SS‐DIARY

2010年07月29日(木) (SS)打ち上げ花火


「始まった?」

ベランダに居る進藤に尋ねると「うーん、まだかな」と言った後、「あ、始まった」と嬉しそうな声が答えた。

「そうか、じゃあこっちも始めようか」

キンと冷えたビールの缶を持ってぼくもベランダに出る。

二人並んで見るその先にあるのは暗い夜空に広がる花火で、そんなに近くは無いけれど、それでも充分大きく綺麗だった。


「このマンション借りる時、花火が見えるかどうかも聞いたんだ、おれ」

ビールの缶を開けながら満足そうに進藤が言う。

「そうだったのか。ぼくは知らなかった」
「おまえと見に来る前、一人で下見に来た時に隣の部屋の人に聞いた」

いきなり見知らぬ相手にそんなことを聞かれた隣人は、さぞ驚いたことだろう。

「それで?」
「うん。まあまあ良く見えますよって」

だからここに決めたんだと言っている間にも次が上がる。

つまみも無い、ビールだけの二人きりの密やかな酒宴。

足元から漂って来るのは焚いた蚊取線香の匂いで、でもそれに、ああ夏だなあと思わせられる。

「…キミがそんなに慎重なタイプだとは思わなかった」

自分でも缶を開けながらぼくが言うのに彼が笑う。

「慎重だよ。だからおまえに告ったのも絶対に断られないって確信が持ててからだったじゃん」

なんて嘘、本当はあの時すげえ怖かったと、苦笑して進藤がぼくの缶に缶を当てる。

「…こうやって二人で花火見られて、ビール飲めて最高にシアワセ」
「それはこっちのセリフだ」

乾杯と小さく言ってビールを飲む。

ああ本当にこうやって、二人で花火を見ながら飲むビールのなんと美味しいことだろうか。

「来年も、再来年もこうやって見られたらいいね」
「見るよ、おまえ見ない気なのかよ」
「いや、見るよ」

一生キミとこうして見ると、言いながらもう一度乾杯と缶をぶつけた瞬間、夜の空に、一際大きく鮮やかな大輪の花火が広がった。



2010年07月27日(火) (SS)雑草の歌

久しぶりに実家に帰って、用事だけ済ませてすぐ帰るつもりが、なんとなく成り行きで庭の草むしりをすることになった。

「ヒカル、変わったわねぇ」

前は幾ら頼んでもやってくれなかったのに、やっぱり社会に出ると世間の厳しさが解って大人になるのかしらと、母親は上機嫌で買い物に行ってしまった。

一人残されたおれはじりじりと日の照る中で、黙々と雑草を抜き続けた。

「…そういえば」

ずっと昔、塔矢の家に行った時、あいつもこんなふうに草むしりをしていたなと思う。

うちと比べてあんな広い庭、大変だろうと思うのに文句の一つも言わず、綺麗な額に汗をびっしょり浮かべてやっていた。

『おれも手伝うよ』
『ありがとう』

正直助かると、あの時の笑顔は可愛かったなと思う。

『こんなに庭が広いんだから人に頼めばいいじゃん』
『でも、他人にはわからないこともあるから』

だから庭は任せられないと言って塔矢は草を抜き続けた。

『どういう意味?』
『別に意味なんかないけど』

なんでもかんでもただゴミのように抜かれてしまうのは嫌だからと言って、塔矢は苦笑のように笑った。

『そんなこと…抜かれてしまう方にとっては同じなのにね』

偽善なんだよと、でもそれから注意して見てみれば塔矢は抜く時小さく『ごめん』と呟いているのだった。

『ごめん』
『ごめんね』

こんなに元気よく生えていたのに抜いてしまって本当にごめんと。

もし他に奴がそんなことをしているのを見たらきっとおれは笑うだろう。それこそ偽善だとこき下ろしもしたかもしれない。

でも、塔矢のそれは違うと思った。本当に悪いと思って、抜くにしても礼を欠くこと無く抜こうとしているんだと思った。

それはそのままあいつの行き方にも通じているとおれは思った。


「まあ…確かに、こんなに元気良く伸びてんのにこっちの都合で抜かれたら嫌だろうなあ」

草には草の言い分がきっとある。

でも人には人の言い分と都合というものがあるので、おれ達はきっと謝るくらいしか出来ることが無い。

「ごめん。悪いな」

言いながら抜き続けて汗を拭った時、母親が買い物から帰って来た。

「あら、随分綺麗になったわねぇ」

もういいわよと言われて家の中に戻る。

「あのさ」
「何?」

出して貰ったカルピスを氷を揺らして飲みながら言う。

「…また、草が伸びたらむしりに来るから呼んでよ」
「あなた忙しいじゃないの」
「うん、忙しいけどさ、来られる時には来るから」
「あらぁ、槍でも降りそうね」

でもそれならお願いするわと言われて笑う。

それこそ猫の額ほどの狭い庭。そこに生えていたのは名前も知らない雑草だった。

(でも、精一杯生きてるんだからゴミのように扱っていいわけは無いよな)

あいつがそうするならおれもそうしよう。

全ての物に礼を尽くし、背筋を伸ばして生きて行こう。

まっすぐに正しく、世の中の全てに尊敬の念を持って。

「そうしたらおれも強くなれるかな?」

あいつに相応しい人間になれるだろうか?

いつも、いつでも、永遠に。

塔矢が居る限り、おれは正しく生きていける。



2010年07月23日(金) (SS)ふみの日だから


手合いが終わり、和谷達と喋っていたら、帰りがけの塔矢がいきなり近寄って来て、おれの手に何やら握らせてそのまま去って行った。

「ちょっ…おまえ、何これ」

驚いて呼び止めるとエレベーターの昇降ボタンを押しながらくるりと振り返る。

「何って今日はふみの日だから」

そしてそのまま開いたドアに吸い込まれるようにして去って行ってしまった。

「ちょっ、待てってば」

慌てて後を追いかけて、階段を駆け下りて一階で捕まえる。

「なんだよ、今の謎かけ!」
「なんだって、だからちゃんと言ったじゃないか、今日は七月二十三日で
『ふみの日』だから、たまにはメールなどでは無く、手紙にしようと思っただけだと言われて改めて握ったままの手を開く。

しわくちゃになってしまった紙には『キミが好きだ』とひとこと書かれていた。

「なんだよ! これっ!」
「なんだって…そんなこともわからないのか?」

呆れたように言われてにっこりと笑われる。

「わからないなら教えられないな」
「だっておまえ、メールでもこんな…」
「わかったらキミもメールでは無く、ちゃんと同じように『ふみ』で返事をくれ」

楽しみに待っているよと背中を向けられ立ち尽くす。

このやろう。

このやろう。

このやろうっ!

普段はくそ意地悪いくらいに素っ気無いくせにこんな時だけこういうことをする。

挑戦とも受け取れる告白に、おれは速攻で荷物を取りに戻ると、それから歩く道々、あいつが絶対「負けました」と言うような完璧な言葉を考え始めたのだった。



2010年07月19日(月) (SS)番‐つがい‐

グッズを新しく追加するということで、ある日事務室に呼び出されて扇子と筆を手渡された。

「なんでもいいから自分の好きな言葉や格言なんかを書いてくれるかな?」

いともあっさり言われたけれど、『なんでも』と言われると結構書けない。

同じようにして呼び出された進藤はしばらく悩んだ後に大きく『空』と一文字書いた。

「…へえ」

てっきり彼のことだから何か茶化したようなことを書くものだと思っていたので意外だった。

「へえってなんだよ、おれが書いたら悪いかよ」
「いや、結構まともなことを書くんだなと思って」
「一文字だけのがいいだろ。おれ、おまえみたいに字が上手く無いし」
「別にぼくだって字は特別上手く無い」

ぼくはむしろ、彼の字がとてものひのびしているのに快いなと思っていたのだ。

「おまえは何て書くんだよ」
「それが思いつかなくて」
「おまえって『有言実行』とか『謹厳実直』とか『質実剛健』とか書きそうだけど」
「そんな偉そうな言葉、書けるわけ無いだろう」
「だったら何て書くんだよ」

興味津々手元を見詰められて更に筆が動かない。

「なんならおれが代わりに書いてやろうか?」
「いや、いい。今思いついたから」

黒々と書かれた彼の字を見ていたら思い浮かんだ字があったのだ。

『海』

真っ白い扇子の真ん中に墨で一文字書いたら満足した。

「なんだよそれ、つまんねーの」
「キミのに合わせたんだ」
「おれのに?」
「うん。どこまでも広がる空に負けないくらい大きいものって言ったらやっぱり海だろうと思って」
「なんだよそれ、どこまで負けず嫌いなんだよ」

進藤は笑って、でも満更でも無さそうだった。

結局、あまりにシンプル過ぎて商品としては何だと言われ、無難な言葉に書き直しさせられてしまったのだけれど、その日書いた扇子をぼく達は互いに交換した。

彼の書いた『空』はぼくの手に、ぼくの書いた『海』は彼の手に。

共に、青く、青く、大きく広がる、上と下の永遠の番。

この日からぼくは前よりも更に、空を見るのが好きになった。



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