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2001年05月30日(水) 先生・・・

ゼミは少人数のため先生の研究室にて行われる。

プリントアウトをしたいのにパソコンがうまく
作動しないことに業を煮やした先生がパソコンに
向かって強烈な一言。












「何度言ったらわかるんだ、お前は!」



2001年05月29日(火) 喫茶店にて

明日のゼミの発表準備。明日は参加している2つのゼミで
共に発表でかつ週末を潰したので、風邪でいつまでも
くたばっている訳にも行かず、さすがに一時間かけて大学の
図書館まで行く気力はなかったけれど、大分よくなってきた
ので、地元の喫茶店へ。中ちょんがせっかく演奏会に誘って
くれたのに残念無念。

まずは最寄駅の、といっても自転車で軽く15分はかかる駅前の
喫茶店に入る。住所の上では東京なのに都区内に電話をかけると
市外料金になってしまったり、嫌味な友達が「埼玉県」と年賀状に
書いてしまっても届いてしまったり、「東京は今快晴です」とかいう
予報を聞いているそばからバケツをひっくり返したようなどしゃぶり
だったりする我らが東京都東久留米市では、当然のことながら、
スターバックスのような気取ったカフェは存在しない。
ちっ、天気予報なんて当たらないからいいんだよ。

低価格で差別化を図る「150円でまずいコーヒー」で有名な
あのチェーン店があることすら奇跡的だ。渋々そこに入る。
文献の要約は思ったよりスムーズに進んだが、
途中から妙にBGMが気になりだす。
というのは選曲が全く理解不可能。

覚えているだけでも
岡村孝子の「あきらめないで」、
チューリップ「サボテンの花」と来て、
邦楽の有線かと思わせておきながら突然
「ラデツキー行進曲」。
ヴィヴァルデイの「四季」、
エルガーの「威風堂々」、
映画「サウンドオブミュージック」のサントラと来て、
しまいに井上陽水「少年時代」・・・。
なんなんだこの選曲は?

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そんな嫌がらせにもめげずミルクティーで2時間居座る。
喫茶店における面の皮の厚さは大学生活で得た数少ない
成果の1つのような気がする。

気分転換に本屋をはしごしつつ隣の駅へ。
ここでもまた安いだけが取り柄の某チェーン店へ。
ここで先週の金曜日、開港資料館の職員の方からいただいた
論文集所収の「維新史料編纂事務局と大塚武松先生について」
なる一見不可解な題名の論文を読み始める。

読んでみると一見どころか、百見しても不可解な内容。
と、隣の席では東洋系の顔立ちの外国人の男と
日本人の女性が英語で話をしている。
英会話のレッスンでもしているようだ。

突然、男が口説き始めた。というかナンパに近い。
英語力の弱い女性にわかりやすいように大きな声で
ゆっくり話すから、リスニング能力の全くない僕でも
理解できてしまう。というか店中聞こえてたはず。
女性のほうはまんざらでもない様子。

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<一部始終再現・英語は適当>
男"could you tell me your telephone number?"

女"XXX-XXXX-XXXX"

男"イチ、ゴ、ロク・・・?"(お前そういうときだけ日本語使うなよ)

女"yes yes."

男"do you have a any schedule tonight?"(ストレートだなあ)

女"no…"(含み笑いで、もうこの時点で落ちている)

男"would you like have a beer with me?"
(少し言いにくそうに上目使いで。いや見てたわけじゃないけど。
策士だなあ)

女"sure"
(こちらも少し躊躇って、しかしその間が全てを物語っている)

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その横で僕は「小笠原家文書にみる浦賀奉行所関係文書(その四)」
なる論文を読んでいた。なんなんだ、この空間は。

しばらくして家路に着く。踏切待ちをしていると件の東洋人風の男が
そばにやってきて一人で電話を始めた。なにやら大声でわめいている。
おぼろげに「キョウコ…」と聞こえてくる。

喫茶店の会話の内容からするとナンパしたのはナオコなる名前らしい
ので、おそらく別の女性のことだろう。またもや聞き取りやすい英語を
聞いてみると、実は彼は今夜電話口のキョウコという女と先約があった
ようだ。

そこで必死に
「頼むから約束を明日にしてくれ。今は会社にいる」
といった内容の事を大声でまくし立てている。

どうでもいいけどキョウコに踏切の音が聞こえているよ、多分。
いや聞き耳立ててたわけじゃない、聞こえただけ。信じて・・・。

とここまで書いているうちに耳直しにかけたBjorkのアルバムが
終わってしまった。これなら演奏会行っても良かったな。
ごめん、中ちょん。


2001年05月25日(金) 横浜の「衝撃」

緑色をした水面の一部がオレンジ色に染まっている。
思わず立ち止まる。

あまりに強烈に。
あまりに輝いて。

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鮮烈な光を長く見続けていたからか、視線をそらした後、
しばらく目の前が真っ白になった。
昼間のうだるような日差しも和らいで、
穏やかな海風が疲れた体に心地よい。

大桟橋からみなとみらい方面へ歩く。
ふと見上げれば大きな観覧車。強大なビルの群れ。
まるで蒲鉾のようなインターコンチもここでは違和感なく
溶け込んでいるから不思議だ。

汽車道を歩く。
隣の遊園地からは歓声が聞こえてくる。
海辺には寝転んで休む人々。
ふと場違いなほど大きな汽笛が響く。
船の軌跡が静かな水面を切り裂いてゆく。

140年前の横浜は開港直後。
外国人用の居留地が設定され、そこは1つの外国だった。
当時は小さな漁村に過ぎなかった横浜の人々にとって
その「衝撃」はいかほどのものであっただろう?

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金曜の午後、卒論のテーマを求めて横浜開港資料館へ。
ゼミの先生が職員の人を紹介してくれたので、
史料の探した方等を丁寧に一通り教えていただいた。

「あなたのところで経済史というと川勝平太とか?」
「実は僕は川勝先生の下で勉強したくて今の学部に入ったんです」
「あ〜、そうなんだ。平太も時々来るんだよ、ここ」

経済史に惹かれたのは高校3年の時だった。
進学先の学部を決めかねていた僕は、ある本に掲載されていた
1つの論文に引き込まれた。

「なんで欧州でも日本でも中国でも封建制があるんだろう?」
こんな疑問を抱きつつも目前のテストのために世界史の
教科書の暗記に励んでいた僕にとって、それはあまりに斬新な
論文だった。

日本は明治以前にも相当程度の経済成長を遂げていたこと。
その背景には欧州の産業革命に匹敵する生産性の向上が
あったこと。生産性の向上は東南アジア諸国との貿易に対する
反応であったこと。

教科書で単発的に覚えてきた歴史現象が体系立てて説明される
そのダイナミックな仮説の虜となった。
まるで熱病のような恋に落ちる少女のように。

僕を虜にした先生は僕の入学と入れ替わる形で大学を
辞めてしまった。ショックではあったけれど、講演会は実現
できたし、本や論文で先生に触れることもできる。
その上、新たに入ってきた今のゼミの先生に会えたのだから
寧ろ良かったのかもしれない。

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卒論のテーマはなかなか絞りきれていないが幕末開港期以降の
横浜の居留地を扱おうかと思っている。開港以来欧米との
窓口であった横浜の歴史を通して「西洋の衝撃」なるものの
実体を考察してみたいと思う。




2001年05月24日(木) 迷惑メール

-----Original Message-----
From: info@sakisaki.dyndns.org
Sent: Thursday, May 24, 2001 10:30 AM
Subject: Fw:♪オススメ


うれしいお知らせ
があるんだ♪やっ
と彼氏ができたの
!!彼氏が欲しい
って言ってたよね
?だったらココが
絶対オススメ♪
↓ ↓
http://merutomo-bank.com
突然のメールで失
礼しました。

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どうでもいいけど「彼氏」はいらない。
威勢良い割に最後だけ謙虚だなあ。


2001年05月23日(水) 絶対なんて絶対ない

もう3時半だ。早く風呂に入って寝なくては。
昨日も寝たのは朝6時過ぎ。先週の日記を読んだ人々から
「なにやってんの?」と半ばあきれた口調で問い掛けられる。
「いや、ボーっと」

講義に出て、ゼミがあり、小説を読む。
大学で時間が空けば部室に行ったり、喫茶店に入ってまずい
コーヒーが冷めてさらに一層まずくなるまで粘ってボーっとする。
来年からの就職先もとりあえず決まった。
そんな単調な日々を送る中でふつふつと湧き上がる疑問、
「結局何のために生きてるの?何するの?」

今まで僕はこの古くて新しい青臭い問いと向き合うことを
避けてきたし、ましてや知り合いもよく見ているこの日記で
あえてその問いに対する答えを記してみようとも思わない。
今の僕にはとても考えられないし、60年後の僕もおそらくは
答えるのに逡巡してしまうだろう。

だから今の状況はすべて受け入れて、その状況下でベストだと
思うことをどれだけやるか、そう思って過ごしている。
選択の理由付けなんて得てして後知恵になってしまいがちだし、
終えてみなければわからないことなんだろう。

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なかなか物事がうまくいかない時に「待つこと」「耐えること」
ができるようになってきたように思う。そんな自分は少しは
大人になったのかなとも思う。

「何もしない」という行為は相当な苦痛を強いるものだ。
けれどその行為を主体的に選択してみると、案外いい結果が
待っていたりする。ただそうすることで、かつてと比べて積極性や
攻撃性を失ってしまったのかなあとも思う。

目の前の事に必死になり、ただひたすらに1つのことに
追われることがある。人間の行動は価値ある(と判断された)
結果を追求するためになされる。ところが、盲目的に物事を
追いつづけていると、その行動の結果のもたらす影響に対して、
深い想像を巡らす事が出来なくなってしまう。そのような時、
「何故そうするの?」と自らに問いを発することが苦痛で
避けてしまいがちだ。

かなり抽象的な内容になってしまったが、特に何かあったとか
そういうわけじゃない。書くネタがないんだ。勘繰らないで。


2001年05月20日(日) 母校訪問

この一週間、「ギャラクシークエスト」、「ビートニク」、
「セシルB・シネマウオーズ」と立て続けに映画を見た。
いずれもメジャー作品ではない。
部屋にビデオデッキがないのと、映画館独特の雰囲気が
たまらなく好きで、レンタルビデオで作品を見ることはまずない。

特に印象に残っているのは「ビートニク」。
この日は夕方に起床した。もう日が西に傾きかけている頃に
目覚めると、すべての物事に対するやる気が失せてしまう。
体に鞭打って、家を出て池袋をフラフラ。
本を読む気にもなれず、9時頃渋谷シネアミューズへという流れ。
ミニシアターのロビーの雰囲気ってわりと好きだ。

映画の詳しい感想は別ページに譲るとするけど、
とりあえず日が落ちかけた頃に目覚めた日に観るのに
ふさわしい内容だったように思う。少なくとも、朝6時に起きて
朝食を取りしっかり散歩をした人が観るべき作品ではない。
要は僕向きの作品ということだ。

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19日土曜日は国分寺へ。部活の同期と移転した母校を訪ねる。
うすい小豆色をした低層の校舎はとても高校とは思えない。
校舎を徘徊。設備は素晴らしく、校庭も広い。
なんだか良く見かける高校の風景。野球部、サッカー部等等。
以前は50m走るのにもカーブが入っていた狭さだったのに。

教員室をちらりとのぞくと懐かしい面々が。
歩いている生徒も相変わらずで、思わずほっとする。
けれど、校舎内の一角では来年度からの共学化に向け、
モデルを使った写真撮影らしきことも行われていて、
変化は確実に起こっている。

吹奏楽部でお世話になった指揮者の先生とマーラーの流れる
音楽室で話をする。サラウンドはなかなかの迫力で臨場感もある。
舞台の配置通り、HrやTpはしっかり上方のスピーカーから
聞こえてくる。指揮者の先生は高校に勤務する傍ら、
職業音楽家として今でも演奏活動をしている。
先生に合奏中よく言われた言葉で、今でも覚えているのは
「最後は人間力」。これはあるCMで使われていたコピーらしい。

先生は「プロ」の立場から「趣味としての音楽」を教えていきたい
とのこと。けれどもその「音楽」は決して音程とリズムが合えば
よいというものではなく、文化に根ざした音楽、表現する音楽
であるとのこと。先生は邦楽を積極的に評価しているし、
例え西洋音楽であっても、単なる模倣ではなく、
その背景となる文化の感じられる演奏をするべきだと話していた。

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どんな物事も「程度の問題」ということはわかっている
つもりなんだけど、どうしてもゆき過ぎてしまったり、反対に
不足してしまうことばかりの気がする。特に最近。
余裕が欲しい。


2001年05月16日(水) 危うさ

所属大学の入学センターから今年度の大学案内が届く。
ばっちし載っている。コメントはともかく、掲載写真に不満。
確かに「もと」がよくないのは認めるけど、
それを良く見せるのがカメラマンじゃないの?
「もと」より悪くしてどうする。
欲しいという奇特な方は願書でも買うか、大学に来てください。

ついでに来週23日に某リクルート社の進学サイトにデビュー決定。
こちらも実名、写真公開なのでURLはこのサイトでは非公開。
どっかに隠しリンク張るかも。

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庄司薫を引用したのは、1つには「80%」という数字自体に危うさを
感じたから。加えてその値は奇しくも以前の「不」支持率と一致。
統計的な裏づけは無いけれど、前回不支持の人間が今回支持に
回ったと考えられないか?
「危うい」と認識されない時が真に「危うい」のではないだろうか。


2001年05月13日(日) 久しぶりの日記らしい日記

ずいぶん前の話だが、7日月曜日「中ちょん」から電話があり、
よく行く喫茶店でだべった後、高田馬場の飲み屋へ。
考えて見ればだべりっぱなしだった。
飲み屋と言えど、下戸なもので口にした飲み物は
カルピスソーダ、ジンジャーエール、ウーロン茶。
一杯目にカルピスソーダを頼んだ時には店員がたまらず
「え?ソフトドリンクですよ」。
いいじゃんか、一杯目からソフトドリンクでも。

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その席でたまたまこの日記の話になり、
かつて書いた「出会いと別れ」の文章について、彼に誤解を
させてしまっていたようだ。彼の他にもあの日記を読んだ人からは
「恋愛絡みで何かあったの?」「誰かとケンカしたの?」
とか度々聞かれた。改めて言うとそういうことはホントに
無いので。

それはともかく、自分の発した言葉が他者にどれほどの
重みをもって受け止められているか、ということを
この頃よく考える。

******************************************************
昨日土曜日は珍しく昼前に起き「られた」ので映画を見に行く。
見たかった「ギャラクシークエスト」を上映しているのは
首都圏では唯だ一ヶ所、舞浜イクスピアリ。

天気のいい土曜日ということもあってか、ディズニーランドと
イクスピアリを訪れる人々で舞浜駅はごった返していた。
けれど、映画館の中はガラガラで拍子抜け。
作品の話はいづれ映画欄で…。

舞浜から新木場まで京葉線に乗る。
海側の車窓を流れる景色は変化に富んでいる。
テーマパーク、臨海公園、観覧車、貯木場、そして上空には
羽田空港に離発着する飛行機。
人工的で直線的な風景。

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土曜日の夕方からは横浜へ。僕の所属サークルと交流している
他大学のサークルとの飲み会に出席。4年ともなると出席者が
少なくなってしまうのは仕方が無いけれど、それでも昨日は
何人かの懐かしい他大学の友達と久しぶりに顔を合わせた。

このサークルの集まりは自分の大学生活で大きな位置を占める
存在の1つで、この集まりが無かったらきっと僕の大学生活は
ずいぶんと退屈なものになっていただろうし、今の僕は無かった
だろうと思う。

会は盛り上がり、下戸の自分にしては珍しく2次会も参加。
そこでは最近新聞を賑わせている歴史認識の問題の議論が
巻き起こる。

「日本人として」という言葉の連発に激しい違和感を覚えた
僕は自称「リアリスト」の友達と意見が対立した。
久しぶりに熱くなってしまった。

「日本人」「日本文化」とは何か?
そういう言葉に果たして実体はあるのか?
それは想像上の産物、虚構に過ぎないのではないか?

話が佳境に入ったところで、タイムアップ。
中途半端に終わったことを心残りに思いながらも
久方ぶりの充実感を胸に横浜を後にした。


2001年05月07日(月) ”Distance”

気になるのに聞けない
泳ぎつかれて君まで無口になる

会いたいのに見えない波に押されて
また少し遠くなる

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一時期、何度も繰り返し聴いた曲を後になって聴きなおすと、
かつての自分の状況とか思い出が心に蘇ってくる。そういう
音楽がいくつかある。

宇多田ヒカルのセカンドアルバム”Distance”に収録されて
いる同名のタイトル曲もそんな音楽の1つだ。彼女は「R&B」
とも形容されるようにその洗練された楽曲が支持され続けて
来たが、僕はこの曲を初めて聴いた時それまでの彼女の作品と
違う印象を抱いた。

それは軽いポップスに近い曲調とでも言えばいいのだろうか。
これまでの彼女の曲からは感じられなかった「明るさ」が
伝わってくる。

まあ曲の解説はどうでもいいのだが、とにかく今この曲が自分の
お気に入りで、帰宅して部屋に入ると真っ先にこの曲を流す。
就職活動中は、面接の合間に喫茶店や公園でこの曲を聴いて一息
ついていた。そのせいかこの曲を聞くと、都内の喫茶店でため息
をついていた日々がリアルに思い出される。

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「自信」

それは形が無く、出来ては壊れる泡のような、ひどく曖昧な気持ち
だけれど、どんな行動をするにもとても大切なファクターであると
思う。物事の結果は得てして紙一重ではあるけれど、「自信」は
そんな気まぐれな「結果」を左右する大きな要因でもあると思う。

だからと言って、それをコントロールすることなどは難しいし、
外部からの評価に依存してしまいがちだけれど。

これまでの自分の生活を振り返って、自信は「出来ては崩れる」の
繰り返しだった。けれど、その「出来ては崩れる」を何度も経験する
うちに、少しづつ確固たる「自信」が積み重なってきたように思う。
怪物と称されたかの投手のように「自信が確信に変化」したわけでは
無いけれど、1つの地平が開けてきたような気もする。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
決しておごることの無いよう。


2001年05月02日(水) 最寄駅

昨日の日記に関してレスがあった。

「財布の紐を握っている云々」のくだり。
そういう含意は全く無かったんだけど、
誤解を与える表現かもしれないので訂正。
推敲もせず少し安易に論じてしまった。
お詫びします。

言い訳がましくなってしまうけど、差別問題を論じるのは非常に
難しく、究極的には個々人の差異を論ずるだけで「差別」という
ことになってしまう。例えば昨日の日記でも、そもそも最初から
男女を分けて考えている時点で僕の思考も「差別的」であると
言えなくもない。日記で安易に論じることのできる問題では
ないけれど、身近に起きた問題として取り上げたかった。

J.P.サルトルは『ユダヤ人』の中でユダヤ人差別は
「社会が多元性を持った時の現象」であると指摘し、
「メンバーの全てが同じ事業につき、従って、
全て協同しているような社会には反ユダヤ主義の入り込む
隙が無い」と社会主義革命の必要性を説いている。

家事労働も資本主義に由来するシステムであるとの主張もある。
男女差別、人種差別廃絶のためには資本主義システムの
変革が必要なの「かもしれない」。

ただ、一介の学生に過ぎないこの僕が、身の周りで漸進的に状況
を改善してゆくことの方が、現実的だと思うし、とりあえずは
所与の状況下で思考し、できることをやっていきたいと思う。

*******************************************************
昨晩、連休の谷間で空いている電車の中で酔っ払いのおじさんに
「兄ちゃん、この電車■■へ行くか?」
と声をかけられた。
どうやら飲み会帰りの会社員らしい。

参ったなあと思いつつ
「はい」
と答えると、

「どこ住んでるんだ?」
「ええと○○です」
と会話が始まった。

「サラリーマンか?」
「いえ学生です」
「なんでスーツなんだ?」
「就職活動の内定先の会社に呼ばれて・・」
「そうか、就職か」
「はあ」
「兄ちゃんな、俺をただの変な酔っ払いだと思っているだろう」
「(内心同意)いえそんな・・・」
「いや顔に出てるよ」
「(なら話し掛けないで)・・・」
「まあな、その変な酔っ払いから1つ言わせてもらえば、
兄ちゃんもこれから社会に出ると、自分の意に沿わない思いを
きっとすることもあるだろう。でもな、そんなとき絶対に
あきらめちゃダメだ。辛い時でも頑張るしかないんだよ。
頑張ればそれは自分の糧となる。頑張らなければ、ただの時間の
無駄になってしまう…」

そこに来て、電車は僕の降りる駅に到着し、最後は握手を求められた。
「兄ちゃん、まあ、お互い頑張ろうや」

あと一駅、最寄駅を伸ばしても良かったかもしれない。


2001年05月01日(火) それぞれの生活

昨晩は元バイト先の友達4人で夕ご飯を食べた。
4人とも今大学4年、つまりみんな就職活動の関係者だ。
僕ともう一人は同じ時期に内定が出てもう活動を終え、
一方で女の子2人はなかなか決まらず、今も就職活動中。
ため息ばかりついている。
大学のゼミでも女の子は苦戦している。

男の僕自身、就職活動中に露骨な女性差別を感じた。
例えば女性だけに「結婚・出産」のことを聞いたり、
容姿についてコメントしたり。これは立派な法律違反。
普通に考えて、仕事を男性だけでするのは変だと思うし、
ビジネスとして考えても、世の中の半分を占める
女性の視点を生かさずして、ビジネスは成功し難いと思う。

特に男性比率の多い某社の面接ではそのことを強調した。
人事の人もわかってはいるのだろうけど、
迷っているようだった。

しかし、僕のような一学生がその必要性を感じていたとしても、
女子学生の就職難がすぐに解決するわけでもない。
やはり「時間」が必要なのか・・。
就職は全てではないけれど、それを志して頑張る人の成功を
願わずにいられない。

パスタの店と洋菓子の店をはしご。
楽しい時と言うのはいつもあっという間で、名残惜しいものだ。
それぞれ、家路についた。

*************************************************************
帰宅してからも余り眠れず、4時過ぎに就寝。
今日は午後2時過ぎに起きる。

昨日の友達からメールが入る。
彼は今日から琵琶湖、京都を旅するとのこと。
西へ向かう新幹線の車中から。
彼も迷いながらも、飢餓・貧困のために働きたい
という夢をかなえるべく頑張っている。

女の子は2人共今日、就職活動。きっと今ごろ真っ最中。
リクルーター面接や選考会で頑張っているんだろう。

僕はこれから内定先の夕食会に行ってくる。
きっとまた葛藤を感じつつ。

ある日、時間を共有した人が、次の日にはそれぞれの生活を送る。
「みんな今頃どうしているんだろう?」
集まりなんかのあった翌日、こんな風な想像をするのが僕は好きだ。

一夜明け、またそれぞれの生活が始まった。
それぞれが悩みや不安や葛藤を抱えてつつ。
自分の置かれた状況を悔やんだりするばかりでなく、
置かれた状況下でどれだけ頑張るか、
そういう割り切り方もきっと必要なんだと思う。


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