空色の明日
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2011年04月30日(土) 自己投資

2月からスポーツジム通いを再び始めました。

心が絶望すると一気に筋肉がなくなって
体を支えられなくなるのですね。
去年の今頃の2〜3か月のことで
いっぺんに体を支えるのがしんどくなって
あぁ、これはそろそろきちんとまた
鍛えなきゃだなと。
前回そう思ったのは離婚後の時。


っで2か月行ったら立ってるのが楽になりました。
そうなりだすとじき歩くのが楽になり
立ったり座ったりが楽になり
きちんと筋肉が体を支え始めるのを体感できます。


ジム通いするって贅沢に聞こえるらしいのですが
ちょっと飲みに行ったりしたら
すぐそのくらいのお金を2〜3時間で使っちゃうし
洋服だって1着くらいしか買えない。
それを1か月の体のために使えるって
有意義だと思う。

時間をなかなか作れないと思ってたけど
90分会員という枠で加入したので
会社からジムまでの1駅を歩いてウォームアップして
60分トレーニングしてざっと着替えて帰れば
ちょっとした寄り道よりずっと時間がかからない。
90分と思うから無駄にだらだらしない。
そしてそのきびきびしたテンポのまま
晩御飯を作れば意外に疲れない。

こういうことにお金を使うとき
「自己投資」と思う。
資格のための勉強とか体作りとか
そういう投資って先で必ず大きくなって
きちんと自分を助けてくれるから
自己投資のためにはお金がない時でも
他を始末して使ってきたと思う。
そしてそうやって使ったことって後悔しない。

仕事のテンポと家事のテンポが
つかめてきたのでそろそろ自己投資を再開。


2011年04月26日(火) 食べてもらう

蕎麦打ち→山菜天ぷら→鴨鍋の休日。

蕎麦打ちってちょっと難しいから
大人の遊びって感じ。

さるちゃんの旦那さんは私と同じような
食道楽のご両親の血を受け継いだ人なので
こういうお誘いをすると喜んできてくれて
喜んで食べてくれるから好き。

料理が好きであればあるほど
食べることが好きな人にしか
食べさせたくないなと思う。
というのは、食べることが好きじゃない人と
暮らしてた時に「あぁ、これは違う」と思ったから。

私は映画とか音楽とか
ものすごく偏ったものが好きだし
そういうところで人に同じ価値観を求めようなんて
これっぽっちも思っていないのですが
今の旦那さんにも結婚するとき
「みかげちゃんの好きなもの
オレぜんぜんわからないけどいいかなぁ?」と言われて
「食べ物の好みが合えばそれで十分」と
答えたことは間違ってなかったなと思う。

毎日毎日作っては食べる。
作っては食べてもらう。
そのたびに「あぁ、美味しい」と言ってもらえたら
それが一番の幸せじゃないかなぁ。
仕事してるしと理由づけてお掃除とかお洗濯とか
結構乱雑にしてるんだけど
とにかく毎日食事だけはきちんと作る。
(といっても一緒に食べるのは晩御飯だけだけど)
旦那さんにしてあげてることってそれだけだから
そこを喜んでもらえたらそれが一番。

よく「料理をする仕事をしている人に
ご飯を作るのってプレッシャーじゃない?」と言われるけど
お金をもらう料理と家庭料理は違うという感覚は
料理人のプライドでもあるから
別物ときちんと分けて考えてる人多いみたい。


とか、そんなことを考えながら
美味しそうに食べる人たちを前に
満足顔でせっせとご飯を作った日曜日でした。


2011年04月23日(土) うっかり

もう4月も20日を過ぎたというのに
まだ八重桜が3分咲きの
ちょっぴり山奥に住んでる安藤です。

明日は友達のさるちゃん夫婦と
近所の蕎麦打ち教室へ行って
そのあと、山菜天ぷらと鴨鍋をして
蕎麦と満喫しようと材料調達にいくも
たらの芽とかわらびとか
すでに出てるはずのものたち一切なし!
なぜかこごみだけポツンと。
一番味わいが微妙なものだけ。。。
鴨鍋の相棒セリだけはありがたいことに
たっぷり入手。
最近近所の直売所は飲食店の人が
恐ろしい形相で買占めに来るので
なんだかつまらない場所になってしまった。

しかたないので庭のユキノシタと
庭のウルイと、庭のふきの葉と
庭のよもぎでも揚げるか
という、野生の庭(見た目雑草だらけの小さい庭)が
あるではありませんか、私。
ウルイの存在に気付いたのは去年です。
あれはよく似た毒草があるらしく
花を見れば違いがわかるということで
思い出しつつ「やっぱりウルイだ!」と確信。
これで庭の山菜がまた一つ増えました。
(というか気づきました)
のどかなところに暮らしてるなぁ。


春のドラマ。
「JIN」と「BOSS」だけ見てる。
やっぱり面白い。どっちも見入ってしまう。
「BOSS」の天海ちゃんはタカラヅカの時を思い出す。
ああいう役が得意な男役の人はドラマをやっても
絶対に人気が出る。真矢みきちゃんしかり。

たぶん言ってはいけないことなのだろうが
アミューズのアーティストがチャリティー向けの
リリースをしたそうだが
桑田氏が名曲に津波という名前をつけたときに
「あぁ、この人こんないい曲にこんな名前つけて
どういうつもりなんだろう」と思ってたら
案の定そんなことになってしまった。
もうきっとあの曲はお蔵入りになるのだろう。
こういうのをうっかりというのだ。
悪気は全然ないのだろう、本当にうっかりだ。
アルファベットにしたっておんなじだ。
リリースが今だったら間違いなく発売中止だ。
うっかりって恐ろしい。


2011年04月17日(日) 縁起

近所のスーパーで
東北応援コーナーと題して
気仙沼で作られたさんまの缶詰が
山積みにされていてこう書かれていた。

「この缶詰は気仙沼で奇跡的に
津波を免れた縁起のいい缶詰です」


どうだろう、このPOP。
縁起がいいってこういう使い方していいのだろうか。

昨日の日記に「運」について書いたけど
読んだ人は同じように感じるのだろうか。


2011年04月16日(土)

あいかわらず変わらない毎日の関西。

東北営業所の人と久しぶりに電話。
「だいぶ落ち着いてきたよ」とのこと。
「でも最近また余震がすごいよね。
いやだよね。眠れないよね。
こっちのほうだってじきに必ず来るらしいし
どこにいたって一緒だけどね〜。」


「結局のところ運だよね。」
「そうよ!ほんと運。運だけ。」

っで合意。


地震後、海を漂流していて見つかった人なんか
たまたま流れてきたヘルメットをかぶって
たまたま2本持ってた栄養ドリンクを少しづつ飲んで
たまたまもってた赤い布を振ってたら
イージス艦にみつけてもらえたって・・・。

運でしょ。運しかないでしょ。
たまたま栄養ドリンク2本持ってないでしょ、普通。


どんなに頑丈な家建てても地盤がたまたま
断層の上だったら家が傾いちゃって住めなくなるし
震源地の近所のあきれるくらいのボロ家に住んでても
助かった私もいる。


何万年かの地球の歴史の中のほんの一瞬の
私たちの一生。
我が物顔でこの地球が自分のものみたいに
暮らしてるのって恥ずかしい。
地球がちょっとブルッと身震いしたらこのありさまなのだから。

今日も生きてて運が良かったと思うのが
本当は当然のことなのかも。


2011年04月10日(日) お父さんの桜

去年の今頃は、父の病床と仕事を行ったり来たり
駆けずり回りながら、夜に見上げると桜という
なんとも悲しい桜でした。

父は病院で作業療法のお手伝いとして
造園や野菜作りなどを仕事としていましたが
勤務していた病院がリニューアルするときに
病院のエントランス部分の庭園の設計を
まかされるという大きな仕事をして定年を迎えました。

その庭園にはたくさんの桜が植わっていて
その桜を見に行くことを一周忌(まだ少し先だけど)と
することにして家族が集まりました。

私は一度もその庭園を見たことがなくて
今回はじめて行ったのですが
植物のセレクトや配置の中に
父の意図が見え隠れし
そういう仕事が本人が亡くなったあとも
何かを語ってくれるような
そんな生き方をできた父は幸せだったと思いました。
悔いもなくこの世を全うして去って行ったなぁと
家族みんながなんとなしに納得して
やわらかな花の香りに包まれた
1周忌の春でした。


2011年04月06日(水) お醤油

我が家の味になっているお醤油があります。

茨城県常陸太田市の
ヨネビシ醤油さんの「米菱醤油」。

大親友のさるちゃんの旦那様が常陸太田出身で
ご実家では昔からこのお醤油だそうで
一度教えてもらって使ってみたら
もう他には変えられなくなってしまいました。
たまたま梅田の阪急三番街の成城石井に
売っていたのを教えてもらって
それ以来リピート買いしています。

減塩なのに味が深いので
全然減塩という感じもしないし
角がなく丸い味でとてもお気に入り。
しかもお値段もなかなか良心的。


そんなヨネビシさんの地域も
やっぱり地震でかなり被害が出ていると思われ
このお醤油がこれからも買えるのか
それがとても気がかり・・・。
こんな離れた関西にも
ひそかにファンがいるので頑張って欲しいのです。


2011年04月04日(月) 日本の照明

「日本はあまりにも煌々と照らしすぎる」

私の学生時代の恩師の言葉です。

私は学生時代に建築やインテリアを勉強していました。
インテリアを教わった先生の
日本の蛍光灯文化について

「戦後に日本から闇を一掃しようとして
生まれたのが、蛍光灯で隅々まで照らす文化だ」

というような講義が頭に強くこびりついています。

電球は局所的に照らすものであり
蛍光灯は広域を明るくするもので
元来、ろうそくの灯は電球的な役割だったので
ヨーロッパなどでは家庭でつかう照明は
電球を使って明暗を受け入れる生活を続けているが
日本は職場や商業施設のみならず
家庭まで闇を排除する文化に育ってしまった。
これは一見とても便利で明るくて良いように感じるが
明と暗の対比があるからこそ奥行きが生まれ
暮らしにメリハリが生まれるのだ。

そのようなことを習ったことをふと思い出しました。


私は家に帰って食事の支度をするとき
たいてい旦那さんはまだ帰ってなくて一人のことが多い。
リビングとキッチンの電気をつけて
「さぁ、作るぞ」と思ったとき
「あれ、なんでリビングの電気つけるんだろ」
と思った。

たぶん子供の時から家族がいて
誰かがリビングにいるから
母親がご飯の支度をしてる時は必ず
リビングに電気がついてたんだ。
でも、今は違う。私一人なのだし。

きっとなんとなく暗いのがいやでつけてたんだな。
インテリアに電球を取り入れて
雰囲気を作ることに頭がいってたけれど
根本的に「必要ないから照らさないで生まれる闇を受け入れる」のに
無関心になってたな。
闇を怖がるのって人間の本能だけど
闇を受け入れてる文化のほうが多いのだから
これからはそういう生き方も日本人に必要なのかも。


2011年04月03日(日) 節目

三月から四月へ。
いろんな意味で節目となる時期。

「いま何ができるか」
岩手に営業所のある私の会社では
事務所もスタッフも無事だったにもかかわらず
あいかわらずガソリンが入れられなくて
思うように営業できていない状態。
もともとあまり景気のいい会社ではなかったが
岩手の営業所はお客さんも被害にあって
しばらくは成績とかそういう次元の話では
やっていけないだろう。

私のいる大阪の営業所も私が入るまで
いろいろとスタッフが流出したりして
ごたごたし、今年になってやっと安定して
利益が出せる状態にまでなってきたところ。
去年までずっと岩手をはじめ他の営業所の人たちに
支えられてお給料をもらっていた状態。

私よりも若い所長やスタッフが言いました。
「今年は僕らが東北の分までがんばらんと」。
東日本が地震の影響でうまく回らない分
多くの企業が西日本に拠点を移したりしています。
今までなんとなくぼんやりしていたわが社の若造たちが
ひょんなことで意識を変え始めています。
悲劇的なハプニングから生まれる変化は
こんなところにも。

不謹慎かもしれませんが
失われたものを全く元通りに戻すことは
復興ではなく、むしろ変化した意識や知識は
きちんと生かしながら立て直すことが
本当の復興なのだと思います。

エネルギーの需要と供給の関係も
ただ欲望や利益のために無制限に使うことで
「経済を回す」ことが本当に
最終的に私たちのためになるのでしょうか。
消費することで生産があがり経済があがる
そういう考えを続けて本当にいいのでしょうか。

今がその答えをだす節目ではないのでしょうか。



あぁ、なんとなくいいたことがバラバラして
支離滅裂な締め方。。。反省。


安藤みかげ