痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2003年09月28日(日) どんどんばかになっていく

昨日転んで、足を挫いて、バンテリンを塗ったのですが、買って2年たった奴だったので、腐っていました。サビ色のゼリーと液体が分離したものになっていました。
でも塗った。かぶれてもいい。痛みがひけば。あしたサルサ踊りにいくんだもん。

朝、すこし痛みはひいていた。腐ってもインドメタシンは生きていた。かぶれてもいなかった。やった!
前後の動きは大丈夫。ひねると激しく痛い。腐れバンテリンをぬって夜まで様子をみよう。
仕事にでかけようと、スクーターのエンジンをかけたとたんに、生垣の木に激突した。激しく右うでを枝で擦りむいた。
左足のふんばりがきかなくて傾いたままスタートしたからだ。

痛くて かなしくて ちょっと涙でた。
自分がばかみたいだった。

一日すわり仕事なので、快復のようすがよくわからない。何度もトイレに立って状態を確認。まだ走れないけど、ちゃんと歩ける。
おとなしく踊れば大丈夫かも。
でも、出かける前に足を洗っていかなくちゃ。擦りむいたとこにオロナインも塗らなくちゃ。

3時に電話が入る。
「足のようすどう?」
「なんだかね、微妙なの。たぶんだいじょ 」
「あ〜 じゃ今日はやめとこ。」
「うん。でもけっこうだいじょ 」
「無理しない方がいいよ。また今度誘うよ。」
「・・・そうだね。わかった。ありがと。」

しかたない。昨夜の電話で足を挫いたことを話してあったのだ。
実際、踊りにいくのは正直むりっぽかった。
でも、さみしくて 楽しみにしていたのでかなしくて 泣きそうになった。
まったくばかみたいだった。

5時に仕事がおわって、夜やることもなくなっちゃったし、実家でなにか美味しいものでも食べて、お風呂の中で本でも読んでのんびりしよう。
で、帰りに本屋によった。

1時間ほど本屋の中をぐるぐるした。まんが・雑誌・新刊・文庫本の棚も あ〜わ まで全部眺めた。
いちど気分を変えようと二階のビデオコーナーにもいった。観たいものがなんなのか分からなかったので、今日はうるさい音とか2時間映像を眺めるとかしたくないんだ、と一階の本屋にもどった。
もう一巡まわって、また文庫の棚をながめていて、なんだか迷子になったような気になって泣けてきた。
読みたいと思う本がない。
自分がなにを読みたいのかわからない。
どんな題名 表紙 ジャンル 作者 なににも興味がわいてこない。

まるで自分がボケたみたいだった。

このままでは帰れないと藁にもすがる思いで、自分が好きな作家を思い出してまだ読んでいない本を探そうと思った。
それにしても蔦屋はいまどきのベストセラー系作家の本しかおいてない。
やっと北海道のまんが家の未読の本をみつけた。

それを買って焦って読まなくちゃ、となぜかチャンポンのお店にはいった。
チェーン店だから安いしすぐできる。買った本を読みながら、
「みそちゃんぽんはしょっぱいな、」
と思いながら食べる。
ここで全部読んでしまうと、最後に残った お風呂で本を読んでのんびりゆっくり、ができなくなると思い、汁を一滴も飲まずに席をたった。
ま、しょっぱいから飲まなかったんだけどね。



2003年09月26日(金) 旅路

どこにいったのか。

成田→(飛行機)→ソウル→(飛行機)→パリ→(寝台車)→マドリッド→(超特急)→コルドバ→(田舎にしては特急)→サン・フェルナンド→(バス/乗り継ぎ)→コニル・デ・ラ・フロンテ−ラ→(バス)→カディス→(特急)→セビリア→(特急)→マドリッド→(超特急)→(バレンシア)→(特急)→バルセロナ→(寝台車)→パリ→(飛行機)→ソウル→(飛行機)→成田→(スカイライナー)→日暮里→(タクシー)→隠れ家

この日程をすべていきあたりばったりで、当日駅で時刻表を確認し「時間的にいけるところまでいく」作戦で決めていたので交通費がすごいことになりました。ヨーロッパでは一週間以上の前売りチケットと当日or前日チケットでは 最高半額ちかく値段が違うの。
でも今回はほんとうにお買い物をしなかったのでそれでも帰ってきたらお金があまっていた。JRの、新幹線の、1/3くらいと考えてください。
タクシーもバンバン使った。そしてボラれた。これは、すぐ財布からお金をだしてしまう日本人ボケのわたしの責任。そしてボラれたにもかかわらず、「サヨウナラ・アリガトウ」と反射的に挨拶してしまい、日本人チョロい観を更にひろめてしまった。だって日本人なんだもん。でも、三度目にして最大にボラれたマドリーの時はさすがに恥ずかしかったです。
「はっ!またニコッとしてしまった〜」
とすぐ気付くんだけど、すでに遅し。倍ぐらい払わされたのがわかっていたのに。
心から悔しくないから身にしみないんですね。
金額は倍といっても600円多く払ったくらい。通りすがりだから、馬鹿にされた感なめられた感が、長続きしない。どうせ、帰っちゃうもんね。ずるしない人もいるもんね。
その点、ずっとあっちに住んでいる友人はとても敏感。そして怒りも大きい。
そりゃあそうね。東洋人ってだけで、毎回ズルしようとされてたら
「許さん!性根を入れ替えてやる。」
と思うよね。戦わなくちゃ、って。
すまん、さくらちゃん。お財布も頭もゆるくていっぱいイライラさせたねえ。

特筆すべき謎
行きの寝台車で一緒のコンパートメントだったなにかの運び屋のうーぴー・ごーるどばーぐ似のおばちゃんと帰りの寝台車も一緒だった。部屋は違ったけど。
不思議なのは行きと帰りでルートが違うこと。それも現場で決まった日程なのに。
どうも月に二回くらいパリースペインを行き来して、なにかを運んでいるようす。
福岡ー釜山間の運び屋さんみたいなかんじ。
うーぴーおばちゃんは行きと帰りでは 黒髪→蛍光オレンジ と髪の色がちがった。とってもうさんくさーい、でもどこにでも沢山いそうなうーぴーおばちゃん。

特筆すべき 黙ってた方がいいようなこと
帰りの寝台車の同室者は考えうる最悪のキャラクター。
赤ん坊連れの強烈腋臭の太ったおばちゃん。
いや、おばちゃんっていってるけど、たぶん二十代なんでしょう。
赤ん坊は特筆ものの大人しい我慢強い子でした。何度も小さな声でぐずっていたけれど、本格的には一度も泣き出さなかった。
わたしは濡れタオルで窒息しない程度に鼻を覆って彼女の上の寝台で毛布をかぶって耐えましたが、すこーし腋臭をうつされてしまった。
パリではすこーし臭いわたしでした。
でも もう直った!
たぶん。
自分ではそう思うんだけど・・・



2003年09月25日(木) ばかになってしまった

旅行から帰って、ネット上海 以外なにもしていない。
していない。

まずいなあ、と思って、携帯の機種変更などしてみた。
が、取説を読めず、なにもしていない。初期設定のままの携帯よ。

甥っ子への愛を燃え立たそうとしてみた。
が、なんだかぼんやりしている。彼もぼんやりして 眠っているのか起きているのか。
生後三日の赤子の存在感は遠い。

日記に書くこともない。昨日やっと上海で14万点を越えたことぐらいか。

これが時差ボケか。

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スペインでは、まずいものを食べただけか、と怒られちゃったので、よかった というか 昔とは印象が変わっていたこと。

電車やバス 交通機関のインフォメーションやチケット購入システムがとてもスムーズ。車内では次の駅のアナウンスもする。乗り越しの心配なし。日本みたい。
でも、駅が街のはずれにあるのだけは、いかんともしがたいよね。
サン・フェルナンドの駅からバス停までの道は寂しく長かったね。

いかんいかん いいこと。

若者が元気よく にこにこ働いている。基本的にこちらの言う事を まずは聞こうじゃないか という姿勢。単純に嬉しい。
雑貨や家具 さまざまなデザインがポップでカラフルなものが多いので楽しい。

なんだかつまらない日記だ。やめやめ。

現在、日焼けの皮むけ状況は峠をこえました。なぜ、こんなに焼いてしまったかというと、海岸で誰一人 日に焼くまい などという矛盾した行為をしている人がいなかったからだ。全員焼く 焼きにきた というかまえ。海岸焼肉大会。
しかたがないので、わたしもトップレスだ。ジタバタしない。
しかし、あまりの光線の強さに んん肌が痛い やばい ダメダメわたしは美白の国からやってきてソノコの国に帰るのよ・・・ と、途中リタイヤして焼肉たちの奇妙なものを見る目を無視して後半布をかぶっておりました。
が、同伴者は眠ってしまい・・・
この旅 友達とはいえ ずっと朝から晩まで寝起きをともにし、やがて互いに互いをうっとおしく思い 不機嫌になったり喧嘩になるのはいやだ、よし私は相手がしたくてしていることは完全に放っておこう、焼きたいなら思う存分焼くがよい、眠ければ眠るがよい、わたしは熱いのでちょっと海の水で冷やしてこよう、左ばかり焼けたので右もなんとかしよう、 と、一貫した姿勢を貫いたのですが
やっぱり起こしてあげた方がよかったみたい。もしくは肉を裏返してあげるとか。
彼女は、たった一日でこんなに焼けた人間、5年生の臨海学校以来みたことない、というほど焼けてしまい、その夜からたいそう痛がり パリにもどって皮膚科にいったら 一度から二度の火傷 と診断されました。

ごめんね。わたしの友情は消極的すぎたよ。リスクを負ってぶつからなかった。
「あなたの為を思ってあえて言うわ!」
というありがたいひとが大層苦手で、そういう場面からいつも逃げてきたからいざ自分が、ってできないもんですね。

そういえば、あまりそういう話をしなかった。はじめにちゃんと互いに心構えとか方針を口にだして話せばよかったのかな。
自分は、誰かとずっと一緒という状況はまったく苦にならない。旅先では。
旅先では いつもの自分よりずっとあらゆる欲が希薄になる。
昨日と違うところにいって、餓えない程度になにか食べて、寒くないところで眠れればそれで満足。あまり色々な事を考えられない。
一人ならもっと動いたり話したりしなくちゃ先に進めないけれど、同伴者がいるとまるで犬のようになってしまう。
なにか食べる? ワン。
ここでいい? ワン。
なにがしたい? クーン(困る)。ワン(もっと先にいこう)。

でもでもでも楽しかった。
友人とは 愛も憎しみも越え 姉妹のようにずっと一緒でした。彼女のために 禁煙したい と思いました。できなかったけど。愛のためにずっと蛍族。それもまた楽し。寒くなかったからだー。

そうそう、スペイン・フランスの分煙はまだまだゆる〜いです。分かれているけれど、ブース・空気清浄機などはなし。ポイ捨てありあり。スペインでは地下鉄の車内での喫煙がみつかった場合、罰金は3千円ほどです。
帰りの韓国の空港でガラス張りの煙もうもうの清浄機ごーごーのおやじぎゅーぎゅーの喫煙ブース入ったときは、突端までいってしまうアジアを感じました。アメリカチックなのかもね。


このボーっとした感覚は まだ犬モードなのかしら。








2003年09月22日(月) 旨み成分

まずいものを食べて吐く、という体験を何十年ぶりかでスペインで味わってしまいました。
さすが異国。

しかも屋台で得体のしれないものを体当たりで食べてみた、とかではなくて ミシュランの赤本にのっていた結構なお値段のするレストランにて、パエリアといえばバレンシア バレンシアときたらオレンジよりもむしろパエリアだろう、という本場にて。

黒服のおじさまがワゴンでサービスする前に、平鍋を傾けて ほ〜ら と湯気をたてるパエリアを見せてくれた時には、

わ〜 これで二人前? 食べきれるかなあ でも絶対残さないぞ!うふふ きゃっきゃっ

と幸せだった。

食べたらネ、なんだかようく知っている味がするの。お米の味ではなく海老の味でもなくオリーブオイルでも鶏のだしでもなく、

それは カップ麺。

それも まるちゃんの 緑のたぬき。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

緑のたぬきを食べまして、お汁が残りますね。お汁に揚げ玉の残りが浮いていますね。
それを20杯ぶんくらい集めてご飯を炊くというよりお米を煮詰めていくと、わたし達が食べたものに近い味になると思います。その際イの一番を一瓶ふりかけるとより本場の味を追体験できます。
グルタミン酸よりむしろイノシン酸。

おいうち。
いま食べたものを忘れたくて、ついレモンシャーベットを頼んでしまったの。
目から鼻から耳から 穴という穴からレモンショック!
フィリックスガムレモン味 というものがあったら それを溶かしてエキスを蒸留させてそれでシャーベットをつくったら、それがパフェの器にテンコ盛りだったら・・・

もちろん二匙で残したよ。だってもう限界だったんだ。
緑のたぬきはよくできてる まあ不味いものではないよ。
でも残り汁でものを煮ちゃいけないよ。
フィリックスガムも子供の頃よく食べたよ。でも蒸留しちゃ・・・

なんだろう。60年代にタイムスリップ? 第二次大戦が終わって私達いろいろ間違ってたくさんおかしなものを口にしたよね。
でも最近また もういちどさ、なんだっけ すろうふうど?
あははは

ホテルにもどって歯磨きしたの。歯というより舌を洗いたかったの。ブラシでゴシゴシとね。でもお口に歯ブラシを入れた途端 もう耐え切れなかった。

いやあ 吐いたな〜
窓のあるバスルームでよかったなあ。



ねえ レストランでいくら払ったんだっけ?



2003年09月20日(土) 日本の秋

皮がむけます。激しい日焼けです。生涯で一番汚らしい足。
そんな九月の終わりです。

今回の旅についてはまだなにか終わっていないかんじなので、いつかボツボツと語り始めるかもしれません。

金魚は元気でした。甥っ子が生まれました。父がタバコをやめました。唯一買った父へのお土産はライターだったのに。
そういう巡り合わせ。愛情は早めにストレートに表さないと、届く前に墜落。


スペインの鈴虫は日本の5倍くらい声がでかいでした。
アフリカから打ち寄せる波は冷たかったです。

そして欲しい物や行きたい所なんかもうないような 空っぽな中身を確認しにいったような旅でした。

秋+旅=メランコリック


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