読書の日記 --- READING DIARY
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 To Kill A Mockingbird/Harper Lee

主人公スカウトの目を通して描かれた、アラバマ州メイコーム(架空の町)の人々の暮らしや、人種差別の実態。父アティカスと兄ジェムとの絆の深さ。人間とは、家族とはどうあるべきなのか?といったことを考えさせられる。

エピソードごとに感動して胸がつまり、ページがぼやけてくる。素直なスカウトの心と、誠実で責任感の強い父アティカスの態度、大人になろうとする兄ジェムの頼もしさに、いつしか引き込まれ、一緒に泣いたり笑ったりするようになる。

最も大きな人種差別というテーマは、全編を通じて流れており、「相手の身になって考えること」という大事なことを教えてくれる。お化け屋敷の住人である、ブー・ラッドリーの視点に立った時のスカウトは、そのことを身をもって知る。何度読み返しても、新たな感動を呼び起こす、素晴らしい作品。

私はたまにしか「お薦めの本」というのは紹介しないのだが、これはそういった本の中のひとつ。何度読んでも感動。深くて濃い物語。
じっくり味わって読み、父アティカスの言葉を胸に刻み、ジェムやスカウトの成長とともに、人間のあるべき姿を考える。こういった「急いで読んではいけない本」が、たまにある。そういった本は、間違いなく名作だと思う。

人種差別の大きなテーマの中で、父アティカスの正義感と強さに、息子ジェムと娘スカウトが、尊敬の念を持って対応している姿に、現在では数少ない親子の信頼とか絆といったものを見ることができる。

子どもたちは、大人の人種差別の中で、何が正しいのか、何が間違っているのか、それぞれの視点で見ていく。「絶対に正しくない」こう言えるのは、何のしがらみもない子どもだからだという大人の諦めも見えて、世の中の理不尽さに身震いするほどだ。しかし、スカウトが謎の隣人ブー・ラッドリーの視点に立ったとき、彼女は世の中のことを悟り、人の立場に立って考えることの重要さを、私たちに教えてくれる。



2002年10月29日(火)
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 ハリー・ポッターと炎のゴブレット(上・下)/J.K.ローリング

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『Harry Potter and the Goblet of Fire』(邦題予定『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』)でローリングは危険と歓喜を表裏一体に描きだしている。次々に登場するドラゴンや屋敷しもべ妖精たち、命をかけた挑戦の数々。いまや14歳となった孤児の主人公がマグルの親戚を離れてホグワーツ魔法魔術学校に戻れる日まで、残すところ2週間となっていた。そんなある晩、ハリーは不吉な夢を見て、稲妻形の傷が激しく痛みだす。彼は不安になり、人目を忍んで生きている自分の名づけ親、シリウス・ブラックに連絡を取る。幸い、今シーズン初のスポーツイベント、クィディッチ・ワールドカップを観戦できる喜びで、ハリーはヴォルデモード卿とその邪悪な手下、デス・イーターたちが殺しをたくらんでいることをしばらく忘れることができた。

さあ、巨大な透明マントを投げかけて、物語のもっと先をのぞいてみよう。すると見えてくるのはただ、「あの人」がハリーを狙って動き始めたこと、そして今年は、グリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルバフ、スリザリンの間でクィディッチ・マッチが行われないということだけ。だがその代わりに、ホグワーツ校とほかの2つの魔術学校── おしゃれなボーバトンズ校と冷淡なダームストラング校── とで、3魔法使いトーナメントが開催されるという。各学校の代表に選ばれた者が3つの究極の試練に立ち向かうことになっている。はたしてハリーは幸運な挑戦者となることができるのか?

しかしクィディッチ・ファンの読者もがっかりすることはない。今回はこの最高のゲームをワールドカップのシーンで楽しむことができる。マグルに変装した10万人の魔女や魔法使いが「じゅうぶんにさびれた荒野」に集合する。ローリングはいつもと変わらぬ魔法の手さばきで細部を描き、生き生きとしたコミカルな世界をつくりあげている。突拍子もないのはたとえば観客のテント。生きたクジャクをつないだ小宮殿もあれば、塔をいくつも備えた3階建てもある。売られているスポーツグッズもすごい。「選手の名をキーキー叫ぶバラ飾り」や「本当に飛ぶファイヤーボルト(高価な最速のほうき)の小型モデル」、「得意げに手のひらの上を歩き回る、集めて楽しい有名選手の人形」などなど。

もちろん、両チームもそれぞれに強烈な個性がある。たとえば各チームのマスコット。ブルガリアチームのマスコットは、だれもかれもを魅了して一瞬のうちに自分たちの味方に引き入れる美しいヴィーラ。アイルランドチームの応援者までがたちまちヴィーラに夢中になる。しかしアイルランドも負けてはいない。大勢の小さな応援団が自ら打ち上げ花火となって舞い上がる。「レプラコーンたちは再度空中に飛び出すと、今度は巨大な手となって、フィールドの向こうのヴィーラに宣戦布告のサインを送った」

シリーズ4作目が出版されるずっと前から、ローリングはこの作品がこれまでになく暗いストーリーだと予告していた。たしかにこの作品は、読者を笑わせた次の瞬間にはかならずハリーの命を脅かし、読者を不安にさせている。物語の奥深くには危険とともにさまざまな感情が潜んでいるのだ。とはいえ、ローリングは新しい愉快なキャラクターも登場させている。たとえば、闇の魔法使いの追手、アラスター・“マッドアイ”・ムーディ。彼は年をとって妄想症になったとかならないとか。それからネタを探してホグワーツ校をゴキブリのように忙しく動きまわるリタ・スキーター(この日刊予言新聞のスクープ探し屋が愛用する「コメント速書きペン」は、純粋そのもののコメントも、脚色のひどいゴシップ記事に変えてしまう)。

強烈な印象の残るエンディングで、ローリングはいくつかのプロットを未解決のまま残し、5作目につなげている。これを読むと、ひょっとすると著者自身にもヴィーラの血が流れているのでは、という気がしてくる。彼女のペンは、彼女の世界を完璧にする魔法の杖なのかもしれない。


とまあ、Amazonでしっかり解説してくれているので、今更私が何も書くことはない。シリーズ中、最もエンターテインメント的。なので、素直に面白い。
でも、ハリーの友人の死とか、「例のあの人」の復活とか、暗い部分は胸がつまる。特に、私はセドリック・ディゴリーが好きだったのに・・・。



2002年10月26日(土)
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 ふたりのアーサー〈1〉予言の石/ケビン クロスリー=ホランド

物語の中に「ハロウィーン」が出てくるので、この時期に読んでみた。100もの章に分かれており、話が散漫な印象。3部作の1巻目なので、結末うんぬんは先の話になるが、主人公のアーサーと伝説の王アーサーとの関係がどうなのか、時々入り乱れてしまっている。ファンタジーなのに、マーリンにもらった石の中に見る世界以外は、まるでファンタジーらしくなく、退屈。登場人物にも魅力なし。すでに2巻目が出ているものの、おそらく読まないと思う。

翻訳が「BJの日記」の亀井よし子氏なので、かなり期待していたのだが、会話部分など統一感がなく、期待はずれ。この手の物語の翻訳は不向きのようだ。

児童書ではあるが、無理やり子供向けに訳すと、どれもこれもつまらなくなってしまうのはなぜだろう?ハリポタの成功は、無理に子供向けに訳していないところにあると思う。ハリポタ人気にあやかろうとするなら、まずはそのあたりから考えて欲しいものだ。


2002年10月14日(月)
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 心地よく秘密めいたところ/ピーター・S・ビーグル

「ぼくは死んでるんです」「分かってますよ」小柄な男はやさしく言った。墓の下の自分の身体にさよならを告げ、彷徨っていたマイケルが出会った生者。ここはニューヨークの巨大な共同墓地。男は言う。死者はしばらくの間とても孤独で怯えていて、話相手を求めてます。わたしはお手伝いをしてあげたいんです。チェスをしたり本を読んであげたり。ほんの束の間ですけどね。やがて彼らは、何もかも忘れてどこかへ漂って行ってしまうから・・・そうやって男は、19年間墓地で暮らしてきたという。生と死の間をほろ苦く描いた都会派ファンタジーの名作。(扉より)


ディケンズやモームの文庫と一緒に買って、そのまま手を付けずにいた本。幽霊ものなので、10月のハロウィーン月間を機に、読んでみた。タイトルだけは以前から知っていたが、内容はまるで未知。しかし個人的には、ディケンズやモームといった正統派の文豪と一緒に買ったのが、そもそもの間違いであったと気づいた。

作者は19歳で、おそらく彼の感性は素晴らしいものなのだろうし、19歳でこの話を書いたということは驚きに値する。だが、やはり19歳でしかないのだ。ディケンズやモームと比較するのは、はなはだ可哀想ではあるが、こういった文学の巨匠たちと比べると、やはり薄っぺらな感じがする。物語の起承転結や、それぞれの登場人物が出会う必然性といったものが、何も感じられなかった。

そもそもジャンルが違うだろうとは思うが、書く力、読者を引き寄せる力というものは、どんなジャンルの作家でも共通であると思う。良く言えば詩的と言えなくもないが、個人的に詩的な描写には退屈してしまうので、これはもう、いいとか悪いとかではなく好き嫌いの世界で、私は嫌いだとしか言いようがない。

しかし19歳の少年が、なぜ、こんな物語を書こうと思ったのか。答えは次のようなことだった。

「作家に、昔の作品のことを尋ねるのは、残酷なことだと思わないかい?」

ビーグル自身も、未熟であったと感じているに違いない。



2002年10月12日(土)
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 水の子どもたち(上・下)/チャールズ・キングズリー

<上巻>
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煙突掃除の少年トムは教会にいったこともないしいつもススでまっ黒げ。仕事にいったお屋敷でぬすみのうたがいをかけられ遠くへ遠くへ逃げていく…。

<下巻>
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川の中にはいっていったトムは水の子に生まれかわった。妖精にみちびかれていろいろな冒険や体験をしたトムはやがてりっぱな人となって陸にかえってくる。


イギリスの古典ファンタジーの名作ということで、かなり期待していたのだが、全然面白くなかった。「教訓なんてなにも書いてない」とキングズリーは書いているのだが、全編ほとんど教訓だらけ。ファンタジーというよりも、ノンセンス文学のような趣もあって、ノンセンスの感覚が全く面白くないし、全部外してるなという感じ。時代の差?

2002年10月06日(日)
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 Dimanche Diller ─ A galloping story of escape and adventure/Henrietta Branford

裕福な両親の突然の死で、意地悪なおばさん(実は他人)に引き取られるDimanche Diller。そのおばさん(実は他人)が、あらゆる意地悪をして、Dimancheの両親の遺産を奪おうとする。

どこかで聞いたことがあるような・・・。
そう、レモニー・スニケットの<不幸な出来事>シリーズである。それよりもこちらのほうが先にでているのだけれど、かしら文字を合わせる名前のつけ方とか、孤児になっていじめられるシチュエーションとか、ほとんど一緒。

けれども、こちらはやはりお子様向け。スニケットのほうは大人が読んでも十分面白いが、これはちょっと物足りない。それに、いじめられる設定はかわいそうだが、そこにユーモアがない。

最後に助けてくれる人が現れて、ああ、よかったねで終わり。たしかに小さい子どもが読むにはこれくらいのほうがいいかもしれないが。


2002年10月05日(土)
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 SINGLETONS DIARY 頑張って生きてます、アタシ。

これは何も言うことありません。自分の日記が載ってる本。
最初はデジタオで、本屋にも置いてもらえない同人誌みたいな形で出版されたのを、扶桑社が内容を変えて、新たにちゃんと出版したもの。よかったら読んでみてくださいね♪って感じです。


2002年10月04日(金)
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 ヒャクニチソウの満開の下/ミシェール・リー・ウエスト

「南部テネシーを舞台に、過酷な運命をしたたかに生きる3世代の女たちを軽妙なタッチで描いた長編小説」
1932年のある夜、ミス・ガシーは幼い娘ドロシーを守るため、侵入した男を銃で撃ち、まだ息のあるその体をヒャクニチソウの下に埋めた・・・。
命をかけて守った我が子は、しかし、頑固で優しさのかけらもないような娘に育っていく。頭を悩ませるミス・ガシー。一方、母親の愛への飢餓感を持つドロシーは、ミス・ガシーの気を引くために奇妙な言動を繰り返し、次第に周りから孤立していく。目に見えない狂気は、ドロシーだけではなく妹クランシー・ジェーンにも忍び寄り、ミス・ガシーを取り巻く女たちは、次々と数奇な運命をたどることになる。(カバーより)

母、娘、孫娘と3世代にわたる女たちがそれぞれの目から見た生活を語るという形式で、それぞれがどのようにして、どのように関わりあって年月を重ねていったのか、克明にわかるようになっている。その3世代の家族全員を知っている黒人メイドのクウィーニーの語りも加わり、さらに多様さを増している。

殺人、自殺未遂、レイプ、乳幼児突然死、人種差別・・・とエピソードには事欠かない。登場人物それぞれに強烈な個性があり、どの語りにも引き寄せられるが、悲惨という意味では、ミス・ガシーの娘ドロシーが最も悲惨で悲劇的な一生を送るのではないだろうか。

母の愛を求めながらも、結婚して、夫や子どもにそれに代わるものを求めようとするドロシーだが、愛情の勘違いはどんどん大きくなり、ついには取り返しのつかない事態にまで陥る。

「あの太った醜い女は誰?」と母親に言われるとは、なんて不幸なのだろう。ミス・ガシーに愛情がないわけではないのだが、母親だけは子どもを無条件に愛してくれるものと思っていたのに、なんという打撃!ドロシーはけして好ましい人物ではないが、同情を禁じえない。



2002年10月03日(木)
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