楽しいことではない。

そして同様に大切なのは、信じる気持ちだ。
私はそもそも人を信じやすいところがあって、時々気をつけなきゃいけないと思うことがある。
信じていた人が嘘をついていたとわかると、悲しい。
でも、疑うよりは信じていたいと思う。
信じられる誰かがいるだけで心強いものだ。

こんなことを考えさせる本って、なんか哲学的だよねえ。
読む年齢によって受け取り方は様々なんだろう。
バカバカしくも複雑な恋愛の問題について考える人もいるだろうし、私みたいに家族や友人や自分に関するあらゆる人たちの愛について考える人も、若さゆえの反抗心(私はハリーより2倍近く生きてるけど)について思いをはせる人もいるだろう。
奥深い。

2006年06月02日(金)  ハリー・ポッター 第6巻

遅ればせながら、「ハリー・ポッター」第6巻上下巻を読んだ。
月曜日に名古屋に出張に行って、帰りの新幹線に乗る前に買った。
荷物が重くなるから一冊でよかったのに2冊セットでしか売っておらず、少々迷った。それでも思い切って買っちゃった。
初回限定とかで特製の手提げバッグに入れてくれた時、
「初回限定のバッグです」
と教えてくれた店員さんの顔がなぜか誇らしげだった。
正直なところ袋はなんでもよかったけど、思わずニッコリしてお礼を言ってしまった。

さて。第6巻。
かなりおもしろかった。

実は去年第5巻を読んだ時、少々飽きている自分に気付いた。
話が暗くなっていくのはしょうがないとしても、毎回毎回謎が残されるばかりで一番重大な回答が先送りされているような気がしたし、第1巻や第2巻で感じていた新鮮味が薄れてきていた。
ここまできたらあとは惰性で読んでいくだけか、と思った。
そもそも私はこらえ性がないので、基本的に長編はほとんど読まない。
特にファンタジーは作者の創造した世界を読者が具現化するために、細かく説明する部分が多くなりがちで、物語によっては読んでいるうちに息切れがしてしまうことがある。
はまる時は深く入り込めるけど、はまれないものは大抵早い段階で投げ出してしまう。

飽き気味だった第5巻は説明箇所を飛ばし気味で読んだらしく、第6巻を読んでいて、
「そんなことあったっけ?」「これは誰だ?」というのがいくつかあった。
(6巻を読んだあとで辞書のように5巻の該当箇所を探して読み返した。)
第6巻になってようやく今までよくわからなかったことがパズルをはめ込むようにわかってきた。
この飽き性の私をここまで引きずり込んだ作者はすごい。
しかも第1巻からずっと細部に渡って布石を打ってきたのが何よりすごい。
諸手を上げて降参です。
たぶん、第6巻を読んだ後でもう一度1巻から見直している人は多いと思う。
そういうトリックを仕掛けられるのって本当に完璧にこの魔法の世界を自分で作り上げているからなんだと思うと本当に尊敬する。

ここまできて、鈍い私にもようやくわかった気がする。
ほぼ推定どおりに進んできたので、結末も予想してみた。
と言っても、ほとんど大部分の人がそう思っていると思う。
ということはこれはミスリードの可能性が高い。
でも少なくとも、ハリーの考え自体がミスリードの一部だということは間違っていないと思う。
この回答がどんな風に明らかになるかが楽しみだ。

まだ最終巻の第7巻がいつ発売されるかもわからないというのに、
一週間で読んじゃったよ。
休暇に入ってダーズリー家に帰るハリーの気分。
あーあ。またしばらくこの物語のことは忘れよう。
そうじゃなきゃ気になってしょうがないから。

2006年06月01日(木)  前世の妄想

「オーラの泉」を見て自分の前世について考えてみるのは私だけじゃないだろう。
輪廻転生は、ありえない話ではないと思っている。
正解はわからなくても、あれこれ勝手に想像してみるのはおもしろい。

自分で考えている前世の私。
1. 尼僧
2. 日本マニアの外国人
3. 平安時代の貧しい貴族の娘
4. 野良猫
5. 漁師の娘
6. 何かの犠牲になった子ども

理由。
1. 尼僧
仏教の世界観には少し興味がある。
結構前から、ある年齢に達して家族に気兼ねなければそういう世界に生きるのもありだなと思うことがある。
もしそれがあの番組でよく言うように過去の影響なのだとすれば、たぶんそうなんだろうと。
今は……怠け者で煩悩まみれだから出家は無理。(昔の修行生活の反動?)

2. 日本マニアの外国人
「日本人ってこういうとこおもしろいなあ」と思ったり、「日本のこの習慣ってよく考えられてるなあ」と自分の国なのにちょっとはずれた視点でモノを見て感心することがよくある。
「外国人のくせになんでそんなこと知ってるんだよ」って日本人から突っ込まれるような外国人だったりしたらおもしろいなと。

3. 平安時代の貧しい貴族の娘
自分を美化しすぎだと言われるかも。
でも美化したつもりはなく、自堕落なところがなんか平安時代の貴族っぽいと思って。
貧乏でどうしようもないのに、自分でてきぱき動いて何かをすることが大儀で、家でぼーっとしている感じ。
「枕草子」の女の一人住まいは荒れた感じの方がいい、っていうところが宮中の華やかな場面より心惹かれることがあったりする。
殿方はまあ、来たり来なかったりだったんじゃないか、と。
(かなりどうでもいい想像)

4. 野良猫
別に人間である必要はない。
ルールに縛られず、仲間ともつかず離れず。
お腹が空いたらゴミ箱をあさり、時には飲まず食わずの日もあったり。
人の家の塀で日向ぼっこしたり。車の下に雨宿りしたり。
幸せだな、そういうの。
これはどっちかと言えば願望か。
3と4は私の怠惰ぶりを暴露してるだけみたいだ。

5. 漁師の娘
海、好きなんだよね。
忙しかったりして気持ちがぐっとつまってくると、海を見たくなる。
広い海を見ると心も広々して、あれこれ考えていたのがちっぽけだと思える。
きらきら光る水面を眺めて波の音と潮の香りを感じるのは至福の時間。
だけど、夜の海は怖い。
黒々と押し寄せる波に飲み込まれたら最後だ、って思う。
漁師の父親か恋人か夫を海で亡くしたんじゃないかとちょっと想像してみる。

6. 何かの犠牲になった子ども
これはやや本気で考えている。
今自分がすごくワガママに好きなように生きていて、しかも健康や人間関係や幸運に恵まれているということは、自分の親や先祖の行いとか祈りの結果だと思う。
だけどそれ以外に前世の影響があるとすれば、前の生では何らかの原因で不運にも長く生きられなかったために、今回、人生を楽しむチャンスを与えられたのではないか、と考える。
死因は、列車の事故か、戦争。
子どもの頃繰り返し見た怖い夢の一つが列車とホームの間に落ちる夢で、電車に乗る時はいつも親の手にしがみついて生死をかける気持ちで乗ったものだ。
そういう理由で列車の事故。
戦争は、例えば空襲とか原爆で子どもがいっぱい殺されたけど、そういう子どもたちはきっとその分今の世で楽しい思いをできるように生まれ変わってるんじゃないかなあと思うので。


My追加

mail    home    bbs

Design by shie*DeliEro