頑張る40代!plus

2003年10月31日(金) キャンディーズ考察 3

ランをメインに据えた後は、次々とヒット曲が続く。
しかし、ぼくは彼女たちを認めていなかった。
メインボーカルを替えて少しはよくなったかな、という程度のものだった。
一番大きな理由は、彼女たちが歌っていたのは、アイドルポップスだったからだ。

同じ年にデビューした山口百恵は、1976年の『横須賀ストーリー』から、アイドルポップスから脱皮し、独自の世界を切り開いた。
一方のキャンディーズはどうだったか。
75年にスリーディグリーズが来日。
それに刺激を受けたのか、突然いかにもらしいソウル曲『その気にさせないで』を発表した。
しかし、こういう歌ならゴールデンハーフ・スペシャルでも歌えたはずだ。
もしかしたら、事務所は和製スリーディグリーズにしようとでも思っていたのかもしれない。

また、『春一番』は確かにいい曲ではある。
元々この曲は、キャンディーズのために作ったものではなかった。
この曲を聴いた人が「いい曲だから、他に渡すな」と言って、キャンディーズに歌わせたという。
当初はアルバム曲だった。
シングルカットされたのは、アルバム発売から1年後のことだった。
「いい曲だから、シングルにしてくれ」というファンの声に応えたらしい。
結局「いい曲だから」で始まったこの曲は、『およげ!たいやきくん』に押さえられて1位にはならなかったものの、それまでの最大のヒット曲となり、以来30年近く春の歌の定番となっている。
が、ぼくはこの歌をキャンディーズ独自のものとは思わない。
確かに出色ではあるのだが、人生応援歌というか、あまりに歌がストレートすぎて、キャンディーズらしさが見えてこないのだ。
つまり、アイドルポップスの枠を抜け出してないのだ。

「キャンディーズらしさ」、それを見るためにはあと1年待たなければならなかった。



2003年10月30日(木) キャンディーズ考察 2

ぼくがキャンディーズを初めて知ったのは、ドリフの「8時だよ!全員集合」を見ていた時だった。
元々、ぼくはアイドルが嫌いだったせいもあり、最初に彼女たちを見た時、「スクールメイツの延長みたいな奴らだなあ。どうせすぐにだめになるだろう」と思っていた。
小太りの女が真ん中でうまくもない歌をうたっている。
脇の二人にも魅力を感じない。というより、脇の二人は見ていなかった。
全員集合の中でやっていた体操のコーナーでも、前転も満足に出来ないし、これと言って取り柄のないアイドルだった。

全員集合にはほとんど毎週出ていた。
出る毎に歌をうたっていたが、あいかわらず太った子がメインだった。
しかも、さほど曲もよくない。
おそらくそのままの路線で走っていたら、キャンディーズは自然消滅していただろう。

ところが、デビューして1年ちょっとが過ぎた時、初めてランがメインをとった『年下の男の子』が大ヒットした。
当時の評論家は、「スター性のある『ラン』を真ん中にしたのが、ヒットの要因だ」とのたまっていたようだが、ぼくはそう捉えなかった。

その頃芸能界といえば、アイドルの全盛期だった。
いつもどこかのチャンネルにアイドルが出ていた。
当時のアイドルは、中3トリオや浅田美代子などを除いては、目くそ鼻くその世界だった。
どちらかというと、世間はアイドルに飽きていた時代だった。

スーがメインで受けなかったのも、そこにあったのだと思う。
どちらかというと、スーは「ちょっとアイドル」的だった。
そこで、「またか」という気になったのだ。
ところがランはそうではなかった。
隣の姉ちゃんがテレビに出ているような、一種の親しみがあった。
ぼくたち年下の男の子にとって、それはすごい安心感に繋がった。
つまり、ランがメインになって受けた理由は、評論家がのたまった「ランのスター性」というものではなく、「ランの、どこにでもいるお姉さん的な雰囲気」にあったのだ。



2003年10月29日(水) キャンディーズ考察 1

キャンディーズのメンバーの中で誰が一番好きかと聞かれたら、ぼくは即座に「ミキ」と答えるだろう。
おそらく「ミキ」と答える人は少数だと思う。

ミキはキャンディーズの中でも特に目立った存在ではなかった。
またシングル盤A面でメインをとっているのは、「わな」一曲しかない。
解散後も、他の二人は女優という道を歩んだが、ミキだけは、途中ソロ歌手をやっていたものの、結局は『普通の女の子』に戻っていった。

その後はまったく人前に出ることはなくなった。
「あの人は今」といったかつて芸能界で活躍していた人を探す番組にも出てこないし、山口百恵のように引退後も執拗に芸能記者に追いかけられることもない。
おそらく、芸能界でも忘れられた存在になっているのだろう。
まあ、ぼくとしては、それが嬉しくもあり、寂しくもある。

さて、ここからしばらく、キャンディーズのことについて書いていこうと思っている。
別にミキのことばかりを書くのではない。
冒頭にミキのことを書いたのは、ぼくのただの郷愁である。



2003年10月28日(火) 優勝から一夜明けて

今日はどこもかしこも、「いざゆけ若鷹軍団」のリプレイばかりだった。
前々から言っているように、たまには「ダイヤモンドの鷹」もかけてほしい。
まあ、この歌を知っている人は、「いざゆけ…」よりもずっと少ないとは思うが。

ところで、今日ぼくが行ったイオンで、面白い光景を見た。
館内「いざゆけ…」がかかっている中、一軒だけ阪神タイガース絡みのセールをしていた店があった。
もちろん、館内は「いざゆけ…」がかかっているので、「六甲おろし」は差し控えていたようだ。
ダイエーオレンジの中で見る、黄色と黒のストライプは何か違和感があったものの、その心意気や良しである。
おそらくその店はチェーン店だろうから、その店の店長の一存でやっていたとは思えないが、体制に屈さないというか、状況に流されず自分を貫いた、その姿勢を買いたい。

ところで、昨日の喜びで忘れていたのだが、昨日でプロ野球の全日程が終わったのだった。
これからいよいよオフに入るわけだが、何かもの悲しさを感じる。
ラジオを付けても、あの「KBC、ジャンーボナイター!!」という和田アナウンサーの声が聴けないのも寂しい。
2月からオープン戦が始まるとはいえ、開幕戦を迎えるまでは今ひとつ気合いが入らない。
やはり、プロ野球はペナントレースが一番である。



2003年10月27日(月) 日本シリーズ第7戦

ホークスが負ける日は、いつも朝から嫌な気がするのだが、今日はそれがなかった。
朝から何度イメージしても、王監督の胴上げしか浮かばない。
ぼくはそれで今日の優勝を確信したのだが、それでもいろいろな雑念が襲う。
そこで携帯電話の待受け画像を和田投手に換え、一日中必死に拝むことにした。
何せ、「神様、仏様、和田様」なのだから。

その和田投手が、期待通りやってくれた。
1回の表に、今岡にヒットを打たれ、続く赤星のバント処理を誤ったものの、後続をきっちり断ち切ってくれた。
「これで流れが来た」とぼくは思った。
その通りになった。
ノーアウト1,2塁から、またもや不利な判定で井口がアウト。
しかし、その判定が今回はマイナスにならなかった。
選手会長松中の2点タイムリー。
この人が打てば、もう大丈夫である。
あとはバタバタといつものように点を取って、いつものように勝った試合だった。

しかし、終盤6−1だったにもかかわらず、ぼくは落ち着かなかった。
シーズン中、何度かこういう展開で逆転されたことがあったからだ。
会社内で「6−1なら、もう大丈夫やろ」という声が上がったが、シーズン通してホークスの戦いを見てきた人間としては気が気じゃない。
何度も携帯の待受け画面を見つめて、和田を拝んだ。

8回裏に家に着いたぼくは、ドキドキしながらテレビにかじりついていた。
「ここでダメ押し点を入れてくれ」
だが、あいかわらずウィリアムスを打てない。
三者連続三振である。

いよいよ9回表。
珍しく王監督が動かなかった。
シーズン中なら、ここで岡本や篠原を投入する場面である。
ということは、このまま和田で行くということだ。
ここでぼくは、ようやく優勝を確信した。
和田は2アウト後、広沢から一発を浴びたものの、危なげないピッチングで投げきった。

このシリーズは「内弁慶シリーズ」などと言われたが、別に福岡ドームで4戦やったからホークスが優勝出来たわけではない。
2000年のON対決で巨人に負けてから、ずっとホークスは「日本一奪回」を目指してやってきたのだ。
もちろん阪神もそうであったろうが、18年前に悔しい思いをしていない。
そのため、選手の気持ちのどこかに「阪神だから、しかもレベルの高いセリーグの代表だから、日本シリーズに出れば勝てる」という安易な思いがあったのではないだろうか。
しかし、ホークスの場合は違う。
ON対決で悔しい思いをした選手が、ほとんど残っているのだ。
そのため、「日本一」へのこだわりが阪神に比べて強かった。
ここに1勝の差が出たのだろう。

とはいえ、阪神の選手はみんな怖かった。
2000年の巨人軍より怖かった。
誰もが打ちそうな雰囲気を持っていた。
「もし、杉内がシーズン通りに力んでいたら」「もし、第6戦を寺原に投げさせていたら」と思うと、空恐ろしい気がする。
投手陣も、伊良部以外は打てそうな気がしなかった。
ここでも「もし、吉野が先発だったら」「もし、ウィリアムスが先発だったら」と思うと、空恐ろしい気がする。

最後に、広沢の一発。
なぜか、近鉄カズ山本の引退試合の一発とダブって見えたのだが、そう思ったのは、ぼくだけだっただろうか。



2003年10月26日(日) 日本シリーズ第6戦

まず先制点を取り、その後効果的な追加点をあげる、というホークスのいつも通りの試合運びだった。
これも、前の3戦で、甲子園の魔物に遮られながらも、ほぼ互角に戦ってきたホークスナインの集中力の勝利と言っていいだろう。

とにかくファンとしては、一昨日脳しんとうで退場した川崎の活躍が嬉しかった。
甲子園でネックとなっていた井口の復活弾が嬉しかった。
2アウトランナーなしからの追加点が嬉しかった。
バルデスのライト席に突き刺さる、あの弾道が嬉しかった。

とはいえ、何といっても光るのが、杉内の好投である。
今日の数々の得点シーンは、杉内の好投が呼び込んだと言っても過言ではないだろう。
その好投もさることながら、ヒーローインタビューで見せた、勝っても奢らずといった姿勢が実に立派だった。
甲子園で、散々相手チームのビッグマウスをきかされたあとだっただけに、あの姿勢は嬉しかった。
もしこのままホークスが優勝すれば、MVPは間違いなく杉内だろう。

さて、明日はいよいよ日本一が決まる。
明日ここに喜びを書けるのか、それとも悔しさを書く羽目になるのか。
すべてはピッチャー和田にかかっている。
まさに、「神様、仏様、和田様」である。
頑張れ、背番号21!!



2003年10月25日(土) ファンクラブ

ぼくは没頭すると、まるでその場にいるような精神状態になってしまう。
ここ数日の日本シリーズがそうである。
なぜか一人で緊張してしまっている。

かつてホークスのファンクラブに入っていた頃、あまりにホークスに没頭してしまって、毎日ホークスの選手が夢に出てくるようになった。
そこでは、まったく会ったことのない選手に対して、ホークスの一員として振る舞っている自分がいる。
まったく違和感なく、選手達と談笑している。
例えば、カズ山本とかに「調子良さそうやん。ところで、○○という店が出来たけ、今度そこに飲みに行こうや」などと気軽に声を掛けている。
こういう夢を毎日見るのだ。
また、仕事中にふと「おい、カズ」などと口走っていることもあった。
そこまで深く、ホークスに没頭していたのである。

ところで、ぼくは「それだけホークスが好きなら、当然ファンクラブにも入っているんでしょ?」とよく聞かれる。
ところが、今ぼくはファンクラブには入っていないのだ。
その理由は、上記のような精神状態に陥る自分に嫌気がさしたのと、「ぼくがファンクラブに入っているから弱いんじゃないか」と思いこんだことによる。
確かにぼくがファンクラブに入っていた何年間か、ホークスはいつもBクラスだった。
しかし、それは南海ホークス時代からそうだったわけで、別にぼくのファンクラブ云々はまったく関係ないのだが、なぜかぼくはファンクラブに入っていることの自責の念を感じてしまったのだ。
おそらくそれも、没頭してしまった時の精神状態によるものだろうが。
とにかく1年間、ファンクラブでいることをやめようと思い、次の年の更新手続きをとらなかった。
もし、それでもBクラスなら、それはぼくのせいではないのだから、安心してまたファンクラブに入ればいいと思った。

ところがである。
その次の年、ダイエーホークスになって初めてAクラスになったのだ。
そうなった以上、次の年もファンクラブに戻ることは出来なくなった。
そこで、また次の年のファンクラブの手続きを取らなかった。
すると、初優勝である。
それ以来ずっと、ホークスは優勝及び2位なのだ。
もし、ぼくがまたファンクラブに入会して、Bクラスに陥ったとしたら…。
そのことを考えると、永久にファンクラブに戻ることは出来ない。
困ったものである。



2003年10月24日(金) 日本シリーズ第5戦

ちっ、予想が当たってしまったわい。
しかし、これであのやかましい甲子園とおさらば出来ると思ったら、なぜかホッとした。

6回裏に阪神が逆転した時、ぼくはちょうど夕飯を食べていた。
肩に力が入り、胃の上がるような状態だった。
結局、味もわからないままに食事を終えた。

さて、敗因だが、6回に逆転されたのはしかたないにしろ、何といっても井口の不調にある。
1,2戦の金本がそうだったように、なぜか井口が甲子園に来て不調なのである。
昨年までの井口を見るようで、何か頼りなさを感じる。
まあ、福岡ドームに戻ってくれば、何とか復調してくれるものと思う。
それを期待することにしよう。

しかし、ウィリアムスは打てんなあ。
敵ながら本当にいいピッチャーだと思う。
バルデスなんか、昨日から何回三振しているのだろう。
もしかしたら…
これはぼくの勝手な推測だが、ウィリアムス対策を最後の最後に取っているのではないだろうか。
そうであれば、城島の凡退やバルデスの連続三振もうなずける。
いや、ぜひそうであってほしい。
とはいうものの、やはり王監督も言っていたように、とにかくウィリアムスを投げさせない展開が望ましい。

ところで、川崎は大丈夫なのだろうか?
秀太のベース寄りからのスライディングをまともに受けてしまって側頭部を押さえていたけど、明後日からプレイ出来るのだろうか。
それが心配である。
しかし、昨日の村松へのデッドボールといい、今日の川崎へのスライディングといい、ホークスの1,2番とういうチャンスメーカーが事故にあっているが、これも甲子園に棲む魔物のせいなのだろうか。



2003年10月23日(木) 日本シリーズ第4戦

やはり渚は打たれたか。
まあ、最初から負け試合だったのに、阪神がいらん点をくれるから、もつれた試合になってしまった。
しかも、阪神の最後に出てきたウィリアムスはホークス選手の嫌いなタイプのピッチャーだ。
おそらくホークスの選手は打てないと思ったが、案の定そうなった。
ああいうピッチャーは、フォアボールなどでじっくりランナーをためてから、自爆を招くのを待ったほうがいいと思う。

しかし、8回の表に逆転した時、なぜ篠原を出さなかったのか?
どうも王監督はムードで選手を使う癖があるようだ。
1戦目の吉田もそうである。
やはり、今日のあの場面は、篠原で行ったほうがよかったのでないだろうか。
それだけが悔やまれてならない。

とはいえ、今日の負けは新垣のせいじゃない。
すべては1回裏の赤星の盗塁に対する、2塁塁審のミスジャッジにある。
ビデオで何度見ても、赤星の足がベースにつく前に鳥越が赤星の脇腹をタッチしている。
さすがに王監督も抗議したが、2塁塁審はヘラヘラと笑っているだけである。
もし、このシリーズでホークスが負けるようなことがあるとすれば、すべてはこの2塁塁審の責任ということになるだろう。

ああ、これでぼくの予想は外れたことになる。
出来ることなら、明日の試合も予想が外れてほしい。
ちなみに、明日のぼくの予想は、阪神の勝ちである。



2003年10月22日(水) 日本シリーズ第3戦

予想通り、第3戦を落としてくれた。
しかし、和田ちゃんで負けたわけではないから良しとしよう。

まあ、ホークスにとってはシリーズ通りの戦いだったと言える。
同点のまま和田が粘る。
ピッチャー交代の後、延長戦にもつれ込み、篠原が打たれる。
いつも見ていた場面の再現である。
とはいえ、相手は犠牲フライでのサヨナラだったから、我が方としてはあまりショックを受けなかったことと思う。

それにしても、あの甲子園の応援は何なのだろう?
今日一試合を見ただけだが、ただ相手チームの邪魔をしているだけのように思えた。
阪神のピッチャーが1球投げるたびに、「ウァー」なんて言われたら、相手打者はバッティングに集中出来なくなるだろう。
星野監督が「甲子園ではファンが後押ししてくれる」と言ったのは、言い換えれば「ファンが相手チームの邪魔をしてくれる」と言うことなのだろう。

しかし、ぼくはそれが悪いとか汚いとかは思わない。
逆にそれを利用してやればいいのだ。
つまり、ファンが「ウァー」というタイミングが、実は打つタイミングなのだと思う。
それを早く見抜いてほしい。
そして勝った時に言ってやればいいのだ。
「今日は、阪神ファンのおかげで勝つことが出来ました。ありがとうございました」とね。

とはいえ、我がホークスはそれに翻弄されていなかった。
何度も言うが、今日の試合も普段着の試合だったのだ。
後半戦、ホークスはいよいよ優勝が決まる前までは、連敗をしていない。
今日もぼくの予想通りだったから、明日も予想通りに展開してくれると思う。
つまり、勝つということだ。
ナイト、頑張れ!!



2003年10月21日(火) ホークスネタ

【王監督】
アナ「監督、日本シリーズのキーマンとして誰をあげますか?」
王「そーですねえ。みんなキーマンだよ」
アナ「その中でも、特にあげるとしたら?」
王「うーん、強いてあげれば−」
アナ「強いてあげれば?」
王「雨上がり決死隊の宮迫君とDonDokoDonの山口君くらいかな。一応釘は刺しておいたけどねえ」

※とはいえ、まだあの番組やっているなあ。

【城島】
アナ「城島選手、今シリーズのキーマンは?」
城島「古田さんと谷繁さんです」
アナ「いや、そういう意味じゃなくて…」
城島「ああ、阪神サイドですね」
アナ「そうです。お願いします」
城島「江川卓、金村義明、大野豊、デーブ大久保、野村克也、月亭八方…」
アナ「・・・」

※解説者の皆さん、阪神を優勝させたかったら、「阪神有利」などと言わない方がいい。城島はそういう発言に対して、大いに燃えるタイプですから。

【和田】
アナ「和田投手。ズバリ、キーマンは?」
和田「平尾さんです」
アナ「えっ、平尾選手は元阪神でしょう?」
和田「あ、そうでしたね。今シーズンけっこう打たれましたからねえ。今、彼のことで頭がいっぱいなんです」

※今シーズン、いいところで平尾にやられましたからなあ。
ところで、ぼくは阪神時代の平尾を身近で見たことがある。福岡の雁ノ巣球場でのこと。いい選手だったです。

【川崎宗リン】
アナ「川崎君、シリーズのキーマンとして誰をあげますか?」
宗リン「甲子園の−」
アナ「はい、甲子園の誰ですか?」
宗リン「甲子園の女性ファンです。どうやって振り払ったらいいでしょうか?」

※連日の活躍と甘いマスクで、宗リンの女性ファンが急増しているらしい。
あのマスクは、九州だけにとどめておくのはもったいないです、はい。



2003年10月20日(月) 杞憂

このまま甲子園で優勝を決めてほしいのは山山だが、阪神もこのままでは引き下がらないだろう。
いや、引き下がれないだろう。
しかも、場所が場所である。
ここでの2勝は難しいかもしれない。
ということで、ぼくは甲子園では1勝出来ればいいと思っている。

しかし、その1勝には条件がある。
仮に21日に勝って、22日と23日に連敗ということになれば、俄然阪神に勢いがついてしまう。
また、21日と22日に負けると、23日の勝ちが難しくなる。
理想は、21日負け、22日勝ち、23日負けである。
とにかく連敗しないことが肝要なのだ。

ところが、そうなればそうなったで困った問題が出てくる。
明日の予想は和田である。
明日負けるということは、和田で負けるということになる。
「和田で負ける」…、こんなのぼくたちファンの頭の中にはない。
王監督以下首脳陣はもちろんのこと、選手もぼくたちファンも和田には絶大な信頼を寄せている。
もし和田で落とすようなことがあれば、このシリーズはちょっとわからなくなってくる。

次にくるのはナイトだ。
ナイト、投げてみないとわからないピッチャーである。
もし和田で負けたりすると、俄然勢いづいた猛虎打線がナイト相手に火を噴くかもしれない。
そんなことになれば、また2000年の悪夢の繰り返しの可能性も出てくる。

そういうことにならないためにも、和田には確実に勝ってもらいたい。
が、そうなったら、ナイトが調子に乗って力んでしまうかもしれない。
ああ、猛虎打線につかまってしまう。
あくまでも理想の1勝は、負け・勝ち・負けである。
しかし、和田には負けて欲しくない。
だが、そうなると……。
本当に、日本シリーズの予想は立てにくいものである。



2003年10月19日(日) 日本シリーズ第2戦

ダイエー2連勝!
シリーズ前に、テレビなどで散々「阪神の4勝負けなし」とか「一歩譲って、阪神の4勝1敗」とかいう声を聴かされた。
もしそういう人たちがトトカルチョをやっていたとしたら、大外れになっていただろう。

13対0、スポーツニュースを見ていると、解説陣の誰もが信じられないといった口調だった。
が、最後には必ず「阪神はこんなもんじゃない。今は慣れないシリーズで戸惑っているが、場所を甲子園に移したら、本来の阪神に戻るでしょう」で締めくくっていた。

13対0、別に出来すぎの試合ではない。
ダイエーファンとしては、レギュラーシーズンでこういう試合を何度も見せてもらっているから、別段驚かない。
「大舞台に呑まれずに、いつもの試合をやっているな」くらいの感覚である。
驚くことといえば、2回裏鳥越の走者一掃の2ベースヒットと、連日のズレータの活躍くらいである。

さて、世間はよく「甲子園の独特の雰囲気」と言うが、福岡ドームにも独特の雰囲気があるのだ。
パリーグの選手なら充分にわかっている。
ところが、昨日今日のテレビの解説陣、ほとんどがセリーグのOB及び選手じゃないか。
そういう人たちが、「甲子園は独特」と言っても、パリーグファンとしてはどのくらいの「独特」なのかピンとこない。
福岡ドームの「独特」と比較して解説してもらいたいものだ。
なぜ、両リーグを体験している坪井や平尾をゲストとして呼ばないのだろうか。



2003年10月18日(土) 日本シリーズ第1戦

今日は朝から、ずっと試合開始のカウントダウンをしていた。
顔を会わす人会わす人に、「あと○時間で試合開始ですね」と言っていた。
その都度、「何があと○時間?」と聞き返された。
盛り上がっていたのは、どうもぼく一人らしかった。
試合前から仕事に手がつかず、胸がドキドキして落ち着かない。

午後6時15分、ようやく試合開始となった。
会社で5回裏まで見、7回表までは車でラジオを聴き、それから試合終了までは家でテレビを見ての応援だった。
追いつ追われつの好ゲームだった。
9回裏2死1・2塁からズレータのセンターオーバーのヒットが出たとたん、家の中で思わず手を叩いて跳び上がっていた。
「勝った、勝った。ばんざーい」である。

それにしても、阪神は不気味なチームである。
もちろん、今シーズンどんな戦い方をしてきたのか知らないからそう思うのだろうが、赤星とか金本とかいう名前を聞くと、なぜか緊張してしまう。
それはマスコミが触れた前評判の影響だろう。
そういう意味でも、ホークスの選手は立派である。
そういう前評判に打ち勝って、勝ち試合を収めたのであるから。

試合後、スポーツ紙のサイトを覗いてみたのだが、どうして井川が「5回3失点の不調」と書いているのだろう。
それを言うなら、斉藤だって6回3分の2で自責点3、失点は4である。
勝てば不調と言われないのか。
それとも、井川の場合は、レベルの高いセリーグの20勝投手だから、5回3失点だと不調となるのだろうか。
そのへんがどうも納得いかない。
まるで、負ければ「不調だったからしかたない」ふうに記事にしてもらえる、西武松坂みたいな扱いである。



2003年10月17日(金) いよいよ明日から日本シリーズ

いよいよ明日から日本シリーズである。
なぜかしらぼくは緊張している。
斉藤で負けたくない。
和田で負けたくない。
杉内で負けたくない。
新垣が完全に復調していることを望む。
村松も戻って来たことだし、8月の絶好調時のホークスであることを望む。
日本記録を更新した時の打線を見せつけてやれ。

さて、マスコミリーグの覇者、かつ関西という全国区地域にあるチームに、当然世論は期待を込め勝ち予想を立てる。
18年ぶりの優勝というドラマが、それに拍車をかける。
マスコミもそれに便乗して、阪神有利を伝える。
「レベルの低いパリーグでやっと優勝したような田舎チームが、勢いのある都会チームに勝てるはずがない。
しかも、そのチームを率いるのはあの男星野なんだぜ」
そういうことなので、全国紙の扱いも当然阪神のほうが大きくなる。

例えば、優勝した時の扱いは、
阪神タイガース18年ぶりの優勝!!
(男星野、2年で優勝に導く)
だったのに対し、
福岡ダイエーホークス3年ぶりの優勝!!
(来季身売りの話も…)
であった。

20勝投手の対決と言われているが、その20勝を上げた時の扱いは、
井川20勝!!
(セリーグでは、99年の上原以来)
だったのに対して、
斉藤20勝!!
(パリーグでは、85年の佐藤以来)
くらいの扱いであった。(※この部分、携帯だとわからないと思いますが、あしからず)

もちろん、地方紙の扱いは、ダイエーのほうが大きかった。
また、地元のワイドショーでも、ダイエーのことを大きく取り上げた。
しかし、それはしかたのないことだろう。
全国区のチームは全国が後押ししてくれるが、地方のチームは地元以外に後押しするところはないのだから。

ところが、それを不服としている人もいるのだ。
「いくら地元とはいえ、えこひいきしすぎる。
もっと阪神の扱いを大きくしろ!」
などと、近隣諸国の内政干渉ようなことを言っている。
しかし、上に記したとおり、阪神は充分に全国で取り上げてもらっているのだ。
その扱いを敵地でやれと言うのは無茶な話だ。
しかも、阪神は星野勇退で世論まで味方に付けているのだ。
これ以上何を望むのだろうか。

2000年のON対決の時、多くのホークスファンは、テレビ中継をつけてはいたが、音を出していなかった。
音はどうしていたかというと、ラジオから拾っていた。
その理由は、テレビが巨人びいきの放送をやっていたからだ。
もちろん、テレビは全国放送だから、球界の盟主と言われるチームに肩入れするのは当然のことだろう。
その点ラジオは地元向けの放送だから、ファンとしては安心して聴ける。
2000年の秋、ぼくたちホークスファンは憤りを感じながらも、そうやっておらがチームを懸命に応援したのである。

敵地でひいきしてもらえないなんて、甘いことを言っているんじゃない。
ホークスファンは、地元にいてもひいきしてもらえない体験をしてきているのだ。



2003年10月16日(木) 股関節痛

汚い話で申し訳ないが、ぼくは会社で二度トイレをする癖がある。
もちろん大のほうの話である。
これが洋式だと、用を足した後さわやかな顔をして立ち上がれるのだが、いかんせん、会社のトイレは和式である。
そのため、立ち上がる時に、苦痛で顔をゆがめるのだ。

何の苦痛かというと、股関節の痛みである。
これは今に始まったことではない。
高校時代にぼくは柔道をやっていたが、どうもその時にやっていた屈伸運動で痛めたものらしい。

おかげで、用を足して立ち上がるまでかなりの時間を要する。
その間に、「しんたさん売場まで」などという店内放送がかかったりすると悲惨である。

今日はその悲惨な日であった。
立ち上がりたい、立ち上がれない。
気は焦るのだが、体が言うことをきかない。
危うく倒れそうになったので、思わず水道管につかまって立ち上がった。

早く治さなければ、といつも思っている。
しかし、どうやって治したらいいのかわからない。
関節痛は揉んでも治らないだろうし、もし仮にそれで治るとしても、股間を他人に揉んでもらうわけにもいかないだろう。
一生こんなことで悩むのも嫌だから、何とかしたいのではあるが。



2003年10月15日(水) 実家から自宅まで

実家から自宅まで、歩いておよそ5分。
この5分という短い時間の中に、いろいろなドラマがある。

先日。
夜、実家から戻っている時のこと。
夜道を男女二人が歩いていた。
男性は30代位、女性のほうは60代位で、親子のようだった。

ぼくは彼らの10メートルほど後ろを歩いていた。
二人は何かコソコソと話をしている。
別に聞き耳を立てていたわけではないが、風向きのせいか、その話が時々聞こえてくる。

息子「ごめんな。ごめんな」
母「ほんと、お前は女を見る目がないのう」
息子「母ちゃん、ごめんな…」
そう言うと、二人は口を閉じた。

いったい、息子は母親に何を謝っていたのだろうか。
母親の「女を見る目がない」という言葉から察するに、この男は奥さんにでも逃げられたのだろうか。
それとも、性悪な女に騙されて金でも盗られたのだろうか。

母親に謝るくらいだから、母親に迷惑がかかったか、母親が息子と女の調停に乗り出したかのどちらかだろう。
聞こえてきた会話がそれだけだったので、そういう推測しか出来ない。

ああ、二人にいったい何があったのだろうか。
ぜひとも知りたい!

実家から自宅まで、歩いておよそ5分。
この5分という短い時間の中に、いろいろなドラマがある。



2003年10月14日(火) やんぽう通信から

ミエコ

【1】
今からおよそ20年前、ぼくはある大手の電器専門店で働いていた。
当時ぼくは、楽器売場を担当していた。
その楽器売場の左隣にレコード売場、正面にテープの売場があった。
そのテープの売場に、ちょっと変わった責任者がいた。
自己中心的で、協調性がなく、思い込みが激しく、せっかちで、神経質で、ケチな人だった。
名前をOさんという。

Oさんとぼくは家が同じ方角にあったので、出勤時にいっしょになることが多かった。
いつだったか、駅を降りてから、会社に向かっている途中、突然Oさんが大声を上げた。
「5千円札が落ちとるっ!」
そう言うなり、Oさんはすばやくそのお金を拾った。
そして、Oさんは「やったー、5千円拾った。しんちゃん、おれが見つけたんやけね。おれのやけね」、と人目もはばからず、大きな声で言った。
ぼくが「Oさん、一応警察に届けたほうがいいんやないんね」と言うと、Oさんは「何言いよるんね。おれが拾ったんやけ、おれの金たい!」と言って憚らない。
あいかわらず、「やった、やったー」と大騒ぎをしているOさんを見て、ぼくは恥ずかしくなり、Oさんと少し距離を置いて歩いた。
それでもOさんは、「いやー、しんちゃん。今日はいい日やねえ。奢ってやるけね」などと話しかけてくる。

この人からおごってもらっても、何も嬉しいことはない。
それ以前に一度、Oさんからカップのコーヒーをおごってもらったことがあるのだが、その時は「今日は奢ってやるけね」と恩着せがましく言われ、迷惑したものだった。
ところがその翌日、「しんちゃん、昨日コーヒー奢ってやったよね。今日奢って」と言ってきた。
こういういきさつがあったので、Oさんから「奢ってやる」と言われると、あまりいい気持ちはしなかった。

会社に着いてからもOさんは、「5千円拾ったちゃね」と、会う人会う人に自慢話をしていた。
誰もが「ふーん、よかったね」と軽く流していたが、舞い上がっているOさんは、そういうふうにあしらわれていることさえ、気づかなかった。

ぼくたちは、このOさんのことを、「シンケイ」と呼んでいた。
仕事中にいつもピリピリしていたからだ。
とくに万引きには神経を尖らせていた。
この人は、学生はすべて万引きだと思っていたようだ。
学生が来ると、いつもぼくのところに来て、「しんちゃん、間違いない。あいつらやるよ」と言っていた。

一度、「こらー」と大声を上げて、エスカレータ-を駆け上がって行ったことがある。
学生を追いかけて行ったのだ。
Oさんは4階まで学生を追って行き、「出せ!」と怒鳴った。
学生は「何も盗ってないですよ」と言って、上着を脱いで見せた。
が、何も出てこない。
Oさんは、土下座して「おれを殴れ!」と言ったそうである。

昭和59年3月、そのシンケイOさんの下に、一人の新入社員が配属になった。
名前を『ミエコ』と言う。
「少し太めで、素朴な感じのする女の子」
これが、ミエコの第一印象だった。


【2】
ミエコが入社して、一ヶ月ほど経った。
その頃からOさんは、「ミエコはだめだ」と頻繁に言うようになった。
ぼくが「素直でなかなかいい子やないね」と言うと、Oさんは「いや、あいつは仕事をしきらん」と言う。
他の売り場のことなので、ぼくはそれ以上口を挟まなかったが、『どうせまた、シンケイの思い込みやろう』と思っていた。

ある日のこと、ぼくが売場のカウンターの中で電話をしていた時に、「ダダッ」という音がした。
気がつくと、ミエコが横に立っている。
ちょっと様子が変だったので、早めに電話を切った。
「ミエコ、どうしたんか?」
「・・・」
「どうしたんか!?」
「シ、シンケイが・・・」
「シンケイがどうかしたんか?」
「シンケイが、シンケイが」と言うと、「フッ」と声とともに座り込んで泣き出した。
「シンケイに何ち言われたんか?」
「・・・」
ミエコは何も答えずに、ただ泣き続けるばかりである。
ここで泣かれても困るので、うちの売場の女の子に「何も聞いても答えんけ、ちょっと奥に連れて行って、事情を聴いてやって」と言って、休憩室に連れて行ってもらった。
一部始終を見ていた何人かのお客さんがいたが、みな不思議な顔をしていた。
そりゃそうだろう。
なぜなら、シンケイのことで泣いているのだから。

その後、ミエコは家に帰った。
辞めるんじゃないか、と心配したが、翌日ミエコは元気に出勤してきた。
それ以降ミエコは、Oさんの悪口をぼくたちの前で言うようになった。
逆にOさんは、ミエコのご機嫌を取るようになった。
その状態が、しばらく続いた後に、シンケイOさんは会社を辞めた。
別に、原因がミエコにあったわけではなかった。
会社が自分を辞めさせようとしている、と勝手に思い込んだためである。
「会社がそういうつもりなら、おれのほうから辞めてやる!」と言い放ち、シンケイOさんは会社に来なくなった。
誰もが、「別に会社は、シンケイに何もしてないやん」と言っていた。
上のほうも、「O君は何があったんかねえ?」と首を傾げるばかりだった。


【3】
このころからぼくは、ミエコとよく話をするようになった。
素直な子だな、と思ったが、話のところどころに「わからん」が入ってくる。
ある日、朝礼の時に、店長が業界の動向や、店の方針について話していた。
みんなメモを取ったりして、その話を聞いていた。
その時、突然ぼくをつつく者がいた。
ぼくの横にいた、ミエコである。
ミエコは小声で、「しんちゃん、わからん」と言った。
「は?」
「わからん!」
「何がわからんとか?」
「店長の話」
「わからんでもいいけ、黙って聞きよけ」
「だって、わからんもん」
「後で教えてやる」
「うん」
朝礼が終わってから、ぼくはミエコに店長の話の内容を、わかりやすく教えてやった。
しかし、それでも「わからん」だった。

いつしか、この「わからん」が気になるようになって、ある時、ぼくはミエコに聞いてみた。
「ミエコ、お前バカやろ?」
こういう言い方をされると、普通の人は当然怒るだろう。
しかし、ミエコは違った。
「会社では、バカを隠しとったのに。しんちゃん、お願いやけ私がバカなの隠しとって」である。
「隠してもバカはわかるぞ」

それから、ぼくのミエコに対する態度は、自ずと変わっていった。
ぼくはバカが好きである。
いつも好奇の目で、ミエコを見るようになったのだ。
つまり、観察の対象であった。

さて、シンケイが辞めた後、Mさんという方がテープの担当になった。
この人はおとなしい人で、前のシンケイとは正反対の性格をしていた。
ところが、たった一つであるが、シンケイとの共通点があった。
それは体臭である。
シンケイは臭かった。
それにも増して、Mさんは臭かった。
その会社は、ブレザー着用だったのだが、Mさんはいつも脇のところに汗が滲み出ていた。
鼻を突く、うどんの出汁のような臭いだった。
ミエコはみんなから、「お前は、よっぽど体臭のある人に縁があるのう」とからかわれていた。

ミエコは、Mさんとは何のトラブルも起こさなかったが、それから間もなくして、レコード売場に異動になった。
レコードの人間が辞めたため、急きょミエコが配属になったのだ。
それからミエコの本領が発揮されるのだった。


【4】
その頃、ぼくのいた楽器部門と隣のレコード部門は、元は一つの部門だった。
しかし、責任者が辞めたために、主に楽器を担当していたぼくが楽器の、またレコードを担当していたT君がレコードの、それぞれ責任者に昇格した。
しかし、その当時は人員が少なく、お互いに助け合ってやっていた。
ミエコがきたのは、ちょうどレコードの担当者が続々と辞めた時期だった。

元々一つの部門だったため、部門の会議や残務整理はいっしょにやっていた。
その残務整理の時、ぼくとT君はよくミエコで遊んでいた。
ある日、ぼくらが残務整理をしている時、ミエコが暇そうにしていた。
ぼくが「ミエコ、お前暇なんか?」と聞くと、ミエコは「だって、することないもん」と言った。
「なんかあるやろうが」
「ないもん、バーカ」
その当時は、ミエコも少し知恵をつけたのか、減らず口を叩くようになっていた。
「ふーん、することないんか。じゃあ」と言って、ぼくはT君に目配せした。
そして、二人でミエコを抱え上げ、そのままゴミ箱にお尻から突っ込んだ。
ミエコはお尻だけゴミ箱に入った状態で動けなくなった。
「暇なら、しばらくそうしとけ」
「出して」
「出たけりゃ自分で出れ」
ミエコは体を揺さぶったり、手を使ったりして、そこから脱出しようとしたが、出ることが出来なかった。
「しんたのバーカ」
「あ、誰がバカか?もう出しちゃらんけの」
「あー、ごめんなさい、ごめんなさい。もう二度と言いません」
「そうか、じゃあもう少ししたら出してやる」
「バーカ」
「お、またバカち言うたの」
するとミエコは何を思ったか、その態勢で「飛びます、飛びます」と坂上二郎の真似をした。
その後も、手足をバタバタさせて、一人で遊んでいた。

ミエコには、他の人にない一つの特徴があった。
ノドチンコが二つに割れて、逆ハート型をしていたのだ。
ぼくはそれを知ってから、来る人来る人にそれを見せた。
「おーい、ミエコ、お客さんぞ」
「あ?」
「ほら、口を開けて見せてやらんか」
そう言うと、ミエコは「あーん」と言って、口を大きく開けて見せた。
見た人は、いつも爆笑していた。
ミエコは、知らない人から笑われるのを極端に嫌うタイプだった。
「もう、二度とせんけね」
と、いつも怒って売場に戻っていった。
しかし、またそういう機会があると、ぼくはミエコを呼んだ。
性懲りもなく、ミエコはノコノコとやってきた。
そしてまた、同じことを繰り返していた。


【5】
ある時、ビデオムービーの良さを社員に体感してもらおうと、担当の係が各部門にムービーを貸し出して、作品コンテストを催したことがある。
「ムービーは家に持って帰ってもいいですから、いい映像を撮ってきてください。撮ってきた映像は全体朝礼の時に流します。一番よかった映像を撮ってきた部門には賞品を差し上げます」
おそらく、賞品という言葉に釣られたのだろう。
他の部門は熱心だった。
中には本当に家に持って帰り、わざわざ遠方まで行って、風景を録画してくる人もいた。
しかし、わが部門は無欲であった。
つまり、そんなことは、どうでもよかったのである。

いよいよ発表の前日になった。
当然何も撮ってない。
ぼくとT君は、「いよいよ明日やねえ。何を撮ろうか?」と相談していた。
その時、事務所に行っていたミエコが帰ってきた。
「ちょうどいいとこに来た。ミエコ、お前モデルになれ」
「えっ、モデル?」
「おう。お前しかおらん」

さて、発表の日になった。
「今から、レコード・楽器部門の作品を流します」
ビデオが流れたとたん、大爆笑が起こった。
スタートとともに映し出された画は、ミエコがコブラツイストをかけられている画だった。
その後、ミエコをヘッドロックしている姿、ミエコがゴミ箱に収まっている姿などが、次々と映し出された。

こんなことをされたら、普通の人は会社に来なくなるだろう。
しかし、ミエコは違った。
自分も楽しんでいたのだ。
それに、どういうわけかミエコは、ぼくやT君を慕っていた。
ある日、閉店後にぼくが隣のテレビ売場で歌番組を見ていた時の話。
ミエコがドアの向こうで手招きしている。
ぼくがそこに行ってみると、ミエコは困った顔をしていた。
「どしたんか?」
「今ねえ、トイレ入っとったんよ」
「そうか」
「そこで、ちょっときばったらねぇ・・・」
「ん?」
「・・・パンツのゴムが切れた」
「あっ!?」
「ねえ、どうしょうか?」
「どうしょうかっち言うたって・・・。替えは持ってないんか?」
「あるわけないやん」
「おれも持ってないぞ」
「当たり前やん」
「他の女子社員に聞いたか?」
「もう誰もおらんもん。ねえ、どうしょうか」

ぼくはミエコの足元を見た。
生脚だった。
「お前、ストッキング持っとるか?」
「うん」
「それなら、ストッキングはけばいいやろ」
「え?」
「そうすりゃ、パンツはずれんやないか」
「あ、そうか!! しんちゃん頭いいねえ」
ミエコから褒められても、全然嬉しくはない。
しかも、こんなことで。
しかし、ミエコはよほど感動したのだろう。
後々までこのことを言っていた。


【6】
トイレで思い出したことがある。
ミエコはよく「今日も長いウンコが出た」などと言っていた。
ぼくが「どのくらいの長さがあるんか?」と聞くと、ミエコは「このくらい」と手で示した。
どう見ても3,40cmはある。
「そんな長いウンコなら流れんやろうが」
「うん、よく詰まるよ」
「詰まって、そのままにしとるんか?」
「そんなことするわけないやん。ちゃんと流すよう」
「でも、流れんのやろうが」
「だけ、割り箸使う」
「は?」
「ウンコを引っ張り出して、切って流す」
「お前、トイレに入るのに、いちいち割り箸持って入るんか?」
「いちいち、持って行くわけないやん」
「なら、どうするんか?」
「ある所に隠しとう」
「使ったやつをか?」
「うん」
「バカか、お前は。汚かろうが!」
「いいやん、ちゃんと洗って置いとるんやけ」

暇になると、ぼくたちはよくミエコに常識テストを出していた。
「横浜県」と言ったり、九州は福岡県の中にあると言ったり、実にあやふやな知識しか持ってない。
そこで、少しでも常識を身につけてもらおうと思って、始めたのである。
ま、楽しんでいたのであるが。
「ミエコ、都道府県っち知っとるか」
「そのくらい知っとるよーだ」
「じゃあ、都はどこか?」
「簡単やん。東京」
「道は?」
「バカにして、北海道よ」
「ほう、じゃあ府は?二つあるんやけど」
「簡単やん。京都とねえ・・・」
「京都とどこか?」
「京都とねえ・・・」
「京都はわかった。あとどこか?」
「うーん・・・」
「知らんとか」
「知っとるよ。ちょっと出てこんだけ」
しばらくして、
「あ、わかった」
「そうか、どこか?」
「京都とねえ」
「京都と?」
「岐阜!」

いつも、ミエコはぼくたちの期待に応えてくれた。
1986年の11月、マニラで若王子さん誘拐事件が起きた。
中指が切断されたような写真が新聞に掲載されたり、いろいろと話題の多い事件だった。
当然、このことは会社でも話題になった。
― フィリピンは恐いところやねえ。
― 時計とかブレスレットとか奪うのに、なたで手首切断するらしいよ。
― 東南アジアや南米は、そういうところが多いらしいね。
― 治安が悪いと、聞くしね。
― この会社は海外に支店がなくてよかったねえ。
― 若王子さん、もう、殺されとるんやないやろか。
― いや、殺されてはないやろう。プロはむやみに殺さんというし。
― ビジネスやけね。
― そうそう、若王子さんは大事な商品やけね。
そんな話の中に、ミエコが入ってきた。
「ミエコ、お前若王子さん、知っとるか」
「そのくらい知っとるよ。ニュースでいつも言いよるやん」
「おう、お前賢くなったねえ」
「当たり前やん。もう大人なんやけ」
「そうか、もう20歳越えとるけのう」
「ねえ・・・」
「ん?」
「若王子さんっち、どこの国の王子様なんかねえ?」

  つづく



2003年10月13日(月) やんぽう通信の中身をここに移します。

【2002年02月04日(月) ムネオ】
ムネオ 「マキコも辞めさせたし、コイズミの支持率も下がったし、言うことなしだ」

ヒショ 「先生、お言葉ですが、先生の支持率も大いに下がっています」


ムネオ 「まあ、それは仕方ないだろう。で、地元の北海道での評判はどうだ?」

ヒショ 「それが・・・、あまり芳しくありません。次の選挙に響かなければいいんですが・・・」

ムネオ 「うーん。何か手を打たないとなあ」

― 後日 ―

ヒショ 「先生、ご安心ください。もう大丈夫です!! イメージ回復のための、いいキャッチコピーが出来ました!」

ムネオ 「おお、そうか!! でかしたぞ」




『熊本県産 ムネオ


【2002年02月05日(火) ムネオ2】
― 遊説先で ―

いよいよムネオ氏登場ということで、会場は騒然としている。

ヒショ 「先生、ここは抑えて下さい。馬鹿になるのも政治家の資質、と言いますし」

ムネオ 「よし、わかった!」

野次と罵声が飛び交う中、ムネオ氏は登場した。

「ムネオ、帰れー」
「恥ずかしいと思わんのか」
「マキコに謝れー」
「お前こそ、税金泥棒だろうが」
「国賊!」
「嘘つき!」
「死ねー」
「バカ野郎!」





ムネオ 「あーりがーとさーん」

ヒショ 「・・・。誰もアホになれとは言わなかった。それにしても先生・・・」


【2002年02月06日(水) 後任】
コイズミ 「タケベまで更迭したくないが」

フクダ 「しかし、このままじゃ国民の怒りは収まるまい。
支持率低下を食い止めるためにも、ここはぜひ決断していただきたい」

コイズミ 「うーん。で、後任はどうする?」

フクダ 「支持率アップを考えたら、やはり適任はアイツしかいない」

コイズミ 「しかし、魔物退治は出来なかったじゃないか」

フクダ 「いや、そこは家畜同士。何とかなるだろう」

コイズミ 「じゃあ、やってみるか」







― 翌日の朝刊

首相ついに決断!!

『狂牛病退治を、じゃじゃ馬に』


【2002年02月09日(土) 願い】
魔法使いのおばあさん 「お前の願いを一つ叶えてあげよう」

しんた 「どんな願いでもいいんですか?」

ばあさん 「おお、かまわんから言うてみろ」

しんた 「どんな願いでも叶う人になりたいのですが」

ばあさん 「わかった。叶えてあげよう」


その時から、ぼくは願いを持たない人間になった。


【2002年02月11日(月) ひとり言】
<首相就任> とうとうおれも“百獣の王”か。

<内閣発足> それぞれ個性のある、いい人材が集まった。“獅子座流星群”とでもいっておこう。

<貴乃花優勝> 「感動した!!」まさに“獅子吼”だったなあ。

<メールマガジン創刊> ふふふ、“らいおんはーと”か。

<参院選圧勝> “獅子舞”でも舞いたい気分だなあ。

<マキコ騒動> これ、“獅子身中の虫”なり。

<マキコ更迭> ここいらで、“獅子の子落とし”と行くか。

<その後> “獅子・・・
“獅子・・・
“獅子・・・
“獅子・・・
うーん
“獅子・・・
“獅子・・・




てんやわんや


【2002年02月14日(木) オリンピックぼけ】
課長 「部長、ここ間違ってますよ」

部長 「え? おお、そうだった。すまん、すまん。
    いやあ、このところ寝不足でねえ。
    いわゆるオリンピックぼけってやつか。
    はっはっは」

課長 「ははは」

部長 「しかし君、ジャンプはよかったねえ」

課長 「?」

部長 「金銀銅独占かぁ。
    三人ともよく頑張ったねえ。
    とくに笠谷がよかったなあ、笠谷が」

課長 「・・・・・。
    本当に呆けてる・・・」


【2002年02月18日(月) 一枚の写真から

すべてはワイドショーで流した一枚の写真から始まった。

A「昨日のムネオの頭を見たか?」

B「おう、見た見た」

A「ムネオは薄くなったなあ」

B「おれは薄くなったとは思わんが」

A「いや、薄くなったよ」

B「何も変わってない。前からムネオは薄いんだ」

A「そんなことはない。おれは昔から知ってるんだ」

B「おれだって昔から知ってるんだ」

A「どこに目をつけてるんだ、お前は!」

B「何を!」

この二人の言い争いが火種になって、町中が大騒ぎになった。

「ムネオは薄くなった」派と「前からムネオは薄かった」派が取っ組み合いのけんかを始めた。

「ムネオは薄くなったぞー!!」

「前からムネオは薄いぞー!!」

騒ぎを聞きつけた新聞記者は、さっそく本社に打電した。





翌日の新聞

「ムネオ議員の地元揺れる。

“ムネオハウス”に怒り爆発!!」


【2002年02月20日(水) ソルトレークが終わったら】
ホワイトハウス

報道番組「アフガンもその後進展ないし、ソルトレークが終わったら支持率ガタ落ちだな」

ブッシュ「それは困った。わが政権は支持率で持っているようなものなのに。よし、もう一度フセインを叩け!!」


首相官邸

ワイドショー「外務省問題もその後進展ないし、ソルトレークが終わったら視聴率ガタ落ちだな」

コイズミ「それは困った。わが政権は視聴率で持っているようなものなのに。
よし、もう一度マキコを叩け!!」



2003年10月12日(日) 記念日

【記念日】
今日は、ぼくにとっての記念日である。
何の記念日かというと、この日記をつけ始めた2001年1月16日の第1回目から数えて、今日の日記がちょうど1000回目となるのだ。
この数字は、電卓で3度も計算したのだから間違いない。

何をやっても長続きしないぼくにとって、日記を1000日もかかさずに書くなどということは、まさに人生始まって以来の快挙である。
もしかしたら、この先、これ以上の快挙はないのかもしれない。

しかも、ここで書いている日記は、だいたい1000文字を目安にしている。
ということは、大雑把に計算しても100万文字を書いたことになる。
これも快挙である。
この2年と10ヶ月という短い間に、それまでの人生のおそらく何倍かの文字を書いたのであるから。


【日記『頑張る40代!』について】
さて、そういうめでたい日にあたって、ぼくは一つの決心をした。
それは何かというと、この日記『頑張る40代!』を終わらせることである。
ホームページを始めるにあたって、片手間で書き始めた日記なのに、いつの間にかこれがメインになってしまい、ついには締め切りに追われる作家のようになってしまった。
先月まではそれでもよかった。
ところが、10月に入り、本業が人員削減となり、急に仕事に追われる毎日となってしまった。
まあ、仕事はそれほど増えたわけではないのだが、それに伴う心労が以前より増している。
こういう状況の中、締め切りに追われる作家のような生活を送ることが出来るのかということを考えた。
そしてその結論が、今のぼくにはとうてい出来ないだろうということだった。
そこでぼくは、1000回目という節目の日に、この日記『頑張る40代!』を終わることにしたのだ。


【これからのこと】
とはいうものの、このサイトをやめるわけではない。
前に宣言したとおり、このサイトは2007年11月7日に閉じることにしいるから、サイトはそのまま継続する。
しかし、これまでのサイトとは若干趣を変えようと思っている。

先に書いたとおり、日記『頑張る40代!』はやめる。
ついでに、『やんぽう通信』もやめる。
その代わりに、新しい日記『日記』というものを始める。
しかし、この日記は毎日更新するとは限らない。
この日記は、今までのようなエッセイ的な日記にはしない。
本当の日記にするつもりである。
文字数も1000文字にこだわらない。
つまり、「あ」一文字で終わることもあるということだ。

では、エッセイ的なものはどうするのか。
はい、ちゃんと用意しております。
エッセイ『頑張る40代!』を始めることにしている。
このエッセイは日記ではないから、毎日書くわけではない。
気が向いた時に書くことになるだろう。
しかし、書く時には1000文字などと言わず、書けるだけ書くことにする予定である。


【最後に】
ということで、日記『頑張る40代!』は、今日1000回目が最終回ということになりました。
今まで応援してくれて、本当にありがとうございました。



2003年10月11日(土) どうでもいいこと3

【エディタ】
最近、テキストエディタというのに凝っている。
まとまった文章を書く必要が出てきたため、そういうものを書くのに適したエディタがいるようになったのだ。

VECTORとか窓の杜といったダウンロードサイトでソフトを探し、無料のものから有料のものまで、いろいろと試してみた。
が、どれもしっくり来ない。
というより、どうも力が入らない。

ここ数日の日記は、その一連のテキストエディタで書いたものであるが、何かよその家にいるようで落ち着かなかった。

結局、また以前のエディタに戻した。
やはり慣れたものが一番いい。
文章もすんなりと書けるような気がする。


【雨】
夕方から雨になった。
何日ぶりだろうか。
ああ、そうだった。
先週の土曜日(4日)の日記に、天気予報を恨んだことを書いているから、それ以来のことだ。
こういう時、日記は役に立つ。

それにしても、今年は雨が多いと思っていたが、ここに来てあまり降らなくなった。
すがすがしい秋晴れもいいものだが、秋雨もたまにはいいものである。
今年は雨が降りすぎているのだから、この時期、週一回のペースで降るくらいがちょうどいいのではないだろうか。


【タバコの灰】
また居眠りをしながら、日記を書いていた。
おまけにタバコを手に持ったままだ。
一度吸ってそのままになっていたようで、火の先に3センチほどの燃えかすが落ちずに残っている。

ぼくのパソコン周りは、実に汚い。
本やCDなどがそこに散らばっているためなのだが、それだけならぼくの中では大したことではない。
それに加えて、汚さを演出するものがあるから、こういうぼくでさえ汚く感じるのだ。
その演出するものというのが、タバコの灰である。

居眠りしている時に落とすこともたまにあるのだが、一番多く落とすのは日記に集中している時だ。
日記に集中している時ぐらい、タバコを灰皿に置いておけばよさそうなものだが、その時には、タバコを持っていることさえ忘れている。
また、タバコに灰がたまったら、その都度捨ててやればいいのだが、それができない。

まあ、机の上に灰を落とすだけなら別に大したことではない。
ところが、ぼくの場合、落とす場所に問題があるのだ。
キーボードの上である。
ポトという軽い音がするので見てみると、キーの上に灰の固まりが落ちている。
その灰がキーの目の中にも、灰が入っている。
そういう時、ぼくはいつも慌てて、キーボードを逆さにトントンと叩いている。
こういうことばかりやっていると、すぐにパソコンがだめになるだろう。
それはわかっているのだが、どうもその癖が治らない。
かわいそうなパソコンである。



2003年10月10日(金) 未来のこと

人間の好奇心というのは、自分の未来に対して最も旺盛なのではないだろうか。
将来どういう自分になっているのか知りたい、という人がいるかもしれない。
あと何年生きられるか知りたい、と思っている人もいるかもしれない。
若い人なら、あの人と将来結ばれるかどうかを知りたい、という人もいるだろう。
そんなに遠くのことを考えないという人でも、例えば明日明後日のことだとか、一年後のことは、垣間見てみたいと思っているのではないだろうか。

九月のことだったが、ぼくはダイエーの優勝が近づいた時、ほとんどの試合を録画しておいた。
それは、優勝の決定試合を収めておきたかったからだ。
面白いもので、野球の試合を録画すると、中継やスポーツニュースを一切見たくなくなるものだ。
その録画を見るまでは、絶対に結果を知りたくないからである。
知ってしまうと、もう見たくなくなるのだ。

もしかしたら、人が未来のことを知ってしまうと、野球録画の場合と同じようなことになるのではないだろうか。
未来を知ってしまったから、もう何も努力したくないなどという人が出てくるだろう。
そこには、未来を知ったからそうなったという、因果関係があるのだろうが。
中には未来の自分の姿を知ってしまったがために、悲観して自殺するという人も出てくるかもしれない。
しかし、自分が見た未来まで、その人は死ぬことが出来ない。
きっと、その後その人は、未来を見たことを後悔するだろう。

今ぼくは、10年後の生活を知りたいと切に思っている。
その頃定年を迎えるが、それまで今の仕事を続けているのだろうか。
今、いろいろなローンを抱えているが、その頃には無事に払い終えているだろうか。
そういうことが、今一番の関心事であるからだ。

今日、ふと「そういうことを考える歳になったんだなあ」などと感慨に耽っていた。
ところが、古い書き残しなどを見てみると、いつの時代もそういうことを書いてある。
例えば76年のノートには「10年後、ぼくはいったいどういうなっているのだろう」などと書いている。
そういえば、その頃から急に占いに興味を示しだしたのだ。

しかし、もしその時に未来のことがわかってしまっていたら、いったいぼくはどうなっていただろうか。
そう考えるのは、86年の自分が76年当時に期待していた自分になってなかったからだ。
仕事にしても然り、恋愛にしても然りである。
もし、その当時未来を知ってしまっていたら、おそらく悲観して何の望みも持てなかっただろう。

やはり、未来を知りたいという好奇心よりも、未来はこうなっていようという想像力のほうが大切なのだろう。

はい、頑張ります。



2003年10月09日(木) 人生のほら吹き

  【人生のほら吹き】
 山高帽子をかぶって
 楽しそうに振る舞うんだ
 おれは人生のほら吹き
 そう、ほら吹きだから
 
 ポケットに手を突っ込んで
 寂しそうに振る舞うんだ
 おれは人生のほら吹き
 そう、ほら吹きだから

  雨が降っても寂しくはないよ
  いつも心の中はウソだらけ
  風が吹いても怖くはないよ
  人生をごまかしているから

 おれはいつも一人だよ
 誰の手も借りないよ
 おれは人生のほら吹き
 そう、ほら吹きだから

 金も持ってないくせに
 酒に酔った振りをするんだ
 おれは人生のほら吹き
 そう、ほら吹きだから

  闇に浮かんだ月が笑う
  ちっぽけなはにかみ屋さん
  通りがかりの風が歌う
  もうお帰り、寂しがり屋さん

 おれはいつも一人だよ
 誰の手も借りないよ
 おれは人生のほら吹き
 そう、ほら吹きだから


高校3年の時に書いたものだ。
これを書いた時、きっと何かに取り憑かれたのだろう。
なぜなら、それ以来、ぼくの人生はこの詩の通りになっているからだ。

それはどういうことかというと、いつもフリをしている人間になったということだ。
例えば、前の会社で、ぼくは強気な人間として通っていた。
それは、ぼくがそういうふうに振る舞い、そういう人間だと見せていたからだ。
しかし、内心はいつもビクビクしていた。

また、何かことをやらかすたびに、「これも目的にたどり着く過程だ」などと、妙に達観したような態度を取っていた。
しかし、内心はそうではなく、「こんなことで、これからどうなってしまうのだろう」と、いつも将来を案じていた。

「ボーっとしている」とか、「細かいことを気にせんタイプやのう」とか、よく人から言われる。
しかし、実際は神経がピリピリしている。
その上に、取り越し苦労の固まりでもある。

何度も「これ以上人生を嘘で固めるのはまっぴらだ。これからは地で生きてやる」と思ったことがあるが、嘘の積み重ねは、本来の自分を完全に忘れさせてしまっている。
「嘘の数が白髪の数になっているのかもしれない」と思うこともある。
それだけ自分の嘘に、心を痛めているということだ。

この日記だって例外ではないかもしれない。
そういう生き方に嫌気がさしていたので、本来の自分でいたいと思う気持ちから、このホームページを始めたのだが、案外無意識のうちに、架空の自分を演出しているところがあるのかもしれない。
そうであれば、本来のぼくとかけ離れた『しろげしんた像』が出来上がっていることだろう。
この日記を読む人は、しろげしんたを、いったいどんな人物として捉えているのだろうか?
そういうことを知りたい気もする。
しかし、元来の臆病者であるぼくは、そういう声を怖がっている。



2003年10月08日(水) 同窓会報告

昨日、日記を書き終えた後に、「何をしようか」と考えていたが、結局風呂に入ることにした。
帰ってから、おそらくすぐに寝てしまうだろうから、そのための準備である。
久しぶりの長風呂だった。
本を持ち込んでの半身浴で、汗をたっぷりかいた。
その後少し仮眠して、会に出発した。
酒が入るので、もちろん車ではない。
当初バスを使っていこうかとも思った。
が、時間まで少し待たなくてはならない。
それが嫌だったので、歩いていくことにした。
30分歩いて目的地に着いた。
そこにいつものメンバーがいた。

昨日はえらく長い時間、飲み屋に籠もっていた。
会が始まったのが7時半で、終わったのが1時過ぎだった。
およそ6時間も同じ飲み屋にいたことになる。
この間ビール10杯以上を飲んだ。
ここ最近飲んだ量としては、最高である。

会はいつもと変らなかった。
たわいのない話が進んでいくうちに、11時になった。
「明日仕事やし、そろそろお開きにしようか」と言っていた時だった。
ゲストが登場した。
同じく高校の同級生男子である。
そこから会は延長となった。

ぼくにとっては、彼と28年ぶりの再会だった。
彼はぼくを見るなり、「しんた君?」と言った。
28年の歳月が「君」という言葉に集約されている。
『君?そんな付き合いじゃなかったやろ』と思いながらも、ぼくは「お久しぶりです」などと答えていた。
「お久しぶりです」、これも28年の歳月だろう。

その後、次回の打ち合わせなどをした。
次回は内輪だけの飲み会ではなく、クラス会にしようと言うことになった。
クラス会ということは、当然女子もくるだろう。
ま、かなりおばさん化しているに違いないが、会ってみたい気もする。
話がまとまったところで、午後1時過ぎにお開きとなった。

さて、さすがに朝の寝起きはつらかった。
今日、早出の友人から「明日6時過ぎにモーニングコールを入れてくれ」と頼まれていたのだが、その時間はまだ夢の中であった。
そのことに気づいたのは昼頃だった。
ぼくは慌てて電話した。
「おい、起きたか?」
「ちゃんと6時に目を覚まして、今仕事をしよるわい」
さすがにタフである。
彼は高校時代、体育祭の打ち上げの翌朝に、二日酔いにもかかわらず、皿倉山(標高622m)を駆け上った実績を持っている。

とにもかくにも久しぶりの同窓会は終わった。
次回はいつになるのだろう。
今から楽しみにしている。
もちろん楽しみは、女子である。



2003年10月07日(火) 日記の早書き

今日は休みだ。
予定としては飲み会があるだけで、他に何もやることはない。
しかし、夜は帰りが遅くなりそうなので、飲みに行く前に少しでも日記を書いておかないと、今日の日記更新が危うくなってしまう。
そのため、早い時間から日記を書いている。
今、昼の1時である。
こんなに早くから、書くことなどない。
しかも、朝10時近くまで昨日の日記を書いていたのだ。
そうそう書くことなんか思い浮かばない。

とはいえ、何も書かないでおくと、後がきつい。
ということで、朝起きてから今までのことを書いてみると、

[朝7時半起床。
少し眠たかったが、昨日の日記を書いてないことに気づく。
眠たい目をこすりながら、パソコンの前に座る。
パソコンの電源を入れ、開くまでしばらく待った。
その間、居眠りである。

さて、起動はしたものの、ネットに繋がらない。
このところ時々起きる症状である。
そういう場合、しばらく待っておくと繋がる場合がある。
そこで、しばらく待つことにした。
その間も居眠りである。

5分ほどたった。
ところが、まだ繋がらない。
しかたがないので、もうしばらく待つことにした。
また居眠りである。

10分経過。
まだ繋がらない。
ここまでくると、残された道は再起動しかない。
というので、再起動した。
その間、また居眠り。

待たされること5分。
ようやく繋がる。
眠い目をこすりながら、エディタを開いた。
昨日途中まで書いておいた文章が目の前に現れた。
もううんざりである。
昨夜、眠い目をこすりながらやったので、ローマ字混ざり文字が目立つ。
『いいでsか、これからあh「12」ですよ・』
という具合である。
さっそく文字を訂正し、文章を書き足していった。

出来上がったのが、10時前である。
そういえば、腹が減っている。
何か食べないと、と思い冷蔵庫の中を覗いてみたが、ジュースばかりだ。
そこで、いつものようにコンビニに行った。
まず、西スポを買い、パンを数個買った。
パンは『ロングシュガーマーガリン』である。
このパンは、ぼくが子供の頃、バターパンといって売られていたもので、白バターの中に砂糖がまぶしてある。
噛むとザクザクという音がする。
その歯ごたえが、ぼくは昔から好きだった。
小学生以来、あまり見なくなっていたが、何年か前にセブンイレブンで復活した。
ということで、最近セブンイレブンに行くと、必ずこのパンを買うことにしている。

帰ってからさっそく食べた。
おいしかった。]

と、まあこんなふうになる。
さて、ここからが問題なのだが、いったいこの後何を書いたらいいのだろうか?
あいかわらずパソコンの前に座ったままで、何の行動も起こしてないし、いまだ「おいしかった」の感動が残ったままなのである。



2003年10月06日(月) どうでもいいこと2

【お知らせ】
ぷららのディスクサイズを欲張って多く契約していたため、他の無料サービスが受けられなくなっていた。
そのことに不便を感じ、以前からサイズを減らそうと思っていろいろと努力をしていたのだが、どうもうまくいかない。
「おかしいな」と思い、規約やFAQを読み返してみると、いったんホームページを解約して、その後で新たに登録し直してくれと書いてあった。
元々、ぼくはいつURLが変ってもいいように転送サービスを利用し、そのURL「http://beatles.to/shinta」でいろいろなリンクサービスに登録していた。
そこでこのサイトを知り、お気に入り登録している方は、URLが変っても別に問題はない。
しかし、Googleなどの検索サーチでここを見つけて、そこにあったURL
「http://www10.plala.or.jp/mengly/」
でお気に入り登録している方には、お気に入りの変更をしていただなくてはならない。
そこに引っかかった。
「このURLに変更になりました」というのはたやすいのだが、そのURLを取るためには、今までのURLでのホームページを解約しなければならないのだ。
どうしようかといろいろ考えたあげく、トップに1週間ほど「お知らせ」を載せることにした。

ということで、1週間たったので解約し、新たに登録し直した。
新しいURLは、「http://www12.plala.or.jp/mengly/」で、「WWW10」が「WWW12」に変った。
たったそれだけのことであるが、この差は大きい。
何せ、たった0と2の違いだけでアクセス出来ないからだ。
いいですか、これからは「12」ですよ。


【眠い】
眠い、眠い、眠い!
朝からずっと眠い。
今午後10時半だが、もう眠くてたまらない。
今日は眠るまいと思って、氷結を飲まずにビールを飲んだのに、もうこの有様である。
素直に眠ればいいのだが、明日は飲み会もあることだし、日記は今日中に仕上げたい。

しかし、眠たい。
昨日は氷結のせいにしていたが、どうやらそのせいではなかったようだ。
ということで、昨日の疑問が、また元に戻ってしまった。
ここ最近、どうしてこうなのだろう。
酒のせいでないとしたら、季節の変わり目が眠気を誘っているのか?
まさかそんなことはないだろう。
どう考えても、半袖では過ごせないような、この少し肌寒い季節が眠気を誘うはずがない。
逆に頭が冴えるはずだ。

じゃあ、いったい何が眠気を誘っているというのか。
言いたくないけど、認めたくないけど、やはり歳のせいなのか?

・・・・
やっぱり、更新は翌朝になってしまった。



2003年10月05日(日) どうでもいいこと

【カップ焼きそば】
今日の昼食は『一平ちゃん』だった。
カップにお湯を入れて、3分間麺をほぐしたあとでお湯を捨てる。
その後ソースや辛子マヨネーズ、ふりかけを入れると、まあまあ、おいしい焼きぞばの完成である。
ところで、これを「焼きそば」と呼ぶのは語弊があるのではないだろうか?
確かに焼きそば味ではあるのだが、実際に麺を焼いたわけではない。
ということは、これは「焼きそば」ではない。
「焼きそば風ソースつけ麺」とでも呼んだほうがいいだろう。
ま、どうでもいいことではあるが。

【氷結】
最近、食事が終わってから、そのまま寝てしまうことが多くなった。
人員削減で仕事が増えたために、心身共に疲れが増していることもあるが、何といっても一番の原因は、晩酌をビールから氷結に替えたことにあるようだ。
とはいえ、アルコール分はビールと同じく5%である。
氷結のアルコール成分はウォッカとなっているが、ウォッカという酒に眠気を誘う要素があるのだろうか。
ま、とにもかくにも早く寝ることはいいことだ。
何といっても早起きが出来るという特典が付く。
ところが、この早起き、若干の頭痛を伴うのだ。
いくら早寝早起きが出来たとしても、頭痛のため日記を書くのに支障が出ては何にもならない。
「このへんをどうにかしなければ」と思い悩む今日この頃である。

【言い訳】
そういう理由から、今日は満足な日記が書けそうにない。
今、午前8時20分だが、あと40分もすれば会社に行かなければならない。
その40分の間に、ひげを剃り、顔を洗い、トイレに駆け込まなければならない。
果たして間に合うのだろうか。
ぼくとしては、中途半端に終わった日記を更新したくない。
とはいえ、そのために遅刻して行っては何もならない。
もしこの日記が途中で終わっていたとしたら、それは氷結のせいである。
さて、言い訳も終わったし、ここから何を書こうか?
・・・
時間切れである。



2003年10月04日(土) 天気予報

昨日の夕刊の天気予報には、「明日の天気は晴、降水確率は10%」と書いてあった。
朝、野暮用で車を運転している時にラジオから流れてきた天気予報では、「今日は朝からとってもいいお天気です。今日の北部九州地方は全般にわたってこの晴天が一日続く模様です」と言っていた。
ところがである。
その時こちらのほうではけっこう激しい雨が降っていた。
その雨がフロントガラスを叩きつけたために、前がまったく見えないくらいだった。

県内の放送局はすべて福岡市にある。
北九州市は、緯度的に福岡市より若干北に位置しているものの、同じ玄界灘沿いにあるので、ほとんど天気は変らない。
「それなのに、この差は何だ!?」
ぼくはブツブツ言いながら、天気の神様を恨んでいた。

雨は、ぼくが家の中に入るまで降っていた。
おかげで、コンビニで買ったスポーツ新聞はびしょ濡れになってしまった。

ここ数年、梅雨や季節の変わり目といった、大気の安定しない時期の天気予報は外れることもあるのだが、普段の時期の予報はおおむね当たっているようだ。
とはいえ、たまに「晴」とか「雨」と言ったのに「曇り」だったりすることもある。
ところが、今日のような大外れは滅多とない。
天気予報を信じて傘を持って行かなかった人は、おそらくずぶ濡れになったことだろう。

ところで、ぼくは小学生低学年の頃、天気予報で「今日の天気は、曇り一時雨」と言うと、午後1時に雨が降るものだと思っていた。
そう思っていた人が多かったようで、その話をするとわりと多くの人がうなずく。
ずっと後に「降水確率40%」などと言うようになったが、それを一日の40%が雨と思っている人や、県内の40%の地域で雨が降ると思っている人もいた。
中には、雨雲に含まれる水分の40%が雨となって落ちてくる、と複雑に考える人もいた。
そこで、ぼくが意地悪く「全体の雨の量はどのくらいあるんか?」と尋ねると、その人は「その日の降雨量を0,4で割ればわかる」と答えた。
そこで「じゃあ、その降雨量はどうやって量るんか?」と質問すると、その人は「雲を見て全体量を予測して、0,4掛ければいい」と答えた。
ぼくはアホらしくなって、もうそれの以上は質問しなかった。

だいたい何の説明もないまま、こういう表現を使う天気予報が悪いのだ。
「一時雨」などと言うから煩わしいのだ。
「一時的に、雨が降るでしょう」、もしくは「ちょっと雨が降るかもしれんばい」でいいじゃないか。
降水確率、何を基準にして確率などと言っているのだ。
そういう数字のマジックなようなものを、公の電波に流したり、新聞に載せないでもらいたいものだ。

例えば、冒頭に書いたように、昨日の夕刊では、今日の天気は晴で降水確率は10%となっていた。
これを見て、誰がずぶ濡れになると予想するだろうか?
普通の人なら、晴マークの上に降水確率10%とあれば、「終日晴」と捉えるだろう。
その数字を見ても、傘を用意する人がいるとすれば、その人はおそらく蛙かツバメの化身だろう。

さらに言わせてもらえば、その場合、その10%はどの時間にどこで降るのだろうか。
そこまで詳しく報告して、初めて天気予報と言えるだろう。
だいたい、降るか降らないか、すべてはフィフティ・フィフティでなのある。
いくらコンピュータや人工衛星のおかげで、降水確率10%などと詳しく予想が出来るようになったといっても、その数字がいつどこで適用されるのかがわからなければ、何の意味もない。
こういう世迷い言的な降水確率ならやめてほしい。
おかげで、ホークス和田投手の14勝の記事が、松中・城島の打点王争いの記事が、雨で破れて読めんやないか!!



2003年10月03日(金) 同窓会(後編)

この会でのぼくの役どころは、ウエーターだった。
各期のOBの所に行って酒やジュースの注文を取り、そこに持って行くのだ。
何といっても恥ずかしかったのが、エプロンをつけての作業だった。
しかもそのエプロンは同期生全員お揃いなのだ。
当時ぼくは、まだ個性だの何だのにこだわっていた頃だったから、人と同じ物を着けることをあまり好まなかった。
そういう理由から、最初は「いい歳してこんなエプロンを着けなくてもいいのに」、と思いながらダラダラとやっていた。
ところが、やっていくうちにだんだん面白くなっていき、最後にはいっぱしのウエーターになっていた。

特によく声をかけられたのが、戦前に、我が校の前身である高等女学校で青春時代を過ごされた大先輩たちからだった。
「にいちゃん、こっちビールが足りんよ」
「こっちにもビール持ってきてー」
「ウィスキーはまだね!?」
その都度、「わかりました。すぐにお持ちしまーす」と応対している自分がいる。
職業柄、ぼくはお年寄り相手をけっこうやってきているので、こういう人たちの応対は、わりと得意なほうである。
そのうち、大先輩たちから、「あのにいちゃんに頼んだら、すぐに持ってきてくれるよ」という声が上がり、気がつくとちょっとした人気者になっていた。
同期の者からも、「しんた、お前おばあちゃん達に人気があるのう」とからかわれていた。
残念だったのは、大先輩に捕まったために、若い人たちのところに行けなかったことだ。

ぼくがウエーターに精を出していたのにはわけがある。
飲み物の置いてある場所には、例の好きだった人がいるからだった。
何度か二人きりになった。
そのつど、ときめくものがあった。
が、そこまでである。
今更「好きだった」などと言っても何の価値もないし、そこからの進展が望めるわけでもない。
しかし、ずっとこの日を夢見てきたのである。
このまま何も話さなかったら、またいつ逢えるかわからない。
そこで勇気を振り絞ってこう言った。
「おれ、おばあちゃんに人気あるっちゃ」
何でこういう時、もっと気の利いたことが言えないのだろう。
結局、その日彼女と交わした言葉は、これだけだった。

会も終わり、最後に当番期生による校歌の合唱となった。
元々1番以外の歌詞を覚えていなかったのだが、その時には1番の歌詞までも忘れていた。
まあ、そこに居合わせた人のほとんどがそうだったのだろう。
周りはみな歌詞カードを見て歌っていたのだから。

会がお開きとなり、2次会会場に移った。
当然彼女は来るものと思っていた。
が、見当たらない。
人に尋ねようとも思ったが、気があるんじゃないかと詮索されるのも嫌だったのでやめた。

ところで、学年全体でやる同窓会というのは、どうしてこう白けるのだろう。
同じ時期に同じ学校にいたとはいえ、共通の話題というのは、意外と少ないものである。
クラスによっても話題が違うし、クラブによっても話題が違う。
ある人が司会をしたりすると、どうしてもその人の所属していたグループの内輪ネタとかに走ってしまう。
違うグループに所属していた人間にとっては、まったく知らないネタなので、ぜんぜん盛り上がらない。
やはり、同窓会というのは気心の知れた者同士で盛り上がる方がいいと思う。
とはいえ、好きだった人に逢えるチャンスもあることだしねぇ。
ま、どっちでもいいか。



2003年10月02日(木) 同窓会(前編)

  あれから何年経っただろう、同窓会に君がいた
  少し髪を伸ばした君は、ぼくを見つめてた
  今はもう遠くの空で、幸せに暮らしているという
  そして今でもぼくは、君の歌をうたう
  時は過ぎていった、ドラマなど起こらないままに
  だけど、確かに今でも、君はぼくの中にいる


毎年10月に、高校の同窓会が行われている。
この同窓会は、高校のOB総会といったようなもので、1期生から昨年卒業した人たちまでが集まる大規模なものである。
この会に参加するためには、チケットを購入しなければならないのだが、チケットの数が限定されているためなのか、それを売りさばく人が自分の気心の知れた人だけに売っているせいなのかは知らないが、ぼくの元に売りに来たためしがない。
ということで、ぼくはこの同窓会には参加したことがない。

いや、一度だけ参加したことがある。
それは、高校20年生になった時にやる当番、つまり総会のホストをやった年だった。
今からちょうど10年前のことだ。
その日、同期生は12時に集合するようになっていたのだが、前の日にぼくは前夜祭という名目で気心の知れた同級生たちと徹夜で飲んでいたため、会場に着いたのは午後5時頃になった。
開場1時間前である。

会場に着くと、受付に二人の女性が立っていた。
そのうちの一人が、ぼくが高校時代に好きだった人だった。
ぼくは軽く挨拶をした。
彼女もぼくのことを覚えていたようで、軽く挨拶をした。
高校当時と比べると、髪が長くなっていた。
身なりは30代のそれだったが、別におばさん臭くはなっていなかった。
近くにカメラを持った人がいたので、いっしょに写真を写してもらおうかと思ったが、どうもその勇気がわかなかった。
ということで、ぼくらはそのまま奥へ入っていった。

奥に行くと、ぼくの小学校時代からの同級生(女子)がいた。
彼女はぼくたちを見るなり、「あ、弁当食べる?」と言った。
「何なら、ビールもあるよ」とも言った。
ぼくは、家を出る前に食事をすましていたので、ビールだけもらうことにした。
「ビール飲んだら、会場を手伝って」と彼女は言った。
が、ぼくたちは、その場に居座り、会場を手伝うことはしなかった。
そうこうしているうちに、開場の時間が来た。



2003年10月01日(水) 優勝から一夜明けて

昨日の余勢を駆って、朝起きるとすぐにコンビニに走った。
もちろんスポーツ新聞を買うためである。
全紙買おうかとも思ったが、普段読まない九州スポーツとスポーツ報知、また会社で読めるスポニチは買わず、西日本スポーツと日刊スポーツだけを買うことにした。

どちらも王監督が宙に舞う姿が一面に載っている似たり寄ったりの内容ではあったが、ぼくは何度も読み返した。
短いようで長いシーズンだった。
あまりに後半戦が派手だったため、前半戦の戦いぶりをもう忘れてしまっている。
と言いながらも、プロ野球記録を塗り替えた7月から8月にかけての派手なゲームですら、もう去年のことのような気がする。
それだけマジックが点灯してからの時間が長かったのだ。

さて、胴上げ後の勝利監督インタビューで、王監督が「過去3度の優勝の中で一番嬉しい」と言っていたが、ぼくはそうではない。
やはり一番嬉しかったのは、99年の初優勝の時だ。
この優勝は、九州の球団にとって、63年の西鉄優勝以来のことだった。
63年といえば、ぼくがまだ保育園に通っていた時代。
まだ、西鉄優勝と言われてもピンと来なかった。
ようやくプロ野球に目が向くようになったのが、小学3年(66年)の時からだった。
それ以来、西鉄、太平洋クラブ、クラウンライター、ダイエーと在九州球団は変っていったが、99年まで優勝したことがない。
つまりぼくがプロ野球に目覚めてから、33年間、地元球団の優勝がなかったというわけだ。
それだけに、ダイエー初優勝の時のインパクトは強かった。
テレビでは深夜にもかかわらず、優勝で沸く県内の様子を長い時間紹介していた。
まるで大晦日の様相である。
その時、ぼくはなぜか、福岡に暖かい風が流れているように感じたのだが、こういう感覚も生まれて初めてのものだった。

まあ、今回はこういう感覚がなかったのであるが、それでも優勝は嬉しいものである。
昨日も夜遅くまでテレビは特別番組をやっていたし、新聞の折り込みチラシは「ホークス優勝おめでとうセール」ものが数多く入っていた。
今日の夕方ワイドは、優勝セールの模様を映していた。
今となっては見慣れた風景であるが、こういうものは何度見てもいいものである。

さあ、次は阪神である。
ぼくは阪神のことなどまったく知らないに等しい。
阪神戦は見たことがないし、優勝特番もまったく見ていない。
認識しているのは、かつてダイエーをいじめてくれた下柳と片岡がいるということくらいだ。
専門家の話によれば、今年のダイエーとよく似たチームだという。
ということは、プレッシャーに負けずに普段の力を出せたほうが優勝するということだ。
星野監督は「胸を借りる」と言っていたが、そんなことはない。
ベテランの胸を借りるのは、若手の多いダイエーのほうだ。
その若手には、過去のことは忘れ、初出場のつもりで、がむしゃらに頑張ってもらいたいものである。


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