空色の明日
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2015年12月31日(木) 大晦日に

今年の言葉。
「生命」

今年は祖母が96歳で亡くなりました。
生きるということ、命を全うするということ。
私の年齢分しか一緒に生きていないけれど
その45年間に彼女から教わったことは
父のそれとはまた違い、時代の流れのなか
女性として生きた先輩としてその命の力と
強さと優しさと人としての誇り。
そして何より周りの人を煩わさず
最後の最後まできちんと生きようとしたこと。

そんな彼女の生き方を見送った後に
自分の体がいつまでもは同じではいられないという
物質としての自分の体の現実に直面し
命を生きることの意味を
もうこれからは目をそらさずにきちんと考えようと
そういう転機となった1年でした。

そして今日、今年最後の日に
職場や家族やたくさんの人に支えられて
病気になる前と変わらない日々を維持させてもらって
そのことに心から感謝しています。

まだ自分のことで精一杯で何も返せないけど
来年からはきちんと自分を生き
きちんと人とのつながりを大切に生きようと思います。
そんな大晦日です。


2015年12月27日(日) マイクロポアテープの貼り替え

退院後1週間から週に1回傷口のテープの
貼り替えが始まります。
3か月間は貼り続けるようにとのこと。

もともと傷口についていたのは
手術時に貼ってもらった2ミリぐらいの細いテープで
縫い目と縫い目の間に縫い糸と交互に貼ってあったもので
それは細いのでたやすくはがれたのですが
それでも傷口のかさぶたがはがれたりしないように
このはがし方も上下をまずはがして一番最後に
傷口のところを前へ引っぺがすようにはがしてくださいと
かなり丁寧に教えてもらっていました。
なので一番ドキドキの1回目は上手く剥がせたのですが
そのあとに初めて自分で貼るのがかなりやっかい。

これからは傷口が見えないように3センチくらいにカットした
何枚かのテープを斜めにうまく重ねながら
(傷が曲線のため)
傷を全部テープで覆います。
あごを引き気味にして貼るようにとのことで
鏡はテーブルなどに置き下を向いた状態で貼るとのこと。
これがなかなかできない。
でもなんとか貼りました。
テープ同士が重なったところはペラペラなるけど
肌についているところの粘着力はあるので問題なし。

っで、次の週にこれをはがすときですよ、問題は。
前回の細いテープと違い今回はがっつり全面貼ってるし
まだかさぶたは残ってるしでどうしたら一番
ダメージ少なく剥がせるかなと思い
私は絆創膏のかんじで濡らしたほうがはがれやすいかと思い
お風呂に入って濡らしてから取ろうとしましたら
これ、水に濡れると粘着力が増してネッチャリとはがれません。
そして肌に粘着部分が残ってしまう。最悪です。

石鹸で洗おうとしましたがゴシゴシしてはいけないので
結局あまりきれいに洗えないまま次のテープを貼りました。
そしてまた次の週。
前回の反省点を踏まえ、お風呂に入る前にはがしたら
やっぱり乾いた状態の方がずっときれいにはがせます。

そしてはがしてからテープをしてない状態で
術後初めてのテープなしを満喫しようと
ちょっと炬燵でテレビ見たりしてたのですが
だめだ〜、なんか落ち着かない。

テープなしではやっぱり「ほとんどクビなしニック」の気分で
首が心もとない。
テープで支えてることでやっぱり力加減でもサポートされてる。
3か月って意味もなんとなくわかる。
かさぶたはだいぶへってきたけど触ると傷がぽこっと膨れてる。

体質的にけっこう傷が残るほうなんですけど
ほんとにこのテープでよかったんだろうか。
先生が「これでいい」っていうからそうしたけど。
そしていとこが「かゆくて仕方ないからお勧めしない」といったから
そうしたけどそれでよかったんだろうか。


2015年12月23日(水) 薬のこと、声のこと

チラーヂンSを飲み始めて感じること。
今までとの変化など。

私の場合、手術前は体がだるくて
気力が出ない、頑張れないなどの
どっちかというと甲状腺ホルモンが
少ない感じの症状が多かったのですが
術後は気力がある。
あり過ぎる。
あることに久しく慣れていないので
どこまでもやれると錯覚しがちになる。
あげく実はものすごく体が疲れてたりする。
でも気力はあいかわらず元気だと錯覚してる。
というかんじ。

ホルモン出過ぎに近いような状態じゃないかと。

がんの人の場合はチラーヂンの量を多めにするそうなので
そのせいかもしれないし
もしかしたら今までが少なめで
今がいい状態なのかもしれない。
(数値としては病気とは言えない範囲だったので
とくに治療もしていなかった程度だけど)
どちらにしても気力が前よりあるのはいいことだ。
ただ体力と気力のバランスに慣れていかないと。


仕事で電話をするとちょっと声を張って喋るので
とたんに声がかれる。
なるべくかれないように今までよりかなり低いトーンで
電話に出るのでお得意さんにはちょっとびっくりされる。

昨日テレビで歌番組を見ながら一緒に歌おうとしたら
あまりに声が出なくてびっくりした。
これかぁ、出ないってやつは。
1曲はおろか1フレーズも歌えない。
油の切れた機械のようなかんじ。
今まで滑らかに動いていたのはなんだったの?というくらい
同じ感じで声を出そうとしても出ない。

けれどこれもリハビリと一緒で
出さないでいるよりどんどん出せる範囲から
少しづつ出していった方が出るような気がする。
電話の低いトーン喋りがまさにそれ。
低ければ結構長く喋れるようになった。

それから寝るときに今までは横向きから
体を手で支えてしか寝起きできなかったのが
上向きのまま寝ることがだいぶできるようになった。
これは大きな進歩だ。
首の痛みが消えた証拠だと思う。
いままでは首がもげるんじゃないかという感じに痛かった。
(ハリーポッターのほとんど首なしニックみたいなかんじ)
治ってきてる!
と同時に首の筋肉が動かせるようになってきてるのだろう。


食べたり飲んだりすることはもう難なくできるようになった。


2015年12月20日(日) 術後の経過

手術から2週間たちました。
退院後1週間で出社してみましたが、初めは調子よく
一日過ごしたのですが翌日になったら喉の腫れが
今まで毎日少しづつ引いてたのに逆戻り。
これはまだだめってことだなと思いあと2日お休みをもらい
週末の2日休みを加えて4日休みました。
いよいよ明日からまたちゃんと出社。
(というか、20日締めしないといけないし)

今まで日にち薬と思ってましたが、そろそろ
このあたりからはそれもトーンダウンして
3か月とか半年とか1年のペースで回復を
見ていかないといけない域に入ってきたのかも。
喉の圧迫感はよくなったり悪くなったり。

あまり喋るとそのあと圧迫が強くなるとか
一晩寝て起きると圧迫感が強いとか。
そんな感じが続いてます。
表面的な傷はずいぶん治ってきているけど
まだまだ傷としてはしっかりかさぶたも残ってるのだから
中の甲状腺があった場所も同じような感じなのだろうか。
あまり動かさないと癒着するかなと思い
思い切って自力整体に行ってみた。
先生もあまりに早く復帰したのでびっくりしながら
「くれぐれも無理ない範囲でやってね」と。

けれど、やったあとものすごく喉の調子がよいです。
圧迫感がいままでで一番引いた感じです。
首や肩の血液やリンパの流れがよくなったからかな。
そして以前からずっと自力整体で教わってたのは
患部を直接刺激するのではなく離れた場所が
影響する場合もあるということ。

たとえば中指をストレッチすると背骨や首などが
緩んで寝違えなどが治りやすいとのこと。
さっそく病院で習ったストレッチに加え自力整体も
こまめにやることにしました。

思えば術前ぎりぎりまで自力整体をベッドで
やっていたおかげか、術後のコリがほとんどなかったし
先生いわく、生徒さんで病気をした人は
よくこういうことを言っているそうです。

普段から体をしなやかにしておくことが
回復力につながるのか。

ということで、おそるおそる2週間目で始めた
自力整体ですがもうこれからガンガンやります。
ストレッチが大切ってやっぱり正しいと私は思う。
ただし首だけじゃなく全身した方がいいと私は思う。

大腸がんの手術をした義母。
彼女も翌日からリハビリで歩いてる。
今日見に行ったら、同じようにドレーンを引っ張って
院内をグルグル6000歩あるくトレーニングを
お医者さんから指示されて実施してる。
やっぱりみんな同じだなぁ。


2015年12月16日(水) 入院6・7・8日目

管も取れてあとは傷が治るのを待つばかり。
前日の絆創膏も恐る恐る取ってみると
意外にあっさりペロリとはがれ
晴れて全身シャワーOKになり
ドキドキしながらシャワー室へ。
意外に傷はしみたりしませんでした。
人間の再生能力ってすごいなと思います。

食事も普通食になりご飯復活。
喉のつかえはあるものの、日に日に楽に
飲み込めるようになってきます。

ここで退院後の生活について看護師さんから
レクチャーがありました。
傷口に貼るテープの交換のしかたなどです。
テープは1週間に1回交換するのですが
その貼り方も実際にやり方を実物を使って
教えてくださいます。本当に丁寧です。

退院後さっそくやってみましたが
きちんと教えていただいたので
戸惑いなく貼ることが出来ました。

あとは体のエネルギーを傷を治すことに
集中させるべくあまり調子に乗らない程度に動いたり。

体が自由になるとそろそろ病院食では口にできないものが
欲しくなってきて「美味しいコーヒー飲みたい!」
となりました。
階下にあるカルディカフェでお茶することもできるのですが
待合の方でいつもなんとなく混雑しているし
まだ体が本調子ではない中
あまり人ごみに長居するのもちょっと不安なので
このカフェでコーヒーをテイクアウト!
こういう裏ワザもあるのです。
1日1テイクアウトが3時のお楽しみになりました。
そんな気分になるくらい元気になった証拠。

7日目には退院前日なので請求書が運ばれてきました。
個室なのに本当に部屋代なしですからね。
パジャマも持参だしそういう無駄はないのもありがたいです。
退院前日でも支払可能とのことなので
さっそく近所の郵便局へお金をおろしに
1週間ぶりの外出です。

わ〜、やっぱりなんかふわふわと歩いてる。
ちょっと心もとない感じ。
とても他に寄り道なんて・・っとまっすぐ帰ってきました。


そしてついに退院の8日目。
10時半までにお部屋をあけてくださいということなので
お薬を持ってきてくれる薬剤師さんを待って
受け取ってからいざ退院!
ちなみに売店から宅急便で荷物を送ることも可能。
大きな荷物の人は送ってるようです。
まだ重たいものはあまり持たないほうがよいので。

電車で30分の実家と電車で1時間30分の自宅。
どっちに帰ろうかと悩んだ結果、やはり自宅へ。
お昼時の電車なので空いていて座れましたが
やっぱりかなり疲れました。
でも自宅に帰ったらあんなに快適と思っていた
病室もかなわないくらいぐっすりと眠れました。
やはり家はいいです。

とにかく喋ると息が続かなくて
(まだ首の締め付け感がけっこうあるので)
これはまだしばらく続きそうです。
テープを貼ってるからなおさらかもしれないけど。
ただ、本当に毎日、前日よりよくなってる感はずっと続きます。

早くからストレッチを頑張ったせいか
上を向いてうがいをすることも毎日だんだん上手になり
(つまり毎日だんだん角度を上げてゴロゴロできるようになる)
退院した日から洗濯物を干したりすることも結構できました。
掃除機はちょっと重たいので母にお願いしちゃいましたが。


というわけで、入院生活全8日間はこんなかんじで
予想以上に快適にすごせました。
すべては、快適な病院づくりに励んでくださっている
病院のみなさんのおかげに他ならないと思います。
初めての手術入院はこうして無事に終了しました。

次の診察はお薬が切れる40日以内。
お正月を挟むので1月になります。
そこで摘出した細胞の結果を聞けることになっています。
それまでは、まずチラーヂンを毎朝飲む習慣に
まず慣れなければ。


2015年12月15日(火) 入院5日目

朝から抜糸と管を抜いてもらいました。

手術は寝てる間だったし、実質これが
唯一「処置されてる感」があったこと。
と言っても抜糸は糸を切るだけだし
(引っ張るときにちょっと痛いけど)
管も引き抜くだけなのであっという間。

しかも管のあったところには絆創膏をペタリ。
絆創膏って!と思ったけどこれが翌日
あっさりと取れるので一番ベストなのだなと
後から実感。
管を抜いた後も何か留めたりするのかと思ったら
ホントに抜くだけ。
それだけ細い管だということですね。

自由!!!!
管なし生活の自由!!

もう手をぶんぶん振り回しても
寝返りに管を気にしなくてもいい。

がぜんストレッチにも気合が入ります。

「管が抜けたので洗髪しましょうか」と看護師さん。
座った状態で前かがみになって
看護師さんが洗髪してくれました。
たった1日洗ってないだけなので
別に大丈夫だけどなと思ったけど
洗ってもらったら気分もすっきり。
看護師さんってなんでもできなきゃならないのね。
美容師さんに負けないくらいとても優しく
気持ちよく洗ってくださいました。
やっぱり女神さまだわ。

そして下半身はシャワー浴びてもいいですよ
とのことだったのでさっそく。
ますます気分すっきり。

翌日からは全身シャワーOKだそう。
1日1日できることが増える幸せ。

お粥生活も今日まで。
ホントに明日から普通食で飲み込めるのか?
そのためにもよく噛みゆっくり食べることはとても重要。
ライフスタイル矯正にも役立つ入院生活。
おまけに栄養学的に適正な食事量もじっくり勉強。



他の患者さんたちと談話室でおしゃべり。
みんな同じ日に手術した人たち。
癌の人や腫瘍は良性だけど大きくなりすぎた人など
条件は違えどみんな甲状腺を半分もしくは全部取った人たち。

声が出る人、出にくい人。
熱が出た人、出なかった人。
みんなまちまちだけど、たぶん腫瘍の大きさよりも
出来ていた場所(つまり切除しなくちゃならなかった場所)が
症状に影響しているような。
小さくても神経に近い場所は手術としても
リスクが高くなるとは術前に聞いてたけど
確かにそうかもしれない。
大きさは関係ないかも。

全摘するかどうか悩んでたけど
やっぱりリスクを1回にするって選択は
間違ってなかったなぁと思う。


あと、みんなとても食事に気を付けて
白い食べ物(砂糖とかお米とか)はダメだとか
そういうことを気にかけていたにもかかわらず
この病気になったということ。
「結局、そうやって神経をすり減らしたことが
一番よくなかったんじゃないの〜?」ということで
意見が一致しました(笑)

そこそこ手抜きもしながらおおらかに生きることが
一番大切なのかも。
むぅ、仕事との向き合い方を考えるわぁ。


血液検査の結果をみてチラーヂンSの処方が決まりました。
私の場合は、副甲状腺を残すことが出来たそうで
それがきちんと機能してカルシウムを作ることは
問題なく自分でできているということなので
そのためのお薬は飲まないでよいそう。
なので、甲状腺から出ていたはずのホルモンを
このチラーヂンSを毎日1錠飲むことで補充。
血液検査の様子を見ながらこの量を調整するようです。
私のは100μg。
半分しか摘出してない人は残った甲状腺の働きで
量を調整するようですね。
私は全摘だから自分で全く出せないので100です。


朝、起床時に1錠。たったこれだけ。
ただし、これを飲んでから4〜5時間は
カルシウムやアルミニウム、鉄などをたくさん取ると
チラーヂンの吸収が悪くなるため
それらを含むお薬は朝飲むことができません。
そして意外に盲点だったのは食べ物。
最近よくあるカルシウム補強の牛乳なんてのも
このダメな部類に入ります。
(普通の牛乳程度なら問題ないとのことですが)
なので、食べ物の制限はないのですが
こういった強化された食べ物は注意が必要なのです。
つまり、普通の食生活してればいいのであって
あんまり過剰摂取すんなということです。

実は入院前に普段飲んでいるサプリや健康食品、お薬などを
薬剤師さんにすべて見せてくださいと言われて
持って行って見せていたのですが
その時は薬剤師さんがそれらをメモして
「術前2週間はどんな影響があるかわらかないので
これらは飲むのを控えてください」と言われて
「それだけか〜」と思ってたのですが、
(もちろんお薬などは特に飲むタイミングを
入院中も細かく説明してくれていましたが)
本当の目的は、このお薬説明の時間にで
その時見せたものがこの「ダメなやつ」に
含まれているかどうかを結果発表されるところにあったのでした。
私の場合は梅エキスと万田酵素でこの二つは問題ないので
いつ摂取しても大丈夫とのことでした。

こういうこともきちんと調べてくれるので
薬剤師さんに見せるときは正直に全部持って行った方がいいです。
私も本当はときどき飲んでるお薬があったので(マスチゲンとか)
ときどきだし別にいいかともって行ってなかったのですが
こんなことなら正直に全部持って行ってればよかったと思います。

でも、チラーヂンをのんで4〜5時間たてば
何を食べても何を飲んでも問題ないので
(つまりチラーヂンの吸収は終了したよ〜ということ)
午後から夕食前の間なら、何も気にせずなんでも口にしてOK。

ただし、私は飲まなくてよかった副甲状腺を補う薬を
飲む人はもうちょっといろいろと薬を飲むタイミングを
調整しないといけないのではないかしら?


というような説明を薬剤師さんがお部屋に来て
丁寧にひとつひとつ説明しながら質問にも答えてくれます。
とても重要なことなので病院の薬局のカウンターなんかで
パパッと説明されたんじゃ、あっという間に忘れてしまいますが
資料を一緒に見ながらゆっくりと説明してくださるので
術後のぼんやりした頭でも理解できました(笑)

それに、「いろいろ言いましたけど、とにかく毎日忘れずに
1錠飲むことが一番重要なのであまり気にせず
朝のみ忘れてその日中に思い出したらすぐ飲むくらいの気持ちで
毎日1錠飲むことを一番の目標にしてください。」と言われ
気持ちが楽に。

あ、ちなみにこの説明は退院直前に40日分のお薬を
まとめて渡される時に行われるので
もうちょっと頭がすっきりしてる時です。
まだこの5日目の段階では薬の量も調整している途中なので
とにかく退院直前まで毎朝1錠出されたものを飲むだけです。


しかし、この1錠の薬が自分の生命維持を左右するのだと思うと
逆に考えれば、飲まなければ死ぬという選択を
自分の手にゆだねられたということにもなるのだなと思います。
きちんと飲むことはきちんと生きるということ。
せっかく早期発見でこれだけの傷ですんで生かされた命ですから
大切に生きなければと思います。
そして日々の生活も大切にしながら生きなければ。

この早期発見も父が食道がんで亡くなってすぐに
会社の健康診断に行ったときに「気になる」と問診の時に
先生に言ったことがきっかけでのどを触診してもらい
そこで腫瘍を発見してもらったから今に至ります。
ある意味、亡き父が見つけるきっかけをくれたのだと思います。

小さい小さい1錠だけどとても重みのある1錠です。

退院まであと3日。
(半分摘出の人は1日短いとのこと)


2015年12月14日(月) 入院4日目

前日の手術から半日明けた翌朝。
7時ごろから順番に自分の部屋へと移動が始まりました。

もちろん自分で歩いて血液のタンクとか持って
自分の部屋へ移動です。
「もうじきお食事お持ちしますね〜」との
看護師さんの声と共に。

初めて鏡を見る。
鎖骨の上の首に横にU字型の傷が端から端まで。
これは後々傷がしわと同化して見えるように
先生が座ったり寝たりした状態を見て決めてくれた位置です。

ただ、この傷はあくまで入口であって
実際に甲状腺があったところはそこから喉仏までの間のエリア。
そして縫い傷はそうでもないのだけど甲状腺後がやはり腫れているので
首が2割増しぐらいに太くなってる。
(後々これは日に日に細くなって1週間くらいで元の太さに)
よく、ネットなどの書き込みで首の締め付け感があると
書いてあったのはこの甲状腺後の部分が腫れているので
気管や食道を少し圧迫していてそれで飲み込みや呼吸が
通常より少し不便ということのように感じる。
(これも日に日に腫れが引いて楽になっていく)

首の管は首から出ている血液が少なくなってくれば
明日には取れる予定。
そうなれば寝返りも少しは楽になるだろう。


半日でさっそくの朝食は
全粥に汁もの、和え物に梅干しとフルーツ。

おそるおそる飲み込んでみる。
予想してた通り飲み込むのが痛い。
実は私、小学生の頃、扁桃腺をチョキンと切る手術をしていて
その時にダイレクトに傷があるとこへ飲み込むという
荒業を経験しており、今回の場合別に食道に傷があるわけでなし
正直言ってあの時よりはずっとまし。

ただし首の圧迫感のため呑み込む量を少なくしないと
つかえそうになる。
これはいいぞ!
いつもは仕事に追われて早飯だった私だけど
これは強制的によく噛み少しづつゆっくり食べるという
いい習慣がつくじゃないですか。

おかげでそれまでの倍の時間をかけてゆっくり食べました。

術後だからか塩分が強く感じるので梅干しが食べられなかった。
でもここのお粥美味しい。
お米から炊きましたよという感じの味。
家で作るお粥のようにほっとする味で完食いたしました。
一番食欲がないであろうこの日にお粥完食なんて
やっぱりすごいな、ここのごはん。

そしてお食事トレーの返却はもうさっそく自分で。
日常生活はもう術前通り。

食後に先生の回診。
「手術は上手くいきましたよ。きれいにとれました。」
全摘出と少し下の方を癌に合わせて大きめに切ったそう。
確かに右の鎖骨上がちょっと左より痛い。

そしてもうさっそく今朝から首のストレッチ開始です。

事前に練習と説明を受けていたのですが
これを早くからやることで首の動きの回復が早くなるそう。
「早くからしっかり動かしたほうが痛み止めも
早く飲まなくてよくなりますよ。」と先生。
この意味がもう一つよくわからないのだけど
その言葉を信じて、こわごわ動かすと
「もっとこのくらい!」と先生に頭ごと動かされる。
なかなかワイルドだ。
看護師さん曰く、結構ワイルドにやるほうがいいそうです。
「みなさん、こわごわやられますけど
安藤さんはよく動かされてる方だと思いますよ!その調子!」と
褒められて調子に乗ってせっせと真面目に励む。

(そのおかげか日に日に動くようになる。
ホントに日に日によくなってるのが毎朝実感できる。)

体操と食事以外はやや微熱もあるため横になったり。
といっても、37度3分ぐらいが最高で
ほとんど熱は出ないで済みました。
中には39度ぐらい出た方もいるようで
切った部分のダメージが少なかったのか
体の抵抗力が強かったのか、個人差は大きいみたいです。
ちなみに痛み止めのロキソニンは1日3回飲みました。
でないとやっぱり痛いのは体力を消耗するので。
でもあまり続けると他の臓器に負担がかかるので
そこは自分の体力と駆け引きしながらだんだん飲む間隔を延ばしながらで。


寝てると痛みは楽なのですが、とにかく寝返りがつらい。
首に力を入れると一番痛いので、寝返りを打つときは
腹筋をする時みたいに頭の後ろを手で支えて持ち上げ
もう片方の手でベッドを押しながら体を支える。
これ、私が編み出した一番楽な寝返り術。
頭を支えられなかった最初の頃は枕の下に手を入れて
枕ごと頭を支えたり。

仰向けから起き上がるのが一番最後までやりにくかった。
でもそれも1週間ほど。
そして、入院中はベッドが電動で起こしてくれるのでとても楽。

唾液を飲み込むのがいつものようにいかなくて
むせそうになり目が覚めるという感じで
細かい眠りを繰り返して体力温存です。

明日は管が取れて抜糸の予定。
動きがかなり楽になるはず。





2015年12月13日(日) 入院3日目

とうとう手術当日。

手術が夕方の予定のため、10時ごろから点滴。
(絶食のための栄養補給などなど)
点滴に合わせて手術着と加圧靴下を装着。
これが冬には寒い。
首元がらあきですから暖房しているとはいえ、スースーします。
しかたなくお布団にもぐりこみ粛々と読書しながら待つ。
お布団で待つと、ついつい眠くなる。

手術時には家族一人を誰か必ず
待機させなければならないので母に来てもらう。
実家と病院が近くてよかった。
自分が家族のそういう場合に遠くて不便だったので。
夫は夕方手術のおかげでほとんど
手術と同時ぐらいに仕事を終えて駆けつけられた模様。

母が到着して喋ったりしつつも
やっぱりお布団の中は眠りを誘う。
「さあ、行きますよ」と看護師さんが
迎えに来てくれたときにも眠気を引き連れ
手術室に歩いて向かったため、緊張感ほぼ無し。
手術台に上がる2段ぐらいのステップを上がる時は
さすがにちょっと緊張したけど
すぐに腰や肩にマットレスを入れてもらって
(事前に手術担当の看護師さんとのカンファレンスで
腰痛があるのでと話していたらマットレスを
きちんと準備してくれていました。)
姿勢に無理がないかもきちんと確認してくださいました。

そしてとうとう人生初の全身麻酔。
「点滴から眠くなるお薬を入れて数を数えます」
と言われていたのですが、点滴に薬を入れた瞬間
「もう寝てもいいんだ〜」とさっきから引きずっていた
眠気がいっぺんに押し寄せ数えるも何も
自ら眠りに飛び込む感じで記憶なし。


次に記憶しているのはリカバリー室でした。
なんとなく移動したり鼻に咽頭ファイバーを
入れられたりしたのは感覚で覚えてる程度。
(このファイバーが嫌いなのであやふやな時でよかった)

リカバリー室とはその日に手術を受けた人が
1つの大部屋に集められていて
その部屋はナースセンターと繋がっていて
一晩中、看護師さんが集中的に見守ってくれるという
とても安心なお部屋。


目が覚めたら、ぼんやりとやっぱり喉が重たく痛い。
すぐに看護師さんが鎮痛の座薬を入れてくれる。
(この段階では水を飲むのがまだ危険なので
経口薬が使えないかららしい)
術後3時間でお茶を飲ませてもらい
鎮痛薬のロキソニンを一緒に飲む。
もちろん全然何も感じないほどの効果はないけど
うつらうつらできるくらいにはリラックス。

ちなみにこれらのお薬を使うこと、使うタイミングは
前日にすべて薬剤師さんから説明を受けます。
なので「あぁ、ここで座薬ね」「ここでロキソニンね」と
想定通りにお薬が出てくるので安心。

次に6時間ほどたってから、今度は体を拭いて
パジャマに着替え、おしっこの管をはずし
さっそく歩いてトイレに行く練習。
首の傷の両端から細いパイプが出ていて
ここから中にたまった血液や体液を出すタンクにつながってる。
だからトイレに行くときはこのタンクを手提げ袋よろしく
お供に連れて行く。
この時に判明するのはトイレや洗面台の横に小さなフックがあって
それは何のために?と思ってたのですが
このタンクをひっかけて両手をフリーにするためだったのです。
専門病院ならではの完璧な動線に沿ったレイアウト。
管は違和感ないか?といわれたらやっぱり気になるけど
テープで固定されてるので痛みにはあまり関係ない。

ここまでの流れはみんな時系列で同じなので
手術が最後の方だった私は周りの人がやったことを
「次は私の番だなぁ」と思いながらやるので
覚悟というか心づもりが出来てるので
お呼びがかかるまでは寝て待つというかんじ。


っが、ここまでとても順調だった私に問題発生。
実は生理日がちょうど重なってしまったのですが
普段からロキソニンなしではいられないほど
生理痛がひどい私なのですが
こいつがちょうどこのトイレタイムを過ぎたあたりで
襲いかかってきました。
手術の傷口なんかよりもこっちの痛みがひどくて
脂汗かきながらベッドから起き上がってる始末。
「あれ?私、何しにこの部屋にいるのか?」と
途中から笑っちゃうくらいお腹が痛い。
しかたなく看護師さんに
「首は平気なんですが生理痛がひどくて」というと
これも事前にそうなるかもとカンファレンスしていたので
すぐに追加のロキソニンを持ってきてくれて
おまけに
「お腹温めたらどうでしょう?少しは楽になるかも。」
と、温タオルの即席カイロを作ってきてくれました。

看護師が女神に見える瞬間ってこういう時だなと思います。
女の私でも女神に心奪われそうにいなりました。

実は、同じリカバリー室に吸引が必要な方が
いらっしゃったようで、ときどきゴロゴロと
咳きこんでらっしゃったのですが
私の父も以前、人工呼吸器をつけていたので
この吸引の音はとても懐かしい音というか
思い出のある音でした。
個室だった父は痰が詰まってゴロゴロ言い出すと
呼吸器のセンサーが鳴ってそれから看護師さんが
駆けつけて吸引というシステムだったので
忙しい時にはずっとゴロゴロいってセンサー鳴りっぱなし。
横にいる家族には心が痛む音だったのですが
こちらの病院では看護師さんがすぐそばに
ついておられるようでゴロゴロといいだすと
間髪入れずすぐに吸引されていました。
(カーテンで仕切られているのであくまで
音だけでの推測ですが)

その音を聞きながら「あぁ、ここは安心して眠れる場所だ」と
気持ちの上でもリラックスして朝まで過ごせました。
何事も経験だなと思います。
あの音だけでそれだけのイマジネーションが膨らむって
経験なしには絶対ありえないことだから。
女神さまが2人もこまめに様子を見に来てくれて
安心して眠っていたら朝が来ました。

ちなみに傷の痛みはそんな状態だったので
予想以上に楽でした。
というか、今まで他人と比較できない生理痛が
今回の「手術の傷より痛い」ということが判明し
単に自分が痛みに弱い根性なしではなかったことがわかり
少しだけ心が軽くなりました。
(何しに入院してたんだっけ?私。)


っと、ここで事前に入院に必要なものの中に記載されてないけど
あったら便利なもの。
それは大きめのトートバッグ。
手術前日に「手術時に必要なものセット」を
看護師さんと一緒に確認しながら作ります。
バスタオル2枚(入院時に3枚と書かれていた意味はここでわかる)
パジャマ1着
普通のタオル1枚など。
これらをひとまとめにしてお部屋に置いておくと
術後にリカバリー室にてこれを使って看護師さんが
身の回りのことを助けてくれます。
このセットを入れておく「バッグ」が「入院セット」に記載されてなくて
私は事前に他の方のブログで「あったら便利です」
と書いてあったのを見て持参していたのですが、
シャワーに行くときなどにも活躍してくれるので
絶対あったら便利です。
ちなみに、術後の翌朝、これを持って自分の部屋に帰ります。


2015年12月12日(土) 入院2日目

2日目はまたこれといってすることなし。
術前にお風呂に入ることと
夜9時から絶食くらい。
(私は翌日の手術が4時ごろからだったからで
もしかしてもっと早い人は絶食も早かったかも)

けれどきっと明日からしばらくは
ちょっと熟睡できないだろうなと思い
たっぷり持ってきた本と惰眠をむさぼり
持参したルイボスティー(一応術前を意識しノンカフェイン)
などを飲んだりしながらとにかくゆったりと
この穏やかな時間を過ごす。

持参した本は
西加奈子「きいろいぞう」
玉岡かおる「負けんとき上下巻」

どちらもなんとなくペースのおそい展開
(「負けんとき」はすでに読んだことがあるためなおさら)
のため、こんな術前の集中力を欠いた時には
非常に不向きである。

そこで前日にお見舞いに来てくれた友達が持ってきてくれた
有川浩の自衛隊系短編集に切り替えてみると
これ、ちょうどこんな時に持ってこいです。
短編だから展開も早く、飽きないでサクサク読めちゃう。
このチョイス、すごいぞ!友達。
さすが読書好きだけのことはある。
読書にもTPOって重要なのだと思いました。

三食昼寝つき生活の中、ちょっと大事にしてたのは
ストレッチ。
日ごろからやってた自力整体をできる範囲でベッドで展開。

翌日からおそらく体勢も限られた暮らしになるので
今のうちにコリを解消しておこうと念入りに。
これがたぶん後々術後の経過に効果を表してきたように思う。
首が凝るよ〜と術後の人に聞いてたのですが
それが私にはほとんどなかったので。
おかげで術後の傷のリハビリストレッチも
看護師さんに「よく動いてるほうですよ」と言ってもらえるくらい
ガンガンやれてましたから。

術前の肩甲骨から首、肩のストレッチ、これ重要かも。

食事は相変わらず美味しい。
ご飯は普段のお茶碗の倍ぐらいだけど
ま、翌日は絶食だし、この機会に食べとこうと完食。
朝食もトースト2枚食べちゃった。(いつもは1枚だけど)
トースターがあるからそこであたためるのかと思いきや
提供時にすでに温めてある。
あぁ、愛情たっぷり。
トースターは焼き目をつけるためだけにあるのね。
しかも6台ぐらい完備。
とにかく患者を待たせない、我慢させない。
サービス料とられるんじゃないかと心配になるくらい
思いやりにあふれてる。

シャワールームはあるものの、術前はすぐ近所の銭湯に行くのもOK。
そんな
フレキシブルさもなんかよい。


2015年12月11日(金) 入院1日目

無事退院いたしました。
ほんとに無事に。
実はもうとっくに退院してたのだけど
ちょっと書くほどの気力がまだなくて
今日、重い腰を上げてやっぱり記録しておこうと。

ということで今日から少しづつ書いていきます。


入院1日目

お昼過ぎに昼食をとってから入院手続き。
手術は3日目なのにもう入院?と思いつつ
とりあえず初日は看護師さんより
この入院予定1週間のスケジュールをレクチャー。
スケジュール表をもらいます。
医療的な処置のスケジュールだけじゃなく
シャワーなどの生活的なスケジュールや
食事のスケジュール、お薬の説明のスケジュールなど
きちんとすべて書かれているので
その日のスケジュールが終われば
階下のカフェにお茶を飲みに行ったり
ちょっと外出なんてこともできるので
ベッドにしばられてる感じが全然ないです。

国内でもたった3つしかない甲状腺専門病院。
そのうちの1つが同じ県内にあるっていう
この幸運。

フロアー内にある談話室に給湯機や
冷蔵庫やトースターがありそこで
他の患者さんたちと気軽におしゃべりできる
そんなスペースになっているので
その会話がずいぶんこの入院生活の不安を
解消してくれました。
聞けば、関西のみならず日本全国から
飛行機や新幹線でやってきた人も。

初日からこの談話室で縫い傷生々しい
先輩患者さんとおしゃべり。
聞くと術後3日目だそう。
普通に歩いて普通にすわって
普通にお茶飲んでおしゃべりしてる。
その姿に「なんだ〜、3日でこんなならちょっと安心」と
すごく勇気づけられてすっかり手術の怖さが
吹っ飛んでしまいました。
このおしゃべりがあったのとないのとでは
きっと術前2日間の緊張が全然違ったと思います。

ちなみにお部屋は全室個室。
(しかも基本のお部屋は部屋代なし)
だからなおさらこのこの談話室でのコミュニケーションは重要。

「事前にネットでいろんな人のブログなどを見ると
個人差はあるとはいえ結構おおげさに書いてる人もいるよ」
と実際に手術した人から聞かされてたので
そこまでビビらなくてもいいかとは思ってたものの
やっぱりちょっとドキドキしてたのですが
実際に1日目や2日目の人を見ると歩いてること自体
「思ってたより動けるんだ」と安心しました。

フロアの説明をスタッフの方から受けて
(看護師さんとそこはきちんと分業されてるあたりもよい)
検査をいくつかやってその日のスケジュールは終わり。

それにしても看護師さんだけでなくどんなスタッフの方も
ほんとにみなさん丁寧で感じが良くてテキパキ。
しかもあわただしくもないので落ち着いて暮らせます。

ここ数年いろんな家族のいろんな入院生活につきあってきたけど
どこも看護師さんは大忙しで「ちょっと待ってね」となるのは
日常茶飯事だしお願いのタイミングも難しい感じだったけど
ここではそんな気遣い一切なし。
むしろ向こうから常々「何か変化はないですか?大丈夫ですか?」
と定期的に聞いてきてくれるのでそれで十分に事足りるのです。
結局ナースコールは1週間で1回も鳴らさなかったもの。
(ま、基本歩けるから聞きに行けるけど)

そして初めての夕食。
病院食とはいえ、あれは調理師さんと栄養士さんの
やる気と愛情を感じるメニューです。
ビーフシチューとか出るのだもの。
しかもあつあつの器で。
和え物ひとつにしても毎日変化があって
胡麻和え、ゆず風味、白和えなどなど飽きないバリエーション。
とにかく手間暇かけてるのがわかります。
(給食会社勤務の夫の日々の苦労みてますもん)
お野菜もお魚も冷凍や加工品じゃないだけでも
手間を惜しんでないのがわかります。

濃い味に慣れてる人には薄いと感じるかもしれないけれど
私にはちょうどよいお味でした。

前日まで仕事がハードだったこともあり
上げ膳据え膳の王様生活に大満足で1日目はぐっすりでした。


安藤みかげ