ビー玉日記
きのう  もくじ  あした

2003年06月30日(月)  ずぼらな妄想

ずぼらな私の考える妄想。

仕事中、PCの画面に向かってメールを打ちながら、次はあれに手をつけないと、これもやらなきゃ、などと考えていると、つい意識が肩甲骨のあたりにいく。
そこに力を入れると腕がにょきっと生えてきて、別の仕事をこなしてくれるような気がするから。
……何度やっても現実にはならないわけだけれども。
千手観音みたいにたくさん手があって、同時にいろんなことできればいいなあ、と。
腕がたくさんあったところで、脳みそは一つだから同じことをたくさんの手で同時にやるだけじゃないか、という気もしないでもないが。

同じ部署の人と、今猛烈にほしいと思うものとして、コピーロボット(パーマンで出てくる、鼻を押すとその人になる人形)を挙げている。
本当に自分の代わりができる人が欲しい。

自分が考えていることをメモリースティックとかにコピーして、それをこなしてくれるロボットとか。

2003年06月29日(日)  クローバー

チューリップが咲き終わったプランターに、いつの間にかクローバーが育っていた。

子供の頃に時々遊んだ空き地で、よく四つ葉のクローバーを探した。
一緒に探す友達は見つけられても、私は決して見つけられなかった。
いまだに自分で四つ葉を見つけたことはない。

四つ葉のクローバーを見つけたら幸せになれる。
最初に教えてくれたのは誰だったか。

アメリカでは、四つ葉のクローバーの花言葉は、「Be Mine」。
それぞれの葉には意味があって、一枚はFame(名声)、一枚はWealth(富)、一枚はFaithful Lover(満ち足りた愛)、そして一枚はGlorious Health(素晴らしい健康)を表す。
四枚そろってTrue Love(真実の愛)、なのだそうだ。

やはり私の鉢に芽を出したクローバーはどれも三つ葉だけど、はて一体どれが足りないのか。
富はともかく、名声は別にいらないな。
富とか名声が含まれて真実の愛、っていうのが、いかにもアメリカらしい。

2003年06月27日(金)  中間職はつらいよ

私は派遣社員なので当然役職にはつかないんだけど、
事情により課長さんが長く留守なので、実質うちの課は一人。
部長さんは他のものもいろいろ見なきゃいけないので、実務上私がやらざるを得ないことも多い。
冗談でよく「影の課長」とか言われるのはそのせい。
だって明らかに私の業務範囲超えてるもん……。
さすがに承認業務はないけど、企画立案とか、イベントの運営とか。
「なんで私が……」ってことばかりです。

今日はたまたま帰りが一緒になった他の課の課長さんとか部長さんとかと飲みに行った。
みんな辛い立場は変わりません。
特に、会社が変わったことで生じる軋轢というか、様々な摩擦の調整役となっている方々。
うちの部署も同じだけど、本当に気を使う。

何か文書を出すにも、文章表現、宛先、配置など、ものすごく考える。
あちらを立てればこちらが立たず。
上の人というのはプライドの生き物だからね。
私なんかはフラットな人生に生きてるので、「そんなこと気にすんな!」って言いたいけど、彼らにとっては一事が万事なのだ。
直接面と向かって他の役職の人に言うことができないことを、下の私たちにぶつけてくるからたまんないっすよ。
かと思えば、考えに考えを重ねた結果を出すと、そんなに考えたことがバカみたいにすんなりOKが出たり。

ああ、こんな生活早く抜け出したい。
でも、どうやって?


智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
「草枕」夏目漱石


これマジで誰かに読まれたらマズイかも。
でもこの辛い胸のうちを分かって欲しい(笑)

2003年06月26日(木)  時間に追われて

気付いたら一週間が終わって、気付いたらあっという間に月末になってる。
寝ても寝ても眠いし、朝は起きるの本当につらいし、そのためにいつもバタバタしてるし、全然余裕ないよなあ。
疲れが体に蓄積されてとれないってことなんだろうけど、やっぱりそういう年齢に達したってこと?
そんなこと考えたくもないけど、これが現実ってやつです。はう。

なんか最近思うのは、時間に追われるんじゃなくて、時間に追いかけられるくらいの先取りでいきたいなあってこと。
いつも追っかけるのってつらいし、疲れちゃう。
それに、そのためにいろんなこと逃してる気がする。
余裕があったら、これもできるのに。あれもできるのに。
この時間にこうしてたら、もしかしたらこんなことができるかもしれないのに。
そんなことを考える。

とにかくまずは早起き体質に変えていこう。
そこからしかない。

それにしても、早く仕事楽にならないかな……。
このところ集中力に欠けるから処理能力が落ちてるのに、降ってくる仕事はますます増える一方で、かなり途方に暮れてる。なぜだ。

2003年06月25日(水)  徒然なるままに結婚観の話

お昼にいつも同席する人は、ベテラン既婚者(?)の女性と、新婚の通い婚の女性。
今日の議題は結婚についてだった。

結婚して何年も経つと、結局誰と結婚しても同じ、と言う既婚者は多いそうだ。
同時に、結果的に結婚してもしなくてもどっちでもよかったかも、とも。
時が経つと、愛とか恋とかそういう状態ではなく、ただそこにいる、ってだけになるんだとか。

ふーん。そういうもんか。
けど、未婚者から見ると、そういう風に言えるってことは、それなりに幸せだからじゃないのかなと思うわけです。
よく「空気みたいな存在になる」って表現するけど、そういう感じなわけでしょ。
暴力癖があるとか酒癖の悪い男と結婚したら、そんなこと言えないよね、いくらなんでも。


この前同じく未婚の友達が、「最近周りにいる人がみんな頼りなくて、そんな人と結婚するくらいなら一人でいる方がいい」って言ってたけど、私の心境もそれに近いのかな。
でも男性の方々には失礼だけど、なかなか頼りになる人なんかいないと見ていいでしょう。
家事好きな女性を探すのが難しいように。(それは私だけか)
ある程度は妥協というか垣根を低くしないととは思うけど、別れるのはパワーがいるし大変(面倒)だから、最低ラインは見ないととは思う。

最低ラインと言っても、私の場合は好みのタイプとか一言で言えなくて、難しい。
先日ベッカム来日の話から私の好みをきかれて、カーン、と言ったら、目を丸くされてしまった。
なんか周りを気にしすぎて自分をかっこよく見せてる人より、質実剛健というか不器用でもちゃんとやる時はやれる人がいいなあ、と。

気が利かないとか、無愛想だとか、そういう日々の不満はあるかもしれないけど、自分のやるべきところはしっかり押さえてて、なおかつ大事な時に私のことを理解してくれてればまあいいかな、とか思うことはいろいろあるわけ。
でもそんなことは、とりあえず相手を探してから考えろと(笑)


ちなみに、6月は家庭の守護神ジュノーの月であることから、西洋では6月に結婚した女性は幸福になれるとされているそうです。
日本じゃ梅雨時であんまりハレの日には向かないけどね。

2003年06月22日(日)  歌舞伎鑑賞会

坂東玉三郎が「藤娘」をやっているというので、歌舞伎座にでかけた。
紬の着物が着られるのも今月まで。
今年はどうも春からバタバタしているので長いこと着物を着ることをさぼっていた。(お稽古場では着てたけど)
「今日こそ」と気合を入れて着た。

玉三郎と「藤娘」という組み合わせのせいか、市川染五郎と松本幸四郎の人気かはわからないけど、とにかく満員御礼、って感じの状況。
歌舞伎座はあんまり空調がきかないので、ちょっと気温が高め。
扇子でぱたぱたやると落ち着くくらいの感じでした。
クーラー苦手派の私にはちょうどよかった。

ようやく今週行ける目処がついたので予約を入れたんだけど、遅かったのでやっぱり良い席とは言えないところだった。
私の前の席のお姉さんの前髪が数本、鬼太郎みたいに「ピッ」と突っ立ってて、それが私の視界をさえぎって非常に邪魔。
何度扇子で撫で付けようと思ったか知れない。
時々その前髪越しに舞台を透かし見ることになるんだもんなー。

↓感想。**ネタバレ大あり**

六月大歌舞伎(6/1-25)@歌舞伎座
 昼の部
1.一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 一幕
   陣 門
   組 打
2.棒しばり 長唄囃子連中
3.芦屋道満大内鑑 葛の葉 一幕
   機屋子別れの場
4.藤 娘 長唄囃子連中
(主な出演者:幸四郎、勘太郎、染五郎、雀右衛門、玉三郎)


1.一谷嫩軍記
「一谷嫩軍記」のこの場面は初めて見た。
たぶん他の場面を見たことがあったと思う。
モチーフは平家物語で、今日は熊谷直実(幸四郎)と平敦盛(染五郎)がメイン。

冷静に考えると筋書き的には「おいおい、それはありえないだろ」って突っ込みどころ満載なんだけど、面白くするために無茶苦茶な空想を盛り込むのが歌舞伎。そこが魅力なのね。
今日の空想大賞は、浜辺で許婚の敦盛を探してうろうろしてる玉織姫(勘太郎)。
あんなカッコでそこにいるのはおかしいです。
だけど玉織姫がいるから面白くなってるわけです。

この演目で一番おもしろかったのは、直実と敦盛の一騎打ちシーン。
沖にいる平家の船を追いかけて、敦盛が馬で海に飛び込む。
波の中を苦しげに進む馬。
舞台を上手から下手へと横切った後、再び、下手から現れる時、馬も敦盛も急にミニチュア化。
……そう、遠近法を利用して、役者が突然子供に入れ替わったのです。
敦盛を追いかけて海に飛び込んだ直実も、いつしかミニチュアに。
子供同士でちゃんばらシーン。
真剣なんだけど、かわいいです。非常に。

昔の戦い方って基本的に一騎打ちなんだよね。
いやあ、優雅というか、礼儀正しいというか。

そして、結果的には敦盛が負けて、直実が敦盛を討ち首にすることになるんだけど、直実が敦盛の若さ(直実には同じくらいの息子がいた。陣門では染五郎が直実の息子直家の初陣を演じた)とか心がけに情をほだされて、なかなか思い切って討つことができない。
史実(「平家物語」上では)だから結果はわかりきってるんだけど、それ前提でもかなり心を打たれるものがある。
しかも、直実がやむなく敦盛を討った後で、その前のシーンで殺されたはずの玉織姫が虫の息で這い出してきて、敦盛の首を抱えて泣くシーンは、今思い出しても涙が出そうになるくらい。
その場にいると観客が全員静まり返って固唾を飲んでいるのをびんびん感じて、ちょっと呑まれる感じ。
あの一体感というのは、やっぱりお芝居の良さだね。

演出がすごいと思うのは、敦盛が首を討たれて倒れた瞬間、黒子が出てきてぱっと敦盛の首を布で覆って隠して、小道具の生首を用意するところ。
いやあ。完璧です。
そして、直実が敦盛と玉織姫の遺体を運ぶところで、また感心。
直実が運んでると見せかけて、実際には染五郎や勘太郎が自分の足でそうっと動くわけだけど、ちゃんと運んでるように見える。
この動きはかなりの高度テクニック。難易度高いです。

この演目で出てきた平山季重(錦吾)もそうだけど、歌舞伎の悪役って憎めない。
本当に嫌なやつなんだけど、あまりにも悪すぎていかにも悪役っていうのがなんとなくコミカル。
洋画なんかだとたまに本当に気分悪くなるような敵役がいたりするのに、歌舞伎はそういう気分にはならない。
それがいい。

それにしても、いつも思うんだけど、馬役の人って大変だなあ。


2.棒しばり
これは元々狂言なのかな。
狂言舞踊というそうです。

主人(友右衛門)が外出前に悪さをしないように使用人(だよね?)の太郎冠者(勘太郎)と次郎冠者(染五郎)の両手を縛り上げておくんだけど、彼らは酒蔵に入って大好きなお酒を飲もうと苦心する、という話。

突っ込むとすれば、こんな雇い人はクビにすべきだろう、ということくらい?(笑)
両手を縛られた二人の曲芸みたいな踊りがあったりして、純粋に楽しめる。


3.芦屋道満大内鑑 葛の葉
とにかく雀右衛門。
この人、80代なんだよね、確か。
いやあ、お元気ですね。
一人二役の早変わりとか、障子に筆で歌を書き付ける時、右手→左手→口と筆を持ち替えて書いていくところが見所。
人前であんな達筆に書くってすごいなあ。

でもその前までの演目に比べて静かな進行が続くのと、昼食の後だったので、非常に眠かった。
ちょっと休憩(?)。


4.藤 娘
これが見たかったの。
やっぱり玉三郎は別格。
そもそも玉三郎の「鷺娘」をテレビで見たのが、私が踊りをはじめる決定打にもなったわけで。
その日から最終目標は「鷺娘」なわけで。(何百年かかるんだ?)

「藤娘」は、お名取の試験課題だった。
試験は終わっても更に表現をつけるために研究するように言われていて、今でもたまにお稽古をつけてもらっている。
今回これを見ることを師匠に話したら、流派が違うので振り付けは違うけど、雰囲気を見てきなさい、というお言葉。

見たら、師匠の言った意味がよくわかった。
本当に「雰囲気」。
つまりは演技力ということなんだろうけど、若い娘らしさをぷんぷん漂わせてて、実際の年齢とか性別とか完璧に超えちゃってる。

舞台セットは、藤の花が舞台全体にぶらさがってててその中で踊るのは見たことあるけど、今回の趣向は違ってて、銀の箔押しに藤の花が描かれた屏風が舞台上に5枚(?)置かれて、左右に長唄囃子連中。
玉三郎がその真ん中で踊って、衣装替えや小道具を片付ける時は真ん中の屏風の切れ間に引っ込んでいった。
通常踊り手はずっと舞台にいて必要になったら後見が出てきて手伝うわけだけど、それをまったく見せないで、一人で踊りを見せる、という形。
これもまたかっこいい。

隣の席のおばちゃんなんか、玉三郎が出てきた瞬間に感極まってしまったらしい。
その連れのおばちゃんが「涙目になってるよ」と指摘していた。
それくらい、美しいということ。
この美しさを保つための日々の努力を考えると、本当にすごい。

で、踊りの方はやっぱり振りが全然違うんだけど、一番注目は手の動き。
私の今一番の課題はまさに手。
指と手首の使い方ね。
この表現だけでまったく違うものになる。
元々手の動きをきれいにしたくて踊りをやってるんだから、もっと研究の余地ありだよなあ。
玉三郎様の手のきれいなこと。
あんな風に滑らかな動きをしたら、たとえ節々がごっつくて短い指でも長く細い指に見えてしまうかも。
いや、実際、長くて細いのでしょうが。


今回全演目を通してつくづく思ったのが、日本の演劇はすごい、っていうこと。
「一谷嫩軍記」の海の表現、「棒しばり」で必要最低限の小道具しか使わずあとは役者の表現力次第というところ、「葛の葉」の回り舞台、「藤娘」の屏風の使い方。
これは世界一と言ってもいいんじゃないの?
昔の日本人の創意工夫ぶりには本当に感服です。

2003年06月16日(月)  Happy Night

今日は高校時代からの友人3人で集まる予定になっていたが、一人が急遽緊急の仕事でキャンセル。
せっかく早くあがる予定でいたので、残り2人でごはんでも食べようということに。
会社を出る時に、もう一人心当たりにメールを飛ばしたところ、ちょうどいい駅にいることがわかり、緊急招集。
そういうわけで、結果的に3人で飲みに行くことになった。

いつもメールで会話はしているので気付いてなかったけど、この顔ぶれで会うのは実に1年ぶりくらいの話だったらしい。
一人に言われて気付いた。

話の内容は、関係者以外立ち入り禁止(?)って感じのホントに内輪ネタなんだけど、すごく盛り上がった。
あの頃誰がどうだったとか、その後の同級生の話とか。
ちょっと周りの方にはうるさかったかな。すみません。

でも、やっぱり同じ同級生でも、相手がただのクラスメートとかだったら、ここまで楽しく盛り上がれないと思うんだよね。
それは彼女たちとは同じ学校にいる間にもいろんな話したし、今でもメールとか電話でつながってるからかもしれないけど、たとえばそれぞれ結婚したりどこかの国に移住したりして10年、20年、長いこと音信普通になってしまっても、再会したら同じように思い出話や自分の近況とか他愛もないことで普通に笑って会話できるような気がしてる。

女ってやっぱり好きな人できたらその人優先にしちゃうし、家庭持ってるか仕事してるかとか環境の変化で、なんとなく疎遠になったりしがちなんだけど、そういう絆ってすごく大切にしたいなあと思うわけです。

子供の頃、九州からの帰りに飛行機に乗ろうとしたら、お金が足りなくて、母が空港近くに住んでいる学生の頃の友達に電話をしてお金を借りたことがある。
どういう事情でそんなことになったのかも忘れたけど、母の友達が車で駆けつけてきてくれて、にこにこして私と弟をかわいがってくれて、何かあるといけないから、って余分にお金を母の手に押し付けて見送ってくれた。
もう何十年も会ってない友達だったんだろうと思うんだけど、なんか何があってもそうやって助けてくれる、信頼できる人がいるっていいなあと子供心に感じた。

まあそんな大げさなことは一生に何度もあることではないけど。
私もそういう風にいざって時はできることは何でもしたいと思うし、何かの時に頼れる友人たちがいることに感謝。
飲んでただけらけら笑ってるだけでなく、そんなマジメなことも考えた一夜でした。

2003年06月15日(日)  私の知る「佐賀県」

「佐賀県」なんて歌がちょうど5月からブレイクしてるんだけど。
私の行ってるところはまさにその佐賀県。

佐賀はとても地味なところ。
(例:モンゴル村。長崎に対抗したのはわかるが、わざわざ行こうと思えない)
だけど犯罪が起きればとても目立つ事件となるところ。
(例:バスのハイジャックとか、保険金殺人とかね。)
不思議な世界です。

吉野ヶ里遺跡は佐賀県にあるのだけど、遺跡が田んぼの中に違和感なく存在している。
雰囲気という意味では立派にハウステンボスを超えてると私は思う。

葬式屋のおじさんの言う都会である佐賀(5/4の日記参照)にはずっと昔に行った記憶しかないのでどうだかわからないけど、私の行く範囲ははっきり言ってかなりの田舎だ。

以下、私の証言。


子供の頃、おじいちゃんが駅前のデパートで店員として働いていた。
デパートというと私のイメージでは日本橋高島屋や三越だったから、長いことそこがデパートだということを知らなかった。
だってどう考えても実家の近所のダイエーと変わらなかったから。
一度、「スーパー」と言って、おじいちゃんに「デパートだ」と怒り口調で正されてから知ったこと。


コーヒーが大好きな母と、ちょっと息抜きにコーヒーが飲もうと喫茶店を探したことがある。(祖父母はもっぱら日本茶党だったし。)
……見つからなかった。
いくつか喫茶店もどきみたいのはあったんだけど、どういうわけかコーヒーがなかった。
挙句の果てに、うちの母は当時一番きれいで新しかった「リンガーハット」に「コーヒーはありますか」と聞きに入った。
もちろんちゃんぽんと皿うどんがメインの「リンガーハット」にコーヒーなんかあるはずもなく、結局、母と二人で歩きつかれてとぼとぼと帰ったのだった。


駅前にホテルがあるのだが、その名も「○○シティホテル」。
シティと名乗るのが恥ずかしいくらいしょぼいホテルである。
今回夜駅に到着して、荷物を押しながら街灯もない暗い道を歩いていたら、突如としてそのホテルの中のライトアップされたところがガラスを通して見えた。
正直、びびった。
黄色いウェディングドレスを着た女のマネキンと、白いタキシードの男のマネキンが並んで立っていた。
マネキンはラテン系の顔立ちをしていて、しかも肌は小麦色。
こわいよ、もー。
他は暗いのになんでそんなとこ電気つけてんの。

先日の葬式の時に父の上司が参列してくれてこのホテルに泊まったので、彼の反応が知りたくて父に聞いたら、中はやっぱり古かったらしい。
この町の感想は、「思ったより町だったね」だそうだ。
思ったより町。
一体どんな場所を思い描いてここに来たんだろう。
お疲れ様なことです。


母の祖母は、この町から更に奥地に住んでいた。
そこはみかんとかお米を作っている農家が集まる地域なので、父の実家のあるところより田舎感は増す。
広い土間があって、お風呂は薪で焚いてて(私が生まれる前は五右衛門風呂だった)、ご飯を焚くカマドもあった。
ここまでくると田舎として徹底していて子供としては十分楽しめた。
ただ一つの不満は、冷えた飲み物が100%みかんジュースしかなかったこと。
お向かいは村で1軒の商店だったし、買いに行けばあるんだけど、とにかくみかんジュースがどっさり入っている。
すっぱかったな、あれ。


最近はそんなこともなくなったけど、子供の頃は、テレビ番組が東京と違っていた。
アニメで見たことがないのがやってて楽しみに見てたら、東京でアニメ大全集みたいな番組を見てた時にそれが生まれる前にやっていたアニメだということがわかった。
そんな時差がよくあった。
中学ぐらいまで「キャンディーキャンディー」や「ガッチャマン」がやっているのを目撃したし。
ちょっとしたタイムトラベルができるところだった。


でもこれらは文句とか愚痴とかじゃないし、バカにして言ってるわけでもなくて、むしろ好きなところ。
東京と違うというのがおもしろい。
東京と同じになったらつまんない。
方言が耳にやさしくて、星がきれいで、いいところだと思っております。

2003年06月14日(土)  博多のうどん考

本日夕刻、博多到着。

以前は九州に行くと必ずチャンポンか皿うどんのどちらかを食べるようにしていたんだけど、近頃もっぱらうどんにはまっている。

讃岐うどんの好きな私には、博多の麺はやわらかすぎて煮すぎと思うくらいなんだけど、何しろスープがうまい。
やっぱね、スープは西のものがうまいよ。
東のものはしょっぱいだけで深みがない。
……お前はなんの評論家だ、と言われそうだ。

今回発掘したお店は、揚げ物がうまいお店で、天ぷらの衣が控えめについていてしかもぱりっとしてた。
結局行きも帰りも同じ店に寄ったんだけど、行きはごぼう天うどん、帰りは野菜かきあげうどんを食べた。
このところの湿気であまり油モノを食べるような気分ではない私も、これはおいしくいただけました。

それにしても、安いね。
東京では500円以内であの内容を食べられることは社食以外ではないでしょう。

また行こう。

ああ、そうそう。
親戚の中でうまいと有名らしい鳥栖駅のホームのうどんも食べてみたいね。
いつも通り過ぎちゃうからなかなか難しいけど。

2003年06月13日(金)  雨上がりの月を眺めて

もっとマイペースにならないとなあ、といつものごとく反省しながら、会社を出た。
先月までの残業時間から、人事(その元をたどればおそらく派遣会社)から上司に労働時間について注意勧告があったらしい。(メールで送信された程度だけど)
今月は残業35時間を超えないようにしなくちゃと思ってるんだけど、相変わらずの要領の悪さで、今夜も遅くなってしまった。
時間をかけただけの仕事をこなしたかと言えばそうでもないし、なんでだ?
とちょっとブルーな気分で駅に向かってだらだら歩きながら、電話をかけた。


叔母(母の妹)に若い頃の着物を譲ってもらった。
雨ゴート、と聞いていたのでそのつもりでいたら、道行と紬の着物、お祝い(名取の試験に受かったため)も入っていた。

そのお礼の電話。
雨上がりの月を見上げつつ。

「すっかり遅くなっちゃったんですけど、着物、ありがとうございました」
「こっちこそ、着ないからって押し付けたみたくなっちゃって、ごめんねぇ」
「とんでもないですー。助かります。前にいただいた菊の着物もすごくかわいいし、好評なんですよ」
「着てくれる方が助かるのよ。どうせ箪笥に入れたままになってるしね、昔のものだからそれなりにものがよくって捨てるわけにもいかないし」

「好きなものでお金稼げるようになるといいわねえ。
お勤めも悪くないけど、やっぱりそれだけだしね……」

「こないだは遠いところわざわざ来ていただいてありがとうございました」
(祖母のお葬式のこと。叔母さんも仕事が忙しくて大変なのに駆けつけて来てくれた)
「るう子ちゃんも大変だったでしょう。
一番最初の孫だし、おばあちゃん、るう子ちゃんのことかわいがってたものね」
「明日また四十九日で向こうに行くんですよ」
「四十九日ってね、七日毎にお経をあげて、その締めくくりに、亡くなった人がちゃんと天国に行けるように押し上げてあげるのよ。
だからちゃんとお祈りして来てね」
「はい」

「おやすみなさい」、と言って電話を切りながら、なんだか泣きそうになった。

叔母のような人が身近にいて、私は幸せだなあ、と思う。
母と叔母は子供同士が年が近いことや家もそう遠くはないので、昔から頻繁に行き来しているし、お互いに悩みごとの相談相手だったりしている。
私もイトコとは兄弟のような関係だし、親戚の中では叔母が最も自分に近い存在だ。
第2の母親と言ってもいいかもしれない。
母がものすごくせっかちなのと対照的に叔母はのんびりしていて、そこが好きだ。

話し方の調子から言っても、叔母もこのところ疲れてるんだろうなと感じた。
たぶん電話を切る時、お互いに涙ぐみそうになってたんじゃないかな。
イトコにも最近いろいろあったから。
電話の不思議なところは、声からその人の感情とか体調とかいろんなことが伝わることだ。
眼で見ない分、声が心に届きやすいのかもしれない。

このところ仕事でうまくいかないことが重なったり、山ほどある仕事がまったく減らなくて気分が重いこととか、たぶんサイクル的に情緒不安定な時期なこともあるんだけど、駅の改札を通る頃、本当に泣き出しそうになった。


まあ、そんな日もある。

涙が出そうになった時、泣いてもいいかな、と思った。
たくさんの人がいるところで、そんな覚悟ができた自分も好きだ。
昔は絶対人前で泣いたりできなかったから。
たぶん、いい意味で力が抜けて、自然な自分でいられるようになったということだろう。

おばあちゃんの四十九日、ただ行くだけじゃなくて、本当に念仏唱えてこよう。

2003年06月12日(木)  ベビーブーム

大変です。
ベビーブームです。

同い年の友人にも現在妊婦が二人いる。
職場でも、先日一人生まれた。
秋にもう一人別の人が出産を控えている。

自分の周りだけでも尋常じゃないなと思っていたんだけど、友人にリサーチしてみたところ、やはり周囲にあちこち出産予定の人がいるらしい。
これは確率から言って、ベビーブームと言っていいのではないかと勝手に決め付けている。

もちろん私がそういう年だからだと言うことは簡単だけど、もう少し上の年の人なんかも含まれてるんだから、偏った意見ではないと思う。

さて、先陣切って生まれた職場の人の赤ちゃんにお祝いを贈ることになり、私がWebでベビー服を見立てた。
最近の個人輸入のショップは侮れない。
海外ブランドのベビー服は、需要のない私でも欲しくなるかわいさ。
当然私は着るわけにはいかないけど、それが悔しくなるくらい、もし私が子供だったら絶対こんなの着たい! と思うようなラインアップ。

特に夏物って、大人の服でも大好きなんだよね。
冬服のもこもこした感じより、夏のちょっと色気のあるかわいさ、みたいなのが好き。

とりあえず、年内のお祝いはこれで決まり。
次回は秋。今から楽しみだ。

子供が欲しいと思うよりとにかくベビー服が欲しくなった私でした。
現実に自分には無関係なせいか、子供を生むことがほとんどペットを飼う感覚に近いんだろうね……。

2003年06月11日(水)  Lucky or Unlucky?

最近上司との関係が微妙。
もちろん仲が悪いわけではないし一時的なことなんだけども。
つまり忙しすぎて上司も余裕ないし、私もちょっと気が立ってることもあって、微妙な温度差みたいなものを感じてる。

あまりにも仕事量(やるべきこと)が多いので、本来優先順位をつけて片付けていくべきところなのだけど、仕事に対して気分が乗らない(やる気がない)ために、どうしても気が向いたことから手をつけて、嫌な事は後回しにしがち。
上司もそれは知っていて、今まで大目に見てたようだけど、最近とても気になるらしい。
それはすごい反省してるけど、ホントにやる気ないんだよねー。(おい)
私って持続力とか忍耐力ないからぁ。
ミーティング長いし回数多いし、事務職はそんなものに時間割いてたら仕事になりませんのよ。

まあそれは愚痴なんでこの辺に留めておくとして。

今までハイスピードで仕事をこなしすぎたと反省している。
やっぱね、人間腹八分じゃないけど、実力を100%見せちゃだめなのよ。
ちょっと出し惜しみするくらいにしとかないと。

下克上するくらい上昇志向の人は120%の力を出してもいい。
ただ、私みたいに、仕事はあくまで生活するための手段でゆとりある生活がしたい、ってスタンスの人はあんまり手の内を明かさないこと。
できるならやらせとけ、って思われると、本当に使われます。
それはそれでありがたい、と思うべきかもしれないけど、割に合わないことも多い……。
同じこと何度もこの日記の中で書いてる気がするが。


ところで今日、映画の試写会のチャンスをもらって、しかもWebで参加申込みしようとしてたやつで、「私ってなんてついてるヤツ」とか思って浮かれてた。
上司も出張だし、今日こそ早く帰る予定。そこまでは順調。
あとはちょっと議事録書いてメールで送ったらおしまい。と思っていたら。
「ちょっと外人来て打ち合わせがあるんだけど参加してー」とよその部署の仲良しのおじさんからお声がかかった。
丁重にお断りしたものの、なんかすごく切実っぽさを感じてしまったので、ちょっとだけだから、ということならいいかと出てしまったのが、間違い。
1時間半もくだらない話に付き合わされてしまった!!
(途中で出ていいって言われたけど、出るに出られない雰囲気だった)
それから議事録作って、会社を出たのは9時……。
いつもと変わんねーじゃん! 私のバカ。

誰に怒っていいかわかんないけど、腹立たしい。
いや、自分がいけないのはわかってるけどさ。
上司に明日、9時まで残業してまだあの仕事も終わってない、何やってたんだ、って思われるのやだなぁ。
あまりにもばかばかしくて友達に言う気にもなれず、気分転換に実家に電話したら、母も同じような目に遭っていた。
親子揃ってあほですなあ。

今日の教訓:職場での義理人情はほどほどに。

2003年06月10日(火)  雨の音

どうやら梅雨入りしたようです。

夜中に、雨の音で目が覚めた。
今夜の雨は、夏を思わせる、一瞬の激しさをもった雨。

雨の音は結構好き。

しとしと降る雨。
ざあざあ本降りの雨。
毎日降り続いていい加減うっとうしい雨。
通り過ぎる夕立。
少し先が不安になる台風の激しい雨。

雨にはいろんな表情があって、それぞれ何かの意味があるみたいで、おもしろい。
自分の気分にぴったり合う時は、かなりいい感じ。

濡れたアスファルトを通り過ぎる車のタイヤ。
傘に雫のあたる音。
草や葉に雫の落ちる音。
屋根を叩く雨。
どこかにたまった水の上に雫が垂れる音。

雨にはいろんな音があって、それに何気なく耳を澄ますのが好き。
昔よく授業中にそれに気をそがれたりして、先生に集中力のない子だと思われることもあったな。(実際集中力ないんだけど)

今日みたいに夜中に外の雨の音を聞くのも好き。
翌日アウトドアで何か予定があったり出かける予定だったりするとブルーだけど、そうでなければ、それだけでいろいろ連想することがあったりして。

いいね。意外と雨の季節、好きだね。
湿気だけは苦手だけど。
たぶん年中湿気のある国や地域なんかに在住することになったらこういうのも気が滅入るんだろうけど、日本は一時期だけだってわかってるから、期間限定のお楽しみ(?)ということで。

2003年06月09日(月)  最近の曜日感覚

何曜日に○をして……という業務がないためか、仕事場での曜日感覚がまったくない私。
じゃあどうやって曜日を認識しているかというと、
ズバリ、ゴミの日。

私の住んでいるところは、水曜日が燃えるゴミ、木曜日が燃えないゴミ、金曜日が資源ごみ、土曜日が燃えるゴミ、というサイクルになっているので、週の後半はゴミの日で曜日を判別できる。
「今日は朝、燃えるゴミを捨てたから水曜日」とか、そういう感覚。
ちなみに月曜日は「前日休んだから月曜日」、火曜日は「明日は燃えるゴミの日だから火曜日」となる。

けど、そうやって考えないと曜日がわかんないって危険?
学生の時は時間割っつーもんがあって、(あとサークルの活動日とか)考えないで済んでたけど、社会人はそういうわけにもいかないのね。
(って誰に言い訳?)

しかし色気のない話だな。
こうやって人はオトナになっていくのね。
いや、おば××になる、とは言わないよ。言わないで。(熱望)


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