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2004年01月21日(水)    


久し振りになりました。
誰か見てますか。
見てないことを祈って
こんなとこでいうことじゃないかもしれないけど
変な目で見られるかもしれないけど
書きましょう。


冬休みが始まる数日前、母が倒れました。
手術をして助かる確率は半分だといわれて、
泣きながら眠れぬ夜を過ごしました。
手術は上手くいって、山を一つ越えました。
数日後の検査の結果、命が助かる確率は半分もない
といわれました。泣きました。毎日。
毎日集中治療室に手を洗って白衣を着て消毒して入りました。
母の親や兄弟も遠くから何回も病院にきて
悲しい顔をしていました。
本当に駄目かと思いました。
母との思い出をずーっと考えていました。
勉強も手につかなかったけど、母も頑張ってるんだからって
じぶんを励ましてやりました。
年が明ける数日前、先生にこれ以上悪くなることは無いでしょう
といわれました。今度はうれし泣きをしました。
ほっとして家族みんな体調を崩しました。
希望をもって年が越せました。
集中治療室に20日ほどいた後、
一般の病室に移れました。
まだ話すことは出来ません。
左半身はもう動かないそうです。
最近手をぎゅっと握ってくれたり、
わかる?っていうと小さく頷いてくれたり
してくれて、本当に安心しています。
母自身はもっとつらいと思います。
医療関係者だっただけに、
いろいろ後悔したり苦しんだりすると思います。
あたしは1ヶ月かけて乗り越えたけど
母はこれからです。
毎日祈っています。


本当に突然で信じられなくて
何度も自分を責めました。
あたしがこき使ってたのかなあ。
いろんな悲しいニュースを見るたびに
胸が痛みます。
あの人たちはもっと苦しいんだろうな。
父や祖母や祖父のこともとても心配に
なりました。
さらに負担をかけてるんじゃないか。
今までどおりの生活はもうできないけれど、
生きていてくれるだけで幸せだと思えます。
今までが幸せすぎたのかなとも思いました。
やっぱり大学は地元じゃないといけないなとか
はやく就職しないといけないなとか
ぐるぐる考えています。


部屋が寒いせいなのか体が震えて仕方ありません。
学校の友達にもいってません。
ひとり話した子にも倒れたとしかいえませんでした。
抱え込んじゃうたちなので。


なんてまとめればいいのかわからないけれど、
ほんとに今までで1番泣いた1ヶ月でした。
これからは笑って過ごせるといいな。