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2003年01月12日(日) 13年ぶりの歓喜

後半、関東学院大が自慢の強力FWで強引な突破を
図り始めた頃から、「あー、これはまずいんじゃないか」
そんな声がスタントあちこちから漏れ聞こえてきた。

前半を終わって点差は22-10。しかし、そのビハインドを感じさせない
ほど、後半のなりふりかまわぬ関東学院の攻撃は破壊力を感じさせた。

試合終盤、もうほとんど自陣のゴール前に釘づけになりながら、
必死のデイフェンスを繰り広げるフィフティーンを見て、スタンドは
総立ちとなり声を嗄らして応援する。
負傷者続出のこの試合、当然のようにインジュアリータイムは長く、
それは「4分」という物理的な時間以上に長く感じられる時間だった。

27-22。
試合終了のホイッスル。
飛び上がる選手たち、沸きあがるスタンド。
インタビュー、表彰式、余韻は覚めやらない。

しかし、表彰式の後、スタンドは突如静まり返る。
誰しもが13年ぶりに歌われるあの歌を聞きたいがために。

グラウンドに輪が出来る。

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荒ぶる吹雪の逆巻くなかに

球蹴る我等は銀塊くだく

早稲田のラグビーは斯界になびき

いざゆけ我等がラグビーワセダ

ラ ラ ワセダ ラ ラ ワセダ

ラ ラ ラ ラ ワセダ
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10年間彼の地にいながら、一度も聞くことが出来なかったこの歌を
初めて聞くことが出来て、とても嬉しかった。
この年末年始は、どちらかといえば余りいいことが無かったけれど、
それでも今日は嬉しかった。

わずか2年で、低迷からの復活を遂げた若きカリスマ監督は
示唆に富んだことを言っていた。

「目的地に到達するにはいくつもの道がある。
そのため、ひとつの道しか知らない選手たちに
さまざまなルートを示し、引き出しをいっぱい
用意することを心がけている。」

優勝、おめでとう。


2003年01月07日(火) ソウル旅日記

急に思い立って、実行に移したソウル行きは、物理的には、
散々だった。正月早々の寒中ラグビー観戦がたたったか、
出発時からだるい状態で、現地に着いたときには発熱し、
のども痛く、咳も止まらない。

予定していたことが1つも出来ず、到着してすぐ部屋に缶詰と
いうありさま。大学時代に出会った現地の友人達と楽しい夜を
過ごすはずだったのに、痛恨のキャンセル。
自分に腹が立ってしょうがなかった。

病は気から、とも言うが、いくら慣れたソウルの街と
いえどもたった一人の外国でずっと寝込むことほど精神的に堪える
ことはなく、病状をさらに悪化させてしまったのかもしれない。
到着初日は、ソウルの街の見せる溢れんばかりの活力の所為なのか、
今までの僕の一人旅のなかで最も強烈に寂しさと孤独感を感じていた。
何でこんな衝動の旅に出たのだろう、そんな後悔ばかり渦巻いていた。

電話もメールも出来ず、言葉もわからないのでテレビも見れず、
暗いベッドの上で窓の外に広がるおびただしいハングルの洪水を
目にしながら、僕は初めて、昨年一年間のいろいろな出来事を
ゆっくりと振り返る時間を持つことが出来た。

変化に富んだ、というよりも変化そのものであった去年、
僕はその変化を言い訳にして、自分の行為をすべて正当化
していたように思う。一番嫌いな、言動不一致と想像力の欠如と
いう言葉が最も当てはまるのは他でもなく去年の僕だった。

何かの失敗があると、その原因を直視せず、自分がすべて悪い、
と感情的な結論に終始し、同じ過ちを幾度と無く繰り返してきた。
何より僕は自惚れていた。
謙虚さを忘れてしまっていた。
妥協の連続で、信念も言葉もすべてが空虚で、
重みなど、これっぽちも無かった。

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韓国の仁川国際空港はほぼ1年ぶりだった。
飛行機を降りると、日本では味わったことの無い、
肌の切れるような寒さが襲ってきた。

到着時刻は、夕日が差し込み始めた16時過ぎだった。
そういえば、去年の2月、学生最後のゼミをソウルで終え、
この空港から、ウラジオストクへと飛び立ったのも同じ頃だった。
出発ロビーの案内板で、1年前に見かけたフライトナンバーを見て、
懐かしさがこみあげてきた。

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今日は雲一つ無い穏やかな冬晴れだった。
飛行機の窓から見た日本列島は絶景だった。
2時間近くのフライトの最中には、京都や琵琶湖、そして頂上に
傘のかかった富士山などをはっきりと見ることが出来た。
惨めで苦しい旅だったけれど、僕は、これだけで、
今回の旅に出た甲斐はあったと思い直した。


おじゅん |MAILHomePage

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