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無理強いはよせ...FDN

 

 

花見 - 2004年03月28日(日)

今日は横須賀の衣笠山公園(衣笠城址)に行ってみたが、もうちょいだな。取り敢えず開花はしている。今週末がピークであろうか。


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だめだこりゃ - 2004年03月23日(火)

いかりや長介の葬儀は明日だが、私もドリフを見て育った人間ゆえ、いかりや長介の死はやはり悲しいものがある。amazon.co.jpを見ると、今現在でいかりや長介の自叙伝「だめだこりゃ」の文庫は売り上げ2位で、最近発売された8時だよ全員集合!DVDボックスはマトリックスレボリューションズを抜いて1位である。最早20代中盤未満の若者は「8時だよ全員集合」自体知らないと思うが、それより上の世代の数千万人の人間は、多分誰もがこの番組を知っていると思う。

小学生の時、私は一度渋谷公会堂に「8時だよ全員集合」を見に行ったことがある。私の席は結構良かった。いかりやが「8時だよ!」と言って、観客とその他のドリフメンバーが一緒になって「全員集合ー!」と言う訳だが、その際メンバーが観客席にある階段を下りてきて、舞台に上がると言うのがいつもの段取りであった。この際の「階段」の近くに私の席はあったため、いかりや以外のメンバーを比較的間近に見ることが出来た。

さて、「全員集合」は生番組であるため、その前にリハーサルのようなものをやる。既に会場に詰めている観客は、ステージ上にTBSの関係者が姿を現し、色々段取りを説明された、ような記憶がある。その内ドリフや当日のゲストが出てきて、いかりやが仕切りながら「ぜんいんしゅーごー!」の練習を何度かやる。「全員集合」を観に行ったことがない人は当然知らんだろうが、オープニングのあれは、実は番組が始まる直前まで、会場全体が何度か「練習」しているのである。いかりやが「8時だよ!」と言って、みんなで「ぜんいんしゅーごー!」を繰り返すのである。時間が近くなると、メンバーが観客席の階段の方に移動してきて、そこでも数回やる。印象に残っているのは、いかりやが「8時だよ!」と言って観客が「ぜんいんしゅーごー!」と叫んだあと、いかりやが「ハイ3秒前!」と言って、ようやく8時ちょうどになって「8時だよ!」の本番が来た、と言うのものである。まだ小さかった私は大張り切りであった。

私が行った当日は相撲コントであったが、ゲストが誰だったかは全く覚えていない。ヒゲダンスとかあったかな?

と言う訳で、あの「全員集合」を「体験」した私は当然この番組にも愛着を持っているが、どちらかと言うと「ドリフ大爆笑」の方が好きだった。いつも踊りながら「どんどんドリフの大爆笑〜」を歌うアレから始まるのだが、歌の終わりにいつも志村がチアガールの姉ちゃんをドツいている姿が面白かった。と、妙に細かいが。

いかりやは5人の中で唯一の「突っ込み」として存在していた。他の4人が全てボケと言うのが変わっている。そのいかりやが毎回のコントで突っ込み倒した挙句、最後に脱力しきって、

「だめだこりゃ」

と言うのが、いかりや長介の代表的なワンシーンであった。

「だめだこりゃ!」

でも

「だめだこりゃ…」

でも

「だめだこりゃ〜」

でもなく、脱力しきって

「だめだこりゃ」

と言うあの間は、ただ一人突っ込みのいかりやが、もう本当に突っ込み疲れてすがる所もないと言う、「いかりや長介らしさ」を完璧に表現している。

後期は俳優として活躍したいかりや長介であるが、あの脱力「だめだこりゃ」が、妙に思い出される。さよならするのは辛いけどな。


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出社ァ! - 2004年03月21日(日)

今日は出社した。と言っても、会社に着いたのは午後4時を回っていた。で、結局終電二本前。おいおい、もっと早く行って余裕を持って帰って来れんのかね。

明日は朝からお仕事、って悪循環も甚だしいね。


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散髪など - 2004年03月20日(土)

今日は床屋に行った。二ヶ月ぶりの床屋であるが、前回行ったのは1月25日である。と言うのは、この日記の記録で分かるのだが。

桜が開花したのは単に勢い余っただけだったのか、今日は朝からかなりの雨が降って、その上寒い一日となった。かつて隆盛を誇った床屋は今日も空いており、昔日の盛況を思い起こしながらいつもの「カット・顔剃りあり」コースをやった。

その後、たまプラーザ東急の有隣堂で本を買い、日記にもならないダラダラ一人ドライブをして帰宅。本読んで、メシ食って、日記を書く。

インターネットでは、いかりや長介の訃報が載っている。まさか、確かに癌は患っていたが、ここまでとは…。全員集合を見ていた世代には、ショッキングなニュースであった。そう言えば、人が亡くなったときに雨が降ると、その人は成仏すると言う。今日の雨はいかりや長介を始め、今日亡くなった方々が成仏するための雨だったのだろうか。


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週末来た - 2004年03月19日(金)

と言う訳で、週末が来てしまった。今週は窮地に陥った日本代表が五輪出場を決めたりしたが、取り敢えず仕事は通常通り忙しかった。最近は土曜出勤か日曜出勤が当たり前になっているが、明日は会社のサーバーメンテナンスと言う奴で、ネットワークに入り込めないため、休もうかと思っている。定期的にこのメンテナンスは行われるが、社員を強制的に休ませる効果もあるので、まあ良いかも知れない。

ところが、明日は彼女が忙しい。忙しいと言うのが適当かは分からんが、田舎から婆ちゃんが出てくるとのことだ。田舎は秋田で、婆ちゃんは87歳、となると普通は秋田新幹線で来ると思うだろ?ところが、何とこの婆ちゃんは秋田から深夜バスで横浜まで来るらしい。おいおいおい、大丈夫なのかよ!?と思うのだが、毎回バスで来るらしい。

まあ今週末は婆ちゃん孝行してもらって、我輩は明日は床屋に行って明後日出社しようかなと。


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ニュース - 2004年03月14日(日)

今日はいろんなニュースがあったな。

その一 日本敗退

ああ、何故淡路島程度の国土しか持たない国があんなに強いんだ…。と言っても、試合を見ていたわけではない。会社でインターネット見た上司Tさんが「うわっ!日本負けちゃったよ!」と絶叫したため知ったのだ。敗色濃厚だったのかしら。

その二 辺見庸入院

辺見庸が脳出血で入院した。講演会の最中だったらしい。この人は白内障だか糖尿だか、とにかく何らかの成人病で片目が見えないほど色々体調が悪いようだが、どうも体調悪化が進んでいるようだ。辺見庸、最近読まなくなったな。かつて第二文学部創立50周年記念で開催された辺見庸の講演会を大隈講堂に聞きに行ったが、豪放磊落と言う感じは無くて、丁寧で静かに燃える好講演で、拍手喝さいだったのを覚えている。帰りに駅の近くの書店で感動したらしい女子学生が辺見庸の本をゴッソリ買っていたのが印象的だった。

その三 Jリーグ開幕

Jリーグ開幕は1993年だ。忘れもしない浪人の年である。水曜と土曜は必ずサンスポを買っていた。ドーハの悲劇もこの年で、翌日あった模試はショックで問題に手が付かず、偏差値が夏前から10下がった。浪人と言えば漫画「冬物語」であるが、あれも全巻持ってたな。浪人時代も1学期とか夏は楽しかったが、ドーハの悲劇とともに訪れた秋は成績も上がらずに辛かった。ようやく回復の兆しが見え始めたのは晩秋であったが、今思い出してもあのまま行ったら何となく二浪だったような気がする、そんな低迷期だった。

全然Jリーグから話が逸れたが、そんなJリーグももう12年目。草創期のスーパースターであるカズは未だに神戸で健在と言うのが物凄いが、いずれにせよあの年はサッカーだった。そりゃヤクルトが日本一になったけどね。

そんなJリーグを、今年は久し振りに見に行こうかと思っている。私は元々フリューゲルスのファンで、フリューゲルスが無くなってから殆ど見なくなったが、今はほら、結構空いてるみたいじゃない。見に行くのは当然地元の横浜国際で、マリノスのホームゲームになる訳だが、勿論マリノス対ジュビロとかマリノス対アントラーズと言った横綱決戦もいいが、やっぱり注目はマリノス対アルビレックスだね。アルビレックスの監督は元フリューゲルスのサラリーマンスター選手だった反町ですよ。Jリーグが始まっても、しばらく全日空のサラリーマンを続けていたと言う、あの反町。当時は「サッカー選手として一生の食い扶持があるか分からないから」とか言っていたあの反町、今はJ1の監督をやり、しかも将来の日本代表監督をも嘱望されている、とどこかで読んだ。マリノス対アルビレックスは横浜対新潟であるが、そんな訳で元フリューゲルスファンの私には横浜ダービーみたいな感じである。

取り敢えず4月にあるマリノス対セレッソが第一弾かな。


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体調を回復させるために - 2004年03月13日(土)

水曜に引いた風邪であるが、実は快癒と言う状況ではなく、昨日まで意外と辛い体調が続いていた。従って本日は彼女に電話して一日休養に充てる旨伝え、ダラダラ寝てた。それでも夕方まで寝ても妙にだるく、体調回復に向けて金をかけることにした。

まずは「足つぼマッサージ」である。

バレンタインの時、彼女に足つぼマッサージの豪華版を奢ってもらって以来行っていない。足つぼマッサージ屋は今は無数にあるが、特に住宅街である我が家周辺もたくさん出来ている模様である。と言う訳で、インターネットで調べて、近所のセンター北にあるところに行った。行ったのはここだ。

最初は電車で行こうかと思ったのだが、週に一回車に乗ることにしているので一応車に乗っていった。センター北は電車だと遠回りなんで、変に時間もかかる(定期圏内ゆえ金はかからんが)。

何故かこの周辺は時間貸し駐車場がたくさんあるが、その内の一つに車を止めて、いざマッサージ屋へ。駅前の分かりやすいところにある。しかも、ビルの1階である。これだけの一等地にある足つぼマッサージ屋もめずらしい。電話して予約しておいたが、土曜の店じまい間近だったからか、客は私一人だった。と言っても施術椅子は3人分しかないので、3人来れば満員である。この手の店はどの店もこの規模である場合が多い。

まずはフットバスと言うので足を洗い、その後は隣と仕切られたところでマッサージ開始。マッサージはいつも左足からであるが、ここはマッサージしていない方の足をタオルでくるんで保温をすると言う中々の丁寧振りである。

強さは結構強い方だ。台湾式を標榜しているので、この程度になるのだろう。結構痛いが、痛い方が終わったあとが心地よいのは、もう分かっている。

左足が終わると「首が結構張っているようですね」と言われる。く、首?首のつぼは両親指の内側である。こんな所が凝っているなんて分かるのか。因みに私が普段大抵凝っているのは消化器系だが、今日も重点的にやられたため、おそらく凝っていると分かったのだろう。

一通り終わったら、肩揉みをしてくれるとのこと。で、席を移って肩揉みをしてもらうのだが、席を立つときに頭がボーっとしているのが分かる。足をマッサージした後、結構全身がこんな感じになるのだが、やはり足の刺激は相当血行を促進するものである。

40分で3,500円とは比較的安い。終わったあとでお茶も出る。施術後にぬるいお茶なりを飲んで、排尿を促進すると老廃物が外に流れ出るのだが、これが無いとあまり良くないようだ。

と言う訳でマッサージ屋を後にした。ああ、やはり体が軽くなった感じがする。

モザイクモールのHMVでCDとDVDを買って、車に乗るも、腹が減っているのを感じ、一路センター北の二つ先にある仲町台駅傍の「ラーメン花月都筑インター店」に向かう。学生時代、私が訪れたチェーンラーメン店双璧の一角、「ラーメン花月」。もう一角は「天下一品」であるが、高田馬場ラーメン激戦区の中で私が好んだのは、これら全国展開するチェーンのラーメン屋だった。特に花月の「ニンニクげんこつラーメンに、さらにニンニク生絞りを入れる」と言うのはよくやったもので、翌日の部屋のニンニク臭が物凄くなるが、これは物凄く効く。学生時代、早稲田店のオヤジが「風邪が中々治らないという学生が、3晩続けて食べたらケロッと治っちゃった」と言っていたが、この効能を今試すべく、花月に行くことにした。

ここの花月は駐車場を持っているが、この駐車場が無茶苦茶狭い。正確には1台1台の駐車スペースが無茶苦茶狭い。この駐車場は隣の焼肉屋と共同で使っているもので、時間も時間だけに結構混んでおり、奥のほうしか空いてない。

車を入れ、一旦奥まで行ってハンドルを切って、中に入れる。さすがに一回じゃ入らず、もう一度切り返し、するとすんなり入った。

「さすがに一年も乗ってると(車庫入れも)上手くなるもんだな」

と独り言を言いながら車を降りた。車を持った当初、ここの駐車場は我が家の駐車場と並び、初心者に厳しい駐車場の一つだった。

いつもは遠慮がちに入れるニンニクも、今日は迷わず3つ全部絞りに絞ってラーメンに入れる。コショウをガンガン入れて、グルグルかき混ぜて、一気に食べた。車だからビールが飲めないのがあれだが。

何となく気も晴れたか、やや爽快な気分で帰宅。途中でニンニク料理後に服用するのも買ってきた。

取り敢えず、今日はこんな休日だった。


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身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり - 2004年03月11日(木)

文芸春秋の4月号を昨晩コンビニで買った。目的は「250万人が読んだ芥川賞二作品の衝撃」と言う特集で、各界の人々が感想を述べている。斉藤孝や草野満代、関川夏央などが寄稿しているが、印象に残ったのは政治評論家と言うか田中角栄の秘書だった早坂茂三と、第一生命会長の櫻井孝頴(たかひで)である。

まず早坂茂三だが、二作に対して酷評に次ぐ酷評である。特に金原ひとみに対する評価は酷評と言うより憎悪の域に達しており、内容にしても「読んでいて苦痛なだけであった」と評している。

今回の「感想文」を書いている中では、比較的長い文を早坂氏は書いているが、その中身は自らの育ってきた精神環境に対して「堕落この上ない」内容の受賞作を嘆いているような感じである。取り敢えず、全感想文中、最も上っ面しか見ていない徹底振りで、どうにも要領を得ない。

特に金原ひとみの経歴に対する精神的・生理的嫌悪感をダラダラ書き連ね、金原ひとみの「がんばって生きている人って何か見てて笑っちゃう」に対して憤怒をぶちまけ、「これは倣岸不遜な人間観だろう。今は死語になった日本人の父祖伝来の相言葉に、『忍耐・努力・勤勉』があった。これを私は愛惜している。天空に羽ばたく彼女は知らんだろうが。」と、いつまで経っても何が何だか的を得ない。天空に羽ばたいていない俺だってあんたが愛惜してることなんざ知らんよ。忍耐・努力・勤勉は今でも死語じゃねえし。

最後に自分の好きな作家は山本周五郎と藤沢周平であると、どうぞご勝手にと言わざるを得ない的の得なさでダラ文を締め括っている。痛過ぎる。

一方の第一生命会長の櫻井氏。早坂さんとは年端もそれほど変わらない風貌であるが(写真から察するに)、こちらは打って変わって金原作品を賞賛している。

櫻井氏は映像文化が支配してきた現代社会に生きてきた人間としての金原作品の読まれ方を書いており、私自身はこの櫻井氏の記述に一々激しく首を縦に振ってしまっていた。何しろ、「確かにこの人が言うとおりに読んでたよ。」と思ったからである。

-蛇、ピアス、刺青といった活字を眼にしたとき、同時にそれらの映像も頭に浮かびます。
-ある決定的な場面で(刺青の)瞳を入れると言う筋立ても、極めて映画的です。
-場面の切り替えもテンポが良い。あらかじめ絵コンテでも作ってから書いたのでしょうか、一行あけるだけで、次の場面が遅滞なく繰り出されていきます。

そして、「読み終えたとき、切れ味の良い中篇映画を見終わったような快感を覚えました。」とまで書いている。確かに、これを読み終えた深夜、私は都内のミニシアターから、無名だが衝撃的な単館上映モノを見終わったような感覚に襲われていた、と言うより、この櫻井氏の記述を見て初めて、あのときの感覚はこういう感覚だったのか、と理解できたほどである。

さらに、私が最も共感出来る櫻井氏の記述は、

「『蛇にピアス』はテレビ化、映画化されるのでしょうか。して欲しくないですね。活字だけで充分映像が見える。」

と評しているところ。もう全くその通り。まさにこれが、私がビデオ屋で「トレインスポッティング」を借りない理由であると、この櫻井氏の記述でようやく気付いた。いつもトレインスポッティングは棚に置いてあるのに、他愛無いほかの映画を借りるのは、こういうことだったのか、と納得したのである。私が二作品を読み返したとき、「蹴りたい背中」は映画になると思ったが、「蛇とピアス」が映画化されても見に行かないだろうな、と直感的に思った。理由は、どんなに映像化を試みても、恐らく幻滅しかしないものしか出来ないと感じたからだろうが、自分の感じたことを上手く文章には出来なかった。

「映画化を前提にした小説は、昔から沢山ありました…(中略)…しかし、これらとは違う。コミックやアニメを下敷きにしたいわゆるサブカルチャー文学とも違う。これは、いわば映像文化に折合いをつけることに成功した新型小説です。」

保険屋の大将が何故こんなことを表現できるのか不明であるが、この人のこの観察眼と言うか感性は物凄い。書評じみたものを見て快哉を叫びたくなるのは殆ど記憶に無いが、この櫻井氏の感想文には脱帽である。

題名に揚げた小難しい「身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」は、上掲した二人が、奇しくもその感想文中で書いている言葉である。早坂氏はこれを以って金原ひとみを糾弾するように得意の上っ面攻撃で評しているが、櫻井氏は「この『孝教』の教えに意識が向かない」ほど金原作品に没入している。

早坂氏は1930年生まれ、櫻井氏は1932年生まれ。殆ど同年代でも、ここまで違うのかと、改めて驚かざるを得ない。時代背景とか世代の問題でなく、これは個性の違いで出てきたものであるんだろうな、と思ったりした。


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風邪ダウン - 2004年03月10日(水)

昨夕、夕方5時くらいか、会社で仕事をしていたらいきなりゾクっと来て、みるみるうちに節々が痛み始め、全身がむくんだような感じになった。と言う訳で、6時半には会社を出た。

帰宅後、検温すると熱は37.6度で、まだ引き始めである。ゆっくり療養生活をしている間もないので早く治すべく、薬を飲んで、9時には横になった。

発汗パジャマ替えを3回りさせて、今朝は平熱に戻った。一応午前半休はしたものの、午後は出社した。

本当に治ったのか微妙。今は病み上がり感が漂っている。

この季節、意外と用心が必要かも知れん。


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旧交詳細 - 2004年03月07日(日)

昨日は酔いが回りまくっていて、登場人物の紹介しかしなかった。少しは日記らしく改めて書くことにしよう。

この会は「神奈川会」と我々が勝手に呼んでいる会で、別に結成をしているわけじゃないが、実家が神奈川県内にある男が社会人になってからたまに集まる会になっている。とは言え、白石抜きですら3人が会ったのは玉木の結婚式以来である。尚、梅香には昨秋のドライブに一緒に行った。

今回の呼びかけは梅香である。最初は中華街でやろうと言う話になっていたのだが、玉木が「今回は中華街じゃないところで」と言って、私に「桜木町に穴場は無いのか?」と聞いてきたのである。私の回答は明快で、

「桜木町は野毛全体が穴である」

と言う訳で、野毛に決まった。

彼等は横浜在住が長いのに、まだ野毛で飲んだことが無いらしい。確かに、玉木は中学校から早実で、大学を卒業するまで都心に通っていたため、飲みの舞台も都内が多かったであろう。今は綱島の事業所にいるらしいが、その前も浜松町にいた。梅香は高校までバリバリ地元(金沢文庫)であったが、多分金沢で完結していたと思うし、飲み会をやる年頃には都心の大学に通っていて、やはりこいつも飲みは都心が多かった筈である。

そんな私にしても、実際野毛に足を踏み入れたのは会社に入ってからである。私は高校から都内であったが、飲み会云々は99%高田馬場で、それ以外の街は0.7%が新宿で、0.3%が渋谷だった。野毛などかすりもしない。

彼等のリクエストは「焼き鳥屋」と言う、二十代末期同士が土曜(休日)に行く店としては侘しいと言わざるを得ない嗜好であるのだが、この選択肢の野毛に対する適合具合はこの上ない好組み合わせで、逆にどの焼き鳥屋にするか迷うほどである。野毛には飲食店が数百店あると思うが、最も多いのは焼き鳥屋で、多分数十軒ある。

別にどこでもいいのだが、せっかく彼等にとって素晴らしい野毛への第一歩を踏ませるには、やはりそれなりの店で無ければならない。と言う訳で、私の周囲でこの辺詳しい人に聞いてみた。結果的に3軒の候補が上がったが、一番分かりやすい「益子」にした。ここは野毛にしては案外高い値段設定であるが、美味さは定評がある。どうせ都内の高い店で飲み食いしている連中だから、この位どうって事無いだろう。

土曜も仕事の私は会社から待ち合わせ場所の桜木町へ行く。誰も来ていなかったが、程なく梅香が桜木町の改札口から出てきた。梅香曰く、人が減ったね、とのこと。みなとみらい線が出来て、休日の京浜東北線は確実に客が減っている。

梅香が便所に行っている間に、玉木が地下鉄方面から来た。地下鉄で来たのか、と聞いたら、だいぶ前に来て野毛のあたりでパチンコをやっていたらしい。7,000円負けたとのこと。白石が勉強に集中してて本日は欠席のため、これで全員集合した。と言う訳で、野毛に向かう。

土曜の野毛には来たことが多分無い。その閑散具合と言ったら…。新聞で東横線の桜木町までが廃止になったことを受けて、客が減ったという話は聞いた。でも、野毛に来る連中は地元の会社に勤めるサラリーマンで、あまり関係ないと思ったが。

土曜はそんなわけか、零細な小料理屋などは殆ど店を閉めている。しかし、この飲み屋が密集する風情に玉木・梅香は中々感激している様子。目的地である益子は幸い開いていた。

店内は野毛では標準的な広さで、座敷席が4人用が4つ、あとはカウンターである。我々は座敷席の一隅を占める。最初はビールで乾杯で、その後は店の主人が「適当に」作る焼き鳥が来る。

大学院を出ている私と異なり、文系で学部卒の彼等は既に社会人6年目で、来春からは7年目である。とは言え、同期内最多の3度の転職をしている梅香と、まるで転職せず、その気配すら感じさせない玉木と言う具合で、一概に6年目と言っても各々ちょっと違う。今日来ていない白石は、昨年会社を辞めて、現在次の職に向けて勉強中など、それぞれ社会人として何らかの「節目」を経ているのが分かる。

この会を最初にやったのはあまり良く覚えていないのだが、記憶では数年前の「白石引越しの手伝い」が正式な第一回だったと思う。新井薬師から白石の実家である海老名まで、4人で手伝ったのである。以後、この4人のうち誰かが結婚すると、必ず残りの3人が「結婚式諸々の企画幹事」をしていると言う感じである。

とは言え冒頭の方で述べたとおり、そんなに頻繁に会っているわけじゃない我々(誰かの結婚式前は毎週会うが)。今回は8ヶ月ぶりの再会である。まあ、学生時代は通算500回以上会っているような気がするので、この8ヶ月と言うスパンは、移住して一旗上げた移民が祖国に久し振りに戻る、と言うほど長期間である。

そんな8ヶ月と言う長期間の空白期間があったため、最初は近況についての話が多い。しかし、カラオケボックスにいてしばらくすると「ザ・ベストテン」とかやっていた頃の歌を歌い始めるのと同じように、学生時代の話が混ざってくる。そりゃあ、500回会って共有している思い出の方が盛り上がるからだ。

対外的に活躍していた彼等であるが、話題はやはり部内での内輪話が多い。そりゃ内輪の連中だから当たり前だが、学外ではそれぞれ神格化すらされていた彼等ゆえ、それなりの部外の話もあるだろうに。

色々話していて、玉木が

「そういえばこの店の料理の味について言及してなかったけどさ、美味いねここ」

と言い、

「何かこの雰囲気(場末の焼き鳥屋風)で、このレベルのモノが出てくるとは思わなかった」

と感激している。うむ、どうやら野毛第一歩は良かったようだ。梅香も同様の反応を示している。

ビールを飲んだ後で焼酎のボトルを一本空け、最後は日本酒で締めた。ヘロヘロだったが、次は白石の祝勝会を、この野毛でやることだけ決定して解散した。

果たして奴等はしっかり帰れたのだろうか(私は帰宅成功)。


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旧交 - 2004年03月06日(土)

今日は大学時代のサークル同期と会った。私が所属していたサークルは、英語サークルである。一応紹介。

その一 玉木健太郎

カリスマディベーター。現役時代は国内屈指のディベーターとして、出る大会出る大会最優秀ディベーターかつ優勝と言う、やんごと無きレベル。

その二 梅香輝彦

カリスマディスカッサント。現役時代は国内屈指のディスカッサントとして、引退後もディスカッション界のご意見番として不動の地位を占める。

とか言いながら、今はただの呑んべえ。

それから、レギュラーメンバーがもう一人いるのだが、本日は欠席。

その三 白石裕彦

カリスマエンターテイナー。現役時代は部内屈指のエンターテイナーとして、出るエンタテ出るエンタテで話題を集中。そういえばディベーターで全国を制したこともある。

次は白石教員免許祝勝会である。


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