エンターテイメント日誌

2005年09月28日(水) チョコレート工場、魅惑の秘密

「チャーリーとチョコレート工場」の評価はAである。しかし、そんなことはどうでも良い。これが大傑作であることは自明の真理であり、映画に関するどのレビュー、日誌、ブログを見ても絶賛の嵐である。この作品を賛美することは、「風と共に去りぬ」とか「七人の侍」を今更ながら傑作だと主張するにも似た詮無い行為であるので差し控えたい。そういったほめ言葉を読みたいのならよそへ往って欲しい。ここではもっと別な話をしよう。

まず「チャーリーとチョコレート工場」にジョニー・デップの父親役としてクリストファー・リーが出演していることに注目したい。クリストファー・リーといえば「スター・ウォーズ」新三部作とか「ロード・オブ・ザ・リング」を即座に想い出す方が多かろう。しかし、彼はドラキュラ俳優であることを忘れてはいけないだろう。ハマー・フィルムの名を一躍世界に広めた「吸血鬼ドラキュラ」(1958)。その後も「凶人ドラキュラ」「帰ってきたドラキュラ」「ドラキュラ血の味」「血のエクソシズム/ドラキュラの復活」「ドラキュラ'72」「新ドラキュラ/悪魔の儀式」と実に7作品にリーは出演している(邦題「ドラキュラの生贄」という作品にも出演しているが、これはハマー・フィルムではなく、リーが演じる役も実際はドラキュラではない。原題にドラキュラという言葉も含まない)。

「チャーリーとチョコレート工場」の監督、ディム・バートンは往年の怪奇映画の大ファンであり、「エド・ウッド」にも劇中にユニバーサル映画版初代ドラキュラ俳優のベラ・ルゴシが登場した。バートンが特に私淑していたのが「蠅男の恐怖(THE FLY)」や、エドガー・アラン・ポー原作の怪奇映画シリーズで主役をはった怪優ヴィンセント・プライスであり、大体バートンの処女作のタイトルがずばり「ヴィンセント」であり、ご丁寧にナレーションをヴィンセント・プライス自身が担当しているのである(「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」コレクターズ・エディションDVDに収録)。プライスはその後バートンの「シザーハンズ」にも出演。ジョニー・デップ演じるエドワードを発明した博士を演じた。つまり「シザーバンズ」におけるデップとプライスの関係性が「チャーリーとチョコレート工場」のデップとリーの関係に相似しているのである。ちなみにクリストファー・リーはバートンの新作人形アニメーション、「コープス・ブライド」でも声の出演をしている。

「チャーリーとチョコレート工場」について語るとき、パロディ映画としての愉しさも見逃せない。「2001年宇宙の旅」のモノリスがチョコレートの板と置き換わったのには爆笑したが、それだけではない。ウンパ・ルンパが打楽器(ティンパニ)のリズムに合わせて舟のオールを漕ぐ場面は明らかに「ベン・ハー」に登場する奴隷船のパロディであるし、ウンパ・ルンパが皆同じ顔をしているのは「スター・ウォーズ」のクローン兵みたいで可笑しかった。さらにウンパ・ルンパが次々とチョコレートの川へ飛び込み、映像が俯瞰ショットになって彼らが泳いで万華鏡の模様を形成する場面は、水着の女王ことエスター・ウイリアムズ主演のMGMミュージカルを彷彿とさせる(「ザッツ・エンターテイメント」DVDで観ることが出来る)。

また、ダニー・エルフマンの音楽の素晴らしさも特筆すべきものがある。5曲の唄が挿入され、さながらミュージカル仕立て。ちなみに全ての唄を唄うのは多重録音による作曲者自身であるというのも凄い。「シカゴ」の劇伴音楽(唄は違います)や「スパイダーマン2」「ビッグ・フィッシュ」など、最近地味で冴えない仕事が多かっただけに、この久々の大爆発には目を瞠った。正に水を得た魚の如しである。ティム・バートンとコンビを組む最新作「コープス・ブライド」の音楽にも期待が高まる。もしかしたら、悲願のアカデミー作曲賞(あるいは主題歌賞)を今年こそはいけるかも。ちなみにエルフマンの最大のライバルは「スター・ウオーズ/エピソード3」「宇宙戦争」「SAYURI」「ミュンヘン(仮題:クリスマスに公開されるスピルバーグの新作)」と4本の新作が並ぶジョン・ウイリアムズである。あ、これだけ忙しかったので「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」からはジョンは音楽担当を降板している。



2005年09月23日(金) ミュージカル映画版「プロデューサーズ」予告編遂に登場

今を遡ること一年半前、昨年4月のエンターテイメント日誌で既に取り上げたミュージカル映画「プロデューサーズ」の予告編が待望の登場である。アメリカでは今年の12/26に公開予定。

まずここをクリック。そして画面左の"TRAILER"をクリックすれば予告編を視聴出来る。

金髪で片言の英語しか喋れないスエーデン人秘書、ウラを当初演じる予定だったニコール・キッドマンが降板し、その後を受けたユマ・サーマンはミス・キャストじゃなかろうかと危惧していたのだが、予告編を見る限りグラマーでおつむが空っぽというウラをユマが見事に演じており、これは嬉しい誤算だった。ネイサン・レインやマシュー・ブロデリックは当然だが、もしかしたらユマもアカデミー賞(助演女優賞)にノミネートされるかも。



2005年09月15日(木) 出来の良い似非ドキュメンタリー <ノロイ>

映画「リング」シリーズ、「呪怨」シリーズ、「仄暗い水の底から」「感染」「予言」などを製作し、和製怪奇映画を世界的なブームにまで押し上げてきた一瀬隆重 プロデューサーの新作「ノロイ」を観た。一瀬プロデュース作品は「呪怨」の清水崇監督による「輪廻」も来年一月に公開を控えている。ちなみに「ノロイ」で重要な役回りを演じる松本まりかは「輪廻」にも出演している。

「ノロイ」の評価はB-。ドキュメンタリーを装ったなかなか創意工夫に満ちたフィクションである。

「ノロイ」の公式サイトはこちら
「ノロイ」完成後、自宅が全焼しその焼け跡から妻が焼死体で発見され、本人は消息不明になったことになっている怪奇実話作家:小林雅文氏の公式ホームページはこちら
小林雅文氏本人の了承を得て開設されたとされるファンサイトはこちら

しかしながら、小林雅文なる人物が架空の存在であることは公式ページに列挙されている著書やビデオがAmazonなどで検索しても存在しないことからも明らかである。映画はしかし、観客にこの人物の実在を信じさせるためにスタッフやキャストのクレジットも全くなく突如として終わり、場内が明るくなるという仕掛けまで仕組んである。なかなか用意周到、創意工夫に満ちたホラ話に感心した。

ドキュメンタリー風のホラー映画と言えばあの手ぶれの画面が吐き気を催した映画未満の代物「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の悪夢を想い出す。しかし「ノロイ」があれと一線を画するのはまず脚本がよく練られており、手持ちカメラではあるが計算された画面構成でプロのカメラマンが手堅く撮っている点である。禍具魂(かぐたば)が憑依した母と息子の設定や、唸り声などは明らかに「呪怨」の影響下にあり、プロットに今までの怪奇映画をよく研究した成果が伺われる。所詮アマチュアの映画ファンが撮ったに過ぎない「ブレア・ウィッチ」が根本的に駄目だったのは最後まで恐怖の対象を写さないことにあったのだが、「ノロイ」ではちゃんとそれを見せてくれる点も好感度大だった。

ただし、この映画の最大の欠陥はラストシーンにある。自分が殴り殺されかけ、さらに目の前で妻が灯油を被って焼身自殺をしようとしているのに、それでもカメラから手を離さず、対象を撮り続ける人間なんてこの世にいるだろうか?余りにもリアリティに欠け、白けてしまった。花も実もある絵空事ではあっても最後まで上手に騙して欲しかった。



2005年09月10日(土) 人類の歩みとキンゼイ博士の報告書

人類の歴史を紐解く時、ホモ・サピエンス(ヒト科ヒト属)としての自らの動物性を否定し、その身体能力を超えて全能の神の領域に一歩でも近づこうとしてきた歩みであると言い切ることが出来るだろう。

船や潜水艦の発明で海を制覇し、飛行機で空を、さらにロケット開発で宇宙まで飛び出していったこと、文字の発明、コンピューターからインターネットへの発展などもそのたえまぬ努力の現れである。原爆や水爆の開発だって同じだ。

神に近付こうという意志の端的な象徴が宗教の<発明>であろう(祈るという行為もホモ・サピエンス固有のものである)。ガリレオの時代、宗教は科学を弾圧したがそれは両者の利害が対立し、宗教が科学の台頭に脅威を感じ怖れたからたからであって、その行動原理の根っこの部分は実は同じなのである。

多くの宗教では聖職者は禁欲生活を美徳とする。性欲を否定し、(断食など)食欲を否定するその行為はつまり動物としての自己を否定しようという意思の表れである。その歪んだ価値観から派生した奇形が菜食主義者、ベジタリアンである。

菜食主義者どもは動物を食すること、つまり肉食を野蛮な行為として否定する。しかし、彼らにとっては光合成という営みで生きている植物を殺すことが同等の行為であるという事実に思い至らない。つまり彼らは植物よりも動物の命の方が尊いと考える差別主義者に過ぎないのである。

今から約30年くらい前は小学校の給食で普通に鯨の唐揚げが出ていた。筆者の大好物であった。しかし、国際捕鯨委員会(IWC)の理不尽な申し立てにより、日本の捕鯨は著しく制約され鯨が食卓に上がることは稀となった。彼らの言い分によると鯨は知能指数が高いから殺して食べてはいけないのだそうだ。これは単に日本人よりも豚や牛の摂取率が高い欧米人が鯨を食べないという食習慣の違いに過ぎない。

しかし、食鯨を野蛮と断罪するための理由付けとして知能指数を持ち出してきたのは笑止千万である。知能指数によって殺しても良い動物と駄目な動物を分けようというのだ。結局は彼らも差別主義者に過ぎない。かつて黒人を奴隷として、家畜同様の扱いをしてきた連中である、さもありなん。彼らの理屈に従えば知能指数の低い精神薄弱者は生きるに値しないことになる。これはユダヤ人のみならず精神病院の患者をも殲滅しようとした(犠牲者は20万人以上にも及ぶ)ナチスの思想に繋がる。これが人類の<進歩>の偽らざる有り様である。

さて、本題が大きく逸れた。映画「愛についてのキンゼイ・レポート」(←クリックで公式サイトへ)についてである。原題はシンプルにKinseyなのだが、配給会社のつけた邦題はあまり内容に則しているとは言えない。むしろ「性(SEX)についての…」の方が正しい。これは実に面白かった。評価はB+である。

まだ黒人差別が当たり前のように横行し、非米活動委員会によって<赤狩り>が行われたいた保守的な1940年代のアメリカに、タブーとされていた性生活について詳細かつ科学的な解析をしたキンゼイ博士がいたという事実は実に興味深い話である。だから彼にスポットを当てたこの作品は、今まで観たことのないタイプの実にユニークな映画として強く印象に残った。キンゼイ夫妻の夫婦愛も(紆余曲折はあるものの)実に麗しい。

昆虫学者だったキンゼイ博士の信念は実に明快である。人間も昆虫同様に動物なのだから、性交やマスターベーションなどは決して恥ずべき行為ではない。しかし人はそれをひた隠しにする。だからその実体を白日の下に明らかにしたい。ただそれだけである。しかし、動物であるという自己を否定し、それ以上の何者かになろうと虚しい努力を日々続ける人々にとっては博士の研究は許し難い、人の道から外れた行為だった。そうして博士は未曾有のバッシングに曝されていく。その過程は滑稽で、そして一寸哀しい。

キンゼイ博士を演じた名優リーアム・ニーソンが味わい深い好演。しかし、彼を見ていると未だに「ダークマン」(←クリック。「死霊のはらわた」「スパイダーマン」のサム・ライミ監督作品)を演じていた時の彼を想いだして笑いを噛み殺してしまう。まことに申し訳ない。だってあの印象が強烈だったんだもの。

キンゼイ婦人を演じたローラ・リニーも良いのだけれど、冒頭女子大生として若作りして出てきた時はギョッとしたなぁ。彼女は1964年生まれだからもう40歳を越えている。そりゃいくら何でも無理があるでしょう。キンゼイ博士との出会いのエピソードはもっと若い女優を起用しても良かったんじゃないかな。



2005年09月04日(日) 自由戀愛のすすめ

WOWOWのドラマWで放送された「自由戀愛」が好評につき劇場公開された。公式サイトはこちら

いままで原田眞人監督の映画を面白いと感じたことは一度もなかった。監督デビュー作「さらば映画の友よ・インディアンサマー」なんか、ベタベタ感傷的な自慰映画としか想えなかったし、キネマ旬報のベストテンに入選した「バウンスkoGALS」「金融腐蝕列島・呪縛」も退屈だった。

むしろ原田眞人という人は「英語が喋れるんだぜ、凄いだろ、オレ」と詰まらぬことをいつも自慢している浅はかな人という印象が強かった。「金融腐蝕列島」で唐突に"The Good, The Bad, And The Ugly"(マカロニ・ウエスタン「続・夕陽のガンマン」の原題)なんて台詞が飛び出したり、「バウンスkoGALS」でコギャルが突然英語を喋ったり。一番酷かったのがロボットSF「ガンヘッド」で高嶋政宏ほか登場人物全てが英語で喋り、字幕スーパーが付く。欧米で公開される予定もまったくないのに誰のための映画なんだと呆れ果てた。そういう意味では日本での記者会見で突然英語で喋ったり、ホームページの日記を英語で書いたりと奇行の目立つ宇多田ヒカルの軽薄さと共通するものを感じる(宇多田よ、そんなに英語が出来ることが自慢なら、歯を食いしばってでもアメリカの音楽業界で認めてもらえる存在になれよ。北米デビューしても全く売れなくて日本人にしか相手にしてもらえないんだから日本語で唄えよ)。

しかし「自由戀愛」は文句なしの傑作である。評価はA。正直原田監督にこのような骨格がしっかりした女性映画を撮る能力があるとは想ってもみなかった。英語を喋りたがるキャラクターが今回も登場するが、余り気にならない。「自由戀愛」には大正モダニズムが生き生きと息づいている。

役者で特に秀逸だったのはハセキョーこと長谷川京子である。その生活感のなさが役柄にぴたりとはまった。木村佳乃は清純なお嬢様役をやると全く魅力がないのだが、「阿修羅のごとく」の愛人役とか今回のようなよこしまでで陰気な女を演じると俄然輝いてくるのだから不思議である。ダンディに帽子を着こなす豊川悦司も実に格好いい。この映画を観て女性ファンが更に増えるのではなかろうか。

それにしても木村佳乃さん、10月公開の「蝉しぐれ」も控えていることだし映画女優として順風満帆なのだから、「ミー・アンド・マイ・ガール」とか「モーツァルト!」とか舞台ミュージカルに出演するのは金輪際止めて欲しい。どうかお願いします。唄も踊りも駄目な人に出演されたら、観客が迷惑だから。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]