| 2005年07月31日(日) |
得体の知れない何者かの声 |
昨夜寝たのは、午前1時過ぎだった。 普段は2時に寝ているから、1時間早く寝たことになる。 どうしてそうなったかというと、日記はほぼ出来上がっていたのだが、眠気が差してどうもまとまらない。 そこで、とりあええず寝て、朝少し早く起きてから日記をまとめようと思ったのだ。 そう決めてから、さっそくぼくはパソコンをスタンバイ状態にし、さっさと横になった。
さて、どれくらい時間が経っただろうか。 それまで見ていた夢が、突然滝の場面に変わった。 体中に水しぶきを浴びて、大騒ぎをしている。 その感触が実にリアルである。 ぼくは、夢の中で嫁ブーに「おい、これは夢か」と聞いた。 嫁ブーは「夢じゃないよ」と言った。 「そうか、夢じゃないんか」と思いながら、水しぶきのかかった顔を触ってみると、なるほど濡れている。 そこで目が覚めた。 が、まだ水しぶきがかかってくるのだ。 「おかしいな」と思い窓を見ると、何と外は大雨で、その雨が窓から降り込んできているではないか。 ぼくはあわてて飛び起きて、窓を閉めた。 その窓はちょっとした出窓になっていて、そこに七福神なんか置いているのだが、それがびしょ濡れになっていた。
さて、窓を閉めた後、枕元の時計を見ると4時である。 「まだ早い、もう一眠りだ」と再び横になっただった。 ゴロゴロという音とともに、稲光が走った。 その時だった。 窓の外から、「ワー」とか「キャー」といった、女子供の声が聞こえてきた。 一人二人の声ではない。 結構大勢の声なのだ。 しかし、「こんな時間に、しかもこんな大雨の中に人がいるはずはない。きっと聞き違いだ」と思い、眠りに就こうとした。 その時、またしても稲光が走った。 と同時に、先ほどの「ワー」とか「キャー」が聞こえてきたのだ。 やっぱり人がいる。
そこで、再び起き出して、窓の外を見てみた。 うちはマンションの上の階なので、周りはすべて見渡せる。 ところが、窓からは人影が見えないのだ。 人が集まるコンビニや、その前にある飲み屋や、その奥にある公園にも、人はいない。 しばらくそこで見ていたが、その後は稲光がすることもなく、声も聞こえなかった。
よくこんなことがある。 先日、夜中の3時半頃に、外から男と女が喧嘩する声が聞こえてきた。 「いつおれがそんなこと言ったか‥‥」 「あんたはいつもそうやんね‥‥」 などと、大声を張り上げて、結構派手にやり合っていた。 最初は気にしてなかったのだが、えらく長い時間それが続いている。 そこで、外を見てみた。 ところが、今回と同じく誰もいなかった。 昨年だったか、やはり女子供が大騒ぎしている声が聞こえたことがある。 それが笑い声であったり、泣き声であったり、時には嘔吐する声であったりした。 しかし、同じく人はいないのだ。 いったい、彼ら(彼女ら?)は何者なんだろう?
さて、その後「変なことで時間を食ってしまったわい」と思いながら、布団に戻ったのだが、今度は眠れない。 というより、窓を閉め切ってしまったために寝苦しくなったのだ。 エアコンを入れれば何のことはないのだろうが、ぼくも嫁ブーもエアコンがだめなので、これに耐えるしかなかった。 小一時間、寝相を変えたり呼吸を整えたりして、のたうち回っていただろうか。 そのうち、朝が来てしまった。 当然寝不足である。 さらに、昼間はエアコンで体が冷え切ってしまい、腹をこわしてしまった。 きっと、得体の知れない何者かの声が障ったのだと思う。
【今日の『つま恋行き貯金缶』】 先ほど200円入れたので、合計400円になった。 つま恋行きまで、あと72,600円である。
来年の『つま恋コンサート』に行くかどうかの結論はまだ出してないが、行くとなった時に確実に必要になるものがある。 それはお金である。 昨日、そのつま恋のある掛川までの費用を調べてみた。 小倉から新幹線ひかりで行った場合は18,250円で、のぞみで行った場合は18,750円だった。 単純に往復すると、それぞれ36,500円と37,500円である。 嫁ブーと二人で行くわけだから、それぞれ倍にすると、73,000円と75,000円になる。 これに掛川駅からつま恋までのバス賃と、2日間の食費がかかるわけである。 あとおみやげを買うとなると、最低100,000円くらいは見積もっておかなければならない。
10万円か…。大金である。 もちろん夏のボーナスをもらってすぐことだから、それだけの費用を用意出来なくはないだろう。 だが、万が一ということもある。 例えば夏のボーナスが出ないことだって、リストラにあったりすることだって、さらには会社が倒産することだって、ありうるのだ。 そのため、ボーナスに頼ってばかりに頼ってはいられない。
そこで何かいい方法はないものかと考えた。 ボーナスに頼らないとなると、残っている手段は給料しかない。 しかし、給料で一括に10万円という金は使えない。 ということは貯金が必要になってくる。
ここでぼくは面白いことに気がついた。 例えば新幹線ひかりを利用した時の金額は、36,500円である。 36,500円といえば、100円の365倍じゃないか。 ということは、一年間毎日100円貯めていけば、自ずとつま恋行きの交通費になる。 あ、二人分だから200円か。 仮にのぞみを利用するにしても、これに一人あたり1000円付け足せばいいのだ。 これは楽である。 食費他は、他の貯金をかき集めたら何とかなるだろう。
ということで、今日、百円均一の店に貯金箱を見に行った。 いろいろ便利な貯金箱があったが、その中に「これは!」というものを見つけた。 百円玉だと80,000円入るという貯金箱、というより貯金缶である。 目標額に近い設定になっている上、缶切りで開けない限りお金を出せないという便利な設計になっている。 そこで、さっそくそれを買った。 これで大丈夫である あとはこれに毎日200円を入れるというちょっとした努力をしさえすれば、一年で目標額に到達するだろう。 でもお金を出せば終わりじゃないか、と思う方もいらっしゃるだろうが、それは大丈夫である。 なぜなら、うちには缶切りがないからだ。
さて、これで旅費は何とかなった。 あとは休みの調整と、チケットの入手が問題になってくるが、それは後々考えればいいことだ。 当面、「いろんなことに悩む暇があったら、さっさと200円入れてしまおう」というモットーで、突っ走ることにする。
※7月30日現在の『つま恋行き貯金缶』の中身:200円
【雨の日のドライブ】 昨日の天気予報では、「まとまった雨が降り、ところによっては雷雨もあるでしょう」と言っていた。 気温もあまり高くなさそうだ、とも言っていた。 案の定、朝起きると今にも降り出しそうな空の色だった。 さらに、夜中は体が冷えて、何度も目が覚めたのだった。 天気予報どおりの展開で、一時は延期することも考えた。 が、決行できるのは今日しかない。 次の休みからは、また歯医者の日々が続くだろう。 そういうことで、予定通り、今日決行したのだった。
何のことを言っているのかというと、前々からこの日記で言っている角島行きのことである。 昨日の天気予報では、今日の午後から特にそういう展開になるということだった。 当初は昼ぐらいに家を出て、海を眺めながらのんびり行こう思っていた。 が、その天気予報を聞いて、なるべく早く家を出て、なるべく早く家に帰ろうという気になり、予定を変更して高速道路を利用することにした。
家を出たのは午前10時だった。 出発した頃は雨は降ってなかったのだが、小倉にさしかかったあたりから雨がパラつきだし、門司をすぎる頃に本降りになってしまった。 そのため、いつも本州に渡る時に楽しみにしている関門橋からの景色も、今日は雨に遮られたのだった。
高速を利用したおかげで、角島へは1時間ほどで着いた。 その頃から、徐々に雨は小振りになっていき、休憩所で買い物をしているうちに雨はやんでしまった。 しばらく雲行きを見ていたが、だんだん空は明るくなっていく。 そこで、また予定を変更し、足を伸ばして青海島(長門市)に行ったり、帰りに門司港レトロに寄ったりした。 その後は雨に祟られるようなことは、まったくなかったのだった。
青海島から戻ってくる途中、川棚温泉でゆっくり温泉に入ったりした関係で、帰りが少し遅くなった。 だが、それでも午後8時には家に着いていた。 これは珍しいことである。 普通ぼくがドライブする時は、性格がダラダラしているせいで、早くても午後10時を回ることが多い。 きっと、前日に雨が降ると潜在意識にインプットしていたために、潜在意識が一時的にそのダラダラ性格を凍結させたのだろう。 ま、とにかく、これでぼくの今年の夏のイベントは終わった。
【ひとりテレフォン人生相談】 ところで、その道中、少しでも夏の雰囲気を味わいたいのと、ばあさんたちの話について行けないだろうという理由から、サザンなど夏向けのCDをあらかじめ用意していた。 だが、雨の日のサザンは、どうも様にならない。 仕方がないので、ラジオで『テレフォン人生相談』なんかを聞くことにした。 ところが、その『テレフォン人生相談』も、ばあさんたちの声で聞こえない。 そこで、頭の中で『テレフォン人生相談ごっこ』をやることにした。
−今日のご相談内容は? 「兄と父親の遺産相続のことでもめているんです」 −遺産相続ねえ。で、あなたはどうしたいの? 「私が家業を継いだんで、すべての遺産を相続したいんです」 −あなた、お母さんはいないの? 「いや、いることはいるんですが、離婚しまして…」 −なるほど。それで兄弟で争っているわけですか。 「はい」 −で、それについてお兄さんは、どう言ってるわけ? 「はい、相続を放棄したいと…」 −えっ、相続放棄ぃ? 「ええ」 −じゃあ、もう話は終わってるじゃないの。 「そんなことはない」 −だって、もうお兄さんは相続放棄したんでしょ? 「まあそうですけど」 −じゃあ、終わってるでしょうが。これ以上、どうあって欲しいわけ? 「‥‥」 −あなたいったい、何の相談で電話してきたの? 「ええ、兄と父親の遺産の件で…」 −忙しいのに、手間取らせないでくださいよ。
「あのー、もう一つあるんですが…」 −えっ、まだ何かあるんですか!? 「いや、母がですね、私のことを不器用と言うんですよ」 −不器用? 「はい」 −なるほど、その通りじゃないですか。 「えっ?私のいったいどこが不器用なんでしょうか?」 −頭です!!
と、まあ、こんな具合である。
朝のニュースで、吉田拓郎とかぐや姫が、来年の夏につま恋でコンサートをやると言っていた。 話によると、30年前につま恋で初の野外ライブをやった時に集まったファンたちは今頃どうしているだろうか、などと話しているうちに、再演やろうかという話になったそうなのである。
そうか、あれはもう30年前になるのか。 当時ぼくは高校3年生だった。 その頃のぼくは、自他共に認める熱狂的な拓郎ファンだった。 だが、そのコンサートには行ってない。 もちろん、そういうコンサートがあることは、音楽誌やラジオなどで大々的に宣伝していたから知っていたし、行きたいとも思っていた。 しかし、場所を聞いて萎えてしまった。 『静岡県掛川市つま恋』 つま恋なんて、初めて聞く言葉だった。 友人たちに「つま恋ちゃ、どこか?」と聞いても、誰も知る者はいなかった。 それに、ぼくの周りには拓郎ファンはいなかった。 そのため、もしそこに行くとすれば、一人で行かないとならない。 となれば、おっくうである。
次に資金の問題がある。 コンサートは8月2日だったから、それまでしっかりアルバイトをすれば何とかなったかもしれない。 ところが、7月の後半にクラブ(柔道)の試合が入っていた。 それまでは毎日練習に行かなければならないのだ。 試合が終わってからコンサートまで1週間くらいしかない。 これではつま恋に行くだけの金にはならない。 また親に頼んで金を出してもらう手もあったが、うちは裕福な家庭ではなかったから、その方法は採れない。
「こりゃもうだめばい」と思っていたところに、だめ押しが来た。 夏休みを前にしたある日、生徒指導の先生が全校生徒を前にして、「8月に静岡県で行われる吉田拓郎のコンサートは、教育委員会の指導により、行ってはいけないことになった。ということで、君たちも行かないように」と言ったのだ。 これでようやく諦めがついた。
さて、そのコンサートの翌日、ぼくは寝ないでずっとオールナイトニッポンを聞いていた。 その夜のオールナイトニッポンのパーソナリティは吉田拓郎だったからだ。 そのコンサートの模様や、興奮冷めやらぬ拓郎の声を聞こうと思ったのだ。 ところが、コンサートの翌日ということで、拓郎の声が出ない。 そこで、ゲスト出来ていた泉谷しげるが、一人でペラペラしゃべりまくっていた。 その泉谷のしゃべりの中で、印象に残った言葉があった。 「何かありそうで、終わってみれば何もなかったコンサートだった」という言葉だった。 泉谷が何を期待していたのかというと、おそらく71年の中津川フォークジャンボリーの再現だったと思われる。 71年の中津川フォークジャンボリーとは、拓郎が飲みながら歌った『人間なんて』で会場が異常に盛り上がり、一騒動起きた伝説のコンサートだった。
ところで、来年のつま恋であるが、どうしよう。 やはりファンとしては行きたいに決まっている。 嫁ブーと二人で行くことになるだろうから、一人で行くというおっくうさもないし、資金についても問題はない。 もちろん、50前の人間に対して、教育委員会は何も文句は言ってこないだろう。
しかし、新たな問題がある。 それは、その日に休みが取れるかどうかである。 コンサートは、当時と同じく、夕方から翌朝にかけて行われるだろうから、当然連休が必要になる。 一日の休みなら何とかなるが、連休となるとちょっと問題である。 公休ローテーションで回っている関係上、連休を取るのが難しいのだ。 仮にぼくが休みを取れたとしても、嫁ブーがどうなるかわからない。 せっかくチケットを取っても、休めなければどうしようもない。 行けなかったチケットを想い出として持っておくのも、むなしいものである。 さて、どうしたものか。
| 2005年07月27日(水) |
24年越しの恋が実る |
7月24日の日記に、「火曜日は午前中床屋に行き、午後から博多に行く予定にしている」と書いた。 ということで、昨日は予定通り午前中床屋に行き、午後から博多に行った。 まあ、床屋はわかるだろう。 では、博多には何をしに行ったのか。 それは、ギターを見に行ったのである。 前にギターとノートパソコンが欲しいと書いたことがあるが、ノートパソコンは進化するものだから、何も焦って今買う必要はない。 しかし、ギターのほうは今どうにかしておかないと、資材やコストの関係で質が落ちるばかりだ。 そこで、もしぼくが探している機種があったら買う、という条件で博多に行ったわけだ。
しかし、それなら地元北九州にもたくさん楽器店はあるのだから、別に高い交通費を使ってまで博多に行かなくてもよさそうなものである。 もちろん最初はそうしようと思っていた。 だが、そこでぼくの勘が働いた。 市内の楽器店には、ぼくの探している機種がないように思えたのだ。 また、これから機種を選ぶのなら、楽器店回りもいいかもしれないが、すでに機種は決まっているのだから、その機種が置いてある可能性の高い、品揃え豊富な店に行ったほうがいいに決まっている。 市内には、そこまで品揃え豊富な店はないのだ。
ということで、嫁ブーと二人、JRに乗って博多に行った。 電車を降りてから、ぼくたちは脇目もふらず、品揃えNo.1と言われている楽器店に直行した。 店に入ったとたん、「おお、すごい!」とぼくは感嘆の声を上げた。 ぼくが今まで行った楽器店の中では最高の品揃えである。
さっそく、ぼくたちはアコースティックギターを展示している場所に行った。 「あるある。ここなら確実にある」 そう思った時だった。 ぼくの上の方で、「ジャン」とギターの鳴るような音が聞こえたような気がした。 見てみると、何とそこにぼくの欲しかったギターが展示してあったのだ。
ぼくは嫁ブーを呼んだ。 「おい、あったぞ。これよこれ。これが欲しかったんよ!」 嫁ブーはそのギターを見たとたん、「えーっ、こんなんすると?」と言った。 嫁ブーは楽器などに興味がないので、楽器店は初めてである。 そのため、ギターの相場を知らないのだ。 「これでも安い方ぞ。他のを見てみ」 「えっ、50万?あっ、100万のもある」 「それに比べたら安かろうが」 「うん…」 「よし、店の人呼んでこい」
そのギターを試弾させてもらうと、イメージしていた通りの音がする。 しかもバランスもいい。 弾き込めば、もっともっといい音になるだろう。 店の人が「どこでこの機種を知ったんですか?」と聞くので、ぼくは「ネットで調べた」と答えた。 「そうでしょうね。うちの他に、この機種を置いてる店はありませんからね」 「やっぱり」 ぼくの勘は当たっていた。 というより、ぼくがギターから呼ばれたのだろう。 つまり、ぼくはギターから「私を買いなさい」と命じられたのだ。
さて、ぼくのギター遍歴からすれば、このギターは11本目のギターになる。 わけのわからない安物のギターから始まり、その後はマーチンやオベーションといった洋物に走り、エレアコに走り、そしてようやく今回国産の高級品に行き着いたわけである。 いや、行き着いたという言い方はおかしい。 なぜなら、ぼくは24年前からこのギターが欲しかったからだ。 正しくは、「24年越しの恋が実った」と言ったほういいだろう。 ということで、恋愛成就した昨日は、興奮して眠れなかった。
メインのブログにちょっと書いたが、昨日隣のコンビニで起きた強盗事件のことを書いておく。
昨日の朝7時半頃のことだった。 新聞を取りに行った嫁ブーが、興奮して戻ってきた。 「ねえねえ、さっき隣のセブンで強盗があったらしいよ」 「えっ?」 「新聞を取りに行ったら、人が集まっとったけ何事かと思って聞いてみたんよ。そしたら、1時間ぐらい前に、隣のセブンに強盗が入ったと言うやん。さっそく走って見に行ったんよね。そしたら店の前にパトカーが停まっとって、中に入れてくれんかった」 「そりゃそうやろ。検分しよったやろ」 「でもね、中にお客さんはおるんよ」 「え?」 「外におった人に聞いてみたらね、そのお客さんたち警察が来た時に店の中におったお客さんなんち。みんな出勤途中みたいやったけど、事情聴取が終わるまで出られんらしいんよ」 「そりゃ大変やのう。確実に遅刻するやん」
その会話が終わった後も、嫁ブーの興奮は治まらなかった。 「あ、動いた」 「え?」 「今、パトカーが動いたんよ」 「おまえずっと見よったんか」 嫁ブーは会話が終わったあと、窓からずっとセブンを見ていたのだ。 「もう入れるやろうけ、ちょっと店内覗いてくるね」 そう言って、嫁ブーは家を出て行った。
15分ほどして、嫁ブーは帰ってきた。 「顔見知りの店員に聞いたんよ。そしたらね、『私たち作業していて気づかなかったんです。後で聞いてびっくりしたんですよ』と言うんよ。で、『誰がレジにおったんね?』と聞いてみたら、あの人と言って教えてくれた」 「誰やったんか?」 「ほら、何ヶ月か前に入ったおばちゃんがおるやん」 「ああ、あの髪染めた人か?」 「うん。あの人が包丁突きつけられたらしいよ」 「そうか」 「なんかこういうことがあると、ワクワクするねえ」 「おい」 「え?」 「それはいいけど、食べるもんないんか?」 「あっ、パン買ってくるの忘れた」 「もういっぺん行ってこうか?」 「…もういい」
さて、昼頃の話。 地元のテレビで、そのコンビニ強盗のニュースが流れていた。 いつも見ている店の入口が、そこには映っていた。 テレビの声を上げて聞いてみたところ、『今日午前5時半頃、八幡西区のコンビニに強盗が押し入り…』『…犯人はレジにいた男子従業員に刃物を突きつけ、現金8万円を奪って逃走…』と言っていた。 嫁ブーの話と微妙に違っている。 嫁ブーは、「1時間ぐらい前」と言っていたから、あの時間だと6時半になる。 また、包丁を突きつけられたのは、髪を染めたおばちゃんと言っていたが、ここでは男子従業員になっている。 いったい、どちらが正しいのだろう。 まあ、これまでの経験からして、嫁ブーの早とちりだとは思うが。
朝から頭の中で、同じ曲が繰り返し繰り返し流れている。 最初は何の曲なのかわからなかった。 が、聴いたことのある曲だということはわかっていた。 「さて、何という歌だっただろうか?」と考えていると、だんだんその歌詞が浮かんできた。
ぼやぼやしてたら わたしは誰かの いい子になっちゃうよ…♪ 「ああ、この歌か!」 何と山本リンダの歌だったのだ。
ところが、困ったことにタイトルが出てこない。 山本リンダといえば、『困っちゃうな』『どうにもとまらない』『狙いうち』が有名だが、この歌詞はそのどれでもない。 「他にどんな歌があっただろう?」 午前中は、そのことばかり考えていた。 30分ほど考えて、ようやく一つのタイトルを思い出した。 それは『ジンジンさせて』である。 「あの歌、『ジンジンさせて』やったかのう?」 どうも違うような気がする。 結局、会社にいる間は、その答えが出てこなかった。 家に帰ってから、さっそく『ジンジンさせて』の歌詞を調べてみると、
一人二人恋の相手は星の数…♪ となっている。 やはり違っていたのだ。 ということで、改めて調べ直してみた。 が、何というキーワードで検索していいのかがわからない。 『山本リンダ』で検索してみると、曲名は出てくるものの、歌詞までは出てこない。 そこで、『山本リンダ ぼやぼやしてたら』で検索してみた。 「あ、これかあ」 それは、『狂わせたいの』だった。
しかし、こんな歌が、どうして今頃頭の中で鳴り出したのだろう。 30年ほど前のリンダブームが終わってから昨日まで、完全に忘れていた歌である。 何か起因するものがあるんじゃないかと考えてみたが、何も思いつかない。 最近、会社の行き帰りにはいつもゴールデンカップスを聴いているが、それが山本リンダとつながるとは思えない。 強いてつながりがあるとすれば、どちらもハーフということだけだが、ぼくの音楽認識の中では、ハーフつながりというのはありえない。 もしあるとしたら、ゴールデンハーフなんかも流れてくるはずだ。
それにしてもこの歌詞すごいなあ。
私は恋の女 いつでも恋の奴隷 好き好き好きで燃えて 狂わせたいの こういう女には関わりたくない。
【歯医者通い、10ヶ月目突入が決定的になる】 あと何回で歯医者が終わるのかはわからないが、歯医者通いが10ヶ月目に突入することだけははっきりした。 あと1回で終わるとしても、10ヶ月目突入は揺るがない。 なぜなら、今週ぼくは歯医者に行けないからだ。
今週も例のごとく火曜日と金曜日が休みなのだが、火曜日は午前中床屋に行き、午後から博多に行く予定にしている。 また金曜日は、この日記でお知らせしたとおり、角島に行き、その帰りにばあさんたちに瓦そばをご馳走しなければならない。 そういった理由から、今週は歯医者の予定を入れなかったのだ。
【床屋のこと】 さて、床屋のことである。 ついこの間行ったと思っていたのだが、調べてみると前回行ったのは5月だった。 つまり、2ヶ月行ってないことになる。 さすがに髪が伸びている。 ぼくはある程度髪が伸びてくると、髪の毛が浮いてしまい、頭が大きく見えてしまう。 6月の終わり頃に、そういう頭になっているのに気がつき、「もう切り時だ」と思っていた。 しかしご存じの通り、6月末から7月頭にかけてフォークリフトの講習や試験のために休みを返上していたから、床屋に行くことが出来なかったのだ。
そこで、フォークリフトがらみが終わった後に、床屋に行こうと思っていた。 床屋は、歯医者から戻ってきてから行くようにしていた。 ところが、7月に入ってから梅雨が明けるまで、ほとんど毎日雷を伴う大雨が降っていた。 そのため、歯医者からいったん家に戻ると、もう外に出たくない。 ということで、床屋は梅雨が明けるまで我慢することにした。
さて、梅雨が明けた。 ところが、連日熱中症になりそうな気温である。 そのため歯医者に行くのが精一杯だ。 ということで、ここまで床屋行きが延び延びになっていたのだ。 すでに髪は浮きっぱなしで、頭はかなり大きくなっている。 しかも、所々で適当に飛び跳ねている。 つまり、自分では手のつけられないところまで来ているのだ。 あと2日の辛抱である。
【再び意識が飛ぶ】 最近また意識が飛ぶようになった。 今日は仕事中に何度も飛んでいた。 それが携帯で、もらったコメントに返事を書いていたときだからたまらない。 いったん意識が飛んでしまうと、それまで何を書いていたのか忘れてしまっているのだ。 それだけならいい。 意識が飛んでいる時に、なぜか削除ボタンを押していたりする。 そのせいで、今日は二度も消してしまった。 携帯で書き直すとなると、結構大変である。 しかも、それまで書いていたことを忘れているから始末に負えない。 やはり、最近遠ざかっているドリンクを飲むべきなのだろうか。
7月に入ってから、『その日の着地点』というのを気にするようになった。 どういうことかというと、その日の着地点である就寝時に、寝つきがいいか悪いかということが気になるようになったということである。 寝つきがいい時というのは、寝るまでにその日のことを、すべて片付けているものだ。 その日のことというのは、例えば仕事だとか日記だとかである。 逆に、寝つきが悪い時というのは、その日のことが手付かずになっていることが多い。 つまり、仕事も順調でなく、日記もまったく書いてないということだ。
なぜそうなるのかというと、寝るまでに仕事や日記を終わらせていたら、ある種の達成感とか満足感を抱いて寝ることになる。 それゆえに寝つきがよくなるのだ。 その日に出来なかった場合は、その屈辱感と、翌朝書かなければならないという焦燥感を抱いて布団に入ることになる。 それゆえに寝つきが悪くなるのだ。 そこで、「今日はどういう状態で寝るんだろうか」と考えるようになったわけだ。
こういう場合、朝からずっといい着地点をイメージしていたら、その通りになることが多いものだ。 例えば、翌朝6時に目を覚まさないといけない場合、寝る前に6時に目を覚ますことをイメージしたり、単純に時計が6時を指していることをイメージしたりすれば、その時間に起きれることが多いが、それと同じである。
そうやって毎日『いい着地点』のイメージをやってさえいれば、仕事も順調、日記も順調である。 もう何も悩むことはないのだ。 ところが、である。 今月に入って、日記を書き上げてから寝た回数は、4,5回ほどしかなかった。 それ以外は、翌朝になったり、休みの日は翌昼になったり、ひどい日には翌夜になったりしているのだ。 せっかく『いい着地点』の法則を見つけたのに、何でこうなったかというと、それはぼくの性格のせいである。 朝からずっと同じイメージを持ち続けるなんて、ぼくにはとうてい出来ない。
例えば、仕事上でうまくいかないことがあると、もうだめである。 例えば、トイレに行くタイミングを逸すれば、もうだめである。 例えば、昼食の時間が遅れたりすると、もうだめである。 例えば、日記のことを考えた時点で日記のテーマが浮かばなければ、もうだめである。 いや、決して潔癖主義なのではない。 そうなった時に、長年培った心の癖で、そういう嫌なことを忘れようとして、次の休みは何をしようかとか、前日見たドラマの今後の展開を考えるとか、それまでとはまったく違った思考を取るようになるのだ。
そうなると、『いい着地点』のイメージを持ち続けるのも馬鹿らしく思えてくる。 そのために、後で泣くことになる。 ああじゃない、こうじゃないと考えたあげく、結局つじつま合わせの、字数を揃えただけのご体裁日記になり果てるわけである。 今日もそんな日記である。
『Q: どこに住んでるんですか? A: 北九州市です。 Q: ああ、大分県ですね。 A: ‥‥。違います。福岡県です。 Q: あっ、知ってる。博多市のあるところですね。 A: ‥‥。博多市なんてありません。 Q: えっ、博多市って福岡市の横にあるんじゃないんですか? A: いいえ、ありません。福岡市の中に博多区ならありますけど。
Q: おいくつですか? A: 40代後半です。 Q: 40代後半…?って、何でちゃんと歳を言わないんですか?大人はすぐに歳を隠すんだから。 A: だって毎年書き直すのが、面倒じゃないですか。 Q: じゃあ、何年生まれなんですか? A: 昭和32年です。 Q: 昭和32年かあ…。ということは、戦争行ったんですね。 A: ‥‥。行ってません! Q: だって、昭和に戦争があったって聞きましたよ。 A: ぼくが生まれた頃には、もう終わってました。
Q: しろげしんたというのは本名なんですか? A: いいえ違います。名は体を現すと言いますが、ぼくの場合、体は名を現すで、白毛一族のしんただからそう名付けたわけです。 Q: よくわかりません。 A: 頭が真っ白のしんたということです。 Q: じゃあ、しんたが本名ですか? A: 近いけど違います。 Q: なんというんですか? A: お答えできません。 Q: 白毛一族って何ですか? A: 白毛の一族です。 Q: どういう一族ですか? A: 読んで字のごとく、白髪頭の一族です。 Q: じゃあ、うちのお父さんもそうなんですか? A: ぼくは、あなたのお父さんのことは知りません。 Q: 最近白髪が増えたみたいで…。苦労してるんでしょうね。 A: そういう人は白毛一族ではありません。 Q: だって、白髪頭はそうだって言ったじゃないですか。 A: 苦労して白髪になった人を白毛一族とは呼びません。 Q: あなたは苦労しないで白髪になったんですか? A: はい。 Q: ‥‥? あなたいったい何者ですか? A: しろげしんたです。皆岡伸太とも言います。』
上は、あるところに書いたプロフィールである。 しろげしんたの名前のところは、この日記にも書いているし、編集してホームページにも掲載していたから、ご存じの方もいると思う。 前半の部分は新たに加えたものである。 これを読んで、「しんたのつまらんギャグ」と思われる方もいるだろうが、ここに書いているのは、実際にぼくが聞かれたことである。 例えば、一番最初の北九州市を「大分県でしょ」と言ったのは、ぼくが東京にいた頃に、朝日新聞を勧誘に来た男だった。 同じく東京にいた頃に、友人から「福岡市の横に博多市ってあるだろ?」と聞かれたことがある。 歳の部分は、高校生から聞かれたものだ。 なんだかねえ…。
とはいえ、そういったことを書かせてもらったから、いちおうお礼だけは言っておきます。 ありがとうございました。 でも、次はちゃんと勉強してきてね。
【久しぶりのドライブ】 来週の金曜日に、久しぶりのドライブを決行することにした。 昨年の11月以来の遠出になる。 ま、遠出といっても、行くのはお隣の山口県ではあるが。 メンバーは、ぼくと嫁ブーと母と伯母である。 昨年の夏に、山口県にある角島に行ってきたのだが、景色がよかったので、嫁ブーと「来年の夏は母と伯母を連れて行こう」と決めていた。 梅雨も明けたので、いよいよその時がやってきたわけである。
さて一昨日のことだった。 ぼくは母にそのことを言った。 「来週の金曜日に、おばちゃん連れて角島に行こう」 「角島?どこにあるんかねえ?」 「山口県。山陰のほう」 「きれいなところ?」 「うん、去年行ったけど、相当きれいやったよ」 「でも、私お金ないよ」 「お金なんかいらんやん。行って帰るだけなんやけ」 「ああ、そうやね。じゃあ、姉さんに聴いてみる」
母はさっそく伯母に電話を入れた。 「あ、姉さん。来週の金曜日に、しんたが山口に連れて行ってくれるそうよ…」 母の電話はしばらく続いた。 ようやく終わるかなと思った時だった。 「じゃあ、来週の金曜日ね。お金なんか気にせんでいいけ。しんたが、瓦そばをご馳走してくれるらしいよ」 「!!!」 ぼくは母の言葉に耳を疑った。 誰も瓦そばをご馳走するなんて言ってない。 このばあさん、いったい何を考えているんだ。
母が電話を切った後、ぼくは言った。 「誰も、瓦そばご馳走するなんか言うてないやろ」 「あんたさっき言うたやないね」 「言うてないっちゃ」 「いいや、言うた」 母は実にいい耳を持っている。
【おかしな会社】 4月だったか、会社から交通費の改正の通達が来た。 交通費をガソリン1リットルあたり104円の計算で支給する、というようなことが書かれていた。 これを見て、誰もが口々に言った。 「今時、どこにリッター104円で売っているスタンドがあるというんだ。これを決めた人に教えてもらいたいもんだ」 その通りである。 リッター104円というのは、昨年の価格である。 今は、いくら安いところを探しても120円近くはする。 それも、昨年よりも支給額が上がっていたのなら、さほど文句は出なかっただろうが、何とそれまでよりも下がっていたのだ。 ぼくの場合、昨年と比べると月に1000円近くも下がっていた。
さて、今日のこと。 またもや交通費の改正のお知らせが来た。 「年度初めでもないのに珍しいことだ」とそれを見てみると、1リットルあたり122円に改正する旨のことが書いてあった。 ようやく会社も、おかしいと気づいたようだ。 いや、3ヶ月間も、そういうことに気づかなかったと言ったほうが正しいだろう。 書類には言い訳がましく、改正前の価格は消費生活センターのデータを基準にした、と書いてあった。 自分がガソリンを入れる時に、おかしいと思わなかったのだろうか? おかしな会社である。
確かに何かやりたかったのだけど、 確かに嫌になっていたのだけど、 本音のところは 何も考えられなくなったからだ。 突然そうなったのではなく、 突然そう思ったのではなく、 十年と数ヶ月がその方向に歩かせたのだ。 人生がヤル気という人為を嫌ったのだ。 いろいろな事件があった。 いろいろな思考もあった。 だけどそれがいつだったかは忘れたし、 体系付けて思い出すことも出来ない。 今日はそんな日だ。 いつも一線上にない思考、 星のようにまばらな想い出、 まるで幼児期を思い出すように あいまいな過去を振り返ってみる。 自作詩『退職記念日』である。 ぼくは平成3年に前の会社を退職したのだが、この詩はその翌年に書いたものだ。 長年勤めた会社を退職するというのが、人生初めての経験だった。 そのことに向き合った詩であるがゆえに、思い入れは強い。
まあ、今日は詩の話をするわけではない。 詩の話ではなにのに、どうしてこの詩を取り上げたのかというと、そこに書いてある言葉が気になったからである。 その言葉というのは、
いろいろな事件があった。 いろいろな思考もあった。 だけどそれがいつだったかは忘れたし、 体系付けて思い出すことも出来ない。 という部分である。
何でその部分が気になたのかというと、昨日の日記を書いていて、ふと「例えば学生時代は、その学年その学年での想い出をしっかりと覚えているものだが、社会に出るとその『学年』というメリハリがないから、よほど大きな出来事でもない限り、それがいつだったか覚えていないことが多い」と思ったからである。 トンボ事件なんて、おそらく3年後には「そういえばそんなこともあった」くらいの記憶になっているだろうし、5年後には「あれはいつだったか?」に変わっているだろう。 10年も経てば、そういうことがあったことすら忘れているに違いない。 つまり、人間というのは実に忘れっぽい動物であり、またその記憶というのは実に曖昧だということである。 ということは、記録を取っておかないかぎり、死ぬ前には膨大な人生の中の、ほんの一握りの記憶しか残ってないことになる。
そういうふうに考えると、日記というのは大切なものだと言わざるを得ない。 「今日は大したことがなかったから書かない」「きついから今日は書くのをやめよう」では、死ぬ前に楽しめないのだから。 と、自分を戒めたところで、さっさと日記を書くことにしよう。
ぼくは息を殺して、そっと両手でトンボの羽をつまんだ。 つまんだ後にトンボは初めてぼくの存在に気づいたのか、ジタバタ抵抗した。 さすがオニヤンマである。 疲れているとはいえ、力だけは強い。 しかし、ここで手を離すわけにはいかない。 逃げでもしたら、せっかくここまで上ってきたことが無駄になってしまう。
ぼくはトンボの羽を傷つけないように、静かに両方の羽を重ね、左手に持ち替えた。 あとは降りるだけである。 ぼくはトンボが暴れないように気を遣いながら、静かに棚板の上を歩いた。 相変わらず棚板は「バリバリ」と音を立てている。 しかも棚は不安定だ。 ぼくは慎重に脚立に足をかけ、全体重を脚立の上に移していった。 そして全体重を移し終えた時だった。 脚立が「ガチッ」という変な音を立てた。 その瞬間、脚立の両脚が開いていって、そのままぼくは下に落ちてしまったのだ。
けっこう高い位置からの落下だったが、大事には至らなかった。 ぼくがかつて住んでいた家は2階建てだった。 そこにはわりと急な階段がついていた。 そのため、ぼくはよく足を踏み外して落ちていたものだ。 ある時なんかは、飛べるような気がして、自分から飛び降りたこともある。 もちろんすり傷や打ち傷は負う。 ところが、なぜか骨を折るなどといった大怪我はしたことがないのだ。 おそらく何度か落ちているうちに、自然にうまく落ちるコツというものを身につけたのだろう。 とはいえ、脚立に足が絡んでしまい、向こうずねをしたたか打ってしまった。
いったい何で落ちたんだろう。 そう思って脚立を調べてみると、留め金のところが変形してしまっていた。 そのため、引っかけている金具が完全にはまっていなかったのだ。 しかもぼくが落ちた衝撃で、脚立の引っかけ金具の先が潰れてしまい、脚立は使い物にならなくなってしまった。
ところで、トンボはどうなったのか。 落ちる時に思わず手を離して逃げられたのだろうか? 落ちた時に潰れたのだろうか? ご安心あれ。 脚立から落ちている最中も、トンボのことは気にかけていた。 そのため手を離すことはなかったし、なるべくぼくの体から離れたところにトンボを持つ手を置いていた。 そのため、無事だった。
さて、脚立を調べた後で、ぼくはトンボを外に持って行き、店の前に生えている樹木の葉っぱの上にそっと置いた。 トンボは疲れていたのか、しばらくそこで休んでいたが、急に思い立ったように空に向かって飛んでいった。 ぼくはそれを見ながら、「怪我までして助けてやったんだから、あとで大判小判を持ってこいよ」と心の中でつぶやいていた。
一週間ほど前のこと、倉庫で作業していると、倉庫の上にある排煙窓のほうから「ガサガサ、ガサガサ」という音がした。 何だろうと見上げてみると、そこには大きなトンボがいた。 オニヤンマである。 倉庫に迷い込んできたのだ。
うちの店の倉庫は、普段開きっぱなしになっているので、よく昆虫が迷い込んでくる。 一番多いのが蝶や蛾で、次に多いのがトンボである。 彼らが倉庫で飛んでいる姿はあまり見かけないのだが、倉庫の2階なんかに行くとけっこう死骸が転がっている。 カブトムシが入ってくることもある。 作業中に足下で「プチ」という音がしたので、何だろうと見てみると、そこで雌のカブトムシがひっくり返ってもがいていた。
さて、冒頭のオニヤンマだが、窓で何をやっていたのかというと、窓から外に出ようとしていたのだ。 しかし窓は閉まっているから出られない。 だけどトンボは諦めない。 何度も何度も窓から出ようとして、窓にぶち当たっていく。 来た道を戻って行けば難なく出られるものを、わざわざ閉まっている窓に体当たりしなくてもよさそうなものである。 が、そこが昆虫の浅はかさである。 倉庫の2階で見た昆虫たちの死骸も、こうやって窓に体当たりしながら体力を消耗して死んでいったのだろう。
それを思うと忍びない。 そこでぼくは、そのトンボを逃がしてやろうと思った。 とはいえ、トンボのいる排煙窓は、ほとんど天上近くに位置している。 そこにある棚を上らなければ、そこには到達しないのだ。 ぼくはどうしようかと思った。 と、そこにタイミングよく脚立があった。 ちょっと低い脚立だったが、これで棚の中段までは上れる。 あとは、棚をよじ上ればいいのだ。
さっそくぼくは、脚立を利用して、棚の上に上った。 棚はスチール製だったが、荷物を積んでないせいか不安定である。 ぼくが棚の上に立ちあがると、棚はグラグラしていた。 しかも棚板が弱いせいで、歩くとバリバリという音がする。 早くトンボを捕まえて棚から降りないと危ない。 そう思いながら、トンボに近づいてみると、トンボはかなり体力を使ったみたいでフラフラしており、ぼくが近づいても逃げようとしない。
トンボには申し訳ないが、これはぼくにとってはラッキーである。 そのために逃げらる心配がないからだ。 もし元気だったら、逃げられてしまう。 ぼくはけっこうムキになる性格だから、もし捕まらないと、しつこくトンボを追い回すだろう。 そうなると死活問題である。 不安定な棚ゆえに、上で暴れたりなんかすると倒れるかもしれないのだ。
| 2005年07月17日(日) |
土曜日が休みというのも考えものである |
昨日土曜日は、珍しく休みだった。 こう書くと、「何を言ってるんだ。土曜日が休みなんて当たり前じゃないか」と思う人もいるかもしれない。 しかし、ぼくたち販売業に携わる者が、土曜や日曜に休むということは珍しいことなのだ。 今の会社ではそんなことないが、前にいた会社などは、土日に休む時は必ず店長の決裁を仰いでいたものだ。 しかし、前もって「休みたいんですが…」と言っても、なかなかOKしてくれなかった。
前の会社に在職中、友人の結婚披露宴に招かれたことがある。 式は土曜日に行われることになっていた。 そこでぼくは、店長に決裁を仰ぎに行った。 「来月の○日に、友人の結婚式があるんで休みたいんですが」 「来月の○日というと、土曜日やないか」 「そうですけど」 「そうですけどじゃないやろ。土曜日に休めるとでも思っとるんか」 「難しいとは思います。だからこうやって打診に来たんですが」 「だめだめ。土曜に休ませることは出来ん」 「じゃあ、どうしたらいいんですか?」 「どうしても行かないけんのか?」 「はい」 「そうか。で、披露宴は何時からか?」 「午後2時からですけど」 「場所は?」 「八幡西区です」 「八幡西区か…。ここからだと1時間か」 「…はい」 「ということは、1時までは仕事できるということやないか」 「えっ…」 「で、何時までか?」 「4時までです…」 「じゃあ、5時までには戻ってこれるのう」 「…はあ」 「よし、5時に戻ってこい。あんまり飲み過ぎるなよ」 ということで、その日は1時まで仕事をさせられ、披露宴終了後に、また仕事に戻ったのだった。 そのため、満足に酒も飲めなかった。
万事がこんなふうだったから、誰もが土曜日曜は親が死んだ時ぐらいしか休めないものと思って、諦めていたものだった。 まあ、今の会社はそれほど厳しくないので、他の男子社員と重なりさえしなければ、決裁を仰がずとも休むことが出来る。 しかし、ぼくは前の会社で散々やられているせいで、どうも土日に休むことを躊躇してしまう。 では、なぜ昨日休んだのかというと、元々その前日金曜日が休みだったのだが、パートさんが用があるということで、替わってやったのだ。
しかし、土曜日の休みというのは、平日にしか休んだことのないぼくにとって、いろいろ不都合なことが多い。 まず、家に嫁ブーがいない。 嫁ブーとぼくは前の会社で知り合って結婚、つまり職場結婚だったわけだが、嫁ブーはいまだにその会社に残っている。 ということで、土日が休めないのだ。 もちろん、昨日も休みではなかった。 そのため「おい」と呼ぶ相手がいない。 いや、これは嫁ブーがいないから寂しいという意味ではない。 家のことはすべて嫁ブーまかせにしているので、勝手がわからないということだ。 腹が減ったので昼飯を食べようと思っても、「おい、飯」という相手がいない。 つまり作る人がいないということだ。 自分で作って作れないこともないのだが、何か面倒である。 結局、昨日は家にあったお菓子を食べて、空腹を満たしたのだった。
不都合は他にもある。 普段は平日が休みなので、どこに行っても人はあまりいない。 そのため、駐車場もスムーズに駐めることが出来る。 ところが、それが土曜日曜になると一変するのだ。 どこに行っても人は多いし、駐車場も何十分待ちというのはざらである。 ということで、どこに行く気もせず、嫁ブーの送り迎え時以外はずっと家にこもっていた。 おかげで今日は体がだるかった。 土曜日が休みというのも考えものである。 今度休みを替わる時は、平日に振ることにしよう。
最後の歯の治療は、5月26日の記事にあるように、左下の親知らずだった。 元々冠をかぶせていたところだったのだが、冠が若干浮いていたので、そのことを先生に言うと、「今ついているやつを外して、新しい冠をかぶせましょう」ということになり、ついている冠を外してみると、見事に虫に食われていた。 そこで、。1ヶ月以上かけて、その歯を治療したわけだ。
治療でその歯はどんどん削られていき、その高さは歯茎と平行にななってしまった。 そのため、その歯でものを噛むと、歯茎で噛んでいるような気がしたものだった。 それがどうも気持ち悪いので、極力そちらの歯で噛まないようにしていた。
さて、その歯の治療は、新しい冠をかぶせることで終わったのだが、その冠を初めてかぶせた時のことだった。 先生が「軽く噛んでみてください」と言った。 言われるまま軽く噛んでみると、何となく痛い。 先生は「高いですか?」と聞く。 痛みが歯の高さのせいで起こると思ったぼくは、「ちょっと高いですね」と言った。 「そうですか」 そう言って、先生は冠を外し調整した。 そして数分後、調整した冠を再びかぶせ、「軽く噛んでみてください」と言った。 しかし、痛い。 「高さはどうですか?」と先生が聞くので、ぼくは「高さはいいみたいなんですけど、ちょっと痛いです」と言った。 「痛いですか?」 「はい」 「どうした時痛いですか?」 「噛んだ時です」 「ああ。それは1ヶ月以上、その歯を使ってなかったからですよ」 「そうなんですか?」 「ええ。使ってないと、どうしても歯が浮いてくるんですよ。それを上の歯で押さえたものだから、痛みが走る」 「はあ。で、痛みは治まりますかねえ?」 「大丈夫です。使っているうちに浮いた歯は元に戻りますから」
治療が終わったあとも痛みは続いた。 だが、先生の言ったように使っていくしか痛みを治す方法がないのなら、どんどん使って早く元に戻さなければならない。 そこで、何度も何度も力を入れて噛みこんでいった。 その反動からか、翌日は治療中より痛くなっていた。 が、それは歯茎が疲れたせいだろう。 その日の午後には痛みは治まっていた。 とはいえ、治療中に感じた痛みはまだ残っていた
それ以降、徐々に痛みは減っていったものの、今日現在まだ少しの痛みが残っている。 冠をかぶせて一週間経つのだが、あまりに治りが遅いので、最初はちゃんと治療が出来てないのかと疑っていた。 が、よくよく考えてみると、その歯を使ってなかった期間というのは1ヶ月ではなかったのだ。 その上にある親知らずが割れて神経が飛び出してから使ってなかったのである。 ということは、20年以上になる。 きっと、かなり浮いていたのだろう。
先日、あるパートさんから、ハンディクリーナーの充電池の注文を受けた。 今日それが入荷したので、さっそくそのパートさんに、「この間の充電池入ったぞ」と伝えた。 「うん、わかった。帰りに買って帰る」 「よろしく」 「ところで…」 「えっ?」 「古い充電池はどうしたらいいんかねえ」 「ああ、古い充電池ね。物によっては捨てられんのもあるけ、取り替えたらこちらに持ってきて」 「わかった。そうする」 「あっ、ちょっと待って」 「えっ?」
その時ぼくは、急にある実験をしたくなった。 前々からやってみたいと思っていたことである。 どんな実験かというと、貴乃花の実験である。 どういうことかというと、花田勝氏が貴乃花に言ったという、例の「法廷で会おうぜ」発言である。 あれだけ聞くと、遺産相続の件で話が付かず、花田氏が法廷に持ち込んで決着を付けようとしているように思える。 が、実際はただの兄弟喧嘩での、売り言葉に買い言葉的な発言だったようだ。 人間というのは、人の言葉尻だけをとって、それを自分の興味ある方向や、自分の都合のいい方向に繋げたがる生き物である。 つまり、前後の話を知らないマスコミや視聴者が、勝手に面白い方向に解釈しただけの話だということだ。
さて、ぼくはそれを応用して、そのパートさんを試してみた。 「その充電池、店長にやったらいいよ」 「えっ、店長に?」 「うん」 「何で、店長にやると?」 「喜ぶんよ」 「えっ、何で喜ぶと?」 「あの人、古い電池とかが好きやけ」 「何で古い電池とかが好きなん?」 「知らんよ。世の中いろんな人がおるけの」 「‥‥」 実験成功である。 そのパートさんは、店長を電池フェチとでも思ったのだろう。 何とも言えない変な顔をしていた。
実際は、古い電池を集めると、それを買ってくれる業者があるらしく、わずかだがお金になるということだ。 つまり、ベルマークのようなものである。 ある学校が教材購入のために、その古い電池集めを実践しているのだそうで、店長はそれに協力しているだけの話だ。
さて、このままでは、パートさんは店長のことを変態と思うかもしれないので、ちゃんと説明した。 「ああ、なんね。そんなことね。私てっきり、あの店長のことやけ、電池の中に入っている何かを集めて、変なことに利用しよるんかと思った」 『変なこと』とは何だろう? いったい彼女は何を想像していたのだろう。 今、無性にそれを知りたい。
| 2005年07月14日(木) |
あれはどうなったのか? |
『歯医者』 先月の日記に、歯の治療が9ヶ月目に突入することを書いた。 その後どうなったかというと、まだ通っている。 が、一昨日行った時に、先生から「今日で虫歯の治療はすべて終わりました」と言われた。 ということで、いよいよ終わったかと思っていたら、どうもそうではないらしい。 あと数回行かなくてはならないそうなのだ。
行って何をするのかというと、歯のメンテをやるのだいうことだ。 先日、ぼくと同じ歯医者に通っていた母の治療が終わったのだが、その母が「最後のメンテが一番きつかった」と言っていた。 何でも、歯石を取り除いた後で、歯石をつきにくくする薬を塗るのだというのだ。 「その薬がねえ、刺激が強くて舌に刺さるんよ。それでわたしは吐き気がしたけねえ」ということだった。 それが、一日ならまだしも、上の歯と下の歯を別の日にやるというのだ。 ということは、二度も舌に刺さって、吐き気がしたということか。 これは嫌である。 しかし、その治療を受けないことには歯医者通いは終わらない。 次は来週の火曜日だが、その次は日を置いて行くことにするか。
『フォークリフト』 先月から今月にかけ、何回かに渡ってフォークリフトの講習や試験のことを書いた。 その中で、試験の合否の発表は15日頃になると書いたが、明日はその15日である。 ということで、明日が発表なのかというと、そうではない。 実は、もう発表はあったのだ。 いつあったかというと、一昨日である。 その日ぼくは休みだったので、結果を聞いたのは昨日だった。 店長がぼくを呼んで、「おめでとうございました」と言った。 「えっ?」 最初ぼくは何のことかわからなかった。 そこで「何ですか?」と聞くと、店長は「フォークリフトのこと。しんちゃん合格したんよ」と言う。 それを聞いて、店長はぼくが喜ぶとでも思ったのだろうが、ぼくはさしてうれしくもなかったので、「ああ、そうですか」と素っ気ない返事をしておいた。
その後、免許証なるものをいただいたのだが、そこには「免許証」という文字はどこにも書いてなかった。 何と書いてあったかというと、『労働安全法による技能講習修了証』である。 これを見て愕然とした。 なぜ愕然としたのかというと、この『労働安全法による技能講習修了証』という言葉だけで捉えると、フォークリフトというのは、講習を受けさえすれば、誰でももらえる資格ということになるからだ。
しかも、その修了証は歯医者の診察券のような紙で作ってあり、それをただラミネートしているだけなのだ。 そこに名前や住所、生年月日が記載されているのだが、何とそれは手書きである。 その横に、ぼくの店に設置してあるスピード写真で撮った写真が、貼り付けてある。 その写真は、ぼくがハサミで規定の大きさに切ったもので、切り口にムラがあるのだ。 まったく重みがないではないか。 こんなこんなお手軽な紙切れ一枚もらうために、1ヶ月間頑張ったのかと思うと、何か情けなくなってくる。
『岡村』 昨日、岡村から車を買った人に電話して、岡村の近況を聞いてみた。 「ああ、岡村のことね。今もまだディーラーにおるよ。バリバリ車を売りよるらしいよ」 ということだった。 その店の名前も、場所も聞いたから、今度行ってみようと思っている。 が、車を買いに来たと勘違いされたら困る。 もし車を勧められるようなことがあったら、無視しておくことにしよう。
ぼくは昔から、居眠りから本格的な眠りにつくのは得意だが、「さあ寝よう」と構えて布団に入るとなかなか眠らないタイプの人間である。 なぜそうなるのかというと、布団に入ると急に寝るのが惜しくなって、考えごとをして遊びだすからだ。
その『考えごと遊び』の癖は、高校時代から始まっている。 哲学書や思想書を読んで、いろいろと馬鹿なことを考えるようになったためである。 それ以来、寝不足に悩まされようになった。 19歳の頃、何ヶ月かの間家に引きこもっていた時期があるのだが、その時でさえ寝不足で悩んでいた。
ホームページ開設の準備をしていた頃のことだが、その頃はいつも寝るのが午前3時をすぎていた。 それから考えごとをして遊んでいたものだから、極度の寝不足状態に陥ってしまった。 とにかくパソコンをいじっている時以外は、いつも居眠りしているのだ。 そのせいで、危うく命を落としかけたこともあった。
ある日のこと、車を運転している時に、ふと意識が消えてしまった。 気がついた時、車は中央分離帯に向かって走っており、もうその縁石が目の迫っていた。 あわててハンドルを切ったので事なきを得たが、出していたスピードを考えると、もし気がつくのが0.1秒遅かったら、車ごと対向車線に投げ出されて、ぼくは死んでいただろう。 そういうことが一度や二度ではなかった。
ホームページを開設してしばらくしてから、ようやく落ち着いた生活が戻ってきた。 おかげで極度の寝不足状態からは抜け出せた。 が、考えごと遊びの癖がなかなか抜けないために、寝不足の解消にはいたらなかった。
昨年夏のことだった。 ぼくはそれまでやっていた日記と並行して、ブログを始めることにした。 ブログというのはいろいろと楽しめる機能がついている。 それで遊んでいくうちに、時間を忘れてしまい、夜更かしするようになった。 さらにそのあと『考えごと遊び』である。 それがずっと続いている。 そのせいで、またしてもパソコンをいじっている時以外はいつも居眠りしている、という極度の寝不足状態に陥ったのだ。 例えば、仕事中、立ったままで居眠りする。 例えば、人と話している時、突然意識が飛んでしまって、満足に受け答えできない。 例えば、タバコを吸っている時に意識が飛んでしまい、指をやけどしてようやく目を覚ます。 この1年、そんなことばかりやっている。 しかも、極度の寝不足状態は過去に1度経験しているので、今回はあまり深刻には捉えていない。 これが問題でなのある。 今のうちに何とかしなければ、この先どんなことになるかわからない。 寝不足で死ぬなんて洒落にならない。
今日はえらくアクセスが多かった。 どういうわけかと調べてみると、その理由がここにあった。 そこを開いてもらったらわかるだろうが、昔タモリの付き人をしていた岡村が今どうしているかというのだ。 その質問に対し、誰かがぼくの日記にリンクを張ったというわけだ。
そうだった。 忘れていたが、以前日記に岡村のことを書いていたんだった。 あれは、ぼくが前の会社にいた時のことだった。 彼はN社のアルバイトで、うちの店に派遣されていたのだ。 彼の派遣先は1階で、主に冷蔵庫や洗濯機などを売っていた。 その当時、ぼくは2階の楽器部門にいた。 1階と2階では売る物が違っていたため、あまり行き来というのはなかった。 彼の場合社員ではなかったので、普通なら名前を知っている程度の関係だっただろう。 それなのに、どうして仲良くなったのかというと、それは同じくアルバイトをやっていたHのおかげである。
その当時、楽器売場の隣にはテレビ売場があった。 Hはそこに配属になっていた。 彼は楽器好きで、暇になるとぼくの売場に来ていた。 ぼくも暇だったので、よく彼とピアノを弾いて遊んでいたものだった。 そのおかげで、ぼくは簡単な弾き語り程度のピアノなら弾けるようになった。
そのHが岡村と仲がよかったのだ。 その関係で、ぼくも岡村と話をするようになった。 最初は話をするだけの仲だったのだが、そのうち休みの日などに、いっしょに遊びに行ったりするようになった。 そういえばその頃、会社帰りに、ぼくの行きつけの喫茶店に岡村他何人かを連れて行ったことがある。 その喫茶店に、ぼくの知り合いのヨシエさんという方が働いていた。 ぼくより2つ年上で、実にかわいい顔をしていた。 彼らはヨシエさんを見るなり、気に入ってしまい、そのうち単独でその喫茶店に出入りするようになった。 確か岡村も、その一人だったと思う。
まあ、そんな思い出話はさておき、タモリの付き人をやめたあと、岡村がどうなったかというと、以前の記事にも書いているが、彼はこちらに戻り、地元のホテルに就職し、そこで自分の結婚式を挙げたという。 と、ここまでが4年前の情報である。 で、今はどうしているかというと、残念ながらぼくは知らない。 ただ風の噂で、結婚した後にホテルを辞め、車のセールスをしているということを聞いた。 ぼくの知り合いに岡村から車を買った人がいるから、今度その人に会った時に、岡村のその後を聞いてみることにしよう。
進化人、進歩的文化人の略ではない。 猿の時代から延々と進化し続けている人たちのことを言う。 と聞いて、「えっ、我々人類は猿の時代からずっと進化し続けているじゃないか」と思う方もいらっしゃるだろう。 まあ、ぼくの話を聞いてほしい。 現代の人類には二通りの種類がある。 一つは停滞人で、もう一つが進化人である。
猿と人間の一番大きな違いは何だろうか? まず、知能の発達の違いが挙げられる。 猿がどう頑張っても、人間の幼児くらいの知能止まりだろう。 他には、基本的に人間は二足歩行動物である。 猿もそうやって歩くこともあるが、基本的には前足に頼っているから、二足歩行動物だとは言わない。 しかし、そういうことは決定的な違いではない。
では、猿と人間、どこが決定的に違っているのか? それは体毛の差である。 猿は、体全体が体毛で覆われている。 それが充分に機能しているから、猿は衣服を着る必要がない。 一方の人間はというと、その名残はあるものの、そのほとんどが退化してしまっている。 それがほとんど機能していないから、人間は服を着る必要があるし、残った体毛を『むだ毛』として剃ったりしている。
とはいえ、人間とて元は猿だったのだから、体全体が体毛で覆われていた時代があったはずだ。 それがある時期から、体毛が退化していき、猿と人間の区別がつくようになった。 つまり、体毛の退化が、即ち人間の進化となったのだ。
さて、では進化人とは何か? それは、最初に言ったとおりで、今でも進化し続けている人たちである。 もう、おわかりだと思う。 ということで、これ以上は言いません。
進化人は何かというと、すぐに停滞人の目を気にするが、そういうことは気にしなくてもいい。 あなた方は選ばれた方たちなのだから、もっと誇りを持って堂々と生きていけばいいのだ。 精力絶倫と言われるのも、進化し続けているからである。 おそらく、未来はあなた方の子孫で埋め尽くされることだろう。
そういえば、江戸時代の独特のスタイルは、進化人への気配りから生まれたという話を聞いたことがある。 しかし、それをぼくは気配りだとは思わない。 それは進化人への憧れだったと思っている。 そう、進化人にあやかりたかったのだ。 そう考えると、江戸時代というのは、未来志向の強い時代、いや未来を体現した時代だったと言える。
ということだから、進化人の方たち、停滞人回帰なんかしなくていい。 未来の姿で堂々と生きていってほしい。 そして、進化し続けていってください。 我々停滞人の歴史は、もうすぐ終わるでしょうから。
| 2005年07月10日(日) |
スランプ日記『妖怪イジデカク』 |
このところ日記がスムーズに書けなくて困っている。 昨日の日記もそのために遅くなってしまい、出来上がったのは今日の朝9時だった。 それから急いでサーバーに上げ、あわてて会社に行ったのだった。 会社に行く途中、「こんなことを、あと2年と4ヶ月も続けないとならないのか」と思うと、気が重くなった。 この日記を古くから読み続けている方はご存じだと思うが、なぜあと2年と4ヶ月続けなければならないのかというと、それだけ経つと、ぼくは50歳になるからだ。
このサイトは、『頑張る40代!』というタイトルで始めたホームページだが、ある時、ある人から「何を頑張るんか?」と聞かれたことがある。 そこで、ぼくは「毎日日記を付けることだ」と答えた。 ということで、毎日日記を付けなければならなくなった。 そのために、これまで日記更新が遅れたことはあるが、2001年1月16日から今日までずっと、日付のつじつまだけは合わせている。 別に、『ある人』に毎日やると言ったものの、約束したわけではないのだから、休みたいと思った時は休んでもかまわないのだが、もし休んだりすると、毎日付けると言った手前、自分の気持ちが許さないのだ。 つまり、この日記は、意地で書いている日記なのである。
しかし、上記に書いたようなことは、前にも何回か書いたなあ。 こういうことを書く時というのは、だいたいスランプに陥った時が多い。 それは日記に限ったことではなく、仕事上でも、私生活でもスランプなのだ。 その原因はと言うと、そうは思いたくはないが、日記を付けるせいである。
いや、日記を書くことが原因なのではない。 日記を付けていると、どうしても寝不足になってしまう。 それが原因なのだ。 その寝不足が積もり積もった時に、スランプに陥るのだ。 いっそのこと日記をやめてしまおうかと思ったことも何度かある。 が、4年半も意地を張り通してきたため、意地のほうが一人歩きしてしまい、もうぼくの意思ではそれを押さえることが出来なくなっているのだ。 言い換えれば『イジデカク』という名の妖怪が、ぼくの中で発生し、そのまま寄生しているということだ。
その妖怪イジデカクが、ぼくに日記を書かせようと必死に睡眠を妨げる。 それがために病気になったり、スランプに陥ったりしても知らん顔で、いつもと同じように、ぼくに日記を書かせようとする。 もし日記を書かないで布団に入ったりすると、妖術をかけ金縛り状態にしたり、嫁ブーのいびきの音をさらに増幅させて、ぼくを眠らせまいとする。 そういう妖術に打ち勝って眠った時には、布団をはがして寝冷えさせたり、したくもないトイレに起こしたりするのだ。 そう、妖怪イジデカクというのは、実にたちの悪い妖怪なのである。 こうなったら、妖怪ポストに手紙を入れて鬼太郎を呼び、退治してもらうしかない。
昨日、プロ野球オールスター戦のファン投票選手が発表された。 地元ホークスからは、4選手が選ばれた。 松中、城島、ズレータはその打力が買われての投票になったのだろう。 もう一人は川��である。 もちろん実力のある選手ではあるが、今シーズンはここまで、今ひとつ成績が伸びてこない。 ということで、今年のファン投票は、顔で選ばれたのだと思う。 何にしても、ひいきのチームの選手が一人でも多くファン投票で選ばれることは、喜ばしいことである。
さて、そんなさ中、今日は監督推薦組が発表された。 ホークスからは、さらに3選手が出場することになったのだが、一つうれしいニュースがあった。 それは宮地選手が選ばれたことだ。 ホークスの中で、ぼくが今一番好きな選手は、松中でも城島でもズレータでもない。 宮地なのだ。
彼は2年前まで西武にいた。 大変いやらしい選手で、彼にはいつもいいところで打たれていた記憶がある。 敵ながらいい選手だと思っていたところ、西武から戦力外通知を受けたという情報が入ってきた。 これで、宮地からいじめられなくてすむと思った反面、彼はこれからどこに行くのだろうとも思っていた。
その後、彼はいくつかの球団のテストを受けたが、充分に実力を発揮したにもかかわらず、ひざの古傷が理由ですべて落ちた。 最後の望みをかけた合同トライアウトでも、いいプレーをしていたが、しばらくの間、どこの球団からも声がかからなかった。 トライアウトから10日目、諦めかけていたところに電話が入った。 ホークスからだった。 村松がFAでオリックスに行くことになったため、外野が手薄になる。 そこで宮地に白羽の矢が立ったわけである。 秋季キャンプでテストを受け、晴れてホークス入団となったわけである。
その宮地、昨シーズンは準レギュラー的な使われ方をしていた。 あれはいつの試合だったか、ホークス移籍後、初ホームランを打った時のことだった。 それまで宮地はカメラ付きの携帯電話を持ってなかった。 買えなかったのだという。 しかし、そのホームランを打って、ホークスでやっていけるという自信を得たのだろう。 「ようやくカメラ付きの携帯を買うことが出来ます」と言っていた。
その自信が確信に変わったのか、今年は完全にレギュラーポジションをとった。 打率も3割以上をマークし、パリーグ10傑に名を連ねている。 さらにチャンスに強く、今やホークス下位打線の顔となっているのだ。 その活躍を認めてか、野球解説者などから「宮地をオールスター戦に出してほしい」という声が聞こえるようになった。 それを受けてかどうかは知らないが、かつての同僚、西武の伊東監督が宮地の名前を挙げた。 今日そのニュースを見た時、ぼくは飛び上がるほどうれしかった。
さて、これでホークスからは、合計7人の選手が出場することになったわけだ。 今年のパリーグの監督である西武伊東監督は、早くも「4番松中、5番城島、6番ズレータで行く」と言っていた。 今年3度目の3連続ホームランを、球宴で見せて欲しいものである。 が、それ以上にぼくは、宮地の活躍が見てみたい。 どんな使われ方をするかはわからないが、精一杯頑張ってもらいたいものである。
ぼくは鼻の中にできものなどが出来たり、鼻炎であったりすることが多い。 歯医者の治療中も、よく鼻水がのどに落ちてきて困っている。 そう、ぼくの鼻は健康ではないのだ。 ところがである。 鼻は健康でないくせに、人一倍『におい』に敏感なのである。
例えば、香水をつけた女性が横を通ったとしよう。 においに敏感であるから、当然その『におい』は必要以上にぼくを責めつける。 ひどい時は頭が痛くなることもある。 それだけならいい。 香水の『におい』の中に、かすかにトイレの臭いを忍ばせてくる人もいる。 本人は香水をつけているから大丈夫だと思っているかもしれないが、ぼくの鼻はごまかせない。
そういえば、かつてぼくを動物に喩えると「オオカミだ」と言った人がいるが、嗅覚の鋭さでいえば、それは当たっているだろう。 まあ、その人は一匹狼的な意味で、そう喩えたのだと思うが。
さて、今日、その『におい』で困ったことがあった。 洗濯物はいつも乾燥機にかけ、そのあとで外に干している。 その後十分に乾いたのを確認して、衣装ケースに入れる。 ところが、ここ最近の雨で外に干せない。 そこで、室内に干していた。 どうもそれがいけなかったようだ。
今日着たTシャツに、かすかではあるが重苦しいにおいがついていたのだ。 最初は洗剤のにおいかと思った。 だけど、何か違う。 そこで嫁ブーに、「おい、これ臭うてみ」と言って臭わせてみた。 「何も臭わんよ」 「おまえ、この臭いがわからんのか?」 「洗剤のにおいやろ」 ああそうだった、嫁ブーは、動物に喩えると鳥だったのだ。 だからこの微妙な臭いがわからない。
そこで他のTシャツに着替えようと思って探してみたが、どのTシャツも同じ日に洗濯したものなのである。 ということは、きっと同じ臭いがするだろう。 そう思ったぼくは、しかたなくそのTシャツを着ていくことにした。 そこには、「風を通せば、ほどなく消えるだろう」という楽観的な思いもあった。 ということで、通勤中の車の中では、エアコンを全開し、Tシャツめがけて送風していた。 おかげで、会社に着く頃には、その臭いもなくなったようだ。 臭いが消えたことで、ぼくは臭いのことを忘れた。
ところが、仕事が始まってしばらくすると、制服の隙間から、時折朝方の臭いが漏れてくるようになった。 「えっ?さっき臭いは消えたのに、どうしてまた‥‥」 しばらく考えて、はたと気づいた。 会社ではTシャツの上から制服を着る。 そのため、風通しが悪くなる。 そうなると汗をかく。 汗が再び臭いを呼ぶ。 そう、臭いが消えたことに安心して、こんな簡単なことを忘れていたのだ。
ただでさえ嗅覚の鋭いぼくである。 一度臭うともうだめで、だんだんこの臭いに耐えられなくなってきた。 そこで、ぼくは店で売っているTシャツを買い、それに着替えることにした。
その臭いがどんなものだったのかというと、納豆の臭いである。 つまり、ぼくが出がけに感じたかすかな臭いの正体は、実は納豆菌だったというわけだ。
明日はぼくも嫁ブーも休みである。 ということで、洗濯をやり直そうと思っている。
6月にはほとんど降らなかった雨が、7月に入って一気に降りまくっている。 1日から昨日まで晴れることなく、ずっと大雨が続いていた。 今日は梅雨の中休みなのか、昼からは青空が広がっていたが、この天気も長くは続かないらしい。
ここ数年、梅雨といえば6月よりも7月のほうが定番になっているようだ。 昨年も一昨年も、6月にはあまり雨が降らず、7月に入って何度か集中豪雨に見舞われた覚えがある。 何でこうなるのかというと、6月の空梅雨は異常気象のせいで、7月上旬の大雨は雨乞いのせいだと、ぼくは思っている。
6月中旬に、「今年は雨が降らん。このままだと干上がってしまう」と思い、人々は雨乞いの儀式を始める。 しかし、雨を司る神様はすぐには聞き入れてくれない。 というより、人々の声が神様に届くまで、時間を要するのだ。 なぜかというと、最初の頃はあくまでも儀式であって、真剣みに欠ける。 だから、人々の声が神様には届かないのだ。
神様に声が届くのは、水不足がいよいよ深刻な事態になった時である。 その頃には人々の祈りは真剣そのものになっている。 それからやっと神様は腰を上げるのだ。 その期間が2週間くらいである。 なぜ大雨になるのかというと、最初に雨乞いをやるのは農民などの一部の人たちしかいない。 ところが、水不足が深刻な事態になる頃には、多くの人が雨乞いを始める。 神様は、一人一人の願いを聞いてやるから、その分雨量が増えるのだ。
そのせいで土砂崩れなどの被害も起きてくる。 先日、お隣の八幡東区でガケ崩れが起きた。 テレビでは、被害にあった軽自動車の悲惨な姿が映し出されていた。 今年は地震があったため、きっと地層の状態が変わってしまっていたのだろう。 そこに一気に雨が降ったものだから、そういう結果になってしまったのだ。 思うに、人々が雨乞いさえしなければ、こんなことにはならなかっただろう。
天上で神様は、きっとこう言っているはずだ。 「何、被害に遭っただと?わしはおまえたちの願いを聞いてやったんだから、多少のことは目を瞑ってもらわんとなあ。しかし、都合のいい時だけ、わしに頼るからそうなるのだ。そうならないためにも、普段から信心を絶やさないようにせよ」
『ヒロミちゃんがやってきた』をようやく書き終えた。 もっと短くするつもりだったのだが、いろんなことがありすぎて、結局1週間を費やしてしまった。 そのヒロミがうちに来たのは先月の23日(木)の夜だった。 ぼくたちが翌24日が休みだったため、その日を選んだのだ。 その24日から数えて11日が経つ。 実はその間、ぼくには休みがなかった。 いや、休みは二度あったのだが、その二度ともフォークリフトの講習や試験で潰れてしまったのだ。
ということで、今日は11日ぶりの休みになった。 今日は歯医者が午後からだったので、遅くまで寝ようと思っていたが、習慣とは恐ろしいもので、ちゃんと7時半に目が覚めるのだ。 で、いつものようにテレビをつけてトイレに行き、そのあと体が勝手にパソコンに向かう。 キーボードを打ち込み、いつものように寝ぼけ眼でパソコンが開くのを待っていた。 そして、パソコンが開いた時に、ようやく今日が休みであることを思い出した。 「あ、そうか、今日は休みやった」 しかし、せっかく開いたパソコンをすぐに閉じるのはもったいない。 と、しばらくメールなどをチェックしていたが、30分ほどして睡魔が襲ってきた。 そこで、また寝ようと、寝室に戻ろうとしたところ、何とテレビでは花田家をやっているではないか。 ぼくは、このうさんくさい家庭内の泥仕合に、前々から関心を持っている。 そこで、しばらく寝るのをやめて、テレビを見ていた。
その若貴問題だが、ぼくは週刊誌やワイドショー以外の情報しか持ち合わせていないので、どちらが正しいのかはわからない。 ただ法要で見せた貴の態度と、付き添っていた貴嫁の顔のきつさのせいで、どちらかというと若のほうが真っ当に見えた。 そして昨日の一件で、若の方に軍配が上がりそうな気配だ。
もし弁護士の提示したFAXに書いていることが本当だとしたら、弟はマスコミに踊らされただけのピエロだったということになる。 以前親族の誰かが「貴は赤ん坊だから」と言っていたが、それが証明された形になったわけだ。 つまり、貴は自分の妄想したストーリーに怒り、ストーリーについて文句を言っていたということだ。 テレビではネタ切れを心配してか、「今後どういう展開になるんでしょうね」などと言っていたが、行き着くところまで行き着いたのだから、もうこれ以上どうもならないだろう。
しかし興味は尽きない。 『とくダネ!』を見たあと、『きょう発プラス!』、『ワイド!スクランブル』、『ザ・ワイド』とたて続けに見てしまった。 おかげで、歯医者に行くまで一睡もすることが出来なかった。 歯医者から帰ってからも、ネットでずっと若貴の話題を追っていた。 そういうわけで、今日も寝不足の解消が出来なかったのだった。
| 2005年07月04日(月) |
ヒロミちゃんがやってきた(その7) |
電話が終わった後ヒロミは、「今の電話、Mリンからなんやけど…」と言って説明をしだした。 Mリンとはヒロミの娘である。 その時、Mリンは彼氏とマクドナルドにいたらしい。 彼氏が何か買おうとしたところ、あいにく万札しか持ってなかった。 そこで、Mリンが「これで払い」と言って、千円札を渡した。 それを受け取った彼氏は、そのお金で支払いを済ませた。 お釣りがあったのだが、彼氏はそれを店員から受けとった後、無意識に自分のポケットに入れてしまったというのだ。 当然お釣りは自分の元に返ってくるものと思っていたMリンには、それがショックだったのだ。 そのはけ口が、ママ、つまりヒロミだったわけだ。
先の電話の内容は、 「ちゃんと『返して』と言いなさい」 「言いきらん」 「彼が忘れとるんやけ、言わんとわからんやろ」 「‥‥。マックシェークがのどを通らん」 「他にお金持ってないんね?」 「あと千円あるけど…」 「ああ、千円残っとるんね」 「言いきらんけ、ママ、帰ったらお金ちょうだいね」 「‥‥」 ということだった。 しかし、お釣り分をママにくれというMリン、さすがヒロミの子らしく、ちゃっかりしている。 そのあと、ヒロミ宛にMリンからメールが届いた。 そこには『くるしいよう』と書いてあった。
その後ぼくたちは『おとぎの杜』で疲れを癒した。 1時間後、そこを出て食事に行った。 その店は豆腐料理で有名な店だった。 ヒロミは窓から店の中をのぞき、その窓の横に座っていた人の料理を見たとたん、ぼくをつつき「しんたさん、あれおいしそうやね。私あれにするけ」と言った。
席に着いき、店員がメニューを持ってきた。 しかしヒロミはメニューを見ずに、ずっと窓の横の人たちの料理を見ていた。 そして小声で「あれなんかねえ」と聞いていた。 ぼくが「『それなんですか?』と聞いてこい」と言うと、「そんなこと言いきらん」と言っていた。 嫁ブーが「ヒロミちゃん何にする?」と聞いても、ヒロミはメニューを見ずに、あいかわらず横の人を見ていた。 「ねえ、何にすると?」 「ボリ、あれ」 「えっ?」 「あれよ、あれ」 そう言ってヒロミは目で横を見て合図した。 しかしその合図、ぼくにはわかるが、横に座っている嫁ブーには見えないからわからない。 「どれね?」 「あれっちゃ」 しかし、「あれっちゃ」と言っても、その料理が何かわからないから話にならない。 結局ヒロミが頼んだのは、別の料理だった。
さて、食事も終わり、門司までヒロミを送って行くことになった。 その途中ヒロミが言った。 「ねえ、しんたさん」 「なんか?」 「今私が一番欲しいものわかる?」 「チーズの乗ったパンか?」 「いや、そんなんじゃなくて…」 「美顔器か?」 「それもあるけど…」 「じゃあ、わからん」 「今私が欲しいのはねえ…」 「何か?」 「あの雑貨屋にあった白いイス」 まだ覚えていたのだ。 ということで、次回はいやでもそこに連れて行かないとならなくなった。(完)
| 2005年07月03日(日) |
ヒロミちゃんがやってきた(その6) |
『パン工房高須』でパンを買い、『汐入の里』で野菜などを買ってから、ぼくたちは家に戻った。 そして、エステまでの短い時間に、買ってきたパンを食べた。 その中に四角いチーズの乗った甘いパン(名前を忘れた)があったのだが、それを食べたとたんヒロミの顔色が変わった。 怒りの表情なのだ。 この表情をした時のヒロミのセリフは決まっている。 「ちょっと、何これ!? そーとーおいしいやん」である。 そのパンは二つ買っていた。 一つはヒロミの分で、もう一つはぼくの分である。 しかし、結局ぼくは、それを口にすることが出来なかった。 その時ぼくが食べなかったため、ヒロミが持って帰ったのである。
さて、それからヒロミと嫁ブーはエステに行き、2時間ほどして帰ってきた。 しばらく家でくつろいでいたのだが、ヒロミの滞在時間が少なくなってきたので、午後から予定していた行動に移ることにした。 午後からの予定は、最近芦屋に出来た『朴鶏(ぼっけ)の郷』というところに行き、その後に『貴黄卵生産直売農場』行き、最後に『おとぎの杜』に行くのだ。
『朴鶏(ぼっけ)の郷』や『貴黄卵生産直売農場』で、それぞれお目当てのものを買い、いったん家に帰ることにした。 その途中でのことだった。 信号待ちしていると、突然ヒロミが「あの白いイスいいね」と言った。 ぼくと嫁ブーは回りを見回した。 が、どこにも白いイスなどはない。 そこでぼくは「どこに白いイスがあるんか?」と聞いた。 ヒロミは「そこよ、そこ」と言ってそこを指さした。 ヒロミが指さす方を見てみると、そこには雑貨屋があった。 なるほどそこに、物置代わりに使っている白いイスのようなものがあった。 「ねえ、しんたさん、今度そこに連れてきてね」 「ああ」 「絶対忘れんでね。…あっ、しんたさんが忘れたらいけんけ、ボリも覚えとってね」 ということで、次回はその雑貨屋に行かなければならなくなった。 しかし、次回は忘れているだろう。 ということで、それ以上、そのことには触れないようにした。
それから数分して、ヒロミの携帯が鳴り出した。 電話に出たヒロミは、急に口調を変えて「ちゃんと『返して』と言いなさい」だとか、「お金持ってないんね?」だとか言っている。 ぼくは「何の話をしているんだろう」と思いながら、それを聞いていた。
| 2005年07月02日(土) |
もうクマゼミが鳴いている |
何をトチ狂ったのかは知らないが、もうクマゼミが鳴いている。 一週間ほど前から鳴いているのだ。 例年は梅雨明け頃から鳴き出すので、1ヶ月早く鳴き出したことになる。
そのことを会社で話すと、「あんた、耳がおかしくなったんやないと?」と言われた。 確かに最初は、ぼくも空耳かと思った。 なぜなら、ぼくの家の前の公園以外に鳴いているところがなかったからだ。 同じ町内にある実家近く公園でも鳴いてないという。 しかし、先週の金曜日以降毎日聞こえてくるし、その声はぼくだけではなく、嫁ブーも聞いている。
ところが昨日、それが家の前の公園だけでないことがわかった。 どこでその声を聞いたのかというと、フォークリフトの試験場でである。 さすがに試験が終わるまでは、神経がフォークリフトに集中していたので気がつかなかった。 が、それが終わったとたんに、「ワシワシ…」という鳴き声が、ぼくの中にどっと入ってきた。 しかも、家の前の公園では時折聞こえてくるぐらいしか鳴いてないのだが、そこでは大合唱だった。 『おっ、ここでも鳴きよるやん』 試験からの解放感も手伝ってか、妙に嬉しい気分になった。
しかし、彼らはどうして今頃出てきたのだろう。 もしかしたら地震の影響なのだろうか? ということは、地震がセミの寿命を1ヶ月縮めたことになる。
さて、フォークリフトの試験である。 試験場に行ってから一度練習し、それから試験となった。 練習では何とかうまくいったのだが、本番となると、どうも緊張してしまう。 何か失敗をやらかさないかと心配していたら、案の定やってしまった。 試験は、二人が試験場に出て、あとは控え室で待たされる。 いよいよぼくの番が近づいてきたので、ぼくは身だしなみを確認し、試験場へと向かった。 身だしなみというのは、試験を受ける時の格好である。 前にも書いたとおり、、作業着、脚絆、軍手、それとヘルメットの装着が身だしなみとなる。 ところが、控え室から出て試験場に向かっている時、なぜか頭が涼しいのを感じた。 どうしたんだろうと、頭を触ってみると、なんとヘルメットをかぶってないではないか。 そう、ヘルメットというのは、あの店長臭いヘルメットのことである。 ぼくはあわてて控え室に戻り、店長臭いヘルメットをかぶって、再び試験場へ出た。 試験官が、ぼくが遅れて出てきたのを見て、キッとにらんだ。 「まずい」と思ったが、ぼくは平生を装っていた。
前の人が終わり、いよいよぼくの番である。 スタートから一つめの難関である第一コーナーのクランクは何なく成功。 次の難関、というよりこの試験最大の難関は、そのコーナー内にある荷物をリフトに乗せることにあった。 ここで手間取ったりすると減点され、さらに失敗すれば即失格となる。 ということで、慎重かつ迅速にやらなければならないのだ。 ぼくもその心づもりでその難関に臨んだ。
ところが、緊張というのは、時に変なことをさせる。 クランクを曲がった時、コーナー内にラインが引いてあるのに気がついた。 よく見ると、その先は荷物の端に行くようになっている。 「なるほど、あのラインに沿って行けば、真正面に出るのか」 これは講習中には気がつかなかったことである。 もちろん教官も、講習中にそんなことをしろなんて、一度も言わなかった。 「きっと教官は、そのことを隠しとったんやろうな」 そう勝手に解釈したぼくは、そのラインに沿ってフォークリフトを走らせた。 ライン通りに進めばいいのだから、気が楽である。
ところが、それは間違いだった。 荷物からかなりそれた場所に着いてしまった。 ここは基本通り、荷物の方向を見て行けばよかったのだ。 そうすれば、自ずと荷物の真正面に行き着いたのだ。 「しまった、失敗だ!」 そこでいったんバックして、クランクを入り直そうかと思った。 しかし、時間制限があるので、それは出来ない。 「しかたない、ここは自力で何とかしよう」と試みることにした。 試行錯誤、おそらくもう一度やれと言われても出来ないような操作をして、結果的には何とかなった。 だが、そのせいでかなり時間を費やしてしまったのだ。 あとは順調にいった。 そして、試験官から一度も注意を受けることもなく、ゴールとなった。
ある人は「試験官に何も言われなかったら合格ですよ」と言っていた。 が、第一コーナーでの失敗で悲観的になっているぼくは、「あきれて何も言えんかったんやろう」と思っていた。 今更ながら、あのラインにごまかされたことが悔やまれてならない。
さて、その結果だが、実はまだわかっていない。 合否は15日頃に発表すると言っていた。 まあ、みんなの目の前で落ちたことを告げられないだけいいか。
ということで、フォークリフト・チャレンジシリーズは今日で終わった。 明日から、また日常が戻ってくるわけだ。
|