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2007年10月31日(水) ドック

生命保険のポイントサービスで「遠隔人間ドック」というのがありました。
通常、1万円少々かかる費用が約3000円。
しかも、本人だけでなく、家族も受けられます。
父と同じく、病院に行きたがらない母。
病院は嫌いではないけれど、時間とお金がなくて行けない私。
これは便利!
ということで、さっそく先週、申し込みました。

そして、きょう。
やっと、遠隔人間ドックセットが到着。
尿検査だけかと思いきや、血液検査までできるようです。
なんだかフシギ。

母に言いました。

「あした、尿検査、するよ」

母が言いました。

「そんなの、しいひん。体のどこかが悪いかな〜と思いながら、病院にかからずぽっくり死ぬのがいちばんや」

「………」

ま、好きにして。

ということで、まずは私だけがあしたの朝、先に検査をすることにします。
朝食前に尿と血液を取るのです。
あしたは、早起きです。

おやすみ。


2007年10月30日(火) 直った

パンクした自転車を転がしながら、自転車屋さんに行きました。

直ったよ。

おやすみ。


2007年10月29日(月) 考えない

「あっ!」

自転車に乗った瞬間、どこか違和感がありました。
うしろの車輪がぺっちゃんこ。
パンクです。

時間がないので、パンク修理はまたあした。
それにしても、いきなりパンク。
これで何度目でしょう。

いたずら、されたとしか思えないけれど、そう思うと腹立たしいのであまり考えないようにして、あした、いつもの自転車屋のおじさんに直してもらおうっと。

はぁ……。

おやすみ。


2007年10月28日(日) 第二回

そして、今週も山登り。
もう1カ月を切った六甲全山縦走のトレーニングです。
前回の続きの鵯越駅から摩耶山まで歩きました。
昼休憩をきっかり1時間とって約6時間の行程。
木立の中をみんなでわいわい言いながら歩いたせいか、けっこうあっという間に摩耶山につきました。
いえ、あっという間、というのは負け惜しみで、けっこう汗だく。
でも、前回歩いてきた山と、これから歩く山の両方が見えて、あぁ、すごいなぁ、あぁ、あの鉄塔のある場所まで行くんだなぁ、といちいち感動しながら歩いたのが、よかったのかもしれません。

摩耶山にあるちょっと有名な喫茶店「摩耶テラス」で、生ビールを飲みました。
うまいっ!

景色もきれいで、天気も快晴。
きょうもいい日。
いい一日にしてくれて、やっぱり「ありがとう」。

おやすみ。


2007年10月27日(土) 孝行

母とあちこち買い物に行きました。
最近は私が週末は山に行ってばっかりで、なかなか買い物には行けませんでした。

あちこちを車を走らせ、荷物はどんどん膨れ上がり。
新しくできた店を物色し、いつもの蕎麦屋でうどんを食べ。
そして、車の中でとめどなく語られる父の思い出話を聴き……。

そっか。
母は、あまり自分のことを家族以外に話しません。
母の話の聴き役だった父がいなくなり、今は私しかいないのです。
そんなことに気づいた今日の買い物デー。

親孝行って、小さなことの積み重ね。
それで、いいんです。
今は……。

おやすみ。


2007年10月26日(金) イタリア

「イタリア人といっしょにお食事、しませんか」

夕方ころ、メールが届きました。
そういえば、イタリアに行っていた人がきょうは帰ってくる予定。
イタリア人もいっしょに連れて帰ってきたようです。
すごい!

旅していると、宿で意気投合したりいっしょにハプニングを乗り越えたりとかで、地元に帰ってきてから会ったり飲んだりする仲間が増えます。
とはいえ、それにしても早すぎる!
さすが!

イタリア人、英語は通じるのかな?
自己紹介はなんて言おうかな……などなど、電車の中で久々に英語モードになりながら、店に着くと、そこには純粋な日本人が座っていました。

「あれ? イタリア人は? お風呂?」

「僕がイタリア人やがな!」

「………………」

ということで、自称イタリア人と他称イタリア人の夫妻といっしょに、純和風な店で湯豆腐と熱燗。

「やっぱり、日本食やで〜」

結局、純粋なイタリア人はいなかったけれど、イタリアの話と石垣の話を交互に聞きながら、久々にのんびり過ごした夜になりました。

おやすみ。


2007年10月25日(木) 反省

計画的に。

できませんでした。

おやすみ。


2007年10月24日(水) ぎょうざ

帰り道、友人に誘われ「餃子」を食べて帰りました。
もちろん生ビールも2杯。
満腹です。

ふらりと誘われるって、やっぱりうれしいな。
いろんな話もできるし。

ということで、きょうも短めに、おやすみ。


2007年10月23日(火) 犯人

まだ少し、セキが続いているけれど、体はすっかり元気。
その代わり、周囲に風邪ひきさんが多くなりました。

……。
………。
ち、ちがう!
私がうつしたわけじゃないっ!

だって、風邪の症状が違うもん。

ということで、言い訳しながら、おやすみ。


2007年10月22日(月) 疑問

今週は、忙しいけど、夕方からの用事がなくて、比較的のんびり。
みんな、こういう時間は何をして過ごしているのかな。

おやすみ。


2007年10月21日(日) ひとりごと

ことばに、ならない。
あした、どうしよう〜〜〜。

おやすみ。


2007年10月20日(土) 携帯

携帯を買いました。
ひとつは新規で、ひとつは機種変更で。
ひとつは、らくらくほん。
つまり、母の携帯です。

今まで、母は携帯を持っていませんでした。
持つ必要もないし、使うこともありません。

でも、やはり母ひとり子ひとりの生活では、万が一のことを考えると枕元に携帯電話は置いておいてほしいです。
いざというときに使えなきゃ意味がないのですが。

おそらく、それほど母は携帯を使わないだろう……ともくろんで、請求書は私宛にしました。
見栄っ張りな私。
あとで後悔しそう……(苦笑)。

ということで、私の出費が少しだけ増えます。
「安心」にお金を払っていると思うと、それはそれでいいのです。

はふ〜。

おやすみ。


2007年10月19日(金) 休まなくても

小学校3年生だったかな。
水疱瘡で、運動会を欠席しました。
それは、足の速かった私にはとてもショックで、年に一度の晴れ舞台が台無し。

でも、その年の私には、ほかにも2年に一度の晴れ舞台がありました。
バレエの発表会です。

聞けば、共演者はみんな水疱瘡を経験済み。
バレエ教室の先生は、私の代役ができる子どもはいない!とおおげさに言います。
今から思えば、誰だってできたのに。

運動会とバレエの発表会を天秤にかけられ、運動会を選んだ私の意見はどこに行ったのやら。
バレエの発表会に出ていました。
疱瘡だらけの体で。

でも。
それは、それで、いい思い出。
なんといっても、世界のプリマドンナたちと同じ控え室で衣装に着替え、ロシア語(または英語?)で話しかけられ、水疱のある体を好奇な目で見られながらも「○×△」と水疱瘡の説明を通訳の人がしてくれていて。

貴重な体験でした。

休んだなら、休んだだけ、それなりの思い出ができるんですよね。

きょうは私は休みました。
それなりの思い出は、できたかな。
休まなくても、できたような気はするけど。
ま……。
おやすみ。


2007年10月18日(木) ねつ

月曜日の朝。
ちょっとひやっとしました。

「あ、熱が出るかも……」

風邪をひく予兆がありました。
長年(?)生きてきた経験で、それくらいすぐにわかります。

「風邪はひきかけに病院に行ったほうがいい」

薬剤師の友が、以前、私を諭(さと)してくれました。
それ以来、私は風邪の予兆があったらすぐに病院に行くようにしています。

でも、今回は時間があまりにもなく、やることがたくさんありすぎて、病院に行けませんでした。
眠くなるので、市販の薬も飲めません。

「ちょっと、まずいかも……」

そう思ったのが水曜日の朝。
この調子だと週末は、風邪ひきさんです。

そして、きょう。
とうとう、熱が出てしまいました。
からだが、ぴりぴり、します。
眠くなってもよくなったので、きょう、やっと市販の薬を飲みました。

さ、がんばれ。
さがれ、さがれ、私の熱。
あしたは、がんばらないといけない日、なのです。

おやすみ。


2007年10月17日(水) まだ、いいのかな

久々に湯船につかりました。
今までは暑かったのと私の帰りが遅いのでシャワーばっかり。
きょうはさすがに寒くて、浴槽にお湯をはりました。

……ちゃぽん。

湯船につかった瞬間。
むしょうに胸が詰まりました。

あの日。母は言いました。

「きょうは、もうお風呂はやめようか」

悲しいとき、泣きたいときには熱いお風呂に入るのが私に元気のもとだけど、仕方がありません。

「……うん」

と言いながら、母が寝静まってからシャワーを浴びようと思いました。
とはいえ、寝静まるはずはありません。

深夜になってからでしょうか。
母がいきなり私の部屋にやってきました。

「やっぱり、お風呂、焚こうか」

「うん」

「こういうときこそ、お風呂に入らないとね」

「うん……」

そうして、私はその日の苦しいくらいの悲しみを、湯船で洗い流しました。
何度も何度も顔を洗い、あしたとあさっての「式」に向けて準備をしました。

きょう、久々につかった湯船は、あのときの気持ちを呼び起こし、突如として訪れた悲しみを、また湯船で洗い流しました。

悲しみを呼び起こす要因はいくつもあります。
湯船であったり、母といっしょに食べた立ち食いうどんであったり、葬儀の後に、あたためて食べたカレーやハヤシライスの味だったり。

まだ、1年、経ってないんだもん。
悲しみは、当たり前、ですよね。
まだまだ、悲しんでいて、いいんですよね。
おやすみ。


2007年10月16日(火) 心配性

飛行機、飛んだかな。
無事に着陸してね。

おやすみ。


2007年10月15日(月) 願い

あしたから、イタリアへ旅立つ人がいます。
海外初一人旅。
いいな。

大阪に住んでから、海外旅行にはまったく行っていません。
海外熱が冷めたといえばそうなのですが、転職して給料が半減したというのも理由のひとつ。
ま、仕方なし。
そのおかげで、国内のよさにあらためて気づけました。

あしたからイタリアへ旅立つ人。
誰かさんがのこした足跡を追って、そして、その先まで旅をしようとしています。

どうか、いい旅になりますように。

おやすみ。


2007年10月14日(日) げんき

先週、筋肉痛になったおかげで、きょうはまったくぴんぴんしています。
いっしょに行った仲間はどうかな?
あした、聞いてみよ〜っと。

おやすみ。


2007年10月13日(土) 百倍

六甲全山縦走のトレーニングとして、須磨浦公園から鵯越(ひよどりごえ)駅まで歩きました。
このコースは、これまでも何度か歩いています。
何度か歩いているけれど、きょうはかなりきつい山行になりました。
体力、落ちたかな。

とはいえ、今日も最初から最後まで笑いっぱなし。
登りがきつい、と笑い。
下りがすべる、と笑い。
名勝「馬の背」が怖いと笑い。
お昼に作った塩ラーメンが「しょっぱい」と大笑い。
最後に入った三ノ宮の「餃子屋」で、タレ作りに失敗して爆笑。

もしかしたら、笑いすぎて疲れたのかもしれません。

辛いカラい餃子を食べながら、本番当日の対策について議論しました。
それはとても楽しく頼もしく。

山に関しては素人集団だけど、心強い意見が飛び交い、勇気百倍です。

9時から15時まで、6時間かかったけれど、なんだかなんとかなりそうな気がしてきました。
次回のトレーニングも、がんばりましょう!

おやすみ。


2007年10月12日(金) ヘトヘト週間

そして、へとへとな金曜日。
おやすみ。


2007年10月11日(木) 疲れた、よぅ

この疲れは……。
先週末の山の疲れか、はたまた別の……。
いや、山の疲れだと信じたい。

おやすみ。


2007年10月10日(水) 季節

ようやく筋肉痛がなくなりました。
まだまだ、鍛え方が足りません、ワタシ。

きょうは、もともとの体育の日。
東京オリンピックが開催された日。
当時の日本の観測史上で、晴天の確率がいちばん高かった日。

朝は曇り空だったけれど、昼はピーカン。
やっぱり、こうでないとね。

……秋。
今年はいつになく妙に寂しい季節ですね。

おやすみ。


2007年10月09日(火) 訴え

きょうも、筋肉痛。
つらい……。


2007年10月08日(月) 課題

そしてきょうは、例によって例のごとく。
筋肉痛!
太ももが!
下りに弱いんだな。

もっと、日々、トレーニングをしておかないとね。

おやすみ。


2007年10月07日(日) 燕岳、快晴の空の下

ゆうべはなかなか寝付けず、何度も寝返りを打ちました。隣で寝ている友を起こしたらどうしよう……と思いましたが、心配ご無用。この友はどこでもよく寝られるんだった。でも、明け方にあまりにも微動だにしない友に、もしかしたら凍死していたらどうしよう……などなど、いつもの私の心配性の悪い癖が出て不安になりましたが、朝5時。友の目覚ましがなり、もぞもぞと動く気配。生きてた! よかった!

5時半ころ、外に出ました。山の東側は見渡す限り雲海です。そして、西側といえば、雲ひとつない快晴に、きのうと同じ位置で槍ヶ岳がそびえたっています。余裕綽々(しゃくしゃく)といった生意気ささえ感じます。

槍を背に、雲海の上から登る朝陽を待ちました。空がどんどん明けていき、周辺の山々もどんどん色を変えていきます。遠くに富士山が雲の上からぽっこりと顔を出し、そして時間が経つに連れて、高い山から順番に雲の上にその頂(いただき)をのぞかせてきてくれます。八ヶ岳の広い稜線。遠くに煙を上げる浅間山、手前の有明富士山頂にいる登山者たちまで姿がはっきり見えて、ご来光。オレンジ色のひかりが一瞬、すーーーっと通ったと思ったら朝陽が顔を出しました。みんなの顔やテントや背景すべてがオレンジ色に染まり、うしろを振り返ると、槍も大天井岳もみんなみんな同じ色になっていました。

ひとしきり感動したあと、テントに戻って朝ごはんを食べ、サブザックを作って燕岳(つばくろだけ)の山頂を目指します。
テント場から約30分の行程を、ゆっくりゆっくり、時間をかけて、まるで山頂までの道のりを楽しみながら登りました。だってあせることはありません。山頂はすぐそこにあるし、きょうは下るだけなので時間はたっぷりあります。空には雲ひとつなく、太陽はどんどんどんどん高度を上げていっています。

燕岳(2763m)の山頂は狭かったけれど、みんなで譲り合いながら写真を撮りました。燕岳に登ると、その先に北燕岳が見えました。もちろんそこにも登頂。遠くに立山が見えまさに360度の眺望。おそらく、そこから可能な限り見えるすべての山々が見えたように思います。

槍を見ました。
槍から穂高に続く稜線が姿を見せてくれていました。地図と照らし合わせてながらキレットの位置を確認。
いつかは登りたい山。でも、今はまだ、いい。
こうして、眺めながら憧憬を新たにするだけで、いい。

ゆっくり山頂を楽しんだあと、テント場に戻りテント撤収。
思ったよりも時間がかかりました。
私も課題はこの撤収時間を短縮することかな。

下山もけっこう時間がかかり、中房温泉に到着したのが14時過ぎだったでしょうか。
のんびり温泉につかり、露天風呂を堪能し、登ってきた峠道は、明るくなればそれほど大したことはなかったことに驚き、蕎麦を食べたかったのですが、あいにくうまく蕎麦屋を見つけることができず、そのまま長野道にのり、いつもの駒ヶ根サービスエリアでとろろ蕎麦。次回こそ新蕎麦を食べてやるっ!

みんなで運転を交代しながら、帰りの高速道路はほとんど眠らせてもらいました。どうもありがとう。
おにぎりを作ってもらった場所に戻りました。夜も遅いのにあたたかく迎えてくれました。
もっとゆっくりしていこうと思ったのですが、今回、参加できなかった友にどうしても今日中におみやげを渡したくなり、みんなより一足お先にその場を去りました。

深夜、友の家に到着。もう日付けを越してしまいましたが、待っていてくれてありがとう。

今回で、私のアルプスは今年はもう終わり。
また来年、どんな山に出会えるのかが、楽しみです。
そして、いつもいつも私の勝手気ままな山計画を力強く実行に移してくれる仲間たちに。
今日も感謝の気持ちでいっぱいです。

おやすみ。


2007年10月06日(土) 燕岳(つばくろ)岳へ

真っ暗な峠道をひたすらアクセルをふかしました。いきなり出てくる急カーブに、ひやひやしながら、やっと中房(なかぶさ)温泉に到着したのが朝5時過ぎ。一応、予定していた到着時刻でしたが、もう少し早く着くと思っていました。あの真っ暗な峠道に余分な時間がかかってしまった様子。イッキに疲れました。

覚悟していたとはいえ、登山者専用駐車場はどこもいっぱい。どうしよう……とおろおろしていると、同乗の2人も起きてきていっしょに探してくれました。ほっ。心強い。
それでもまったく見つからず、駅前まで下りて、そこからバスにしようかとも一瞬思いましたが、あの峠道を再び下りる気にはならず。いろいろと探し回った結果、たまたま会った奇特なご夫婦の協力もあり、登山者専用駐車場の番外編(?!)に車を停めることができました。それがどこかは秘密です。

真っ暗な峠道をくねくねと登ってきた疲れと、駐車場を探していろいろと悩んだ疲れが合体して、予定の出発時間を1時間ほど遅らせてもらい仮眠。今日は急登の連続。寝不足すぎてはいけません。

8時起床。
準備を整えて、軽く整備体操をして「燕(つばくろ)岳」の登山道に入りました。9時。ちょっと遅めのスタートです。

うわさに違わず、いきなりの急登に仲間のひとりが「えーーっ」と声を上げます。頂上に水場がないため、テントと水と食料とが詰め込まれたザックの重さは15キロ。私のテント泊の過去最高となりました。
燕岳の登山道には、ところどころに休憩スポットがあります。「第一ベンチ」「第二ベンチ」までは、約40分ごとに到着。予定していたタイムよりもちょっと早めでした。難関はここからです。

地図の等高線にちょっとおそれをなしながら登り始めた登山道は、私の想像をはるかに越えました。一歩一歩、足を前に進めるたびに息が切れ、段差の高いところでは足が上がらず背中のザックがずっしりとのしかかってきます。部活をしていたおかげで、運動しながらの息の整え方は心得ているため、よっぽどでないとめったに息が上がらない私。今回はその「よっぽど」の山道なのでした。
そして「富士見ベンチ」に到着。ちらりとですが、雲のすき間から富士山が見えました。あぁ、登ってきたんだな。
気力を回復し、最後の難所といわれる合戦小屋までの急登に入りました。さっきまで声が聞こえていたうしろの2人も無口。ひたすら無言で延々と続く山道をせっせと登りました。

樹木が途中、途切れたところで左手を見ると、山の向こうに先っぽのとんがった山が見え出しました。
………。槍、だ。

登山者の憧れの山、槍ヶ岳の山頂がひょっこり顔を出してくれました。しばらくその姿に見とれていると、うしろから来たふたりも到着。三人でしばし槍を見つめていました。そこから、登れば登るほどにどんどん姿を見せてくれる槍を横目に見ながら、次の休憩スポットを目指しました。
途中から聴こえてきた人のざわめきがだんだんと大きくなってきて、合戦小屋到着。やっと着いた、というのが率直な感想です。

ここは、荷揚げ用のケーブルで物資が運ばれてくるポイントになっていて、売店もあります。
売店横の屋根のあるテーブルを借りて昼食。きのうの晩に作ってくれた三色のおにぎりと、それからやはり定番の「塩ラーメン」。あぁ、この時間がやっぱり楽しい。
ほかのテーブルをのぞくと、カセットコンロを担いでの焼肉あり、パンとサラダのこじゃれたランチありのちょっとしたパーティーでした。ここは、ぜいたくランチをすることで有名なのでしょうか?

それほど長く休憩はとらず、山頂を目指します。
地図の等高線は比較的ゆるやか。ガイドブックの事前情報によると「ここから尾根に出て気持ちのいい山道」とのこと。稜線沿いを歩くのか〜、と高(たか)をくくっていたのが大間違い。
やはり山頂まで少し急でなくなったけれど、登りの連続です。
山小屋「燕山荘(えんざんそう)」が見え、あぁ、もう少しだ……というところで、最後の休憩。そこから3分ほどで山小屋に着きました。15時。計画していたコースタイムとしては、予定どおりです。

山頂アタックは明日の朝にして、テントを立てました。槍はすっかりその姿を惜しみなく私たちに見せてくれています。手前には大天井岳(おてんしょうだけ)へ続く稜線とその向こうには常念ヶ岳。富士山に甲斐駒、北岳、仙丈ヶ岳。槍の向こうに見える双六岳……。いえ、仙丈と思っていたけれど、あとであれは間ノ岳(あいのだけ)だということ、そして、双六岳と思っていたけれど、それは笠ヶ岳が見えていたということが判明。そんな遠くの山が見えるなんて思いもよりませんでした。私の読図。誤図ばかり……。

夕飯を食べ、夕焼け。3000メートル前後の山々を静かに赤く燃やす夕焼けに感動し、ちょっとテントでまったりしながら20時。それぞれのテントに戻りました。各自、寝心地がいいと思われる寝所をせっせと作り、おやすみなさい。
明日は5時起床です。


2007年10月05日(金) 期待

21時過ぎに「おにぎり」を握り始めてくれました。
今回は、斬新な「三色おにぎり」。
小さな三角おにぎりを3つ。
それをひとつに合わせます。
できあがると、3つの味が楽しめる三色おにぎり。
大きな大きな手がつくる、大きな大きなおにぎりです。


ひとり一つ、その大きなおにぎりをもらって、今晩から、また山へ出かけます。
目指すは長野の「中房(なかふさ)温泉」にある登山口。

さて、今回は、どんな山行になることでしょう。
とりあえず、天気予報は「晴れ」。

期待大、です。

おやすみ。


2007年10月04日(木) すべてへ

いろんなやさしさに、感謝!

おやすみ。


2007年10月03日(水) このへんで

久々に19時台に家に帰りました。
母が、きのう、私が買ってきたカレイを焼いて待っていてくれました。

テレビを観ながら、しきりに私に話しかけてくる母。
それにあいづちをうつ私。
ごくふつうの会話です。

でも、いつもひとりでテレビを観ているんだな……と思うと、妙に申し訳なくなり、いつも以上に多弁にふるまいました。

私に、もう少し時間とお金があれば、もっとゆっくりおしゃべりしていられるのにな。

なーんて、毎週、山の予定ばかり入れてないで親孝行しなさいって言われそうですね。

風向きが悪くなってきたので、このへんで。

おやすみ。


2007年10月02日(火) いちごの苗

「あ、いちご……」

社会人になった年の春、よく行く花屋さんの軒先に「いちご」が売られていました。
子どものころ、母が買ってきたいちごを大事に大事に育てていた私。
一家離散して、そのいちごはそのまま「あの家」に置き去り。
だから、いちごを見るとむしょうに懐かしくて仕方がなく、思わず1つの鉢を買いました。

そのいちご。
おととしの大寒波まで、毎年ではないけれど枯れずに実をつけてくれていましたが、とうとう寒さにやられました。
私といっしょに、あちこちを転居してきたいちご。
ホントによくがんばってくれました。

あれ以来。
いちごは育てていません。

先日、ふと、友の家の庭先を見ると、いちごの苗がありました。

「あ……」

友にお願いしてもらった2株。
プランターはあります。
あした、いい土を買って帰ろう。

たった2株だから、来年の収穫はそれほど期待していません。
でも、いいのです。
いちごをまた育てられるというだけで、いいのです。

おやすみ。


2007年10月01日(月) さて

さて、忙しい忙しい10月が始まります。
どこまで、がんばれるでしょう。

おやすみ。


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