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2002年09月30日(月) とくにとりたてて

とある理由から、日記をまとめて書くことが増えています。
まとめて、アップしているだけで、書くのは毎日、書いています。

と、いいわけは、このへんにして。

今日は、とても暑かった。
今日のうどんはおいしかった。

そう、今日はとくに書くことがないのです。

早めに寝ます。
おやすみ。


2002年09月29日(日) まだ

なんとなく忙しい毎日です。
それでも充実しています。
昼も夜もだれかと何かについて笑いあえるって、幸せだな、と思います。

まだ、大丈夫。
うん。


2002年09月28日(土) のらくら

今日は、のらりくらりと過ごしました。

おやすみ。


2002年09月27日(金) 訪問帳

7月末に亡くなった知人の家にお線香をあげにいきました。
今日で2回目です。
いつでも行けるところにあるのですが、私はあまり行きたくありませんでした。
行きたくなかったけれど、遠くから来ている旅人を連れて行きました。

沈黙のまま、仏壇の隣りの写真を見つめていると、案の定、涙がこぼれてきます。
時が解決してくれるだろう悲しみは、逆にどんどん大きくなっていきます。
どんなにきれいごとを言っても、これが現実で、写真のなかの彼は、どこを探してももういません。
仏壇の前に置いてあったノートを広げました。
訪問帳、のようなものです。
「一人にするなよ」
彼女からの亡くなった彼への手紙のような走り書きに、もう字が読めません。

人の悲しみは、比較するものではないけれど。
それでも…。
………。

おやすみ。


2002年09月26日(木) ツボ

今日も古巣を訪れました。
2日連続で来ると、なんとなく以前の居心地のよさが戻ってきたように思います。
辞めてからも何度かいっしょに遊びに行っている同僚が、お昼に誘ってくれました。
在職中は、ほとんどいっしょにお昼に行ったことがないのに、なぜか今日は「懐かしい」と思えました。
きっと、その人のもつ雰囲気が懐かしかったのでしょう。
彼女とは、どことなく感性が似ています。感性というより、「笑いのツボ」でしょうか。
お昼は、くだらないことに大笑いして、なんだかすっきり。
 
そんなこんなで、今日のところは、おやすみ。


2002年09月25日(水) 古巣

今日は、古巣に戻ってきました。
1カ月ほど前に訪れたのですが、やはり懐かしいです。
思いがけず、長居をしてしまいました。

でも、なんとなく居心地が悪く感じるのは、私のこの中途半端な気持ちのせいでしょうか。
もっともっとしっかりと、前進して行かなくてはいけないのはわかっているけれど、今の私はきっと「ふぬけ」状態です。

「三十にして立」ったつもりでいたけれど、きっと私は四十になっても惑っているんだろうな、と、今日は帰りの電車で思いました。

明日も少し古巣を訪れます。

おやすみ。


2002年09月24日(火) おやすみ

旅の疲れもとれぬまま、早朝から起きました。
いえ、いつも早起きだから大丈夫です。
でも、ちょっと今日は疲れていました。

今日は、友だち、について、考えていました。
当たり前だけど、友だちと人付き合いは違うものだと思っています。
冠婚葬祭だけの付き合いとか、彼や彼女の親友だから、親友の彼氏・彼女だから付き合っている、とかいう、なんでもないしがらみが、どんどん増えていきます。

私は、人とのそんな付き合い方は大嫌いだし、親友の彼や彼女に対しても、苦手な人だったらそれをはっきり言ってきたつもりだけど。


続きはまた今度。


2002年09月23日(月) 友と友たちと友とその友

今日も比較的ゆっくり寝て、起きたら朝ごはんを作りました。
朝ごはんは、納豆オムレツと野沢菜オムレツを作り、昨日の残りの石狩鍋と冷や奴。
この二つのオムレツが強烈にうまかった。
めずらしくバクバクと食べました。

コテージを出て、薬師の湯に朝風呂に行きました。
これで、松本の友ともお別れです。
十年前と少しも変わらぬ友といっしょに遊べて、楽しい旅でした。

途中、栗東に寄って、待ち合わせていた友と夕飯を食べて帰りました。

なんだか、今回の旅日記は、うまくまとまらずにすみません。
楽しい楽しい旅だったのですが、今の気分がその楽しさをうまく表せないだけなのです。

おやすみ。


2002年09月22日(日) 大町温泉のコテージ

めずらしくゆっくりとした目覚めでした。
お酒が残っているわけではなかったけれど、なんとなくうだうだとしていたら、8時を過ぎてしまいました。

飯ごうでごはんを炊いて、シチューの残りとサンマで食べました。
おいしい朝ごはんでした。
そのあと、各自「昼寝」。
11時近くまで寝ていました。
どうしてこんなに眠れるのでしょう。

今日は、松本の友がコテージを予約しておいてくれたので、コテージに移動です。
テントをたたんで、撤収作業をしていたらもう11時。
昼ごはんは、蕎麦を食べに行って、またまた夕食の買い出しをして、石でできたダムを見て、温泉に入って、コテージでごはんです。
石狩鍋ときのことイカとホタテのバター炒めを食べて、満腹・満足。

あんなにゆっくり寝ていたはずなのに、夜になると、またまた睡魔に襲われ、一人、二人と倒れていきました。

私と、松本の友は、二人で「ぴょんぴょん」してから寝ました。

コテージ、居心地よかったです。
文化的な旅もいいものだ。


2002年09月21日(土) 信州でキャンプ

学生時代に旅先で出会った友を訪ねて、松本まで行きました。
早朝に友の家に集合し、車で松本を目指します。
三連休の始まりということもあり、高速道路はかなり混んでいました。
松本到着が午前11時。予定時間を2時間ほどオーバーしました。

今日のキャンプ場は、堀金キャンプ場。
松本に住む友も入れてメンバーは4人というこじんまりとしたキャンプになりました。
テントを立てて、炭をおこして、夕飯の準備。私はこの時間がなんともワクワクします。
夕飯は、クリームシチューを牛乳から作りました。
シチューを火にかけている間に温泉に行き、きれいさっぱりしながら、夕飯。
クリームシチューがおいしすぎました。

たき火をを囲んで、みんなでなぜか「幸福と不幸」について語り合いながら、くいくいと飲める焼酎に、私はつぶれてしまいましたとさ。

おやすみ。


2002年09月20日(金) なんともなしに書いた日記

旅仲間と昼間に合流して、早めにビールを飲み始めました。
この友と飲むのは、かなり久しぶり。
楽しい楽しいお酒が飲めました。

つい最近、北海道に行ってきたその友から、写真を見せてもらいました。
帯広から始まり富良野の懐かしい景色、そして、小樽、函館。
小樽の宿の写真に思わず見入ってしまいました。
私も小樽にはつい最近行ったばかりなのに。

私は、いまだに旅気分です。
私の旅は、まだまだ終わることなく続いているのでしょう。

そして、明日から友を訪ねて松本に行ってきます。

おやすみ。


2002年09月19日(木) 物語を聴きに

昼間にぽっかり、と時間があいたので、ゴッホ展に行ってきました。
美術館は久しぶりです。
もしかしたら、パリのオルセー美術館以来かも。

兄フィンセントとその弟テオの物語がテーマにされていました。
ゴッホのことなんて、ほとんど知識はなかったけれど、ゴッホ兄弟の書簡やフィンセントが死んだあとの友人たちとの手紙のやりとりなども展示されていて、絵画そのものだけでなく、画家の歴史もかいま見ることができて、新鮮でした。
こういう展示も面白い。

見慣れた絵もまた違ったように見えました。
といっても、そんなに見慣れた絵はありませんでしたが。

音声ガイドをつけてゆっくりまわってすっかり疲れて帰ってきました。
今日は、絵を見に行ったというよりも、物語を聴きに行ったような感じです。
それはそれで楽しい。

おやすみ。


2002年09月18日(水) とんとんとんを子守歌に

マンションの周りを工事しています。
マンションの老朽化に備えて、壁を塗ったり防水したり。
5階にある私の部屋ですが、窓のすぐ外を左官屋さんが歩くのはなんとも不思議。
「こんにちは」と窓を開けてあいさつしてみたくなります。
が、驚いて落下すると困るのでそんなことはしません。

私は、職人さんのいるなかで育ちました。
だから、彼らの姿には慣れているつもりだったけれど、いざこんなに近くで見ると、ついついレースのカーテン越しにじっと見てしまいます。

今日は、ふと幼いころの自分を思い出しました。
大工の父の現場に着いて行き、父の仕事やよく出入りしていた職人さんの仕事をじっと見つめていたころ。
気の荒そうに見える彼らですが、本当はとてもとても楽しく優しいんだ、ということを、幼いながらにも知ったあのころ。
父の見よう見まねで設計図をひいたり、木屑を拾ってきて積み木にしたり。
そのときから家を建てる工程が、大好きになりました。

懐かしい気分にひたりながら、いつの間にかぐっすりと「昼寝」をしていました。
左官屋さんが壁を叩く「とんとんとん」を子守歌にしながら。


2002年09月17日(火) 行ってらっしゃい

関西空港まで、知人を見送りに行きました。
当初の予定では、リムジンバスで行く予定だったけど、早朝に予定が入り、車で向かうことになりました。

朝の大渋滞を抜けて、ようやく高速にのったときに、雨が降ってきました。
天気予報では、雨だったけど、これほど激しく降るとは思いませんでした。
運転していて怖かったです。

なるべく高速にのらない主義(!)の私は、地名も道もよくわからず、ただただ飛行機のマークに向かって走りました。
途中、飛行機のマークがいっさい出てこなくなったときは「間違えた!」と思い、ヒヤヒヤしましたが。

旅立ちの彼女はもう、ゲートのなかでした。
でも、手を振る姿を見送ることができてよかったです。
これで、姿も見ることができなかったら、ホントに何しに行ったのやら。

これから約1年間。海外で勉強する彼女。
渡したいモノがあったけれど、それはカバンのなかにしまったままです。
必ず会いに行くから、そのときまでおあずけ、です。

行ってらっしゃい!


2002年09月16日(月) 意外と疲れがたまっているようなので

もう寝なきゃ。

おやすみ。


2002年09月15日(日) 祖母

今日は「敬老の日」。
老人ホームに入っている祖母がいます。
自宅にいるときから痴呆が進み、夜中の徘徊が続き、警察沙汰までなったそうです。
私はそのころはもう離れて暮らしていたので、そのときの様子はわかりません。
わからないけれど、母はノイローゼ状態だったようです。

役所に相談すると、最優先で老健施設を紹介してくれたとのこと。
今の施設はおそらく3つ目。
面会に行くとうれしそうに笑ってくれます。
祖母と二人で暮らした時間がとてもとても懐かしい。

「おふくろの味」と「おばあちゃんの味」。
ふたつの「故郷の味」を知っている私です。
だけど、もう「おばあちゃんの味」のオムレツやポテトサラダを食べることは、二度とありません。

それは、母やその兄弟も知ることのない、私と、そして兄だけが知っている「おばあちゃんの味」なのです。


2002年09月14日(土) 凶器

たとえば、いたわりの言葉でも凶器になることがあります。
そんなときに、かけるべき言葉はやはり何もなく。
「もうやめて」と祈ることしかできません。

彼らの力になりたくて、この場にきたはずなのに、ただただ自分の非力さがくやしい。

無神経ともいえる言葉に答えなければならない彼らの気持ちを思っただけで思わず涙がこぼれそうになったけれど。
それでも、私は彼らの前では笑います。

私はもう泣いてはいけないのです。


2002年09月13日(金) なんとなく

むしゃくしゃする日でした。
おやすみ


2002年09月12日(木) 静かに変わる

卒業していった彼女のいない店は、なんとなく寂しげでした。
心のどこかで誰もが彼女と、そして7月に亡くなった彼の姿を探しているようでした。
それでも、現実の時間はどんどん過ぎていきます。

環境が変わっていくのと同じくして、季節も変わっていこうとしています。
静かに静かに、誰にも気づかれることなく。
気が付いたら「もう紅葉も終わりだね」としみじみと言えるように。


2002年09月10日(火) 前だけ見つめて

今日は、ギターの練習はぜんぜんしませんでした。
うたた寝をしたせいか、喉が痛いです。
ただでさえ、滅多に歌わない歌を歌って喉が痛いのに。

今日は卒業式です。
店が終わって、22時ころからスタート。
少し遅くなりました。
卒業式の会場である2階から、歌声が聞こえ出しました
旅だっていく彼女のために、旅人が歌います。

私は、1階で食事をして、気付けにビールを飲んで、2階に上がりました。
マスターの紹介のあと、彼女のために歌いました。
たぶん、もう二度とこうして歌うことはないでしょう。

尼湯ハウスで作った言葉を贈りました。
二十歳の彼女に、「強く生きること」をせいいっぱい伝えました。
伝わったかどうかはわかりません。
それは、これからの彼女の生き方が答えてくれるはず。

たくさんの人からたくさんの「気持ち」をいっぱいもらった彼女。
そのお返しに、彼女が沖縄の歌を歌いました。
親友たちと3人で歌う姿に、涙があふれて止まりません。
いろんなことから卒業していく彼女の歌は、「魂」そのものでした。


こんなにたくさんの気持ちを抱えた彼女は、きっともっとステキな人になるのでしょう。

だから、今は前だけ見つめて。


2002年09月09日(月) できること

昼間は、ギターを練習しました。
練習のしすぎで、喉が痛い。
そう、ギターだけではなく、歌も歌っていました。

明日は、いよいよ友の「卒業式」です。
卒業といっても、学校というわけではありません。
でも、二十歳の彼女にとっては「大人になるための学校」のようなものだったのでしょう。
この場で、心を養っていった彼女。
先日、亡くなった人の代わりを勤めようと、一生懸命がんばっていた彼女を見ていると、「そんなにがんばらなくていいんだよ」とつぶやいてしまいます。

この卒業式に、たくさんの人に来てもらおうと、いろんな人に声をかけている彼女。
自分のためだけでなく、亡くなった人の家族のためにも、たくさんの人に集まってほしいのでしょう。

何かを全身で伝えようとしている彼女に、私ができることはただ一つだけです。


2002年09月08日(日) 鰹のたたき

今日はとても忙しかったけれど、夜に食べた鰹のたたきのおかげで、大満足な1日になりました。

うまかった。
ありがとう。



2002年09月07日(土) 味わって

アサイチで、酒屋に行きました。
一杯200円でいろんな日本酒を試飲させてくれる店です。
東京の旅の友が見つけてきました。

地下にワインセラーのあるその店は、実にいろんな種類の日本酒を置いていました。初めて名前を聞いたお酒もたくさん。
魅力的な店です。

一つのグラスを4人で回しのみして、6種類ほど飲みました。
久保田の紅寿(こうじゅ)なんて初めて。
東京の旅の友が「ひやおろし」というお酒を買って帰りました。
今晩、いっしょに飲みます。

炎天下の下、お弁当を食べて、少しお茶をしてから、大阪の旅の友と別れました。
今晩もがんばって味わって飲もう。



2002年09月06日(金) 楽しくておいしい

東京から旅の友たちが来ました。
私がよく遊びに行く家です。
その友たちといっしょに、大阪に住む旅の友の姉さんの家に行きました。
なぜかは、話がややこしいので書きません。

姉さんの家ですき焼きをごちそうになりました。
とてもおいしかったです。
松茸をすき焼きに入れたり七厘で焼いたりして、豪華な食卓。
出てくるお酒は、初心(はつごころ)と五億年。
この五億年というお酒がこれまたうまい。

最近「味わって飲む」ことを心がけているので、しっかりと味わって飲みました。
それでも飲みすぎ、帰り道にコンビニで何を買ったのか記憶がありません。
友の部屋で4人でぎゅうぎゅうと寝て、1日が終わり。

とても楽しくおいしい1日でした。


2002年09月05日(木) 贈る言葉

尼崎にある「尼湯ハウス」に行きました。
タダ券をもらったので、さっそく行ってきました。
温泉は好きですが、クアハウスにはあまり行きません。
けっこう楽しいところですね、クアハウス。

男女別の休憩室もあり、そこでしばらく休みながら「言葉」を作りました。
今度、アメリカへ旅立つ友に贈る言葉です。
その友のことを考えながら作った言葉たちは、とても生き生きとしていました。

問題は、その「言葉」をどうやって彼女に贈るか、です。
贈る方法がただ一つしかないのはわかっています。
でも、私にはかなり勇気が必要なのです。


2002年09月04日(水) 暑いので

今日の日記は、ご想像にお任せします。


2002年09月03日(火) 何度も繰り返す

ギターがあったので、久々にギターを弾きました。
ピックが見つからなかったので、指で弾いたら、今、指が痛いです。
ギター弾きの人の指って、とっても強靱なのでしょう。

私の弾ける曲は、一つしかありません。
でも飽きることなく弾いています。
弾いているけれど、いつも同じところでひっかかります。
歌をつけるともうめちゃくちゃ。

同じミスを何度も何度も繰り返しても、やはり同じミスをしてしまいます。
何かを変えればいいのでしょうが、何を変えればいいのかわかりません。

そうしているうちに、時間ばかりが過ぎていく。


2002年09月02日(月) バイト

今日から10日間、家を離れます。
といってもちょこちょこ戻るつもりですが。

学生時代は、いろんなバイトをしました。
居酒屋の厨房に、てんぷら屋さん、ドトールコーヒー、ビラ配り、交通量調査などなどまだありますが、書ききれないのでこのへんで。

飲食店が多いのは、やはり「人」が好きだからでしょうか。

今日はこのへんで。

おやすみ。


2002年09月01日(日) 旅が終わりました。

午後3時、舞鶴到着。
暑いです。

台風のため、速度を速めたフェリーは、二時間ほど早く舞鶴に着きました。
よかった。
いつもこのくらいだったらいいのに。
残金1700円しかないため、セルフのスタンドで1000円分だけガソリンを入れました。
私は、この2日間で二食しか食べていません。
もちろん、お金がないからです。
わびしい。

そろそろ餓死?と思うほど、おなかが空いてきたときに家に到着。
ガツガツと夕飯を食べました。
そう簡単には死ねません。

旅の日記をイッキに書いて、旅は終わり。
今回の旅は、新しいことにチャレンジできた楽しい旅になりました。

過去にとらわれることなく、前を向いて。

おやすみ。


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