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2003年03月31日(月) カーステ

隣山の谷間に住む友に着いてきてもらって、ようやくカーステレオを買いました。
去年から欲しがっていたもののひとつです。
CDとMDがついているものではなくて、CDとテープがついているものを買いました。
理由は「安かったから」というのもありますが、今までもらったテープを車のなかで聴けなくなるのは、ちょっと寂しいような気がして、テープのついているものを買いました。

久々に音楽にあふれた車内。
私の車もちょっと(かなり)うれしそう。
最初にかけたテープは、三宅伸治。
懐かしくて懐かしくて、友を降ろして一人、帰路についてから、ほんのすこしだけ月を探しました。


おやすみ。


2003年03月30日(日) 期せずして届いたメールに

不思議と冷静な私。

一歩前進。
これでよし。

おやすみ。


2003年03月29日(土) 好きだった曲

松任谷由実のCDがありました。
比較的、最近出たベストのようなものです。
荒井由実の時代の歌も入っていました。
少しだけ聴いてみようと思ったのですが、これがまた懐かしすぎて、じっくり聴いてしまいました。

松任谷由実が大好きでした。
ずっとずっと大好きだったけれど、いつのころからか聴かなくなりました。
松任谷由実を好きだということも、あまり人には言わなくなり、私自身も「ユーミンはもう卒業かな〜」なんて思っていました。
実際に聴いても、以前のように、言葉が心にひっかからなくなりました。

それが今日はどうしたことか、その言葉に聴き入ってしまいました。
なぜかはすぐに気づきました。
彼女の歌に詰まっている私の「思い出」です。

彼女の歌を好きになったきっかけや、彼女の歌を聴かなくなったきっかけもいっしょに思い出されて。

なんとなくせつない気分になりながらも、すっかり「思い出」に変わってしまった事象が懐かしく感じました。

そして、きっと明日から、「ユーミンの歌が大好きです」と言える私になるのでしょう。

おやすみ。


2003年03月28日(金) 欲しいもの第2弾

CDとMDとテープのついたカーステ、クオークの動くマッキントッシュ、新しいウインドウズ、靴ずれしない靴、プレステ2、ファイナルファンタジー、並びのいい歯、回転の速い頭脳、おいしい柚子入り豆腐、なんでも弾けるギターの腕前、気持ちよく弾けるピアノの腕前、デイバッグ、どんなに悲しくても涙が出ない瞳、言いたいことがはっきり言える口、てきぱきと仕事をこなせる手、高くて険しい山でも元気に登れる体、ベルギーで飲むビール、出来たてのおいしいスープ、広い心。

増えたものと減ったものと。
絶対に手に入らないものと、決断するだけですぐに手に入るものと。


2003年03月27日(木) ピアノの発表会

ピアノが私の手元からなくなった高校1年生の三学期。
音楽の授業で1年間の発表会をすることになりました。
歌でも楽器でもなんでもいいのです。
みんなそれぞれに自分のやりたい楽器でやりたい曲を練習しています。
最初は、ピアノで何か弾きたいと思っていたけれど、もう私の手元にはピアノがありません。

仲の良かった友たちといっしょに「80日間世界一周」を演奏することになりました。
アルトリコーダーとソプラノリコーダー、トライアングルとピアノとドラム。
私は、にわかに覚えたドラムを担当しました。
友といっしょの練習は、笑いのたえないひとときでした。

それでも、やっぱりピアノを弾きたい。
最後に何か弾きたい。
今、私に弾けるピアノは、この音楽室のピアノしかないんだ、と思うと、まだ新しいグランドピアノが「弾いてよ。弾いてよ」と語りかけているように思えました。

発表会当日。
友といっしょに練習を続けた「80日間世界一周」は、大盛況でした。
そして、私はもう1曲。
「トロイメライ」をピアノで弾きました。
けっして難しい曲ではなかったけれど、しばらくピアノから遠ざかっていた指が動きません。
当日まで、友の家のピアノを貸してもらったり、紙でつくった鍵盤の上で練習したり。
紙の鍵盤で練習している私を見て、母が台所でこっそり泣いていた姿が忘れられません。


今日は、久々にピアノをほんのちょっと弾きました。
そして、もっと弾きたい、と思いました。


2003年03月26日(水) まるで

魔法にかけられたように、春になりました。


今日のこの春の陽がとても暖かくとても穏やかで。
短い春がいつまでも続くことを、心から願いました。

それでも季節は巡っていって。
巡るけれど、まったく同じ季節ではなくて。

ひとつの季節を精一杯、感じていこうと思った春の日の1日でした。


2003年03月25日(火) 2つ目の桜

まず、お山のてっぺんに、高校が建ち始めました。
私の住んでいた地域は、学区制だったため、自然とその新しい高校を受験することになりました。
本来、行くはずだった隣りの高校を借りて、入学試験と合格発表。
そして、未完成な高校まで、いわゆる「合格袋」を取りに行きました。
「五雲峰」という住所にあるその高校。
名前から伺い知られるとおり、かなり高い山の上です。
坂道を登り詰めたところに待っていた新しい高校に赴任する事務長の先生。
「おめでとう」という言葉よりも先に、「ごくろうさま」と迎えてくれました。
「受験生」という代名詞から解放されて、ようやく春を感じることができた瞬間です。

いつしか高校の周りには、バス停が開通し、住宅が建ち並び、私営のテニスコートができ、ジュースの自動販売機が設置され、大きな大きな公園ができ…。
私たちだけの場所と思っていた山が、3年間を通して、一つの町ができていきました。

だからでしょうか。
「いちばん行きたい場所はどこ?」と聞かれて、ふと、あの急な坂道を思い出したのは。

まるで一期生である私たちの入学だけを祝うかのように、坂道の両側に植えられて「ソメイヨシノ」がそろそろまた新しい入学生のために、咲き誇る準備をしているのでしょう。
それでもきっと、あの桜は私たちのことを覚えているはず。

これが私の、「2つ目の桜」です。

「1つ目の桜」の話は、またの機会に。
おやすみ。


2003年03月24日(月)

3月24日

大雨でした。
いつもは折り畳みの傘を必ず1本、カバンのなかに入れている私ですが、今日は入っていません。
出かけるときに雨の予感がしたのですが、帰るまでにはやむだろう、と思い、持っていきませんでした。

夕方からしとしとと降り出した雨。
まだまだやみそうにありません。

仕事先から最寄りの駅まで約10分。
近くのコンビニまで、スムーズにいって約5分。
どのみち、びしょ濡れになるのはわかっています。

会社員のころは、つねに傘を3本、会社に置いていました。
傘を忘れてきた人に、傘を貸してあげるためです。
貸してあげると、とてもとてもうれしい顔をしてくれます。
そんな顔を見るのが、とてもとてもうれしかったです。

社内を見回しました。
去年の4月まで勤めていた会社なのに、「傘、貸して」といえるほど親しい人は残っていません。
ほかの階にいるかもしれない後輩に電話をしたけれど、留守番電話につながりました。
傘を借りにほかの階をうろちょろするのも、なんとなく憚られたため、コンビニまで濡れて帰ることに決めました。
服やカバンが濡れることよりも、風邪だけが心配。帰ってすぐに熱いお風呂に入ろう。
辞めて1年しか経たないのに、傘1本借りられる人がいないことに、一抹の寂しさを感じながら、雨のなかに一歩、踏み出すと、

「あ、何やっているんですか」

振り返ると、よく飲みに行った後輩でした。

「濡れますよ」

さりげなく傘に入れてくれた後輩。回り道をしてコンビニに寄ってくれました。
ビニール傘のわりには、大判の傘を1本調達。
さっきよりも大雨のなか、二人で大笑いしながら帰りました。

こんなに元気な気持ちにさせてくれて、どうも、ありがとう。


2003年03月22日(土) WWWの力を借りて

何度も何度も迷ったすえ、ようやく「送信ボタン」を押しました。
手紙をポストに投函してから動き出す「時間」と比べて、電子メールの「送信ボタン」を押したあとは、なんとなくあっけなく感じます。

郵便だと、だいたい何日後の何時ころに先方のポストに届くんだろうな、と想像できるけれど、電子メールは、すぐに届くわりにはいつ相手がメールを開くかどうかわかりません。

風のたよりにのせようと思っていた手紙は、「くもの巣」の力を借りてとうとう私の手を離れました。

どうか、穏やかに。
と思うのは、私の勝手な願いなのでしょう。

それでもやはり。
どうか、穏やかに。

おやすみ。



2003年03月21日(金) 春一番

今年はいつ「春一番」が吹いたのかな。

窓の外を吹く風を見ながら、ふと思いました。
北風とはまったく違う風の色。
いつから南よりの風に変わったのでしょう。

春一番は、立春のあとに初めて吹く強い南よりの風。
強風にあおられながらも、春の足跡にわくわくするのが楽しみでした。
もともとは九州の五島列島の漁師さんの間で使われていた言葉が、戦後に広く使われるようになったとのこと。
こんなにステキな言葉ではあるけれど、漁師さんたちは海難事故を恐れて「春一番」と呼んでいたそうです。

季節の言葉を聞くと、季節にくすぐられているような気がして、思わず笑みがこぼれます。
今ではもう使われなくなった言葉もありますが、無理やり使おうとは思いません。
言葉は、変わっていくもの、だと思っています。

ちなみに、春二番は桜の花が咲くころに吹く風。
春三番は、桜を散らす風、とのこと。
もちろん、古人は二番、三番などとは言わず、「花起こし」「花散らし」と言っていたそうです。

春を連れてきて、春を連れ去っていく風。
今年初の南風に託したかった「風のたより」は、まだ私の手元にあります。
今度、大きな南風が吹くのは、いつ、でしょうか。

おやすみ。


2003年03月20日(木) お願いごと

ほんの少し長い手紙を書きました。
今度こそ、投函できますように。
ぱんぱんっ。

おやすみ。


2003年03月19日(水) 本日は

臨時休業です。


2003年03月18日(火) 手紙

「届いていた手紙」について動揺を隠せず、だからあんな夢を見たのかもしれません。

おやすみ。


2003年03月17日(月) 知る人たち

この間買った淡い空色の自転車に乗って、近所の銭湯まで行きました。
いつもは車に乗せてもらって行くのですが、今日からは一人で行けます。なんとなくウキウキしながら、普段は曲がったことのない曲がり角で曲がってみたり、わざとゆっくりと走らせて車の中からしか見たことがなかった街並みを愉しんだりして、銭湯まで行きました。

自転車に乗って、街をうろちょろしていると、その街の「住人」になった気分になります。
学生時代も、自転車で銭湯まで通っていました。
車ではあまり入らない細い路地でちょっと迷子になったり、花がたくさん咲いている抜け道を発見したり。
ちょっと特徴のある家の前は必ず通るようにしたり、エアコンがないのかいつも夏場は窓を開けっ放しで夕食を食べていた一つの家族を横目で眺めたり。

自転車に乗りながらその街をじっくり見ていくことで、よそ者の私も「街」に受け入れてもらっているような気がしていました。
それでも、ときどき、「本当は、この街に知っている人は誰もいないんだ」という事実に気がつきます。
そんなときは、わざと遠回りをして帰ります。泣き顔のまま、誰もいない部屋に帰るのは「禁忌」だと思ったからです。

そんなことを思い出しながら、淡い空色の自転車を銭湯の脇に止めて、浴場のドアを開けました。

「あっ!」

「あ…」

そこには、私の知る人たちがいました。
こみあげてくるうれしさをひたすら隠して、湯船につかり天井を見上げました。
それでも少し、ほんの少しだけお湯をしょっぱくしてしまったことを、銭湯のおばさんに心のなかで謝りながら、いつものように早風呂を貫きましたとさ。

おやすみ。


2003年03月16日(日) だらだらと校内暴力について。

中学校2年生のときに、校内暴力がありました。
同じクラス、しかも同じ班の男子が、先生を殴りました。
私はそのとき、その彼の隣りに座っていて、そして班長でした。

いきなりすぎたので、声も出ず、事の重大さを理解するのに数分かかりました。

その彼は1年生のころはとても素直で、ほかのクラスだったけど、よく私のクラスにも遊びに来て、いっしょに冗談を言って笑っていました。
何があったのかはわからないけれど、1年間で見違えるほどに「不良」のレッテルを貼られた彼。
そのあと、3カ月ほど学校を休んでしまった先生。
そして、班長として、なぜ止められなかったのか、あとでほかの先生にみんなの前で叱られた私。
動揺を隠せないクラスメート。


そのときに私を叱った先生は、私たちが卒業してからしばらくして、教師を辞めました。
今は、洋裁の下請けの会社で働いているそうです。
よく当時のことを思い出しては、あのとき、私を叱ったことを後悔はしていないけれど、もう少し叱り方を変えればよかった、と言っていた、と人づてに聞いて驚きました。

当時の私は、叱られたことを理不尽に思うよりも、「あのとき、私に何ができたのか」を考えるだけで必死でした。
答えは今も出ません。
でも、先生があの場で私を叱ったことは、当然だし叱らざるをえなかったんだな、と、数年後に教育実習に行ったときに気づきました。

そしてその彼は、今、いわゆる「団」に入っているとも聞きました。


いろんな人の人生が私のなかを交錯しています。
いい意味でも悪い意味でも、互いに影響しあっているんだと思います。

あのとき、私の目の前で対教師暴力がなければ(もちろん、なかったほうがいいのだけれど)、私はその彼をほとんど思い出すことはなかったでしょう。
そしてその彼の気持ちを理解することはできなかったでしょう。
今は、なんとなく、彼が「不良」になった気持ちがわかるような気がします。

気持ちがわかるから、当時の大人たちは、「教師」という職業にやりがいを感じていたのでしょうか。

当時の教師たちと「大人同士」で少し話しをしてみたくなってきた今日このごろです。

またしてもとりとめのない日記ですが。
おやすみ。


2003年03月15日(土) 中学校の卒業式

3月15日になると、毎年必ずといっていいほど、中学校のときの卒業式を思い出します。
3年間をいっしょに過ごした友や先生、ボロボロになった1着のセーラー服、そして、薄汚い生徒会室と広すぎるグランドともお別れです。

まだ、公立高校の合格発表もされていず、希望校1校しか受けなかった私は、少しの不安を抱えたつつも新しい高校生活に夢を抱きながら、卒業式に出ました。

3年間、生徒会をしていたためか、私はほかの生徒よりも先生と仲がよかったように思います。
キライな先生でも、1対1で話せば新しい発見があって、キライではなくなりました。
きっと先生から見ても「優等生」だったのでしょう。

3月15日に、特別に何があったわけではないけれど、たぶん、ふわふわとだれかを頼りながら生きてきた私からも卒業を決意したように思います。
決意しただけで、その後も親に頼りっぱなしでしたが。

なんとなくとりとめのない日記。
なぜ私は3月15日を忘れられないのかを、整理しようと日記に書いてみたけれど、結局は混乱するばかり、の記述になりました。

おしまい。


2003年03月14日(金) おやすみの日

日記、おやすみ。
疲労がはなはだしい。

ぐぅ。


2003年03月13日(木) ワサビ

ぽっかりと、そしてたっぷりの「喪失感」。
これがオワリであってもハジマリであっても、「生のセロリ」を食べたときのあの感覚は、きっとずっと忘れません。

泣きたい気持ちは、鼻にツンとくるワサビのせいにして。

おやすみ。


2003年03月12日(水) 新しい自転車

いつも歩いている通りにある昔ながらの自転車屋さんで、中古の自転車を買いました。
淡い空色をした自転車です。
なんの機能もついていないシンプルな自転車です。

私は、自転車が大好きな子どもでした。
初めて自転車に乗れたのは、幼稚園の終わり。
家の前の中学校のグランドで、母と兄に教わりながら必死に練習しました。
何度も何度も転んで、すり傷をたくさん作り、母と兄のスパルタな教え方にわんわんと泣きながらも、毎日毎日、練習していました。

ある日、「すぅ〜っ」と私のなかを、一つの風が通り抜けました。

「あ…」

ほんのりと夕焼けに染まった中学校のグランドで、初めて自転車に乗れた瞬間です。
そして、その瞬間から高校を卒業するまで、私はどこに行くにも自転車と行動を共にするようになりました。

あの日、私のなかを通り抜けた風は、空を飛ぶ感覚と似ていました。
もちろん、夢のなかでの感覚です。
自転車に乗っていると、いつか空を飛ばせてくれる。
幼心に思ったことは、母にも兄にも誰にもないしょです。
誰かに話すと、空が飛べなくなる、と思ったからです。

「はい、これでいいよ。中古やけど、いい自転車や」
いつもの通りの自転車屋のおじさんが、淡い空色の自転車に、空気を入れて防犯登録をしてくれました。

必要以上に何度もお礼を言って自転車屋さんを出ました。
さっそくいつもの通りを自転車で走りました。

子どものころに私のなかを通り抜けた風が、今日も通り抜けてくれたかどうかは、やはり誰にもないしょ、です。


2003年03月11日(火) 反省

今日は、失敗と反省の繰り返し。
しっかりしろ!

と言っても、ここ数日に起こったことで頭がいっぱいです。

あぁ、セロリを生で食べたい。

しょんぼり…。


2003年03月10日(月) 忙しいので一言に今日の気持ちを詰め込みました

ずっるーーーーーーいっ!!!


2003年03月09日(日)

3月9日の昼から10日の朝6時まで、仕事していました。
年度末は忙しい。

でも、この忙しさが、いろんな気を紛らすことができて、いいのかも。

おしまい。


2003年03月08日(土) ないしょ

とある事情により、今日一日のことは内緒。

ひとつ言えば、歯車はますますずれっぱなしで、頭のぼーーっとする1日でした。


2003年03月07日(金) 前進

どこか歯車がずれているようで
でも、確かに前には進んでいる
そんな毎日を送っています。


ここ数日の短い日記は、時間がないから、の一言につきます。
ゆっくりしたいな。


2003年03月06日(木) 旅に出たい。

めまぐるしく忙しい毎日。
早く終わらせて、旅に出たい。
長い長い旅に。

今年は、沖縄を長く長く旅しようかな。


2003年03月05日(水) 強い意志

なんとなくため息混じりのここ数日。
何があっても動じない。


2003年03月04日(火) クエ

クエ鍋を食べに行きました。
友の幼なじみが板前をしている店です。とてもとてもおいしい店です。

家族4人と昔からいるおじさんで切り盛りされているそのお店。
お父さんとお母さんと、そして幼なじみの息子さん、それからたまにお手伝いにくる妹さん。
みんなが仲が良くて、見ていて気持ちがいいくらいです。

私は、仲のいい家族をいくつか知っています。
学生時代にバイトをしていた天ぷら屋さんの家族。
事故の加害者のパチンコ屋さんの家族。
今回、くえ鍋を食べに行ったお寿司やさんの家族。
そして、ハンバーグのおいしいお店の家族。

商売をしていると、仲が良くなるのでしょうか。
私の家も商売をしていたけれど、彼らのように仲はよくありませんでした。

今日のくえ鍋は、一人8200円。
クエが河豚よりも高いということを初めて知りました。
ビンボーな私には、痛い出費。
でも、おいしくて楽しいクエ鍋の会でした。

とりとめのない日記はおしまい。


2003年03月03日(月) 軌道修正

今日の私は、少しおかしな行動をしていました。
でも、まだ大丈夫。
軌道修正できるはず。

おやすみ。


2003年03月02日(日) がんばれ

今日も疲れた1日でした。

でも、おいしい焼きめしを食べて、わいわいとみんなでおしゃべりしていたら、気力だけは回復。

がんばれがんばれ。


2003年03月01日(土) ずしん

ずしん。

と、落ち込んだ夜でした。
とあることがきっかけで、そのあとは総崩れ。

あのとき、どうすればよかったのか、なんて言えばよかったのか、と何度も何度も考えるけれど、いまだにわかりません。
わからないけれど、何かできることはあったはず。


楽天家な私。
きっと今日は、もともと弱っていたのでしょう。

落ち込んだ私のまわりのやさしさに、ますます落ち込む1日の終わりでした。

もっと強くならねば!

おやすみ


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