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2002年11月10日(日) 秋から冬へ

思ったことの半分も出来ていない。
いつか立ち止まらなくては、と思いつつ
時間の少なさを言い訳に流されてしまうことが多い。
自分を表現する術を忘れてしまったのかもしれない。

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10月最後の日曜、神宮球場へ行った。
いつもながらの母校の野球応援。
秋の都大会、準決勝。ここで勝てば春の選抜出場が決まる。
相手の高校は、実力校だが決して強い相手ではなかった。

けれど、今回も敗退。
「あと一つ勝てば甲子園」という試合はこれまで数多見てきたが、
結局「そこ」へ行けたのは高校2年生の時、ただ1回。
いつも感じるやりきれなさを胸に球場をあとにしながら、
僕は10年前のある一つの記憶に思いを馳せていた。

「あと一つ」を最初に体験したのは、僕がまだ中学1年生だった
10年前の秋の都大会。それは同じ球場で、そして同じ相手で、
奇しくも同じスコア、10対14での敗退だった。

思えば野球の応援を初めて経験したのは10年前のこの大会だった。
入部してホルンを吹き始めてまだ半年足らず、1年前はランドセルを
背負っていた僕にとって、高校野球など遠い世界の話でしかなかった。

けれど、見よう見まねで応援演奏をするうちあれよあれよというまに
勝ち上がっていく母校の野球部を見て、いつの間にかその虜に
なっていた。

10年前の都大会準決勝は、10月最後の土曜日午後の試合で、
授業を終えた生徒たちが球場に詰め掛けていた。
天気は悪くグラウンド状態も不良。
試合開始は午後1時で、空にはどんよりとした
雲がかかっており、時折雨もぱらつく最悪のコンディション。

点の取り合いシーソーゲームで、大量リードを許しながらも
しぶとく追いつき、まだまだこれからというところで試合は
終盤に入った。

と、主審がネット裏に声をかけた。
なにやら話し合った後、ゲームセットがコールされる。
無念の7回日没コールド。

当時、その球場には照明設備が無く、試合の続行は不可能とされた。
とても悔しかったけれど、その時の思い出は確かにそれからの
僕の一つの原点になった。そんな忘れられない試合だった。

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11月初めの連休には箱根へ旅行した。
ふとした言葉をきっかけに同期を誘ってみたのだが、
結果「誘う」というにはあまりに多すぎる26人が集まり、
レンタカー7台での大旅行となった。

これまで何かと雨の多かった同期の行事では、
初めてとも言える抜けるような秋の青空に恵まれた。
頂上に少し雲はかぶっていたけれど見事な富士山
を望むことが出来たし、黄色や赤に色づいた木の葉が
織り成す山の斜面に見とれてわき見運転をすることも
しばしばだった。

これまで、意識的に車による「旅行」を避け鉄道と船による
「一人旅」ばかりしてきた僕が、人を誘って旅行を企画
するというのはそれなりに「ちから」の要ることだった。

僕にとって今年の夏と秋のグループ旅行はずいぶんと新鮮だった。
この旅行を通して「グループ旅行」も楽しいとは実感した。
けれど、やはり僕は一人で旅をするほうが向いているのでは
ないかと、改めて思った。
今は自分の状況が、それを許してくれないけれども、
機会があればまた、のんびりと一人で旅に出たい。

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「結婚」や「恋愛」などといった話題を軽やかに発しつつ、
その内容に大して拘泥されない人々を、僕は好きではないけれども、
少しばかりうらやましくも思う。
僕はもう、価値判断に基づく自分の意見を言うことが
出来なくなってしまったのかもしれないとも思う。

「経験的なことを言うなら、人が何かを強く求めるとき、
それはまずやってこない。人がなにかを懸命に避けようと
するとき、それは向こうから自然にやってくる。
もちろんこれは一般論に過ぎないわけだけれどね」
(村上春樹『海辺のカフカ』)

先ほど寮のロビーでケーキを食べながらのしばし雑談。
そのとき「逃げるより追え」という言葉を紹介した
同期に対して、僕は真っ先に上の一節が浮かんだ。
僕が後ろ向きな考えしか出来ないからそう思ったのだろうか。

おいしいケーキをどうもありがとう。


おじゅん |MAILHomePage

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