この2年間、仕事の日であろうが、休みの日であろうが、毎日毎日「今日は何を書こうか」と思っている。 もはやぼくには、それしかないといった感じである。 と言うより、病気である。
今日は休みだったが、相変わらずぼくは、いつもと同じように「今日は何を書こうか」と思っていた。 気が休まる暇がないのだ。 時間がたてばたつほど、この「何を書こうか」というのが強迫観念になってくる。 落ち着かない。 焦りだす。 頭の中はずっと、 今日は何を書こうか? 今日は何を書こうか? 今日は何を書こうか? である。
さて、今日はドコモショップに行ってきた。 FOMAの機種変更(FOMAの場合『買増し』と言うらしい)のためだ。 先月FOMAの契約をしたのだが、早くも機種変更のお知らせがあった。 新規の時も破格値で買ったのだが、今回の機種変更もかなり安く手に入った。 前回行った時は、お客が多く待たされた上、機種変更に手間取ったので、かなり時間がかかった。 そういうことがあったので、お客の少ない午前中を狙おうと、今日は早めに家を出ることにした。 読みがあたった。 着いてみるとお客は少ない。 それに、FOMAの手続きはムーバよりも簡単である。 あくまでも買増しであるから、機械をもらえば終わりなのだ。 端末情報を移し換える必要もない。 前の機種からFOMAカードを取り出して、新機種に装着すれば使えるようになる。 これくらいは自分でも出来る。 しかし、自分でやると多少面倒な作業が残っている。 電話帳等の、データのコピーである。 確かにデータコピーも自分でやろうと思えば出来ないことはないが、400件近くも電話帳に登録しているので、手動でやると大変な労力を要してしまう。 以前は電話番号だけだったが、最近はメールアドレスも入っているので、なおさらである。 しかも、ドコモショップに行く前から「今日は何を書こうか」と思っている病人だから、そんな時間は取れない。
そこで、ドコモの人に甘えることにした。 「すいません。データのコピーをしてください」 「ああ、コピーですね。いいですよ」 そこから歯車が狂い始めた。 コンピュータを使うので、データコピーは5分もかからない。 ところが、10分たっても、20分たっても出来ないのだ。 「しんたさん、すいませんが、ちょっとソフトの調子がおかしくて、もう少し時間を下さい」 単に早く帰りたかっただけで、特に用事はなかった。 ぼくは「いいですよ」と返事をした。 そこからまた10分、20分が経過した。 そして1時間が過ぎた頃、また「しんたさん」とお呼びがかかった。 「どうもだめみたいです」とのことだった。
午後2時に家に帰る。 それからずっとデータの入力をやっている。 新聞も読まず、テレビも見ず、ずっとそれに没頭している。 今午前1時を過ぎたところだが、まだやっている。 半分以上は使ってないので、別に全部入れる必要もないのだが、ぼくはこういうことをやる時は妥協しない、と言うより変にムキになる。 しかも、それをやりながら「今日は何を書こうか」と思っている。 それも、ムキになって思っている。 病気である。
『朝日新聞、北朝鮮に叱られる』 今日の朝刊に、北朝鮮の労働新聞が、朝日新聞が「北朝鮮」という呼称を使うことにケチをつけた、という記事が載っていた。 そういえば、最近は以前のように「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」という呼称が使われなくなった。 そのほうが聞きやすいし、見やすい。 大韓民国を韓国、中華人民共和国を中国、中華民国を台湾と呼び慣わしているのだから、別に北朝鮮だけがそんなことで目くじらを立てなくてもいいと思うのだが。
しかしこの記事の面白さは、そんなところにあるのではない。 いろいろなマスコミが「北朝鮮」呼称を使っているのに、なぜ朝日だけにケチをつけるのか、という点にある。 この北朝鮮のコメントは、一マスコミに対しての非難ではなく、配下に対する一喝である。 以前は、帰国事業の片棒を担ぎ、拉致問題にも知らん顔し、テポドンが飛んできた時も「人工衛星の実験でよかった」とまで書いて胸をなで下ろし、金正日が拉致を認めた後も相変わらず北朝鮮擁護をし、北朝鮮のお抱え新聞やチョウニチ新聞とまで呼ばれた朝日である。 そう受け止められても仕方ないだろう。 北朝鮮の発言は、「今までいろいろと世話をしてやったのに、いい加減にしとけよ」というお叱りの言葉だったのか、はたまた「これまでどおりに擁護してくれよ」という意思の表れだったのか、そのへんはわからない。
『靖国神社参拝』 西日本新聞が、1月14日に小泉首相が靖国神社を参拝したのを受けて、市民の反応を調査したらしい。 以前なら、靖国絡みの話は「反対」「反発」意見が目立っていたらしいが、今回は「日本人として自然な行為」「当然」と受け止める意見が、批判の声を圧倒していたという。 記事は「日本人の国家観や安全保障への意識は、確実に変わりつつあると肌で感じる」と続き、最後に「新聞をつくる側もバランス感覚がいっそう問われる時代になった」と締めくくっている。 はっきりしない記事である。 だいたい、新聞というのは「始めに姿勢ありき」ではないのだろうか。 その姿勢を底辺に置いて展開するからこそ、その新聞の色も出てくるのだと思う。 読者や世論の意見でコロコロと姿勢を変えられたら、安心して読めないじゃないか。 せっかく「これは」と思って取りだした新聞なのだから、朝日みたいな優柔不断はやめて欲しいものである。
だいたい、靖国関係の記事は「昨日、首相が靖国神社に参拝しました」で終わればいいことであって、それにいろいろコメントをつける必要はない。 今日、ダイエーホークスが筥崎宮に必勝祈願をしに行ったが、それについて「神聖なスポーツに宗教を持ち込みやがって」などというコメントは一つも書いてない。 受験シーズンだが、太宰府天満宮に参る受験生の記事は出ているが、そこに「受験に宗教はいらない」というコメントはない。 なぜか。 それだけ、神社というものが生活に密着したものだからだ。
また戦犯についてもとやかく言われるが、それを言うなら出雲大社にも参ることが出来なくなる。 大和朝廷側から見れば、大国主命は戦犯なのだから。 戦犯とはあくまでも勝者側の見方に過ぎない。 そもそも東京裁判自体が無効だと言われているのに、戦犯も何もあったもんじゃないだろう。 もしそれでも戦犯を求めるとしたら、ぼくは蒋介石とルーズベルトと中国共産党を推挙する。 あの戦争は、彼らの思惑に日本が振り回された戦争だったからだ。
ま、ともあれ、首相は来年も靖国神社に参拝するということだから、やっとこれで日本も元通りになってきたなと思う。 あとは、野中や菅が首相にならないことを望むだけである。
明日も寒いらしい。 ということで、今日も早く書いて、早く寝ることにしよう。
とはいうものの、最近ネタ詰まりというか、頭が回らないというか、パソコンの前に座っても、テーマが決まらないことが多い。 今日もご多分に漏れず、ネタなし、テーマなし状態でパソコンの前に座っている。 さて、何を書こう。
昨年の今日は、ギターのこと書いてたんだった。 そういえば、最近はギターも弾いてないなあ。 まだ指は動くんだろうか。 仮に指は動いても、指先の皮膚が柔らかくなっているから、そう長い時間は弾けないだろう。 風邪を引いて以来、歌も歌ってないし、いまだくすぶっていたシンガーソングライターの夢もここで途切れる、ということか。 食うことに困った時、ストリート・ミュージシャンという手段を残していたが、それもそろそろ没にしたほうがいい。 もしそういう状況になったら、ストリート詩人にでもなろう。 詩を色紙なんかに書いて売るとか、駅前で大声出して詩を朗読するとか、見知らぬ人に「あなたへの詩を作ります」なんて声をかけるとか、『詩人』と書いたプラカードを提げて歩くとか、チョークを持って道いっぱいに詩を書くとか、やり方はたくさんあるだろう。 その際は本名を伏せて、新しいペンネームを考えよう。 あの色川武大みたいに、いくつかのペンネームを使い分けてみるのも面白い。
ペンネームといえば、二十歳の頃ぼくが使っていたペンネームは『山原ほうぼう』だった。 この名前を使って、ある雑誌に詩を投稿したことがある。 が、結果は「年会費をお支払いいただければ掲載します」というものだった。 この時は、年会費が払えなかったのでやめた。 その次に使ったペンネームは『条一郎』だった。 このペンネームでは何度か雑誌に載った。 しかし、掲載はされるものの、それ以上のものがなかった。 結果、サラリーマンを選択することになる。 それからは、ペンネームを考えるのが面倒になって、本名で投稿するようになった。 しかし、今度はまったく掲載されなくなった。 名前より中身が大切なことは重々わかってはいるが、せっかくやってきた姓名判断をここで活かさない手はない。 『しろげしんた』はわりと字画がいいから、投稿に関してはこの名前を使ってみようと思っている。
さて、その投稿のほうだが、詩や短歌は公募が少ない。 といって、公募数の多い小説なんかは、万年ネタ切れのぼくには無理がある。 ということで、エッセイに挑戦しようと思っている。 今までこの日記で書いたことをまとめていけば、なんとか形にはなるだろう。 あとは、根気と運だけだ。 下手な鉄砲作戦をずっと続けていけば、どこかで拾ってくれるだろう。 仮にそれで何らかの収入が得られるようになったら、しめたものである。
もしリストラなんかにあって食うことに困ることになれば、新しいペンネームでストリート詩人をやりながら、『しろげしんた』名で投稿生活をやっていこう。 ぼくの姓名判断が正しければ、きっとうまくいくはずだ。 東京に別邸を持つのも夢じゃない。 しかし、そうなるまでには時間がかかるだろうから、それまでは新聞配達やコンビニの夜間店長などをやりながら食いつないでいこう。 リストラ恐るに足らずである。
夜深く、雪の白く降り積もり 街はなお寒く、夢はまだ遠く
風強く、服の隙間をさして 身は重く辛く、後姿寂しく
揺れる春の日は遠く 待ちわびた花のつぼみ涙を落とし 昨日までの明るい笑顔 また今日深く暗く沈み
凍りつく、濡れた道あてもなく うつむいた人が、声もなく続く
19歳の頃、大学の入試試験から帰ってくる時に雪が降りだした。 雪は見る間に道を覆い、水たまりは早くも氷り始めていた。 その日に作った詩である。 生まれてこの方、あの日ほど寒い思いをしたことはない。 少し風邪気味で体調は優れず、受験の失敗を自覚していたから気分的に落ち込んでいる。 そういう状態の時に、突然襲いくる寒波。 風はビュービュー吹き、服の隙間を刺してくる。 傘を持たない身に、雪は容赦なく降りかかる。 その後、何度も寒い日はあったが、肉体的、精神的に落ち込んではなかったから、あれほどの寒さを感じたことはない。 おそらく、凍死でもしない限り、あのような寒さを体験することはないだろう。
とはいえ、今日は寒い。 昨日の天気予報で、「明日は一日、冷蔵庫の中にいるような状態でしょう」と言っていたが、その通りで、今日の最低気温は2、1度だった。 昨日が8、9度だったから、その差6、8度、この温度差は風邪がまだ完治していない身には辛い。 明日はまだ寒くなって、最低気温は-1度だという。 どうも今年の冬は、ぼくを殺そうとしているらしい。
さて、明日もしも雪が積もっていたらどうしよう。 前回の積雪の時は、通れなかった箇所はあったものの、日曜日だったこともあり、渋滞はしなかった。 しかし、明日はウィークデイだ。 九州道や都市高速はもちろんストップするだろうから、当然大渋滞が予想される。 そうなった時、一番被害を受けるのがぼくの住んでいる地域だ。 雨の日でさえ渋滞するのに、雪ならなおさらである。 また3号線に出るまでに一苦労するだろう。 この間、トラック故障のために、5分で抜けられる道が40分もかかった。 明日もそのくらいの時間を予定しなくてはならない。
もし道路が凍結などしていたら、JR通勤ということもあり得る。 うちからJRの駅までは、歩いて10分。 途中、吹きざらしのだだっ広い道を歩いて行かなければならないから、地獄である。 途中で咳き込みでもしたら、どうしよう。 寒さと強い風で、しばらく治まらないだろう。 その拍子に、こけるかもしれない。
まあ、夜中にいろいろ案じてみても仕方がない。 すべては夜が明けてからのことだ。 少し早起きしなければならないから、今日はこの辺で終わることにする。
長い間開けてなかった、古い書類入れがある。 今日何気なく開いてみたら、引き出しの一つに、その存在さえ忘れていた写真が入っていた。 量にすると100枚程度で、生まれて9ヶ月目のものから30代後半までのものが無造作に入れてある。 5歳頃の実家付近や、昭和40年代の小倉駅など、今となってはもう見ることの出来ない風景がそこにある。 また、ぼくの記憶の中には存在しない、ステージで弾き語りをやっている姿や、喜多方ラーメンの旅の記録がある。 つい懐かしくなって見入ってしまった。
写真を見ているうちに、一つの疑問がわいてきた。 それは、その中にある一番古い写真を見た時だった。 どこをどう見ても今の顔に結びつかないのだ。 今の顔に当時の面影が残ってないと言ってもいい。 まず顔の形が違う。 今のぼくの顔は、似顔絵のように長めの顔であるが、その写真の顔は丸顔に近い。 目が違う。 その後の写真を見るとどれも目が大きいのだが、その当時はかえって小さく感じる。 近々スキャナーが手に入る予定なので、そのうちこのサイトで、その写真を公開しようと思っている。 今のぼくを知る人は、おそらく別人だと思うだろう。
それにしても白黒写真の多いこと。 20歳ぐらいまでの写真は、もちろんカラーもあるのだが、圧倒的に白黒である。 そこにある一番古いカラー写真は6歳の頃のもので、それ以降高校2年までは白黒しか存在しない。 高校2年の時の写真は、夏休みに鹿児島・宮崎に行った時のものである。 その後20歳までの写真は、また白黒ものになっている。
ところで、そのカラー写真だが、意外なことに気がついた。 6歳の時の写真のほうが、高校2年つまり17歳の写真よりも質がいいのだ。 これはどういうわけだろうと考えていたが、ふと思い当たることがあった。 ぼくが17歳の時といえば、1974年である。 1974年といえば、オイルショックの翌年である。 オイルショックの時、何があったか。 そう、紙不足だ。 トイレットペーパーが、店頭からなくなっていた時期だ。 その影響は出版業界にも出ていた。 73年版の『ノストラダムスの大予言』という本をいまだ持っているのだが、その紙の質の悪いこと、ほとんどわら半紙状態である。 あの頃は、紙と名がつくもの、すべての質が悪かったのだ。 写真にも影響が出るのは当然である。
そう考えると、鹿児島写真は、その時代を反映しているということになる。 これは大きな発見だ。 ぼくは今まで自分の写っている写真を、白黒でしか残ってないとか、色が悪いなどという理由からあまり見ることはしなかった。 しかし、そういう質の悪い写真こそが、確かにあの時代に生きたという証である。 いわば勲章である。 そうやって見ると、ぼくはずいぶん勲章を持っていることになる。 これからは、そういった勲章の数々を、このサイトで紹介していくことにしよう。
うちのバイトに伊藤君という大学生がいる。 昼食時に彼と話していたのだが、途中で彼の携帯電話が鳴った。 「おい、電話が鳴りよるぞ」 「ああ、これメールです」 「お前、聞くところによると、メール魔らしいのう。一日何件ぐらいメールしよるんか」 「多い時で50件ぐらいですかね」 「50件?!」 「多いですかねえ」 「多いわい」 「でも、メールしなければ友だちが減るようで寂しいじゃないですか」 「お前、メールでしか友だち付き合い出来んとか。まあそれはそれとして、そんなにメールしよったら、他に何も出来んやろ?」 「他にすることないですから」 「帰ってから本を読んだりせんとか?」 「本はマンガしか読まないです。マンガは白けるじゃないですか」 「じゃあ、テレビは?」 「嫌いです」 「ところで、携帯に月なんぼ払いよるんか」 「少ない時で2万円、多い時で7万円です」 「7万!?」 「でも、親が払ってくれますからね」 「お前、携帯代を親に払わせよるんか?」 彼はいかにも当然という顔をして、「はい」と言った。
ぼくもけっこう携帯を使うほうだが、それでも多い時で2万円程度だった。 最近は携帯で電話することも少なくなったし、頻繁に使うiモードも、FOMAに変えたため通信料がかなり安くなり、ドコモに支払う額は毎月だいたい7千円程度である。 「ぼくの学生時代に携帯電話があったとしたら、そこまで携帯電話を使うだろうか」と考えてみた。 そして、「使うより以前に、携帯を持たないだろう」という結論が出た。 学生時代のぼくはへそ曲がりだったから、「みんなが携帯を持っているから、持つのは嫌だ」と言って、持たなかったにちがいない。
さて、伊藤君である。 「お前、携帯のことを、ホームページに書いていいか」と、ぼくは伊藤君に聞いてみた。 「書いてどうするんですか?」 「いろんな人の意見を聞いてみたいけの」 「別にかまいませんよ」 「じゃあ載せる。で、実名で書いていいか?」 「どうしてですか?」 「イニシャルで書くとI君になるけど、I君じゃけっこうパソコンで見にくいけのう」 「いいですよ。どうせ、知らない人が読むんでしょ?」 「いや、この店の人も読むよ」 「それは困ったなあ」 「おれは困らんけ、書くぞ」 「好きにして下さい」 ということで、彼の承諾をもらって、実名で書くことが決まった。
ところで、『いろんな人の意見…』は口実である。 「世の中にはこういうバカな学生がいる」ということを教えたかったのだ。 いったい彼は、将来どんな人間になるのだろう? それに、親は彼が就職してからも、携帯代を払ってやるのだろうか? 以前、マンガ『人間交差点』で、親から勉強したご褒美として2000万円のカードをもらい、殺人事件を引き起こした学生の話を読んだことがある。 彼もそうなるのではないか、と余計ながら心配している。
最近活字に飢えている。 そのせいで新聞をとることにした。 実家が朝日、親戚が読売、会社が毎日なので、別に同じ新聞をとる必要もないと思い、ブロック紙の西日本新聞に決めた。 昔から産経新聞の論調が好きで、本当なら産経をとりたかったのだが、いろいろ支障があるため、今回はとるのをやめた。 その支障の一つに、記事が遅いというのがある。 一時期、試験的に産経をとっていたことがある。 ところが、九州に拠点を持ってないため、大阪本社版の前日の記事なんかが載っている。 1999年にダイエーホークスが優勝した時、記事になったのは翌日だった。 もう一つの支障は、九州のニュースがほとんど載ってないということだ。 これは致命的である。 ぼくは野次馬根性旺盛なので、地域の話題とかには特に敏感である。 その地域の記事が読めないとなると、新聞をとる意味がない。 直接産経に電話して「西部本社を作って下さい」と懇願したのだが、今のところその予定はまったくないとのことだった。 しかたないので、産経はネットで読むことにした。
ところで、この西日本新聞だが、ぼくはこの新聞に二度載ったことがある。 一度目は、高校合格者発表の時だった。 この時は名前だけだった。 二度目は、金鷲旗高校柔道大会の出場者としてだった。 クラブの練習中に、突然西日本新聞の記者が現れた。 「金鷲旗の取材で来たんだけど。主将は誰?」 「ぼくですが」 「名前は?」 「しんたといいます」 「しんた君ね」 ということで、取材が始まった。 ところが、新聞を読むと、こちらが言ったことが全然記事になっていない。 『主将しんたの得意技は、はね腰』などと書いてある。 自慢ではないが、ぼくははね腰という技は一度も使ったことがない。 というよりも、出来ない。 もちろん取材の時は、はね腰のはの字も口に出さなかった。 どこをどう間違って、「得意技は、はね腰」となったのだろう。 ちなみに、当時のぼくの得意技は『谷落とし』というマイナーな技だった。
さて、その西日本新聞の今日のニュースだが、やはり明日の北九州市などの市長選が話題になっている。 プレ統一選だそうな。 出馬しているのは、『元官僚』『弁護士』『ビジネスコンサルタント』の3人。 一人共産党推薦がいるにはいるが、基本的には全員無所属。 これをプレ統一選と呼ぶには、少し無理があるような気がする。 どうせまた、元官僚の現市長が当選するのだろうから、その他は形だけの対抗馬に過ぎないということになる。 こういう茶番選挙のどこを見て、次の統一地方選が占えるというのだろう。
ぼくは、こういう結果のわかっているような選挙には行きたくない。 もちろん選挙には参加しなければならないが、選挙に行かないことも参加のうちである。 しかし、会社は行ってくれというし。 さて、どうしたものか。 行けば行ったで、入れる人を決めなくてはならない。 まったく知らない人だからなあ。 困ったものだ。 あ、そうだ! 西日本新聞で各候補者の得意技を見て決めることにしよう。
テレビを見ていると、突然「ピコピコ」という音とともに入ってくるニュース速報。 以前はそれほどでもなかったのだが、最近つとに多いようだ。 神戸の震災以降、特に地震に対しての速報が目につくようになった。 直接九州とは関係ない北海道などの地震情報や、震度1程度の地震情報まで入ってくることがある。
日本は地震大国といわれているが、ぼくの住んでいる北九州地方は、地震の少ない地域である。 この世に生を受けて45年経つが、その間体で感じた地震というのは10回ほどしかない。 たまにニュース速報で、「北九州で地震」などというテロップが出ることがあるが、そのほとんどが体に感じないものだ。 郷土の歴史を見ても、地震についての記述はほとんどない。 679年に『筑紫大地震』があったと書いているだけだ。
そういう理由から、防災対策などは一切してない。 東京にいた時は、しょっちゅう地震があったので、こちらから持って行った乾パンを非常食として下宿に保存しておいた。 まあ、その乾パンは災害用の非常食としてではなく、金欠時の非常食となったのだが。
東京に出る時、いろいろな人から「東京は地震が多いから気をつけて」と言われたが、実際の地震にほとんど遭ったことがないので、あまりピンとこなかった。 ところが、東京に出た初日から下宿が揺れだした。 「怖い」というよりは、「これが地震か」妙に感動したのを覚えている。 ところが、揺れたのはその日だけではない。 翌日も、その翌日も、毎日毎日揺れるのだ。
ある日下宿のおばさんに、「さすがに東京は地震が多いですね」というと、「え、そうかしら」と言われた。 これだけ毎日揺れているのに気づかないとは鈍感だなあ、と思っていた。 後でわかったことだが、その下宿は古い木造建築だったため、人が歩くと揺れるのだった。 おばさんはそのことを知っていたので、もしかしたら皮肉を言われたと思ったのかもしれない。
とはいえ、さすがに関東地区は地震が多かった。 下宿にいる時は毎日揺れているのでわからないのだが、月一のペースで行っていた横須賀の親戚でも毎度のように揺れていた。 さすがに、横須賀での揺れは地震だとわかっているので、あまりいい気分はしなかった。
ところで、例の阪神大震災の時、ぼくは漠然とこれは人為的なものじゃないかと思っていた。 その少し前に、ある雑誌でソ連の人工地震の記事を読んでいたからだ。 ところがその後、オウムの事件が起きた時に、幹部の村井秀夫がそのことに触れたことがある。 「神戸の地震ですが、あれは人為的なものではないですか。地震爆弾か何かでやったと思うんですが」 他のコメンテーターは「そんなことはあり得ない」と反論していたが、案外彼は何か知っていたのかもしれない。 彼が殺されたのは、そのことをテレビで言ったすぐ後だった。 毎年1月17日になると、そのことを思い出す。 ぼくの中で、釈然としない歴史の一つである。
この間メキシコで地震があった。 東海地震もいつ起きても不思議ではないと言われている。 北朝鮮の脅威もさることながら、こちらのほうの対策も充分に立てておかなければならない。 その際、遷都の問題も出てくるだろうが、その時は福岡県を推薦します。 地震は少ないし、台風もそれほど多くはない、さかなもラーメンもおいしいし、ホントいいとこですばい。
最近近所のおじさんが入院したのだが、薬のせいで変な行動を起こすようになったと言っていた。 病院にいるのに、夜になると決まって家にいるような錯覚に陥るらしい。 そのため、自分のものも他人のものも自分のものと思うようになってしまい、勝手に他人のカバンを開けたりすると言うのだ。 その持ち主がそこにいないなければ、手癖が悪いということになるだろう。 しかしこのおじさんの場合、その持ち主の前でやってしまうという。 しかも、翌朝になったら、そのことはすっかり忘れているという。 病院側も、同室の人とトラブルを起こされたら困るので、このおじさんを個室に移した。 おじさんは、今罪悪感にさいなまれているという。
以前似たようなことが、うちの親戚内であった。 当時、その親戚は腰痛で通院していた。 病院から薬をもらってきて服用していたのだが、その中にどういうわけか精神安定剤があった。 それが事件を引き起こした。 ある日、夜中に警察から電話がかかってきた。 何でも、警察署にその親戚から自殺予告の電話があったというのだ。 駆けつけてみると、親戚の人は包丁を首にあて、「死んでやる」などと言って吠えていた。 警察も説得を試みたらしいのだが、言うことが支離滅裂で、話にならなかったということだ。 とりあえずぼくは包丁を取り上げ、「明日話を聞いてやるから、今日は大人しく寝とけ」といい、寝付くまでそこにいた。 部屋の中を見てみると、テーブルの上に病院からもらった数個の薬の殻が置いてあった。 その中には、例の精神安定剤も入っていた。 どうも、それを飲んでからおかしくなったらしい。 翌朝、親戚宅に電話をしてみると、「え、そんなことがあったん?」と言う。 全く覚えてないのだ。 至って冷静で、言うこともはっきりしていた。 数日後、病院に出向き、医者に「もうあの薬を入れないでくれ」と頼んだ。 それがよかったのか、それからはそういうことは起こらなくなった。
ところで、先のおじさんが騒ぎを起こしたのは、うちの親戚が通っていた病院と同じ病院なのである。 おそらく、同じ薬を投与されていたのではないだろうか。 聞くところによると、そのおじさんは突然倒れて、その病院に運ばれたという。 ところが、いろいろ検査したにもかかわらず、その病気が何であるのか、その病院ではわからなかったらしい。 しかし、倒れた時の状況などを聞いてみると、どうも自律神経失調症のようである。 ぼくの知り合いに、何人か自律神経失調症で悩んでいる人がいるが、そういう人たちと症状が似ているのだ。 しかも、そういう人たちも、このおじさんと同じように、最初に運ばれた病院では病名がわからなかったという。 結局、ある人は『てんかん』と言われ、ある人は『貧血』だと言われたらしい。 しかし、他の病院で検査をしたら、そういう病気は見あたらなかったそうだ。
それにしても、病名もわからないのに、薬を与えるとは何事だろう。 ぼくが医者や薬を嫌う理由は、こういうところにもある。
おそらく風邪からきているんだろうと思うが、最近胃がもたれることが多い。 食事をしてから1時間ほどして、この症状が始まる。 別にそれで気分が悪くなるとかそういうことではないが、何か普通ではない。
他にもある。 鼻が詰まっていたり、鼻水が出たりするわけではないが、鼻の奥が妙に水っぽい。 それが、違和感を醸し出している。
のどがおかしい。 痛いのではないが、どっしりとしたものが、のどに座り込んでいるような感じがする。 若干熱も持っているようだ。 なるべく首は冷やさないようにしている。
金縛りにあう。 そのため、寝不足になってしまう。 また夢見が悪い。 決まって同じ夢を見る。 薄暗く天井の高い、古びた倉庫の中にいる夢だ。
気力が萎えている。 どうも、意欲がわかない。 例えばこの日記にしろ、何を書いていいのかわからなくなるのだ。 以前はこういうことはなかった。 とにかく座れば、何かネタが浮かんでいたのだが、最近はそれがない。 また仕事中にも、何も出てこない。 まず、感動がないのだ。 酔っぱらいのじいさんが来ても、変なクレーム電話がかかってきても、さして気になるようなことがない。 時間が経てば終わる、という、何か諦観のようなものが芽生えている。
とにかく、昨年末より健康ではない。 早く以前の体調に戻したいのだが、何か方法はあるのだろうか。 病院に行っても、この状態から解放されるとは思えない。 薬漬けになって、他の箇所を悪くするに決まっている。
知り合いに、薬ばかり飲んでいる人がいた。 毎食後、片手いっぱいの薬を服用しているのだ。 何をそんなにいっぱい飲む必要があるんだと、尋ねたことがある。 すると、「薬を飲むと、他に障害が出てくるので、それを押さえるために飲んでいる」という答だった。 例えば、心臓の悪い人が心臓の薬を飲む。 しかし、薬を飲むと胃をやられるので、胃薬を併用する。 薬を併用すると抵抗力がなくなるので、滋養強壮剤を飲む。 ビタミン剤を飲む。 そうなると便の出が悪くなるので、下剤を飲む。 という具合である。 素人考えだが、この人は元々心臓が悪いのだから、心臓の薬だけを飲めばいいのだ。 それで胃が荒れるというのなら、牛乳を飲んで胃を守ってから薬を飲めばいいじゃないか。 ぼくはそう思っていたのだが、その人は真面目に医者の言いつけを守っていた。 結局、薬で腎臓をやられ、死んでしまった。 最期まで、薬を手放さなかった、という。 果たして、この人は薬を服用しだしてから死ぬまで、体調のいい時があったのだろうか。
さて、そういうこともあったので、ぼくは薬というものをまったく信用してない。 今回の風邪でも、風邪薬を飲んだのは2日間だけである。 人から「薬は続けたほうがいいよ」と言われたが、薬の怖さを知っているだけに、それは出来ない。 後は体力で何とかなると思い、薬は買ったものの、あれ以来一切薬は飲んでいない。 ここは地道にラジオ体操とかで、体のバランスを整えていくことにするか。
| 2003年01月21日(火) |
古いノートにハマっています。 |
【本を読んでいて、君のことを思い出した。 一昨年の大晦日、いや、昨年の元日に君と別れてから、もう2年が経とうとしている。 ぼくは今もなお、大ボラを吹いて生きている。 日に日に冷たくなる東京の風を身に受けるのが嫌で、一刻も早く福岡に帰りたいと思っている。】
今日も古いノートを引っ張り出して読んでいる。 汚い字で読みづらいのだが、読んでみるとけっこうこれが面白い。
【高校を卒業してからの、あの2年間の空白は何だったのか?、 それは『生きる』ということだった。 そのことがわかって、ぼくは急に東京に出たくなった。 生きているという実感を、親元を離れて味わいたかったのだ。 ・・・・・。 出発の日、ぼくは7時に起き出して、朝飯もそこそこに、逃げるようにして家を飛び出した。 まったく、その日の寒かったこと。 冷たい風に追われるような気がして、ぼくは足早に駅に向かった。 汽車に乗った時、ホッとしたのと同時に、なぜか敗者の感がぬぐえないでいた。 考えてみたら、福岡がだめだったから東京に、という感じがする。】
なるほど、東京に出た時はそんな気持ちになっていたのか。 希望を持って上京したと記憶していたが、実際はこうだったのだ。
その当時の生活や、忘れていた出来事などの発見もある。 東京にいた頃、2週間を2千円で過ごしたことがある。 バイトはしていたものの、収入よりも支出のほうが多く、経済が破綻したのである。 その時の状況も書いている。
【・・・、気がつくと手元には2千円しか残ってないのだ。 そのため、ぼくは苦手な計画を立てた。 風呂は週に一度だけ、タバコはもらいタバコ、2日に一度は昼飯抜き。 本当に空腹というものは辛いものだった。
その頃、同じ境遇の者が集まって、『昼飯抜きもらいタバコ同盟』みたいなものができていた。 一日の割当金を寄せ合って、60円のコーヒーを飲み、人にパンを恵んでもらっていた。 しかし、他の連中は、ぼくより幾分恵まれていた。 なぜなら、彼らは朝飯を食うことが出来たからだ。】
本当に情けない日々を送っていたものである。 この時は何とか乗り切っているが、その後もこういう状態に陥ることがたびたびあった。
【・・・、結局ぼくにとっての東京とは、敗者の行き着いた所に過ぎない。 夢もない。 希望もない。 人間もいない。 ただ、街があるだけ。 時々、新宿に行くと寂しくなることがある。 空は晴れていても、友だちがいても、本当に泣き出したくなることがある。 同じ世代の若者と、ビルとビルの狭間ですれ違う。 その顔には、ぼくと同じくらいの歴史がある 彼らも、彼らなりに、彼らの人生において寂しいのだ。 ディスコやゲームセンターで大はしゃぎしても、彼らの心の中には冷たいすきま風が吹いているのだと思う。 泣きたいのだ。 何かわけのわからない矛盾したものに、涙したいのだ。 それは、酒を飲んでも充たされるものではない。 踊り狂っても、女を抱いても、決して充たされるない。
最近、旅に出たいと思っている。 それで、その何かが充たされるとは思ってはない。 しかし、そこには何かがあるような気がする。 その寂しさは紛れないにしろ、また違った寂しさを味わうのも悪くはないだろう。
このまま、すんなり就職なんかしたくない。 今を充たされぬまま、先を求めるようなまねは、絶対にしたくない。】
アホか!。 きっと一人で、何もすることがなかったから、こんなことばかり考えていたのだろう。 とは言え、ぼくはこの言葉通り、福岡に帰ってきても、すぐには就職はしなかった。 しかし、それは充たされないものを探していたわけではなく、就職がなかったからであるが。
| 2003年01月20日(月) |
サイト名を変更しようかな |
昨年の12月にサーバーを引っ越した時、やめたサイトがある。 『詩集吹く風』である。 『頑張る40代!』から入った人には、一つのコンテンツと思えたかもしれないが、あれは独立した一つのサイトだったのだ。 だから、検索エンジン等にも『頑張る…』とは別に登録していた。 最初はその『吹く風』のほうをメインにしたかったのだが、訪問者が日に2,3人と少なかったので、訪問者数の多い『頑張る…』をメインにすることにした。 今は、中身をそのまま『詩歌系』というコンテンツの中に編入しているのだが、ここを初めて訪れた人は、なぜ詩歌系に『吹く風ノート』というのがあるのかわからないと思う。 そこには上のような経緯があるのです。
さて、その『吹く風』というタイトルだが、これはぼくが付けていた日記のタイトルから持ってきたものである。 ぼくは高校の頃から、日記帳(と言っても大学ノートだが)にタイトルを付けることにしている。 高校時代につけていたノートのタイトルは、『怪獣になって』と『TPY-��B』だった。 浪人時代が『浪客』『古宿』『生きる』で、東京時代が『吹く風』『ムはムニ ムはムイ』『ざぶらぶら』だった。 その後社会に出てからも、ノートをかえるたびに、いろいろとタイトルを付けている。 主だったものを拾ってみると、『ライブ28』『みかししゅう』『東京』『退職記念日』『平和詩集』などがある。 この日記に時々書いている詩などは、だいたい上のタイトルのノートから書き写している。 中には表紙に、『ブルース』とタイトルだけ書いて終わっているノートもある。 『ヒューマン・ネイチャー』というタイトルの元、わけのわからない計算式に始終しているノートもある。 6ページだけ残して後は切り取っているノートもあれば、なぜか手型ばかり押してあるノートもある。 ちなみに、6ページノートのタイトルは『少女』、手型ノートのタイトルは『ハンマー』である。 当時は、そういうタイトルを付けるような理由があったのだろうけど、今となってはなぜそういうタイトルを付けたのかがわからない。
そんな中で、いよいよわからないのが、『ペン字』である。 中を見ると、数編の詩が書いてある。 例えば、 「【新宿池袋方面行き】 梅雨晴れの空の下 コトコト、コトコトと 音を立てながら 電車が走る」 とある。 こういうことを書いているぐらいだから、このノートはおそらく東京時代に付けていたものだろう。 他には、 「飽くことのない人の夢が 真夏の日々の汗に消えていく 取り乱さずに言葉を吐いて 疲れたふりして息を詰まらす 幸せかい、こんな人混みが 楽しいかい、こんな人混みが」 とか、 「退屈が巣を作っては 過ぎていく日々を眺めている」 や、 「時折り街は風に揺れて 日々の行方を見失う」 などである。 確かに、ボールペンで書いているから、『ペン字』で間違いはないのだが、その意図するものが、まったくわからないでいる。
ところでこのサイトは、数日前に3年目に突入したわけだが、ぼくがこうも長く同じタイトルでやっていることは珍しいことである。 『頑張る40代!』、確かにわかりやすくて、覚えやすいタイトルである。 別に変える必要もないが、心の奥で、もうそろそろタイトルを変えようかなどと思っている自分がいる。 さて、思い切ってそうした場合、どういうタイトルにしたらいいのだろうか。 それが問題である。 新たに名前を考えるのもいい。 『しろげ閑話』とか『白ひげ』というタイトルもいいと思っている。 またノートのタイトルから取るのもいい。 そうするとしたら、どれから取るか。 『生きる』、『古宿』、はたまた『ざぶらぶら』か。 迷うところである。 まあ、間違っても、『ハンマー』とか『ペン字』にはならないと思うから、安心して下さい。
その1 【完全に風邪を引きました。 風邪薬は胃をこわすそうなので、毎日お酒の世話になっています。 これだって胃に悪いのにね。 出かける前にまず一杯、帰ってからうがい代わりに一杯、食前に一杯、食後に一杯、寝がけに一杯。 一升瓶なんて、すぐに開くものですね。 でも、最近は少々うんざりしています。 やはり、健康な時に飲む酒が一番おいしいです。 それも飲み過ぎないように飲むのがね。・・・】
上に書いたのは、友人に宛てた手紙の下書きである。 80年の冬だったと思う。 そういえばあの頃、出かける前は朝食代わりに必ず酒を飲んでいたし、下宿に戻ると一升瓶を片手にうがいをしていたなあ。 しかし、これを見ると、この頃から、病院に行って風邪を治そうという考えは持ってなかったようである。 ところで、この手紙はいったい誰に出したんだろう? 今となっては、まったくわからない。
その2 【・・・、最近ぼくは『カバ丸』と呼ばれています。 別冊マーガレットの『伊賀のカバ丸』にぼくが似ているそうなのです。 ・・・・ この間胃けいれんを起こしたと言いましたが、それ以来用心のためにちゃんちゃんこ(前開きベスト)を着て外出するようにしたのです。 ところが、それを見た知人の一人が、「私の知り合いに、ちゃんちゃんこを着たカバ丸がいる」とその友人に話したそうです。 それを聞いた、その友人が「一度見てみたい」と言ったとのことで、今日、「今度の土曜日に見に来るから、よろしくね」と言われました。 世の中暇な人が多いですね。 でも、ぼくは見せ物ではない。 土曜日はちゃんちゃんこを着て出ないようにします。・・・】
これも誰に宛てたものかわからない。 胃けいれんの話が出ているから、おそらく79年の秋頃だと思う。 そういえば、『カバ丸』と呼ばれていた時期があった。 ちゃんちゃんこは、今でも覚えている。 新宿の丸井で買った物である。 ぼくのお気に入りの一品で、何ヶ月も洗濯もせずに着ていた。 東京から離れる時に、横須賀の叔母にあげたので、今は手元にない。
その3 【3人とも、元気にしていますか。 ぼくはもう25歳になります。 最近、白髪も出てきたようです。 相変わらず独身で、暇さえあれば飲みに行っています。 同級生で結婚した人もかなりいるのですが、人は人と割り切って、気楽にやっています。 早いものですね。 東京を離れてから、もう三年になります。 あれからぼくもいろんなことがあったのですが… 例えば、長崎屋にいたとか、フリーライーターであったとか、セールスマンをやっていたとか。 結局、今の仕事に落ち着いているわけです。 あ、今は楽器屋さんです。・・・】
これは福島の友人に宛てたものである。 その友人は、福島に戻ってから、東京時代につき合っていた人と結婚した。 3人と書いているから、もうその頃には子供が一人いたことになる。 25歳と書いているから、20年前である。 ということは、その子ももう20歳を過ぎているのだろう。 その友人はぼくより2歳年下だったから、今43歳か。 もしかしたら、もうおじいさんになっているかもしれない。 もしそうだったら困るなあ。 ぼくより年下のじいさんなんて考えたくない。 それに、この先、その友人と会うようなことがあった時に、孫を抱きかかえながら「しんたさん、孫はかわいいよ」などと言い目を細められたら、どう返事していいのかわからないじゃないか。 ぼくより若い男を「おじいちゃん」と呼ぶその孫は、頭の真っ白なぼくのことを果たして何と呼ぶのだろう。
| 2003年01月18日(土) |
センター試験に寄せて |
今日からセンター試験である。 今仮にぼくが受験生だったとしても、その年頃にはすでに受験勉強の才能のなさを覚っていたぼくには、センター試験などは無縁のものだったに違いない。 おそらくセンター試験の日も知らずに、駅前あたりでせっせとストリート・ライブをやっていたのではないだろうか。
ぼくの18,19の頃といえば、興味のない受験よりも、音楽のほうに入れ込んでいた時期である。 英単語を覚えるよりも、ギターコードを一つ覚えるほうが大事だった。 英作文を書くよりも、詩を書くほうが大切だった。 長文読解よりも、歌を歌うことのほうが必要だった。 ぼくの運命は、その時期に、ぼくに受験勉強を習わせようとせず、楽しんで生きる術を習わせようとしたのだろう。 そのことを、今となっては感謝している。 当時『試験に出る英単語』で覚えた単語はすべて忘れてしまっているが、当時作った歌や詩は今もなお生きているのだから。
話は変わるが、よく東大生を差す時「あの人、頭がいい」などと言う。 しかし、ぼくはその言い方には否定的である。 ぼくの知る頭のいい人とは、例えば老子のように、自分の才能を包み隠し、あたかもバカのように振る舞える人のことである。 東大君は頭がいいのではない。 東大に行く才能を持ち合わせているだけのことだ。
才能といえば、東大に入るすべての人を、あたかもオールマイティの才能の持ち主のようにもてはやす人がいる。 では、聞こう。 東大に入る人のすべてが、よどみなく英語を話せるとでも言うのだろうか。 東大君のすべてが、音符を読めるとでも言うのだろうか。 また、すべての東大生が、日ペンの美子ちゃんみたいな字を書けるとても言うのだろうか。 ぼくの知っている東大出の人は、英語はだめ、歌も字も下手だったし、世間的な常識も欠けていた。 オールマイティなら、こんなことはないはずであるが。 案外、そういう人は「東大、すごいねえ」などと言って持ち上げておいて、実はからかっているだけなのかもしれない。
明治時代、禅宗の高僧がいた。 高僧は学のない人だった。 それを聞いた東大生が、この高僧をぎゃふんと言わせてやろうと、寺に乗り込んだ。 高僧と相まみえ、東大生が理論を展開しようとした時だった。 意を覚った高僧が、「腹の中のものを全部捨ててから来なさい。その時語り合いましょう」と、静かに言った。 東大生はそれを聞いて、すごすごと引き下がって行ったという。 つまり、東大生の知識の学問が、高僧の生き学問に見透かされたわけである。
今日からセンター試験だ。 明日もセンター試験か。 ・・・・・ まあ、どうでもいいや。
3日ぶりの休みだった。 今日は昨日に比べると大分体調もよくなっていたが、無理をせず一日布団の中に潜っていた。 夜になって3日ぶりの風呂にも入ったし、今はさっぱりした気分である。
再三病院に行けと言われたが、今回も病院に行かなかった。 ぼくが病院に行かないのには理由がある。 もちろん病院嫌いというのが一番大きな理由ではあるが、何年か前に熱を伴う風邪を引いたために、嫌々ながらも病院に行ったことがある。 熱が長引くのが嫌だったからだ。 しかし、病院に行ったにもかかわらず、風邪は治らなかった。 注射で熱を下げても長続きせず、時間が経つとまた熱が出てしまう。 規則正しく薬を飲むのだが、全然効いた気がしない。 何日経っても治らないばかりか、余計にひどくなったような気までする。 とは言え、また病院に行くのは嫌である。 仕方なく薬局に走り、市販の薬を買い求めた。 薬剤師がくれた薬は、パブロン(顆粒)だった。 そして、このパブロンが効いた。 何日飲んでも治らなかった風邪が、最初の一袋で緩和された。 そして一日服用した時点で、風邪はほぼ全快していた。 それ以来、ぼくは風邪をこじらすと、パブロンを飲むようにしている。
今回も、パブロンを飲みだしてから、症状が緩和された。 39度の熱が出た翌日から初めてパブロンを口にした。 服用してから1時間ほどして、熱はあるものの、何となく体が楽になった。 今日で2日目の服用になるが、何とか今の体調まで戻ったのは、パブロンのおかげだと言えるだろう。 もし、医者に行っていたとしたら、いまだ体調の悪さに「ヒーヒー」言いながら、数種類の薬を前にして「これは毎食後」「これは朝晩2回食前に」などやっていたに違いない。
さて、今日は3日ぶりの風呂に入ったわけだが、一時間以上湯船につかっていた。 おかげでたっぷり汗をかいた。 腕、脇、胸、顔などあらゆるところから汗が湧き出ていた。 中でも一番汗をかいた箇所は、頭だった。 3日間風呂に入ってないから、もちろん頭も3日間洗ってない。 ねっとりとした髪の毛の先から、汗がしたたり落ちてくる。 何度も髪をかき上げたせいか、気がつくと髪型が小泉首相のようになっていた。 鏡で何度も自分の顔を見たが、ぼくは小泉顔ではないので、ああいう髪型は似合わない。 試しに小泉口調で「拉致問題の解決なくして、国交正常化なし」と言ってみたが、やはりさまにならない。 ぼくには、朝鮮中央テレビのアナウンサーのまねのほうがしっくりくる。 で、そのまねをやっていた。 延々とやっていたせいで、少し湯冷めをしたようだ。
ということで、いろいろご心配をおかけしましたが、一応ものまねをやれるくらいにまで回復しております。
| 2003年01月16日(木) |
アホバカ列伝 教師S |
高校1年の時、体育の授業の後でバレーボールを片づけていた。 かごの中に投げ入れたのだが、一個だけ漏れてしまった。 そのボールを追いかけていき、「この野郎!」とボールを蹴った。 その状況を見ていた男がいる。 体育教師Sだ。 彼は体育館の2階にある体育教官室から、血相を変えて降りてきた。 そして、「今ボールを蹴った奴、ちょっとこい!」と大声で怒鳴った。 ぼくが彼のもとに行くと、彼は突然ぼくの頬を引っぱたいた。 あ然としたぼくは彼をにらみ返した。 すると彼は「お前は何で叩かれたか、理由がわかるか!」と言った。 『理由も何も、ボールを蹴ったから、あんたはおれを呼んだんじゃないか』と思いながら、「はあ」と空返事をしておいた。 彼は満面の笑みを浮かべ、「よーし、わかったか。これからは気をつけるように」と言った。 おそらく彼は、『バレーボールは手で扱う神聖なボールだから、決して足蹴にしてはならない』とでも思っていたのだろう。 後日バレー部の人間がボールを蹴っているのを見たが、その人は何もおとがめを受けなかった。 殴るのなら、そういうバレーボールに命をかける人にこそすべきである。 ぼくのような授業でしかバレーボールをやらない人間には通用しない。
さて、その教師Sのことだが、彼は新米だった。 青春ドラマに出てくる熱血教師を否定しながらも、熱血教師をぼくらの前で演じていた。 何の教育理念も持ち合わせていないのは、当時高校生だったぼくにもよくわかった。 保健の時間には、ウケを狙って、下らないダジャレを連発したり、やたら卑猥なことを口にしたりしていた。 そういう先生に呼応するバカな生徒もいた。 バカな教師とバカな生徒との絡みあい。 これほど面白くないものはない。 かくして保健の授業は、英語の次に嫌いな教科になった。
運動会の全体練習の時だった。 先生が競技の説明をしていた時に、2年生がふざけていた。 それを見た教師Sは、さっそくそこに乗り込んで、その2年生の頬を引っぱたいた。 Sの頭の中には、『鉄拳制裁ですべてが解決する』というものがあったのだろう。 しかし、このことが大きな騒ぎになる。 3年生のMさんという人が「暴力教師!」と声を張り上げたのだ。 「そうだ、謝れ!」という声が続く。 当時は70年安保が終わり、学生運動が一段落していたが、まだそういう風潮が残っていた。 グラウンド内は非常に険悪なムードになった。 収拾がつかなくなりかけた時、生徒部長のN先生が出てきた。 その3年生とやりとりをしていたが、広いグラウンドの中では聞こえない。 誰もが『何を言い合っているんだろう』と思っている時だった。 放送部の人が「N先生も、Mさんも、みんなに聞こえるように、ここに来てやって下さい」と言った。 今度は他の先生が、「こら、やめんか!」とその放送部の人を咎めた。 結局、わけがわからないまま、この騒ぎは収まった。 成り行きを見守っていたぼくたちは、何か肩すかしを食らった気分になった。 さて、その間教師Sは、というと、一人たじろいでいた。 この一件で、生徒を叩くことしか知らない馬鹿な先生というのが露わになった。
その後、その先生がどういう経路を歩んでいったのかは知らない。 ただ風の噂で、自殺をしたということを聞いた。 赴任先の女子高生に手を出し、そのことを悩んだ末の自殺だったらしい。 教師S、彼は死ぬまで馬鹿だったわけである。
冷たい風が肌を刺す痛さ。 もうろうとした意識の中で職場に立っている辛さ。 さすがのぼくも、39度の熱にはかなわない。
家に帰ってすぐに寝たのだが、寝ている間に着替えたシャツの数5枚、パンツの数3枚。 で、今の調子は、というと、これが相変わらずすぐれない。 今午前7時46分、8時30分には会社に向かうが、帰ってくる午後9時まで12時間半。 気が遠くなる。
12時50分 昨日の日記を書いてから床屋に行った。 「あんまり短くせんで下さい」と頼んだが、終わってみるとけっこう短くされていた。 特に後頭部と耳元の髪が少なくなったので、どうも寒くてならない。
床屋から帰ってから灯油を買いに行ったのだが、その後でダウンしてしまった。 咳き込みがひどくなる。 悪寒が走る。 もはやこれまでである。 栄養ドリンクと咳止めを飲んで、布団の中に潜り込んだ。
14時30分 ・・・・。
17時00分 目が覚めた。 相変わらず、気管支がむず痒い。 ひどい咳き込みだ。 「コンコン」ではない。 「ガハガハ」である。 咳き込むたびに、頭が割れるように痛む。 腹筋も、背中も痛い。 どうにかしてくれ。
17時30分 ・・・・。
19時00分 眠っていた。 寝汗をかいている。 着替えようか、どうしようか。 ま、いいか。 濡れているのは脛の部分だけだし、しばらくストーブにあたって乾かそう。 しかし、まだ咳き込みは止まらない。 このままだと死ぬぞ。
19時20分 ・・・・。
21時20分 夢見が悪くて起きた。 黒い影に追いかけられていた。 「おれは地球防衛軍だ。この攻撃を受けてみろ!」 と、咳き込んで風邪菌をばらまいた。 「酸素が足りんぞ。誰か酸素を持ってこい!」 と、言っている時に目が覚めた。 またもや寝汗をかいている。 今度は背中だ。
21時45分 ・・・・。
22時45分 シャツを着替えてから、そのまま寝てしまっていた。 咳き込みすぎて、のどが痛くなった。 龍角散のど飴をなめる。 少し落ち着いたが、一度咳き込むとしばらく咳が止まらない。 それでもタバコを吸うぼくは、馬鹿だ。
23時15分 おやすみなさい。
風邪がぶり返したようだ。 最近、時々ではあるが、通勤時に近所のおばちゃんを、井筒屋まで乗せて行っている。 おばちゃんは、井筒屋でアルバイトをしている。 これまで、おばちゃんはご主人に送ってもらっていたのだが、年末にそのご主人が入院したために、足がなくなってしまい、ぼくのところに泣きついてきたというわけだ。 以前、駐車場の街灯が倒れ、ぼくの車が被害にあったことがあるのだが、その時、そのご主人が親身になっていろいろアドバイスをしてくれた。 そのため、いつか恩返しをしなくてはと思っていた。 それに、井筒屋はぼくの通勤ルートの途中にあるので、おばちゃんを乗せて行ったからといって、時間をロスすることはない。 そういう理由から、ぼくはおばちゃんのアッシー君を引き受けた。
今年に入って今日が三度目のアッシー君なのだが、前回乗せた時、おばちゃんは風邪を引いていたらしく、軽く咳をしていた。。 その時はぼくのほうが風邪がひどかったので、別にどうということはなかった。 ところが今回は、ぼくは治りかけていたのだが、おばちゃんの症状はさらにひどくなっていた。 どうも今日の風邪は、このおばちゃんからもらったものらしい。
午前中は何ということはなかった。 しかし、昼頃から鼻がむずむずして、何となく寒くなってきた。 『もしかしたら』という思いから、ぼくはすぐさま薬局に駆け込んだ。 「葛根湯下さい」 「何ね、また風邪ね」 「どうもうつされたみたいです」 「気をつけんとね。今年の風邪は熱が出るらしいけ」 そう言われて、ぼくは額に手を当ててみた。 少し熱い。 さっそく葛根湯を飲んだ。
1時間ほどたった。 薬が効いたのかどうかはわからないが、先ほどの寒気はなくなったようだ。 しかし、今度は咳き込みがひどくなった。 年末から引きずっている風邪の咳は良くなりつつあったのだが、ここに来てまたきつい思いを強いられるのか。
のどが痛いのも熱が出るのも嫌だが、咳ほど辛いものはない。 胸が痛くなるは、声はでなくなるは、おまけに咳き込んでいる途中、脳の血管が切れるんじゃないかと思うほど頭に負担がかかる。 あまりに辛いので、この間、咳を我慢しようと頑張ってみた。 最初はのどが咳を欲してくる。 そのくらいは我慢出来た。 そのうち、気管支が妙に痒くなってきた。 腹に力が入らず、力強い呼吸が出来ない。 それでも我慢していると、今度はみぞおちあたりが痙攣してきた。 それで、怖くなって止めた。 その反動からか、けっこう長い時間咳が止まらなかった。
客観的に見ると充分に風邪を引いているのだが、ぼくの主観が風邪を認めないため、おかしなことになる。 健康な時と同じ行動を取ってしまい、それがまた風邪をこじらせる原因となっている。 例えば、寒い倉庫で整理をやる、普通通りにタバコを吸う、汗をかいても拭かない、厚着をしない、などである。 年末から続く風邪、どうも長引きそうな気がする。
白ひげで思い出したが、ぼくの行った高校の裏手に花尾山という小高い山がある。 クラブをさぼって、よくその山に登っていたものだ。 卒業後もその山にはちょくちょく登っていたのだが、ある時、山頂付近に切り岩があることに気がついた。 高さ3メートル弱くらいの岩が、何本か重なって立っている。 その周囲に空き缶やゴミがたくさん捨てられていたので、最初はゴミ捨て場に利用しているのかと思った。 しかし、何か感じるものがある。 「何だろう」と思い岩の周りを見てみると、そこに古びた石板がぽつんと置かれてあるのに気がついた。 土やゴミに紛れてわかりにくかったのだが、その石板には何か文字が書いてあった。 何だろうと目を凝らして見てみると、『白髭大明神』と書いている。 ゴミ捨て場だとばかり思っていたその切り岩は、何と白髭大明神のご神体だったのだ。 ということは、その山は霊山だということも考えられる。 そういえば、隣の皿倉山から見た花尾山は、きれいな三角錐をしている。 きれいな三角錐といえば、日本ピラミッドである。 ピラミッドの上には、必ず太陽石があるという。 それが、花尾山でいうところの『白髭大明神』か? 日本のピラミッドというのは、かなり古い時代に造られたものらしい。 もしかしたら後世の人は、その磐座が何を意味するものかわからないままに『白髭大明神』にしてしまったのかもしれない。 しかし、飛鳥時代以前の人々はそのことを記憶していたのではないだろうか。 だからこそ神功皇后は、朝鮮征伐に使う船の帆柱になる木を、わざわざ霊山である花尾山近くの山(帆柱山)に求めたのかもしれない。
ところで、白髭という名前の大明神がいるくらいだから、きっと白ひげは縁起のいいものなんだろう。 そう思うと、白ひげも悪い気がしない。 今日、夕方の番組にマラソンの小出監督が出演していたが、彼も白ひげだった。 Qちゃんの金メダルの原動力は、実は白ひげだったのかもしれない。 そうであれば、白ひげは幸運のシンボルということになる。 本当は白ひげというものは、ありがたいものなのかもしれない。
しかし、白ひげ=幸運説を、ぼくは素直に肯うことは出来ない。 なぜなら、ぼくが小出監督を見る時は、頑固なおっさんというイメージで見てしまうからだ。 もしかしたら、それこそが白ひげ効果なのかもしれない。 そういえば、乃木大将も、『アルプスの少女ハイジ』のオンジも白ひげをたくわえていた。 きっと白ひげと頑固さの間には、何らかの関係があるだろう。 もしかしたら、ぼくも頑固だから、こんなに早く白ひげになったのかもしれない。
今まで気づいてはいたのだが、気にしなかったことがある。 ひげである。 何年か前の休みの日、鏡を見ると、ひげが所々白くなっているのに気づいた。 ぼくは、休みの日にはあまりひげを剃らないでいることが多い。 その日もひげを剃らないでいたのだが、それで目立ったわけだ。 まあ、その頃は髪の方に神経が行っていたので、ひげをあまり気にすることはなかった。
ところが、最近つとにそのことが気にかかるようになってきたのだ。 ひげを剃ったあとに鏡を見ると、黒いひげはきれいに剃れているのだが、白いひげがうぶ毛状に残っているのだ。 最初はそれをチキン肌か何かと思っていた。 しかしよく見ると、それは紛れもなく白いひげである。 愕然とした。 「いよいよおれも終わりかなあ」と、年齢の重みを考えるようになった。
うっ、年齢の重みか…。 そういえばこれも、気がついていたが気にしてなかった。 そうか、あと15年でぼくも60歳、すなわち老人の仲間入りである。 今から15年前というとぼくが30歳の時だが、それから今日までを振り返ってみると『あっ』という間だったと言える。 それを思うと、60歳になった時、45歳からの15年を振り返る時は『あ』もないくらい早く感じることだろう。
そういえば、ぼくの30歳から45歳までというのは、いつも次の休みのことばかり考えている人生だった。 「45歳にはこうなっている!」などというビジョンも持たずに、ただのうのうと生きてきただけだ。 その結果が、白ひげに悩むおっさんである。 さて、15年後のぼくは、どんなことに悩むじいさんになっているだろうか。 まさか、下の毛が白くなったと言って、大騒ぎしてはないだろうなぁ。 そのへんのことは、「頑張る60代!」に詳しく書くだろうから、15年後を楽しみにしておいて下さい。
ところで、最近は、黒いひげと白いひげの割合が逆転してしまっている。 髪とひげを伸ばしたら、おそらく仙人みたいになるだろう。 そうだ! いっそ「60歳には仙人になっている!」というビジョンを描いてみるか。 しかし、その際、どういう自分の姿を想像したらいいんだろう。 雲に乗っている自分は現実的ではないし、霞を食べている自分は飢えを意味しているようで嫌である。 しかも、仙人というと、何か大変な修行を強いられそうだ。 やはり、何ものにも束縛されず、飄々と生きている自分を想像するのが一番楽でいい。
ということで、これからは「60歳には飄々じじいになっている!」というビジョンを描くことにする。 そういうことなので、「果たしてその時、職はあるのだろうか?」という野暮なことは、もう考えないことにする。
午前中仕事だった。 帰ってから床屋にでも行こうと思っていた。 しかし、まだ風邪が全快してないようなので、もし顔を剃っている時に咳き込みでもしたら大変と、今日は床屋に行くのは止めておいた。 前回床屋に行ったのが、11月19日だから、もう2ヶ月近く髪を切ってないことになる。 左目に軽く髪がかかり、実にうっとおしい。 前髪をかき上げながら、「このへんをバッサリやったら気持ちいいだろうな」と、最近いつも思っている。 来週こそは床屋に行こう。
で、午後からは何もすることがなく、適当に時間を潰していた。 パソコンは開かなかったが、テレビを見たり、本を読んだり、昼寝をしたりしていた。 何度か昼寝をして、気がついたら、もう日が暮れている。 と、そろそろ日記の準備でもしようかと思った時である。 突然耳の下が痛くなってきた。 風船をふくらましたりした時に痛くなる部分である。 「もしかして、おたふく風邪?」と思ったが、よく考えたら、ぼくは、はしか、水疱瘡、おたふく風邪といったところは小学校入学までにすましている。
特に、おたふく風邪の時ははっきり覚えている。 あれは保育園年長の冬休み明けだった。 大相撲をやっていたから、ちょうど今時期だったろう。 あの頃は今と違って、冬と言えばかなり寒かった。 雪もしょっちゅう降っていて、保育園に行く途中、つららが何本も下がっていた。 その日もそんな寒い日だった。 保育園から帰り、「ひょっこりひょうたん島」を見ながら、お菓子を食べていた時だった。 急に耳の下が痛くなった。 最初はそれほどでもなかったのだが、時間を追うごとにだんだん痛みが増してきた。 その日は我慢していたのだが、翌日起きてみると、頬が腫れている。 病院に行くと、医者は「ああ、おたふく風邪ですなあ。しばらく保育園は休ませたほうがいいでしょう」と言った。 「休める」と思ってぼくは一瞬喜んだが、その喜びもすぐに痛みで打ち消された。 熱にうなされるし、顔は変になるし、さんざんな想い出である。
しかし、今日の痛みは何だったのだろう。 1時間近く痛みは続き、そのうち痛みは引いていた。 風船をふくらましたわけでもないし、まったく原因がつかめないでいる。 まあ、治ったんだからいいようなものの、最近ぼくの周りで入院する人が多くいるので、ちょっとしたことが気にかかる。 しかし、ぼくの辞書の中には、おたふく風邪もどきの病気はないから、あまり気にしないでおくようにしよう。 とはいうものの、気にするまいと思うと、かえって気になるものである。 もしかしたら今日の痛みは、「無駄に時間を過ごしているのを見つけたら、おたふく風邪の恐怖を味わしてやるぞ」という神の警告かもしれない。 くわばら、くわばら。
最近よくお目にかかるCMがある。 詳しく見てないので、どこのCMだかは知らないが、その中で「中国は日本の3倍の酢を摂っている」というようなことを言っている。 しかし、その言葉の続きはなく、後はその商品の宣伝をやっているだけだ。 おそらく、このCMを作った人は、「中国人は、その4千年の歴史を通して、日本人の3倍の酢を摂取する偉大な食文化を作った。それは実に体にいいことである」とでも言いたいのだろう。
しかし、この中途半端なCMでは、「だからどうだと言うんだ?」という疑問が残る。 「酢を日本人の3倍摂ることで、中国人は日本人とどう違っているというのだろうか?」とつい考えてしまう。 もちろん、違う民族だから、言葉の違いや考え方の違いはある。 が、そういうことを度外視して考えてみると、そこにあるのは、中国人は日本に密入国して悪いことをやっているということと、妙に日本に絡んできて内政干渉をやっているということだけだろう。 この中途半端なCMだと、そういうことの原因が酢にある、という受け取り方も可能になるではないか。
それにこの作者は、日本人と中国人のどちらが長寿だと思っているのだろうか。 中国人の3分の1しか酢を摂取してない日本人のほうが、長生きしているじゃないか。 これはウーロン茶と緑茶にも言えることだ。 結果的に軍配は、より長生きしている日本人の文化である緑茶に上がる。
日本人は、何かというと中国のものをありがたがっているが、当のありがたい文化を持つ国の人々は、国際的にも個人的にもいつも問題を起こしている。 昨年、職場近くの本屋に夜間、泥棒が入ったことがある。 警察の話だと、「手口からすると、最近市内に頻繁に出回っている中国人の窃盗団だ」ということだった。 偽札も平気で使うし、まったくろくなことをしない人たちである。 あのCMは、そういうことを頭に入れて作ったのだろうか。
ところで、よくCMなどで『中国4千年』という常套句が使われるが、あれはおかしい。 いったい何を基準にして、中国4千年だと言っているのだろうか。 漢民族の歴史だとすれば、それは嘘になる。 漢民族が大陸を制覇していた時代は、その半分ほどしかないのだから。 例えば、『夏』や『殷』という王朝があったが、一説によればあれは日本人の祖先だと言うことである。 また、『秦』はユダヤの王朝だし、『元』は蒙古、『清』は満州人である。
その基準が大陸の歴史だとすれば、別に『中国4千年』と威張って言うほどのことはないだろう。 なぜなら、その間、文字として残ってないだけで、日本にも朝鮮半島にも歴史があったのだから。 もし彼らが「中国には4千年の歴史がある」と言ったら、こちらは「日本は縄文1万年の文明を持っている」と答えてやればいいのだ。 彼らは覇権争いの歴史だが、こちらは呉善花さんが言うところの自然共生の歴史、言い換えれば緑の歴史である。 どちらが先進国かは、言うまでもない。
中国経済大崩壊が噂される昨今、中国を題材にしたCMはかえってマイナスになるだろう。 菅原道真公が亡くなって1100年、日本はもう一度遣唐使の廃止をするべき時がきている。
はあ、今日は何も書くことがない。 時間が経つごとに焦りを感じる。 最近、日記は午後10時から書き始めることが多い。 しかし、今日はもう午前0時を過ぎているのに、まだこれだけしか書いてない。 作家が締め切りに追われるという話をよく聞くが、おそらく今日のぼくのような感じではないだろうか。
以前は、文章を書くことなんてたやすいことだと思っていた。 だけど、こうやって毎日文章を書いていくうちに、それが浅はかな考えだったということに気づかされた。 四柱推命や紫微斗数といった占いでは、ぼくは文才があるということになっているが、そんなものは嘘っぱちだ。 文才があるなら、こんな時でも何か気の利いた文章が書けるはずではないか。 それが出来ないぼくには、やはり文才が備わってないのである。 みなさんに、こんな凡庸な文章を毎日お見せして、実に申し訳なく思っております。
ところで、姓名判断に情熱をかけていた頃、ぼくは文才ある名前というものを発見したことがある。 発見というよりは、四柱推命を応用したと言ったほうがよいのかもしれない。 四柱推命に文昌貴人という星がある。 この星を持っていると、文才があるというわけだ。 それを名前に当てはめてみたのである。 最初は、最近の作家でやったのだが、その星を持っている人は見あたらない。 やはり四柱推命は名前に応用できないのか、とあきらめていた。 ところが、古い文人を調べてみると、始祖というか、その道の体系を打ち立てた人に、その星を持った人がいたのだ。
最初に見つけたのは、松尾芭蕉だった。 江戸時代の人だから旧字の字画で数えると、総画(姓名の画数合計)が39画。 39を干支でいうと『壬寅』になる。 この『壬』から見た文昌貴人は『寅』。 総画同士は見ないから、どこかに『寅』がないかと見てみると、内画(姓の下の字の画数と名の上の字の画数の計)が15画である。 15は干支でいうと『戊寅』。 『寅』がある、それも重要な場所に。 内画は精神的なものを見るから、文人としての核になる名前ということになる。
次に見つけたのが、北原白秋だった。 総画は29画。 干支でいうと『壬辰』、芭蕉と同じ『壬』である。 ということは、文昌貴人は『寅』。 芭蕉と同じように、内画に15画『戊寅』がある。 これも、文人としての核になる名前ということになる。
その後も、何人かの人を見つけた。 確かに、そういう人たちは、その文で人の心を魅了している。 しかし、これは運命ではなくあくまでも才能であるから、それでその人が幸せだったかどうかというのは別問題である。
最近見つけた面白いところでは、拉致被害者の一人である曽我ひとみさんがいる。 彼女の場合、総画が25画だから、どこかに9画か21画を持っていれば、文昌貴人の星を持っているということになる。 はい、ありました。 内画が9画である。 彼女の文才云々はわからないが、帰国時に読んだ詩が話題を呼んだ。 この間のニュースでは、あの詩に曲がついていた。 やはり、その文が人の心を動かしたのだろう。
と、いらん話を書いているうちに、日記が埋まってしまった。 ちょっと専門的になったので、わかりづらかったと思いますが、興味ある人は四柱推命の本でも買って読んでみて下さい。 ただ、姓名判断への応用は、あくまでもぼくのオリジナルなので、何も書いてないです。
| 2003年01月07日(火) |
「空を翔べ!」、…かぁ |
『全日本剣道連盟居合道二段』 履歴書や申告書の特技の欄に、いつもぼくはこれを書き入れている。 初段を取ったのが中学3年の時、二段を取ったのは高校2年の時だった。 知らない人のために言っておくが、居合道というのは、居合切りを競うものではない。 真剣や模擬刀を使った『型』の修行である。 競技会や昇段試験などでは、その型の善し悪しを評価する。 その際一番重視されるのが、刀の抜き方や納め方の技術である。 いくら型がうまくても、抜刀や納刀で手間取っていては評価が低くなる。 ぼくが居合をやっていた頃は、壁の前30センチのところに立ち、そこですばやく刀を抜く練習をやっていた。 また、手首にタオルを巻いて抜刀の練習をやったこともある。 一時は居合に情熱を傾けていた時期もあった。 が、それも二段を取った頃には覚めてしまい、そのうち道場に行かなくなった。
行かなくなった理由はいろいろある。 「道場に通うのが面倒くさくなった」 「学校のクラブが忙しくなった」 「居合よりも、友だち付き合いのほうが大切になった」 などであるが、もう一つの理由に、「居合は実践向きではない」というのがある。 ぼくが居合を始めたのは、通っていた柔道場の先生が居合も教えていたからで、「武道だからやってりゃ何かの役に立つはずだ」という程度の気持ちだった。 まあ、やっていくうちに刀の扱い方に興味が出てきたわけだが、それも長続きはしなかった。 当時ガラが悪いと言われていた黒崎地区で身を守るためには、居合では役に立たない。 江戸時代ならともかく、実践で刀が使えるわけでもないんだし。 素手で戦う場合は、やはり柔道か空手、ということになる。 それで、柔道に専念することにしたのである。
ところが今になって、「もう少し続けていればよかった」と後悔している。 結局ぼくは『型』をなめていたのだ。 『型』というのは、実践のエッセンスである。 その反復練習で、実践が身に付くようになっている。 その理屈を知らなかった、いや知ろうとしなかったのだ。 その反復練習の中で、何かを発見していたかもしれない。 また、身を守ることに関しても、刀が使えなければ、刀に変わるものを工夫すればよかったのだ。 もしかしたら、それが新しい武道に繋がっていたかもしれない。 そうなっていたら、ぼくは開祖だった。
年末の日記で、今年の目標は「空を翔べ!」だと宣言した。 ということで、今年に入ってから、ぼくは過去にやってきたことを振り返っては、何か今に繋がるものはないかと探している。 また、その発見が将来に繋がらないかと思っている。 しかしながら、いつもそこに転がっているのは、「もはや手遅れ」「何を今さら」「後悔」といったものばかりである。 さて、何をやって空を翔ぼうか。 まさか、刀を持って飛行機に乗り込み、「ぼくは『あしたのジョー』である」とは言えないしねぇ。
「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」 今日この言葉を、仕事始めの取引先の人からさんざん聞かされた。 おかげで今日は頭を下げっぱなしだった。 普通はここで終わりである。 しかし、中にはおかしなことを聞いてくる人もいる。 「正月はどう過ごされましたか?」 <え?違うでしょうが。 店が3日から開くことぐらい、よくご存じでしょうが。 あんたは正月休みかもしれんけど、こちらはただの連休。 どういう正月を過ごせと言うんですかねえ> などと思いながらも、ぼくは笑顔で「風邪引いてねえ。正月どころじゃなかったですよ」と答えた。 「いや、4日に高校の同窓会があってですね、・・・。しんたさんも、おとといあたり同窓会とかやったんじゃないですか?」 <だから、3日から仕事やったと言ってるでしょうが!> 「やりませんよ」 「そうなんですか。ぼくなんか、まだその時の酒が抜けなくて」 「へえ」 「しんたさん、飲む方ですか?」 「飲む方ではないけど。まあ、たしなむ程度ですね」 「またまた、ご謙遜を。けっこういける口だと聞いてますよ。正月もガンガンやったんじゃないですか?」 <風邪引いてそれどころじゃなかった、と言ったでしょうが!> 「いや、そんなに飲んでないですよ。・・ゴホゴホ・・」 「えっ、風邪引いたんですか?」 「・・・」 こういう人を相手にするのは疲れる。
昨日の話。 閉店30分前に店に入ってきた女性のお客さんがいた。 テレビを見せてくれというので、ぼくが商品の説明をすることになった。 5分も説明しただろうか。 突然そのお客さんが「私、隣の家の人から嫌がらせされよるんよね」と言い出した。 「出かける時に待ち伏せされたり、風呂に入っている時に勝手に人の家の窓を開けたりするんよ」 「気味が悪いですね」 「でしょ? もう何年も続いてるのよぉ」 「警察に相談しましたか?」 「もう何回も届けた。でも、相手にしてくれんのよね」 「そうでしょうね。警察は事後処理しかしませんからね」 「最近は盗聴もされよるみたいなんよ」 「そこまでやるんですか?」 「そう、ホントしつこいんだから。ノイローゼになりそうよ」 「それは困りましたねえ」 「弁護士にも相談したし、本人に直接文句を言ったこともあるんよ」 「で、本人は何と言ったんですか?」 「『偶然ですよ』とか言うんよ。ねえ、どうしたらいいと思う?」 「探偵雇ったらどうですか?証拠写真撮って、警察に見せればいいじゃないですか」 「だって、探偵雇うとお金がかかるんでしょ? 高いって聞いてるわよ」 「でも、証拠がないと、警察も動かんでしょうが」 「うーん。でもねえ」 「何でこんなことになるんかねえ。私もう一つ家があるんやけど、そこではそういうことはないんよね」 「あのう、こういうこと言いたくないんやけど・・」 「え?」 「その家に何か因縁があるんじゃないですか?」 「ああ、そういうことも考えられるねえ。ということはお祓いしてもらわなね。ねえ、誰かいい人知らん?」 「いや、知りません」 「そう、困ったねえ」 と、そこで蛍の光が鳴り出した。 「あ、もうこんな時間。 じゃあ、お祓いする人、探しといて」 「えっ!? 心当たりもありませんよ」 「ね、探しといて。土曜日に来るから」
延々30分もつき合わされた。 以前ぼくもストーカーまがいの行為をされたことがあるので、その気持ちはよくわかる。 しかし、ぼくは人生相談の先生ではない! 今度の土曜日、休もうかなあ・・・。
| 2003年01月05日(日) |
ドキュメント1.05 |
午前7時。 目が覚めて、窓の外を眺めた。 やはり雪が積もっていた。 ぼくは凍結具合を調べるために、半纏を羽織って外に出た。 少しつるつるしているが、何台かのタイヤの後がある。 このくらいなら、車で行っても問題ないだろう。 そう思って、試しに駐車場まで歩いてみた。 が、こけた。 「うーん」、迷うところである。 まあ、こけたにしろ、この状態が団地の中だけなら、問題なく車で会社まで行ける。 が、団地の外はどうなんだろう。 平日なら、幹線は通勤の車で雪も解け、凍結もしてないだろうが、運悪く今日は日曜日である。 ということは、それほど車は走ってない。 「やっぱりJRで行こうか」、迷いながら部屋に戻った。 すると、突然日が照ってきた。 「これは何とかなりそうだ」 ぼくはそう思って、再び布団の中に潜り込んだ。
午前7時30分。 もう一度起き出し、外を眺めた。 相変わらず日が照っている。 窓から差す日が暖かく感じる。 幹線を車が何台か走っている。 「もう大丈夫だ。あと30分寝ていよう」 と、三度布団の中に潜り込んだ。
午前8時。 携帯電話からアラーム音が聞こえだした。 ぼくはゆっくり起き出し、会社に行く準備をした。
午前8時30分。 少し早いが家を出た。 窓に雪が積もっているだろうと思ったのである。 案の定、フロントガラス一面が真っ白になっていた。 ぼくは軍手をはめ、雪かきを始めた。 が、雪は頑固にこびりついている。 仕方なく、水筒のお茶を窓に振りかけた。 雪は見る見る解けていった。
午前8時40分。 出発。 団地の駐車場から道路に出るところは、少し下り坂になっている。 ゆるゆると車を進めた。 凍結はしてないようだった。 ギアを2ndにして、ゆっくりと道路に出た。 幹線に出るまで凍結はしてなかった。 もう大丈夫だろう。 幹線もうっすらと雪が残っているが、支障なく走れる。 40キロほどスピードを上げたが、尻が振れるようなことはない。
午前8時48分。 国道3号線に出る。 さすが大動脈である。 そこから2キロばかり、雪などまったくなく、道路はカラカラに乾いていた。 2キロを過ぎたところから、またうっすら雪の道になっていた。
午前9時。 スペースワールドの横は都市高速の高架と高層マンションのおかげで日当たりが悪く、けっこう雪が残っていた。 バイパスに入った。 中央分離帯にかなり雪が積もっている。 右車線を走っていたのだが、左車線を走っているタクシーが妙にゆっくりと走っている。 「これは何かある」と思ったぼくは、そのタクシーの後ろを走ることにした。 途中信号に引っかかることもなく、すんなりと行った。 ぼくの会社は、バイパスの2つ目の信号を左折しなければならない。 左折すると、そこは急坂になっている。 「最後の難関。でも、バイパスが大丈夫なんやけ大したことはないやろう」と思っていると、前を走っているタクシーが左折した。 「もう大丈夫」と思った時だった。 前のタクシーが止まった。 「どうしたんだろう」と、そのタクシーの前を見ると、カローラがUターンしている。 しばらく待っていたのだが、何かおかしい。 よく見ると、カローラの後輪は空回りしているではないか。 前のタクシーの運転手が、外に出て応援に行こうとした。 ところが、こけた。 かなり道が凍っているようだ。
5分ほどして、何とかUターンは成功した。 タクシーの運転手が、ぼくのところにやってきた。 「この先はチェーンを付けとっても危ないらしい。バイパスに戻った方がいいよ」 そう言って、ぼくの前をUターンして行った。 そのあとぼくもUターンして、バイパスに戻った。 「さて、どう行こう?」 裏道は当然凍結しているだろうから、幹線を通るしかない。 幹線づたいに行ったため、ずいぶん遠回りをした。 この幹線は、まだ車がそんなに通ってないのか、真っ白だった。 途中、一度だけ尻が振れた。
9時20分。 会社に着く。 何とか無事だった。 昨年、一昨年と、雪の日にはJRで行ったので、雪道の運転は3年ぶりだった。
雪道運転。 今まで一番怖かったのは、4年前の2月、大雪の翌日に津和野から萩に山越えした時だった。 峠にさしかかった所から凍結していた。 その上、頂上付近はかなり吹雪いていた。 あの時ばかりは、大惨事をイメージしてしまった。 しかし、何とか無事山越えに成功した。 雪から雨に変わった時には、何か力の抜ける思いがしたものである。
ところで、ぼくは今日も、その山越えの時も、チェーンをしてなかった。 持ってないのだ。 いつかは買おうとは思っているのだが、なかなか雪に遭遇しないので、つい買い忘れる。 しかし、チェーンを買ったとしても、雪が降った日に付けるかどうかはわからない。 実は、チェーンの付け方を知らないのだ。
| 2003年01月04日(土) |
ぼくを温泉に連れて行って |
昼間、クレームで他の店に商品を取りに行かなければならなかった。 何の気無しに店を出たのだが、外に出たとたん、鼻に痛みが走った。 寒さのせいである。 普段の寒さと全然違うのだ。 おまけに雪も舞っている。 途中国道の電光掲示板を見ると、気温は3度になっていた。 地球温暖化だの何だの言っているが、やはりこの時期は寒い。
夜、家に帰る時にも雪が舞っていた。 車を降りて慌てて家に駆け込み、すぐに風呂に入った。 が、それほど熱い湯ではないのに、体が冷え切っていたせいで、かなり熱く感じた。
で、今現在は、と外を覗いてみると、うっすらと雪が積もり始めている。 明日も仕事だというのに、この調子で雪が積もったら、JRで行く羽目になるだろう。 この寒い中を、JRの駅まで歩いていくのは辛い。
何度も日記に書いているが、ぼくは寒いのが全くだめである。 以前、休みの日は、よほどのことがない限り外に出なかった。 だから、ウィンタースポーツなんてぼくには縁がない。 一度だけスキーに誘われたことがあるが、「誰が寒いところなんか行くか!」と断った。 それ以来、ぼくはスケートにも誘われなくなった。
十数年前のこと。 寒いのを押して遠出したことがある。 一泊二日で南阿蘇の温泉に行ったのだが、その日は、その冬一番の寒い日だった。 旅館に着いてから、露天風呂に入っては酒を飲み、酒を飲んでは露天風呂に入り、その繰り返しだった。 そのせいで風邪を引いてしまい、帰る時には熱が出た。 が、それから温泉が病みつきになってしまった。
それ以来、いくら寒かろうと、温泉にだけは行っている。 いや、寒いからこそ、温泉に行きたくなるのである。 別府、湯布院、九重、黒川、阿蘇、雲仙など九州には全国区の温泉がいくつもある。 しかも、そういうところに日帰りで行ける場所にぼくは住んでいる。 昨年は温泉に行く機会がなかったから、今年はどうしても行きたいと思っている。 どうしても行けない場合は、近くの天然温泉でもいい。
実は、今日も車を運転しながら、寒い、雪、温泉、露天風呂、酒とぼくは連想していた。 ちょうど、温泉につかって酒を飲んでいる自分を想像している時に、信号無視をしてしまった。 車が来なかったのと、警察がいなかったのとで、運良く命拾いした。
温泉というと、どうしても思い出す句がある。 『ちんぽこも おそそも湧いて あふれる湯』 前に日記にも書いた(2001年3月20日)が、種田山頭火の句である。 ちんぽこやおそそはどうでもいいが、どんどん熱い湯があふれてくるのが目に浮かぶじゃないか。 今とてつもなく温泉に入りたい。
年末から年始にかけて、かなり散財してしまった。 いろいろな物を買い込んだのだが、その中で一番お金をはたいたのが薬だった。 風邪を引いているせいで薬局に足を運んだのだが、買ったものは風邪薬ではなく、栄養ドリンクだった。 どうせ風邪薬なんか飲んでも治らないのだから、せめて体力だけはつけておこうと思ったわけだ。 で、効果はあったのかというと、まあ会社で仕事するぶんには支障がないから、効果はあったのだろう。 しかし、栄養ドリンクは、何でああも高いのだろう。 千円クラスのドリンクがずらりと並んでいたが、これは安い方である。 中には1万円以上するものもあった。 そこまで高いものは買わなかったが、「一発で風邪が吹っ飛ぶドリンクをくれ」と言ったので、かなり高いものを勧められた。 おなじみの朝鮮人参やロイヤルゼリーがたっぷり入ったやつである。 とりあえず、その場でそれを1本飲み、後は千円クラスのものを何本か買って帰った。 それからぼくの病気が始まった。 凝り性である。 その後も違う種類の栄養ドリンクを買い求めた。 結局栄養ドリンクにいくら遣ったのかは覚えてないが、おそらく病院に行ったほうがかなり安くてすんでいたはずだ。 しかし、一度凝ってしまった栄養ドリンク癖は、なかなか治まりそうにない。
ぼくの凝り性は、いつもこういう具合である。 パソコンといえば、プリンターなど基本的なものには興味を持たないが、ネットや本などで『これがあると便利ですよ』など紹介しているソフトには手を出してしまう。 そういうソフトには、必ず類似品があるのだが、それも手に入れようとする。 おかげで、ぼくがソフトに費やすお金は、プリンターを買うよりもはるかに高くついている。
十数年前、ラーメンに凝ったことがある。 知人の家で遊んでいた時のこと、夜中に急にラーメンが食べたくなった。 近くのラーメン屋ですましていればいいものを、その知人がわざわざ博多まで長浜ラーメンを食べに連れて行ってくれた。 それから病みつきになった。 その人の家に遊びに行くたびに、長浜ラーメンを食べに行ったものだった。 それだけでは飽きたらずに、福岡県内でおいしいと言われているラーメン屋を片っ端から制覇していった。 出張があれば、その行った先々でおいしいラーメン屋と言われるところに行ってみた。 挙げ句の果てには、福島の喜多方まで足を伸ばした。 そこまで行って、やっとぼくのラーメン欲は落ち着いた。 それだけ食べ歩いて、結局ぼくが一番おいしいと思ったのは、家のすぐ近くにあるラーメン屋だった。 今はそこで食べるだけで満足している。
コミックもそうである。 手塚治虫に凝った時には、ちょうど金回りが良かった時で、一挙に買い揃えてしまった。 今、ぼくの家にあるコミックの3分の1は手塚作品で、その時買い揃えたものである。
CDもしかり。 前の会社にいた時、CDの担当をしていたので、かなり凝ったものを裏業界紙などで調べて注文していた。 沖縄民謡の第一人者である嘉手刈林昌や、津軽三味線の高橋竹山を知ったのもこの時である。 以来、この二人のじいさんのアルバム集めに精を出すことになる。
ぼくにこの凝り性がなかったら、今頃もう少しまともな生活を送っていたことだろう。 しかし、今が楽しいのだから、凝り性のぼくがまともなのかもしれない。
昨日、初詣に行く途中に気づいたのだが、最近は祝祭日に国旗を揚げている家が少なくなった。 注連飾りはほとんどの家がしていたが、国旗を揚げている家は数えるほどしかなかった。 うちの近くに、昨年のサッカーのワールドカップで日本が勝った翌日に、国旗を揚げている家があった。 当然その家は揚げているだろうと思っていた。 しかし、そこにも日の丸は飾られてなかった。 ぼくが小学生の頃は、どの家も日の丸を揚げていたのだが、最近はそういう習慣がなくなったのだろうか。 まさか、中国や韓国に遠慮してというのはないとは思うが、正月くらいは日の丸を見たいものである。
ところで、昨年もそうだったのだが、今年も外で遊んでいる子がいない。 たこを揚げている子がいない。 コマを回している子がいない。 彼らは、相変わらず家にこもってゲームをしているのだろうか。 日常と同じことしかできないのなら、犬やネコと同じである。 正月の伝統も、彼らが大人になった頃には終わってしまうのか。
何が面白くないと言って、正月番組ほど面白くないものはない。 寄席の中継は、ほとんどないに等しい。 お笑い番組はやっているものの、そのほとんどがトーク中心のバラエティである。 コントはやっているものの、漫才がない、落語がない。 以前は、3が日の間、どこかの放送局で寄席中継をやっていたのだが、今年は全くない。 かろうじてフジテレビ系はやっていたが、あれでは物足りない。 毎年恒例の、テレビ東京系「東西寄席」もないじゃないか。 NHKはまったくやってない。 漫才もやらないような放送局に金なんか払えんわい。 古典系のお笑いファンのぼくにとっては、やりきれない正月である。
寒い。 毎年正月といえば、少しは暖かかったのだが、今年はそれがない。 昨日初詣に出かけたが、あまりの寒さに風邪がぶり返してしまった。 咳がやまない。 のども痛い。 明日から4日間仕事なのに、これでは乗り切れない。 もし熱でも出たらどうしよう。 前の会社にいた時、正月に39度の熱が出て往生したことがある。 熱冷ましを飲んでむりやり熱を下げたのだが、汗をかいても着替えがない。 そのせいで、汗が冷えるとまた熱が出てしまう。 ぼーっとした状態で、売場に立っていると、アルバイトの姉ちゃんから「しんたさんを見てると辛くなるので、奥で休んでいて下さい」と言われる始末だ。 あの時ばかりは、病院嫌いのぼくも、意地を張らずに病院に飛び込んだものだった。 しかし後になって、病院に行ったことを悔やんだ。 その病院は、熱を下げる注射しかしなかったのだ。 結局、また汗をかいてしまい、熱が出た。 おかげで、2,3日ぼーっとした状態が続いたのだった。 週末は、今日以上に寒くなると言う。 もう病院には行きたくない。
| 2003年01月01日(水) |
明けましておめでとうございます |
昨日の天気予報では、今日は午前中曇っているので、初日の出は見えないと言っていた。 「来年こそは早起きをして、初日を拝もう」と思っていたのだが、その予報を聞いて早起きは止め、元日はゆっくり寝ることにした。
目が覚めたのは、10時過ぎだった。 ぼくは曇り空を想像しながら、カーテンを開けた。 ところが、曇っているはずの空に雲は一つなく、太陽がまぶしいくらいに輝いていた。 案外早起きしていたら、初日の出が拝めたかもしれない。
起きてから、しばらくテレビを見ながら酒を飲んでいたのだが、昼間から酒などを飲むものではない。 すぐに酔いが回り、眠気が差してきた。 寝ようかなと思ったが、そのまま寝てしまうと、頭が痛くなるだろう。 せっかくの休みなのに、頭が痛くなっては面白くない。 ということで、酔い覚ましに外に出ることにした。
さて、どこに行こう。 迷ったあげく、ぼくは初詣に行くことにした。 で、今度は、どの神社に行こうかと迷った。 県内には太宰府・筥崎・宮地嶽・宗像というメジャーな神社があるが、どこに行くにしろ、JRで1時間近くはかかる。 またそういうところは、人がいっぱいいるはずだから、本殿に行くまでに一苦労する。
結局、初詣に選んだのは黒崎の岡田宮だった。 近場も近場である。 家から20分もかからずに着いてしまう。 あまりメジャーな神社ではないが、ここは古事記にも登場している由緒ある神社である。 ちなみに、ぼくのお宮参りや七五三は、この神社でやった。
ところで、元日から初詣に行くのは、何年ぶりのことだろう。 前の会社にいる時は、仕事始めの日に初詣をやっていたから、元日には行ったことがない。 今の会社に入ってからは、人混みを避けるため、7日前後に行くようにしている。 ということは、1980年に太宰府天満宮に行った時以来だ。
あの時は高校時代の同級生二人といっしょだった。 12月31日に、その年に出来たばかりの『黒崎そごう』の前で待ち合わせ、太宰府に向かった。 西鉄の太宰府駅に着いた時には、もう年を越していた。 そこから参道を歩いて天満宮に行くのだが、とにかく人ばかりで先に進まない。 太宰府天満宮は超有名な神社ではあるが、参道は「天神様の細道じゃ〜♪」という童歌のとおりで、それほど広い道ではない。 正月三が日、そこを200万以上の人が歩くのだ。 そのため、本殿にたどり着くまでに、けっこう時間がかかったのを覚えている。
それに比べると、今日は楽だった。 若干人が並んでいたものの、10分ほどで参拝できた。 100円玉を投げ入れて何をお参りしたかというと、「世界人類が平和でありますように」、ではなく、「今年こそ飛翔の年でありますように」だった。 さて、どうやって空を飛ぼうか。
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