頑張る40代!plus

2005年10月31日(月) 10月31日

【10月】
10月、10月、10月…。
何も思い出せない。
きっとあまりいい月ではなかったから、本能が記憶にとどめることを避けたのだろう。

今日で10月も終り、明日からは運命の11月に突入する。
何で運命の11月なのかというと、実は先日占ってもらった人から、「今年の誕生月に、自分のこれからの道がはっきりする」と言われたのだ。
その結果、これまでモヤモヤしていたものから解放されるらしい。
まあ、夢を見て生きていけたら、生活のこととか老後のこととといった煩わしいことから解放されるのは確かだろう。

ということで、「11月になったら、夢に生きてみようかな」などと思っています。

【プレイヤーズ王国で『秋の夜』を公開しました】
プレイヤーズ王国に公開申請していた歌が、ようやく公開となった。
例の『秋の夜』という歌で、「皆岡伸太」名で公開している。
ヤマハに申請したのが、この日記で『秋の夜』のことを書いた日(21日)だったから、公開まで10日間もかかっている。
以前は、こんなにかかることはなかった。
早い時で2日、遅くとも1週間だったのだ。
きっと利用者が増えているのだろう。

現在、ぼくはヤマハに三つのIDで登録している。
今回の「皆岡伸太」と、「しろげしんた」、「しろげしんた�供廚了阿弔任△襦�
別に意図があって、三つに分けているわけではない。
一つのIDが公開できる曲数に制限があるためだ。
それでも皆岡伸太だけは、「しろげしんた」とは違ったイメージの歌を登録しようと思っていた。
だが、無駄だった。
一人でやっているものだから、どうしてもばれてしまう。

さて、それとは別に、現在『ひとりぼっち』という歌を、「しろげしんた�供很召膿柔舛靴討い襦�
これまた公開までに時間がかかるだろうから、先行して、ここで公開することにいたします。

♪『ひとりぼっち』♪

気がついてみれば いつもひとりぼっち
気楽につきあっていけそうな 皆さんですがね
振り向いてみれば 誰もいなくなってね
そんな毎日が ぼくをつつんでる

寂しいというのが 本音なんだけど
いつもひとりっきりで 強がってみてね
ひとりぼっちなんですね もともとが
そうそう どこへ行ってみたってね

だから 今だけは笑っていましょうよ
ね 今夜はとてもビールがおいしいんだから
ひとりぼっちの部屋で 乾杯してね
青春 ああこれがぼくの青春でしょうよ

寂しげな街が ぼくによく似合う
なんて かっこいいこと言っているけど
つまりひとりぼっちの いきがりでしてね
さよなら また明日逢いましょうよ

 気がついてみれば いつもひとりぼっち
 そんな毎日が ぼくをつつんでる



2005年10月30日(日) 繋がり

昨日書いた友人の話である。
本を返してもらった後に、いろいろと昔話をしていたのだが、突然その友人がこう言った。
「この会社に、親戚の人が働きよるっちゃね」
「この会社に?」
「うん。おれのいとこになるんよ」
「ふーん」
「この間、そこのお母さんが亡くなってね、それで葬式に行ったんやけど、その時いとこに『どこで働きよると?』と聞いたら、この会社やん。そこで『その会社なら友だちが働きよるよ』と言ったんよ」
「うん」
「『名前、何と言うと?』と聞くんで、『しんた』と答えたら、びくりして『えっ、しんちゃん!?』と言うんよ」
「えっ?」
「飲み友だちとか言いよったよ」

ぼくは今の会社に中途で入っているため、ぼくを知っている人はそんなに多くはいない。
なのに、『しんちゃん』である。
いったい誰だろうと思い、聞いてみた。
「ああ名前ね。Kというんよ」
「えーっ、K!?」
Kとは、ぼくが今働いている店の、前の店長の名前である。
確かにこの間、Kさんのお母さんは亡くなった。
それで葬儀に行ったのだが、それがまさかその友人の親戚だったとは知らなかった。

実は、Kさんは、ぼくが今の会社に入った時、ぼくの部門の担当課長だった。
最初Kさんと会った時からウマが合ったというか、初めて会った気がしなかった。
Kさんも、それは同じだったようで、何かとぼくを目にかけてくれていた。
Kさんが友人に語ったように、何度も飲みに行ったし、何度か家に遊びに行ったこともある。
「しんちゃん」「おいちゃん」の仲だったのだ。
そういう仲だったので、そのKさんが今ぼくがいる店の店長だった時に、ぼくは呼ばれたわけである。
4年間いっしょに働いたが、その間のことは、何度かこの日記にも書いている。
その後Kさんは上の者に疎まれて、他部門に異動になったのだった。

しかし不思議なものである。
ぼくがウマが合うと思った人間は、必ずと言っていいほど、裏で何らかの繋がりがあるのだ。

例えば、友人のオナカ君がそうである。
オナカ君とは、高校1年の時に初めて会ったのだが、Kさんと同じように、初めて会った気がしなかった。
つまり、ウマが合ったわけである。
そのオナカ君とぼくとの間には、将来親戚になるという繋がりがあったのだ。
おそらく、最初に会った時、ぼくは潜在的にそういう予感を持っていたのだと思う。

もう一つの例がある。
長崎屋にいた頃、ウマが合った人に、Nさんという方がいる。
その人も、将来繋がりを持つことになるのだ。
Nさんはぼくと知り合ってから数年後に結婚するのだが、実はその相手というのが、ぼくの母親の親友の娘だったのである。
もちろん結婚した当初は、誰もそのことを知らなかった。
知ったのは、Nさんが結婚してから何年か経った後のことだった。

だけどKさんの件は驚いた。
その友人は保育園から中学にかけて、一番の友だちだったのだ。
ウマが合うためには、きっと裏でそういう強い繋がりがいるのだろう。
ということは、出会いからウマが合った嫁ブーとも、どこかで繋がりがあるはずである。
ということで、今、嫁ブーとの裏の繋がりを探っている。



2005年10月29日(土) 永遠の一冊

あるショッピングサイトに会員登録をしていたのだが、そこに「永遠の一冊」を書く欄があった。
「永遠の一冊」、つまり、自分にとっての一冊の本のことだろうが、それを言われるとちょっと困る。

ずっと前に、この日記にも書いたのだが、

10年位前だったろうか、ある本を読んでいると、「人には一冊の本が備わっている」ということが書いてあった。
それを読んでハタと思った。
「そうか、今まで一冊の本を探していたけど、自分にとっての一冊の本とは一生のうちに読む全部の本のことだ」
そういえば、ぼくは本を探す時、前に読んだ本で紹介されたものや、その本に関連あるものを探している。
そう、全部繋がっているのだ。
今日読む本が、「一冊の本」の中の一部というわけだ。
そのことを悟ってから、ぼくは「一冊の本」というのにこだわらずに、読書を楽しむようになった。
しかしぼくの「一冊の本」というのは、実に膨大な量である。(2002年7月1日)
ということだから、これまでに読んだ本全部ということになる。
今残っている本だけでも、自宅に書棚8台、実家に書棚3台、さら学生時代に読んだ本が段ボール箱10個分もあるのだ。
これまでに読んだ本全部が一冊なのだから、全部書き込めるわけがない。
そこで、その欄に書き込むのはやめることにした。

そうそう、本で思い出したことがある。
何日か前に、小学校時代の友人が職場を訪ねてきた。
何しに来たのだろうと思っていると、彼は手に持っていたビニール袋をぼくに手渡した。
「何、これ?」
「いや、前に借りとった本」
「え?」
「机を整理していたら出てきたんよ」
袋の中を覗いてみると、遠藤周作の小説と、自己啓発書が入っていた。
どちらもえらく黄ばんでいる。
それもそのはず、その本を貸したのは、20年近く前である。

その後、その友人と昔話をしていたのだが、その時ふと、ぼくはあることを思い出した。
何かというと、その友人に貸した本のことである。
実は、その友人に貸している本は、先に書いた本だけではなかったのだ。
小学3年生の頃だったと思うが、その友人に本を貸した覚えがある。
その本がまだ戻ってきてないのだ。

しかし、そのことは彼には言わなかった。
仮に、「小学3年生の頃、おまえに貸した『別冊少年サンデー』はいつ返すんか?」と言っても、彼は覚えてないだろう。
ちなみに、その別冊少年サンデーは『おそ松くん』の特集号だった。
なぜそんなことを覚えているのかというと、『おそ松くん』は、当時ぼくの「永遠の一冊」だったからだ。



2005年10月28日(金) 健康診断の結果

【1】
そういえば、昨日、先日の健康診断の結果が来ていた。
案の定、尿潜血が引っかかっていた。
数値の横に、『要精密検査』という文字が書いてあったのだ。
しかし、同じ数値の出た5年前には、再検査なんかしなかった。
何で今回は再検査をしなければならないのだろう。
再検査となると、また健康センターに出向かなくてはならない。
これが面倒である。
休みがこれで潰れてしまうのだ。

実は、寝不足を解消したり、暴飲暴食を慎んだおかげで、オシッコの時の違和感はほとんどなくなり、もう少しで完治するところまできている。
それなのに、何が要精密検査だ。
自分の体は自分が一番よく知っている。
自分でいいというのだから、もういいだろう。
そんなに再検査がしたければ、そちらから検査をしに来い。
小便なんかいくらでもくれてやるわい!

【2】
最大130mmHg、最小83mmHg
この数値は何なのかというと、今夕6時に測った、ぼくの血圧である。
朝からずっと測っているのだが、だいたい同じ数値だ。
昨日もそうだった。

ところが、10月5日の健康診断の時の数値は、
最大146mmHg、最小96mmHgになっていた。
そのせいで、昨日、要精密検査の通知が来た。
その通知の医師の所見を見ると、
『血圧が高いようです。速めに内科を受診して下さい』と書いてあった。

冗談じゃない。
あの時、たまたま血圧が高かっただけじゃないか。
しかも、血圧を測る前に「こういうところで測ると、いつも血圧が高くなるんです。今階段を上って来たばかりで動悸もしていますから、落ち着くまで何回か測ってもらえませんか?」と言っていたのに、係員は二度しか測ってくれなかった。
仕方がないので、「後でもう一回測り直してくれ」と頼んだのだが、それは却下された。

その結果が、要精密検査だ。
汚いぞ、健康センター。
もしかして、そんないい加減な測り方で人を病院送りにして、リベートでももらおうとでも思ってるんじゃないのか?



2005年10月27日(木) 今年のプロ野球は終わった

放送局や新聞が、こぞって、昨日日本シリーズに勝利したロッテを褒め称えている。
その中で一つだけ、嬉しい記事を書いてくれたところがある。
夕刊フジだ。

 「ロッテがこんなに強いチームとは思わんかった。そのロッテにペナントレースで4.5差もつけ、首位になるなんて、ソフトバンクは信じられん強いチームやな」。トラ番記者たちが、口をあんぐりしている。

ボビーマジックに占拠された日本シリーズで、改めて王ホークスの偉大さを実感しているのだ。

ロッテのおかげで、ホークスの株が上がったようだ。
まだ釈然としない部分がないわけではないが、とりあえずこの記事で、ぼくは今年のホークスを締めくくることが出来た。
後は城島の去就と、ドラフトが残るのみである。

ま、いろいろあったが、今年ほどホークスの試合を安心して見られたシーズンはなかった。
時に15連勝はするし、斉藤・杉内両エースは安定していたし、松中は西武松坂から1試合3本のホームランを打ったし、松中・城島・ズレータの3連発も見ることが出来た。
とにかく、ぶっちぎりで強かった。
2003年の日本一の時だって、100打点カルテットを擁し、2位西武に5、5ゲーム差をつけ優勝したにもかかわらず、今年ほど安心しては見られなかった。
プレーオフさえなければ、最高のシーズンだったと言えるだろう。

来年も今年同様、プレーオフ狙いといった姑息なことは考えずに、堂々リーグ1位を目標に頑張って欲しい。
ということで、ぼくの中のプロ野球は、今日終わった。
さて、明日から何を楽しみに生きていこうか?



2005年10月26日(水) ロッテ優勝、か…

結局ロッテ優勝か。ぼくの予想が当たってしまった。これでパリーグは、世論からプレーオフの見直しを迫られることになるだろう。プレーオフ廃止という、いい流れになってくれればいいのだが。じゃあ、セリーグも取り入れるというふうになってしまうと、ちょっと困る。今年や昨年のホークスのような、納得のいかないチームが出てくるわけだからだ。もしプレーオフをどうしてもやるというなら、ペナントレースの延長上に日本シリーズを置かずに、ペナントレースとは別物のシリーズとして設置すべきだ。そうなれば、ペナントレースの1位チームは、リーグ優勝チームとなるわけで、リーグ1位通過などというわけのわからない呼び方をされなくてすむだろう。さて、今回の日本シリーズだが、ロッテ陣営は「この人の一発でチームが盛り上がる」と言われる選手、つまり4番打者を、技術面のみならず、心理面や生活面にまで踏み込んで研究していたように思えてならない。それがまんまと成功したわけだ。プレーオフの松中、日本シリーズの金本、どちらも1安打である。この二人が打てなっかったため、その次の打者であるズレータや今岡も調子が上がらなかった。それは「おれが決めてやる」という思いが、力みに繋がったせいだろう。逆にロッテの方は、福浦やフランコや李といった、本来なら4番を打つ選手を4番に据えずに、4番目の打者としてサブローを置いた。そのためサブローの調子が上がらなくても、他の打者に対する影響はほとんどと言っていいほどなかった。プレーオフから続く流れというものの他に、こういうこともロッテを優勝に導く要因としてはあったのではないだろうか。バレンタインの胴上げの時、テレビカメラが阪神ベンチを映していた。どの選手も納得のいかない顔をしていた。そりゃそうだろう。極端に言えば、病気で練習の出来なかった力士が、練習を充分に積んできた力士に負けたようなものだからだ。しかも、こちらは横綱なのに、相手は事情があって出られない横綱の代りに出た大関なのだから、なおさらだろう。納得いくはずがない。どっぷり四つの横綱同士の相撲が取りたかっただろうなあ。



2005年10月25日(火) 10月25日

【これからの生き方】

『これからの生き方』
これからの生き方を、変えてみたいと思う
あまりに落ち込んだ、こんな暮らしをやめて
疲れた足取りを、軽やかに変えて
締め切った窓も、大きく開いてみて

大きな夢という、小さな意地を捨てて
その中に縛られた、こんな自分を捨てて
これまでの人生を、素直に受けとめて
これからの人生に、何をするのか考えて

つなぎとめていた、恋の未練にも
別れをつげて、今日からは生きていこう
これからの出会いを、大切にしていければ
もうそれ以上に、何も望むことはなく

いつか来る運命の、中に向かって
夢を忘れ、恋をわすれ、ただ日々の暮らしに
いくつとなく転がっている、生き様を見つけ
ただそれが夢に、つながればいいと思う

昨日、『音楽で成功しよう!』と言ったので、今日は一日、歌のおにいさんをやっていた。
先日書いた『秋の夜』をプレイヤーズ王国に登録したり、上の『これからの生き方』を録音したりと、けっこう充実していた。

だが、自信をなくした面もあった。
それは、この『これからの生き方』である。
単純な曲なのに、どうも上手く歌えないのだ。
何度やってもだめで、上の録音は10何度目かの音である。
疲れてきたせいか、演奏も危なっかしい。

他にも何曲か録ってみたのだが、とてもとてもお聴かせできるものではない。
やはり、『これからの生き方』でのつまずきが、尾を引いたようである。
しかし、こんなことでつまずいていては、運命の神様に認めてもらえない。
やることはやっていますので、運命の神様、見捨てないで下さいね。


【日本シリーズ第3戦】
阪神ファンのみなさん、歯痒いでしょ?
われわれホークスファンも歯痒い思いをさせられたから、お気持ちはよくわかります。

これまでの3戦を見てよくわかったと思いますが、今シーズンのロッテは、調子に乗ったら神懸かりになるんですよ。
何なんでしょうね、あの原動力は。
考えても見て下さい。
昨年4位だったチームなんですよ。
不思議ですね。
バレンタイン監督の唾に、何か秘密が隠されているのでしょうか?
選手が噛んでいるガムに仕掛けでもあるんでしょうか?
それとも、テレビ中継のスポンサーがロッテだからでしょうか?

とりあえず、あの勢いを止めないと、勝ちの目はありません。
が、プレーオフで勢いがつきまくってますからねえ。
困ったものです。

ここで提案なんですが、阪神のピッチャーが投げる時に言っている、あの「ゥウーッ、ワー」をやめてみたらどうでしょうか。
どうもロッテの選手は、あの「ゥウーッ、ワー」でタイミングを取っているような気がするのです。
つまり、阪神のピッチャーへの援護が、逆にロッテ選手への援護になっているんですね。
とりあえず、明日だけでも、「ゥウーッ、ワー」はやめてみませんか?

それでも負けたら、パリーグのプレーオフ制度に異議を唱えましょう。
遠慮はいりません。
どんどん言ってください。



2005年10月24日(月) 音楽で成功させてもらおう!

10月7日の日記に、占いの人から「将来、成功する」といったことを言われたと書いたが、さて、いったい何をやれば成功するのだろうか?
とりあえず今やっていることに没頭せよ、ということなのだが、今やっていることというのは、もしかしてこの日記だろうか?
しかし、日記が良好になってもなあ…。
この日記の訪問者の、10倍ぐらいの人が見るようになるくらいのものではなかろうか。
訪問者が増えるということは、古い記事にケチをつける人も増えるということだろう。

いるんですよ、古い記事にケチを付けてくる人が。
先日、突然「あんたはおかしい」といったコメントがきたので、どの記事にコメントしているのだろうかと調べてみると、これが5年前の記事なのだ。
5年前に書いた記事の批判をされるというのは、小学6年の時に書いた作文の批判を、高校1年になってされるのと同じことである。
5年も経てば、ものの見方や考え方も変わってくるのだ。

ということで、このコメントは無視しておこうと思っていた。
しかし、せっかく書いてくれたコメントなんだからと思い直し、いちおうレスすることにした。
ところが、すでに書いたことも忘れている記事なのだから、そう簡単には書けない。
それを書いた時の気持ちを思い出しながら、レスを考えるのは、本当に疲れる。
結局、当たり障りのないことを書いて、それでよしとしたのだった。

それもこれも、訪問者の少ない今だからできるのだ。
訪問者が増えれば、そういうコメントは、確実に削除することだろう。
だけど、削除するというのは、何か気が引けるものである。
訪問者の多いサイトの人は、そういうことが平然と出来るのだろうか?
そういうコメントをもらって、気分を害さないだろうか?
こういうことを考える時点で、ぼくは日記向きの人間でないことがわかる。
ということは、日記で成功するのではなさそうだ。

「では、何で成功するのだろうか? 趣味と言っても、これといったものはないし…」
いろいろ考えているうちに、ふとあることを思いついた。
『今やっていること』なんだから、今やればいいのだ。
ということで、かつての夢であった、音楽をやることにした。
いや、かつての夢ではあるが、今もなお、その夢は朽ちていないのだ。
これは都合がいい。
若い頃から抱いていた夢が、ここで叶うのだ。
ということで、運命の神様に、「今、音楽をやっています」とアピールすることにした。
将来は、音楽で成功させてもらおうじゃないか。



2005年10月23日(日) 日本シリーズ

今日は日中お客さんが多く忙しかった。
ようやく客足が途絶えたのは、夕方だった。
それまでに、明日の準備も終えていたので、それからすることがない。
そこで、しかたなくテレビで日本シリーズを見ることにした。
このシリーズは、どちらのチームにも思い入れがない。
そのため、気楽に観戦することが出来た。

チャンネルを変えた時は、ちょうどロッテが先制点を入れたところだった。
プレーオフ第5戦から、ずっと勢いが衰えないようで、昨日は大勝していた。
今日もその勢いで行くのかと思って見ていた。

それからしばらくして、年配のお客さんがぼくに声をかけてきた。
「このテレビにスカパー!は付けられるんかね?」
「付けられますよ」
「グリーンチャンネルを見たいけねえ」
「そうですか」
「そうか、スカパー!は付けられるんか。じゃあ、今度買うことにするかな」
そう言って、お客さんは立ち去ろうとした。

ところが、テレビで日本シリーズをやっているに気づいたお客さんは、立ち止まって、急に文句を言い出した。
「選手総動員すると言いよったのに、どうしてそうせんかったんかのう」
「えっ?」
「斉藤も準備しとったんやろ?」
「ああ」
何の文句を言っているのかと思ったら、この間のプレーオフの文句を言っているのだ。

「馬原や三瀬の前に、斉藤を投げさせとったら、あの試合はどうなったかわからん」「杉内も斉藤に代わると思って、安心してマウンドを降りたんやけ。そこに三瀬やろ。これじゃあ、納得いかんでしょうが!」「仮に斉藤が打たれて負けとったとしても、それなら納得がいく」「ファンをバカにしやがって」
矢継ぎ早に、お客さんの文句は続く。
ようやくプレーオフのことを忘れたのに、そのお客さんの文句で、またあの悔しさがよみがえってきた。

そのお客さんは、いったんそこから離れて行ったが、また戻ってきて、斉藤だの馬原だの文句を言い出した。
ぼくはいちおうお客さんの文句に耳を傾けているふりをしていたが、内心はお客さんの言うことには同調できなかった。
そもそも、あの試合の敗因は、斉藤とか馬原とかいう問題ではなかったからだ。
ホークスは、負けるべくして負けた試合だったのだ。
その証拠に、あの日のホークス選手は、第3戦の時のロッテ選手みたいに浮き足だっていたではないか。
何で普段通りの野球が出来なかったのだろう。
それよりも何よりも、プレーオフという制度自体がおかしい。
と、ぼくはお客さんの文句を聞き流しながら、そんなことを考えていた。

さて、今日もロッテが勝った。
これで日本シリーズはロッテの2勝である。
ぼく個人としては、このままロッテに突っ走ってもらいたいと思っている。
いや、別に阪神が嫌いだとか、ロッテに肩入れしているとかではない。
仮に阪神が4連敗したりすると、昨年の中日のことも考え合わせて、セリーグ連盟やマスコミやファンは黙っていないと思うからだ。
おそらく、プレーオフはパリーグの優勝チームに勢いをつけるための制度と理解され、世論は「汚いぞ、パリーグ」というものになるだろう。
そうなると、プレーオフは廃止に追い込まれるに違いない。

プレーオフというわけのわからない制度は、さっさとやめるべきなのだ。
セリーグ関係の人たちや、セリーグファンの人たちに失礼だろうが!



2005年10月22日(土) 10月22日メモ

【ぼくの夏は終わった】
5月からこちら、通勤時はずっと半袖で通してきたが、今日でそれも終わった。
ついに長袖に替えたのだ。
昨日の夜から寒さを感じていたのだが、夜中に降った雨のせいで、一気に冷え込んだようだ。

それでもぼくは、半袖で行こうと思っていた。
ところが、朝起きてからしばらくして、鼻からのどにかけて少し違和感を感じだしたのだ。
これは風邪の前兆かと思ったぼくは、急遽半袖をやめ、長袖のパーカーを羽織って通勤することにした。
これで、とうとうぼくの夏も終わってしまった。


【『秋の夜』メモ】
昨日、ここで紹介した『秋の夜』という歌の話である。
以前この歌を聞いた人から、「この歌を聴くと、風景が浮かぶんだけど、どこかの風景を元に作ったんですか?」と訊かれたことがある。
その人は画を描く人だったから、その風景が見えたのかもしれない。

確かに、この歌詞の元になった風景はある。
ただ、この歌詞を書いた頃のものではなく、中学の頃に触れた風景だった。

場所は折尾である。
折尾と言われてもピンと来ないかもしれないが、北九州市にある地名である。
文学好きの人なら、林芙美子の『放浪記』に出てくる地名なので、目にしたことがあるかもしれない。

かつて、その折尾に親戚が住んでいたことがある。
それが中学の時だった。
その頃、よく母とその親戚の家に行っていたものだ。
行くと長居してしまい、ついつい帰るのが遅くなる。
実は、この歌の風景は、その帰り道の風景なのである。

筑豊本線と並行して、堀川という川が流れている。
その川の沿道を通って駅に向かう。
夜道を照らす裸電球。
風に揺れる柳の枝。
終列車の汽笛の音。
犬の遠吠え。
ぱらつく雨。
‥‥。
そういったものが、妙に印象に残っている。



2005年10月21日(金) 充実した一日

明日は早出だから、普段より早く寝なければならない。
ところが、まだ日記が出来ていない。
このまま無視して寝てしまってもいいのだが、長年の習性で、それが出来ない。
歯を磨かずに一日を過ごすみたいで、何か落ち着かないのだ。

さて、無気力が予想された休みだったが、今日はわりと充実していた。
何をやっていたのかというと、ずっと歌の録音をやっていたのだ。
ま、ずっとやっていたとは言っても、録音したのはたったの2曲だったが。
2曲ならすぐに終わりそうなものなのだが、一発録りのため、間違うと録り直ししなければならない。
それで手間取ったわけだ。

しかし、一発録りをやっていて一番イライラするのが、最後の最後で間違った時だ。
ちょっとした歌詞の間違いなら、気にせずそのままにしておくのだが、変に力んでギターを間違えたりするのだ。
こうなると、全体が崩れるので、また録り直しとなる。
「せっかく最後まで行ったのに…」である。
まるで、プレーオフのような悔しさが残るのだ。

さて、その2曲の内訳はというと、いつものようにオリジナルで、『心の中を』と『秋の夜』という曲である。
『心の中を』は昨日の日記に書いたとおり、20代後半に作った曲だ。
言わんとしていることはわかると思うので、特に説明はいらないと思う。

一方の『秋の夜』というのは、19歳の頃に作った曲である。
ちょうど中原中也を知った頃で、歌詞のほうもその影響を多分に受けている。

『秋の夜』
夜の竿は、星を刺し
さてここいらで泣きましょうか
暗い街に、影を刺し
露なかけるな、深い雨

濡れた灯り、闇に揺れ
過ぎた光を、追います
しおれ柳も、風に揺れ
落ち葉ひらひら、終列車

 うっすら三日月、闇に浮かびます
 弱った体が、街の陰ります

 犬の遠吠え、闇に響きます
 疲れた声が、街に狂います

夜の竿は、星を抜け
さてここいらで、やみましょうか
暗い街に、影を抜け
露なかけるな、通り雨

実は、この歌詞は最初、文語体で作ったのだった。
そのため、「露なかけるな」などいう、わけのわからない言葉が入っている。
その部分は、元々は「露なかけそ」だった。
口語に直した時、いったんは「露をかけるな」としたのだが、どうも語呂が悪いので、「露なかけるな」と言う中途半端だが、韻を踏んで語呂のいい言葉を使ったわけだ。

ということで、どちらの曲もネットに上げましたので、興味のある方は聞いてみてください。
『心の中を』
『秋の夜』



2005年10月20日(木) 心の中を

まだ万全だとは言えないが、体調の方は、ほとんど元に戻っている。
ただ、気が抜けた状態が続いている。
プレーオフぼけとでも言うのだろうか。
いや、もっと前から、それはあったような気がする。
自分の関係のないところで時間が過ぎていっているといか、自分だけがポツンと時間に取り残されているというか、とにかくぼくの心が現実から遠ざかっているのだ。
そのため、何をしても感動はなく、何を見ても面白くはなく、何を聞いても楽しくはない。

おそらくこれは、先日書いたリストラの件が影響しているのだと思う。
実はこの件、噂だけが一人歩きして、まだ何も決まっていないのだ。
しかし、その噂がぼくの心をかき乱している。
それにプレーオフぼけが、拍車をかける。
残るのは厭世観だけである。
そうなると、ぼくの心は現実を見ようとしない。
夢ばかり追い求めるようになるのだ。
そうなると、何も手に着かない。
そういうことから早く脱却して、普段の生活に戻りたいのだが、なかなかそれが出来ないでいる。
どうやって脱却していいのかが、わからないのだ。
というより、そういうことを考える気力すらないのだ。

そうそう、明日は休みだったんだ。
厭世観は、そんな簡単なことすら忘れさせる。
こういう状態で、明日どうやって過ごしたらいいのだろう。

そういえば、20代後半に作った歌がある。
いい録音がないので、ここでお聴かせすることは出来ない。
が、歌詞はお見せすることが出来る。
今の状態を詩にするとしたら、おそらくこんなものではないだろうか。

『心の中を』
いつもいつも考えることは
暮らしのことばかり
日々が通り抜けていく
風は吹く、心の中を

いつもいつも同じことの
繰り返しばかり
日々が色褪せていく
時は行く、心の中を

 ただ夢だけが
 駆け抜けていくのを
 遠く眺めてるような毎日
 風は吹く、心の中を

 ああ、想い出だけを
 数えすぎた日々
 冷たい日差しの中で
 時は行く、心の中を

いつもいつも置き忘れた夢
追い求める日々
日々が閉ざされていく
風は吹く、心の中を


あ、今はもっと重症かもしれない。
まあいいか。
ぼちぼち寝ます。



2005年10月19日(水) 焼き肉

朝、会社に着いてから調子が悪かった。
何かフラフラするのだ。
あるパートさんから、「しんちゃん、顔色悪いよ」と言われた。
「顔色悪い?」
「うん」
「朝からフラフラするっちゃね」
「ホークスが優勝を逃したショックで、体調崩したんやないと?」

また、いらんことを言う。
今日はホークスのことを考えまいと思っていたのに、おかげで、またあの悔しさを思い出してしまったじゃないか。
そこで、またこの言葉を口走ることになる。
「ホークスは優勝を逃したわけじゃない。パリーグの代表決定戦で負けただけ。ホークスのシーズン優勝は揺るがん!」

しかし、その言葉にも何か力が入らない。
本当にどうしたんだろう。
まさかパートさんが言うように、本当にプレーオフの影響で体調が悪くなったのかもしれない。
だが、今日の体調の悪さは、そういう精神的なものではないようなのだ。
朝方寒かったから、風邪でも引いたのかもしれない。
そう思って、とりあえず買い置きしている薬を飲んでおこうと、薬の置いてある休憩室に向かった。

しかし、考えてみると、風邪にしては何かおかしい。
寒気にあたって風邪を引いたのだから、当然寒気がするはずだけど、別にそれはない。
額に手を当ててみたが、熱もないようだ。
そこで、いったん薬を飲むことはやめ、様子を見ることにした。

昼頃だった。
ようやく体調不良の原因がわかった。
腹がゴロゴロ言いだしたのだ。
そういえば、昨夜嫁ブーと焼き肉を食べに行ったが、それが悪かったようだ。
いや、別に肉が悪かったわけではない。
ぼくと焼き肉の相性が悪いのだ。

若い頃はそうでもなかったのだが、40歳を超えた頃から、焼き肉を食べに行くといつも腹をこわすようになった。
なぜ腹をこわすようになったのかというと、その頃からあまり肉が好きでなくなったために、焼き肉屋に行ってもビールばかり飲んでしまう。
食べずにビールばかり飲んでいると、当然腹をこわす。
そこで、ここ数年は、あえて焼き肉を食べに行かないようにしていた。
ところが、昨日はそのことをすっかり忘れていた。
「今日は焼き肉でも食べて、昨日のことは忘れよう」という嫁ブーの提案に、ついつられて行ってしまったのだ。

昨日も肉は5切れほどしか食べなかった。
胃の中にあるのは、ビールばかりで、5切れの肉はおそらくそこで泳いでいたことだろう。
それで腹がふくれたので、それ以降は何も食べなかった。
それが悪かったのだ。
大量のビールのせいで、胃や腸が悪酔いしてしまい、それが今日まで残っていた、つまり二日酔いしていたというわけだ。

ま、今は何とか治っているが、もう焼き肉を食べに行くのはごめんである。



2005年10月18日(火) 元気のない夫婦

昨日の脱力感がまだ続いている。
朝から、テレビを見る気も、ラジオを聞く気も、新聞を読む気もしない。
ネットやっていても、ニュースなどは一切見ない。
とにかく、野球のことから離れたかったのだ。
しかし、気がつくと野球のことを考えている。
そのたびに、ため息をついてしまう。

嫁ブーはそんなぼくを見かねてか、「どうしたと?元気ないよ」と言った。
ところが、そう言う嫁ブーも何か力がないように見える。
「おまえだってないやないか」
「だって、朝からロッテ優勝のニュースばかりで面白くないもん」
「たかだか日本シリーズ・パリーグ代表決定戦に勝っただけの話やないか。そういうのを優勝と言わんで欲しいわい」

「そういえば、さっき、テレビで小倉さんが、『プレーオフは、おかしい』と言ってたよ」
「あの人は去年もそんなこと言いよったのう」
「ああ、そうやったねえ」
「だいたい、堤(前西武ライオンズオーナー)とか宮内(現オリックスバファローズオーナー)が言い出したことやろ。自分たちが同じ目にあったら、どれだけプレーオフが理不尽な制度かがわかるやろう。ま、当分そういうことはないやろうけ、わからんやろうけどの」
「そうよね。それが出来んけ、プレーオフなんかわけのわからん制度作ったんやろね」
「ホークスが以前から、この制度はおかしいと言っているのに、他の5球団が聞いてくれんのよ。裏返せば、自分のところは弱いというのを認めとる証拠やないか」

「ホークスはセリーグに行けばいいのにね」
「そうやの。他球団が結託して、結果的にはホークス潰しみたいなことをやっとるわけやけの。そっちの方がいいかもしれん」
「ソフトバンクvs阪神とか、ソフトバンクvs巨人とか、新たな伝統の一戦が出来るかもね」
「昔、伝統の一戦と言われた、ホークスvsライオンズも廃れたしの。ここいらが潮時かもしれんのう」
「セリーグに行けんのかねえ?」
「行こうと思ったら行けるんやないんかのう。かつて西鉄ライオンズが、セリーグに行こうとしたことがあったらしい。ほとんど決定しとったらしいんやけど、最後にオーナーか球団社長が、ウンと言わなかったということを聞いたことがある」
「じゃあ、孫さんがウンと言えば行けるんかもね」
「孫さんとしたら、そちらの方がいいんやないんかのう」
「絶対そっちの方がいいよ」
「残った5球団で、レギュラーシーズン無視の、プレーオフごっこでもやっていればいい」

今日は二人とも休みだった。
元気のない夫婦は、悔し紛れに、朝食を食べるのも忘れてこういう話ばかりしていた。



2005年10月17日(月) プレーオフ第2ステージ第五戦

今日は書きたくない。
昨年に続いて、今年もプレーオフを落としたのだから、心中お察し下さい。
と言いたいところだが、せっかく4戦まで書いたのだから、5戦目も書いておく。

ロッテに流れが行ったのは、8回表に初芝が打った内野ゴロの処理にあった、と誰もが指摘するだろう。
何でもないような内野ゴロを、バティスタと川崎が交錯し、内野安打にされてしまった。
そこからロッテの反撃が始まり、里崎の逆転タイムリーに繋がったわけだ。
もし、あの交錯がなかったら、逆転劇はなく、そのまますんなりとホークスが優勝していたかもしれない。
ということで、このミスで流れが変わったと指摘する人は多いと思う。

だけど、ぼくはそうは思わない。
流れが変わったのは、4回の裏のホークスの攻撃にあったと思っている。
その回の先頭打者カブレラが2塁打を打ち、ノーアウト2塁の場面だった。
当然、次の打者の大村は、セオリー通り送りバントでランナーを次の塁に進めた。
これで1アウト3塁の形が出来上がったわけだ。
結果的に見れば、よくやったということになる。

だが、ここで流れを変える出来事があった。
大村への何球目だったろうか。
キャッチャー里崎が、外角低めの球をパスボールをしたのだ。
里崎はとっさにバットが当たったようなしぐさをして、球を捕りに行った。
だが、球はバットに当たっておらず、判定はパスボールだった。

で、次の投球場面になった。
大村は相変わらずバントの構えをしている。
ぼくはそれを見て、「えっ、ここでスクイズか?それにしても見え見えのことをやるなあ」と思った。
ところが、画面をよく見てみると、何とカブレラはまだ2塁にいるではないか。

そう、パスボールの時に走らなかったのだ。
カブレラが、3塁コーチが、里崎のしぐさにごまかされたわけだ。
ここは、たとえファールでも、3塁まで走っておくべきだったのではないだろうか。
判定はパスボールだったのだから、当然ノーアウト3塁の形が出来上がっていたはずだ。
そこで大村がヒッティングに行けば、もしかしたら3点目が入っていたかもしれない。
そうなれば、里崎がこの頭脳プレーで気をよくせずにすみ、8回の逆転タイムリーもなかったかもしれないのだ。

さて、これで、ホークスの今シーズンも終わった。
昨年に引き続き、結果的には2位である。
が、今日のゲスト解説の野村さんが言っていたように、『真の1位』である。
最初からレギュラーシーズン1位を狙い、それをやり遂げたチームなんだから、堂々と『真の1位』を名乗っていいのだ。
「とにかくプレーオフに出場しよう」ということでやってきたチームとは、その心根が違うわい。



2005年10月16日(日) プレーオフ第2ステージ第四戦

プレッシャーがプレッシャーを呼ぶとでも言うのだろうか。
それまでうまくいっていたことが、プレッシャーでことごとく失敗していく。
それがまた次のプレッシャーに繋がる。
今日のロッテ勢を見て、ぼくはそれを強く感じた。

今日の勝因は、もちろんズレータの2発と、吉武の好リリーフにあった。
が、それ以上に、ロッテの各選手の顔が重かったことがあげられる。
西岡の顔が、サブローの顔が、福浦の顔が、昨日までと違って、今日はやけに重たかった。
第3戦の8回まであった、あの溌剌さを感じないのだ。
そこで、「今日もいける!」と思ったのだった。

とはいえ、冷や冷やの展開だった。
ロッテにチャンスが訪れるたびに、1,2戦の記憶がよみがえる。
「ここで2塁に進まれたら」、「ここで四死球を出したら」、「ここでタイムリーを打たれたら」、‥‥。
しかし、そういう思いを、ロッテ選手の持つプレッシャーが打ち消してくれる。

試合後半は、ロッテの好投手小林宏之から、ホークス打線はパーフェクトに押さえられた。
しかし、そのことを感じさせないほど、ロッテ選手のプレッシャーが目立った試合だった。

ここまできて、またしても一昨年の日本シリーズを思いだした。
1,2戦をものにしたホークスは、甲子園でまさかの3連敗、王手をかけられたのだった。
福岡ドーム(当時)に戻ってきたホークスは、ここで開き直り、
残り2戦に勝ち、日本一に輝いた。
どうも今回のプレーオフの雰囲気が、その時に似ているのだ。
ということで、「明日も勝つ」と言いたいのだが、昨年からロッテのいやらしさを嫌と言うほど味わってきたので、そういう宣言はやめておこう。

ところで、野球ファンなら誰でも知っている伝説がある。
いや、野球ファンならずとも、福岡県民なら誰でも知っているだろう。
うちの母親は、野球に関してはまったく音痴なのだが、この伝説だけはちゃんと知っている。
それは昭和33年の日本シリーズである。
西鉄ライオンズ、3連敗後の4連勝。
当時の人は、これを奇跡だと言った。
その奇跡を呼び起こした当事者である神様稲生が、今日の日刊スポーツで、昨日のホークスの勝ちを、その伝説の日本シリーズとダブらせて語っていた。
『勢いに乗ったチームと失ったチームの差は、自ずと出る』のだそうだ。
もしかしたら明日、伝説を見られるかもしれない。



2005年10月15日(土) プレーオフ第2ステージ第三戦

実を言うと、今日は試合を見たくなかった。
もし負けたりすると、その場面その場面の記憶が負けに繋がっているように感じて、やりきれなくなってしまうからだ。
しかし、それでも中継が始まると見てしまう。地元のテレビで中継が始まったのは、午後7時だった。
その時点で、試合は0-2、ホークス劣勢だった。
だが、なぜか今日はあまり気持ちが重くない。
というより、安心感があるのだ。
2年前の日本シリーズの時もそうだったが、ぼくがこういう気持ちになる時は、ほとんど勝っている。
そこで、期待して見ることにした。

5回を過ぎた頃だったが、優勝を意識してか、ロッテ勢がだんだん浮き足立ってきた。
ようやくぼくの前日の予想が当たってきたわけだ。

しかし、ロッテにはまだ勢いが残っていた。
8回に2点追加、とうとう0-4となってしまった。
さすがにその時は、これまでかと思った。
が、それでも、まだぼくの安心感は消えない。
「もしかしたら、もしかするかも」
そう思っていたが、3番宮地から始まるその裏の攻撃は、あえなく3者凡退。

ところが9回裏、ホークスの奇跡の攻撃が始まった。
1-4となり、2ー4となり、そして3-4となった。
とうとう1点差である。
今日ぼくは友人宅の不幸事で通夜に行ったのだが、斎場に着いた時が、ちょうどその場面だった。
とにかく、その回の攻撃が終わるまで、車から出られない。
2アウト満塁、ここでズレータがフォアボールを選び、同点に追いついた。
車の中で、ぼくは思わずガッツポーズをした。

しかし、ここで昨年のプレーオフの悪夢がよみがえる。
昨年の第五試合、9回裏で同点に追いつき、そのままサヨナラ逆転勝利かと思われた。
ところが、その場面に出てきたのが、今年と同じく極度の不振に陥っていた松中だった。
その成績が示すとおり、あえなく凡退。
その後、延長戦に入り、10回表に西武から勝ち越し点を入れられ、そのまま敗退したのだった。

今年も似たような場面である。
今日その場面に立ったのは、ここまで好調のカブレラだった。
「ここで決めてくれ」と、ぼくは念を込めた。
が、あえなく凡退。
「またあんなことにならなければいいけど…」と思ったが、相変わらず安心感が続いている。
そこで、ぼくはその安心感を信じ、車を降りて通夜に向かったのだった。

結果はご存じの通り(?)で、川崎の涙のお立ち台で終わった。
この勝利で、今まで胸の中につかえていたものが、スッと取れたような気がした。
明日も、明後日も、この調子で頑張ってもらいたいものだ。

ところで、嫁ブーの店では、ホークスが負けたら『感動をありがとうセール』をする予定だったという。
そのため、試合が終わるまで、社員は帰られなかったらしい。
通夜が終わって、その足で嫁ブーを迎えに行ったのだが、嫁ブーはなかなか店から出てこなかった。
後で理由を聞くと、9回表が終わった時点で、『感動をありがとう』と書いた吊下げポップを貼っていたそうだ。
ところが、ホークスが勝ってしまったため、いったん貼った吊下げポップを剥がさなければならなくなったというのだ。
だが、それについて文句を言う者は、誰一人いなかったらしい。
当然である。



2005年10月14日(金) 大吉

このところ、ぼくの周りでいろいろな噂が流れている。
詳しくは書かないが、もしかしたら、ぼくの職場が失われるかもしれないのだ。
そうなると、ぼくはリストラに遭ってしまう。
もしくは、リストラという手を取らずに、やめる方向にぼくを追いやるかもしれない。
なぜそうなるかというと、ぼくが30年近く家電一筋でやってきたため、他の部署で潰しがきかないからだ。
そのことで、ずっと悩んでいた。

リストラを言い渡される前に、こちらから辞めてやろうかとも思った。
しかし、それをやるのためには、次の就職先が決めないとならない。
今の収入を確保できないと、生活が出来ないからだ。
そこで、取引先の人に、その辺の情報を仕入れることにした。
しかし、あまりいい話はなかった。
やはり、どこも人を雇うほどの体力を持ち合わせてないようだ。
仮にそういう企業があったとしても、今年48歳の男を、今の収入のまま採用してくれることは、まずないだろう。
「さて、どうしたものか」と、ぼくは途方に暮れた。

そういう折、例の占いに出会ったのだ。
「将来は約束されている」
そう思うと、目の前が開けたような気がした。
ところが、よくよく聞いてみると、運は開けるのは3年後だというではないか。
こちらは切羽詰まっているのに、3年も待つことなんて出来ない。

「この3年を乗り切る方法はないか?」
その占いを聞いてからは、そのことがぼくの新たな悩みとなった。
それ以降、仕事上でもあまりいいことがなかったし、体調もあまりよくない。
「何とかしなければ」という思いは、日に日に募ってくる。
とはいえ、ただ考えているばかりで、じっとしていても埒はあかない。
そこで心機一転しようと、今日厄払いをすることにした。

行った先は、宗像大社だった。
ぼくは迷った時、いつもこの神社に行っている。
そこで参拝をすませたあと、おみくじを引いた。
恐る恐るおみくじを開いてみると、“大吉”という文字が浮かんで見えた。
「えっ、大吉?そんなはずはないだろう」と思ったぼくは、その文面をよく読んでみた。

はじめは冬の枯れ木の葉おちて、花もなく、淋しく、この末如何なろうかと気遣うも、そのうちに春となって花さくごとく、末よき運となり、何事も慎め退屈せず時を待てば必ずよし。
となっている。
さすが神様である。
ぼくの悩みなんか、お見通しである。

とはいえ、いったい冬の間、ぼくはどうやって過ごしたらいいのだろう?
『退屈せず時を待て』とは、どういうことなんだろうか?
それに、『末よき運』とは、いったいどのくらいのスパンの『末』なんだろう?
3年後だろうか? それとも、もっと早い時期だろうか?
また悩みが増えそうである。



2005年10月13日(木) プレーオフ第2ステージ第二戦

今日のプレーオフを見ていて、ぼくは自分が偉大な予言者だということに気がついた。
「ここで打たれるだろう」と思ったり、「ここでまた凡退だろう」と思ったりすると、その通りになってしまうのだ。
ホークス、またもや敗退である。
もう後がないのだ。

昨日の試合後、王監督は「まだ一つ負けただけ」というようなことを言っていたが、今日はさすがに「まだ二つ負けただけ」とは言えないだろう。

そういえば、今年のゴールデンウィーク中だったか、ロッテに3連敗を喫したことがあったが、今のロッテはあの時の勢いを持っている。
見ている方も勝てるような気がしないのだから、戦っている方はなおさらだろう。
そのせいで、ファンはみな偉大な予言者になってしまうのだ。

かつて、阪神ファンの友人が「阪神ファンをやっていると自虐的になる」と言っていたが、今まさにその気分である。
だいたい、ホームランでしか点が入らないのだから話にならない。
たまに塁に出ればポカをやる。
昨日の川崎や的場がいい例だ。
なぜかクリーンアップはみな大振りばかりしている。
確率の低いホームラン狙いより、ここはまずつなぐ野球で、確実に点を取りに行って欲しいものである。
そうすれば、自ずとホームランもついてくるだろう。

明後日以降、ホークスに勝利の目があるとしたら、それはロッテの選手が欲を出して、浮き足立つことがあった時だ。
もしそうなれば、ホークスはそのまま優勝に突っ走れるだろう。
いったん止まった勢いは、なかなか元に戻らないからだ。
それこそロッテの、交流戦後の失速がそのいい例である。

とにかく、明日は野球のことを忘れて、充分に休養をとってもらいたい。
ショッピングするのもいいだろう。
花どんたくに行くのもいいだろう。
嫁さんと過ごすのもいいだろう。
まず、力みを取ろうよ。
な、松中にズレータ。



2005年10月12日(水) 10月12日

【プレーオフ第2ステージ第一戦】
8月中旬頃から、ずっとこんな試合を見せつけられている。
いったい、シーズン前半に見せた、勝負を一気に決めるあの猛打線はどこに行ったんだろう。
実に歯がゆい。

確かに、第1ステージを連勝で制したマリーンズに勢いはあった。
だが、こういう短期決戦を何度も戦った経験のあるホークスのほうに分がある、と、ぼくは踏んでいた。
おそらくマリーンズの若手選手が、プレッシャーを感じているんじゃないかと思ったわけだ。
しかし、その期待は裏切られた。
逆にホークスの選手のほうが、プレッシャーを感じてしまったようなのだ。
どういうプレッシャーかというと、経験の重圧である。
経験の豊富さが、ここ一番のところで力みを生み、拙攻を繰り返したというわけだ。

杉内で落とした、ホークスのショックは大きい。
もしかしたら明日の斉藤も、連鎖反応でガタガタと行くかもしれない。
昨年に続いて、またしてもプレーオフに泣くのだろうか?
いや、そうは思わない。
ただ、そうならないために、心がけなければならないことがある。
それは、『常勝軍団』だとか『リーグ1位通過』などというプライドは捨てる、ということだ。
そういうプライドが、「何が何でも勝たなくては」という心構えを生む。
その心構えが、一つ一つのプレーを縛りつけるわけだ。

では、どういう心構えで戦えばいいのかというと、それは「謙虚にチャレンジャーに徹する」ということだ。
「負けて元々」という気持ちが余裕を生むのだ。
その余裕こそが、力みを解放する唯一の手段である。
気楽な気持ちで、このプレーオフをロッテの選手以上に楽しんで欲しいものである。
自ずと結果はついてくるだろう。


【風をあつめて】
午前中、配達に行った。
その帰りのことだった。
ラジオから、ハッピーエンドの『風をあつめて』という歌が流れてきた。
そののんびりとした曲調に浸っていると、突然19歳の頃の心の風景がよみがえった。
つまり、心がタイムスリップしたというわけだ。

ぼくは今47歳だから、19歳というと28年前である。
その時、ぼくは何をやっていたのかというと、長い浪人時代の真っ最中だった。
奇しくも今日は、その頃やっていたアルバイトの最終日だった。
その時も、空は今日のように青かった。

あの頃は不遇な時期だったにもかかわらず、夢だけは人一倍持っていた。
『生活』『資金繰り』『リストラ』…、こういうことばかり考えている今とは、大違いである。

しかし、なぜ今19歳の頃なのだろう。
もしかしたら、運命が、ぼくの心をその原点である19歳の頃に戻して、自分を見つめ直せと言っているのかもしれない。
ということは、ぼくは今、人生の岐路に立たされているということになる。



2005年10月11日(火) ホークスファンを前にして、言うべきことなのか?

最近は、どこに行ってもホークスのグッズが売っている。
この間の休みは小倉の井筒屋に行ったのだが、特設コーナーが設けてあり、そこでホークスグッズを売っていた。
今日イオンに行ったら、そこにも特設コーナーが設けてあり、同じくホークスグッズが売っていた。

ダイエーホークスの頃は、福岡ドームに行くか、福岡のダイエーショッパーズに行かないと売ってなかった。
ぼくの部屋のクローゼットに、ダイエーホークス時代のスタジャンがかかっている。
これを買ったのは6,7年前の正月だったと思うが、野球をやってない福岡ドームにわざわざ行って、買い求めたものである。
それが今では、近くのスーパーで手軽に買えるのだ。
ソフトバンクになって、よりいっそう地域に密着してきたということだろう。

さて、そのホークス、明日から千葉ロッテマリーンズを迎えて、プレーオフ第2ステージを戦うことになっている。
今日もローカルバラエティ番組で、その特集をやっていた。
第1ステージで西武を連勝で退けて勢いに乗るマリーンズを、我がホークスがどう食い止めるかというところに、話題が集中していた。
結局は地元ひいきも手伝ってか、3勝1敗でホークスという予想を立てていた。
さて、どうなることやら。

ところで、その番組の中で、アナウンサーや解説者がちょっと気になることを言っていた。
ロッテファンのことを、しきりに褒めているのだ。
何でも、ロッテのファンは日本一なんだそうだ。
ヤフードームに来るロッテファンは、本当に少ない。
しかし、少数ながらもロッテファンの応援は統一されているし、声もよく通る。
こちらが負けている時には、その声が本当に鬱陶しく感じるものだ。
それだけ、ホークスの選手にもプレッシャーを与えているのだろう。

また、ロッテファンの特徴として、マナーがいいことも上げられる。
以前、ホークスが千葉マリン球場で優勝を決めた時、ロッテファンはちゃんとエールを送ってくれたものだ。
それを見て、実にすがすがしい気持ちがしたものだ。

しかし、それが日本一のファンだと言われると、ちょっと首をかしげたくなる。
確かに、応援団は日本一かもしれない。
が、それが全体の応援となると、そうは思えないのだ。
今年は強かったからお客も入った。
だが、弱い時はどうだったか。
いつも球場は閑古鳥が鳴き、酷い時にはパリーグのお荷物みたいに言われていたではないか。
強くなったから応援に行くだけの人たちを、どうして日本一のファンと呼ぶのだろう。

ホークスの話で申し訳ないが、かつてホークスは万年Bクラスの弱小球団だった。
だが、それでも腐らずに、ホークスのファンは球場に集まった。
その結果、球場はいつも満員か、それに近い状態だった。
そして、いつも球場を埋め尽くす熱いファンの声に後押しされたホークスは、ついに常勝球団になったのだ。
いくらリップサービスにせよ、そういうホークスファンを前にして、ロッテファンが日本一だというのは、実に失礼なことである。



2005年10月10日(月) seesaa版『吹く風』、閉鎖しました。

これまでメインで使っていたseesaaブログだが、今月から更新をストップしていた。
サーバーがかなり重くなったためである。
サーバーが重いのは毎度のことだったのだが、今回は特に酷かった。
そのためサーバーのほうも、急遽サーバーを増設することにしたらしい。
今月の9日にようやくサーバー増設が終わり、何とかすんなりいくようになった。

そこで再開しようとしたのだが、もう一つの問題は解消されなかったのだ。
もう一つの問題というのは、再構築である。
ここのブログは、デザインを変えたり、コンテンツを追加したり、リンクを追加したり、と何かやるたびに、いちいち再構築をしなければならない。
これが面倒なのだ。
ま、面倒でも、サクサクといけばいい。
しかし、ここはいつも時間がかかってしまうのだ。
それに加えて、seesaaの速度低下である。

例えばリンクを一つ増やすとする。
トップページだけに反映させるだけなら、そう時間はかからない。
ところが、それを『カテゴリ別』『過去ログ別』『記事別』ごとに反映しなければならないからややこしい。
まず再構築は『記事別』から始まる。
ここで時間を食うのだ。
1年ぐらいの記事数ならそうでもないだろうが、何せ5年分の記事が目いっぱい詰まっている。
そのため、サクサク行く時でも、ここで1時間近くかかる。
それに速度低下が加わると、デフラグ以上に時間がかかってしまう。
それでも、最後までちゃんといってくれれば、我慢は出来る。
ところが、しょっちゅう『システムエラー』なる文字が出て、ダウンするのだ。
そこでまた一からスタートしなければならない。

昨日また、その状態に陥ったのだ。
いつまでたっても進まない再構築、たまに動いたと思ったら『システムエラー』…。
もううんざりである。
こんなことに時間を費やすから、尿潜血値が上がるのだ。
ということで、とうとうseesaaブログでの日記をやめることにした。
今後、そこは『筋向かいの人たち』として使っていくことにする。

そういうわけで、また一つブログが減ったわけである。
そうそう、そういえばここのところ、teacupのブログも重くなっている。
携帯向けに作っていたのだが、そろそろこちらも潮時かもしれない。
もしパソコンでそちらのほうをブックマークされている方がいましたら、
http://blog.mengly.net
のほうに変更しておいてくださいませ。
お願いいたします。

なお、携帯で見ている方には秘策がありますので、ご心配なきようお願いします。



2005年10月09日(日) 自己PR

健康診断以来、日記の更新をさっさとすませて、なるべく早く寝ることを心がけている。
一昨日寝たのは12時半、昨日寝たのは1時だった。
しかし、「おかげで体調は万全だ」と胸を張っていうことはできない。
確かに仕事中に眠たくなるようなことはなくなったが、まだ寝不足の後遺症は続いている。
その寝不足の後遺症というのが、健康診断で発覚した尿潜血である。

オシッコをする時、何となく違和感を感じるのだ。
まあ、病院に行って診てもらい、薬で治療すればいいのだろうが、それだけはしたくない。
病院ほど怖いところはないのだ。
ということで、ぼくは自然治癒力というのを信じることにする。
長い時間かけてなった症状だから、長い時間かけれて養生すれば、きっと治るに違いないのだ。
体の冷えからくる病気は、体を温めれば治る、それと同じ理屈である。

さて、一昨日から書いている占いのことだが、嫁ブーはその人から「ご主人に、自己PRを心がけるように言ってください」と言われたそうだ。
それを聞いて、
「うーん、自己PRか…。一番苦手とするジャンルやん。これまで自分の売り込みをしてこなかったせいで、何度もバカを見ているんだ。もし自己PRをうまくやっていれば、もう少しまともな人間と評価されて、会社での地位も向上していたことだろう。少なくとも、こういう綱渡りのような生活はしてなかったはずだ。しかし、身の丈以上に自分を大きく見せることは好まないなあ」
なんて思っていた。

しかし、よくよく考えてみると、ぼくはちゃんと自己PRをやっていたんだった。
それはホームページである。
ぼくはこのホームページに、5年間も自分のことばかり書いているのだ。
これ以上の自己PRはないだろう。
そうである。
これを宣伝すればいいのだ。

ということで、その手始めに、知っている人にぼくのホームページの存在を教えたり、すでに知っている人には、「広めてくれ」と頼んだりしている。
PRといえば、オリジナル曲も充分PRになる。
そこで、いろんな人に「実は、昔からオリジナル曲を作っていて…」なんて言ったりしている。
もし、その人が「えっ、そうなんですか。ぜひ聞いてみたい」と言えば、さっそくオリジナル曲をCDに焼いて、その人にあげている。
こういう草の根運動みたいなことでも、やらないよりはマシだろう。
これが実を結べば、もしかしたら本当に成功に至るかもしれないのだ。
こういうことをやっているうちに、心に張りが出て、尿潜血なんて治ってしまうかもしれないし、ちょっと頑張ってみるか。



2005年10月08日(土) 運命の赤い糸

昨日の続きになるが、ぼくと嫁ブーの相性はすこぶるいいのだそうだ。
波長が合っているらしい。
しかし波長が合うというのは実に抽象的である。
いったい、どの時期のどの場面で波長が合っていたというのだろう。
これまで何度も別れそうになったことがあるが、それでも別れなかったというのが『波長が合う』と言うのだろうか。
さらに、それと“運命の赤い糸”は、どういう関係があるのだろう。

その“運命の赤い糸”に関しては、思い当たる節がないではない。
あれは初めて嫁ブーを見た時のことだった。
昭和56年のことである。
その年の4月下旬に創業する会社に、ぼくと嫁ブーは入社した。
その創業の2日前に、ぼくは初めて嫁ブーに会った。
その頃ぼくは、テレビ売場に配属されていた。
そこで開業に向けての、最後の準備をしていた時だった。
隣の売場の女の子が、じっとこちらを見ているのに気がついた。
目が合うと、その子はぼくにニコッと微笑みかけた。
その時だった。
その子が赤いエプロンをつけて、台所の向こうに立っている姿が、ぼくには見えたのだ。
ぼくはハッとした。

が、すぐに現実に戻った。
『何か用なんか?』と思っていると、その子は「すいませーん」と言った。
「あ?」
「あのー、後ろのテレビの音、大きくしてもらえませんかー?」
「テレビ?」
後ろを振り向くと、テレビに田原俊彦が出ていて、歌を歌っていた。
『ああ、俊ちゃんか。今時の子やのう』と思いながら、テレビの音を大きくしてやった。
言うまでもなく、その子が今の嫁ブーである。

テレビを見ている嫁ブーを見て、『ところで、あのエプロン姿は何だったんだろう?』と、ぼくは思っていた。
が、あまり気にはしなかった。
その当時、ぼくには好きな人がいたし、高校出たての若い娘なんか興味がなかったからだ。
ただ、その時ぼくはうっすらと、嫁ブーに恋愛とは違った何かを感じていたのは否めない。
今になって考えると、あれが“運命の赤い糸”というものかもしれない。

前に一度、その時のことを嫁ブーに聞いたことがある。
「おれはあの時、赤いエプロンをつけて台所に立っている、おまえの姿が見えたんやけど、おまえはどうやったんか?」
「‥‥」
「何か、おまえは最初におれと会った時のことを覚えてないんか?」
「いや、覚えとるよ」
「じゃあ、何で黙り込むんか?」
「それは…」
やはり、記憶にないのだ。
ただ、その時にテレビの音を大きくしてくれと言ったのは覚えていたらしく、「あの頃の俊ちゃんはカッコよかったけね」と言っていた。
もしかしたら、あの時、嫁ブーは俊ちゃんに“運命の赤い糸”を感じていたのかもしれない。
そして、いつしかそれが、ぼくにすり替わったのだろう。
ぼくは俊ちゃんの身代わりである。



2005年10月07日(金) お待ちしております

金曜日は恒例の休みである。
この間の健康診断の結果を受けて、とにかく午前中は寝ていることにした。
しかし、なかなか疲れは取れるものではない。
よくよく考えると、背中の痛みは、枕や布団が合わないせいではなく、その尿路結石や前立腺に関係あるのかもしれない。
ということは、背中の痛みが取れた時、そういう症状が改善されたことになるのだろう。

とにかく養生が肝要である。
ということで、昨日から養命酒を飲むことにした。
薬に頼りたくないから、自然治癒力の強化を始めたのだ。
なぜ養命酒かというと、滋養強壮にもってこいだからだ。
例えば、骨折した時などにこれを飲むと、治りが早いのだそうだ。
骨も内臓も同じである。
ぼくには、こんなことにつまずいている暇はない。
さっさと治して、次のステップに進まなければならない事情があるのだ。

その事情とは何かというと、今日すごいことを聞いたのだ。
嫁ブーの用事で、昼から小倉に行った。
小倉で、ぼくは嫁ブーと別行動をとった。
銀行に行き、デパートで買物をし、食事をしたあと、車の中で嫁ブーを待っていた。
ところが、嫁ブーはなかなか来ない。

嫁ブーが車に戻ってきたのは3時間後だった。
「おまえ、何しよったんか?」
「ちょっとね」
「ちょっとが3時間か?」
「いや、ある人から、しんちゃんのことでいい話聞いてきたんよ」
「え?」
「しんちゃんはすごい人らしいよ」
「え?」
「販売の仕事なんかで終わる人じゃないらしいんよ」
「そうかのう」
「もしかして、今の仕事辞めて、やりたいことがあるんじゃないと?」
「ある」
「そうやろ。3年後に、しんちゃんを運命を大きく変える人が現れるらしいよ」
「自分がやりたいことに関係する人か?」
「そうらしいよ。とにかく、今は趣味に没頭したほうがいいらしい。しんちゃんは、それで大きく伸びる人らしいけ」
「ふーん。それは占いか?」
「よくわからんけど、そういうのじゃないんかねえ」

嫁ブーは他にもいろいろ言っていたが、それがいちいち当たっているのだ。
性格も趣味も、これまで読んできた本までもピタリと当たっている。
「ご主人は、やりたいことがあって、きっと今ウズウズしているはず」と言われたらしいのだが、まったくその通りである。
実は、先月から、ウズウズしっぱなしなのだ。
だけど、今会社を辞めるわけにはいかない。
とにかく生活が最優先だからだ。
それが歯痒い。

ところで、若い頃にこれを同じことを言われたことがある。
それは占いでだった。
なんでも、40代後半に運命を変える人が現れて、それからぼくは飛躍するというのだ。
そこで40代後半に賭けていたのだが、いまだもって芽が出ない。
それで、「あの占いは、はずれだった」と思っていた。
ところが、今また同じことを言われると、「あの占いは、やっぱり当たっていたのか」と思ってしまう。
だが、今から3年後というと、もう50歳じゃないか。
1年もさば読みやがって!

まあ、いいか。
3年後と言わず、来月でもいいから、ぼくの運命を変えてくれる人、出てきてください。
お待ちしております。



2005年10月06日(木) 19才の嘆き(2)

【1977年1月29日】
(1)
明日、市議会議員選挙があります。
もう数日前からやかましくて、勉強一つ出来ないのです。
まあ、それはいいにしろ、今日ある候補者が面白いことを言っていました。
「住みよい町づくり」だとか、「静かな環境づくり」だとか。
もう裏切ってるんですね。

(2)
今日、聴くのをやめていたボブ・ディランを、久しぶりに聴きました。
なぜ聴くのをやめていたのかと言いますと、ぼくは人の癖をもらう癖があるので、癖のあるものは見たくない、聴きたくないとなっていたのです。

ところが今日、部屋を真っ暗にして目を瞑っていたら、頭の奥の方でディランの『トム・ストーン・ブルース』が繰り返し鳴っているのに気がついたんです。
そこで、古いレコードを引っ張り出しまして、その『トム・ストーン・ブルース』を聴いたのです。
やはり、ディランの歌には愛着があります。
でも、ずっと聴いているうちに、ディランにはなりたくないという気持ちになってしまいます。
「他人を真似て何になる?」
いつもぼくの心の中には、この言葉があります。
ということで、やることなすこと(そういえば顔まで)ディランに変えてしまったバカな人たち、尊敬します。


【1977年2月12日】
真夜中、ようやく勉強を終えた。
今、昔懐かしい歌が、部屋の中に流れている。
この歌を初めて聞いたのは、まだあの人が近くにいた頃だった。
あの頃は活発だった。
何事に対しても明るくいられた。

そういえば、この間の同窓会で、友人から「おまえは相変わらず陽気だなあ」と言われた。
傍目からそう見えるのかもしれないが、心の中はそうではない。
考えてみると、あの頃は、心の中も晴れやかだったのだ。
『青春』というものが存在するとしたら、おそらくあの頃がその時期だったのだろう。

実に攻撃的な春だった。
何ごとも振り返らずにやっていた。
ずいぶん人の心を傷つけただろう。
だけど、ぼくは気にしなかった。
そういう時期ではなかったのだ。
人とのつきあいの中で、いつも刺激を求めていたのだ。

さて、そういった日々も修学旅行を頂点にして終った。
ちょっと疲れたのだ。
それがいけなかった。
刺激を求めることをやめて、馴れ合いの毎日を過ごしだしたのだ。

ある時、昔からぼくを知っている人から、
「今のあんたと昔のあんたを比べると、(行動の)出発点がまったく違っているように思える。かつてのあんたは、いつも一人で何かやって問題を起こしていた。それをおもしろがって、人がついてきたもんだ。ところが、このごろのあんたを見ていると、そういうおもしろがる人の中に身を置いてしまっているような気がする」と言われた。
『そういえば…』と思い当たることがあった。
が、その時は「それだけ大人になったんよ」と口を濁らせていた。

まあ、その時はそれで終わったのだが、時が経つにつれて、その言葉が重くぼくにのしかかってきた。
それが高校3年の頃からずっと続いている。

自分の行く方向も定まらず、ただブラブラしているだけの今日この頃、今が出発点だとは思うのだが。



2005年10月05日(水) 尿管結石なのか? 尿潜血に異常あり

今日は健康診断の日だった。
メニューはいつもと同じで、今年も胃の検査と検便はパスした。
前に書いたとおりで、尿酸値以外の項目はあまり気にかけていなかったのだが、そこに落とし穴があった。
検尿のほうに異常が見られたのだ。

これまで、この項目に異常が出たことなんてなかったので、健診票もその部分は見ていなかった。
問診の時に、医者が「尿潜血の値が高くなってますねえ」と言われ、初めて気がついたのだ。
よくよく見てみると、何とその値が±3にもなっているではないか。
「オシッコする時に痛みが走ったとかいうことはないですか?」
「いいえ」
「腰に痛みがあるとか」
「腰痛は、若い頃からありますけど」
「そうなんですか。じゃあ、ずっとこの値が大きかったんじゃないですか?」
「いいえ、いつも正常でした」
「うーん。もしかしたら尿路結石になりかかっているかもしれないので、ちょっとでも痛みを感じたら、病院に行ったほうがいいですよ」

実は、オシッコをする時に痛みを感じたことがない、といえば嘘になる。
このホームページを始めてから2年ほど経った頃に、一度軽い痛みを感じたことがある。
その時は、自分なりの判断で、寝不足からきているということにした。
そこで、早く寝ることにしたのだが、自分の判断が正しかったのか、一週間ほどで痛みは消えた。

それから一年ほど経って、再度軽い痛みが走るようになった。
そこでまた、早く寝ることにした。
すると、また痛みは消えた。
その後も、寝不足が続いたりすると、同じ症状になった。
その都度、睡眠を取るようにしていた。

最近はわりと睡眠を取っていたつもりなのに、なぜ今回こんな数値が出たのだろう?
いよいよ尿管結石なり、前立腺なりが悪くなってきたのだろうか?
思い当たる節が…、あっ、そうだった。
一昨日、昨日が休みだたため夜更かしをしたのだった。
寝たのは確か、午前6時頃だったと思う。
それから3時間半寝て、その後はずっと起きていた。

夜は夜で、早く床には就いたものの、なかなか寝付けなかった。
結局眠りに就いたのは、我が家の15分進んだ掛時計が2時の時報を告げた後だったから、2時前後ということになるだろう。
起きたのが7時だったから、5時間しか寝ていない。
つまり、前日の寝不足が解消しないまま、1時間の寝不足を加算してしまったわけだ。
それに加えていろいろ心労もあった。
おそらくそういうものが、尿潜血につながったのだろう。

ウロビリ反応の時も、尿酸値の時も、中性脂肪の時もそうだったが、またもや原因がわかってしまった。
またいつものように、自力でそれを治して見せよう。
どうせ、再検査なり、生活習慣フォローアップ健診なり言ってくるのだろうから、それまでに寝不足を解消して、尿潜血を解消してやる。
ということで、今日から早く寝ることにします。
お休みなさい。



2005年10月04日(火) 19才の嘆き(1)

【1976年10月4日】
予備校が終ったあとで、駅前書店に行った。
面白そうな本はないかと思って探していたのだが、見あたらなかった。
しかたなく帰ろうと思い、外に出た。
その時だった。
見たことのある人が通っていて、「ふふ」と口を押さえて過ぎていったのだ。
ハッと気がついて後ろを振り向いたのだが、もう誰もいなかった。
考えてみると、高校を卒業してから、ずっとこんな毎日が続いているような気がする。
‥‥‥。

※後に、この日記を引用して歌を作ったのだが、それでは、
『見たことのある人が、
 笑いながら過ぎていった
 振り返ってみても誰もいない
 ねえ、これが毎日なんだ』
となっている。


【1976年10月12日】
いかさま師がたくさんいる。
いや、ぼくの周りのほとんどがそうだ。
前後左右、みんなみんな嘘の塊だ。
こういう人たちを『偽者』という。
彼らはその態度を利益に結びつけようと考えているんだ。
だが、そうはいかない。


【1976年10月16日】
今日、井筒屋(地元のデパート)の屋上で約2時間、黙りこくって座っていた。
いろんな人が入れ替わり立ち替わり、ぼくの前を過ぎていった。
やくざらしき人、女子学生、小学生、子連れ夫婦、カメラを持って何かを待つ人、パイプをくわえた人、杖をついたじいさん、その孫、疲れた労働者、画家らしき人、デパートガールと一人の男…。

※かつて、デパートの屋上のベンチに行くと、いつも多くの人が腰掛けていたものだ。
そこには、ソフトクリームを食べている人、恋を語らっている人、待ち合わせをしている人などがいた。
そういう人に交じってぼくも座っていたのだが、何をやっていたのかというと、ずっと下の道路を見ていただけである。
つまり、暇だったわけだ。


【1976年10月19日】
今日もまた、井筒屋の屋上にいた。
それにしてもアベックの多いこと。

歯医者に行った帰りに、Tと遇った。
半年ぶりだ。
Tは高校時代と比べると、少し痩せたように思えた。

※T君とは、それ以来29年間会っていない。
もう顔も忘れた。


【1976年11月14日】
自分の中にある『偽者』とか、『虚栄心』『名誉心』といったものに、いつもあきれさせられている。
こう聞く。自分の欠点を気にしていると、もし同じ欠点を持った者に出くわした場合、我が心中は乱れ、その人に嫌悪感を抱くようになるものだと。
こういう心境にさせられる人間が、ぼくの周りには実に多くいる。
まあ、逆に考えたら、そういう人たちもぼくのことを嫌悪しているのだろう。


【1977年1月10日】
ぼくは、真面目で不良で、陽気で陰気で、温かくて冷たくて、熱しやすく熱しにくく、大胆で臆病で、積極的で消極的で、普通の人で変わった人で、正常で気違いで、活発で大人しく、外向的で内向的で、鋭くて鈍くて、時に真面目で時にいいかげんで、…。
もうとりとめがないのです。

元々そんなとりとめのない性格なのかというとそうではなく、実はそういう人だと他人に見せて、遊んでいるだけなのです。
それも、ある一面だけでは面白くないので、毎日毎日違った自分を、その時の気分で組み合わせて見せています。
だから強いぼくしか知らない人や、普通のぼくしか知らない人や、弱いぼくしか知らない人が出てくるわけです。

きっとこういう人間は、いつまでたっても成長せずに、人に非難され、バカにされるのでしょうね。



2005年10月03日(月) 続・29年前の日記を読んで

秋の夜長、遅くまで起きていた。
せっかく夜更かししたんだから、いっちょう金縛りにでもあってやれと思いながら、布団に入る。
目を瞑って、ゆっくりと深呼吸をして、ラジオを消して…。
だけど、金縛りになんか、そうそうあうものではない。
思考が邪魔するのだ。
「あの頃はこうだった」「あっ、ああいうことがあった」と、昔のことばかり考えている。
耳が痒く、鼻の痛みは増すばかりだ。
もしかしたら、ぼくはもう終っているのかもしれない。
少しは狂ってもいるのだろう。

昨日の続きである。
そう、今日も29年前の日記を読んでいるのだ。
これは、11月8日の日記である。
この頃から、「金縛りにあおう」なんてバカなことを、ぼくはやっていたのだ。
もしかしたら、金縛りにあうことに喜びを感じていたのかもしれない。
となれば、変態である。

ところで、文中に『鼻の痛みは増すばかりだ』と書いているが、何のことかわからないと思うので、ちょっと説明しておく。

その年(1976年)の秋、変なことに気がついた。
鼻の脂肪のことである。
それまでぼくは、鼻を押さえたら脂肪が出てくるなんて、まったく知らなかったのだ。
10月のある日のこと、何気なく鼻を触っていたら、ニョキニョキと何か白いものが無数に出てくるのに気がついた。
「えーと、これは何?」
それを見た時、ぼくはそれが何なのか、さっぱりわからなかったのだ。
ただ、それを見て思っていたことがある。
「これは虫だ!」
ニョキニョキと出てくるから、てっきり生き物だと思ったわけだ。
ということで気味が悪くなり、その日からぼくは、鼻の虫(脂肪)の退治を始めたのだった。

そんなある日のこと、大きな固まりが顔を見せた。
それを見てぼくは、「これが親だ」と思った。
「こいつを退治すれば、他の虫も自ずといなくなるだろう」
そこでぼくは、爪を立てて、その親を無理矢理絞り出した。
すごく大きく、長い虫(脂肪)だった。
そんな大きなのを見たことがなかったので、感心しながら、それを見ていた。
ところが、その脂肪が取れた跡から血が流れてきたのだ。
そこで、いちおうは患部を洗っておいたのだが、そこを消毒したり薬を塗ったりすることもなく、そのまま放っておいた。

その翌日のことだった。
朝起きると、鼻が真っ赤に腫れ上がっていたのだ。
おそらく穴の中に、ばい菌が入ってきたのだろう。
それを見てぼくは、初めてことの重大さに気づいた。
そこで慌ててオロナインを塗ったのだが、すべては後の祭である。
腫れが引くまでに3週間、鼻の赤みが取れるまでに3ヶ月もかかってしまった。

その間も、休むことなく予備校には通っていたのだが、痛いし、鼻が目に触れるしで、とても勉強どころではなかった。
まだその腫れが引いてなかったことのことだったが、卒業証明書を取るために、高校に行かなければならないことがあった。
「これは困った。知った先生とか後輩に会うと面倒やの」
そこでぼくは帽子を深くかぶって、学校に行った。

ところがである。
ぼくが学校の事務所の前に立っていた時、運悪くそこに1年の時の担任がやってきたのだ。
「おう、しんたやないか」。
「あっ、こんにちは」
「何しに来たんか?」
「卒業証明書がいるようになったんで、もらいに来たんです」
「おまえ今、予備校やったかのう」
「はい」
「そうか。ん?おまえその鼻どうしたんか?」
「‥‥。いじっていたらこうなったんです」
「アホかおまえは。むやみに鼻なんかいじったらだめやろうが」
「‥‥」
「病院行ったほうがいいぞ」
「えっ、そんなに悪いんですか?」
「放っておいたら、一生その鼻は治らんぞ」
「えーっ?」
こんな赤く腫れ上がった鼻で、一生過ごすなんてまっぴらである。
とはいえ、病院に行く気はさらさらない。
そこで、家に帰って、まるでドーランのごとくに、オロナインを塗りたくった。
それがよかったのか、それから何日かたって、ようやく腫れは引いた。
少しホッとしたものだった。

あれ以来、ぼくは鼻を触ることはなくなった。
それに懲りず、そんなことを続けていたとしたら、それこそぼくは終わっていただろう。



2005年10月02日(日) 29年前の日記を読んで

『街にて』
街路を一人の男が歩いている
まるで人生なんか疲れた顔をして
ただとぼとぼと歩いている
誰かが声をかけると
憂鬱そうに振りかえり
ただふふっと陰気な笑みを浮かべるだけである

「さあ、お行きなさい人よ」
さもすると泣き出しそうな日々
もう秋も、毛糸の目立つ頃の話である

上の詩は、たまたま古い日記を読んでいて見つけたものだ。
日付を見ると1976年10月1日となっている。
当時ぼくは予備校に通っていたのだが、確かにあの頃は秋の長雨のせいか、どんより曇った日が多かったような気がする。
街では、“ペッパー警部”(ピンクレディ)や、“青春時代”(森田公一とトップギャラン)といった、威勢のいい歌が連日のようにかかっていた。
しかし、ぼくの心は晴れやかにならなかった。
おそらく、その年から続く長い浪人生活を、潜在意識が察知していたためだろう。

それにしても、10月で毛糸とは!
地球温暖化が問題になっている昨今とは、気候に大きな違いがある。
こちら北九州地方は、今日もまた真夏日になった。
昨晩家に帰ってからは、ずっとパンツ一枚で過ごしたのだが、それでも体が汗ばんで寝苦しかった。

さて、その年の10月2日の記事は、ただ一言『怠惰』となっている。
ここ5年間は、無理に肩を張って毎日日記を書いているが、その当時は、こんなふうに日記を終わらせていたのだ。
今はなぜ、そういうふうに出来ないのだろう。
午前1時2時を過ぎても、必死にパソコンに向かっている自分がいる。
「それがいったい、何の役に立つというのか?」
と、時々自分に問いかけてみることがある。
が、何も答は出てこない。
いつも最後は「ま、いろいろあるでしょうが、それでも書かなくちゃいけないんです」なんて独り言を言っている。
気がつけば、3時を過ぎているのだ。
自問自答は、寝不足の助長に過ぎない。
でも、またやってしまうのだ。

面白いことに、その翌日の日記に、上記の答らしきことが書いてある。
‥‥
どうして肩を張らなきゃならないんだろう?
ぼくたちは、プライドに対してあまりに神経質すぎるんだ。
‥‥
そうかもしれない。
ここまで生きてきたというプライドに対して、神経質だから、毎日無理を押して日記を付けているのだろう。
もしかしたら、29年前のぼくのほうが、今のぼくよりも大人だったのかもしれない。



2005年10月01日(土) 来週、健康診断がある

来週、毎年恒例になっている健康診断がある。
毎晩寝る前に体操をやっているためか、体重が減っている。
香醋を飲んでいるので、おそらくは血圧も正常だろうし、血もサラサラになっているはずだ。
虫歯の治療も充分にやったから、それまで虫歯が原因になっていると思われた様々な症状も、今はなくなっている。
さらに、昨年はアイスクリームの食べ過ぎで中性脂肪が増えていたが、今年はまったくと言っていいほどアイスクリームを食べていない。
また、ここ数日は睡眠も充分に取っている。
考えてみると、生まれてこの方、ここまで健康に関していいことをやった記憶はない。

と、こんなことを書くと、「しんたは今回の健康診断によほど自信を持っているのだろう」と思うかもしれない。
が、その自信がないのだ。
一点だけ引っかかていることがあるためだ。
それは尿酸値である。

今年は5月頃にやたらビールが飲みたくなることがあって、それ以来ずっとビールを飲み続けている。
一昨年、その毎日のビールで尿酸値が高くなり、『生活習慣改善フォローアップ健診』を受けざるをえなくなったことがある。
そのことがあってから、ぼくはほとんどビールを口にすることがなくなった。
きっと今年はその反動がきたのだろう。

しかし、今年ほどビールがおいしいと思ったことはない。
以前は、おいしいのは最初の一杯だけで、350ml缶一本でさえもてあましていたのだ。
ところが、今年は500mlを飲み干しても足りなかった。
これは、今年の気候のせいもあるだろう。
だが、何よりも大きかったのは、自分の口に合ったビールを見つけたことにある。
それまでは、ずっとアサヒのスーパードライを飲んでいたのだが、切れが悪いのか、口の中にずっと苦みが残る。
350mlでももてあましていたは、きっとそのせいだろう。

ある日、嫁ブーが会社からキリンの淡麗をもらってきた。
試しにそれを飲んでみたところ、これが実に飲みやすく、いくら飲んでも、苦みが口の中に残らない。
それから、淡麗にはまってしまった。
淡麗を飲まないと、一日が終わった気がしないようになったのだ。
晩飯を食べようとした時に、淡麗の買い置きがなくなっているのに気づき、わざわざ車を運転して買いに行ったこともある。
とにかくこの数ヶ月、ぼくは淡麗なしではいられなかったのだ。

かと言って、無茶飲みをすることはなく、毎日500mlを限度にしていた。
それ以上飲むと、せっかくへこんだ腹がまた出てくるからだ。

ということで、健康診断である。
淡麗は発泡酒だが、ビールと何ら変わりはない。
そのビールと変わりないものが生活習慣になってしまったのだから、尿酸値の上昇は逃れられないだろう。
もし、それが上昇していなかったとしたら、よほど淡麗がぼくの体に合っているか、もしくは香醋が効いたおかげということになる。
だが、これまでの経験上、そんな割のいい話は一度だってなかった。
いい思いをすれば、いつもどこかにツケが回ってきたものだ。
淡麗といえども、それは変わらないだろう。

とりあえずは、ここ数日、淡麗断ちをしている。
が、数ヶ月飲み続けた淡麗である。
たった数日断ったくらいで尿酸値が下がるとは思えない。
健康診断の日だけでもかまわないから、尿酸値を下げる、何かいい手立てはないものだろうか。


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