読書の日記 --- READING DIARY
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 狼の時 (上・下)/ロバート・R・マキャモン

『狼の時 (上)』/ロバート・R・マキャモン (著), 嶋田 洋一
文庫: 367 p ; 出版社: 角川書店 ; ISBN: 4042661025 ; 上 巻 (1993/12)
内容(「BOOK」データベースより)
砂嵐が吹き荒れる灼熱の大地。砂漠の狐ロンメルはヒトラーの望んだ戦利品・スエズ運河をめざしていた。勝利は目前だった。ところが、テントでの作戦会議を終えた将校たちは、緑色の眼をした黒い狼に襲われる。ほとばしる野性と冷徹な知性をあわせもつ獣はナチスの機密書類を奪い砂塵の彼方へ消えた…。ホラー小説を越えた新境地を切り開く異色長編。


『狼の時 (下)』/ロバート・R・マキャモン (著), 嶋田 洋一
文庫: 484 p ; サイズ(cm): 15 x 11
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4042661033 ; 下 巻 (1993/12)
内容(「BOOK」データベースより)
英国軍少佐として特別な指命をうけたガラティンは人狼だった。ロシアに生まれたガラティンは、革命の嵐の中、幼少にして天涯孤独の身となる。少年は、狼と人間の血を引いた人狼に拾われる。細菌に冒され、脳の中の野性が目覚め、肉体までもが変容する人狼。少年は過酷な試練に耐え、彼らに全てを学び、イギリスに渡った…。

※画像は原書 『The Wolf's Hour』/Robert R. McCammon


マキャモンの作品は、ほとんどがアメリカを舞台にしたものだが、これは珍しく、ロシアとヨーロッパが舞台となっている。時は第二次大戦中、ナチスドイツが力をふるっている頃。ロシアで生まれ、子どものときに人狼に咬まれたため、自身も人狼になってしまったガラティンは、イギリスに渡って英国軍に入り、スパイとなる。つまり、007と狼男を足したような話。

マキャモンの小説には、いつもはっきりとした善と悪が存在するが、ここでの悪は、とりあえずヒトラーなんだろう。しかしヒトラー自身は登場せず、ガラティンはナチスの極悪将校たちと戦う。

彼の他の小説では、主人公が個人的に善であると思ったことをやり遂げ、徹底的に悪を滅ぼし、最後にはヒーローとなるといった図式が多く、私もそういう話が好きなのだが、この作品では、主人公がスパイという性質上、命令によって動いているわけだから、主人公自身が善であるとは言い切れない。事実、狼になっているときのガラティンは、人を殺したくてたまらなくなるわけだし、一人一人の悪人を倒しても、ヒトラーという大きな悪を倒したわけではない。

というわけで、善悪ということは今回はちょっと脇に置いておくとして、狼男であるという苦悩もあるものの、ガラティンの超人的な活躍には胸が躍る。それにしても、年中敵と戦って大きな怪我をしているので、痛そうだなあと思わずにいられない。この場合ホラーとは、戦争時の人間の残虐さと、ガラティンの傷の痛みかもしれないなと。

いつものマキャモンとは違うという感覚がずっとあったが、全体としてみれば、すごく面白い話だったし、やっぱりマキャモンはページターナーである。


2005年03月31日(木)
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 マラマッド短編集 研究社小英文叢書 (201)/バーナード・マラマッド

『マラマッド短編集 研究社小英文叢書 (201)』/バーナード・マラマッド (著), 酒本 雅之
−: 130 p ; 出版社: 研究社出版 ; ISBN: 4327012017 ;
※NHKラジオ「原書で読む世界の名作」(4月─7月)テキスト

2005年03月29日(火)
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 スティンガー(上・下)/ロバート・R・マキャモン

『スティンガー〈上〉』/ロバート・R・マキャモン (著), 白石 朗 (翻訳)
文庫: 460 p ; サイズ(cm): 15 x 11
出版社: 扶桑社 ; ISBN: 4594006965 ; 上 巻 (1991/03)
内容(「BOOK」データベースより)
テキサスのさびれた鉱山の町インフェルノの郊外に空から巨大な黒いピラミッド状の物体が落下した。その異様な物体は紫の光を発し、町を外部から遮断する。内部から出現したのは"スティンガー"(刺あるもの)―この町に逃げ込んだ逃亡者"ダウフィン"を追って現れた第二のエイリアンだった。"スティンガー"は人間そっくりの分身をあやつり、"ダウフィン"の引き渡しを迫る。対決か、降伏か。閉鎖空間に展開する二十四時間の人間ドラマ。これこそモダンホラーの新時代を拓くマキャモンが放つ絶対の自信作だ。

『スティンガー〈下〉』/ロバート・R・マキャモン (著), 白石 朗 (翻訳)
文庫: 469 p ; サイズ(cm): 15 x 11
出版社: 扶桑社 ; ISBN: 4594006973 ; 下 巻 (1991/03)
内容(「BOOK」データベースより)
地球に不時着した逃亡者"ダウフィン"の引き渡しを迫る"スティンガー"は町の人間を一人ずつ殺しはじめる。日ごろ抗争をつづける白人系とメキシコ系、二つの不良少年グループは"スティンガー"に敢然と立ち向かうが―。異星生物の弱点とはなにか?人間たちと"ダウフィン"に勝ち目はあるのか?まるでハリウッド映画の面白さをすべて詰め込んだような、究極のホラー&サスペンス。「怖くて面白くてハラハラドキドキさせて、カッコよく泣かせる」モダンホラーの最新傑作がやってきた。

※画像は原書 『Stinger』/Robert McCammon
ロバート・R・マキャモンのコーナー


マキャモンを読み始めたら他はどうでもよくなってしまうので、マラマッド・プロジェクトもあるし、ユダヤ関連の本も読まなくてはならないしで、ここしばらくは「おあずけ」と思っていたのだが、つい魔が差して、手にとってしまった・・・やっぱりマキャモンは面白い!

どんなとんでもない不良でも、マキャモンの手にかかると、いつの間にかヒーローになっている。敵対する不良グループのリーダー、リックとコディ。どちらも実はいい奴で、自分を犠牲にしても、誰かを守り抜くタイプ。これって、どちらがヒーローになるんだろう?どちらもヒーローの資格がある。下巻ももうすぐ読み終えそうなのだが、結末がどうなるかわくわくして、どんどん進んでいく。

状況設定がキングの 『Dreamcatcher』 に似ていないこともないのだけど、それよりはるかに展開がスピーディだし、はるかに品がある。キングのは、もう勘弁してよというくらい場面が汚かった(言葉だけでなくあらゆる意味で)。マキャモンのほうは、たしかに汚い言葉も頻繁に出てくるのだが、その後に必ず、「そんな言葉はダメよ」という旨の発言がある。そういうところが、いつもマキャモンらしいと思う。キャラクターの設定上、そういう言葉を使わざるを得ないから仕方がないのだが、一応注意は促してあるという次第。

最近、面白くて、ドキドキして、途中でやめられないという本にお目にかかっていなかったのだが、久々にそういう本に会ったという感じ。お風呂の中で読んでいると、いつの間にかお湯が冷たくなっている。長風呂になる原因はマキャモンだったのだ。

マキャモンの描くヒーローは、けして偉ぶったりしないし、特に見かけがカッコイイわけでもない。時にはヨレヨレのおじさんだったり、死にかけている中年男だったりするのだが、だいたいが心の優しい人間で、自分がヒーローになるなどとは思ってもいないのだけれど、結局そういう人間が人を救うのだ。そういうところに、いつもぐっとくる。これは個人の好みもあるだろうが、マキャモンの描くキャラクターは、私の感覚にストレートに入り込んでくる。

まだ読んでいない作品もあるので、全部が全部そうだとは言えないし、これまで読んだ中で、共感できない主人公もいるにはいた。それでも、毎回マキャモンっていい人なんだなあと思わずにいられない。ホラー小説なのに、読後がすがすがしく、暖かい気持ちにさせる作家なんて、今のところ他には見当たらない。作品=作家ではないとは言うけれど、フィクションの場合、ある程度は作家の性格は現れると思う。

さて、ヒーローはリックなのか、それともコディなのか?と楽しみにしながら、結末にたどり着いたが、最終的なヒーローは、リックの父親カートなのかな?それまで、全然ダメな親父だったのだが、最後の最後に皆を救う役割。映画『インディペンデンス・デイ』で、自分の命を犠牲にしてUFOに突っ込む、あのダメ親父と一緒である。つまり、美しい自己犠牲の精神てやつだ。

そして、リックとコディは引き分け。これまでいがみ合ってきた不良同士だが、これを境に友情へと変わっていくのだろうという思いを抱きながら、それぞれの街に帰っていく。二人は立派な男になるだろうなという期待をさせながら。

ロバート・R・マキャモンの「R」は、リックである。他の作品にも、リックという名前が出てくるが、リックという登場人物に、マキャモンは自分を投影させているのだろうか?とも思う。巻末の解説には、次のようなことが書いてあった。

「マキャモンは、人間のうちなる善を信じている。「<悪い人>っていうのは、たんに救いの手立てが見つからないだけなんだ。たぶんこんな考え方はナイーブなんだろうけど、でもロマンティックじゃないか、そう思いたいね」とは彼の弁」

やはり、マキャモンっていい人なんだ!

2005年03月24日(木)
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 渇きの女王―ヴァンパイア奇譚/トム・ホランド

『渇きの女王―ヴァンパイア奇譚』/トム・ホランド
文庫: 585 p ; サイズ(cm): 15 x 11
出版社: 早川書房 ; ISBN: 4150408572 ; (1997/11)
内容(「BOOK」データベースより)
血液学を研究する医師エリオットは、吸血鬼伝説が囁かれるインド国境で、身の毛もよだつ体験をしたあと帰英した。ロンドンで診療所を開いたが、悪夢は故国までも追ってきた。親友の一人が血を抜かれてテムズ川に浮かび、もう一人が失踪したのだ。友の行方を追うエリオットは劇場支配人ブラム・ストーカーと知りあい、二人はヴィクトリア朝ロンドンを跳梁する吸血鬼の正体をさぐっていく。


内容は、上記のようなことで、インド生まれの吸血鬼がロンドンで暗躍するという話。とはいえ、これは病気だと考えられていて、主人公である医師エリオットは、なんとかその原因をつきとめ、治療法を見つけようとするのだが・・・。

スタイルは、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』と同じようなもので、エリオットの日記と、周囲の人間の手紙、さらにブラム・ストーカー(のちに『ドラキュラ』を書く)の手記といったもので構成されているのだが、ドラキュラのようなカリスマ的な魔人が登場するわけではなく、今いち迫力に欠ける。この話の吸血鬼の親玉は、インドの女神破壊神カーリーってことになるのだろうか?絶世の美女が何人も登場して男を誘惑していくのだが、そのあたりがお手軽すぎるという感じもする。ま、ドラキュラも似たようなものか。

しかし、先述のブラム・ストーカーや、オスカー・ワイルドなど、実在の人物も登場し、また本書の登場人物の大部分が、『ドラキュラ』の登場人物の焼き直しといった感じで、そのあたりはキム・ニューマンのヴァンパイアものにも通じる面白さがある。

『ドラキュラ』を読んだときは、怖い!怖い!と思ったが、これは全然怖くない。謎めいた心霊的な描写がないせいか?たしかに死んだはずの人間が生き返るのは同じなのだが、いつの間にか生き返っていたというわけで、実際に棺おけからは出てこない。心臓を狙って殺せば、すぐに死ぬ。インド出身の吸血鬼というのも、イメージ的にピンとこないのかも。

さて、さきほど実在の人物が登場すると書いたが、実は最後にあっ!と思わせる仕組みが隠されていた。女吸血鬼リラ(インドのカーリーであり、ギリシアではキルケ、ユダヤではリリスであるとされる時空を超えた不老不死の存在)のほかに、もうひとりルースヴェン卿という吸血鬼が登場するのだが(こちらのほうはドラキュラのイメージがある)、この紳士は、なんと、あの詩人のバイロン卿だったというのだ。バイロン卿が吸血鬼となって、延々と生き続けているというのだ。

さらに、主人公のジャック・エリオットだが、最後には女吸血鬼リラによって洗脳され、これまたびっくりの「切り裂きジャック」となってしまったのだ。そして、リラの呪縛が解かれた時、「切り裂きジャック」は消えたが、バイロン卿と同じ吸血鬼となり、苦悩を抱えながら生きていくといった次第。

ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』では、ヴァン・ヘルシング教授という善のヒーローが登場し、吸血鬼をやっつけるという顛末になっているのだが、この本にもヴァンヘル役とおぼしき人物はいる。インド人の巨漢フレー教授である。しかし、インド出身の吸血鬼もぴんとこないが、インド人の巨漢がヴァンヘル教授の役まわりというのも、全然ぴんとこない。結局、フレー教授は吸血鬼退治には何の役にも立たなかったし。

しかしこの本の面白さは、そうした読者への裏切りで成り立っているかもしれない。ストーカーの『ドラキュラ』を読んでいる人は、まずスタイルが『ドラキュラ』と同じことに気づき、さらに、これがヴァンヘルだな、などと思って期待する(あるいは、なんだ真似じゃないかと思う)のだが、吸血鬼はずっと生き残っているし、主人公は切り裂きジャックになってしまうし、ヴァンヘル役の吸血鬼の大家は何の役にも立たないというのがわかると、まんまと騙されたなと思い、思わずニヤリとなる。

また、エリオットと作中のブラム・ストーカーのコンビは、シャーロック・ホームズとワトソン博士のようでもあり、その謎解きの仕方も、ホームズそっくりである。そんなところも、ホームズ作品を知っている人なら楽しめる部分だ。

ちなみに、インド出身の吸血鬼はぴんとこないと書いたが、訳者あとがきによれば、学者や研究家の多くは吸血鬼発祥の地をインドだと主張しているそうだ。しかし、それはそれでいいが、どうやっても滅ぼすことのできない神のような存在として描かれてしまうのは、なんとも救いがないような気がする。「エイリアンVSプレデター」みたいなもので、どっちが勝っても「人類に未来はない」といった感じだ。吸血鬼をやっつけられないとしたら、いずれ地球は吸血鬼だらけになってしまうだろうに。

そこで、ドラキュラがエリザベス女王と結婚して人類征服を図るなんて話が出てくるわけだが、それはまた別の作家の話。それからの話はキム・ニューマンに譲ろう。

2005年03月20日(日)
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 158ポンドの結婚/ジョン・アーヴィング

158ポンドの結婚/ジョン・アーヴィング (著), 斎藤 数衛 (翻訳)
単行本: 327 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: サンリオ ; ISBN: 4387892099 ; (1989/08)
カバーより
本書は、ジョン・アーヴィングの三冊目の長編小説である。また、処女作『熊を放つ』と大ベストセラー『ガープの世界』をつなぐターニング・ポイントとも言うべき内容を蔵している。

歴史小説家である「僕」と、元レスラーのセイヴァリンは、あの青春小説の秀作『熊を放つ』の主人公であったグラフとジギーのもうひとつの姿である。ただし、彼らはもはや青春のヒーローではない。結婚もし、子どももいる。

「僕」には、ウィーンで数奇な育ちをしたウチという妻がいる。元々ウィーンに生まれ育ったセイヴァリンは、ヤンキー娘のイーディスと結婚し、今は大学でドイツ語を教えるかたわら、レスリングのコーチをしている。

「僕」とウチ、セイヴァリンとイーディス、この二組の夫婦の成り立ち、夫婦交換の物語を通して、後に「アーヴィングの世界」として定着するすべての現代的なテーマの萌芽が描かれる。ここには、あの『ガープの世界』の一章がある。

※画像は原書 『The 158-Pound Marriage』/John Irving


これを読みながら、元レスラーのセイヴァリンに、ガープやオウェンといったアーヴィング作品の主人公たちが重なってきて、このあたりがアーヴィングの原点なのかなと思ったりした。一方、語り手である「僕」は、ガープやオウェンといった特殊な人物の傍らにいて、それを見守り、読者に語っている人物、例えば 『オウエンのために祈りを』 のジョンといった感じに受け取れた。

アーヴィングも、元レスラー(プロレスじゃないよ!)なので、シポーツとしてのレスリングに関する記述はプロなみだが、レスリングってなんとなくエロチックだと思っていたら、やっぱりそういうところを捉えていたんだなと。

アーヴィング独特の「奇怪な世界」というのが、あまり見えていないような気もしたのだが、そもそもスワッピングという四角関係の題材自体が、「奇怪な世界」とも言えるだろう。そして「僕」の妻であるウチの数奇な育ちというのも、「奇怪な世界」の一種だろうと思う。

あとがきを柴田元幸氏が書いているのだが、その中で気になった部分を書いておく。

●人はたいてい、「日常」とは、それこそ日常的な出来事が無限にくり返される安定した退屈な世界であると考える。「日常」は波乱にみちた「物語」とは無縁であり、そのような「物語」などは虚構にすぎないというわけだ。だがアーヴィングからしてみれば、何も起こらない日常という考えこそが絵空事であり虚構なのだ。アーヴィングはしばしば、誰もが物語の解体をとなえる現代にあってかたくなに物語の復権をめざす作家であるといわれる。たぶんその通りだが、彼は「日常」から逸脱したところに「物語」を見出しているのではない。「日常」そのものが偶然と危険にみちた「物語」なのだ。

●「僕」の父親は、本を終りまで読み通すことができない人間である。「どんな本でも終りにくるとたまらなく悲しくなってな」というのである。「僕」の父親はけして肯定的に書かれた人物ではない。けれどこの一言だけは、たぶん、作者自身の思いを伝えている。

本の終りが悲しいのは、それが人生の終りに重ね合されているからだ(事実、「僕」の父親が死んだとき「僕」は「親父がやっと何かをし終えた」という)。アーヴィングの小説の結末もまた、どんな肯定的な終り方であれ、つねにどこか哀しさを帯びている。それは、逸脱しつづける「日常」の延長線上に確実に控えている死の影が、物語を浸しているからだ。

2005年03月15日(火)
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 Bad Boy/Olivia Goldsmith

Bad Boy/Olivia Goldsmith (著)
マスマーケット: 432 p ; 出版社: Signet ; ISBN: 0451204956 ; Reissue 版 (2002/01/01)
<内容紹介>
マリナーズがあって、コーヒーがおいしい。「全米で一番住みたい都会」といわれる街、シアトル。主人公の女性新聞記者トレイシー・ヒギンズは、毎週カフェで、地元IT企業に勤めるオタク系青年の親友(恋人じゃない)ジョンとのお互いの恋愛下手を告白する日常だ。そのジョンを「マイ・フェア・レディ」よろしくワイルドでカッコいいバッド・ボーイに返信させたトレイシーだったが・・・!意地の張り合い、すれ違い、迷走するロマンスの結末は?トレンディ&クールなノンストップ恋愛コメディ。


2005年03月10日(木)
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 竹内文書と月の先住宇宙人/飛鳥 昭雄

『竹内文書と月の先住宇宙人 超知ライブラリー (007)』/飛鳥 昭雄 (著)
単行本: 339 p ; サイズ(cm): 20
出版社: 徳間書店 ; ISBN: 4198619492 ; (2004/11/20)
出版社 / 著者からの内容紹介
竹内文書に記された超古代情報が最先端宇宙人情報から証明されるという驚くべき事態を伝える衝撃の書。


ユダヤ関連の本を検索していて、これはどうしても読まなきゃ!とわくわくしてしまったのが、今日読了した『竹内文書と月の先住宇宙人』だ。そもそも不思議な古文書「竹内文書(たけのうちもんじょ)」の存在は知っていたものの、一体どんなものなのかまるでわからず、常々内容を知りたいと切望していたのだ。

しかし、たとえ目の前にあったとしても、たぶん全然読めないだろう。なぜなら「神代文字」というハングル文字にも似た文字で書かれているからで、だからこそ偽書であるという汚名を着せられたりしているのだが、今回の本で、だいたいの内容はわかった。

古事記と日本書紀(合わせて記紀)は、神武天皇を始まりとする日本の国史がえがかれている(ということになっている)のだが、「竹内文書」は、さらにそれ以前、天照大神を祖とする神々が、宇宙開闢を行うところから書かれているのだ。ところが、「竹内文書」が世に公開されたのは、明治になってからで、これは詐欺であるとして裁判まで開かれた。それはなぜか?といったことが、あれやこれや書いてあるのがこの本だ。

で、これがどうしてユダヤに関係してるわけ?と思うのだが、目次には次のような項目もある。

「天照大神とイエスは「光」でつながる」
「血統的ユダヤ人と日本人のルーツは同じ!?」
「聖書と日本の古史古伝の驚くべき共通性」
「神道、天皇、そしてイスラエル」
「「籠神社」と『旧約聖書』をつなぐ謎」

などなど・・・。とにかく、日本人とユダヤ人は祖先が一緒ってことらしく、ユダヤ教=神道みたいな?で、神の国と地球の間(つまり月)には、超文明をもった本物の日本人が住んでるらしいってわけなんだな。だから宇宙人はモンゴロイドなんだって!ぢ、ぢゃあ、今ここにいる日本人は何者?(^^;

たしかにアポロ宇宙船によるUFOの写真なども多々あって、月に住んでいるというか、月を基地にしているであろう宇宙人はいるかもねと思ったりもするけど、それがまさか日本人だったとはねえ〜!人類に文明を授けた神はプレデターだったというのと同じくらいに笑える。

それに、「竹内文書」によれば、天照大神も神武天皇も、仁徳天皇も聖徳太子も、イエス・キリストも、全部同一人物だったらしいよ〜。それは、名前に同じ字が入っているからという理由なのだが、じゃ、私と同じ字が入っている名前の人は、みな同一人物なのか?ってことになっちゃいますよねえ。

「竹内文書」と月の宇宙人という組み合わせは良かったが、月にいるという宇宙人(日本人)の情報が少ないし、説得力に欠ける。でも、久々に「月空洞説」を見た。つまり、住むとすれば月の内部に住んでいるってことになるのだが、月が空洞だってことは、月震などから判断して、私もそうじゃないかとは思っているのだが、その中に「日本人」が住んでいるとは思わなかったなあ。

で、アメリカのロズウェルに墜落したUFOに載っていた宇宙人が、調べてみたらモンゴロイドだったので、モンゴロイドを軽蔑しているアメリカ人は、自分たちよりもモンゴロイドのほうが文明が進んでいるとは認めたくなくて、証拠を隠蔽しているらしいよ。しかし、なにしろ「竹内文書」では、日本が世界の中心らしいから、いくら隠蔽しても、いずれは・・・。

というか、キリスト=天照大神だから、キリストの再臨の時に、天照大神も現れるってわけで(多次元同時存在の法則というのがあるらしい)、そのとき初めて、世界の中心は日本であるということが明かされるわけ。

とにかく、このところ読書が遅々として進まずにいるのだが、久々に夢中になって読んだ。かなり笑わせてもらいました。でも、こういう本て大好き。古代の神々の名前を読むのが、かなりしんどかったけど。


2005年03月08日(火)
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 木曜日の朝、いつものカフェで/デビー・マッコーマー

『木曜日の朝、いつものカフェで』/デビー マッコーマー (著), Debbie Macomber (原著), 石原 まどか (翻訳)
文庫: 511 p ; サイズ(cm): 15 x 11
出版社: 扶桑社 ; ISBN: 4594039405 ; (2003/04)
内容(「BOOK」データベースより)
夫を亡くし孤独な日々を送る五十七歳の病院事務局長リズ、離婚した夫が許せないクレア、手芸洋品店を経営するジュリア、女優を夢見る若いカレン―四人は、ふとしたことから知り合い、毎週木曜日の朝にカフェで、近況を語りあう。年下の小児科医に惹かれるリズ、高齢での妊娠に動揺するジュリア、もと夫の末期ガンを知ったクレア、姉が家庭内暴力被害者と知って悩むカレン。四人の女性は励まし合い、支えあいながら、それぞれの解決を見つけていく。女性小説の巨匠が描く感動の人間ドラマ。


2005年03月03日(木)
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