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2003年12月31日(水) 来年も!

「ところで、どんな映画を観るんですか」

そんなことを聞かれたことがあります。
映画は好きだけど、先立つものの関係で映画を観ていなかった私。
あのとき、

「もっと映画を観ておけばよかった」

と思いました。
そんな私に、映画を観ることを進めてくれた彼。
でも、彼がすすめてくれた映画をみたことはありません。

今日、とある珈琲館に遅めのモーニングに行きました。
ときおり出る彼の話題に、いろんな思いがめぐらされて。


それでも、1年は暮れていきます。
時間の流れは、誰にとっても公平で、でも………。

そんな1年のおわり。


私?
私は、感謝でいっぱいの1年です。
来年もよろしく。


2003年12月30日(火) がんばる

年の終わりに書きたいことはいっぱいあって、でも、書ききれない思いに不完全燃焼な日記。
それでも、1年の終わりに伝えたい言葉はたくさんあります。

明日はどうなるかわからないので、今日、伝えます。


どうもありがとう。

シンプルなこの言葉が好きです。

来年もがんばろうね。

心がこもっていればいるほど、心の奥底に伝わる「がんばる」という言葉。
どんな言葉でも、受け止めていける心を、来年は養っていきたいな、って思います。

さて、来年は「おとな」になりましょうか、ね。


2003年12月29日(月) ふっふっふっ。

年末最後のお休み日記。


2003年12月28日(日) 大掃除

大掃除もまっただなか。
それでも、途中で手が止まるときがあります。
さて、どんなときでしょう。

「子どものころに読んだマンガを見つけたとき」

そんな答えをする人もいるでしょう。
でも、たぶんおおかたの人がこういうでしょう。

「アルバムを見つけたとき」


今日は、「恒例」の大掃除の日。
あまり使わないものを押し入れのスペースに片づけようとしていたら、「フエルアルバム」を見つけました。
パラリとめくると、そこには一つの「家族」とその周辺の人たちの写真がいっぱい。

手にもっていた雑巾を置いて、ゆっくりとアルバムをめくります。
私の知ることのない「思い出」がたくさん飛び込んできて、笑みがもれると同時に涙もこぼれてきました。
それでも、バラバラに整理されていたアルバムを一つのところに集めて押し入れを閉めました。

多くは語らず。
でもそのあと、一つのところに集めたアルバムを見つけて、笑いながら見ていた人の後姿に、想像を絶する「思い出」の数々を垣間見たようで、どんな声をかければいいのか、私にできることの「非力」さをあらためて感じながらも、「大掃除」という役目に没頭せざるをえませんでした。

大掃除、整理整頓。
でも、それだけではないのです、ね。


2003年12月27日(土) カラオケパーティー

恒例のカラオケパーティーに行ってきました。
2時間の予約で、1人1曲ずつ、総勢15人が歌います。
最初にリクエスト曲を入れて、みんなでじっくりその人の歌を聴きます。

「1年間の集大成になる歌」

がテーマだったようですが、私の知っている歌はやはり限られています。
そんななかから私が選んだ曲は、昔、大好きだった松任谷由実さんの曲。
いつのころからか、彼女の曲を聴かなくなったけれど、やはり私の「思い」がたくさん詰まっています。

そのなかから1曲。

いつものように発声練習から始まり、いつものように音程をはずしながら歌ったけれど、楽しく歌えました。

友たちの歌も、とても個性があふれていて、ときどき笑い、ときどきほろりときた2時間が過ぎていきました。

こんな時間をこんなすばらしい友たちと共有できていることに、この時間を与えてくれたすべてのことに感謝。

それから、私にこの「場所」を与えてくれた「彼」に、今年何度目かの「ありがとう」と心につぶやきながら、今日の日は過ぎていきました。

ホントにホントに、ありがとう。


2003年12月26日(金) ボクシングデー

今日26日は、イギリスでは「ボクシングデー(Boxing Day)」。
休日だそうです。

なんだか強そうな名前の休日ですが、あの格闘技のボクシングではありません。
「Box」は箱。
つまり、クリスマスプレゼントの箱を開ける日とのこと。
昔は、クリスマスにカードやプレゼントを届けてくれた郵便やさんや使用人にプレゼントをする日だったそうです。

イギリスでは、店も閉店し、バスなどの交通機関もストップ。
クリスマスパーティーのため、家から出ることはないとのこと。
日本の「正月」のようですね。
今は、元旦からあけている店は多数あるけれど、思えば昔は大晦日に買い物に行くのが恒例行事でした。

そんなこんなで今日の日記はおわり。
たまには、尻切れトンボな日記もいいでしょう。

おやすみ。

追伸:今日、誕生日の友へ。
ハッピーバースデー。
これから始まる新しい歳に、大きな一歩を踏み出せますように。


2003年12月25日(木) サイレント・ナイト

とってもくたくたな夜。
帰ってくるなり、バタンキュー。

それでも、今日が何の日か知っているすべての友に。

メリークリスマス!


2003年12月24日(水) クリスマスプレゼント

幼稚園のころ、大きな模造紙にみんなで絵を描きました。
テーマは、「クリスマスプレゼントに欲しいもの」。

みんな、リカちゃん人形とかプラモデルらしき絵を一生懸命に描いています。
お金の絵を描いている友もいましたが、確か丸いコインの絵だったように思います。
まだ「お札」の存在を知らない時代でした。

私も描きました。
私は、当時テレビで放映されていた「フランダースの犬」に出てくる「アロア」という女の子の絵を描きました。
アロアは、主人公ネロ少年の親友で、裕福な家庭に育つお嬢様です。

あとで、みんなに「アロアの人形が欲しいの?」とさんざん聞かれました。
そのときの私の答えは、

「アロアになりたい」

「…へぇ…」

みんな不思議そうに、それでもそれ以上質問することなく、アロアの絵を見ていました。
それもそのはず、アロアは厳しい厳しい父親のもとで育ちます。いくら裕福とはいえ、そんな家庭の娘になりたいわけがありません。

かくいう私も、そんな「アロア」になんかなりたくありませんでした。
では、なぜアロアの絵を描いたかというと…。
覚えたてのアロアの絵を、みんなに見せて自慢したかったから、だけの話です。

「クリスマス」を初めて意識した私の「クリスマスプレゼント」は、友からの「絵が上手だねー」という言葉。

予定どおり、友や先生から「うまいね、うまいね」という言葉をたくさんもらい、上機嫌なクリスマスが過ぎていきましたとさ。

思えば、プレゼントを配ってくれるサンタクロースは、もうすでに私のなかでは「本」のなかだけの存在。
小学校6年生まで信じていた、という友がうらやましく思えるイブでした。


2003年12月23日(火) 反省

携帯を新しくしてから、電話代が5000円アップしました。
パケット通信代です。
気をつけないと。

今日はそんな反省日記。

おやすみ。


2003年12月22日(月) 親の愛

ふと母の顔を見ると、頬の肉が少し下がっていました。
この1年でちょっと老けた様子。
今年、還暦を迎えた母です。
孫はいませんが、ちょっと前だったら、もう「おばあちゃん」と呼んでもいい年なのでしょう。
それでも、年齢のわりには若く見えていることは、子どもながらにうれしいことです。

昔は「美人のお母さん」でとおっていた母。
化粧もほとんどせず、着飾ることもせず。
それでも、参観日に来てほしい自慢の母、でした。
ナチュラルに「おしゃれ」だった母は、最近「物忘れ」という老化現象が出てきたようです。

サラリーマンを辞めたことをまったく後悔していないけれど、ただひとつ「不安」があります。

「父が働けなくなったら、どうしよう」

まだまだ、自分の生活費で精一杯の私。
たまに、家にお金を入れてはいるけれど、それでも「すずめの涙」程度です。

それでも、何時に帰っても起きてきて「レモン酒」を作ってくれる母。
親の「無償の愛」は、22歳までで打ち切ったと思っていた私。
今さらながらに、親の愛はそんなものじゃない、って思います。

たとえ金銭的な援助とかいろんな甘えをしなくなっても、親はいつまでも「親」なんだな、と思います。
でも、甘えてばかりではいけないのです。


2003年12月21日(日) クリスマス・イルミネーション

イルミネーションを見に行ってきました。
街のなかのイルミネーションではなく、住宅街のイルミネーションです。
最近は、個人の家をクリスマス・イルミネーションで飾るのが増えてきているそうです。
数百万円もするイルミネーションもあるとか。
もちろん、1年ですべてをそろえるわけではないけれど、趣味にしては高すぎるように思います。

といいつつも、やはりクリスマス気分を味わおうと、夕方になってから友と3人で出かけていきました。

友のナビのままに、いわゆる「高級住宅街」のなかを車を走らせます。
ところどころに、シンプルなクリスマス・イルミネーションが見えるなか、ひときわ明るい家を発見。
すでに人だかりができていました。

映画「ホームアローン」を思い出すほどのキレイなイルミネーションに思わず「キレイ」を連発してしまいます。

街のなかのイルミネーションとは違い、手作り感があってどことなくあたたかい。
その家に住んでいる人が、楽しんで飾っているんだな、ということが伝わってきます。

「見ていく人が、きれいと言って楽しんでくれるのがうれしい」

そんなコメントを新聞で読みました。

住宅街のイルミネーション。
車でしか行けないところがほとんどだけど、けっこうおすすめです。はい。


2003年12月20日(土) 自分の時間

久々にのんびりした土曜日でした。
仕事はしていたけれど、適当に休憩もでき、パソコンのデータ整理もでき、なんとなく「自分の時間」が充実。

やっぱりこういう時間があるのはいいな。

夜は、友たちと3人でわいわい夕食。

楽しい楽しい1日になりました。

おやすみ。


2003年12月19日(金) パジャマ

19歳のちょうど今ごろ、ちょっと大きめのパジャマを作っていました。
「手芸」好きの母の影響か、私も小学校のころから何かと「手作り」の小物を母に教わりながら作っていました。

12月下旬に入ってから、パジャマ作りを思い立った私は、まず手芸の本を買い、デザイン学校に行っていた友からミシンを借り、新宿の手芸屋さんで黒いコットンの布とミシン糸、バイヤステープを買ってから、いざ作成!

久々の「手芸」に悪戦苦闘。
ミシンを貸してくれた友の家に行き、友の力を借りながら、ようやくできあがったのが24日の夕方。

「ギリギリ間に合った……」

そう、これは私の「生まれて初めての告白」のためのクリスマスプレゼントだったのです。

急いでラッピングをして、意中の彼のいる店に行きました。
営業時間に少し入ってしまいましたが、どうしてもすぐに渡したくて、相手の都合も考えずに、店に電話。

「今から、ちょっと行ってもいいですか」

「え、今、仕事中だから…」

「…あ、わかりました…」

たったそれだけのことなのに、「恋の終わり」と思った私。
ほかの日に出直せばよかったものを、もう「嫌われた」と思い込んでしまいました。
「告白」の「こ」の字も言葉にしていないのに。

そのあと、私はバイト先に行って、おいおいと泣き、予定されていたクリスマスパーティーもドタキャン。
そのあとのことは覚えていないけれど、明け方になってから近所に住む友が心配して、家に電話をかけてきてくれたことを覚えています。

いろんな人に迷惑をかけたあの日。
わがままだったなぁ、と思います。

「大失恋をした」とそのときは、思っていたのですが、そのあと、何度も何度も「大失恋」を繰り返すのでした。

「恋」はいつでも新鮮で、「失恋」はいつもこの世の終わりと思えるくらい悲しすぎる。
だからいつも「大失恋」なのでしょう。

そのときの「パジャマ」は、半年後に箱から出されて、私のお気に入りのパジャマになりましたとさ。

懐かしい懐かしい思い出です。


2003年12月18日(木) 1行日記

どんよりどろどろ、な気分の1日。


2003年12月17日(水) 楽しい夜のまま

「おじゃましま〜す」

玄関のドアをあけると、やさしい「白」が目にに飛び込んできました。

「いらっしゃい」

聞き慣れた明るい声に導かれて、いちばん奥の部屋まで通されました。
想像どおりの2人の部屋は、飾ることなくシンプルですっきり。
テレビの上に置かれた2人の写真に「新婚家庭」だということを思い出させます。

今日は10月に入籍したばかりの2人の新居を訪問。
初めてなのに、妙に落ち着くのは、2人の人柄でしょう。

おいしい鍋料理といろんな種類のお酒、それからわいわい雑談に、とてもとても楽しい時間を過ごすことができました。

明るくさわやかで笑顔がよく似合う2人に、「お招きいただき、どうもありがとう」。
また、おじゃまさせてもらいます。

楽しい夜は、楽しい夜のまんま。
なーんにも考えることなく、楽しい気分のまんまで、おやすみなさい。


2003年12月16日(火) 屋形船

屋形船の上で、よく忘年会をしていました。
隅田川を2〜3時間かけて周遊し、最後にディズニーランドの花火を見て岸に帰ってきます。

飲み放題で1人1万円。
船は10人以上集まれば、出してくれました。
他部署の人を含めて20人ほど集めて、年に一度の大宴会です。

途中、別の船のおばさんが窓を叩いてしじみを売りにきます。
料理もたくさん出てきて、カラオケも歌い放題。

ちょっと高いこの宴会だけど、水の上で隣近所を気にすることなくわいわいとでき、しかも21時には岸に帰ってくるので、時間どおりに帰宅できます。

「忘年会」で検索したら、「屋形船」が出てきました。
今は1万円の忘年会なんてできません。
でも、また機会があったら、してみたいなあ、と思いました。

大阪だったら、やっぱり淀川(!)なのかしらん。


2003年12月15日(月) 検索ワード

「車」「バック」「ブロック塀」で検索して、この日記にたどりついた人がいました。

………。
なんか複雑な気分。
きっと、修理の方法とか予算とかを知りたかったのでしょう。
そんなの日記に書いていません。
いえ、まだ修理も何もしていません。

公開日記をつけて3年も経つと、検索エンジンによくひっかかります。
ここ2日間でひっかかっていた検索ワードを挙げると…。

「叱る 会社」
きっと、部下の叱りかたについて、悩んでいる人でしょう。

「忘年会 幹事 進行方法」
あぁ、この人も私と同じで『幹事』が苦手な人でしょう。

「スピーチ 朝礼 笑」
朝礼のスピーチで笑いをとるって、けっこう難しい。そういえば、スピーチを文集にしているところがあって、それはけっこうおもしろかった。

「小金井の町」
なんなんでしょうね。

こうして考えてみると、この日記ってせっかく検索ワードにひっかかって見にきてくれても、なーんにも知りたいことが載ってなーい。
なーんにも役に立ってなーい。

と思いました。
でもそれはそれでいいのです。
だって私の「日記」だもん。


2003年12月14日(日) 残りの食材で鍋

昨日の忘年会の残りの食材で、「鍋」をしました。
私はみんなでわいわい言いながら、つつきあう「鍋」が大好きです。
今日の鍋は、しょうゆで味付けをしたダシの鍋。
ホントにおいしかったです。

みんなで食べる鍋は、なぜか「ポン酢」が多いのですが、実は私は味付けをした鍋が大好き。
きっと我が家の鍋に、ポン酢があまり出てこないからでしょう。

今日は、昼からみんなでわいわいと鍋をつつくことができて、なんだかシアワセ気分でした。

おしまい。

*最近、気抜け日記な感じ。


2003年12月13日(土) 忘年会

最初にホントのことを言いますと、「一芸披露」は参加の必須条件ではありませんでしたとさ。

ということで、今日はいよいよ「忘年会&12月誕生会」。
毎月続けられてきたこのあたたかい会も今回が最後。
いつもより早い時間に始めて、いつも以上に楽しくそしていつものようにあたたかい会になりました。

次から次へと披露されるみんなの一芸。
みんなの「一生懸命」がいっぱいこもったこの会。
これで最後かと思うと、ちょっと寂しいけれど、それでもみんなの「あたたかい」気持ちがなくなるわけではありません。

そんなみんなに私なりの「感謝」を伝えようと歌いました。
いつものように緊張しながら前に出て歌います。
いつものように歌ったのだけれど、なんだか不完全燃焼。
なんでかな。
でも、歌うことはできてよかったです。

みんなの「一芸」は個性豊かでとてもとてもよかったです。
自分のできることを探して見つけて披露する。
これって、とってもすばらしいことなのだと思います。

今日も夜遅くまでみんなでわいわい。
最近の体調不良のためにお酒を控えていた私ですが、久々に日本酒を飲みました。
あっという間にイスに座って眠りこけてしまいましたとさ。

みなさん、土曜日はおつかれさまでした。
おやすみなさいませ。


2003年12月12日(金) 試験前

高校2年のときの2学期。
5本指の手袋を編みました。
しかも、なんと土曜日の午後から日曜日の深夜にかけて、たった2日間で編みあげました。
もちろん、自分でする手袋です。

なぜこんなに集中して編み上げたのか。
理由は簡単です。

「月曜日から期末テストが始まる」

そんな週末だったのです。

「テスト前になると、何かほかのことがしたくなる」

そんな覚えはありませんか。
私はテスト前になると、なぜか分厚い本を2冊も読んだり、編物をしたり、部屋の片付けを始めたり。


今も年末でかなり忙しくしています。
明日の夕方〆切の仕事もありますが、いまだ手つかず。

そんななか、なぜかホームページをリニューアル。
明日、オープン予定、です。

おとなになってもしていることは、いっしょ、ですね。

なんて言っている場合ではないのですが(汗)。


2003年12月11日(木) 車の免許

大学1年の11月、何を思ってか「教習所」に通い始めました。
究極にお金がないときだったのに、なぜ免許を取ろうと思ったのか、いまだにわかりません。
ただでさえ、電話の権利を買ったばかりで10万円近いお金が飛んでいったばかりなのに。

ただ、ちょうど教習所に通っていた友の話を聞いていると、私も運転してみたい、と思うようになっていたのは確かです。

当時は、4段階制で最速で27時間。
高速教習はありません。オートマ限定という免許制度もありません。
あとで知ったのですが、私が通った教習所は、都内で1位か2位を争うくらい厳しい教習所とのこと。
卒業後の事故率も、全国で2番目に低いとか。

そんななかで、厳しく実に厳しく「車の運転」を教えてもらいました。

深夜のアルバイトを終えて、そのまま寝ずに朝9時の教習に行って、それが終わったら学校に行って、それからまた深夜のバイト。
寝る時間は、教習の合間と授業中。

車の免許を取るって、こんなにたいへんだったんだ…と、教習所に通っている自分を後悔したことも何度かあります。
いえ、自分でそういうスケジュールを作ってしまったのがいちばん悪いのです。

あまりにもの眠さに、何度か予約した教習に行けなかったこともしばしば。
仮免許を取ったのは、ちょうど今ごろでした。
約1カ月。2時間オーバー。
もうすっかり疲労困ぱい。

「もう、免許なんかなくてもいい…」

教習所に通っていることを、親にも友にも誰にも言っていなかった私。
別にあきらめても、誰にもなんにも言われません。
そんなことを思って年を越し、それから1カ月、教習所を休みました。
いえ、もう行かないつもりでした。

1月の中旬。
免許を取り立ての友が、新車を買って家まで迎えに来てくれました。
とてもとてもうれしそうな友の笑顔に私が思ったこと。

(………。もう一回、行ってみようかな)

その7日後、無事に卒検合格。


今も、空気のピンと張り詰めた冬の寒い朝には、教習所のあった小金井の町と遠くに見えた白い富士山と、友の笑顔を思い出します。

どうも、ありがとう。


2003年12月10日(水) こんな日は

開店休業中。


2003年12月09日(火) すーすー

静かに聞こえる寝息に耳を傾けていたら………。


………。
はっ!
寝てしまったっ!

というわけで、仕事進まず。

眠いときには寝てもいいのだ。
おやすみ。


2003年12月08日(月) 古きよき

23歳の今ごろ、私は「忘年会の幹事」という大役に、悩まされていたころです。
最初に入った会社では、とにかく新人がありとあらゆる雑用をこなします。
イベントの「幹事」もその一つ。

幹事慣れしていない私は、店を決めるのも日程を調整するのにも四苦八苦。

「新人に幹事をさせるなんて、なんて古めかしい体質!」

と沖縄出身の同期に愚痴をこぼしたことがあります。
すると、その同期曰く、

「きっと社会人教育の一貫だと思うよ」

「教育…?」

そのときは意味がわかりませんでしたが、ずっとあとになってわかりました。
幹事の仕事をすることによって、人への気の使い方や集団の連絡のまわし方、人前でのあいさつの仕方など、会の進行方法などいろんなことを学びました。
それは、「宴会」の席だけでなく、その後、実際に仕事をしているときにもおおいに役立ちました。

いざというときにあわてないための1年目の「雑用」。
雑用=仕事、だったんだな、と。

結局、その年の忘年会は、困ったころに先輩がアドバイスをくれたり、段取りを教えてくれたりして、楽しい会になりました。
きっと今までもこうして先輩から後輩に、社会人としてのいろんな段取りが受け継がれてきたのでしょう。

立派な社会人になっているかどうかは別として、あの会社で「社会人たるもの」を教えてもらってよかった、と思います。

古きよきものを大切にしていたあの会社。
今はどんな雰囲気なのでしょうね。


2003年12月07日(日) 一万人の第九

ふらふらーのまんま、本番会場まで行きました。
薬のおかげで、たくさん汗をかいたためか、熱はけっこう下がっていました。
どうもありがとう。

それでも、ふらふらーのまんま、最後のリハーサル。
途中、貧血と吐き気でそのまま座り込んでしまいました。
周りのみなさま、ご心配をおかけしました。

さて、いよいよ「本番」が始まります。
今日はいよいよ「一万人の第九」の本番です。
大阪城ホールに、8月の終わりから各地で練習をしていたオーケストラと合唱団1万人が集まります。

男性は、黒いスーツと蝶ネクタイ、女性は白いブラウスと黒のロングスカート。
両方とも持っていない私は、急遽、友から借りてきました。
これまたどうもありがとう。

本番のあいだもずっとずっとイスに座りながら眠りこけていたけれど、合唱のときだけは、起きていることができました。
寝ていた甲斐がありました。

今年の一万人の第九は、森山直太郎さんが出演。
最初に3曲ほど、歌ってくれました。
「さくら」は、合唱団バージョンでみんなで熱唱。
その声の良さに感動。
そして、その歌詞にもさらに感動。

阪神の選手も2人、出てきて、六甲おろしをこれまた大合唱。
大阪ならではの企画です。

そして、第九。

それから蛍の光を合唱してフィナーレ。

朝9時から18時くらいまでのあいだ、私が起きていたのは、2時間に満たないでしょう。

それでも、「やっと終わったー」という達成感が残ったということは、「大成功」だったのでしょう。

ということで、今日はいちばん楽しみだった打ち上げにも出ずに、21時にはふとんでぐっすり。

おやすみなさい。


2003年12月06日(土) 明日に備えて

明日がとうとう「本番」だというのに、体の節々が痛くてたまりませんでした。

「今晩は、熱が出る」

その予感はピタリと的中。
寒さと吐き気で、ふとんにもぐっても眠ることができません。

もらった風邪薬を飲み、毛布にくるまりました。
寒くて寒くて、体中が痛くなってきて、なんだかムショウに悲しい気分。
それでも、だんだんと薬が効いてきたのか、いつの間にやら寝ていました。

それでも、夜中に何度も目が覚めて、自分の居場所を確かめます。

明日までに、治っていればいいのだけど、それはきっと無理。
明日の朝、起きたときの体調で、「本番」を欠席するかどうか決めよう。

私には、「本番」よりも大事なことがあるはず。

でも本番には、出た〜いっ!


2003年12月05日(金) こんな日も

今日は、しくしく。

さて、明日はどんな1日になるのでしょう。


2003年12月04日(木) こんな日

今日はシアワセ。


2003年12月03日(水) ホタテ

はてさて、なぜだか最近、「思い出の宝箱」のふたが全開です。
時系列を関係なくして、思い出がどんどんこぼれ出てきます。
きっと、「そろそろ整理整頓しておこうよ」という暗示なのでしょう。
だからというわけではないけれど、「昔」の話が今まで以上に多くなります。

そんなわけで、おとといの続き。

もともと最新式だった親子電話は、突然に手元からなくなり、いきなり黒電話に逆戻りしました。
食器乾燥機もビデオもホットプレートも何もかもなくなったけれど、それほど「不便」は感じません。
親子電話は黒電話になったけれど、今までのように電話がじゃんじゃんと鳴るわけでもなく、かえって気楽でした。
14インチのテレビを、祖母と二人であーだこーだとテレビにコメントしながら観る毎日もなかなかステキな1週間が過ぎていました。

でも、一つだけ不満がありました。
それはお弁当から「フライもの」が消えたこと。
家庭用フライヤーも、「家」に置き去りにしてきたからです。
冷凍食品だけど「貝柱のフライ」が大好きだった私。
お弁当に入っている母のつくる卵焼きの次に好きなメニューでした。

学校にいって、祖母のつくってくれた卵焼きが、母と同じ味をしていることに毎日、感謝をしながらも、それでもそこに「貝柱のフライ」が入っていないことに、「やっぱり、生活が変わったんだ…」と思わざるをえず、なんとも寂しい1週間でした。

そしてその1週間後のお弁当には、再び貝柱のフライが顔を見せてくれることになります。
この話はまた違う機会に。

今もホタテの貝柱は大好きです。
ホタテを食べると、あの1週間を思い出します。
なんでもなかったことだけど、なんでもなかった「日常」がとてもとても大切だったんだ、と、今も思います。

おやすみ。


2003年12月02日(火) 更新できたトップページ

「この写真がいい」

そう言ってアルバムからていねいに剥がされた写真に、胸が詰まりました。

「よくこういう表情をしていたんだよ」

そう言いながら、アルバムに貼られているほかの写真をじっと見つめる「彼の父」。
かける言葉もやはりいまだに見つからず、隣で涙をこらえているだろう「彼の父」の顔を見ることもできず、私は黙ったままパソコンに向かって作業を進めることしかできませんでした。

今日は月に1回、私の「いつもの場所」のホームページのトップを更新する日。
その前に先月、新しく買い換えたパソコンに、スキャナを設定中でした。
剥がされたばかりの写真を、スキャニングしてホームページに使います。

ところが、そのスキャンに必要なものが見つかりません。
きちんと探せばどこかにあるのだろうけど、だんだんと人も増えてきて、探せる状況でなくなってきました。

「また明日、ゆっくり探そう」

そう思い、「いつもの場所」から帰ろうとする私に、彼の父が一言。

「できそう?」

「………。写真、借りていきます」

寂しさを帯びた「彼の父」の表情に、なんとしてでも今日中に更新しなきゃと思い、頭のなかでありとあらゆる方法を考えました。

………。
あ…、できるかも。

まだ試したことのない方法を思いつき、さっそく準備。
意外と簡単に、そして無事に「彼」の写真をスキャニングできました。

「いつもの場所」に戻り、さっそくトップページを更新。

「彼の父」がとっても喜んでくれたこと、「彼の母」が「ありがとうね」と背中ごしに言ってくれたことが、とてもとても嬉しくて。

明日にしなくて、よかった…。

そんなわけで、今日からサンタクロースの彼が、とあるホームページのトップを飾っています。
彼の「あふれる愛」が配達されるのは、やはりクリスマスなのでしょうか。
「心の煙突」を掃除して、待っているとしますか。

おやすみ。


*業務連絡
トップページ、ちょっと不具合があるので、また直しておきます(汗)


2003年12月01日(月) 親子電話

NTTがまだ「日本電信電話公社」だったころ。
家庭の電話は「黒電話」で、公衆電話は3分10円の「赤電話」。
電話の着信音も、まさに「ベル」。
リーンリーンと音の調整もできず、その大きな音に驚いていました。
そんなころ。

なんと我が家の電話は、1階と2階の「親子電話」でした。
親の仕事の関係で、電化製品はまだCMもしていない最新式のものが我が家にはありました。
ビデオやホットプレート、ポケットベル、携帯電話に家庭用フライヤー、食器乾燥機…。
今では家庭にあって当たり前のものばかりですが、当時は見慣れぬ電化製品でした。
携帯電話なんて、自宅のアンテナから2キロ以内でしか通話はできませんでした。

さて、その「親子電話」。
まだ幼稚園に入る前の私が、1階の部屋で遊んでいると、フォンフォンと電話がなりました。
そう、電話の音はリーンリーンではなく、プルルルル。
親子電話の呼び出しは、フォンフォンと、耳にも心臓にもやさしい音でした。
でも、親子電話がついたばかりだったため、私には音の違いがわかりません。
ホンモノの電話に出たこともありません。
なぜかそのときは、母にせかされて、電話に出ました。

「もしもし」

おもちゃの電話で覚えたとおりの電話のあいさつをすると、なんと受話器から父の声が。

「もしもし。元気にしてる?」

風邪をひいたため、幼い兄と私からは「隔離」されてしまった父。
それでも子どもたちと話をしたかったのか、電話で親子の交流。
まさに「親子電話」です。

子ども心にも、「風邪をひいて父は寂しいんだ」ということがわかり、しばらく電話におつきあい。
テレビで覚えた歌を歌ったことを覚えています。

この最新式だった電話は、いつしか旧式になり、そして、思い出たっぷり詰まった「家」に、やはり昔は最新式だったそのほかの家電といっしょにそのままおきざり。

「長い間、ありがとう。さようなら」って、あの日、「親子電話」に言ったかな。

おやすみ。


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