いやな病気が流行っている。
そのために地方での仕事は軒並み中止。指導碁も密室で顔を突き合せてになるのでめっきり減った。
もちろん研究会も当分休みだ。
通常の手合いは行われるが、外出や仕事が激減したことには変わりない。
「あー、暇だなあ」
録りだめてあったドラマを見終わり、レンジ回りの掃除をし終わって進藤がぼやいた。
「めっちゃいい天気なのに外には出られないしさあ」
「別に完全に外出禁止ってわけじゃないだろう。退屈ならジョギングでもしてくればいい」
ぼくはぼくで、買ったまま読んでいなかった文庫本を日々消費している。でもそれもすぐに尽きそうだ。
「いや、どうせ後で買い物行くだろ。外出るならそんだけでいいよ」
万一にでも家にウイルス持ち込みたくないしと進藤は口を尖らせて言う。
「おまえに移しでもしたら、おれ一生自分のこと許せないし」
「ぼくだって同じだよ。でもストレスをあまりためるのも良くない」
「え? じゃあ、する?」
ぱっと喜色満面になって進藤が言うのを文庫本の背表紙で軽くたたく。
「真昼間からすることじゃないな。他にもっと建設的なことがあるだろう」
ぼくの言葉に進藤が苦笑のように笑った。
「って、結局碁かよ」
「棋士としてこれ以上無い程有効な時間の使い方だと思うけど?」
「はいはいはいはい。このクソ碁バカ」
罵りながらも進藤はすぐに碁盤を運んで来る。
今はちょうど日当たりも良いので、リビングで打てば暖房はいらない。ただ少しまぶしいのでレースのカーテンは必須だが。
正式な対局では無いので大きめのマグカップにコーヒーを淹れ、茶菓子を置きながら碁笥の蓋を取る。
「…なんだな」
打ち始めてしばらくして、ぽつりと進藤がつぶやいた。
「何?」
「おれ、碁打ちで良かったな」
「こうして暇つぶしが出来るからか? でも相手はぼくしかいないじゃないか」
自分が感染していることを基準に行動しているので、なるべく友人知人とも会わないようにしている。ネットで対局はしているものの、人懐こい性分の進藤にはしんどいことだろう。
「うん。こうなって退屈で色々窮屈でストレスもたまるんだけどさ、打つのはいつだって楽しいし」
それはぼくも同じだ。殊に相手が進藤とあれば。
「それに…相手がおまえなんだもん。おれ、おまえとだったら永久に打っていられると思う」
すっげえ楽しいと言われて思わず石を取りこぼしそうになった。
「ん? 長考?」
何も考えずに言ったのだろう、進藤は不思議そうな顔でぼくを見ている。
「キミの…」
「ん?」
「そういう所が」
「うん」
「大好きで嫌いだ」
ばちっと急所を攻めると進藤がぎゃあと叫び声をあげた。
「そこ置くか? 今よりによってそこに置くかよ」
「見落としを期待していたんだったら残念だけどね。ぼくだって遊びでやってるわけじゃないから」
「遊びじゃないならなんだよ」
「うーん…」
改めて聞かれて自分でも答えに困る。
「探求かな?」
「はあ?」
「進藤ヒカルって言うとんでも無い男たらしのどこを自分が好きなのか探し続ける研究だよ」
ぽとりと進藤が石を落とした。
「…どっちが」
ぼそりとつぶやく彼の顔は熟れたように真っ赤に染まっている。
「おまえのそういうところがなあ! 」
大好きと呟かれてぼくの顔も真っ赤になった。
「とっ、取り合えず勝った方が冷凍庫に一個だけ残ってるダッツ食っていいってことで」
「負けた方が補充することも条件に入れたい」
「いいよ。もう、なんでも」
ああしかし、なんという平和で安上がりな。
ぼく達はきっと明日世界が終わるという日にもこうして向かい合って打っているんだろうなと思った。
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