伝播するという、とある幸福

やっと聞いてくれた。
という思いで、私はなんだか
重い荷を少し降ろした気持ちになったのでした。

あんなに傷ついたけれど、
目の前の人に思いが伝播したことは、肯定された事は
やはり嬉しいことなのでした。

否定され続けた過去も、
何もできなかった自分も、
その瞬間のためにあったような気がしているのでした。

もちろん、現実が劇的に変わるようなことはないけれど。

話を聞いてくれた
思いを理解してくれた
という
当たり前で稀有な、些細でおおきな、
そんないちにちを経験して
わたしの半年間は、
このためにあったのではないかと錯覚するがごとくの
安堵感を得たのでした。
2012年08月01日(水)

雑文気分 / aqua

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