頑張る40代!plus

2005年03月31日(木) 嫁ブー腰痛に泣く

昨日検索ワードの話をしたが、今日もいつもと同じように『背中痛』が上位に来ている。
ということで、今日も謝っておく。
「せっかくお出でいただきましたが、このサイトは『痛み』のサイトではありません。『痛み』はあくまでもネタに過ぎません。実にくだらない内容でございます。お詫びに、もし背中痛に効く療法などが見つかったら、ここでお知らせ致しますので、ご容赦下さい」

さて、背中痛のことを書いたせいかどうかは知らないが、今日痛みにからんだ事件が起きた。
仕事を終わって家に帰ると、嫁ブーが青い顔をしてソファーに座っていた。
「どうしたんか?」と聞くと、「またいつものが出た」と答えた。
「いつもの…?いつものっちゃ何か?」
「腰痛めたんよ」
「えっ、どうしてまた」
「昼間洗濯しよる時に、くしゃみが出たんよ。その拍子に腰が『グキッ』となって…」
「ギックリ腰か?」
「そのようなもの」
「じゃあ、急患センターに連れて行ってやろうか?」
「ご遠慮します」
「遠慮せんでいい。夫婦やないか」
「何が夫婦ね。また私を車いすに乗せて遊ぼうと思っているくせに」
「誰がそんなことをしたんか?」
「しんちゃん」
「愛する嫁さんに、そんな酷いことをするわけないやないか」
「よく言うよ」

忘れていた。
昨年の4月末、嫁が足を痛めたことがあった。
その時ぼくはあまりに暇だったので、「人様に顔をさらすんじゃねえ」などと言って、車いすに乗った嫁ブーを壁に向けて座らせたりして遊んでいたのだった。
そうか、あれから間もなく1年がたつのか。
早いものである。
しかし、女は前のことをよく覚えているなあ。
ぼくなんか、嫁ブー言われなければ思い出さなかったのだから。

幸い明日は休みである。
そこで嫁ブーに、「明日歯医者が終わったら、即効性のある整体院に連れて行ってやろうか?」と言ってみた。
すると、嫁ブーは「いや」と言って拒んだ。
「何で行かんのか。早く治しとかな、治りが遅くなるぞ」
「整体はいや」
「じゃあ、やっぱり急患センターやの。早く準備せ」
「だから、いいっちゃや。もうよくなりよるんやけ」
「おまえ足の時もそう言うたけど、その結果が松葉杖やったんやないか」
「あの時は、足やったけよ」
「腰なら行かんでいいんか?」
「そういうわけじゃないけど、ほら、腰痛はいつものことやん。今まではしばらく放っておいたら治ったんやけ、今回もそれで治るっちゃ」
「そんなことはない。そうやって放ったらかしにしとるけ、何回もギックリ腰になるんよ。おれなんか、ちゃんと自分でケアしよるけ、ギックリ腰なんかになることがないやろうが」
「そりゃそうやけど…」

嫁ブーが「整体はいや」と言った理由は、あの「ボキボキ」がだめだかららしい。
だめならなおさら行かせたくなる。
「ヒーヒー」言っている嫁ブーの姿を動画にでも納めて、あとで酒の肴にするのも一興である。
こうなりゃ、意地でも連れて行ってやるわい。

ところで、今日の日記のタイトルだが、こういうタイトルにすると、これがまた検索に引っかかって、腰痛の人が飛んでくるんだろなあ…。
重ねて言います。
ここは、「痛み」のサイトではありません。



2005年03月30日(水) アクセス解析

ここはつい一年前まで、一日平均50人ほどが見に来るだけのサイトだった。
ところがブログを始めてから、俄然来客数が増え、今では一年前の10倍以上のお客さんが見に来るようになった。
お客さんが増えるということは、管理人としては喜ばしいことである。
が、手放しで喜んではいられない。
この数字は日記5年間の蓄積と、ブログという露出度の高い媒体のなせるわざなのだ。
現在借りているブログには、アクセス解析という便利な機能が付いている。
それを見ると、そのほとんどがgoogleやyahooといった検索エンジンから飛んできている。
その検索ワードには、『しろげしんた』や『頑張る40代!』や『吹く風』などといった、このサイトに関連のある言葉は含まれていない。
最近ここに来る人は、そういうのが目当てで来ているわけではないのだ。
では、何が目当てなのかというと、それはぼくの5年分の日記、数百万文字の中に含まれている数多くの言葉である。
ということで、前年の10倍増という数字は虚数なのだ。

とはいえ、『しろげしんた』などを目当てに来ている人が、まったくいないわけではない。
やはり昨年と同じく50人ほどはいる。
まあ、ホームページを立ち上げた頃、よく日記中心の個人のサイトは50人も来ればいいほうだと言われていたから、これで良しとしなければならない。
100件とか200件とかお客さんを呼ぼうとするなら、もっと専門的な要素を入れないとだめなのだろうが、何せ一介のサラリーマンの趣味の領域でやっていることだから、50件で満足するしかないだろう。

さて、その50人が昨年の人とまったく同じなのかというと、そうではない。
半数くらい入れ替わっているのだ。
思うに、ここに来なくなったその半数の人は、きっとここの文体や内容に飽きた人だろうし、新しくここに来るようになった半数の人は、きっと検索で飛んできて、気に入ってくれた人なのだろう。
そこで、新しくここに来られた方に、改めてご挨拶をしておくことにしよう。
「初めまして、しろげしんた(皆岡伸太ともいう)というちんけな野郎でございます。
以降、よろしくお願い申し上げます」

ところで、アクセス解析を見ていて面白いことに気がついた。
先に触れた検索ワードだが、ここを見れば、いったい何を調べるために、ここにやってきたかというのがよくわかる。
アクセス解析の中に、検索ワードという項目があると知らなかった頃は、おそらく『40代』とか『北九州』とかで、ぼくのサイトに来ているのだろうと思っていた。
ところが、検索ワードを開いてみてびっくりした。

もちろん、『40代』とか『北九州』とかで来ている人がいないわけではない。
しかし、それは実に少数なのだ。
それよりも、もっともっと多くヒットしている語句があるのだ。
それも一日だけではなく、何ヶ月も上位を占めている語句が。
それは何かというと、『背中痛』という語句である。
これを知った時、「えーっ、何で?」と思ったものだった。
確かに、背中痛のことを日記に書いたことはある。
が、別段重大な事件でもなかったので、あまり印象にないのだ。
そこでぼくも検索して、その記事を読み直してみたところ、やはりあまり大したことは書いていない。

しかし、こんなに多く(多い時で100件以上)の人が背中痛でこのサイトにやってくるということは、それだけ世の中には背中痛で悩んでいる人が多いということだろう。
おそらくそういう人は、藁をもつかむ思いで『背中痛』と入力し、その対処法を調べていたのだろう。
ところが、たどり着いたのが、しろげしんたとかいう、年中「歯が痛い」だの「腰が痛い」だの「股が痛い」だの言っているくせに、「病院に行くのは嫌だ」とわがままを言う、わけのわからんおっさんのサイトだったわけだ。
何か、申し訳ないような気がする。



2005年03月29日(火) 28回目

今日は休みだった。
ということで、午前中いつものように歯医者に行った。
診察券の裏に予約日時を書き入れる欄があるのだが、行きがけにそれを見てみると、今日の日付ですべてが埋まっていた。
その欄は27回で埋まってしまうのだが、ということは初診の日と併せると28回治療を行ったことになる。
今日で12本目の治療が終わったから、歯一本当たり2回とちょっとかかっているわけだ。
これが速いペースなのか遅いペースなのかはわからない。
まあ、こんなに多くの虫歯を放っておいたのが悪いのだが、とにかく金がかかる。
一回の治療費が平均で2千円だから、すでに6万円近くかかっているのだ。

そういえば、20代の頃、生命保険の勧誘を受けた時に「この保険、歯の治療には効かんとね?」と聞いたことがある。
保険のおばちゃんは、「そんな保険ありませんよ」と笑って言った。
「何でないんね。あるならすぐに入るのに」
「そんなに歯が悪いんですか?」
「うん」
「健康保険が効くから、いいじゃじゃないですか」
「効かんところもあるやろ?」
「えっ、全部効きますよ」
「前歯は効かんやん」
「そんなことはないですよ。前歯もちゃんと効きますよ」
「それは銀歯やったらやろ。前歯が銀じゃおかしいやん」
「ああ、そういえば前歯も銀入れている人いますねえ」
「そうやろ。白だと保険が効かんけ、銀入れとるんよ」
もちろん現在、前歯は白い歯を入れてくれる。
いや、その当時からすでに白で治療していたらしい。
が、その頃はけっこう前銀歯が多かったので、白前歯は保険が効かないと思っていたのだ。
それを知ったのは、ついこの間である。
しかし、本当に虫歯保険というのはないのだろうか。
もしあるなら、今後のために入ってもいいと思っている。
既存の保険でだめなら、アリコとかアメリカンファミリーで作ってくれんかなあ。

ところで、歯医者に限らず、一つの医者にこんなに通い詰めたのは、生まれて初めてである。
ぼくは何があっても入院するつもりはないし、死ぬ時ものたれ死にするつもりだから、今後の人生でここまで医者にかかることはもうないだろう。
仮にあるとしたら、やはり歯医者ということになる。
が、その時は総入れ歯である。
ただの治療でさえ、麻酔を打ったり、毎回噛み合わせが違ったり、力一杯噛めなかったり、いろいろと大変な思いをしているのだ。
全歯抜くとなったらどれだけ大変だろう。
何よりも嫌なのは、その間歯抜けじじいでいなければならないということだ。
そうならないためにも、これからはこまめに歯医者に行くことにしよう。

それはそうと、今回の治療は、あと何ヶ月かかるのだろう?
そろそろ飽きてきた。



2005年03月28日(月) 当て身

昔、柔道の先生から聞いた話である。

ある日、先生は宴会で帰りが夜遅くなったことがあった。
一人夜道を歩いていると、どこからともなく二人の大きな男が現れた。
男の一人が、「おっさん、タバコ持ってないか?」と声をかけた。
先生は「わしはタバコは吸わん」と言った。
すると、もう一人の男が「じゃあ、金出せ」と言いながら、先生の胸ぐらをつかもうとした。
その瞬間先生は体をかわし、その男に当て身を食らわした。
それを見て、もう一人の男が襲いかかってきた。
先生は慌てず、その男にも当て身を食らわした。
一瞬の出来事だった。
先生の前には、二人の大きな男がうめき声を上げながら横たわっていた。
先生は、何事もなかったかのように家に帰った。

その翌朝、先生の家の扉を叩く音が聞こえた。
先生が出てみると、そこには昨晩の男が二人が怯えた顔をして立っていた。
一人は顎が外れ、もう一人は目が半分飛び出していたという。
その後ろには、その親らしき人が立っていた。
先生の顔を見て、親らしき人は「この人か?」と二人に聞いた。
二人はうなずいた。
それを見て、その人は言った。
「先生、昨夜はうちの者がご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありませんでした。この二人はうちの息子たちです。昨夜遅く帰って来たんですが、顔を見るとこの有様です。どうしたのかと尋ねてみると、じいさんからやられたと言うんです。どんな人だったかと聞いてみると、どうも先生のようだ。それで二人を連れてお詫びに来たんです。昨日の件は謝りますので、どうか二人を元に戻してやってください」
そこで、先生は二人を元に戻してやったという。
その後二人は更生して、真面目になったということだ。

先生は機嫌がいい時、よくこの話をしたものだった。
しかし、当て身を食らわしただけで、顎が外れたり目が飛び出したりするものだろうか。
ぼくはその話を聞くたびに、また先生のホラ話だろうと思っていた。
ところが後年、物の本にそれに似た話が載っていた。
やはり当て身一撃なのだ。
相手は、関節がバラバラになって歩けなくなったり、当て身の衝撃で痴呆になったらしい。
先生の話より、すごい話である。

ところで、この『当て身』という言葉を最近はとんと聞かなくなった。
当て身とは相手を拳で突く術で、空手に似ているが、空手ではない。
柔術の一種である。
空手のように、闇雲に突いたり蹴ったりして相手を攻撃するのではなく、急所を拳でただ一撃するらしい。
だから拳の硬さや突く力はいらない。
急所を覚えることに重点が置かれるのだという。
拳の使い方も、空手とは違っている。
空手の場合は人差し指と中指の付け根の関節で相手を突くのだが、当て身は中指の第二関節で相手を突く。
そのため、拳の握り方が空手とは違ってくる。
中指を浮かせた状態で拳を握るのだ。
空手やボクシングは、指の骨を折ったりして危険だからという理由から、こういう握り方を禁じている。
しかし、当て身は殴るのではない。
急所を突くだけである。
だから、こうやったほうが効率がいいのだ。

ぼくは先生から当て身を習ったわけではないが、急所だけはいくつか教えてもらったことがある。
そこはちょっとつかんだだけでも、飛び上がるほど痛いのだ。
昔の日本の武術は、相手の体の作りや動きを利用したものが多い。
そこには力は存在しない。
理があるだけである。
今は力のスポーツに成り果ててしまった柔道だって、元は「相手の力を利用して投げる」武術だったのだ。
攻撃を仕掛けるものではなく、あくまでも護身のためのものだ。
ぼくが柔道を習ったのも、それが目的だった。
試合柔道に違和感を感じていたのも、そのためであった。



2005年03月27日(日) お金の行方

今日ふと思い出したことがある。
それは、高校2年の頃の話である。

他のクラスの男が、先生の車にバイクをぶつけて傷を入れたことがあった。
先生は怒り、その男に「弁償しろ」と言った。
うちのクラスのSは、その男の友人だった。
男からそのことを聞いたSは、「どうしようか」とぼくに話を持ちかけてきた。
「修理代ち、高く付くんやろ?」
「うん。7万かかると言われたらしい」
「7万かあ。大きいのう。一人じゃどうしようも出来んのう」
「そうやろ。どうしようか?」
「こういう場合は、カンパやろ」
「やっぱりそうなるか」
「それしかないやん」
「じゃあ、悪いけど、しんた集めてくれん?」
「え、おれが?何でおれが集めないけんとか。別にあいつと親しいわけでもないのに」
「頼むっちゃ。おまえ顔広いんやけ」
Sに押されて、結局ぼくは引き受けた。

翌日からぼくは箱を持って各クラスに出向き、「実は…」と先ほどの話をして、お金を集めて回った。
1週間ほどお金を集めた結果、何万かのお金が集まった。
「もう少しで目標達成やの」とクラスの連中と話していたときだった。
Sが「しんた悪い。せっかく集めてもらったけど、いらんようになった」と言ってきた。
「えっ、何で?」
「先生が、『もういい』と言ったらしい」
「あーっ?おまえ、この金どうするんか。もう返せんぞ。誰がいくら払ったか、もうわからんし」
「そうか。どうしようか?」
「『どうしようか?』、おまえが考えれ。おれは知らんぞ」
そう言って、箱ごとその男に渡した。
その男も困ったようで、「しかたない。○○に預けて、どうにかしてもらおう」

それから何日かたって、ぼくはSに「おい、あの金どうなったんか?」と聞いてみた。
「あ、そうやった。あの金どうなったんかのう」
「えっ、知らんとか?」
「おう、忘れとった」
「○○に預けるとか言いよったやないか」
「ああ、そうやったのう」
ということで、ぼくたちはその○○のところに行って、金の行方を聞いた。
○○は「ああ、そうやったのう。金預かってから、△△に預けたんやけど、その後は知らん」と言う。
その△△も、そのお金のことは忘れていた。
「××に預けたような気がするんやけど…」
話はどんどん広がっていった。
最後に聞いた人間は、「ああ、カンパの金やろ。しんた、おまえが集めよったやん。おまえ知らんとか?」と言った。
ぼくは「おれが知らんけ、聞きよるんやろ」と言った。
「そうか。おれも知らん」
「・・・」

さて、あのお金は、いったいどうなったのだろうか?
わかっているのは、ぼくたちが聞いて回った時、誰もがそのお金のことを忘れていたということだ。
誰も嘘をついている様子はなかった。
いったいどこに消えたのだろう。
30年来の謎である。



2005年03月26日(土) プロ野球開幕

プロ野球が開幕した。
いよいよ、新生ソフトバンクホークスの始動である。
今日ぼくは仕事だったため、会社のテレビでの観戦になった。
結果はご存じの通り、ホークスが3-1で日本ハムファイターズを下した。
そういえば、他の勝ちチームも3点で勝ちを収めていた。
今日のプロ野球は3点の風が吹いていたのだろう。

さて、今日の試合を見ながら、ぼくは昔の女子バレーボールを見ているような錯覚に陥った。
なぜかというと、得点のテロップのところが、『日-ソ』となっていたためである。
最初は民放のほうを見ていたのだが、それが気になったため、衛星放送に変えてみた。
ところが、そこも『日-ソ』なのだ。
しかたなく、再び民放に戻したのだった。

『日-ソ』といえば、かつて女子バレーが強かった時代に何度もお目にかかったテロップである。
当時、女子バレーといえば、世界に日本とソ連しかないかのごとき状態だった。
オリンピックの東京大会からモントリオール大会まで、金銀は『日-ソ』2国間で争っていたのだ。
おそらくはモスクワ大会までこの闘いは続いていただろうが、その大会は日本が参加しなかったため、二強時代はモントリオールで終わってしまう。
その後、日本人がコーチしたアメリカ、ブラジルや、「日本は先生である」とおだてまくった中国などが台頭してくるのだ。

そういえば、ホークスの他の試合でも錯覚に陥ったことがあった。
それは、この春に行われた中日とのオープン戦でのことである。
テロップは『中-ソ』となっていたのだ。
ぼくはこのテロップを見て、冷戦時代を思い出してしまった。
その時代は、この『中-ソ』が世界の癌だったのだ。
核実験、粛正、虐殺といった空恐ろしい言葉は、この二国の専売特許だった。

他の組み合わせを考えてみると、同じパリーグで『日-ロ』がある。
また、今年からセパ交流戦をやるわけだから、当然『日-中』の組み合わせもある。
実に国際色豊かな、組み合わせである。
が、どれも友好関係が築けなさそうな組み合わせばかりだ。

しかし、こういうふうなテロップだと、試合は二の次となってしまい、どうしてもそちらのほうに目が行ってしまう。
考えてみると、球団の正式名称は福岡ソフトバンクホークスであり、北海道日本ハムファイターズなのだから、『福-北』とかではだめなのだろうか。
こちらのほうが正しいと思うのだが…。
それがだめなら、せめてH-FとかH-Dとかでやってもらえないだろうか。
ゆっくり野球が楽しめんじゃないか。



2005年03月25日(金) 3月25日

【今信長だと?】
朝4時まで、昨日の日記を書いていた。
フォローアップ検診があるので、なるべく早く寝たかったのだが、休みの前の日というのは、ついつい夜更かししてしまう。
その日のテーマを決めていなかったものだから、テーマ決めにけっこう手間取ったのだ。

さて、朝はいつものように7時半に起床。
眠い目をこすりながら、ニュースなどを見ていた。
しかし、ホリエも頑張ったけど、まだまだ若いなあ。
想定内と言い張るのなら、どうしてフジより先に手を打っておかなかったのだろう。
まさか、ソフトバンクという名前に重圧を感じて、体がいうことをきかなかったわけでもあるまいに。
そういえば、ホリエのことを一部で今信長とか呼んでいた。
信長ファンとしては、いっしょにしてもらいたくない。
信長は斎藤道三の重圧も、今川義元の重圧もはねのけたのだから。

ところで、もし信長が今の世に生きていたら、まず手をつけるのはS学会だっただろう。
彼が比叡山を攻めた理由は、宗教団体が政治に口出しするからだった。
一向宗攻めも同じ理由だ。
ホリエが、もし信長を気取りたいのなら、フジなんかよりS学会を攻めるべきだ。
それなら、もっと多くの人から支持を得ることが出来るだろう。


【フォローアップ検診】
昼からフォローアップ検診に行ってきた。
採血して、そのあと体重と血圧を測った。
血圧を測るときに係の女性が、昨秋のぼくの健康診断結果を見て、「ああ、中性脂肪がほんのちょっと高かったんですね」と言った。
「はい、そうです」
「この結果が出てから、何か改善したことはありますか?」
「あります。アイスクリームを食べるのをやめました」
「え?それまではアイスクリームを食べていたんですか?」
「ええ、ロッテの『爽』を毎晩食後に食べていました」
「ああ、あれはけっこう量が多いよね」
「あれ食べたあとは、決まって腹が張りましたからね」
「そうでしょうね。で、改善したのはそれだけ?」
「それで中性脂肪が増えたんやけ、それ以外にやることないでしょう」
「そりゃまあ、そうですけど…」
「前は尿酸値が高かったんですよ」
「そうなんですか」
「その時は、ビールをやめましたね」
「そうですね。ビールを飲むと尿酸値が上がりますからね。で、その後はビールを飲んでないんですか?」
「あまり飲まなくなりましたね。その代わりに焼酎飲んでますから」「ああ、なるほど」
「ところで、アイスクリームを食べなくなって、何か他に代わる物を食べているんですか?」
「食べてはないけど、飲んでますね」
「何を?」
「ココアです」
「砂糖を入れて?」
「砂糖入りのを牛乳で溶いて」
「ああ。それでもけっこう脂肪があるんですよ。出来たら砂糖なしのほうがいいけど…、おいしくないからね。でも、気をつけないと」
「じゃあ、今度中性脂肪で引っかかったら、ココアをやめますよ。改善と言ったって、それしかないでしょ?」
「そうですね」
「では、結果を楽しみにしておいて下さい」
フォローアップ検診は、20分もかからずに終わった。



2005年03月24日(木) 明日の予定

明日は休みである。
が、予定が詰まっている。
まず、朝早く起きて床屋に行く。
前回行ったのが1月だったから、2ヶ月ぶりになる。
もっと早く行きたかったのだが、歯医者などがかぶさって、なかなか行くタイミングをつかめなかったのだ。
もうかなり髪が伸びていて、実にうっとうしい。
髪を洗うのも面倒である。

それから、健康診断に行く。
まあ、健康診断と言っても本格的なものではなく、フォローアップ検診だが。
秋の健康診断で、中性脂肪の数値が若干高かったため、健康センターから、自分なりに生活を改善して、その数値を見せてくれと言ってきたのだ。
実は、中性脂肪が高くなった理由をぼくは知っている。
それは、毎日晩飯後にアイスクリームを食べていたからだ。
ということは、それだけ節制すれば、わざわざ検診などしなくてもすむ話である。
それなのに、健康センターのやつは数値をほしがる。
健康センターの数値を満足させることが健康ではない、ということを言っておく。

さて、それが終わったら銀行である。
今月の給料日は18日だった。
日祭日の関係で、20日の給料日が早まったのである。
それに伴って、給与明細は前日の17日にもらった。
普段が19日だから、二日も早い。
そのため、ずいぶん昔に給料をもらったような気がする。
それはさておき、毎月給料をもらったら、街に出て、いくつかの銀行に支払いに行っている。
前回の休みに行けばよかったのだが、あまりに給料日が早かったので、忘れてしまっていた。
ということで、明日がその日になったのだ。

そのついでに、井筒屋で昨日から始まった京都展にも行こうと思っている。
一年ぶりの京都展である。
ぼくは毎年、そこに行って線香を買っているのだ。
そこには、実にいい香りの線香が売っている。
その香りのいい線香を何に使っているのかというと、実家の仏壇用である。
ぼくはほとんど毎日実家に行っているのだが、そのたびに毎日香や青雲の香りを嗅がされる。
そのにおいがぼくは嫌いで、吐き気をもよおしてしまう。
その点、京都展で売っている線香はにおいもきつくなく、それなりにいい香りがする。
線香にしては、けっこう高い価格なのだが、吐き気を催すよりはいいと思って買っているのだ。

そういえば、何年か前に、そこでミニ観音像を買ったことがある。
ぼくたち夫婦は、今回の地震で被害がなかったのは、そのミニ観音像のおかげだということに、無理矢理している。
何か御利益を持たせてありがたがっておかないと、肝心の時に御利益を持ってこないからだ。
今回はミニ観音像のおかげだと思ってあげているんだから、これからどんどん御利益を持ってこい、と言っておく。

まあ、明日はだいたいそんな予定である。
これで一日が潰れてしまうだろう。
ところでぼくは、一つだけ心配していることがある。
それは言うまでもなく地震である。
もし、床屋でひげを剃っている時に地震が来たらどうしようかとか、健康センターで採血中に地震が来たらどうしようかとか思っているわけだ。
本当にそうなったらどうしようか?
ああ、そうだった。
ミニ観音像が御利益を持ってくるんだった。
何も心配しなくていいか。




2005年03月23日(水) 地震関連

【余震】
3月20日午前10時53分に最初の地震が起きてから、今日3月23日までにぼくの携帯に入った余震情報の数は、38回(ダブりは除く)だった。
内訳は、震度4が1回、震度3が6回、震度2が9回、震度1が22回である。
もちろんこの震度は、今回の地震で有名になった玄界島の数字である。
そのうち、その玄界島からおよそ50キロ離れた北九州市に住んでいるぼくが、体に感じた余震の回数は3回だった。
震度3以上の余震はこちらでも揺れていると思うのだが、その数に満たないのは、その時車の運転をしていたり、寝ていたりして気づかなかったのだろう。


【取引先の被害状況】
さて、ぼくが勤める会社の、取引先の多くは福岡市内に営業所を構えているところが多い。
そこで、今日いくつかのセールスの人に電話をかけて、被害状況を聞いてみた。
「倒壊とか火事にはならなかったけど、荷物や書類が事務所中に散らばって、もう無茶苦茶でした」
ぼくが電話をかけた、ほとんどの営業所がそういう状況だった。
展示物が2,3個落ちた程度ですんだこちらと比べると、かなりひどい状況だと言えるだろう。
言うまでもなく、震源地に近い場所のほうが、やはり被害が大きいようだ。
またセールス個人にもそのことを尋ねてみたが、壁にひびが入ったとか、風呂がやられて入れない状態にあるとかいった状況らしい。
「ふーん、やっぱりそちらのほうが大変やったんやね」
「はい。ところでしんたさんのところはどうでしたか?そちらも揺れたんでしょ?」
「立っておれんような揺れ方やったよ」
「そうですか?じゃあ、被害もけっこうあったんでしょうね?」
「幸い揺れ方がよかったのか、被害は少なくてすんだよ」
「それはよかった。で、家のほうは?」
「えっ、うち?」
「はい。立っておれんような揺れ方だったんだから、タンスの上とかから物が落ちてきてたんじゃないですか?」
「・・・。あ、お客さんがきた。またねー」
そうぼくは嘘を言って、電話を切った。
壁や風呂に被害が出ている人を前にして、さすがに「被害はドラえもん一匹」とは言えなかった。


【防災グッズ】
ニュースでも言っていたが、今県内のホームセンターなどで防災グッズが売れているという。
ということなので、うちの店も売れている。
担当者に聞くと、一番売れているのは家具の転倒防止具なのだそうだ。
なるほどそうだろう。
家のことに疎いこのぼくでさえも、地震の後、家具の転倒を心配をしたくらいなのだから、誰もがまずそれを買うだろう。
ぼくは、その日の夕方にそれを買おうと売り場に行ってみたのだが、すでに完売していた。
今度いつ入るか聞いてみたのだが、未定だということ。
間もなく震度5弱程度の余震がくるらしい。
それまでに入荷してくれればいいのだが。



2005年03月22日(火) 地震の予兆

フジテレビの『救命病棟24時』が終わった。
終わってみれば、実にタイムリーなドラマになったようだ。
今回の福岡西方沖地震は、今のところあそこまで酷くはないのだが、今後どう展開するのかわからない状況にある。
出来ることなら、あの地震の感触を二度と味わいたくないのだが、専門家の話では、何日以内にもう一度震度5クラスの地震があるかもしれないと言っていた。
その兆候なのか、今日も何度か余震があった。

ところで、ぼくは今、地震のあった日に何か予兆のようなものがなかったどうか思い出している。
前に『時間ですよ 昭和元年』という古いドラマを見ていることを書いたが、そのドラマの中で、池波志乃が、関東大震災の想い出を語るシーンがあった。
「その日は、なぜか頭のあちこちが痒かった」
「朝から変な雲が出ていた」
「突然雨の混ざった風が吹き出した」
「一度いい天気になって、みんなが安心したところで、グラグラきた」
などというようなことを言っていた。
それを思い出したわけだ。

ぼくの携帯に毎朝届くウェザーニュースでは、あの日の天気予報は、「曇り空からポツンと雨が降ることも。午後は日差しが復活します」となっている。
実際の天気はというと、終日曇りだった。
が、特に変わった空ではなかった。
『空の日記』に地震直後の空を掲載しているが、何の変哲もないただの曇り空である。

ということで、空には何の予兆もなかった。
と思っていたら、アルバイトのS君が、「親父が前日、地震雲を見たと言ってましたよ」と言っていた。
「地震雲…。どんな雲か?」と聞いてみると、「飛行機雲の端がジグザグになったような雲です」と言う。
「飛行機雲なら昨日の夕方見たけど、あれが地震雲なん?」
「ええ、そうらしいです」
「普通の飛行機雲にしか見えんかったけどのう…」
しかし、Sの父親は、なぜ地震の前日にそれを言わなかったのだろう。
もしそうしていたら、予言者として食っていけただろうに。
地震が起こったあとから、何を言っても同じである。

さて、その他の予兆はというと、そういえば嫁ブーが変なことを言っていた。
嫁ブーは、その日タクシーで会社に行った。
隣のコンビニの前で信号待ちしている時、何羽かのカラスが低空飛行して、車の前を横切って行ったらしい。
特に珍しいことではないが、運転手がその時に限って、「不吉ですね。何か悪いことでもあるんですかねえ」と言っていたという。
確かに動物は天変地異を察する能力があるという。
が、カラスが低空飛行したからと言って、不吉だと決めつけるのはいかがなものか。
それなら、ごみ収集日には、いつも地震が起こらなければならなくなるではないか。
ぼくが思うに、その予知能力というのはカラスのほうにあるのではなく、その時カラスを見て不吉だと感じとった運転手のほうにあるのではないだろうか。
そう考えるほうが自然だろう。

さて、ぼくに関して言えば、その日特に変わったことといえば、朝の下痢騒ぎが上げられる。
その下痢の原因は食中りでも、風邪でもなかったのだ。
とはいえ、他の理由は何一つ見あたらない。
そこでぼくは、てっきり朝下痢が地震の予兆だと思い込んでしまった。
それを何人かの人に言ったものだった。
ところが、そうではなかった。
原因は他にあったのだ。
地震の翌日、つまり昨日のことだったが、休憩中にぼくはいつものようにガムを噛んでいた。
その時何の気なしにガムの注意書きを見ていると、そこに『一度に多量に食べると、体質によりお腹がゆるくなる場合があります』と書いてあった。
そう、下痢の原因は、キシリトールガムの噛みすぎにあったのだ。
ぼくは最近、歯の健康を保つために、いつもキシリトールガムを噛んでいる。
そういえば、地震の前の日、ぼくは夜中にしきりにガムを噛んでいたのだった。
そう、ぼくはキシリトールガムでお腹がゆるむ体質だったのだ。
せっかく、朝下痢が地震の予兆だと思って喜んでいたのに、残念である。
しかし、もしそれが地震の予兆だとしたら、朝下痢をするたびに、いつも地震を気にしなくてはならなかっただろう。
それを考えると、キシリトールが原因でよかった、と少しホッとしている。



2005年03月21日(月) 我が家における地震の被害

昨日は嫁ブーも仕事だったため、地震が起きた時は家には誰もいなかった。
地震が起きてからしばらくぼくは、会社のことや実家のことに気をとられて、家のことを忘れていた。
ところが、テレビの報道番組で映し出される福岡市内の状況を見たり、店にくるお客さんの被害状況などを聞くにつれ、だんだん不安になってきたのだ。

まあ、火災や倒壊などはないだろうが、食器棚や書棚が倒れてしまっているかもしれない。
何よりも心配になったのは、そういうものが倒れてきて、パソコンを押し潰してはいないだろうか、ということだった。
他の人にとってはどうでもいいことだろうが、そこにはこの5年間、ぼくが生きてきた証がたくさんつまっているのだ。
それを考えると、すぐにでも被害状況を確かめたい気持ちになった。
しかし、家に戻ることはできない。
ということで、被害状況の確認は、仕事が終わる午後8時以降までお預けとなった。

それだけ家が気になっていたにもかかわらず、仕事が終わってから、ぼくが向かったのは家ではなく、実家のほうだった。
会社で帰る時を待っている間、心の中を不安がよぎっていた。それは、家の中の状況を悲観的にとらえていたからである。
そのため、家に入るのが空恐ろしかったのだ。
そこで、まず実家の状況を確認してから、心の準備をしておこうと思ったわけである。
実家の中は普段と変わらなかった。
が、それでもガスが止まったり、額が落ちたり、タンスの上に乗せてあった箱が落ちたり、重ねてあったCDのケースが割れたり、掛時計が歪んだりしたのだという。
団地の3階にある実家でさえこの状況である。6階にある我が家はさらにひどい状況になっているだろう。
「こうなったら覚悟を決めよう」
ようやく、ぼくは家に帰る決心をした。
その時、ブーから仕事が終わったという連絡が入った。

さて、家に帰ってから、ぼくは恐る恐る鍵を開けた。
とりあえず、玄関は変わった様子はない。
そこで家に入り、さっそく被害状況を調べることにした。
嫁ブーと手分けして一つ一つチェックした。
幸いぼくが調べたほうは、何も被害はなかった。
嫁ブーが調べたほうも何事もなかったようだ。
ガスを点検したが、ここも異常はなかった。
やれやれひと安心とリビングに入った。
部屋着に着替え、いつものように嫁ブーがテレビのスイッチを入れようとした。
その時だった。
嫁ブーが「あー!」と大声を上げた。
「どうしたんか?」
「被害が出とる」
「えっ、何が?」
「これ…」
「・・・」



そこにはドラえもんが倒れていた。
テレビの上に置いていたものである。
揺れで落ちたのだ。
我が家における、唯一の被害だった。



2005年03月20日(日) 福岡県西方沖地震

今日は朝から体調が思わしくなかった。
下痢気味で、会社に行くまでに三度もトイレに駆け込んだ。
おかげで家を出るのが大幅に遅れてしまい、遅刻してしまっ
たのだった。
会社に着いてからも、体調は治まらず、腹はグルグル鳴っていた。
そこで腹が治るまで、なるべく動かないようにしていようと、テレビの前に立っていることにした。

10時からの『いつみても波瀾万丈』を見終わり、「さて何を見ようか」と思っていた時だった。
突然ズシンという音がした。
次の瞬間、ミッシミッシという音とともに、建物が揺れはじめた。
それと連動して、天井に吊り下げている照明器具がブランコのように激しく揺れた。
地震である。

腹に力の入らないぼくは、何度かバランスを失いそうになりながらも、そこに立っていた。
不気味な揺れが弛んだ腹を刺激する。
再び腹が痛くなる。
すぐさまトイレに行きたかったが、揺れている時に動くのは賢明ではない。
前回の例もあるので、揺れはあまり長く続かないだろう。
そう思ったぼくは、我慢することにした。
ところが、今回の地震はそんなに甘いものではなかった。
いつまでたっても揺れは収まろうとはしない。
終わってみれば、30秒ほどの揺れだったが、かなり長い時間揺れているように、ぼくは感じた。
その間、商品がパタパタと落ちる音が聞こえた。
このままいくと什器が倒れそうな雰囲気である。
「まずい、どうしよう」そう思った時に、揺れが収まった。
それでもすぐにその場を動かず、余震に備えていた。
が、それは起こらなかった。

余震がないのを確認してから、ぼくは落ちた商品のところに行った。
そこには、充電器セットが二つ転がっていた。
落ちたときの衝撃で、パッケージが破れてしまっていたが、商品そのものは壊れてなかった。
ぼくはさっそく、被害状況をカメラに納めた。
ブログに投稿しようと思ったのだ。
ところが、肝心の携帯電話が繋がらない。
通信も通話も出来ないのである。
もしやと思って、一般電話をかけてみた。
案の定、不通だった。

これは困ったことになった。
実家の母のことが気にかかっていたのだ。
もしガスをつけっぱなしにしていたら…。
もしタンスが倒れてきていたら…。
たぶん大丈夫だとは思うけど、いちおう70代である。
もう老人の括りになっているのだ。
確認を取りたいのだけど、電話がこの調子である。
他の従業員も家に連絡を取っていたが、やはり繋がらないと言う。

地震が起きて1時間半ほどたってからだった。
ぼくの携帯が鳴った。
嫁ブーからだった。
「大丈夫やった?」
「おう。おまえんとこは?」
「うちも大丈夫」
「さっきから実家に連絡取りよるんやけど、繋がらんっちゃのう」
「ああ、お義母さんやろ。大丈夫やったみたいよ」
「えっ、繋がったんか?」
「うん、さっきね」
「何回電話しても繋がらんやったんよ。そうか、繋がったか」
「お義母さんねえ、家におらんかったらしいよ」
「はあ?」
「丸和(スーパー)に買物に行っとったらしいよ」
「自転車に乗ってか?」
「うん」
「ホント、あのばあさんは」
「でね、家に帰ったら、棚の上にあったひょうたんが落ちとったらしいよ」
「被害はそれだけか」
「そうみたいよ」
嫁ブーの電話を切ってから、すぐに実家に電話を入れたのだった。

さて、周りはこんなに大騒ぎになっていたが、夕方から仕事に入ったアルバイト連中はまったく緊張感がなかった。
「こんにちはー。なんか地震があったらしいっすねえ」
「はぁっ? 何が『あったらしいっスねえ』か。おまえ、あんな大きな地震がわからんかったんか」
「おれ寝てましたから」
「あんなに大きな地震、滅多に体験できるもんじゃないぞ」
「そうなんスか」
「今まで震度4は体験したことはあるけど、今回みたいな地震は初めてやった」
「へえー」
「・・・」
しゃべっているうちに、だんだん馬鹿らしくなってきた。
まったく感動というものがないのだ。
後日おそらく、今日のことを、ぼくは感動を持って話すだろう。
何が起こるかわからないからこそ、人生は楽しいのだ。
若い人たちは、そういうことに感動を持てないのだろうか。
いや、彼らにとっては、天変地異でさえ想定内のことなのだろう。

ああ、そうだった。
この地震騒ぎで、ぼくの下痢も止まってしまったのだった。



2005年03月19日(土) 通り名

二日続けてハンドルネームについて書いてきたが、それを書いている途中に思い出したことがある。
それは通り名のことである。
高校時代、ぼくはよく友人に通り名を付けていたものだ。
例えば、オナカ君は『チェリー・オナカ』だった。
『ゲリー』という名を付けた人もいる。
最近では、うちのパートさんに、『ゴンザレス』という名を付けている。
いずれも深い意味はない。
ただその時の気分で付けたのである。

そういえば、以前取引先のTさんという人が、「今度、商売やろうと思うんやけど、本名だとちょっと通りが悪いけ、何かいい名前を付けてくれん?」と言ってきたことがある。
もちろんその人は、ぼくが姓名判断をやるということを知っていた。
それで頼みに来たわけだ。

そこでぼくは、「通りのいい名前ねえ…。そうですねえ、商売やるのなら、凝った名前よりも、誰もが一度聞いたら忘れない名前がいいですよ」と言った。
「忘れない名前ねえ…。難しいなあ」
「いや、何も難しくはないですよ。本名はそのままにしといてもいいんですから」
「どうすると?」
「通り名を使うんですよ」
「通り名?」
「例えば、ガッツ石松は、『ガッツ』で通るじゃないですか。石松さんとか、あまり言わないでしょ?」
「そういえば、そうやねえ。石松さんじゃピンと来んもんねえ」
「通り名にしましょうよ」
「通り名か。何かいいのある?」
「なるべく短く強そうな名前なんかどうですか?」
「なるべく短くて強そうな名前か…。例えば?」
「うーん、例えばですねえ…。ああ、ジャガーとか」
「ジャガー?」
「短くて強そうじゃないですか。それに俊敏そうだし、覚えやすい。Tさん、下の名前は何でしたかねえ?」
「晃一やけど」
「ジャガー晃一か…。いいじゃないですか。それにしましょうよ。語呂もいいし」
「そうかねえ…」
「そうですよ。よし、今日から『ジャガーさん』と呼ぶことにしますよ」

ということで、それ以来ぼくはTさんのことを、『ジャガーさん』と呼んでいる。
その影響からか、ぼくの周りの人まで『ジャガーさん』と呼ぶようになった。
しかも、その中にはジャガーさんの本名を知らない人もいるから、お笑いである。
「ねえねえ、しんたさん。ジャガーさんに用があって電話したいんやけど、ジャガーさんの本名何と言うんかねえ?」と聞かれることがよくある。
そのつど、本名を教えてやるのだが、時には教えるのが面倒なこともある。
そういう時には、「別に本名じゃなくていいよ。ジャガーさんで通るんやけ」と言っている。

そういえば、前にいたアルバイトに 『ジャガー』が本名だと思っている子がいた。
ある日その子がぼくに、「しんたさん、ジャガーさんっているでしょう。ジャガーってどういう字を書くんですか?」と聞いてきたことがある。
意地の悪いぼくは、笑いをこらえて、「いい質問やね。蛇に川と書くんよ」と教えてやった。
「ああ、ジャガーさんって、本当は『ジャガワ』さんっていうんですかあ。ふーん、変わった名前ですね」
「そうだよ」
その子はアルバイトを辞めるまで、『ジャガー』さんを『蛇川』さんと思っていたのだった。

ところが、当のTさんは『ジャガー』という名前をあまり気に入っていないようだ。
その証拠に、『ジャガー』という名前は、ぼくの周りしか通用しないのだ。
会社に電話しても、『ジャガーさん』では通用しない。
せっかくいい名前を付けてあげたのだから、もっと活用してもらいたいものである。



2005年03月18日(金) 新しいハンドルネームを作ってはみたものの…

そういえば、このホームページの最初のタイトルは『しんたの頑張る40代!』だった。
ハンドルネームも『しろげしんた』ではなく、ただの『しんた』だけだった。
しかし、『しんた』というハンドルネームはありふれていると思い、頭に『しろげ』と付けたのだ。
で、そのハンドルネームを付けるのに、どんな苦労をしたのかというと、その字画である。
姓名判断をやっている関係で、ハンドルネーム一つにも字画を考える習性があるのだ。
では、『しろげしんた』というハンドルネームの字画はどうなのかというと、まあまあである。
可もなく不可もなくというところであろうか。
せっかくだからいい画数を付けたかったのだが、『しんた』を生かしたかったし、自分で納得できる名前を付けたかったのだ。
それで、自分で納得できる、というか、体は名を現すようなハンドルネームになったわけである。

さて、新たに『皆岡伸太』というハンドルネームをシャレで作ったのだが、それをどこで使うのか?
実は、もう使っている。
8月から、それまで日記を書いていたエンピツ日記と併用して、ブログを始めたわけだが、最初に借りたところの機能がどうも気に入らない。
そこで、次から次へとブログを借りまくった。
「これは!」と思うところが見つかったら、そこだけ残して、他のブログはやめようと思っていたのだ。
ところが、どこも帯に短くたすきに長しで、なかなか「これは!」というところと巡り会えないでいる。
それで、しかたなくダラダラとたくさんのブログを更新している状態なのだ。
早く一つにまとめたいのだが、そう思っているうちに、各ブログにそこそこお客さんがついてきた。
そうなると、やめるわけもいかなくなる。
困ったことに、一番お客さんが多いところが、一番サーバーが重たいところなのだ。
いつも「ここだけはやめよう」と思っていたのに、それが出来なくなってしまった。

ところで、そのたくさんあるブログ、全部が全部『頑張る40代! byしろげしんた』にしているわけではない。
もちろん内容はいっしょなのだが、まったく同じ名前というのも何だから、別のタイトルを付けている。
そのうちの一つに、先のハンドルネーム『皆岡伸太』を使っているのだ。
しかし、そこにはお客さんがまったく来ない。
やはり継続は力で、5年間使ってきた『しろげしんた』の力は大きいと言わざるをえない。

当初の目的のように、『皆岡伸太』を詩と歌に使いたいのだが、せっかく『しろげしんた』で認知されているのに、それをまたゼロに戻すのもねえ…。
さて、何に使おうか?



2005年03月17日(木) ハンドルネーム

以前ある人から、「ハンドルネームは『しろげしんた』ですか。ははは、おかしいですね。もっと気の利いた名前はなかったんですか?」と言われたことがある。
余計なお世話である。
気の利いたハンドルネームをさんざん考えた末に、このハンドルネームに行き着いたのだ。
その途中の事情を知らない人からとやかく言われたくない。
このハンドルネームがしっくりいっている理由は、そのまんまだからである。
何がそのまんまかというと、このハンドルネームはぼくが白髪頭だから出来た名前で、『白毛+本名』という構成で成り立っている。
これほどわかりやすいハンドルネームはないだろう。

その人は続けた。
「ほら、ハンドルネームといえば、よくアルファベットで書かれているじゃないですか。例えば『Jhon』とか『Paul』とか。そういうのは考えなかったんですか」
「考えんかった。別にIDじゃないんやけ、その必要はないやろ。日本人ならちゃんと日本の文字を使わなね」
「そうですかねえ。何かピンとこないなあ」
「あんたがピンとこんだけで、他の人は充分にピンときとるよ」
「ふーん。でも何かなあ…」

この人は、ぼくに『Jhon』とか『Paul』とかいうハンドルネームを付けてもらいたかったのだろうか。
もしそうなら、それこそお笑いである。
いったい彼は、どういうセンスをしているのだろう。
ぼくのどこが『Jhon』なんだろうか。
『Paulしんた』…、ぼくは指パッチンはできない。

「あんた『しろげしんた』が気に入らんとね?」
「いや、気に入らんことはないんですけど。『しろげしんた』という名前はけっこう知られているみたいですし…」
「それなら、いいやん」
「それはそれで置いといて、もう一つハンドルネームをどうかと思って」
「ローマ字のハンドルネームなんかいらん」
「いや、ローマ字じゃなくてもいいから、おかしくないやつがほしいなあ」
「何でハンドルネームにこだわるかなあ」
「それはですねえ、日記は『しろげしんた』でかまわないんですよ。でも、しんたさんのホームページはそれだけじゃないでしょう。詩や歌があるじゃないですか」
「うん」
「ぼく、けっこう好きなんですよ、あの手の詩や歌が。でも、あれを『しろげしんた』でやられるとねえ。何か価値が下がるような気がするんです」
「おれはそうは思わんけど」
「いや、あれだけ真面目な詩や歌を書いている人の名前が『しろげしんた』なんて、興醒めするじゃないですか。ね、詩や歌だけでかまわないから、もっとまともなハンドルネーム付けてくださいよ」

もう一つのハンドルネームねえ…。
そういえば、ハンドルネームを10個以上持っていると言って、自慢している人がいたなあ。
しかし、『しろげしんた』ひとつでさえ苦労したのに、もう一つ考えるとなると、けっこうエネルギーを使うだろう。
そんな暇があったら、日記ネタを考えた方がましである。
ということで、そのことはそこで終わりになった。

ところがある時、ハンドルネームは、何も『しろげしんた』だけがおかしいのではないというのに気がついた。
他にも、もっとおかしなハンドルネームがあるものである。
さっそく、このハンドルネームが誕生した。
『皆岡伸太』
ある人に対する回答である。



2005年03月16日(水) イトキョン他

【イトキョン】
うちの店に『イトキョン』という女性の従業員がいる。
背の高い人で、足がやたら長い。
ぼくより長いのではないだろうか。
ホワイトデーに、ぼくの手渡した包みを見て、「うゎー、ヨックモックやん」と言って歓喜の声を上げたのは、実はこのイトキョンなのだ。
そのホワイトデーの日に、この人の面白い癖を見つけた。
イトキョンが真剣に仕事をしていたのを見つけ、ぼくはそーっとイトキョンに近づいていき、声色を変えて「あ、すいません」と言った。
こういう場合は、素早く振り向いて「はい」と答える人が多い。
ところが、イトキョンは違った。
ぼくが「あ、すいません」と言っても、すぐに振り向かなかった。
彼女はいったんそこで笑顔を作り、そのあとで「はい」と振り向いたのだ。
そう、彼女は『作り笑顔女王』だったのだ。

実は、ぼくと彼女とはあるつながりがある。
それは、イトキョンのお父さんは、ぼくの高校時代の音楽の先生だったということだ。
前に「世間は狭い」という日記を書いたが、これまた狭い実証になった。
今日、そのイトキョンに、このホームページの存在を知らせた。
ということで、慣れない手つきでパソコンを触りながら、この日記を見ていることだろう。


【背が高い人】
イトキョンが『背が高い』というので思い出したことがある。
高校2年の時だった。
帰宅途中にデパートでレコードを漁っていた。
その時、一人の背の高い男が目に付いた。
ぼくは「背が高いのう」と感心して、その男を見た。
その男は高校生だった。
いちおう学生服を着ていたので、襟章を見ればどこの高校かすぐにわかるはずなのだが、あまりに背が高いので、そちらのほうばかりに気を取られて、それを確認することを忘れていた。
それが命取りになった。
しばらく見ていると、その男はぼくの存在に気づいたようだった。
相手もぼくを見ている。
が、彼の目つきは、ぼくがしているような感心して見る目つきではなかった。
殺気を含んでいるのだ。
しばらくして彼はぼくのそばにやってきた。
そして、声を荒げて「コラ、何ガンつけよるんか」と言った。
その時ぼくの目に男の制服の襟章が入ってきた。
「まずい!」
どう見ても朝高である。
しかも、相手は一人ではなかった。
その頃にはぼくもそこそこ背が高く、筋肉もついていたのだが、何せ相手が相手である。
そこで、ぼくはさっそく逃げたのだった。

だけど、あの男は高かった。
世の中には、あどけない顔をしているのに、なぜか背だけを無理矢理引き伸ばしたような人がいる。
そういう人に限って、やせ細っているものだ。
だが、その男はそうではなかった。
背が高いばかりではなく、そこそこ横もあり、顔もその背の高さにあった顔をしていた。
あんなのとやり合っていたら、おそらくボコボコにされていただろう。
いや、背の高い人の弱点は足腰にあるから、そこを攻めていたら、勝てたかもしれない。
しかし、後が面倒だっただろう。
何せ、相手が相手だからだ。
カッターナイフを持って暴れられでもしたらことである。



2005年03月15日(火) 何が優良企業だ! 5位より上を狙うぞ!

【何が優良企業だ!】
ようやく昨日で普通の生活に戻った。
実は先週の金曜日から日曜日までの三日間、嫁ブーは会社の棚卸しがあって、帰りが遅くなっていたのだ。
その時間というのが、女子社員としては半端ではないのだ。
初日が深夜1時、二日目が深夜0時、最終日が午後11時だった。
これが交代制で遅くなったのならともかく、嫁ブーは三日とも朝8時半に家を出ている。
ということは、三日間の平均拘束時間は15時間半になる。
キチガイ沙汰である。
ぼくがいた頃から、仕事の段取りが悪く、時間にルーズな会社だったが、全然改善されていないのだ。

そのせいで、ぼくの生活のリズムも崩れた。
なぜなら、迎えに行かなくてはならないからだ。
もちろん食事は別々で、嫁ブーは会社で食べ、ぼくは実家で食べた。
当然、晩酌は出来ない。
晩酌のない食事の、どこがおいしいだろう。
しかも、晩飯を食べた後はただでさえ動きたくなのに、往復30分も車を運転しなければならないのだ。
こちらにも夜間手当がほしいものである。
しかし従業員の家族のことも考えてくれない企業が、優良企業だと言われているのだから、世の中狂っているとしか思えない。


【5位より上を狙うぞ!】
先日、久しぶりに歌を録音したことを書き、ソフトがないとわめいていたが、三日前にひょんなことから、そのソフトのタイトルがわかった。
そこで、すぐさま制作者のサイトに行って、ソフトをダウンロードした。
ということで、今日、この間の録音に手を加えることにした。
やはりこのソフトは最高である。
そこにある機能を、ハードで揃えようとすれば、20万円は優にかかってしまう。
しかも使い慣れているから、わざわざヘルプやreadmeを読む必要もない。
それを考えれば、ソフト代金の3500円は安いものである。

さて、とりあえず前の録音を聴いてみたのだが、何ヵ所か聞きづらいところがある。
それを処理しなければならない。
最初はコーラスを使って声の厚みを出してごまかそうかと思った。
が、そんな姑息な手を使っては聴く人に失礼である。
そこで使ったのがグラフィックイコライザーだった。
それを使って声の部分を増幅したのだ。
試行錯誤したものの、何とか聴けるようにはなったようだ。

さっそくプレイヤーズ王国に歌を登録した。
公開は一週間後になるという。
これまで公開した歌の中では『昨日までの生き様』の5位が最高順位だった。
今度の歌は、いちおうぼくの歌創作の最後の曲だから、ぜひその上を狙いたいものである。
そういうことなので、よろしくお願いします。



2005年03月14日(月) ホワイトデー

昨年の日記にも書いたが、昨年のバレインタインのお返しは、資生堂パーラーのチーズケーキだった。
その評判がよかったので、「今年も何か喜ばれるものを」といろいろとお返しを考えていたのだが、なかなかこれといったものが見つからない。
ケーキのおいしい店なら知っているが、ケーキだと日持ちがしない。
そこで、日持ちのするクッキーに絞り込むことにした。
ところが、そうなると、クッキーのおいしい店を探さなければならなくなる。
クッキーなど普段食べないので、どこのがおいしいかなんてまったくわからない。
そこで今年も嫁ブーを登場させた。
先週の休みに、デパートにつき合ってもらったのだ。
デパートは昨年と同じく、メイン入口と食品売場の二ヶ所に特設会場を作り、そこに若い子をはびこらせて中年面のおっさんたちの購入意欲を煽っていた。

一通り見て歩いたが、商品がたくさんありすぎて、どれを選んでいいのかわからない。
「いっぱいあるのう。どれ選んでいいかわからん」
「うん」
「いっそ、『ひよこサブレ』とか『チロリアン』とかにしようか」
「だめよ、お土産やないんやけ」
「変わらんやないか」
「全然違う」
「石村の『塩豆大福』は?」
「それもお土産」

ぼくはだんだんイライラしてきた。
「面倒やのう。やっぱり、今年も資生堂パーラーにしよう」
「だめよ。毎年同じじゃ飽きられるよ。最初に決めたとおりクッキーがいいっちゃ」
「クッキーと言ったってのう…。どこか有名なところあるんか?」
「あるよ」
そう言うと、嫁ブーはぼくをあるブースに連れて行った。

「これがおいしいんよ」
「y、o、k、u、m、o、k、u、ヨクモク?」
「違う、ヨックモック!」
「聞いたことないのう。ここ有名なんか?」
「うん」
「こういうのブルボンにもあったのう」
「全然味が違う。こっちのほうがずっと上品な味がするんよ」
「ふーん。じゃあこれにしよう。おまえ適当に見つくろって買っとけ」
そう言って、ぼくはお金を渡した。

しばらくして、精算を終えた嫁ブーが大きな袋を持ってきた。
買ったは、バレンタインデーにもらった人の分5個と、前に母からタバコをもらっていたのでそのお返し1個の計6個。
嫁ブーには、みな同じものを買えと言っていた。
ところが、袋の中を見ると一つだけ包みが大きいのだ。
「なんかこれは?」
「お義母さんの分」
「みんな同じのにしろ、と言うとったやろ」
「ふふ、いいやん」
なるほど、そういうことか。
母にあげた分を、自分も分けてもらおうという腹なのだ。
相変わらず、せこい女である。

さて、昨日13日、まず一人の人に、そのヨックモックのクッキーを手渡した。
するとその人はその包みを見て、「うゎー、ヨックモックやん」と言って歓喜の声を上げた。
その人はヨックモックのファンで、デパートに行くたびに、それを買っているらしい。
なるほど嫁ブーの言うとおりである。
ヨックモックは有名だった。
ということで、今日あげた人の反応が楽しみである。



2005年03月13日(日) チャンポンの話

昨日の日記を読んでもらったらわかると思うが、ぼくはラーメンの味にはこだわらない。
ラーメンの味なんてどこも似たり寄ったりだから、どうでもいいのだ。
それよりも大事な食べ物がぼくにはある。
それはチャンポンである。

 『チャンポン』
 彼はチャンポンが好きだった。
 とにかくチャンポンが好きだった。
 金がある時は、
 いつも街に出てチャンポンを食べるのだ。
 二杯も三杯も食べるわけではない。
 一杯も食べれば、それで満足なのだ。
 そして食べ終わった後に水を飲みながら、
 おいしそうにタバコをふかすのだ。
 他のものは食べないのかというと、
 そうでもないらしく、
 時々ニンニク臭いときもある。
 だけど、そのニンニク臭さの中で言葉を交わすと、
 やはりチャンポンの話が出てくる。
 おかしな奴だと、
 よく大笑いしたものだ。
 彼はチャンポンが好きだった。
 とにかくチャンポンが好きだった。

詩にまで書いているくらいだから、その思い入れは人一倍強い。
チャンポンは、豚骨スープオンリーのラーメンと違い、野菜のエキスが加わっているから、実にまろやかな味である。
これがぼくの舌に合うのだ。
かつて野菜スープがブームになったことがあるが、チャンポン好きのぼくにとっては無用なものだった。
そう、チャンポンのスープ、即ち野菜スープだからだ。
さらに、野菜や豚肉がたっぷり入ってボリウムがあり、けっこう腹持ちする。
ラーメンのように、食べた後しばらくすると腹が減るようなことはないということだ。

ぼくは、気が向いたら、いつもチャンポンを食べに行っている。
行く店もほぼ決まっている。
地元の人にしかわからないだろうが、いちおう店の名前を書いておく。
岡垣の『峠ラーメン亭』、折尾の『おおむら亭』、それと黒崎の『鉄なべ』である。
『峠ラーメン亭』と『おおむら亭』は、同じ系統のチャンポンであるが、味は『峠ラーメン亭』のほうがいい。
ただ、家から『峠ラーメン亭』に行くには、車で行っても若干時間がかかるので、歩いて行ける『おおむら亭』を利用することが多い。
『鉄なべ』は、だいたい月に一回行っている。
チャンポンにしては珍しい醤油味で、あっさりしている。

福岡県在中の人なら、「地元なのに、どうして『銀河のチャンポン』の名前が入ってないのか」と思うだろう。
そう、『銀河のチャンポン』という店は、県下で一番有名なチャンポンの店なのだ。
そのため、遠方から食べに来る人も多い。
ラジオなどでも、よくチャンポンのおいしい店として紹介されているし、最近はラジオでCMも流すようになった。
おそらく、チャンポン屋で行列の出来る店というのは、ここくらいではないだろうか。

しかし、ぼくは『銀河のチャンポン』の味はあまり好きではないのだ。
おいしい人にはおいしいだろうが、ぼくの舌には合わない。
10数年前、銀河がまだ八幡駅前にあった頃に、一度行ったことがある。
その頃から行列の出来る店として有名だったので、わざわざ昼食時を外していった。
にもかかわらず、その時間も行列が出来ていた。
さんざん待たされたあげく食べたのだが、一口食べてがっかりした。
期待はずれだったのだ。
ぼくは、先に書いた『峠ラーメン亭』のようなオーソドックスなチャンポンが好きなのだが、銀河のチャンポンは、唐揚げを入れるなどしてほとんど創作だった。
ということは、その味が気に入った人にとっては、比較する店がないがゆえに、自ずとNo.1の店になってしまう。
銀河の人気の秘密は、おそらくそういうところにあるのだろう。
しかし、ぼくのように合わない人間には合わないのだ。
やはり、普通のラーメン屋でやっているような、白いスープのチャンポンのほうが、ぼくは好きである。

ところで、上の詩だが、昭和54年9月13日に書いたものである。
その頃ぼくは東京にいた。
そろそろ東京に飽きた頃に書いたのだ。
つまり、チャンポンというのは、ぼくにとって郷愁の象徴(シンボル)だったわけである。
岐阜に住んでいた叔母がこちらに帰省した時の話だが、駅に着いて真っ先に行ったのが、とあるラーメン屋だった。
そこで注文したのがチャンポンだった。
食べ終わったあとに、叔母はひと言言った。
「やっと九州に帰ってきた」
叔母にとっても、チャンポンは郷愁の象徴(シンボル)だったのだろう。



2005年03月12日(土) ラーメングルメ

相変わらずラーメンブームは続いているようだ。
先日もラジオで、おいしいラーメン屋の紹介をやっていた。
ぼくも昔は、そういったおいしいラーメン屋を探して歩いたことがある。
外回りをしていた頃なんかは、市内のおいしいと言われているラーメン屋を回っていたものだ。
多い時は、一日に5軒ハシゴしたこともある。
さすがにその時は、喉が渇いてたまらなかった。
また、用もないのに、わざわざ門司港まで出かけて行ったこともある。
別に船を見に行ったわけではない。
そこにおいしいラーメン屋があると聞いたからだ。
で、味はと言うと、さて、どうだったのだろう?
食べ物のおいしさというのは、その時その時の腹の減り具合で大きく変化するものだから、腹が減っている時はどんな店でもおいしく感じたし、そうでない時はそこまででもなかった。

中学の時だったが、土曜日は決まって近くのラーメン屋に行っていた。
その日は弁当がなかったので、鍵っ子だったぼくは、外食をしなければならなかったわけだ。
まだ、ラーメングルメなどという言葉もブームもなかった時代だから、味なんか意識したことはなかった。
ラーメンとは、だいたいこんな味だと思って食べていたのだ。
その時も、腹の減っている時と、そうでない時の味は違っていた。

高校に入ってからは、お好み焼きに入り浸っていたため、ラーメン屋に行くことはほとんどなくなった。
それでも、試験休みでクラブがない時は、バスの時間待ちの合間にラーメンを食べに行ったものである。
通学路にはいくつもラーメン屋があったが、いつも行くのは決まっていた。
後年、ラーメンブームに乗っかって東京に進出し、行列の出来る店になった『唐そば』である。
しかし、ぼくは、そこのラーメンがおいしいと思っていたわけではない。
つまり、味にこだわってその店を選んだのではないということだ。
では、なぜそこを選んだのかというと、バス停に一番近かったからである。
それ以外に理由はない。
その『唐そば』のラーメンでさえ、腹が減っている時にはおいしく思えたのだから、おいしいとかおいしくないとかは、やはりその時の腹の減り具合で決まるものなのである。

ぼくは、俗にいうラーメングルメではない。
そういう舌を持っているわけでもないし、味の一つ一つを気にしながら食べるような神経質な人間でもない。
ただ、その時々に空腹感を押さえられたら、味はどうでもいいのだ。
腹が減っている時は、どこの店のラーメンでもおいしく感じるのだからだ。
それを考えると、以前のラーメンブームの時に、市内を走り回っていた自分が恥ずかしく思える。

そうそう、その時に気づいたことがある。
ぼくはインスタントラーメンに生卵を乗せ、バターをたっぷり入れて食べるのが大好きである。
が、この辺に多い、豚骨至上主義のラーメン店では、まずそいうことはやってくれない。
札幌ラーメンの店でも、卵はゆで卵だし、バターの量は限られているのだ。
つまり、どんなにおいしいと言われるラーメン屋のラーメンも、自分で好みの味を作れるインスタントラーメンには勝てないということである。



2005年03月11日(金) 昨日の日記 他

【昨日の日記】
昨日、この日記に血液型のことを書いたが、当初はそういうことを書くつもりはなかったのだ。
何を書きたかったのかというと、部屋が散らかっているように、車の中も散らかっているということだった。
ぼくの車の中には、いろいろな物が置きっぱなしになっている。
まず、最後部に傘が5本ほど入っている。
それは5,6年前に置いたものである。
また、何部かの新聞紙も置きっぱなしになっている。
一番古い新聞の日付は、平成9年8月6日だ。
ごみはもちろん、そのまま放置である。


【汚いなあ、しんた】
そのごみで大変な目にあったことがある。
それは、2年ほど前のことだった。
ある日、変な虫がたくさん車の中を飛び回っているのに気がついた。
最初は、量が少なかったので、てっきり窓から入って来たものだと思っていた。
ところが、時間がたつにつれ、だんだん量を増してきた。
「おかしいな」とは思いながらも、ぼくは気にしなかった。
彼らは、昼間は活動しないのだが、夜になると飛び回る。
外の光につられて、窓にへばりつくのだ。
そういうある日のこと、運転中にその一匹が目の中に飛び込んできたのだ。
それでぼくは頭に来て、ようやく退治しようという気になった。
ドラッグストアで殺虫剤を買ってきて、窓という窓にふりかけた。
これで絶滅するだろうと思っていたが、何日たっても虫は減らない。
どこか窓が開いているのかと思い調べてみたが、どこも開いてない。
しかたなく、あとは見つけ次第潰すことにした。

それから数日後、甥をドライブに連れて行った。
日が落ちてあたりが暗くなった時だった。
後ろに座っていた甥が、「ここにいっぱい虫がおるよ」と言った。
車をとめて見てみると、虫がいるのは古いごみの置いてあるところだった。
虫は窓から入ってきたのではなく、ごみからわいたのだ。
そこで、ぼくはごみを片付けることにしたのだった。

それから後は何もやった覚えがない。
ということで、今のごみは2年間のごみということになる。
が、幸い変な虫はわいてない。


【春の訪れ】
先日、そのごみとはまったく関係ない場所から、違う虫がわいた。
いや、わいたというより、入ってきたと言うべきか。
ぼくは昼食後いつも自分の車の中で昼寝をしているのだが、その日食事が終わって車に行くと、ジュースホルダーに置いてあった缶コーヒーの上を黒いものが動いているのが見えた。
よく見ると、それはアリだった。
慌ててぼくは、それを外に出した。

前にもこういうことがあった。
その時はアリが行列を作って入って来ていたので、退治するのにけっこう時間がかかったものである。
結局全部退治できなかったので、車用の『アリの巣コロリ』を仕掛けたのだった。

そのことを思い出して、他の空き缶も車外に出すことにした。
車の中を探してみると、後部座席に空き缶がもう一つあった。
それも外に出した。
他にも栄養ドリンクの空き瓶があった。
だが、それは蓋が閉まっていたので大丈夫だろうと思い、今もそのまま置いてある。



2005年03月10日(木) 人の血液型で遊ぶな

ぼくは面倒臭がり屋である。
そのため、部屋の掃除なんかはまったくしない。
散らかっている部屋で毎日パソコンに向かい、時に本を読み、まれに歌を録音している。
たまに嫁ブーが部屋を掃除しにくるが、掃除するのは床だけで、机の上や、パソコン周り、書棚近辺は手を出そうとしない。
なぜかというと、どこから手を付けていいかわからないからである。

前に一度、遊びに来た友人がぼくの部屋を見て、「こんなに散らかっとるのに、よく気にならんのう」と言ったことがある。
その時ぼくは、「全然気にならん」と答えた。
「おまえA型やろ?」
「そうやけど」
「全然A型らしくないのう」
「何で?」
「A型は神経質で几帳面と言うやないか」
「ある面神経質で、ある面几帳面やけど」
「どこがかっ!?」
「おまえの一挙一動を観察するのに神経質で、それを日記に書くのに几帳面なんたい」
「それはおまえが悪趣味というだけの話やないか。そういうことを神経質とか几帳面とか言わん」
「じゃあ、神経質が掃除をするんか?」
「そういうことじゃない」
「几帳面はぞうきんが好きなんか?」
「そういう意味じゃないと言いよるやろ」
そのあと延々と、彼の説教とぼくの屁理屈が続いた。

ぼくは血液型で性格を判断されることが嫌いである。
なぜなら当たらないからである。
人の血液型を当てるのが好きな人に、よくお目にかかる。
そういう人たちは、人の顔を見ると、決まって「あんた×型やろ?」などと言ってくる。
しかし、ぼくの血液型を当てた人は、二三人くらいしかいない。
一番多く言われるのがB型で、次に多いのがO型である。
B型に見る人は、ぼくをちゃらんぽらんでマイペースな人間だとか思っているようだ。
また、O型だという人は、ぼくがおっとりして落ち着いた雰囲気を持っているかららしい。
そういう人たちには申し訳ないのだけど、ぼくはそれらの性格、すべてを持ち合わせている。
さらに言うと、神経質で几帳面でもある。
一度、そういうものすべてをさらけ出して、「さて、何型でしょう?」と聞いてみるのも面白いかもしれない。
そうしたらきっと、AB型だと言われるだろう。

だいたい、たった四つしかない血液型で人の性格を判断しようというのが間違っているのだ。
血液型で性格を判断しようとするのであれば、どういう組み合わせのA型なのか、どちらの影響が強いのかまで調べる必要があるのではないか。
ぼくは先ほど言ったとおり、神経質で几帳面なA型であるが、額面通りに捉えられたことはほとんどない。
その理由は、母の血液型であるO型が混ざっているからだと思っている。
ぼくの知り合いにも、父親がA型、母親がO型、本人A型の人がいる。
その人もぼくと同じく、B型やO型に見られるのだという。
ということは、『A型とO型の組み合わせのA型は、A型に見えない』と判断しなければならない。
人の血液型で遊ぶ人は、本に書いているのをちゃんとそこまで突っ込んで調べてほしいものである。
そうしてもらわないと、友人ばぼくの部屋に遊びに来た時に、また屁理屈をこねなければならなくなる。



2005年03月09日(水) リポDとご飯は合いますか?

世の中には、実に色々な人がいる。
今日ぼくは、改めてそのことを実感した。
何があったのかというと、あるものを見てしまったのだ。
それは、ある人がリポビタンDを飲みながら、ご飯を食べている姿だった。
ジュースを飲みながらご飯を食べている人は、何度か見たことはある。
が、栄養ドリンクを飲んでいる人は初めてである。
そういえば、かつて、ご飯にコーヒーをかけて食べている人の話を聞いたことがある。
コーヒーと言ってもブラックではない。
ミルク砂糖入りである。
その時も驚いたが、今日ほどの驚きではなかった。
しかし、栄養ドリンクといいコーヒーといい、こういうものをご飯といっしょに食べる人というのは、いったいどういう食感覚をしているのだろうか?

かつて知り合いが、ご飯に牛乳をかけて食べているのを見たことがある。
まあ、栄養ドリンクと違って、ご飯時に牛乳が食卓上にあっても、何の違和感もない。
しかし、それをご飯にかけるとなると話は違ってくる。
「おまえ、よくそんな組み合わせを食べることができるのう」とぼくが言うと、「おまえだって、ご飯にバターを付けて食べるやないか」と彼は言う。
そう、ぼくはよくご飯にバターを付けて食べている。
そこで、ぼくが「ご飯にバターがおかしいと言うなら、ピラフはどうなんか」と言うと、彼は「ご飯に牛乳がおかしいと言うなら、ドリアはどうなんか」と言い返す。
どっちもどっちである。
もとはいっしょなのだ。
しかし、バターのほうが普通である。

バターで思い出したが、ぼくはみそ汁にバターをたっぷり入れるのが好きである。
そしてそれを、冷やご飯にぶっかけて食べるのだ。
ぼくはこれ以上の贅沢はないと思っている。
ところが、それを気持ち悪がる人がいる。
が、ぼくに言わせると、気持ち悪がる人のほうがおかしいのだ。
その言い分を先のリポDやコーヒーの人に当てはめると、それを気持ち悪がる人のほうがおかしい、ということになるのだろう。
だけど、やっぱりリポDはおかしい。

そういえば、かつてオロナミンCの飲み方の一つとして、オロナミンセーキというのがテレビで紹介されたことがある。
ミルクセーキは牛乳に卵を落としてシェイクするが、オロナミンセーキもそれと同じで、オロナミンCの中に卵を落とし、かきまぜるのだ。
テレビではおいしそうに飲んでいたが、実際どうだったのだろうか。ぼくはもちろん気持ち悪くて飲んでいないので、そのへんがわからない。
しかし、そのことを知りたいがために、わざわざオロナミンセーキを作って飲む気にはなれない。



2005年03月08日(火) 久しぶりに録音する

昨日の日記は、歯医者から帰ってきてから書き上げた。
したがって、更新は午後になってしまった。
今日は歯医者以外に、これといった予定もなかった。
そこで、「試しに」と思って、ギターを弾いてみることにした。
まだまだ肩は痛い。
とはいえ、以前ほどではない。
これなら何とか弾けると思い、何曲か弾き語りをやってみた。
弾き語りをするのも、久しぶりである。
すでに、指先のギターダコがなくなっているので、弦を押さえる指先が痛くてたまらず、途中何度も投げ出しそうになった。
しかし、やっているうちに自然に理にかなった押さえ方になっていた。
このへんは、さすがに昔取った杵柄で、何とかなるものである。

さて、ある程度昔の勘が蘇ってくると、今度は録音したくなってくる。
パソコンの横に、録音機材が2台横たわっている。
そのうち一つは音がいいが操作が面倒で、もう一つは操作は簡単だが音が悪い。
せっかくだから音のいいほうで入れたかったのだが、あまり時間がなかったため、操作が簡単なほうでやってみることにした。

ぼくは物を大事にしない人間なので、機材はかなりほこりをかぶっている。
「これで録音できるんだろうか」と恐る恐るスイッチを押してみた。
出ましたなあ、『ERROR』の文字が。
さて、どこがおかしいのだろうと調べてみると、それは単純なミスだった。
カードが入ってなかったのだ。
この機材、ハードディスクのような気の利いたものが内蔵されてないため、カードがないと記録できないのだ。
そこで机の中からカードを探し出した。
これもかなり埃まみれになっている。
これでホントに大丈夫かと思いながらカードを入れてみたら、何とか成功。
これでようやく録音できるようになった。
ここまでで、すでに30分を要している。

さて、久しぶりにマイクを前にしての弾き語りである。
別に誰がいるわけではないが、なぜか緊張する。
それもそのはず、ぼくはギターを入れて、それから歌を入れて…、などということはやらない。
すべて一発録りなのである。
今までもそうしてきた。
例外は『月夜待』だけだが、それでも基本は弾き語りだった。
その上に、ギターの伴奏をちょこっとかぶせただけである。
そういうわけで、失敗が許されないのだ。
まあ、そのほうが真剣味も出るから、ダラダラした性格のぼくにとっては、かえって都合がいい。
そのくらいの緊張感があったほうが、いい録音が出来るということだ。

今日は同じ曲ばかり三回録音した。
一回目は、演奏の最後の最後、そばに置いていたコンビニの袋に手が当たってしまい、「ジャラッ」という音が入ってしまった。
そのため、もう一度録り直した。
今度はコンビニの袋に触れることはなかったのだが、携帯の音を消してなかっため、たまたま入ってきたメールの着信音が録音されてしまった。
三度目の挑戦で、何とかうまくいった。
とはいえ、いい機材を使わなかったために音は悪い。
あとは、それをごまかすために、ソフトを使ってのエフェクト処理が待っている。
そのソフトが、昨日日記に書いたソフトなのだ。
まあ、そのソフトは無料お試しが出来るので、それを使えばいいのだが、問題は昨日も言ったように、そのソフトの名前がわからない。
まず、それを何とかしなければならない。
公開はその後になる。



2005年03月07日(月) 久しぶりにプレイヤーズ王国の話

身近な人や、プレイヤーズ王国で知り合った人から、「歌はどうなっているんだ」というご意見をいただく。
そういえばそうである。
昨年の今頃は、毎週のようにプレイヤーズ王国でオリジナル曲を公開していた。
それが、夏を境にまったくやらなくなった。

それには理由がある。
パソコンのリカバリをやったことだ。
7月に、不注意から、何をやってもパソコンが起動しなくなったことがある。
とにかくセーフモードでも起ち上がらないので、頭に来てとうとうリカバリに走ったのだ。
そのせいで、貴重なソースを失ってしまった。
新たに録音すればいいのだが、その頃から五十肩の痛みが酷くなり、ギターを持っただけでも肩に響くようになった。
そこで、肩がよくなるまでしばらくギターを握るまいと思い、それからギターを持つことすらしなくなった。
日記を読んでもらったらわかると思うが、まだ肩はよくなってない。
ということで、次の録音が出来ないでいるのだ。

また、リカバリのせいで、それまで入れていたソフトが全部消えてしまったこともある。
以前の形に戻そうと努力した結果、普段使うソフトだけは、何とか復旧出来た。
が、曲の編集のために使っていた、あるソフトが復旧できなかったのだ。
それがないと、音の大きさやバランスの編集が出来ない。
最初は、使う時にまたダウンロードすればいいと軽い気持ちでいた。
ところが、ダウンロードしようと思った時、肝心なことを忘れているのがわかった。
それは、そのソフトの名前を忘れてしまっていたということだ。
さらに、そのソフトはシェアウェア(有料)だったため、ライセンスキーがいる。
リカバリしたことで、そのライセンスキーがわからなくなってしまったのだ。
まあ、ソフトの名前は、その機能とかで検索していけば何とかなるのだが、ライセンスキーだけはいかんともしがたい。
新しく録音すれば、そういうソフトがなくてもかまわないのだが、それが出来ないでいる今、どうしても古い録音に頼らなければならない。
そのためには、そのソフトがどうしても必要になる。
さて、いったいどうしたものか。

ところで、7月以降、プレイヤーズ王国に何も公開していないわけではない。
今年に入って、1曲だけ公開している。
もちろん古い録音ではあるが。
しかし、公開はしたものの、公表はしていない。
なぜなら、音質はまあまあなのだが、いかんせんやっている本人の覇気が感じられないからだ。
20代の頃、FM局のコンテストに応募したくらい自信を持っている曲であるがゆえ、覇気のない歌を公表するわけにはいかなかったのだ。

まあ、そういうことなので、肩が治るまで、新しい録音での公開はないと思ってください。
古いカセットなどを調べてみて、「これは聴かせられる」と思うものがあれば、それを公開していきますので、悪しからず。



2005年03月06日(日) 20世紀少年18巻を買う(後)

普通、空中浮揚といえば静寂を伴っているものだが、写真で見る麻原の顔にはそれがなく、スピード感があった。
走っている人のようにゆがみ、髪は強風にあおられたように乱れていたのだ。
何の解説もなしにそれを見たとしたら、まさか空中浮揚しているとは思わないだろう。
そこにあるのは、変な格好をしてジャンプしているおっさんの姿なのだから。

あの頃のニュースやワイドショーは、オウムのことなら、どんな小さなことでも取り上げていた。
ちょうど今の北朝鮮報道のようなものだ。
視聴率を取りたいがためか、タイトルの上にはいつも『仰天!!』の文字があった。
しかし、見てみると、どれも先の空中浮揚のような茶番でしかなかったのだ。

彼らは、そういうくだらないことを信じているオウムの信者たちを、「サティアンという隔離された世界で生活しているせいで、世間というのがわからなくなっている」と評していたが、くだらないことを真剣に論じている自分たちのことがわかっていたのだろうか。
きっと彼らは、自分たちが『仰天』することは、世間の人も『仰天』するとでも思っていたのだろうが、そういう彼らこそ「世間のことがわからなくなって」いたのではないか。
言い換えれば、信者が麻原を盲信したように、彼らも「大衆は無知だ」ということを盲信していたわけである。

さて、その麻原だが、空中浮揚にこんなオチがあった。
後日説法の場で、空中浮揚の話になった。
その時麻原は「おれ、空中浮揚したよなあ」と、幹部に同意を求めたという。
これがすべてを物語っている。
自分が空中浮揚したのだから、他人に「空中浮揚したよなあ」なんて同意を求める必要もないだろう。
同意を求めるというのは、自分に自信がない時に起きる人間の習性である。
よほど自分に自信がないのだろう。

ところで、宗教人というのは、こういう『奇跡』を見せつけて信者を獲得することが多い。
日蓮やキリストがそうだったように、今も昔もそれは変わらない。
そういえば、その日蓮の流れをくむ新興宗教は、その宗祖でさえ出来ないような奇跡を語って、信者を勧誘している。
高校時代、先輩の家に勧誘に来た人が、「わたしはねえ、交通事故で腕を切断したんやけど、この宗教に入って奇跡が起こってねえ、腕が生えてきたんよ」と言っていたという。
先輩の家の人はそれを聞いて、「帰ってくれ」と言った。
それが普通である。
しかし、宗教に走る人というのは、それが普通だと思っていない。
『なんでもいいんだよ。彼らはなんでもいいから、信じたいものがほしいんだよ』
“ともだち”の言うとおりである。



2005年03月05日(土) 20世紀少年18巻を買う(前)

昨日、『20世紀少年(18巻)』を購入した。
もうそろそろ出る頃だろうと、先月から足繁く書店に通っていたが、いつもふられていた。
最後に書店に行ったのは、今月の1日だった。
その日も『20世紀少年(18巻)』はなかったので、店の人に聞いてみようと思いレジの近くまで行った。
ところが、そこに前々から探していた本が置いてあった。
「おっ!」っと思い、それを手にとって読んでいるうちに、『20世紀少年』のことをすっかり忘れてしまった。
その本を買うと、店の人に『20世紀少年(18巻)』のことを聞くこともなく帰ってしまった。
結局、その後その本にハマってしまい、昨日まで『20世紀少年(18巻)』のことは忘れていた。

昨日のことだった。
晩飯を食った後に、嫁ブーがコンビニに行くというので、ついていった。
週刊誌でも読もうと思ったのだ。
コンビニで嫁ブーが買い物している間、ずっとぼくは週刊誌を読んでいた。
そして、嫁ブーの買い物が終わり帰ろうとした時だった。
ふとコミックのところを見ると、そこに見慣れたロゴがあった。
【20世紀少年】
「おお、出とるやないか」
ついぼくは大声を出してしまった。
店にいた人の視線が集まる。
しかし、ぼくはそれを無視して、本をレジに持って行った。

嫁ブーの倍の早さで歩き家に帰ったぼくは、さっそく本を開いた。
相変わらず面白い。
そして考えさせられる。

例えば、今回は主要人物である“ともだち”の、空中浮揚のからくりをばらす場面があった。
ロープで宙づりにするのだが、そこにいた観衆は、それを疑いもせずに空中浮揚だと信じてしまうのだ。
そのロープを操っている人間でさえも、ロープを操っていることすら忘れて、「ホントに浮いている…」「すごい…」と言って感動している。
そこに、「なんでもいいんだよ。彼らはなんでもいいから、信じたいものがほしいんだよ」という“ともだち”の言葉が入る。

オウム麻原の著書に、空中浮揚の写真が載っていた。
オウムに警察の捜査が入った頃に、専門家がそれを検証している番組を見たことがある。
専門家は「これは足を組んで跳ねたものだ」と結論づけていた。
それを受けて、コメンテーターが「ああ、あれは空中浮揚ではなく、空中ジャンプなんですね」とコメントを入れていた。
が、わざわざそんなバカげたことを検証して、テレビで流す必要があっただろうか。
「そういうことをすること自体が病んでいる」と、ぼくはその時思ったものだった。



2005年03月04日(金) 差し歯

いちおう今日で、およそ2ヶ月に渡った前歯四本の治療が終わった。
ま、四本とはいうものの、三本はそれぞれ一日で終わっているから、実質一本にそれだけの時間を費やしたことになる。
その一本の歯というのが、2月25日の日記に書いた、差し歯になる歯である。
そう、今日、差し歯が入ったのだ。

差し歯なんて初めてなので、どうも違和感がある。
とにかく、歯の裏側がツルツルしている。
既存の歯はそれなりに年輪が刻まれて、そこそこざらついているのだが、差し歯にはそれがない。
鏡をなめているような状態なのだ。
これが気持ち悪い。
しかし、これは慣れるしかないだろう。

慣れではどうにもならないものもある。
横の歯と比べると、歯の裏側の高さが微妙に違うのだ。
そのためにかみ合わせが悪い。
差し歯自体が厚めに出来ているのは確かだが、これでは困る。。
しかし、歯医者では、かみ合わせは良かったのに、どうしてだろう。
帰る道々、ない頭でいろいろと考えてみた。
が、結論は出ない。
家に帰ってから、ちょっと昼寝をしたのだが、その時ふと気がついたことがあった。
それは、起きている時と寝ている時では歯の位置が違うということだ。
もちろん歯医者の治療は、寝た状態でする。
その時、口の部分を高くするために、頭を低くするのだ。
そうすると、上あごが前に出るような形になって、下の歯が奥まる。
そのせいで、かみ合わせがうまくいっているように感じたのだろう。
治療中にわからないはずだ。
今度は医者に行った時、この部分をやり直してもらわなけなればならない。

もう一つある。
それは、おそらく気分的なものだろうが、その歯が独立しているだけに、何か安定感に欠けているように思えることだ。
それには理由がある。
先日友人が遊びにきた。
さりげなく会話をしていたのだが、あることに気がついた。
それは、その友人の前歯が一本取れていたということだ。
「歯、どうしたと?」
「昨日、ドアに歯をぶっつけて折ったんよ」
その友人の前歯は差し歯だった。
それを聞いて、ぼくは仮歯を舌で触り、
「そういえば、削りに削って、細く小さくなった歯の上にかぶせるだけなんやなあ。ということは、ちょっとした衝撃でも折れるということか。もしそうなったら、今度は入れ歯になるんか…」と思ったものだった。
きっとそれがトラウマになっているのだろう。
そのことを聞く前に差し歯を入れていたら、きっとそういうふうに思うことはなかっただろう。

と、まあ、若干の不満や不安はあるけれど、色もまあまあだし、ちょっと見では差し歯であることはわからないだろう。
ということで、次回から歯の治療は新しいシリーズに入る。
今度は上下の犬歯である。
それが終わると右奥歯。
まだまだ続くなあ…。



2005年03月03日(木) 耳の日の日記

【1】
今日の『とくダネ!』のトップは、堤義明逮捕の話題だった。
昨日のニュースで、「明日逮捕される予定」と言っていたので、別段驚かなかったのが、『とくダネ!』でそれを確認して、何か胸がスッとする思いがした。
ぼくは、この堤義明に恨みを持っていたのだ。

それは、昭和53年の秋のことだった。
新聞の一面にデカデカと、「西武、ライオンズを買収。本拠地を所沢へ」という見出しが載っていた。
「えーっ!!」と思って、ぼくは何度も記事を読み返した。
最初は半信半疑でその記事を読んでいたのだが、何度も読んでいくうちに、それが現実だということ認めざるをえなくなった。
堤の野郎は自分が楽しむだけのために、九州人の大切なライオンズを持って行ってしまったのだ。

当時ぼくは、東京の西武沿線に住んでいた。
その記事を見た翌日、ぼくはあまりの悔しさに、東京に持って行っていたクラウンライターライオンズの帽子をかぶり、西武の改札口を睨みつけたものだった。

クラウンなき後、特に好きな球団も出来なかった。
もちろん、西武なんか応援する気もない。
所沢に行った時点で、ライオンズはライオンズでなくなっていたのだ。
ダイエーがホークスを福岡に持ってくるまでの10年間、いつもぼくは野球シーズンが始まると、悶々とした気分になっていたのだった。

今日、その張本人である堤も捕まった。
そろそろライオンズを返してもらいましょうかね。


【2】
今朝、ひげを剃っている時、首に傷があるのに気がついた。
よく見てみると、どうも掻き傷のようである。
その時は「いつこんなところを掻きむしったかのう」と思ったのだが、その後そのことについては忘れていた。

会社に着いてからのこと。
あるパートさんが、「しんちゃん、ちょっと」と言って、ぼくをカウンターの中に連れて行った。
「何だろう」と思っていると、パートさんは鏡をぼくに手渡した。
「よーく見てん」
「えっ?」
「もう、しんちゃんったら、キスマークつけて。奥さんとラブラブやね」
「これ掻き傷やろ」
「そうかねえ」
「それに、今嫁さんは生理中」
「そんなの関係ないやん。生理中だって出来るんやけ」

「じゃあ、あんたは生理中もしよるんかね」
とは聞かなかった。
しかし、朝からいったい何を考えているんだろう。
ぼくは基本的に、この手の話は好きではない。
男同士だとたまにはすることもあるが、女性とはそういう話は決してしない。
まあ、そのパートさんも、言いながら顔を赤らめていたくらいだから、男性には言い慣れてないのだろう。
が、あえてその話をしたということは、心の中に何か満たないものでもあるのだろうか。



2005年03月01日(火) 手裏剣

昨年の夏に、高校に上がるまで通っていた柔道の町道場のことを書いた。
その道場では柔道だけではなく、居合道も教えていた。
そのことも日記に書いたのだが、一つだけ書き忘れたことがあった。
実はその道場ではもう一つの武術を教えていたのだ。
それは、手裏剣術である。
手裏剣と言っても、忍者映画に出てくる八方手裏剣などではない。
棒手裏剣である。
五寸釘の太いやつと思ってもらえばいい。
先生は、その道の宗家でもあったのだ。

先生は支那事変の時、部下の敵を手裏剣で取ったという。
何でも、敵兵を待ち伏せしておき、何歩か手前に来たところで、手裏剣を投げたらしい。
そしてそれがすべて当たり、かなりの損傷を与えたのだという。
ぼくは最初、またいつものホラが始まったと思って聞いていたが、その時の新聞の切り抜きを見せてもらい、それが本当のことだとわかった。
その新聞の見出しには、『近代戦に手裏剣』と書いてあった。

ぼくたちがどんな練習をやっていたのかと言えば、壁に板を立てかけ、そこから十メートルほど離れたところから手裏剣を投げる、ただそれだけであった。
ぼくたちは、その練習を、柔道や居合の練習の合間にやらせてもらっていた。
だが、これがけっこう難しい。
最初のうちは、力任せに投げていたのだが、それではなかなか的に刺さらない。
そこで先生に、「どうやったら刺さるんですか?」と、そのコツを聞いてみた。
先生は「肩で投げるな」と言った。
ぼくが「肩で投げんで、どこで投げるんですか」と聞くと、先生は「腰で投げろ」と言う。
腰で投げる、この要領がわからない。
そこで先生の投げ方を見てみると、なるほど肩には全然力が入ってない。
それなのに、板に刺さる時には火花が散るのだ。

そこで、先生の投げ方を真似てやってみた。
すると、10回のうち2,3度は刺さるようになった。
見事刺さる時には、手裏剣が的の前でゆっくりと一回転する。
それが気持ちいい。
それから手裏剣に病みつきになった。
先生から、手裏剣を分けてもらい、家でも練習することにした。
しかし、分けてもらったのは一本だけだった。
そのため、投げるたびに手裏剣を取りに行かなければならない。
それが面倒で、そのうち家で手裏剣を投げることはやめてしまった。

ある日、東京から一人の学生が、手裏剣を習いにやってきたことがある。
それが若き日の武術家甲野善紀さんだった。
練習熱心で、物静かな人だったのを憶えている。
テレビで何度か拝見したことがあるが、その時「甲野さんは、こんな声をしていたのか」と思ったものだ。

先生が亡くなってからは、手裏剣に触ることもなくなった。
その当時、手裏剣を投げていた人も、今は何もやってないようだ。
ということは、先生の技を受け継いでいるのは、甲野さんだけになってしまったということか。
地元の弟子としては、ちょっと寂しい気がする。



 < 過去  INDEX  未来 >


しろげしんた [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加