たくさんの観戦記をアップした,この1年。 書く方としても,「これは上手く書けた!」という日記もある。 その1つが,7月27日に見た都市対抗・松下vs川鉄。 この日記の主役は読んで頂けるとわかるように,川鉄の木田選手。
http://baystars.ybfan.ne.jp/~yajiman/07271.htm
実は,その彼が今年で退部することを知ったのは11月。 日記の最後にもあるように「11年連続出場」を目指してほしかった。 だからあの日記には“つづき”があるはずだった。 私は目の前で見た,あの満塁弾が忘れられない。 彼にとって野球人生最後の満塁ホームランになったと思います。
もう1人はこの日記の1つ前の日記に書いた堅田氏。 松下の渉外担当さんだ。 実は,その堅田さんも退部し社業に専念することになった。 13年間もの間,野球部を支えてきた堅田さん。 今年の松下は10人もの選手が野球部を去る。 掲示板では言えなかったけれど 堅田さんが辞めてしまうことが1番ショックだった。
来春,川鉄にも松下にも彼らにかわって,新しい選手達が加わる。 もちろん私も快く歓迎する。 だけど,去りゆく人達には「ありがとう!」と言って送りたい。 その後につづく新しい道でも応援していますと。
2001年12月08日(土) |
Play Back-昭和54年 至上最高の試合- |
「あの松井(巨人)も,敵わないくらい凄い人だよ」
いつも私がお世話になっている松下電器野球部。 そこで渉外というお仕事をしている堅田さんは凄い人だった。 “だった”ではなく,今でもその伝説は 高校野球史に深く刻まれている。
昭和54年8月16日第61回選手権大会3回戦。 箕島対星稜。 あまりにも有名なこの試合,延長18回の死闘の中でのミスだった。 箕島・石井毅と星稜・堅田外司昭の投げ合いは1−1のまま 延長へ突入する。延長に入ってもシーソーゲームな戦いを見せていた。 16回表,星稜は逆転,その裏の箕島の攻撃を抑えれば… このゲームは終わっていた。 2アウトまで追いこむ あと1アウト。 最後の打者・森川の打球は1塁ファールグランドへ。 しかし,1塁手の加藤がまさかの落球。 直後に森川は同点弾を放ち,18回にサヨナラ勝ちした。 堅田の肩は限界だった。
主審をしていた永野氏は球場を去る堅田に 「もう1度,(甲子園を)見ておきなさい」 と告げ,ボールを渡した。 永野氏自身も自らのエラーで甲子園優勝を逃した経験があり 正直,引き分けになってほしかったそうだ。 箕島サヨナラ勝ちのホームベースで 永野氏はどんなことを考えていたのだろう。 加藤落球の瞬間,自分のことを思い出したことは間違いない。
数年後,加藤は堅田の 「あそこで(本塁打)打たれたのが悪かった,申し訳無かった」と テレビでコメントしているのを聞き,感動したという。
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