読書の日記 --- READING DIARY
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 新版・指輪物語(9)王の帰還(下)/J.R.R.トールキン

ゴンドールに鷲の王が来たところで、話は指輪保持者フロドとサムのほうに移る。オークに捕らえられたフロドを救うべく、サムが孤軍奮闘。命からがらなんとか逃げ出し、再び滅びの山オロドルインに向かうが、フロドの指輪の重荷は日ごとに増して行く。水も食料もほとんどなく、力も尽き果てようかとしたその時、ようやく滅びの山の火口に着く。ここで指輪を火口に投げ入れれば、彼等の使命は果たされ、暗黒の力は滅びるのだ。

だが、またもそこに現れたゴクリ。ゴクリもまた疲れ果て、哀れな状態であるにも関わらず、ただ指輪の魔力に惹かれて二人の後を追ってきたのだ。だが、フロドもまた魔力に取りつかれてしまっていた。最後の力をふり絞って格闘するフロドとゴクリ。このとき、かの目が指輪に気がつき、おのれの敗北をさとり、暗黒の思念が揺らぎ始めた。オロドルインに急行するナズグル。しかしガンダルフの言った「ゴクリでさえも役に立つことがある」という言葉が、ここで現実のものとなる。

かくて指輪保持者の使命は果たされた。それは、おりしもモルドールで戦いの火蓋が切って落とされようとするところであった。しかしオロドルインの噴火で帰りの道は断たれてしまった。進退極まって、倒れ込む二人。まさにこのとき、ガンダルフとともに、再び風早彦グワイヒアがやってきた。暗黒の思念がぐらついたことに気が着いたガンダルフが、指輪保持者が目的を達したことを察し、すばやく二人のもとにグワイヒアを送ったのだ。

助けだされた二人を待っていたのは、王となったアラゴルンであった。彼は「癒しの手」で二人を手当てし、回復を待っていた。ゴンドールの王の戴冠式を行うために。

かくて戻るべくして戻ったゴンドールの王は、時の熟すのを待ち、夏至の日に、エルフの宵の明星アルウェン姫と結婚し、主だった人たちは、それぞれの道に戻って行った。セオデン王の遺骸は、セオデンの代わりにローハンの王となったエオメルの手によってローハンに戻され、そこでエオウィンとファラミアの婚約がなされた。

だが一方で、人間と結婚したことで、愛する父や兄たちと別れねばならないアルウェンの苦悩も忘れることはできない。エルロンドたちエルフ族は、中つ国を出、海へと出帆することになっているからだ。

[旅の帰途]
アラゴルンと別れ、ガラドリエルとも別れ、ガンダルフとホビットの一行は、裂け谷に到着し、エルロンドのところにしばらく滞在する。そこで懐かしいビルボに会い、しばらく楽しい夏を過ごすが、秋になり、いよいよホビット庄に帰る時がきたのを知る。ブリー村まで一緒に行くというガンダルフを伴って、故郷に帰る道すがら、フロドのけして癒えることのない傷が痛む。

ここまで来ると、中つ国の第3紀の終わりによって、エルフたちがこの地を去るであろうことが徐々に明らかになってくる。明記はされていないが、彼等は海を渡って、遠くに行ってしまうのだろうということがほのめかされている。この行く先は、アーサー王物語でのアヴァロンと同じ目的の地である。 そしていよいよブリー村に到着。出発してからすでに1年以上が経っていた。

[サルマン]
ブリー村(旧版では粥村)に到着したフロドたちを待ちうけていたのは、無法者により荒れ果てた村の姿。フロドの親戚であるロソが親方となって、何もかもが規則で縛られていた。しかし、その裏には、フロドたちをあざ笑うかのように、落ちぶれたサルマンと蛇の舌がいたのだった。

けれども今や歴戦の勇士となったメリーとピピン、それにサムも黙ってはおらず、ホビット庄の歴史において2度目の戦いとなる合戦を繰り広げ、無法者を退治し、サルマンも追い払う。が、サルマンは蛇の舌に、蛇の舌はホビット庄のものに射殺され、ここにすべてが終わる。

[灰色港]
こうしてホビット庄は再建され、サムはローズと結婚して袋小路でフロドと一緒に暮らし、再び平和な日々が戻ってきたが、フロドの傷はけして癒えず、時折発作に襲われるのだった。

そしてしばらくたった秋のある日、フロドは旅に出ることを告げる。一緒に出かけたサムは、海へと出帆するエルロンドやガラドリエルなどのエルフ達、ガンダルフ、そしてビルボとフロドを灰色港から見送る。エルロンドの指には「青い石のヴィルヤ」、ガラドリエルには「白い石のネンヤ」、ガンダルフの指には「赤い石のナルヤ」がはめられていた。こうして中つ国の第三期は、指輪とその所持者と共に終焉を迎えたのである。

[サム・ギャムジー]
この最後の巻では、サム・ギャムジーの存在が大きい。サムがいなかったら、フロドは到底目的を達することができなかっただろう。サムの献身的な主人への愛情(映画では主従関係がはっきりしないが)は、感動的だ。物語の最後は、サムが家に帰ったところで終わる。いかにも幸せで平和な絵だ。こういったことからも、この「指輪物語」の主人公はフロドだが、この巻においては、サムが主人公と言っても差し支えないだろうと思う。

[アラゴルンとアルウェン]
また本では、アラゴルンとアルウェンの関係は婚姻の時まで明かされていないのだが、映画では1作目からすでに明かされており、これが二人の関係を安っぽくしてしまっている。最後の最後まで待ちつづけ、耐えてきた二人の関係、永遠の命を捨ててまで、アラゴルンと一緒になろうというアルウェンの決心は、けして生やさしいものではないのだ。

[トールキンのことわりがき]
最後に、トールキンはこう言っている。「この物語には隠された意味とか「メッセージ」とかが含まれているのではないかという意見に対しては、作者の意図としては何もないと申し上げよう」。読者はただ楽しめばいいのだ。

「すべての読者の中でもっとも批判的な読者ともいえるわたし自身は、すでに大なり小なり多くの欠点を見いだしている。しかし幸運にも、この本を批判する立場にもなければ、書き直す義務もないので、ただ一点を除いては黙してこれを看過することにする。その一点とは、他の人にもいわれてきたことだが、この本が短かすぎるということである」


2003年01月31日(金)
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 新版・指輪物語(8)王の帰還(上)/J.R.R.トールキン

映画公開に合わせて復習、ではなく予習。なぜなら、映画はこの3部も微妙にとり入れているから。全ストーリーは知っているものの、どこまでが「二つの塔」で、どこからが「王の帰還」だったろうか、その境目が定かではない。

「二つの塔」はフロドとサムの話で終わっているが、「王の帰還」はガンダルフとピピンがデネソール(ボロミアの父)を訪ねるところから始まる。
映画のほうは、1部の「旅の仲間」もそうだったが、「二つの塔」もこれだけ読んでいればOKということではない。全ストーリーをカバーしていないと、おや?と思うところが出てくる。

もちろん、原作を読んでいない人もいるわけで、それはそれで単純に面白ければいいのだが、原作ファンとしては、これはあの部分と確認もしたくなる。

4度これを読んで、今更ながらに気づいたのは、間に「二つの塔」の戦いを挟みながらも、あのボロミアの死からたったの13日しかたっていないことだ。そんなものだったのか?その間にすごいことをやっているなという感じ。となれば、これだけの大長編なのに、ホビット庄を出発してから灰色港に行くまで、日数にしたら、ほんの1ヶ月くらいのことなのだろうか?と改めて驚く。

そして、ここからはさらに皆ばらばらになって行く。フロドとサムはもちろんのこと、ピピンとガンダルフはボロミアの故郷ゴンドールに赴き、デネソール侯の元へ。メリーはセオデン王の傍らにつき、馬鍬砦へ。そしてアラソルンの息子アラゴルンは、レゴラスとギムリ、ドゥナダンのハルバラド率いる北の国の野伏たち、エルロンドの息子エルロヒア、エルラダンを伴って、誰もが恐れる死者の道へ。

そしてこの頃、闇の勢力は力を増し、とうとう夜明けも訪れなくなった。 この死者の道、怖いです。屈強なギムリさえも尻ごみする暗闇を進む一行。うしろを振り向いたレゴラスが、「死者たちがついて来る」とつぶやく。う、うわー、怖い! しかし、いかにも王の世継ぎらしいアラゴルンのりりしい態度に、何度も何度も読み返してしまう私。古めかしい物言いも、「アイヴァンホー」のあとでは全然OKだし、むしろ現代の言葉使いより、さらに威厳が増していると思えるほど。実は私はこの3部が一番好き。アラゴルンが最もアラゴルンらしいからだ。

[第4章 ゴンドールの包囲]
この章のゴンドールとモルドールの合戦は、息継ぐ暇もないほど、緊迫した描写で、結果はわかっていても、どきどき、はらはらする部分。トールキンもここは一気に書き上げたのだろうと推測する。

ボロミアの父デネソールが、ファラミア(ボロミア弟)に、「お前が行けばよかったのだ」などと非情なことを言い、そのまま戦いに赴かせた結果、ファラミアは瀕死の重症で帰ってきた。自分の言動を悔いるデネソール。この父と子のやり取りにまた胸が熱くなる。

ここでの合戦にはアラゴルンもレゴラスもギムリもいないので、活躍するのは、ガンダルフだ。皆が恐怖に怯えるナズグルどもを追い払い、魔法使いの魔法使いたる堂々とした働きぶりは、やはりイアン・マッケランでは役不足だろう。

[飛蔭 : Shadowfax]
この巻の影の主役は、ガンダルフがローハン王から拝領した馬、飛蔭といってもいいかもしれない。堂々とした体躯、驚異的な俊足、そして、他の馬が怖じ気づいて尻ごみをする中で、飛蔭だけは恐れも見せずに敵に対峙する。ここにガンダルフがまたがれば、怖いものなし!という感じ。素晴らしい馬です。なるべくイアン・マッケランの顔を思い浮かべずに、もともと自分の描いていたガンダルフを思い浮かべようとするのだが、うまくいかない。イメージを固定させてしまう映像というものの悪影響だ。また映画の中の飛蔭は、ただの白い馬で、原作に描かれている馬には程遠い。これもがっかり。

[セオデン王とデネソールの死]
ゴンドールの執政デネソールは、敵の襲撃にもはやこれまでと、重症のファラミアと共に聖なる墓所に入り、自らの身を焼こうとする。セオデン王率いるローハンの到着で、一気に合戦も熾烈が極まるが、敵の前に倒れ名誉のうちに命を落とすセオデン王。そして若い騎士に扮装したエオウィン姫もまたナズグルを倒して自らも倒れてしまった。傍らに控えていたメリーも、同じくナズグルのために倒れる。

そしてとうとう死者の道を来たアラゴルンたち一行がハルロンドの船着場に、アルウェンの手で作られたエレンディルの旗じるしを掲げて到着。彼等の活躍で、とりあえず勝利をおさめるが、もはやデネソールの狂気は元には戻らず、火の中に身を横たえ、命を断ってしまった。危機一発でガンダルフに救われたファラミア。彼はデネソールの不幸を知らぬ間に、ゴンドールの執政となった。

そして、ファラミア、エオウィン、メリーは「王の癒しの手」によって、一命をとりとめる。だが、再び戦いが始まる。無数の敵に囲まれたアラゴルンたちの前に現れたのは、かの鷲の王、風早彦グワイヒアであった。

[王の帰還]
この巻はやはり個人的に一番好きかもしれない。セオデン王の死の場面は、何度読んでも涙が出る。そして、勇ましいエオウィン。彼女のその胸のうちにあるものを考えると、切なくて仕方がない。また小さいホビットたちの勇敢さにも感動する。

しかし、エレンディルの旗じるしのなんと高貴で力強いことか!アラゴルンの意志の強さにはただ感服するしかない。そしてデネソールの無念な死。このストーリーもわかっているのだが、ここで死ぬことはないのに、と毎回残念でならない。あれだけ非情であった父親であったのに、最後にはファラミアを愛していることに気づき、悔恨の念にかられるデネソールの気持ちにも涙。

ともあれ、合戦の場面はこの巻がクライマックス。全ての人が勇敢に中つ国のために力を合わせて敵に立ち向かう。だが、それにはガンダルフの策略があったのだ。かの冥王の目を指輪保持者に向けてはならない。そのために、数は少なくとも、できるだけ派手に戦いをしてみせる必要があったのだ。そして絶体絶命の時に飛来したグワイヒア。いつもいい時に現れる、あの鷲の王に拍手!


2003年01月30日(木)
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 カンパニー・マン(B+)/ヴィンチェンゾ・ナタリ+ブライアン・キング(原案)、小島由記子(著)

ごく普通のサラリーマン、モーガン・サリバン。平凡な毎日と口うるさい妻にうんざりしていた彼は、刺激を求めて産業スパイになることを決意する。巨大ハイテク企業デジコープ社の面接に合格し、ジャック・サースビーと名前を変えて、ライバル会社の盗聴を行う別の人間を演じることにかつてない興奮を覚えるモーガンは、一方で強烈な頭痛と奇妙な幻影に襲われる。

そこにリタという女性が現れ「盗聴任務なんて見せかけ。彼らはあなたを洗脳し、利用しようとしている」と謎の言葉を告げる。呆然とするモーガンの背後で、巨大な陰謀が動きはじめていた・・・。(カバーより)

<BOOK PLUS>映画のノヴェライゼーションなので、あまり期待はしていなかったが、ジェットコースターのような早いテンポに思わず引き込まれ、あっという間に読んでしまった。どんでん返しのあとに、またどんでん返し。そしてまた・・・。

最後に明かされる任務の内容に、女性ならニヤリ!とするかも。ハイテク技術で洗脳する部分が、シュワちゃん映画「シックスデイ」を髣髴とさせ、イメージ的にはSFなのだが、実は究極のラブ・ストーリーだったりして。。。面白かった。


2003年01月25日(土)
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 アイヴァンホー(下)/サー・ウォルター・スコット

ここからはノルマン人(フランス人)の横暴さが描かれていて、憤りを感じる。
欲にかられたノルマン人の貴族に捕らえられたセドリック(ロウィーナ姫の後見人)の一行。それを助けに赴く黒騎士、修道僧タック、そしてロビンフッド。そこには、セドリックと一緒に捕らえられたユダヤ人父娘と共に、アイヴァンホー(ウィルフレッド)もいた。

アイヴァンホーに恋するユダヤ娘のレベッカだが、当時はユダヤ人は非常に差別されており、いかにアイヴァンホーといえども、その気持ちに逆らえない。
にしても、ノルマン人のいやらしさ!下巻に入る前に、ひどいと思われても、これは事実であると、わざわざスコットのただし書きがあるほど。

[合戦]
さて、いよいよ合戦が始まり、ロウィーナ姫やアイヴァンホー一行が捕われている城を攻め落とす黒騎士&ロビンフッド。黒騎士の勇敢さもさることながら、お頭としてのロビンフッドの公平さが、ノルマン貴族の欲深さと嫌でも比較され、際立っている。

途中で捕らえたノルマン貴族に密かに正体を明かし、無罪放免にしてやった黒騎士。そのため、リチャード獅子心王はイギリスにいるという事実が広まり、王弟ジョンらは、なんとか王位をとろうと画策する。

この合戦の部分は、とにかく黒騎士がカッコイイ!これで下巻の半分まできたが、アイヴァンホーはいつ活躍するのだろう?武術試合で怪我をして、ずっと寝たきりなのだが。。。

[魔女裁判]
合戦のさなかに、御堂の騎士ギルベールにさらわれた、ユダヤ人アイザックの娘レベッカ。彼女は御堂の騎士団の拠点である修道院に隠されるが、団長の知るところとなり、異教の魔女として裁判にかけられる。

ユダヤ人というだけで汚らわしいとされる時代であったから、いかに無体な証言でも、全てがレベッカの不利となり、いずれ処刑は免れないところまできたが、決闘にて代表戦士を立て、勝てば助かるという望みも出てきた。

相対するのは、レベッカを不幸に落とし入れた張本人、憎きブリアン・ド・ボア・ギルベール。果たして誰がレベッカを救うのであろうか?ギルベールにかなうのは、リチャード獅子心王かアイヴァンホーより他にはないのだ。

いや、ドキドキする場面です。が、ここまで来るのに、偉いお坊さんのラテン語の説教とか、ギルベールの未練たらたらなスケベ心とか、いろいろあって、もう大変。にしても、好きでもない人の手にかかるくらいなら、処刑されたほうがまし!と言いきるレベッカの潔さ!これはちょっと感動もの。

[ロウィーナ姫は?]
この物語、アイヴァンホーとロウィーナ姫のロマンスかと思ったら、あれれ?結局アイヴァンホーはレベッカを助けに・・・?ぢ、ぢゃあ、ロウィーナ姫の立場は?ていうか、姫は何処に???

[下巻読了]
魔女として処刑寸前のレベッカの前に現れたのは、怪我もまだ全治していないアイヴァンホー。いかにユダヤの娘とはいえ、自分の命を助けてくれた恩人。どんなことがあっても助け出そうという気持ちで、ギルベールとの一騎打ちに臨むのだが、アイヴァンホーの槍の前にあっけなく倒れるギルベール。彼は自分自身の戦闘意欲の激しさのあまりに一命を賭したのであった。(ええっ!?脳卒中か?にしても、あっけない!)

そこに駆けつけた黒騎士(リチャード獅子心王)によって、御堂の騎士団の不正も正され、アイヴァンホーも父セドリックと仲直りをし、めでたくロウィーナ姫と結婚する運びとなった。

ロウィーナのもとを訪れ、どうぞご主人にお礼を言ってほしいと頭を下げるレベッカ。この礼儀正しく、清廉潔白なレベッカに、思わず涙してしまう。もちろんロウィーナに嫉妬の心があったのは否めないが、そこまで考えるのは「いささか詮索にすぎる」とスコットも書いている。

ともあれ、登場人物が魅力的であり、ドキドキはらはらもあり、エンターテインメントとしても一級品だと思う。面白かった。



2003年01月24日(金)
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 バリー・トロッターと愚者のパロディ/マイケル・ガーバー

やはり日本語になると、こうなっちゃうのね・・・という感じで失望は消えなかった。原書は結構笑えたのに(全部読んではいないのだが)、パロディの翻訳の難しさというのを感じる。日本語にしてしまうと、面白さが激減。

パロディは原作を愛しているがゆえに書かれるものとしているが、この翻訳者は「ハリー・ポッター」をあまり読み込んでいないような気がする。パロディは、目や耳からも楽しむものだから、全く違う音や、字面になってしまうと、どうしても面白さを伝えるのは無理なんだろう。しかし、原作の雰囲気くらいは漂わせてほしいものだ。

でも、これは単なるパロディということではなく、「ひとつのブームを形成するもの全体(ブームを生み出す側とブームに踊らされる側)に対する風刺」ということで、最後のほうは、ほとんどハリウッド映画への批判という感じ。つまり、映画だけで騒いでいるのではなく、ちゃんと原作を読みなさいってことを言っているのだ。

にしても、どうしてパロディというと、エロ・グロになっちゃうんでしょうねえ。。。もう少し原作に忠実な(?)面白いパロディが書けないものだろうか?って、そんな面白いものを書いちゃったら、ローリングが速攻でお冠でしょうね。今出ているパロディは、原作には似ても似つかないので、問題にされてないだけなんだろうな。



2003年01月22日(水)
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 アイヴァンホー(上)/サー・ウォルター・スコット

まずは、12世紀あたりのイギリスとフランスの歴史を念頭に入れながら、騎士たちの馬上試合を思い浮かべよう。

美貌の姫ロウィーナの前に、試合に勝って姿を現した「勘当の騎士」アイヴァンホー。彼は、ロウィーナが身を寄せる郷士セドリックの勘当された息子ウィルフレッド(ロウィーナに思いを寄せたため)であったというわけ。そしてアイヴァンホーを助けた黒騎士は、あの獅子王リチャードであった。

ストーリーはややこしくないが、書き込みが細かいし、和洋折衷の訳がなんとも奇妙で面食らう。武士貴族にさむらいとふり仮名がついていたりして。。。

[歴史メモ]
1066年、ノルマンディ公ウィリアム(一世・征服王)がイギリスに侵入し、ロンドンでイギリス王の王冠を市民から受けて正式の国王になった。その後、曾孫の代でリチャード一世が王位を継ぎ、獅子心王と呼ばれ、第三回の十字軍を起してパレスティナで勇名を轟かした。物語中の大きな人物の一人。帰国の途オーストリアのレオポルドのために捕らえられたが、第一回の身代金払込みで釈放される。弟のジョンは暗愚な王子だったが、父ヘンリ二世の寵を受け、後にリチャードの後を継いだ。しかし、物語の中でリチャードが一人の無名の騎士に変装して現れ、アイヴァンホーを助け、修道僧タックに会うというのは作者のフィクション。いわば、イギリスの「水戸黄門」話である。

[ロビンフッド]
王弟ジョンの催す武術試合では3人の人物が目立っている。アイヴァンホーのウィルフレッド、黒騎士、ロクスリーという郷士だ。ウィルフレッドは勝利の栄冠を得た瞬間に正体が現されるが、黒騎士のリチャード王はまだ誰であるかわからない。ロクスリーの方も正体がわからない。しかし、イギリスの読者には、このロクスリーと後で出てくる森の中の隠者が誰であるかは、名乗らずとも察しがつくことになっている。ロクスリーはロビン・フッドなのだ。隠者はロビン・フッドの一味修道僧タックである。両方とも伝説的に一般に親しい人物である。鮮緑色の上衣を着てシャーウッドの森を横行する無法者というだけで、あとは何の説明もいらない。だが、ほかのおとぎ話と違って、もう少し実在的背景がある。とはいえ、やはりあやふやである。

[読了]
英仏の歴史を勉強(?)しながら、やっと読み終えた。妙な翻訳も、今では逆に笑えて面白いし、物語もリチャード獅子心王やロビンフッドも登場してきて、だんだん面白くなってきた。特にリチャードと修道僧タックとのやりとりが面白い。この場面では、どちらも正体を明かしていないのだが、イギリス人なら誰でもすぐにこの二人だとわかるらしい。そしてそこに現れるロビンフッド。この3人が、誘拐された郷士セドリック(アイヴァンホーの父親)とロウィーナ姫たちを助けに向かうところで上巻は終わる。いよいよ冒険活劇っぽくなってきたところ。しかしこの時代劇風の翻訳。普通の言葉遣いにすれば、もっとページ数が少なくてすむだろうに。にしても、おのおの方とは。。。(^^;



2003年01月18日(土)
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 The Snow Spider/Jenny Nimmo

<The Snow Spider Trilogy>の1作目。
あまり期待もせずに読み始めたけれど(蜘蛛の絵の感触が不気味で嫌だったし)、なかなか面白いかも。
ただし、ファンタジー特有の、読みづらい名前が頻出。ファンタジーってどうしてこうなんだろう?ちなみに主人公の名前はGwyn。彼はGriffiths家に7世代ごとに現れる魔法使いらしい。。。

[行方不明の姉]
Gwynの誕生日は、4年前に姉のBethanが突然いなくなった日。その誕生日の日、祖母から「お前は魔法使いだ」と言われ、奇妙な贈り物をいくつかもらう。そこから不思議なことが次々に起こり始める。まずは突如空から降って来たような美しい蜘蛛。この蜘蛛が、Gwynに別世界を見せてくれる。でも、誰にも言ってはいけないと言われていたので、母親にも次々と嘘をつくGwyn。「言わない」のはいいとしても、「嘘をつく」のは児童書としてはよくないんじゃないの?と余計なことを考えてしまった。

[転校性]
誰にも言ってはいけないと言われていたのに、ある晩銀色に輝く船が(Gwynはスペースシップだと言うが)、空から降りてくると、Gwynはたまらずに、親友のAlunに話してしまう。それが学校中に広まり、Gwynは狂っているとからかわれる羽目に陥る。そんな時に転校して来た3人の孤児。その中の一人Eirlysと仲良くなったGwyn(ありがち!)。彼女は、いなくなった姉Bethanにそっくりで、「お前のせいでいなくなったんだ!」と冷たくしていた父親も(9歳の息子に対する仕打ちにしては酷すぎ?)、Eirlysを見て、次第に優しくなってくる。

[悪魔の馬]
ある日、蜘蛛嫌いの母親が、Gwynの蜘蛛(Arianwen)を排水口から流してしまった。祖母からEirlysには話してもいいと許しを得たGwynは、それに怒って、祖母の贈り物である壊れた馬を持ち出し、怒りをぶつける。するとこの世の終わりかと思うような、ものすごい嵐が!実はそれだけは絶対に持ちだしてはいけないと言われていた「悪魔の馬」だったのだ。嵐にまぎれて行方不明になってしまったEirlys。やっと探しだされてGwynの家で介抱される。ここまで読んでくると、どうもこのGwynは本当に嘘つきみたいだ。話してはいけない、持ちだしてはいけないと言われているのに、あとから「だって、僕知らなかったんだ」ととぼけてるし。。。

[EirlysはBethan?]
姉Bethanの部屋で意識を取り戻したEirlys。事の顛末を話しているうちに、Gwynは彼女が本当にBethanのような気がして、思わず姉の名前を呼んでしまう。すると「昔はBethanだったこともあるかもしれないけど、今はEirlysよ。もう二度とBethanには戻らないの」というEirlys。しかもBethanだった時に、どこか遠い宇宙のはてまで行ってきたらしい。ちょっと待ってー!宇宙人に連れ去られて、金星人になって戻ってきましたなんていうんじゃないでしょうねえ〜?

[読了]
やっぱりこれは3部作というだけあって、3作読まないと話がまとまらないようだ。親友Alunが行方不明になり、吹雪の中でGwynと同じものを見て、蜘蛛のArianwenを連れて戻ってくる。AlunとGwynの間はこれで安泰。Eirlysのおかげで父親との間も安泰。そして、遠いどこかに帰っていくEirlys。「だからどこなの〜!?」の答えが2、3作目というわけなんでしょうな。あれこれ疑問が残るのだが、ファンタジーだからね・・・。(^^;


2003年01月14日(火)
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 大いなる遺産(下)/チャールズ・ディケンズ

すっかり上流社会になじんだピップのもとに、幼い頃一番大好きだったジョー(姉の夫)が訪ねてくるが、その様子を恥ずかしいとまで思うピップ。そんな自分をもまた恥じ入る。

そんな折、奇妙な老婦人ミス・ハビシャムの招きで屋敷に赴いたピップが出会ったのは、美しく成長したエステラ。彼女に恋するピップだが、実は子どもの頃に出会ったときから、エステラを愛していたことに気づく。

下巻の冒頭は、エステラへの愛を募らせるピップの様子と、昔を忘れ忘恩の罪を犯す状況に終始する。

今更だが、主人公ピップはまだ遺産を相続したわけではない。しかるべき時に相続できる見込みがあるというだけなのだ。現時点では、21歳になった時点で、年500ポンド支払うという取り決めがなされたものの、まだ相続できると決まったわけでもなく、その遺産が誰のものかも知らされていない。

ところがある日、とうとうその相手が現れた。プロヴィス氏である。と言っても誰の事かわからないだろう。それは、ピップに幼少時代をまざまざと蘇らせ、恐怖と憎悪を与える相手だった。彼は「紳士」を「所有」するという考えのもと、血のにじむ思いをして、財産を作ったのだ。だが、いくら断ろうと思っても、今やピップはその恩恵を十二分に受けてしまっているし、働く術も学んでいないのだ。

こうしてピップの苦悩が始まり、同時に、遺産相続の賜物であると思っていたエステラは、何の関係もないことに気づき、愕然とするのだ。 この章で読者は、まさかあの人が!という思いにとらわれ、一体ピップはどうなることか、遺産は相続できるのだろうか、と気になり、さらに物語に引き込まれる。そして、これまでの出来事が、どれも無駄になっていないディケンズの筋立てに、さすがと思わずにはいられない。

「最高傑作である」というたくさんの評価に捕われていて、正確な判断ができないような気がするのだが、主人公ピップは「大遺産相続の見込み」をもってしても、けして幸福な人生を送っていない。expectationsは、「(相続の見込みのある)遺産」という意味と「期待」という意味がある。遺産と同時に、ピップのいくつもの期待を表している。


2003年01月10日(金)
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 大いなる遺産(上)/チャールズ・ディケンズ

ディケンズの3大作品と言われるもののひとつだが、会話部分の翻訳に違和感があって、ちょっと苦戦。これは無理しても、原書にあたるべきではなかったろうか?

暗く、寒く、じめじめとした墓場から始まるこの物語。さまざまな出来事を経て、誰ともわからぬ人から遺産を相続するということになった孤児の主人公ピップ。いよいよ遺産を相続するためにロンドンに向かうピップだが、ずっと優しく接してくれた姉の夫ジョーをはじめ、これまで世話になった貧しい人たちを恥ずかしく思うようになる。

きれいな服を拵え、ロンドンへと向かったピップ。そこで今後世話になる人の息子のところでしばらく過ごす。テーブルマナーなどを注意されるが、それでも上流社会に入るうれしさが勝って、有頂天になる。上巻の最後の頃になって、やっと事が動き始めた。

登場人物それぞれが濃いキャラクターで、誰だっけ?と思っても、すぐ思いだせるほどなのはすごい。ディケンズのユーモアというのが、今ひとつはっきり掴めないのだが、感覚のせいなのか、翻訳のせいなのか、まだ定かではない。


2003年01月04日(土)
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