フーチーひとりごと。
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2001年10月25日(木) 血液型 #2

血液型が同じでも環境などによってタイプは違ってきます。が類は友を呼ぶのか、俺を含めて俺の知っているB型は似たタイプが多いんです。言いたいことは山ほどあるのに順序立てて口に出すのが下手です。
まるで、パニック時に非常口に殺到する人のように、口にしようとすると詰まってしまうのです。話の流れには「起承転結」がありますが、俺の話には「結」がほとんどつかないんです。「結」がないわけじゃなくて口が「転」のあたりで頭は「結」に辿りついてるのです。だから勝手に満足して聞いてる人間を宙ぶらりんにさせてしまうのです。

伝えよう伝えようとする思いが先走って結局うまく伝えられないことが多いんですよね・・・。
自分では自分が何を考えているのかわかってますが、相手にはそれが伝わりません。
でも、これは似たもの同士だと伝わるんです。伝わるというよりは、テンポが同じなのでイライラすることがないんですね。
では、付き合うなら同じタイプの人がいいのか?となると答えは「NO」なんです。意識してそうなったわけじゃないんですが、今まで付き合った人はA型とO型しかいないんです。今の彼もAですし。

一緒にいてラクな友達にはB型が多いのですが、恋人となると血が似すぎるため親近憎悪みたいなのを感じてしまうんでしょうね。もちろん同タイプでもうまくいくケースもありますが、同タイプの者は近付き過ぎると反発し、異なるタイプは近付くとくっついてしまうんですね、磁石みたいに。で、くっついたはいいけど、互いの性質がわからないから困惑してしまうんです。離れてしまえば困惑しなくていいのに離れないんです。

くっついた上でその性質を知り融合点をみつけて。困惑は離れる要素ではなくむしろ、それがあるからこそより固くくっついてしまう。そんな気がするんです。


2001年10月22日(月) 血液型 (10/25UP)

「B型やろ?」と言われる俺はその通りB型である。血液型には様々な分け方があるが、一番知られているのがABO型である。占いや相性にもよく用いられるのがこれである。しかしまぁ、人類をたった4つのパターンにわけてしまうのだからあくまで統計学の一種だと思うのだか、加えて自己暗示のひとつでもあると思う。
 A型は几帳面で、B型はルーズで変わり者が多い・・・。それぞれの血液型に対する典型的な既成概念は先入観として無意識のうちに人をそう見て、それを自分にも当てはめている気がするのだ。
 ずっとB型だと思っていた人が献血をしてB型ではなくA型だと判明したら、急に几帳面になったりという話はよくあることだ。逆に自分は違う血液型なのだと思い込むとこで性格を変えることも可能だと思う。
ちなみに俺とポンタはAとBでその相性は最悪である。掃除機をかければすみずみまで綺麗にかけるけど掃除機を収めることをしない、洗濯物をたためばたたむけどタンスになおさない、食器は洗うがシンクは泡だらけのまま・・・。物事を90%までしか遂行できない俺のあとを追うようにポンタが後始末をする。自分でも最後まであと少しなのにって思うのだが、90%で満足してしまうのだ。
でも、なんかうまく回ってるのも事実。毎回同じ事を言い合いながらそれでも決して解消されない、まさに学習能力の欠如とも言えるアホな会話をしながらも、こういうもんなんだってものができてきて。一見相性悪く見えても混ざることでそこに現れるものがあるのなら、相性なんて合わないところから始めればいいのである。


2001年10月21日(日)

お酒ですが、飲まないですね。
飲めないわけじゃないんで飲むと時は飲みますが、自分の
ペースで飲みたいんです。

まだグラスが空いてないのにビールを注ぎ足されたりする
のは最悪です。ぬるくなったビールになんで冷たいのを注ぐ
んだろう?

それでも酒の席にはノリやテンションがありますからあから
さまには拒否しませんし、かたくなに拒むこともしません。
飲む人に飲むなとはいいませんから、飲めない人にしつこ
く飲めと自分のペースを押し付けないで頂きたいだけです。

ストレス解消の場でストレス溜め込むなんて・・・。ねぇ。


2001年10月20日(土) 犬と猫

「犬と猫どっちが好きか」と聞かれれば犬と答えます。
でも猫も好きです。実家には犬もいますが猫もいます。
野良猫が多くそのまま居着くものもあれば、しばらく
すると出て行くものもいます。実家に帰るたびに違う
猫がいて、冬には布団やこたつでぬくぬくと丸まって
ます。

そんな姿を見てると文句なしにかわいいので、
一緒に寝てみたりもするのですが、外で鳴く犬の声を
聞くと慌てて犬小屋へ走ります。いくら毛皮を着てい
るからとは言え、冬は寒いらしく震えています。そん
な姿を見てると、やっぱり犬が愛しくなってしまいま
す。外犬ですがそんな日は部屋に入れてあげます。

部屋に慣れていないのでしばらくはウロウロしていま
すが、ストーブの前に落ち着くとウトウトと気持ちよ
さそうに眠り始めます。しかし、そこで一夜を過ごす
ことはありません。家族が眠る頃には外へ出たがりま
す。中にいれば暖かいのにと思いながらドアを開けて
やるとまっすぐ小屋へ戻っていきます。
俺が犬だったらめったに入れてもらえない暖かい部屋
なので、出されるまでは出ないのに、うちの犬はそれ
をしません。
なんかカッコイイ奴だと思いましたね。そういうのを
見てるとやっぱり犬が好きかなと思います。


2001年10月16日(火) 返事はいらない

ユーミンの唄。

この唄では別れた恋人へ手紙を出していますが、俺には出せなかった手紙、出さなかった手紙あります。渦中にいると見えなかったものがそこから出た時に始めて見えてくる。

「あの時のあの人は多分あんなこと考えてたんやろうな」とか、「あの時なんでもっと素直になれなかったんだろう・・・」とか。

途切れてしまった二人を繋いでおく理由は何もないから、その思い出を消そうと残そうとどっちでもいい。
でも、でも今この瞬間に思った事だけは伝えたかった。

だから手紙を書いた。そして出さなかった。
最悪で最善な別れだったから、手紙を出したらそのバランスが崩れそうだった。
崩れるのは手紙を受け取った彼ではなく、出してしまった俺の方だとわかってたから。
気持ちを伝えても元に戻るわけでもなくただ、行ったっきりになった俺の気持ちが行き場をなくして余計に悲しくなりそうだった。
だから封をしたのは封筒ににではなく俺のそんな気持ちにだったんだと思う。

先日その手紙を開けてしまった。彼への思いはもう何もない今、その手紙を読んだところでどうってことなかったけど確かにこんな自分もいたんだなって懐かしかった。
別れの辛さを克服したり、渦中にいても気づけるようになったり、少しずつでも成長したなった思える自分がその手紙を読み返すことで返事になったような気がした。


2001年10月15日(月) スーツフェチ

スーツである。
街で見かけるスーツの似合う人を見るとつい目で追ってしまう。スーツフェチではないが、単純にスーツを格好良く着こなせている人っていいなと思う。
なぜ、スーツの似合う人とそうでない人がいるのだろうか。どちらかと言えば俺は似合う方ではない。というか、全く似合わん。各種制服系は結構イケるんだけど(笑)普段スーツを着てないせいか見慣れないのもあるのだろうが、顔とスーツがマッチしないのである。しかし、それでも2着は持っている。リクルーター時代のものと友達の結婚式に出席した時のが。スーツは好きかと聞かれれば「嫌いではない」という曖昧な答えになる。

昔の彼の話になるが、週末仕事終わりでデートする時などスーツ姿の彼が格好良く見えたし、プレゼントしたネクタイを使ってくれてるのも嬉しかった。彼はスーツの似合う人だったため、余計にスーツに対するパーフェクト着こなしイメージが俺にはあるのだ。だから、そこに自分をあてはめると、どうも何かが足りないのだ。

 しかし、スーツの似合う男になりたい願望は多いにある。最近関西にも2プライスのスーツ専門の店がオープンしてきたのでまずは、着ず嫌いをなくし試着でもしてみよっかと思う。3万円そこそこで気に入ったスーツとちょっとだけナルな気分が手に入れば安いもんである。


2001年10月14日(日) やはり顔なのか?

生まれて今日まで何回自分の顔を見てきただろう。自分の顔に不満のない人なんておそらくゼロに等しいだろう。しかし「絶対に嫌い」と思う人もこれまたゼロに等しいのではないだろうか。

鏡の前で笑ってみたり、怒ってみたり、その中で「これはイケてる」って表情があるからやめられんのだ、この顔でも(笑)これを読んでいる人の中には俺の顔を知っている人もいるので下手なことは書けないが、まぁ「優・良・可」で言えば、「可」のレベルにはあると思う(笑)
基本的にはフケ顔である。フケ顔と書くとおっさん顔になってしまうが、高校生の頃からあまり変化がない。それは実年齢よりも見た目の方が先に年をくっていたからであろう。最近になってやっと実年齢が追いついてきた気がする。あとはこのまま実年齢が見た目を追いぬいてくれるのを願うところだが、未だかつて年よりも下に見られたことはない。

 しかしまぁ、この顔は好きだ。変えたいとこは多少あるが、多分変えてしまうと元の顔が懐かしくなり後悔するだろう。25年間この顔と付き合ってきて、この先もこの顔と付き合って行くのだ。
肝心なのはパーツや配置のバランスではなく、内面からにじみ出てくる表情なのだろう。古いアルバムを見ていると実にいい顔をしている時期がある。思い返してみるとその時期はとても充実し、楽しい時期だった。年を重ねてくると抱える悩みや、疲れでどうもその頃の「いい顔」がない。

ため息ばかりついていると出ていくんだろうね、「気」というやつは。「病は気から」というように、「いい顔も気から」そんな気がする。「格好良い顔」は整形すれば手に入るが、「いい顔」ってのは整形じゃ手にはいらんもんなのです。


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