午前中にNTTの工事があるというので、今日は出勤時間を遅らせた。 通常より1時間半遅い出勤となった。 天気予報では、今日は一日中晴マークがついていたのだが、朝から時々雨が降ったりしていた。 灰色のような青いような、なんとなくすっきりしない空の色が、普段とは違った街の姿をかもし出していた。 「そういえば、こういう天気は以前にもあったなあ」 などと思いながら、ぼくは車を走らせていた。 ちょっとしたことが、忘れていた過去を思い出すきっかけとなることがある。 それは、音楽や、ノートの切れ端や、その時の心象や行動、テレビや映画の一コマだったりする。 今日の起爆剤は空の色だった。 「さて、いつのことだったか?」 遠い記憶であることは間違いないのだが。 今日はそのことばかり考えていた。
その答が出たのは、夜家に帰ってからだった。 保育園に行っていた頃だったか、それ以前だったか、肩を脱臼したことがある。 テレビを見ながら寝ていた時、「寝床に行きなさい」と母親に起こされた。 ぼくが何度起こしても起きないので、母はぼくの手を引っ張って起こそうとした。 その時だった。 「グキッ!」という鈍い音がした。 その瞬間、肩に鋭い痛みが走った。 それまで味わったことのない痛みだった。 当初、筋をたがえたくらいにしか思われてなく、母は「寝たら治るよ」などと言っていた。 痛みに耐えて、何とかその日は眠りに就いた。 翌朝起きてみると、相変わらず痛みは引かず、肩はダラーンと垂れ下がった状態だった。 しかたなく病院に行くことになった。 朝早く、近くの済生会病院に行ったのだが、「ここは午前9時からじゃないと開きません」ということで、1時間近く待たされることになった。 しかし、あまりの痛みに我慢が出来ず、そこを出て他の病院をあたることにした。 「そういえば、黒崎の車庫前に『ほねつぎ道場』があったねえ」と、親戚のおばちゃんが言った。 「じゃあ、そこに行こう」ということになり、当時あったチンチン電車に乗って、その「ほねつぎ道場」へと向かった。
電車を降りて、少し歩いたところに薄暗い路地があった。 その路地の片隅に、「ほねつぎ道場」はあった。 その道場に着いてしばらくすると、柔道着を着た人がぼくの前に現れた。 その人はぼくの肩を触ったり、腕を回したりした。 そして、「ああ、はずれてますね」とこともなげに言った。 「ぼく、ちょっと痛いけど我慢してね」 彼はそう言うなり、ぼくの腕を軽く引っ張った。 かなり痛かった。 「はい、力を抜いて」 そう言われても、こちらには昨夜の恐怖心がある。 腕を引っ張られると抵抗してしまう。 その人はかなり手を焼いていたようだった。 しかし、何度か腕を回したり引っ張ったりしているうちに、こちらも抵抗しなくなってきた。 そのタイミングを見計らって、彼はぼくの肩を抑え、腕をグッと押し込んだ。 そして「腕をまわしてみて」と言った。 ぼくは恐る恐る腕を回してみた。 すると、先ほどまでの痛みがうそのようになくなっていた。 この間約5分であった。 しかし、ぼくにはかなり時間がかかったように思えた。
ほねつぎ道場から出て、その日はじめて空を見た。 家を出た時は、痛みで空を見るほどの余裕がなかったのだ。 灰色のような青いような、なんともすっきりしない空の色。 ちょうど今日の午前中のような天気だった。 あのときの痛みもなんとなく覚えている。 そういえば、今朝も肩が痛かった。 ま、あの時は今のような鈍い痛みではなかったが。
世の中気に食わんことだらけである。 北九州に、石原軍団御用達の明太子屋がある。 実際に行ったことはないが、テレビで見る限りでは、店内に石原軍団の写真を貼っていた。 そういうことが売りの店らしい。 会社の行き帰りに、この店の看板をよく目にする。 ぼくはその看板を見る時、いつも思うことがある。 それは、「だから何だと言うのだ!」ということだ。 石原軍団の御用達なら、明太子はおいしいのか? 石原軍団の舌は絶対なのか? ちなみに、ぼくはそこの明太子を食べたことはない。 仮に今から明太子を食べようとした場合、「石原軍団御用達」という言葉だけで、明太子選択の判断材料にするようなことを、ぼくはしないだろう。 だいたい、有名人がよく買っているというのを、宣伝に使うこと自体おかしいのだ。 「うちは、あの石原軍団がよく利用している明太子屋だからおいしいのだ」とでも言いたげな宣伝に不快感を禁じえない。
うちの近くにあるレストランのメニューに、『天皇陛下が召し上がったカレーカレーロワイヤル』なるものがある。 別に、「その時天皇陛下は、この味にいたく感動された」とコメントがついているわけではない。 ただ「食べた」と書いているだけである。 もしかしたら、天皇はその時「まずい」と思ったのかもしれない。 しかし、こういう書き方をしていると、「だからおいしい」と暗に言っているように思えてならない。 実際食べてみると、「だからおいしい」という味ではなかった。 普通のカレーライスだった。
これと似たような話で、『皇室献上銘菓』なるお菓子がある。 食べてみると、それほどおいしいものではない。 確かに皇室に献上したかもしれないが、その程度のお菓子を献上するとは失礼なお菓子屋である。 またそれを宣伝文句に使っているのが気に食わん。
ラーメン屋や飲み屋に行くと、有名人のサインの数々。 あれも気に食わん。 さも「うちは有名人が来店するほどの、凄いお店なんだよ」と言いたげに、サインが並んでいる。 お客もお客で、「ここ○○が来たところなんだって。すげえ!」などと言っている。 しかし考えてみると、その有名人氏は、以前から懇意にしている店ならともかく、こんな地元の人しか知らない店を選んで来るわけがない。 たまたま飲み食いに行った場所が、そこだっただけの話じゃないか。 「すげえ!」ことでも何でもない。 本当に「すげえ!」と言われたいのなら、「このお店の、××というメニューが気に入りました」と書け、というのだ。 ただのサインでは、何にもわからんわい。 それも何と書いているのか、わからないものばかりである。 こんなことやめてしまえ!
予備校で、ぼくがトイレから出てくると、前を同じクラスの女の子が歩いていた。 同じくトイレから出てきたようだ。 教室に戻るには階段を上らなくてはならない。 ところが、ふと彼女を見ると、スカートがめくれている。 それもミニスカートである。 同じ階段を上るわけだから、後ろを歩いているぼくは当然見えてしまう。 彼女が階段を上りだした時、ぼくは目のやり場に困った。 「どうしよう」 しかし、教えてやるほどの勇気はない。 かえって変態扱いされるのがおちだ。 中学時代の思い出がよみがえる。 見たら見たで、後でわかった時に何を言われるかわからない。 しかたなく、ぼくは下を向いて階段を上った。 後でぼくを見ていた男子から、「お前、いい思いしたのう」と言われた。 見てないっちゃ!
社会に出て、電車通勤をしていた頃の話。 電車はいつも満員だった。 痴漢と間違えられると嫌なので、ぼくはいつも両手で吊り革をつかんでいた。 ある日、えらく後ろから押されたことがあった。 両手は吊り革をつかんでいるため、押されるたびに吊り革にぶら下がって、爪先立ちの状態になる。 そのたびに、前に立っている女の人のお尻に、ぼくの下半身が当たるのだ。 最初は押されるほうばかりに気をとられて、前を押していることは気がつかなかった。 気がつくと、その女の人はぼくを睨んでいる。 どうして、前の女の人がぼくを睨むのかがわからなかったが、しばらくして、「あ、そうか!」と、やっと合点がいった。 単純にぼくと彼女の間の行為だけで捉えると、これははっきり言って痴漢行為である。 しかし、こちらとしてはそういうつもりは毛頭ない。 こちらも動きようがないのだ。 ぼくは心の中で、「そういう怖い顔で睨みなさんな。この状況で、どうしろというんだ。おれだって早くあんたのそばから離れたいわい!」と思っていた。 ある駅で人が減ったので、ぼくはすぐにその人のそばから離れた。
またまた中学時代に話は戻る。 ある日の昼休みのこと。 ぼくは急にトイレに行きたくなった。 教室を出て、廊下を小走りしてトイレに向かった。 その時、曲がり角で、同じクラスの女の子とぶつかりそうになった。 ぼくはとっさに手を出した。 その手が、なんと彼女の胸に触れたのだ。 『あらっ!』と思ったが、もはや漏れる寸前である。 ぼくは「ごめん」と言って、トイレに急いだ。 教室に帰ると、その女の子は何かニコニコした顔をしていた。 その後、ぼくはその子から、婉曲なラブレターをもらった。 だから、違うっちゃ。 勘違いやろ、カ・ン・チ・ガ・イ。
大体こんなところか。 若い頃は、よく勘違いされて迷惑したものである。 最近は勘違いされての迷惑話は少なくなったが、昨日の冒頭のような変な迷惑話が多くなった。 そういえば、今の会社に入った時、「あの人の目を見たらいけんよ」と教えられたことがある。 「あの人」とは、24,5歳の女性であった。 話を聞くと、その女性の目を見ると、「あの人、私のことが好きみたい」と人に触れまくるのだそうである。 こういう自意識過剰な人は、本当に困りものである。 この話を聞いていたので、ぼくはそういうことを言われずにすんだ。 入社して程ない頃、会社帰りに小倉に飲みに行ったことがある。 駅に向かう途中に、その子とばったり会ってしまった。 「今帰りですか」 「ああ」 「どこまで行くですか」 この子、若いくせに言葉がいやに年寄り臭い。 目を見ただけで恋愛なら、まともに話していたら大恋愛になってしまう。 ぼくは始終、そっけない返事を繰り返すばかりだった。 こういう人の存在も、迷惑と呼んでいいだろう。
唐突にこんな話をして申し訳ないが、ぼくはつい何年か前まで、女性のナプキンの使い方を知らなかった。 てっきり、あれは患部に貼るものとばかり思っていたのだ。 わりと女性の多い家系だったにもかかわらず、こういうことには無関心だった。 もしぼくが日用品などの売場を持たされていたら、大恥をかいたことだろう。
なぜこういう話をするかといえば、ぼくの店によくナプキンの宣伝販売に来るおばさんがいる。 その人は、ぼくがその前を通ると、いつも「いらっしゃいませ」と言うのだ。 ぼくは男である。 それに、一応制服を着ている社員である。 何を思って言っているのかは知らないが、こんなことはやめてほしい。 そのナプキンおばさんが頭にこびりついて、つい冒頭の話になったわけである。
中学の頃、昼休みに女子と男子に別れてバレーボールをしたことがある。 もちろん体育の時間ではないので、ジャージなどははいてない。 前衛にいた女子がスパイクを打った時だった。 サッと風が吹いて、その女子のスカートがめくりあがった。 ぼくはその瞬間を見逃したのだが、他の男子は「オオッ!!」と歓声を上げた。 その女子は真っ赤な顔をしていた。 その後のことである。 他の女子がぼくのところに来て、「しんた君、見たでしょ?」と言った。 「いや、見てないよ」 「そんなことはない。あんたの位置からだと丸見えなんだから」 「見てないっちゃ」 その女子は、後々まで疑っていた。 ぼくは本当に見てない!
同じく中学の頃の話。 その日ぼくは親戚の家に泊まることになっていた。 昼間友人と遊び、親戚の家に向かったのは、夜の7時ごろだった。 季節は春だったので、7時にはもう日が沈んでいる。 ぼくの5メートルほど前を、女の人が歩いていた。 行く方向がいっしょだったのだろう。 駅から、ずっとぼくの前を歩いていた。 川沿いに歩いていくと、道が狭くなるところがある。 そこで、その女の人はぼくの存在に気づいたようだった。 女の人は少し早歩きになった。 そこから少し行った所で、ぼくは左に曲がり路地に入るのだが、その女の人もそこから右に入ってしまった。 ぼくはどうしようかと迷った。 その女の人は、ぼくにつけられていると思っている。 このまま行き過ぎてもいいが、ぼくも左に曲がらないと、親戚の家に行くことは出来ない。 そこで思い切って、ぼくも左に曲がった。 すると、その女の人は走り出し、「おねえさーん」と言って、一軒の家に飛び込んだ。 どうやらそこが彼女の家だったようだ。 ぼくが彼女の家を通り過ぎる時、彼女はその「おねえさーん」といっしょに、玄関からぼくを見ていた。 ぼくは知らん顔をして通り過ぎた。 ぼくは変態ではない!
高校の頃、保健の時間に人命救助の講義があった。 その中で、心臓マッサージやマウス・トゥ・マウスの実践があったのだが、そのモデルを誰がやるか、ということになった。 じゃんけんで決めようということになったのだが、誰かが「こういうことは、保健委員がせないけんやろうが」と言い出した。 「そりゃそうだ」ということになり、しかたなくぼくが犠牲者になった。 先生が「ちゃんとハンカチをかぶせてしなさい」と言ったのだが、いるんです。こういう時に、マジになる奴が。 もちろんハンカチの上からだったけど、そいつは唇をしっかりとぼくの唇に当て、息を入れてきた。 肺が膨れていく。 そいつは当時からヘビースモーカーだった。 ぼくの息は、しばらくタバコ臭かった。 後でそいつは、ぼくの唇を奪ったと、いろんなところで触れて回った。 ある日、女子から「しんた君、○君の唇奪ったらしいね」と言われ、変な目で見られた。
| 2002年07月27日(土) |
芸能コースのある高校 |
今日ローカルの番組で、ある高校に芸能コースというのがあると言っていた。 いよいよ県民皆芸能人の本領発揮かと思い、興味深く見ていた。。 このクラスでは、毎週4,5時間を費やして、生徒に歌を歌わせたり、ダンスを踊らせたりしているのだ。 あの堀越学園にも芸能クラスというものはあるが、それは芸能人が行くクラスであって、別に芸能人を育成しているわけではない。 しかし、この学校は芸能人を育成しているのだ。 時間割の中に、現国や数学などと並んで、ギターとかダンスという科目が書かれてあるのが面白かった。 もしぼくが高校生なら、躊躇なくこの学校のこのクラスを選ぶだろう。 無能な人間を育てる普通科よりも、よっぽどやりがいがあるに違いない。
さて、その番組の中で担当の先生が、「この中にモノになりそうな人間が2,3人は確実にいる」と言っていた。 この先生は、「浜崎あゆみやMISIAや椎名林檎といったトップミュージシャン」をその学校から出す、という夢を持っているようだった。
ところでこの番組を見て疑問に思ったことがある。 それは、「この科目の試験はどういう問題が出るのだろうか」ということである。 もちろん実技はあるだろうが、筆記のほうはどうなっているのだろうか。 「福岡出身の有名人を5人書きなさい」とか、「メジャーとインディーズの違いは何か。50字以内で簡潔に書きなさい」などという問題は出るのかもしれない。 まさか、「この科目は不得手だ」と思う人間はいないだろう。 もしいるとしたら、それはスランプに陥っているか、自分の才能に眼界を感じたか、担当の教師が嫌いかのいずれかである。
もう一つの疑問は、この科目で単位を取れずに、留年する人間がいるのかどうかだ。 授業にまともに出ていれば、まず留年はないだろう。 「インディーズ」の意味がわからなくて、欠点をとる生徒は皆無に等しいと思う。 「君は‘F’のコードを押さえきらないから、来年もう一度やり直しなさい」 「君はマイクを持つ時、どうして小指を立てるのかね。前から何度も注意してるだろう。全然進歩が見えないじゃないか。留年だ」 などとやっているのだろうか。
さて、このコースを選んだ生徒たちの就職状況はどうなのだろうか。 先生もいろいろ大変だろう。 大学や専門学校に行く生徒以外は、もちろん就職するのだろうから、そういう生徒たちの面倒を見なければならない。 第一希望は、みな音楽事務所や芸能プロダクションであるはずだから、そういう関係に顔が利かなければならない。 ホリプロやサンミュージックなどに行って、 「今年は有能な子がいるので、よろしくお願いします」などとやっているのかもしれない。 『のど自慢』に出させる場合もあるかもしれない。 「鐘が3つ鳴らなければ、君の将来はない。もしそうなったら、君は芸能界をあきらめて、普通の就職をしなさい」」 晴れて鐘が3つ鳴った場合は、それを肩書きに就職活動を行っていくのだろう。
仕事の合間にチラッと見ただけなので、今まで書いたことはすべて憶測である。 しかし、ただ一つ確かなことがある。 そこにお笑い系がなかったことだ。 福岡からせっかくタモリという大物が出ているのだから、そういうコースも作ってもらいたいものである。 しかし、もしお笑い系のクラスが出来ても、授業中にほかの生徒を笑わせるようなことをしたら、先生から叱られるだろう。
| 2002年07月26日(金) |
アルバイト遍歴 その6 |
このバイト中、ぼくは一度だけ活躍したことがあった。 マルタイ食品の『長崎チャンポン』というのがある。 九州で大ヒットしたカップ麺で、ぼくがそのスーパーでバイトしていた時に新たに店頭に並べられるようになった。 Hさんが、「お前、これ知ってる?」と聞いた。 「『長崎チャンポン』ですね。知ってますよ。よく食べてましたから」 「おいしいの?」 「はい。おいしいですよ」 「どうやって食べるの?」 「普通どおり食べてもいいけど、玉子とか入れて、ソースを落とすとおいしいですよ」 「ふーん。じゃあ、お客さんに尋ねられたら呼ぶからさあ、ちょっと説明してやってよ」 「いいですよ」 ということで、ぼくは何人かのお客さんに説明した。 「これおいしいの?」 「おいしいですよ。九州では大ヒットしてますよ」 「本当?」 「九州人のぼくが言うから間違いないです!」 「あら、あなた九州の人なの。じゃあ、間違いないわね」 そう言って、お客さんは何個か買っていった。 ぼくはこの時、初めて物を売る喜びを知った。
わりと楽な仕事だったにもかかわらず、ここでのバイトは10日も続かなかった。 それは、この44年間の人生の中でも最大級の病気にかかってしまったからだ。 その病気とは胃痙攣である。 その前の日、ぼくは何も食べなかったのだが、バイトをしている時に空腹のピークを迎えた。 「腹減ったー」などと言っていると、同じバイト仲間が「これ食べな」と言ってアイスクリームをくれた。 おかげで、空腹感はなくなった。 下宿に帰り、タバコを吸っている時だった。 胃に軽い痛みを覚えた。 最初はそれほど気にならなかったのだが、その痛みが周期的に度を増してやってくるようになった。 おそらく空腹のせいだろうと思い、買い置きしていた例の『長崎チャンポン』を食べた。 しかし、痛みは引かなかった。 かえって周期が速くなってきた。 翌朝もその痛みは引かず、下宿でのたうち回っていた。 その日は一歩も外に出ることが出来ず、とうとう連絡も取らないまま、ぼくはバイトを休んでしまった。 後にも先にも、ぼくが無断で仕事を休んだのはこの時だけである。 その状態は一週間続いた。
ようやく体調が元に戻った。 バイトの方は、どうせクビだろうと思っていたので、「クビ」と言われる前に自分から辞めに行った。 バイト先に行くと、ぼくは例の人事の親父に呼ばれた。 親父は「一週間もどうしたんだね」と聞いた。 ぼくは一部始終を話した。 そして、「まだ万全だとは言えないので、一応バイトは辞めたいんですが」と言った。 親父はうなずいた。 何日か分の給料をもらい、ぼくはバイト先を後にした。
その後は決まったアルバイトはしなかった。 北九州への帰省賃稼ぎに、晴海の集中郵便局に行ったくらいだった。 続けてやろうかとも思ったのだが、もはややる気を失っていた。 冬にこちらに帰った時も、夏に行ったアルバイトに一週間通っただけである。 東京に戻ってからは、もう何もしなかった。 残りの東京の日々は遊んで暮らした。
春、北九州に戻ってきた。 いよいよ就職であるが、ぼくはその時点で、まだ就職が決まってなかった。 そこで一年間、長崎屋でアルバイトをすることになった。 アルバイトとは言え、メーカーの準社員扱いだったため、いろいろとノルマを与えられ、責任を負わされた。 もはや以前のような、気楽なアルバイトではなかったのである。 しかし考えてみると、その長崎屋でのアルバイトは、以前にやっていた気楽なアルバイトとは無関係ではなかった。 前にも言ったが、長崎屋でのアルバイトは家電製品の販売だった。 家電の販売は、もちろん配達も伴う。 販売といい、配達といい、すべてそれまでにアルバイトでやってきたことである。 もちろん力もいるから、豊洲埠頭での荷物の積み下ろしで鍛えたことが、ここで役に立つことになる。 倉庫整理一つとってみても、トラックへの荷積みがかなり役に立っているのだ。 人生無駄なことは一つもない。 どこかで繋がっているものである。 毎年夏になると、アルバイトをやっていた頃を懐かしく思い出すのだが、最近はそういう思いを持って、過去を振り返っている。
| 2002年07月25日(木) |
アルバイト遍歴 その5 |
東京に戻ったぼくは、また友人とアルバイト探しをした。 もう運送会社はまっぴらだったので、今度はほかの業種を選ぶことにした。 アルバイトニュースを買い、総武線沿いを重点的に探した。 ほどなくいいところが見つかった。 四谷にあるスーパーマーケットだった。 文化放送の前を通り、お岩神社横の細い道を抜けたところに、そのスーパーはあった。 とりあえず面接を受けた。 面接官は小太りの、めがねをかけた親父だった。 ぼくはどうもこの男と折りがあわない。 変に剣のある口調でぼくに突っ込んできた。 「君はもっとほかのバイトを探したほうがいいんじゃない」とか、「その髪はどうにかならんかね」とか言ってきた。 ぼくは笑ってかわしていたが、相手の攻撃は執拗だった。 どうもこの男は、ぼくの身なりが気に入らなかったようだ。 そして彼が、「悪いけど今回は・・・」と言おうとした時、その店の店長が入ってきた。 店長は「せっかく来てもらったんだから、働いてもらおうよ」と言った。 めがね氏が「しかし・・・」と言うと、店長はその言葉をさえぎるように、「じゃあ、明日から来て」と言った。 めがね氏は少しムッとした表情をした。
このスーパーは、新宿では有名なスーパーだった。 来店客も土地柄か、品のいい人が多かった。 前にも話したが、仁科明子(現 亜季子)の母親や、中原理恵など有名人がよく買い物に来ていた。 しかし、ぼくは商品管理のほうの担当だったため、なかなかそういう人たちには会えなかった。 逆に、いっしょにバイトをしている友人は店内の担当だったので、しょっちゅう有名人に遭遇していた。 帰る時にいつも、「今日は誰々に会ったぜ」と言っていた。
このバイトを始めて、ひとつだけ閉口したことがあった。 それは、ネクタイをしなければならないことだった。 ぼくは今でもネクタイをするのが嫌いである。 これをすると、頭に血が流れないような気がするのだ。 「頭に血が流れない」→「脳が活発に働かない」→「馬鹿になる」、という図式がぼくの中に存在する。 それまでにネクタイをしたことがあるのは、成人式ただ一回だけだった。 その時は3時間程度ネクタイをしていただけだが、それでもかなり疲れたのを覚えている。 それが、このバイトを始めてからは毎日である。 仕事以前にネクタイに疲れていた。
仕事自体はそんなにきついものではなかった。 Hさんという担当の方がいて、ぼくはその人の横に付き添っているだけだった。 「これが品薄だなあ。これをチェックしといて」 と言われると、ぼくは用意した在庫表にチェックしていく。 ただそれだけの仕事だった。 たまには店のレイアウトもやった。 新発売の商品やチラシ掲載商品を、目立った場所に置いていくのだ。 その仕事も商品自体が軽いのと、限られたスペースにしか置けないこともあって、10分もすると完了してしまう。 店内でお客を相手にしている友人と比べると、かなり楽なものだった。
| 2002年07月24日(水) |
アルバイト遍歴 その4 |
○運輸をクビになってから数日して、ぼくはまた北九州に戻った。 ま、ただの夏休みであるが。 7月中旬に戻ったぼくは、春にアルバイトをした運送会社にコンタクトを取った。 来てくれ、と言うことだった。 さっそく翌日からアルバイトを再開した。 仕事は、春と同じく宅配の仕事だった。 東京で鍛えてきてあるので、荷物はかなり軽く感じた。 調子に乗って、山の中腹にある家まで、洗濯機を一人で抱えて行ったこともある。 毎週火曜日が指定休だったのだが、ぼくは休まずに仕事に行った。 「あんた今日休みやろ?」 「そうなんですけど、何でもいいから仕事をさせて下さい」 「今日は宅配休みやけ、他にすることといえば・・・」 と、あてがわれた仕事は、土方だった。 社長宅の、100坪ほどある庭の整地である。 ブルトーザーでそこにあるコンクリや石を砕き、その後スコップで地面を平らにしていくのだ。 それまで、本格的にスコップを持った仕事はしたことがなかった。 慣れない仕事、しかも炎天下である。 終わった時には、かなりバテていた。 帰りしなに、「どうね、しんた君。来週の火曜日もするかね」と聞かれた。 『こりゃ、休まんとやっとられん』と思ったぼくは、「遠慮しときます」と言った。 その言葉どおり、翌週から火曜日はきちんと休むことにした。
休みもとらずに何で頑張ったかというと、ぼくはひとつの目的があったのだ。 実は東京に出る前に、ぼくはテレビでポール・マッカートニーのオーストラリア公演を見たのだが、そのライブで弾いていたギターを痛く気に入っていた。 そのギターとは、『オベーション・グレンキャンベルモデル』だった。 このギターは当時24万円した。 いつかこのギターを手に入れたいと思っていたのだが、東京では生活に追われて、そんな高価なものを買う余裕などなかった。 休みを取らずに働いた理由というのは、東京のアルバイトで稼いだお金と、このアルバイトのお金を足せば何とかなると踏んだぼくの、当然の行動だった。 しかし、それも一週間で挫折してしまった。
ところが、休みの日に福岡天神に遊びに行ったの時に、とんでもない裏技があるのを発見した。 クレジットである。 もちろんそれまでにも、クレジットの存在があるのは知っていたが、そこまでクレジットの必要性を感じたことはなかった。 バイトを終えて東京に戻る時に、ぼくは福岡天神のB電気に行ってクレジットの手続きをした。 そこからぼくのクレジット人生が始まった。 だけどこの時、もし払いが遅れたら、二度とクレジットは使えない、というのを知った。 だから無理のない支払方法をとった。 これが社会に出てから、大いに役に立つことになる。 これは自慢するようなことではないが、ぼくはこれまでかなりのクレジットを組んできた。 しかし、支払いが遅れたことは一度もない。 それは、そのギターを買った時にクレジットについて教わったことが大いに役に立っている。
その翌日、ぼくはオベーションの大きなケースを持って、飛行機に乗った。
| 2002年07月23日(火) |
アルバイト遍歴 その3 |
ある日、原田真二似の男がバイトに入ってきた。 この男は仕事をしなかった。 ほかのバイト連中は荷が着いた時、それがどんな荷物であろうとも、荷を全部運び出すまでそのトラックについていたのだが、その男は違った。 重い荷物や汚い荷物があると、すぐにほかのトラックに移って行った。 「あっちは終わりそうだから、こっちを手伝うよ」などと言っている。 そこにまた重い荷物などがあると、またほかのトラックに移って行った。 軽い荷物ばかりあるトラックについても、最後までそこにいたことはなかった。 「トイレに行ってくる」などと言っていなくなるのだ。 そして荷物の積み出しがほぼ終わる頃に戻ってきた。 最初は気にしなかったのだが、こういうことが頻繁にあるので、ほかのバイト連中とその男の行動を探ってみることにした。 すると、「トイレに行ってくる」と言った後、彼はトイレには行かず事務所の中に入っていった。 事務所にいる社員に、「いやー、疲れました」など言ってしゃべりかけて媚を売っている。 そして、自分はいかに仕事をするか、というのをアピールしていた。
そのことがわかって、バイト連中は憤慨した。 バイトの中ではぼくが一番年長だったので、みんなぼくに「しんたさん、バシッと言ってやってくれ」と言ってきた。 しかし、ぼくは口で言うのを好まない。 かと言って、力に訴える主義でもない。 彼が相変わらずうろうろしていた時、ぼくは彼をつかまえた。 「おい、こっち手伝ってくれ」 「い、いや、ちょっとやっていることがあるんで」 「そんなのどうでもいいけ、手伝え!」 と言って、無理やり彼をトラックに引きずり込んだ。 「おい、これを全部運び出すぞ」 「えっ・・・・」 かなりの量だった。 いやいやながら彼は手伝ったが、しばらくしてから、いつものように「トイレに行ってきます」と言った。 ぼくは「トイレはこの荷物を全部積み出してから行け」と言って、荷物を彼に投げつけた。 しかたなく彼は最後まで手伝った。 その後、ほかのバイト連中がぼくのところに来て、「しんたさん、見てましたよ。胸がスッとしました」などと言っていた。 後でわかったことだが、その後彼は泣いていたらしい。
しかし、彼はこのことを恨みに思ったようだった。 事務所に行っては、執拗にぼくたちの悪口を言っていたのだ。 最初は事務所の人も相手にしていなかったが、あまりに彼がしつこく言うのでだんだん彼のいうことを信用するようになっていった。
土曜日は荷が少なかった。 8時にはトラックすべてが戻ってきた。 荷を積み出した後、ぼくたちは暇をもてあましていた。 9時までのバイトなので、いやでもそこにいなくてはならない。 ある日、社員の人が「のどが渇いたなあ。ちょっとジュースでも飲みに行こう」とぼくたちを誘った。 近くの自販機に行くと、ほかの社員もそこにいた。 みんなジュースではなくビールを飲んでいた。 「お前たちも飲め」と言って、彼はビールをおごってくれた。 このバイトをしている間、仕事中にビールを飲んだのはこれが最初で最後だった。 しかし、これが問題になった。 「バイトが仕事中にビールを飲んでいる」というのが、社長の耳に入ったのだ。 社員のほうはお咎めなしだったが、ぼくたちバイトは「辞めさせろ」ということになった。 ビールを飲んだことをチクったのは、言うまでもない、原田真二男である。 ぼくたちがビールを飲んだのを知ると、彼はさっそく事務所に報告に行った。 そして問題が大きくなったのだ。 辞めさせられたのは、ぼくを含めて5人だった。
そのバイトを始めて4ヶ月たっていた。 ぼくは、もうそのバイトには未練がなかった。 ほかの連中も、潔く辞めた。 結局、その会社には仕事をしないバイトだけが残った。
| 2002年07月22日(月) |
アルバイト遍歴 その2 |
それから一度こちらに帰ってきたのだが、その時は前とは別の運送会社でアルバイトをした。 その会社は、長距離便や大手企業の下請けなど、いろいろな業務を行っていた。 ぼくが回されたのは宅配のほうだった。 当時ぼくは免許を持っていなかったので、もちろん助手である。 そこでは、ユニード(現ダイエー)や長崎屋といった量販店の配達を請け負っており、主に家電や家具の配達をやっていた。 宅配の仕事の中で一番苦労したのが、4、5階建ての公営・公団住宅に冷蔵庫やベッドといった大型商品を持って行く仕事だった。 この手の団地にはエレベーターがない。 そういう団地は決まって階段が狭いものである。 したがって小回りがきかない。 ちょっと気を抜くと、壁にこすってしまう。 そのせいか、「怪我はしていいけど、商品に傷をつけるな」というのが合言葉になっていた。 その言葉どおり、商品に傷をつけないために、ぼくは自分の手を犠牲にした。 手の甲を何度すりむいたことだろう。
しかし、ここではそんな痛い仕事ばかりではなかった。 おいしい仕事もあった。 それは引越しである。 ちょうど春先で、引越しの多い時期だった。 一度だけぼくも、引越しの手伝いに借り出されたことがあった。 けっこうきつい仕事だったが、帰る時にご祝儀もらった。 これがけっこうな額で、みんなで山分けしたのだが、それでも一人当たりの取り分は多かった。 そのバイトの日当よりも多かった。 約一ヶ月、その会社で働き、再びぼくは東京に行った。
東京でまた、友人とアルバイト探しの毎日だった。 ある日、アルバイトニュースで○運輸ところを見つけた。 場所は浅草橋だった。 友人が千葉に住んでいたため、バイトが終わったら、そのまま総武線で帰れるので都合がいいということで、そこをバイト先にすることにした。 浅草橋から少し歩いたところに、その○運輸はあった。 そこから少し行ったところに吉原という地名があったが、あの吉原なんだろうか。 相撲部屋が近くにあったので、歩いているとよく力士とすれ違った。 喫茶店にもパチンコ屋にも力士がいた。 午後4時から始まる仕事だったのだが、その時間帯は力士も休憩時間なのだろう。 さて、仕事のほうだが、4時から1,2時間、そこで荷物の積み込みをやる。 荷物には芳香剤、東京スタイル、工業用品の3種類があった。 芳香剤や東京スタイルの場合は、すべて定型の箱だったので、トラックに積み込みやすかった。 とくに東京スタイルは軽かったせいもあり、ぼくたちバイトは先を争って東京スタイルの積み込みをとっていた。 一方の工業用品のほうは、形がいちいち定まっていなかったせいで積み込みにくかった。 重さもまちまちで、おまけに油臭いときている。 誰もが敬遠した荷物であった。
そういう積み込み作業をしてから、バイトは全員トラックに乗り込んで次の作業場である豊洲埠頭に向かう。 そこにトラックの中継所があった。 埠頭であるから、もちろん船も着く。 トラックや船で運んできた荷物をここにいったん集め、それを地区別に仕分けして、そこに行く便に積み込む仕事だった。 ここでも東京スタイルは人気の的だった。 逆に嫌がられたのは、船で積んでくる荷物だった。 大きな機械から小さな鉄の球までいろんなものを積んでくる。 小さな鉄の球というのは直径15センチくらいで、重さはなんと25キロもあった。 そういうのが続けてくるわけである。 中にはドライアイスもあった。 これはグリーンのケースに入っており、重さは20キロだった。 夏場だったので冷やりとして気持ちよかったが、入れ物が汚かった。 こういう荷物を毎日運んでいた。 おかげでぼくの腕は太くなり、ポパイのような力こぶが出来るようになった。 ちなみにこの筋肉はいまだに落ちていない。 いかに運動をしてなくても、20回ほど腕立てをすれば、元の太い腕に戻るのだ。
(つづく)
| 2002年07月21日(日) |
アルバイト遍歴 その1 |
19歳から22歳にかけて、ぼくはアルバイトばかりしていた。 決まったバイトではなくて、そのつど場所も職種も違った。
19歳の時は、エッセイにも書いているが、警備のアルバイトだった。 その年の4月から7月中旬にかけて、ぼくは人生最大のスランプに陥っていた。 そのことから立ち直る足がかりになったのが、この警備のアルバイトだった。 仕事慣れしていないせいもあり、あまり楽しい仕事ではなかった。 周りの人とトラブルばかり起こしていたような気がする。 しかし、ここを経験したから、次のステップが踏めたのだと思う。 それを考えると、決して無駄なことではなかった。 その後、市のアルバイト、プロレスのリング作りなどをやった。
年末に友人に誘われて、運送会社のアルバイトをした。 そこはデパートのお歳暮の配達をやっていた。 ぼくが配属されたのは、仕分け部門だった。 デパートのサービスセンターでお歳暮を配達の地区別に分けていく仕事だった。 商品に地区番号を書いていくのがぼくの仕事だった。 ベルトコンベアから次から次に流れてくる商品に、素早く番号を書かなければならない。 地区番号を覚えるだけでも大変だった。 しかし、1週間たち2週間たつうちに、住所を見ただけで瞬時に番号が出てくるようになった。 仕事はそういうことで慣れていったのだが、困ったのは人間関係だった。 そこにはデパートに雇われた大学生のアルバイト、実習教育の高校生、それと運送会社から派遣されたぼくたちがいた。 高校生はともかく、大学生とぼくたちの仲がすこぶる悪かった。 「しんたは生意気だからフクロにしよう」と言っていた大学生もいたようだ。 ぼくも「上等やないか。受けて立つわい」などと言っていた。 まさに一触即発の陰険なムードだったが、結局ぼくと同じ運送会社から派遣されていた大学生が仲裁、というよりも「しんたに手を出したら。おれがただでは済まさん」と脅しをかけたおかげで、大事には至らなかった。 その後、その大学生たちはぼくに愛想を振舞うようになった。 1ヶ月ちょっとのバイトだったが、けっこう有意義なアルバイトだったと思う。 その後、年が明けてから、雪の舞う中での漬物の家宅販売などをやった。 それから、東京に出たのだが、当初は何もやらずに、まず東京に慣れようとした。 それから数ヵ月後に、東京でのアルバイト生活が始まる。 まずやったのが、ビル清掃のアルバイトだった。 場所は麹町、日本テレビのまん前にあるビルだった。 ここは時給1000円と割のいい仕事だったが、日に2時間しか働かせてもらえなかった。 おかげで、バイト料は1週間も持たなかった。 飲み代に消えてしまったのである。 しかし、このバイトは4ヶ月続いた。 帰りに新宿中村屋で、肉まんを買うのが唯一の楽しみだった。
次にやったのが、晴海の集中郵便局での仕分けのアルバイトだった。 午後4時から翌朝7時までの仕事だった。 アルバイトは学生が主で、中には東大生もいた。 ほかのバイト団体が東大生を取り囲むようにして、「なんで東大の人がここにいるんだ」などと言っていた。 東大生といえども、一学生である。 「そっとしといてやればいいのに」、とぼくたちは言っていた。 それにしてもこの仕事は、休憩時間や仮眠時間はあるものの、立ちっぱなしの仕事だったため、慣れないぼくにとってはかなりハードだった。 職員は全逓労働争議であまり来てなかったし、来ていても仕事をしない人が多かった。 この仕事が、割がよかったのかどうかは知らないが、一度行くと7000円にはなった。 ぼくはこの仕事を一日おきにやっていたのだが、オフの日は何もやる気が起きなかった。 飲みに行く機会もグッと減り、また本屋に行く気も起きない。 したがってタンスの引き出しの中には、万札が何枚も入っていた。 使う気も起きないのだ。 それにしても、薄暗く、空気の汚い仕事場だった。 朝仕事が終わり、勝鬨橋を渡って帰る時のすがすがしさは今でも忘れない。
海の日か。 さすがに今日は、海水浴に行く人もいなかっただろう。 昼間はかなり涼しかった。 昨夜ほとんど寝てなかったのだが、この涼しさのおかげで、なんとか昼間に寝ることが出来た。 普通この時期の昼間はかなり暑いので、クーラーをつけてないぼくの部屋では寝ることが出来ない。 これも時折降る雨のおかげである。
さて、子供たちはいよいよ夏休みである。 ぼくは小学生の頃、夏休みにひとつの楽しみがあった。 それはテレビで『夏休みお子様劇場』などと銘打って、マンガや子供向けのドラマの再放送をやってくれたことである。 こういうのは今でもやっているが、ビデオのなかった昔は、こういう番組は貴重であった。 マンガの『風のふじ丸』や『宇宙少年ソラン』、ドラマの『チャコちゃんハーイ』などは、この企画のおかげで、リアルタイムに見れなかったところのチェックが出来た。 ほかにも、『小川宏シュー』や『アフタヌーンショー』、『ライオン奥様劇場』など、普段は見ることの出来ない番組が見れるのがうれしかった。 登校日は、これらの番組をやっている時間帯にかかるので、ダッシュで家に帰ったものである。 中学になると、こういう番組に加え、『肝っ玉母さん』や『ありがとう』、高校の頃は『時間ですよ』などのドラマも見ていた。 ビデオのなかった時代のささやかな楽しみが、そこにはあった。
それはそうと、子供たちは今日からが夏休みなんだろうか。 それとも、今日は単に祭日による休みで、明日からが夏休みなんだろうか。 そのへんがよくわからない。 なぜ、こんなどうでもいいことを考えるのかというと、それは夏休みの宿題にかかわりがある。 夏休みの宿題は、今日から始まるのか、それとも明日から始まるのか、という問題である。 変にそのへんが気になっている。 今日から夏休みなら別にいい。 夏休みが一日多い分、宿題というリスクを負えばいいのだから。 しかし、明日から夏休みだとすると、それは腹立たしいことである。 宿題がないから、妙に浮かれて、ただ意味もなくデパートやスーパーなどに行って、店内で大声を出しながら鬼ごっこをする小学生が必ずいるのだ。 店内を走り回り、一般のお客さんに迷惑をかけることを屁とも思っていない。 店員が「走るな!」と注意すると、今度は早歩きで鬼ごっこをする。 それに飽きると、今度は店内にあるゲーム機やカード機のところにたむろしている。 こういうガキを見ていると、ほかに遊びを知らないんだろうか、とつい思ってしまう。 テレビばかり見ていたぼくもあまり偉そうには言えないが、テレビを見てない時間帯は野球やパッチン(メンコ)などに興じていたものである。 おかげで真っ黒だった。 最近は日焼けしている子をあまり見かけなくなった。
ぼくはタフである。 ただ今、午前5時である。 まだ起きている。 さすがに休みの前の日は強い。 どうせ朝から寝るのだろうが、明日も雨が降るらしいし、明日やらなければならないことは今日やり終えた。
さて、午前5時まで何をやっているかと言うと、リカバリである。 うちのパソコンが、ついにダウンしてしまった。 もはやこれまで、と思いリカバリに踏み切った。 夜半にデータのバックアップから始めて、4時頃にやっとインストールが終わった。 とりあえずは必要なソフトだけ入れて、この日記を書いている。
・・・、とここまで書いて眠ってしまった。 ただ今、午前8時半である。 夢を見ながら書いている。 もう一眠りしたら、頭の中に張っている膜のようなものも取れて、すっきりとした気分でこの日記と取り組めるのだが、そうすれば時間的にもうはや昨日の日記とは呼べなくなるだろう。 この日記は、「いかに40代の人間が、いかに自分をいじめていくか」という自虐的な要素も含んでいるので、こういう状態のほうがいいのかもしれない。
まだリカバリの続きをやっている。 ただ今、午前9時半である。 いったいいつになったら、この作業は終わるのだろう。 いったいいつになったら、この日記は終わるのだろう。 いったいいつになったら、この居眠り状態から解放されるのだろう。 そういえば、今朝またウィルスメールが送ってきた。 このところ毎日である。 誰が送ってくるのかは知らないが、しつこい。 このサイトでしか使わないメールアドレス宛に送ってくるので、おそらく荒らしの一種なのだろう。 しかし、そのメールアドレスに送ったって、携帯にしか届かないのだから、無駄だと思うのだが。 まあ、ぼくがその件について、この日記に書くことを心待ちにしている一ファンだということにしておこう。 それにしても悲しいウィルス君である。 他人のメールアドレスを勝手に使い、『ところで今日は画像を・・・』などという、いかにも胡散臭いタイトルをつけている。 ほかに気の利いたタイトルを思いつかんとかなあ。 ところでウィルス君は、「胡散臭い」という字は読めるんだろうか?
最近ウィルス君とともに、英語のメールが来るようになった。 これもホームページ用のメールアドレス宛にくる。 再三言っているが、ぼくは「英語が読めない・書けない・話せない」という、三拍子揃った純粋な日本人である。 さらに「外国人に近づかない」という信念まで貫いている。 ということで、これも無駄なメールである。 「読めんから、送らんでくれ」、と書くことも出来んわい。
さて、あれから一時間たった。 ただ今、午前10時半である。 昨日付けの日記も、もうこの時間帯が限度だろう。 これで更新しよう。 まるで、夏休みの宿題を9月10日に提出する気分である。
| 2002年07月18日(木) |
今年はいつ梅雨明けするんだろう? |
『セミ』
レコードにスプレーをかけた後で 夏を感じ始め、すだれに手を伸ばすと 一匹のセミが鳴きもしないでとまっている 雲は多く増えていくけど ああ、梅雨は昨日で終わったんだね
君はこのままどこかへ飛んで行くのかい 今風が吹いて、すだれがブランコのように このまま鳴くのかい このまま鳴くことも忘れて とまっているのかい
疲れ果てて水の音を聞きながら 気がついた時には、もうそこの風は飛ばされていて セミもいつか逃げていくのがわかる 今ジェット機は悔やみもせず、大海へ
つかまえようとしたら逃げてしまう かといってジッとさせているのももったいない 息を吹きかけてみよう ああもう眠ってしまったんだね
上の詩を書いたのは、高校2年(昭和49年)の7月20日、終業式の日だった。 その前日に梅雨明けしたのだが、終業式の日は厚い雲が垂れ下がり、今にも降り出しそうな天気だった。
その年の夏休みにはいろいろなことがあった。 夏休みに入ってすぐ、1年の時の担任の先生の引越しの手伝いに行って、無理やりビールを飲まされたことがあった。 体育の先生だったので、固いことは言わなかった。 「いいか、ここだけやけの。飲んだことは黙っとけ」と言いながら、ぼくに何杯もビールを注いだ。 ぼくも調子に乗って何杯もおかわりしたが、ぜんぜん酔わなかった。 代わりに、隣でコーラを飲んでいた同級生が酔ったようだった。 彼はまったくビールを飲んではいないのだが、雰囲気や臭いに酔ったのだろう。 帰りのバスの中で真っ赤な顔をしていた。
それから何日か後に、友人何人かと鹿児島、宮崎に旅行に行った。 行きの汽車で一泊、鹿児島指宿で二泊、宮崎青島で一泊、帰りの汽車で一泊、五泊六日の旅行だった。 汽車の中以外は、すべてキャンプだった。 天候にも恵まれ、いい旅行が出来た。 ただ一点、嫌なことがあった。 鹿児島から宮崎に向かう汽車の中で、友人がチンピラ風の男に絡まれたのだ。 友人が弁当を食べていると、その男がやってきて、「なーに、チラチラ見てんだよう」と凄んだ。 状況がつかめない友人は、「あっ?」とか「えっ?」とか言っていた。 時折そのやりとりが聞こえてくる。 「お前、どこから来たんだ?」 「北九州やけど」 「北九州と思って威張んなよ。おれは埼玉から来たんだ!」 それを聞いて、ぼくは噴出しそうになった。 だからどうした、である。 何が言いたいんだろう。 確かに不良たちの間では、北九州はガラが悪い、で通っているらしい。 しかし、それはあくまでも彼らの中のイメージである。 ぼくたちは、別に北九州から来たといって威張るようなことはしない。 友人はただ単に出身地を答えたまでである。 逆にチンピラ風のほうが、埼玉出身を威張りたかったのではないだろうか。 それにしてもくだらん言いがかりである。 この一件でその旅行の楽しさが半減したのかというと、そうではなかった。 宮崎に着いた時に偶然見たスポーツ新聞に救われた。 その新聞の占い欄に「負けるが勝ち」と書いてあったのだ。 それを見てまた楽しくなった。
そんなことがあったので、夏休みの前半はほとんど家にいなかった。 しかし、それは後半にしても同じことだった。 高校1年の同級会や、中学の同窓会などがあった。 ぼくにとっては、小中高を通して一番思い出深い夏休みになった。
そういえば、昨年の梅雨明けも19日だった。 さして楽しい夏でもなかったなあ。 今年はいつ梅雨明けするんだろう? ここにきて、雨の日が多くなった。
『通り雨』
通り雨犬といっしょに 夏、背中を濡らし 大きな雲が頭の上で 黒くにじこむ
息を詰まらす 俄かな夜の中を 走ってきた雲は光を放ち 大地を震わす
ついさっきまでの太陽の中 ぼくは影を落とし 座り込んでの手探りの中 もう帰ってこない
傘をさせる人は笑いなさい 深い水たまりの中で 車で行く人は急ぎなさい あの雲を超えて
通り雨ぼくと似た人が 黒い喪服を濡らし 降り続く雨はまた轟々と 影をにじます
いやはや、すごい雨だった。 昨日の日記を書いたあと、狂ったように雨が降り始めた。 空は真っ暗になって、時折雷も鳴っている。 「これは大渋滞に陥るな」と、ぼくは慌てて会社に行く準備をした。 いつもより少し早く家を出た。 その頃は雨はやんでいた。 この状態が続いてくれればいいが、とぼくは車に乗り込んだ。
運転し始めて2分ほどたった頃、また雨が降り出した。 最初は小降りで、だんだんと雨脚が強くなり、降り出して2,3分で土砂降りになってしまった。 免許を取って以来、こんな大雨にあったことはない、と思わせるほどの大雨だった。 空は真っ暗になり、フロントガラスに雨が叩きつけるので、見通しが悪くなった。 前の車は見えるのだが、距離感がまったくつかめない。 雨水が道路に氾濫して、まるで川のようになっている。 そのせいか、ブレーキの効きも悪くなっているように思える。 そういう状態の時に、3号線という一番交通量の多い場所に出た。 ラジオでは「福岡市内は今小降りです。雨雲は北九州の方に向かっているもようです。まもなく北九州地区は大雨になると思われます」と言っている。 思わずぼくは「もうなっとるわい」と、車の中で叫んでいた。
さて、その交通量の多い場所だが、今日はそれほど車の量は多くなかった。 9時をちょっと過ぎた頃だったので、通勤による渋滞はもはや終わっていたのだが、普段は大型トラックや営業車が多く走っている時間帯である。 おそらく、雨がやむのを待って待機しているのだろう。 ぼくとしては、それが返って好都合だった。 混乱もなく、スムーズに車は流れた。
最後の難所である戸畑バイパスでも、大きな混乱はなかった。 しかし、ここは坂になっている上、水はけが悪く、道路上を雨水が滝のように流れている。 ここで、いつも困ることがある。 対向車や追い越し車のハネがかかるのだ。 フロントガラスめがけて、大量の水が飛んできて、一瞬何も見えなくなる。 当然徐行はしているのだが、こういう場合思わずブレーキを踏んでしまうものである。 そういう時、車間を詰めていると、当然追突事故につながる。 今日もそういう状態だった。 幸い今日はみな車間を空けていたので、追突したりされたりはなかったが。
まあ、そういうわけで、なんとか無事に会社までたどり着いた。 予報では今日は一日、こういう天気が続くと言っていた。 しかし、会社に着いたとたん、雨は小降りになり、その後は晴れ間も出ていた。 午後からは完全に晴れていた。
いろいろなことをやっていたら、日記を書くタイミングを失ってしまった。 気がついたら、午前1時を過ぎていた。 日記はまだ一行もできてなかった。 眠くもなってきた。 いたずらに起きていても、日記が書けるとは限らない。 ここはひとまず寝ることにした。
ところが、寝るには寝たが、日記のことが気になっているせいか、たびたび目が覚めてしまう。 よく寝たな、と思って時計を見て見ると、3時半だった。 そのまま起きていてもいいのだが、仕事に差し支える。 そう思い、目を閉じた。
次に目が覚めたのは、4時20分だった。 起きるにはまだ早い。 今起きてしまうと、仕事中に居眠りしてしまうだろう。 いくらなんでも、3時間ちょっとの睡眠時間ではマイナスイオンの効かないだろう。 と思い、また目を閉じた。
今度は5時10分だった。 そろそろ起きようかと思った。 待てよ。 このまま起きたら、昼食後に昼寝をした時に起きられなくなるのは必至である。 仮に起きて日記を書くにしろ、何か書く内容はあるのだろうか? と自問自答してみた。 「酔っ払いおいちゃん」のことは昨日書いたし、今日は休みだったから、その後のネタがない。 「お茶の効用」についても、これはという展開がない。 少しわき腹から腰にかけての贅肉がとれた程度である。 しみのほうは少し薄くなっているようだが、ここに取り上げて書くほどの進展は見られない。 そろそろ「洋楽ベスト20」を始めるか。 しかし、まだリストアップも出来てない状況である。 今から始めたとしても、20位から18位まで書くのがやっとだろう。 ということは、「洋楽ベスト20」は今日のタイトルには出来ない。 などと、いろいろ考えてみたが、その答えは出てこなかった。 結局また寝た。
次に起きたのが5時40分。 外は明るくなっていたが、雨が降っている。 そういえば、夕方から風が強くなっていた。 今はそれほど吹いてないが、少しは風がある。 今回の台風が宮崎あたりにいた時、こちらのほうでは別段風が吹いているふうでもなかった。 雨がパラパラと降った程度である。 もはや関東を通り抜けたというのに、何で今頃風が吹くのだろう。 以前も、こんなことがあった。 ようやく梅雨が明けたと思ったら、週一の割合で台風がやってきた。 そのせいで気温が上がらず、その年はエアコンが売れなかったのを覚えている。 冷夏かと思いきや、お盆以降暑くなり、その夏は平年並みの気温だった。 しかし、夏はお盆までが勝負である。 こちらの祭りや花火大会は、すべてお盆前に行われる。 海水浴もお盆以降はクラゲが出るため、人出が極端に減ってしまう。 台風が来るのなら、せめてお盆以降にしてもらいたいものである。 などと思いながら、また寝た。
さて、今7時30分である。 起きたのは6時20分だった。 それからぼちぼち日記を書いたのだが、結局「就寝日記」になってしまった。 外は、相変わらず雨が降っている。 時折吹いてくる風が肌に冷たい。 さあ、そろそろ出かける準備をしよう。
最近また酔っ払いおいちゃんが来ている。 このおいちゃんは夏になると必ず店に涼みに来る。 そして、酒を飲み、他のお客さんを威嚇したり、店員に絡んだりしている。 一昨日は、お客さんが警察に通報したらしく、警察から事情聴取を受けていた。 昨日は昨日で、店内でタバコを吸ったらしく、店長からつまみ出された。 相変わらず大活躍しているようだ。
夕方、おいちゃんの声がした。 「なんか、こらぁ!!」、「きさま殺すぞ!!」などと言っている。 また始まった。 おいちゃんが怒鳴っている所に言ってみると、そこには若いカップルがいた。 どうもその二人に絡んでいるようだ。 「おいちゃん、何騒ぎよるんね」 「騒いでなんかないわい!」 「今、怒鳴りよったろうがね」 「普通にしゃべりよっただけたい」 「じゃあ、『殺すぞ!』とか言いなさんな。この二人に迷惑やろ」 「迷惑なんかかけてない」 「じゃあ、若い人の邪魔しなさんな。静かに座っとき」 「おう」 その後もしばらくしゃべっていたようだが、そのうち静かになった。
さて、閉店時間になった。 閉店準備をしに、出入口のところに行ってみると、まだおいちゃんがいた。 爆睡しているようだ。 ぼくと店長代理は、おいちゃんを追い出しにかかった。 「おいちゃん、起きり。もう時間よ」 おいちゃんは知らん顔して寝ていた。 「あんたがおるけ、店が閉められんやろうがね」 ぼくがおいちゃんの上半身を起こそうとすると、おいちゃんは起こされまいとして力を入れている。 「何ね、起きとるんやないね。早く出てくれんかねぇ。時間なんやけ」 するとおいちゃんは、壁を「バン!!」と力いっぱい叩いた。 そして、また寝た。 「おいちゃん、おいちゃん」 今度は死んだふりである。 「おいちゃん、いい加減にしときよ。そんなことするけ、新聞に『死んだふりをする』とか書かれるやろ」 おいちゃんは「死んだふりなんかしてないわい」と言いながら、起き上がった。 「もう時間よ」 「馬鹿じゃないんやけ、わかっとるわい!!」と、地下足袋のホックをはめだした。 しかし、そのまま固まってしまった。 ぼくが「また警察が来るよ」と言うと、おいちゃんは「何も悪いことしてないわい」と言う。 そしてまた寝た。
しかたがないので、店長代理と二人で、おいちゃんを担いで外に出すことにした。 が、体が小さいくせにに、このおいちゃんは重い。 まるで『子泣きじじい』である。 途中まで担いで、そこに下ろしてしまった。 それでもおいちゃんは寝たふりをしている。 また担ごうとすると、おいちゃんは目を覚まし、「一人で歩いていく。よけいなことするな」と言う。 そのままフラフラしながら、おいちゃんは店の外に出て行った。
台風の影響か、外はパラパラと雨が降っていた。 おいちゃんは、これからどうするんだろうか? また自転車で、戸畑署に行って死んだふりをするのだろうか。 それを聞こうと思ったが、おいちゃんはそのまま自転車で立ち去っていった。
何やら、また台風が近づいているらしい。 今月に入ってもう3度目だ。 今年は台風の当たり年なのかなあ。 前回は福岡直撃を避けられたが、今回は直撃するかもしれないと言っている。 しかし、また避けて行くような気がする。
東京にいた頃、よく友人から「福岡は台風が多くて悲惨だな」などと言われていた。 しかし、それは当たってない。 北部九州に台風が直撃するのは、年に一、二度くらいのものだ。 あとは、阿蘇・九重にさえぎられ四国方面に抜けていくか、消滅するかのどちらかである。
そういう意味では福岡は住みやすい所だといえる。 台風直撃は少ない。 地震はないに等しい。 とりあえず火山もない。 積雪も稀である。 都会の遊びもそこそこ満喫できるし、自然と戯れることもできる。 祭り好きな県民だから、祭も多い。 特に今月は、県内のいたるところで祭を見ることができる。 魚はおいしい。 玄界灘で獲れた魚は、身が引き締まって天下一品である。 お菓子もおいしい。 何度も言うようだが、「ひよこ」は福岡のお菓子である。 「チロリアン」も福岡のお菓子である。 日帰りで外国旅行ができる。 博多から釜山まで、高速船「ビートル」で2時間55分である。 飛行機で行けば、ソウルまで1時間10分である。 TOTO、ゼンリンなど、大手企業も多い。 特記すべきは、芸能人が多いということである。 高倉健、タモリ、郷ひろみ、井上陽水、千葉真一、高橋真梨子、浜崎あゆみ、チューリップ、武田鉄矢、チャゲ&飛鳥、藤井フミヤ、坂井泉水、Misia、椎名林檎、田中麗奈など、思いつくままに書いたが、あげたらきりがない。 作家や漫画家も多い。 松本清張、宇能鴻一郎、五木寛之、壇一雄、夏樹静子、畑正憲、つかこうへい、佐木隆三、村田喜代子、平野啓一郎、長谷川町子、松本零士、萩尾望都、鴨川つばめ、北條司、きうちかずひろ、業田良家、木内一雅、小林よしのりなど。
いつの間にかお国自慢になってしまった。 ぼくは東京に出る以前、あまり自分の住んでいる所には関心を持ってなかった。 まあ、芸能人を多く輩出するところだ、くらいの認識しかなかった。 それが、東京に出てから、一気に望郷の念に取り憑かれてしまった。 それまで何のテーマのなかった詩も、いつの間にか故郷というテーマが出来上がってしまった。 何事にしろ、一度は外から見てみるというのが大切だ、というのを思い知らされた。 こちらに帰ってからも、いつもあるのは「望郷」である。
以前ぼくたちの間で、「福岡を首都にしよう」と言う話が出て盛り上がったことがある。 「そうなれば、玄界灘沿いは湘南になるね」 「湘南サウンドが、玄海サウンドになるわけか」 「今、玄海サウンドになっているのは『無法松の一生』と『花と竜』くらいか。任侠物ばかりやのう」 「横浜がハマと呼ばれるように、小倉がクラと呼ばれるようになるんですかねえ」 などと馬鹿なことを言っていた。
4時59分から博多祇園のクライマックス「追い山」があるのだが、今それを見ようと思い、必死に起きている。 しかし、もう限界だ。 明日は仕事だし。 やっぱりビデオに録って見ることにしよう。
| 2002年07月13日(土) |
プロ野球オールスター戦 |
今日、あるダイエーファンの人からぼく宛にメールがきた。 見てみると、夕刊フジの記事が書いてあった。 読んでいくうちに、ぼくはだんだん怒りがこみ上げてきた。 ぼくのようなパ・リーグファンにとっては、実に屈辱的な内容がそこに書いてあったのだ。
『パの貧投露呈、1リーグ制も時間の問題?』(夕刊フジ編集委員・江尻良文)と銘打った記事がダラダラと続いている。 初っ端から、「球宴におよそ似つかわしくないメンバーばかりの、パ・リーグの無名投手陣」である。 誰が無名投手陣なんだろう? 自分が知らないだけじゃないか。 阪神ファンの人には申し訳ないが、ぼくは井川なんか知らない。 阪神の試合を見たことがないからだ。 ぼくにとっては、井川は無名選手である。 それと同じことを彼は言っているのだ。
続いて、「セ・リーグだったら、主力になれない投手ばかり」と書いている。 しかし、たまたま負けたからといって、そこまで言うことないだろう。 負けたら相手方の主力になれないというのなら、先日サッカーのW杯で韓国に負けたイタリヤやスペインの選手は、Kリーグの主力にはなれないのだろうか? しかも彼にとって、イタリアやスペインの選手は、未知の選手が多かったはずである。
「『結局、西武・松坂、ロッテ・黒木の2人しかパ・リーグのスター投手はいないということが、わかってしまったオールスターだ。2人がいないと、どうにもならない』と、某球団関係者が嘆くのもわかる」とは、どこの球団関係者が嘆いたのだろうか? こういうことを球団関係者が言ったからといって、なぜ「某・・・」と伏せる意味があるだろうか? 本当にそういう声を聞いたのなら、球団名をちゃんと記さないことには説得力がない。 「○○球団の、××氏が言っていた」となぜ言えないのだろう。
どうもあとの文章からすると、彼の言う「スター」とは、マスコミ露出度の高い選手のことを言うらしい。 そのマスコミがパリーグで取り上げるのは、黒木や松坂ばかりで、他の選手はあまり取り上げてはいない。 これでは、スターになりようがないではないか。 巨人のユニホームを着ているというだけで、しょうもない選手でもスターになれるという現実を知っておくがいい。
「東京ドームでのオールスター第1戦、パ・リーグの先発が、・・・、西武・三井浩二というのが」無名投手陣を象徴しているなどと馬鹿なことを言っている。 パ・リーグファンなら、西武の三井のことは誰でも知っている。 もしかしたら、福岡県では井川よりも三井のほうが有名かもしれない。
「三井だけではない。パ・リーグ投手陣全員のメンバーを見て、一般的なファンがどれだけわかるだろうか。 ファン投票中継ぎ投手が西武・森慎二、抑え投手はダイエー・ペトラザ。監督推薦で西武・豊田清、近鉄・パウエル、岡本晃、ダイエー・若田部健一、吉田修司、日本ハム・隼人、オリックス・金田政彦、山口和男、ロッテ・小林宏之」 ぼくは全部知っている。 これらの選手を知らないというのは、こういうマスコミ業界に携わっていながら、ぜんぜんパリーグのことを勉強してこなかった、江尻氏の落ち度である。 ここ3年間の日本シリーズを見た人なら、最低ダイエーのペトラザや若田部、近鉄のパウエルや岡本は知っているはずだ。 自分の無知をパ・リーグの選手のせいにするな。
「『オールスターに出てくる投手がこの程度なのだから、パ・リーグの主力打者が打って当然だし、成績は水増しだと思わなければいけない。パ・リーグ出身の阪神・片岡、アリアスが、セ・リーグの投手相手に苦戦しているのも、納得できる』という、球界関係者の言葉は核心を突いている」 だから、誰が言ったんだ?。 パ・リーグの勉強をまったくやってないあんたから、えらそうに「核心を突いている」などと言われたくないわい。
「阪神・アリアスが昨年までの同僚、オリックス・山口から特大アーチ。片岡もダイエー・ペトラザから一発を放ったのも、裏付けになる」 いったい、昨年アリアスがどれだけの活躍をしたというのだろう。 アリアスは阪神に行ってよくなった、というのが一般的な見方である。 一方の片岡は、昨年不振だったじゃないか。 だいたい、昨日のホームランは打者を褒めるべきであって、投手をけなすべきことではない。 あの阪神の選手でも、パ・リーグのピッチャーなら打てる、と言わんがばかりではないか。 こういう書き方に、阪神ファンは憤慨しないのだろうか。
いつも言われていることであるが、マスコミが巨人中心に回っているので、パ・リーグに光が当たらないのは当然である。 その中で有名になることがどれだけ大変なことか、セ・リーグしか見てない江尻氏にはわからないだろう。 とにかく、巨人松井と近鉄中村ばかり映し、サッカーのせいで盛り上がりが欠けたといわれる、プロ野球オールスター戦は終わった。
前に「この指とまれ」というところに登録している旨を書いたことがある。 今日久しぶりに覗いて見たのだが、何かメッセージらしきものが入っているのに気がついた。 そのメッセージは同じ年に卒業した人、つまり同級生から届いたものだったが、名前を見てもピンとこない。 同じクラスになったことがないし、しかも女子である。 メッセージをくれた人には申し訳ないが、そういえばいたかな、くらいの記憶しか、ぼくは持ってない。
さてメッセージのほうだが、何と昨年の12月12日22時22分にくれたものだった。 コメントに「頭真っ白です」などと書いているものだから、心配して書いてくれていたようだった。 一瞬どうしようかと考えた。 返事を書かなくても、半年以上もたつのだからもう時効だろうと思う自分と、いやいやそんなことではだめだ、不義理なことをするなという自分がいる。 何とか時効派の自分を抑えて、義理派の自分が勝った。 一応、メッセージに気づかなかったお詫びを書いたが、メインの「頭真っ白」をどう書こうか。 「白毛一族」の説明などを書いてしまうと、「何なんだろう、この人は・・・」と思われかねない。 考えたあげく、ホームページのURLを書いておいた。 「頭真っ白」に関しては、ホームページを見てもらうのが手っ取り早い、という判断からである。 「この指とまれ」が格好の宣伝の場になったわけだ。 これが広がれば、このサイトも「同窓会」のサイトになってしまうかもしれない。 まあ、その際は裏サイトという形で、こことは切り離してやっていくことになるだろう。 しかし、そうすれば内容も少し変えなければならないので、またまた寝る暇がなくなってしまう。 タイトルを「頑張る・頑張る40代!!」とでもするか。
ところで、今日の日記が遅れた理由は、パソコンの調子がおかしいからである。 起動させてから20分ほどまったく動かない、いったん動き出すと大丈夫なのだが。 これはウィルスのせいではないようだ。 何度もウィルスバスターでチェックを行ったが、「ウィルスは検出されませんでした」の表示がでる。 しかし、こういう状況になったのは、ウィルスメールがきだしてからである。 同じ内容のメールが、ここ数日毎日のようにきている。 いちいち対処していくのも面倒なので、そのメールはiモードでしか開けないようにした。 それにしても、起動に時間がかかりすぎる。 システムがおかしいのかもしれない。 一度リカバリをしなければならないのかなあ。
世はマイナスイオンブームである。 「あるある大事典」で取り上げられた頃から、ぼくの周りでも「マイナスイオン」という言葉が聞かれるようになった。 その放送からしばらくして、取引先の人が「マイナスイオン」商品なるものを持ってきた。 「うちも、先日『あるある大事典』で取り上げていた、マイナスイオンを使った商品を開発しました」と言って、ドライヤーを取り出した。 ぼくは「あるある大事典」を見たことがないので、突然「マイナスイオン」と言われてもピンと来なかった。 そこで、その取引先の人に「マイナスイオンとは何か」と聞くと、「空気のビタミン」と称されている、実に体に良いものだと言う。 「絶対売れますから」というので、半信半疑ながらその商品を仕入れてみると、これが売れる売れる。
その後も、マイナスイオンがらみの商品が数多く出てきた。 ドライヤーのほか、エアコン、扇風機といった家電製品。 パソコンなどに貼り付けるシールのようなもの、ドライヤーの先っぽにつけるクリップのようなもの、扇風機のカバー、エアコンのカバーやフィルター、ネックレス、ブレス、リング、シート、布団、枕等々。 「これでもか」というように、いろいろなマイナスイオン製品が発売される。 しまいにはトルマリンの原石まで売る始末だ。 この原石を水の中に入れると、健康水ができるという。 一度、その原石をサンプルとして持ってきた大阪の業者がいる。 「サンプルなら一個ちょうだい。試してみるけ」とぼくが言うと、その業者さんは、「何をいいますんや。今日が初日なのに、サンプルなしでどうやって売り込みできますんや」と言って断った。
しかし、ここまで「マイナスイオン、マイナスイオン」と言われ出すと、売る立場のこちらとしても、試してみないと売り込みの際の説得力がなくなってしまう。 そう思って、3週間ほど前にマイナスイオンブレスを買って、つけてみた。 ぼくが買ったのは、石製や金属製のではなく、輪ゴムの親分みたいなものだから、腕につけていても重くもなければ違和感もない。 寝るときも、風呂に入るときも、文字通り肌身離さず今日まで装着し続けた。
で、効果はというと、心身とも実に快調、とまではいかないが、そういえば肩のコリがなくなったような気がする。 また、長いこと背中の筋が腫れて痛かったのだが、それもなくなったような気がする。 「まあ、なんとなく」「そういえば」という程度の、気分的な効果はあるようだ。 あ、もう一つあった。 仕事中によく睡魔が襲ってきたのだが、それがなくなった。 頬をひねろうが、顔を洗おうが、目薬を差そうが、何をやっても取れなかった眠気が、このブレスのおかげ(?)で、まったくなくなっている。 これは特記すべきことである。
しかし、「これしてると、居眠りしなくなりますよ」では、今ひとつインパクトに欠ける。 「マジっすかあ? これしてるとホントに眠気がなくなるんすかあ?」と感動して買っていく人は、まずいないだろう。 医療器具ではないので、健康面で訴えていくこともできないし、やはり「気分」というような、抽象的なもので訴えていくしかないのだろうか。 まあ、今はブームの真っ最中だから、「マイナスイオン」とPOPにでも書いていれば、勝手に売れていく。 しかし、「これは!」とお客さんを唸らせるような、絶対的な効果を発見しない限り、ブームのままで終わってしまうだろう。 そのブームが去ったときが怖い。 在庫が残ったときの事を考えると、ゾッとする。 ルービックキューブ然り、たまごっち然り、である。 それを避けるため、これをブームとして終わらせないためにも、われわれ販売員は勉強していかなければならない。 それこそマイナスをプラスにする努力が必要である。
「♪隣のあの子は 大塚娘 あいつの彼女も 大塚娘 ああなんて素敵な 大塚美容整形外科」という歌が耳について離れない。 今日はテレビで、この歌ばかり聴いたような気がする。 あのCMはネコが主役だから、あのネコが歌っている、ということなのだろう。 ネコに歌わせるな!
そういえば2,3日前に、テレビで美容整形の話をしていた。 たしかNHK教育テレビだったと思う。 韓国人と日本人の比較をやっている番組だったのだが、その中で韓国人は整形に関しては実にオープンである、と言っていた。 何でも、親や彼氏が整形費用をプレゼントするというのだ。 特に高校の卒業写真を撮る前に、プレゼントされることが多いらしい。 そして、整形前の写真は全部捨ててしまうということだ。 これでは、思い出も何も残らないだろう。
会話の中でも、ごく普通に「あなた、鼻をもっと高くしたほうがいいわよ」などと言う、という。 言われたほうも、「あら、そう。じゃあ、今度やってみるわ」と答えるらしい。 言ったほうも言われたほうも、実にあっけらかんとしている。 日本でこんなことを言うと、大変なことになるだろう。 言ったほうと言われたほう、この二人は一生絶交状態である。 悪くすれば、裁判沙汰にまで発展するかもしれない。
そういえば、その番組ではこういうことも言っていた。 ある日本人が韓国に旅行に行った時、たまたま入った食堂のおばさんから、「あなた処女?」と聞かれたという。 これも日本では失礼に当たる。 しかし、韓国ではこれもごく普通の会話なのだという。 これもお国柄なんだろう。
呉善花さんも、韓国人と日本人は顔はよく似ているが、考え方がまったく正反対で、このギャップに戸惑う人が多い、と書いている。 彼女はこのギャップを埋めるのに、かなりの時間を要したという。 もし、今回のW杯の影響で、韓国が好きになり、ハングルを勉強しようと思う人がいたら、一度呉善花さんの著書を読んでみたらいいと思う。 おそらく、韓国の人との付き合い方の参考になるはずだ。
話は変わるが、昨日から今日にかけて、アクセス数がかなり増えている。 このサイトは二重カウントを防止しているので、そんなにカウントが増えるはずはないのだが。 おかしいと思って調べてみると、「日記才人」からの訪問が異常に多いことがわかった。 普段「日記才人」から、ここを訪れる人はほとんどいない。 無視されているのと同じ状態である。 それがこの二日間で、それまでの訪問者数を上回る人が見に来ているのだ。 これは絶対何かあると思い、そのサイトを隅から隅まで見てみた。 あった! 「日記じゃんくしょん」というコンテンツの中に「頑張る40代!」の文字を見つけた。 一昨日の日記、『間違い電話』に関してのコメントを龍成さんという方が書いてくれていたのだ。 どうやら、多くの訪問者の方々は、それを読んで飛んできてくれたらしい。 問題解決。 これで眠れるわい。
『最後に』 龍成さん、ありがとうございます。 今のところは大丈夫みたいですよ。 何かあれば、また日記で報告します。
| 2002年07月09日(火) |
台風が近づいているそうな |
台風が近づいているというが、北九州はまだ風も吹いてない。 とはいえ、今日は朝から雲が厚く覆っていた。 せっかくの休みなのに、こういう天候では外に遊びに行く気もしない。 ということで、今日は一日家の中にいた。 昼まで寝て、起きてからはずっとパソコンをいじくっていた。
どうも最近パソコンの調子が悪い。 勝手に再起動するは、起動時はかなりの時間がかかるは、他にもいろいろな不具合がある。 今日たまたま読んでいた本に、そういう特集が載っていた。 そこにいろいろな対処の仕方が書いてあったので、それを実践してみることにしたわけだ。
ところが、こちらはパソコンに関しては、まったくの素人に毛が生えた程度の未熟者である。 図入りの解説がついているものは何となくわかるのだが、専門用語ばかりで書かれたものは、まったくチンプンカンプンである。 おまけに英語のサイトからダウンロードしてくれ、というのまである。 日本語で書いている箇所でさえ苦労しているのに、何が英語だ。 自慢じゃないが、英語はまったくわからんわい。 特に英語のサイトは講釈が多くて、ダウンロードの置いている場所がわかりづらいときている。 四苦八苦しながらも、その箇所にたどり着き、何とかダウンロードに成功したが、今度の敵は「REED ME」である。 もちろん、全文英語である。 「もうどうにでもなれ」という気持ちで、「REED ME」を無視したインストールが始まった。
今日は一日そういうことの繰り返しだった。 何度パソコンを再起動させただろう。 気がついたらあたりは暗くなっていた。 他の作業は何一つ出来なかったが、無駄ではなかった。 ああじゃない、こうじゃないとやっていくうちに、何となく動きもよくなってきたのだ。 そういえば、一番調子のよかった時よりも、動作が速くなっているように感じる。
やってよかったな、と一安心していたところに、あいつが来てしまった。 ウィルス君である。 それも2通着ている。 一件は外人さんからだった。 「いいゲームがあるよ」とのことだった。 ゲームにはまったく興味がないので、さっさと捨てさせてもらった。 もう一件は国内からだった。 一般的なプロバイダを使っている。 タイトルが『ところで今日画像を追加したんで』、だそうな。 しかし、ぼくの使っているメールソフトは、画像を見れないようにしている。 おまけにウィルスバスターが目を光らせている。 これは残念。 アクセス数30000突破のお祝いで、わざわざくれたんだろうに。 悪いことをしましたわい。 今度からは、そういう画像は一人で楽しむようにして下さい。
朝、突然携帯電話が鳴った。 「もしもし」 男性の声だった。 「はい」 「ヤマダタケシさんですか!?」 「違いますけど」 「えっ、ヤマダタケシさんじゃない!?」 「ええ」 「電話番号言ってくれませんか!?」 「090・・・・」 「はー、ヤマダタケシさんじゃない。そうですか!わかりました!! ガチャッ」 失礼な電話である。 周りにお客さんがいなかったら、文句を言っていただろう。 携帯使い出してから、こんな不愉快な電話は初めてだった。 こういう場合、相手を確かめる前に、まず自分の素性を明かすべきだ。 電話番号を聞く前に、「すいませんが」がない。 語尾に力を入れるな。 ため息をつくな。 最後は「申し訳ありません」だろうが。 こんな奴からの電話なら、仮にぼくがヤマダタケシであったとしても、「違います」と言うだろう。 どうせろくな電話ではないはずだ。
間違い電話の場合、相手に電話番号を確認することはよくあることである。 その時は、「申し訳ありませんが、よろしかったらそちらの電話番号を教えていただけませんでしょうか?」と言うのが礼儀である。 ぶっきらぼうに「・・言ってくれませんか!」と言われたら、誰でも頭にくるだろう。 しかも、間違い電話をかけているのは、そちらのほうなのだ。
ぼくの家に電話がきたのは、小学6年生の時だった。 たぶん覚えやすい番号だからだと思うが、その頃から、よく間違い電話がかかっていた。 その中に、今でも忘れない、最悪の間違い電話がある。 それは、ぼくが中学1年の時だった。 「もしもし」 女の子の声だった。 「はい」 「○○さんのお宅ですか?」 「いいえ違いますけど」 「あ、すいません。間違えました」 受話器を置くと、また電話がかかった。 「もしもし」 「はい」 「○○さんのお宅ですか?」 「いいえ違いますけど」 「おかしいなあ。・・・すいません」 それから、またすぐに電話がかかった。 さっきの人である。 「もしもし」 「はい」 「あ、違う」 「また違ったみたいですね」 「あのう」 「は?」 「どうして出るんですか?」 「え? 電話が鳴るから出たんですけど」 「出ないで下さい」 「『出ないです下さい』と言われても、電話が鳴るから出ないわけいかないでしょうが」 「じゃあ、お金返して下さい」 「あんたねえ、自分が間違ってかけてるくせに、そんな言い方ないでしょ」 「あなたが出るから、私30円も損したんですよ」 「そんなこと知りません」 「お金返してください」 「そんなにお金が欲しけりゃ、ここまで取りに来て下さい!」 「・・・、ガチャッ」 間違い電話、つまり迷惑電話の一つである。 どうして、迷惑をかけられたほうがお金を払う必要があるのだろう? やくざに絡まれているようなものである。
さすがにこういう電話は、これが最初で最後である。 しかし、相変わらずうちには間違い電話がかかる。 何年か前だったが、よく留守番電話に、「毎日新聞ですか?」という電話が入っていた。 「毎日新聞さんですか?今日の朝刊がまだきてないんですけど」 「毎日新聞、止めたいんですけど」 「毎日新聞ですか?集金に来て下さい」 「毎日新聞さん、読売はもっといいものくれると言ってましたよ〜」 最初のうちは、こちらから毎日新聞に電話して、「こういう電話がうちに入りました」と言っていたのだが、ほとんど毎日なので、ぼくは留守番電話のメッセージを変えた。 『はい、しろげです。ただいま留守にしています。御用の方は、ピーという音の後にご用件を入れて下さい。なお、こちらは毎日新聞ではありません。もちろん、取次ぎもいたしません。それでよろしかったら、入れて下さい。ピー』 このメッセージに変えてからは、さすがに間違い電話はなくなった。 しかし、中に「朝日ですか?」という人が、一人だけいた。
| 2002年07月07日(日) |
アニメのエンディングテーマ |
『バン・ボ・ボン』という歌を知っていますか? と、突然質問形式で日記を始めたが、このサイトを見ている年代の方なら、誰もが一度は耳にしたことがある歌だと思う。 この歌の出だしは、「♪青い、青い空に、バンボボボン」。 もうおわかりだと思う、「アタックNo.1」のエンディングテーマである。
では、もうひとつ。 『みなし児のバラード』は? これは凄いタイトルである。 おそらく今なら、こういうタイトルはつけられないのではないだろうか。 この歌は「タイガーマスク」のエンディングテーマである。 「♪あたたかい人の情けも 胸を打つあつい涙も 知らないで育った ぼくはみなし児さ」 あの威勢のいい主題歌からはちょっと想像できない、暗いエンディングである。
次はすぐにわかると思う。 『カランコロンの歌』 そう、「ゲゲゲの鬼太郎」のエンディングテーマである。 もっと気の利いたタイトルを考えつかなかったのだろうか? このタイトルなら無題と同じである。 歌の出だしをタイトルにするのは、詩の世界ではよくやることである。 しかし、歌の世界でこれをやりだすときりがなくなってしまう。 例えば「リボンの騎士」のエンディングは、『タラリラッタの歌』にしなければならなくなる。 ちなみに、その歌は『リボンのテーマ』というタイトルである。
『悟空が好き好き』 「悟空の大冒険」のエンディングテーマである。 こういうのはやめてもらいたい。 「♪アッコちゃん アッコちゃん 好き好き」といった歌詞の中でならならともかく、タイトルに「好き好き」などとやられると、どうもストレスが溜まってしまう。 これは『悟空が好き』で充分だろう。
『いたずらの歌』 これは有名である。 言わずと知れた、「魔法使いサリー」のエンディングテーマである。 よし子ちゃんの「おやつあげないわよ」の声が、今でも耳に残っている。 「・・・女の子なんか いじめちゃえ(おやつあげないわよ)」 「・・・勉強嫌いが たまにきず(いいぞ、お姉ちゃん)」 「・・・こわいものなど あるもんか(ホントかしら)」 「かわいいサリーは 人気者(ちぇ、しょってら)」 1番から4番までの終わりの部分であるが、この歌を聴いてぼくは、いつも「何でスミレちゃんは出てこないんだろう」と思っていた。 でも、ぼくはよし子ちゃんのファンだったので、そう気にはしなかったが。 そういえば、この「魔法使いサリー」にはもう一つエンディングテーマがあった。 たしか『魔法のマンボ』というタイトルだったと思うが、こちらはあまり印象に残っていない。
今日、仕事から帰って、そういう歌の入ったCDをハードディスクにコピーしていたので、こんな内容の日記になってしまった。 しかし、そこに新たな発見があった。 興味のない人にとってはどうでもいいことであるが、『アニマル1』の主題歌は、あの朱里エイコが歌っていたのだ。 この発見は、ぼくにとって意義のあることである。 ちなみに、このアニメのエンディングテーマは『ナナコの歌』である。 これはぼくにとっても、どうでもいいことである。
もう一つ発見した。 「冒険ガボテン島」というアニメがあったが、その挿入歌に『いつもコンビで』という歌がある。 その歌を歌っている人を見て、ちょっとした感動を覚えた。 その人の名は、杉山佳寿子。 「知らん」という人もいるだろうが、この人の声は大変有名なのである。 何が有名かというと、あのハイジの声なのだ。 ちなみに、ペーターの声は小原乃梨子である。 この人は「ドラえもん」でのび太の声をやっている。 ちょっとイメージが違うなあ。
台風の影響か、朝からかなり強い風が吹いていた。 ぼくが朝からイラついていたのも、台風のせいかもしれない。 出勤時のことである。 家から30メートルばかり行ったところに、幹線に入る信号があるのだが、ぼくはそこには行かない。 裏道を通って、信号のないところから幹線に入っているのだ。 その裏道で、ドキッとしたことがあった。 幹線に向かっていると、突然路地から車が出てきたのだ。 一時停止をするでもなく、そのままぼくの前に出た。。 時々こういうことがあるので、ぼくはその道を走るときには徐行気味に走っている。 そのおかげで大事には至らなかったが、危うく接触するところだった。 その車は謝るでもなく、さっさと幹線に入ってしまった。 ぼくは怒りのぶっつけどころがないまま幹線に入った。
しばらくムカついていたが、3号線に出る頃には収まっていた。 ところがである。 3号線に出てから少し行ったところに、2車線から3車線に変更になるところがある。 ご存知の方には、JR黒崎駅前と井筒屋の境目、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。 ぼくは左の車線を走っていたのだが、ちょうどその境目、あと3メートルも行けば3車線になるところで、前の車が突然ウィンカーをあげ停車した。 その車をよけるためには右車線に入らなければならない。 その辺は北九州でも特に交通量の多いところである。 そう簡単に右車線に入ることは出来ない。 もちろん、前の車が3車線の左によってくれれば、別によけずに進めるのである。 そこでぼくは、先ほどのこともあったせいで、普段鳴らさないクラクションをガンガン鳴らした。 すると、ぼくの後ろの車(トラック)も、いっしょになってクラクションをガンガン鳴らしだした。 やっと前の車は、自分の車が後ろに迷惑をかけていることがわかり、左の車線に進んで行った。 ぼくは車の中で「あいつを死刑にしろ!」と叫んでいた。 ぼくは3号線の右折車線でないところで右折する車がいると、いつも「あいつは死刑だ!」と思っている。 今日の場合も同罪である。 道を塞ぐ罪は重たい。 しかし、クラクションをガンガン鳴らすと気持ちいいものである。 暴走族の兄ちゃんの気持ちもわからなくはない。
気持ちいいことといえば、昼間のこと。 使い捨てライターのガスが切れた。 机の中にあったな、と探してみると、10個近く見つかった。 しかし、どれも火がつかない。 ガス欠である。 仕方がないので、新しい使い捨てライターを買ってきた。 今までと同じように机の中にしまっておこうと思ったが、どうも古い分が気になる。 『こういう場合、古いライターはどこに捨てたらいいんだろう?』 そう思ったぼくは、さっそく�颯癲璽匹埜〆�してみた。 しかし、答えは出てこなかった。 仕方ないので、市のごみ処理場に電話して聞いた。 「あのう、使い捨てライターの使えない分がたくさんあるんですけど、どうやって捨てたらいいでしょうか?」 「たくさん、ってどのくらい?」 「10個ばかりです」 「ははは。10個くらいなら、普通のごみに混ぜて捨てて下さい」 「もっとある時はどうしたらいいんですか?」 「ああ、元々使い捨てライターは、こちらで処理したらいけないようになってなってるんですが・・・」 「じゃあ、そういう場合どこに捨てたらいいんですか?」 「・・・。とにかく今回はこちらに捨てて下さい。で、ガスは入ってないんでしょう?」 「はい」 「でも、念のために割ってガスを抜いて下さい」 「はい」 結局、本来どこに捨てたらいいのか、わからずじまいだったが、今回の分だけは生ごみといっしょに捨てることにした。 あとは1,2個単位で捨てていくので、別にかまわないだろう。
しかし、ライターを割るのには苦労した。 最初、マイナスドライバーをライターに当て、そのドライバーをトンカチで叩いて割った。 すると、そのうちの何個かが「パン」という音を出した。 『こりゃ爆発するばい』と思い、他の方法で割ることにした。 そこで考えたのが、外で古いライターを一列に地べたに並べ、そこにブロックを投げつけるということだった。 3度ほどやってみたが、これがまた気持ちいい。 もっとやりたかったが、そこまでライターの数はない。 仕方なく、今日はそこまでにしておいた。 明日、家から古いライターを持って行って、またやってみるか。 しかし、暇だなあ。
月明りのレスも終わったし、そろそろ日記にとりかかろうと思っている。 タバコを一服して始めるとするか。 しかし、また「暇つぶし掲示板」が開かない。 この間もそうだったし、あそこもわりと不安定なんだなあ。 何か書いてくれている人がいたら、すいません。 開くようになったら、必ずレスしますから。
ところで、その「暇つぶし掲示板」のほうに、荒らしまがいの書き込みが何件かあった。 書き込みの内容は、「それまでは苦労したが、あるHPに出会い、希望が見えてきた」というものだ。 そこにはURLが書かれていて、そこをクリックすると、おいしそうな話がいろいろと書いてあるサイトに飛ぶ。 見たとたんに、ここは「Aか?」、はたまた「Kサービスか?」と疑いたくなるようなサイトである。 いちおう、「暇つぶし掲示板」に書かれた内容はメールでくるようにしているのだが、あまりのばからしさに、そのメールは削除してしまったので、掲示板が開くまで詳しい内容の再確認が出来ない。 まあ、興味がある人は、掲示板が開くようになってから確認してみて下さい。
昨日書き込んだ人は、奨学金200万円が返せた、と言っていた。 終いには、今の仕事を辞められると言って喜んでいた。 その前に書き込んだ人は、親の介護で精神面、金銭面で疲れ果てていたが、このHPに出会って救われた、と書いていた。 彼らはどういうわけか、そのことを「幸せ」だと捉えている。 何が「幸せ」だ! 要は、金が工面できた(できそうだ)、というだけの話じゃないか。 そういうことを「幸せ」と認識しているのなら、ぼくはそれを書いた人の価値観を軽蔑せざるを得ない。
世の中には、金や社会的な地位でしか、幸せの度合いを測ることが出来ない人がいる。 おそらく、掲示板に書き込んだ人たちも、そういう手合いの人なのだろう。 そういえば、前の会社の人間にもそういう人がいた。 前の会社を辞めて何年か後にその人と飲んだことがあるのだが、その時その人は「お前、年収どのくらいある? おれは今、900万もらいよるぞ」と言っていばっていた。 その後、ぼくはその人と会ってない。 その人と会うことを拒んでいるのだ。
「こういう儲け話があるんやけど、一口乗らんか?」と言ってくる人もいる。 「そんなに儲かるんなら、一人でやればいいやろ」と言うと、黙ってしまう。 また、「いやー、本業より儲かるんよねえ」と言う人もいる。 「じゃあ、今の仕事辞めて、それに専念すればいいやん」と言うと、口ごもってしまう。 人に迷惑をかけているということに気づかず、友だちを失っていく人間のどこが「幸せ」だと言うんだ!?
以前、荒らしにあった時、「頑張る荒らし君!」という掲示板を作ったが、今度は「頑張るハッピー君!」という掲示板を作らないとならないようだ。 その際は、ちゃんとそこに書き込んでもらおう。 書き込んでもらったら、必ずレスしますから。
意外な事実を知った。 それは、先週夜間の店内で暴れていた小動物は1匹ではなかった、ということだ。 日替わりで二ヶ所のセンサーに引っかかっていたのだが、それぞれ違う動物だった。 一匹はおなじみのイタチ君。 あとの一匹が、なんと黒猫だったのだ。 そういえば、イタチ君が現れる場所、つまりぼくのいる売場付近と、もう一ヶ所の倉庫側の付近の臭いは違ったものだった。 もう一ヶ所のほうは、人間の汚物に近い臭いがしていた。 おそらく、二匹でバトルを繰り返し、興奮した状態でこちらが仕掛けた毒饅頭を食べたことだろう。 とうとうイタチ君は現れなかったが、黒猫のほうは倉庫の奥で死体となって見つかった。 死骸は生ごみとして処理し、死骸のあった場所は店長が塩をまいて清めたそうである。
さて、店長とその話を事務所でしていた時のこと。 事務所の入り口で店長を呼ぶ声がした。 「てんちょー」 パートさんだった。 店長は「あ、何ね?」と言いながら、ぼくの前を通ろうとした。 その通路が狭かったのか、店長はぼくの足につまずいて、フラフラとよろけてしまった。 ぼくは思わず、「何をよろめいてるんですか?」と言った。 すると、店長は顔を真っ赤にして「誰がよろめきよるんね」と言った。 そうだった。 ここは、「何をよろけてるんですか?」と言うべきだった。 ぼくたちの時代は使ってなかったが、ぼくより上の年代の人は、この「よろめく」という言葉に深い意味があるのだ。
ぼくが中学生の頃、麻田ルミ主演の「おさな妻」というドラマがあった。 「♪おさない妻と 人は言うけど 愛することに かわりはないわ・・」という主題歌で、麻田ルミ本人が歌っていた。 ぼくは時々その番組を見ていたのだが、タイトルのわりには健全なドラマだった。 そのドラマの中で、「二人はよろめいているの」というセリフがあった。 ニュアンスとしてはよくわかる言葉である。 が、ぼくはその言葉に、えらく古めかしく、かつ艶かしいものを感じたものだった。 では、ぼくたちが同じ意味のことを言うのに、どういう言葉を使っていたかというと、「二人は出来とう」である。 今と何も変わらない。 『ふーん、店長の時代はこういう言葉を使っていたのか』と思っていた。 そして、今日は店長の顔を見るたびに「よろめきおじさん」と言ってからかってやった。
家に帰ってから、この日記をつけるために、ちょっとその「よろめく」という言葉を調べてみた。 ところが、そこにはぼくが認識している意味と違った意味が書かれていた。 それは、「誘惑にのる。特に、浮気をする」(goo国語辞典)である。 ドラマ「おさな妻」では、同級生同士が恋愛している、という時にこの言葉を使っていた。 ということは、「浮気をする」という意味で使っていたのは、もっと前の時代だったのだろう。 店長はぼくより10歳上だから、「おさな妻」があっていた頃より、もっと前の時代の人間である。 ああ、そうだったのか。 それで顔を真っ赤にしていたのか。 これは悪いことを言ってしまったわい。
先日、酔っ払いおいちゃんが新聞で紹介されていた話を書いたが、あの記事のことが酔っ払いおいちゃんの耳に入ったらしく、おいちゃんはそれに気をよくし、有名人を気取るようになったということだ。 「私のことが新聞に書かれてましてねえ」などと言っているらしいのだ。 どうも『山芋掘りの名人』と書かれていたのが、いたく気に入っているようだ。
今日もおいちゃんを見かけたが、どういうわけか普段着ている作業着姿ではなく、カジュアルっぽい服を着ていた。 おいちゃんが店に来るようになって2年、初めて見る格好であった。
おいちゃんは、あの記事が『山芋掘りの名人』を褒め称える記事だとでも思っているのだろうか? 確かに『根気が必要な山芋掘りの名人』と、おいちゃんを立てている部分はある。 しかし、あの記事の主役は戸畑署の署員であって、おいちゃんではない。 先日ここにイタチのことを書いたが、おいちゃんの記事はその話によく似ている。 夜な夜な店に侵入しては、センサーに触れ、糞尿を撒き散らし、警備会社や我々店の人間はそのために右往左往している。 この場合の主役は、あくまでも迷惑をこうむっている我々のほうであり、決してイタチではない。 新聞記事の中のおいちゃんは、店内を荒らすイタチのような立場で書かれているに過ぎない。 決して、「『山芋掘りの名人』警察に現れ大活躍!」というものではなかった。 そのことを教えてやらないと、おいちゃんはまた調子に乗るだろう。
考えてみると、昨年もそうだったが、この日記は夏になると生き物や酔っ払いおいちゃんの話題がよく出てくる。 というより、この時期はぼくの関心がそちらのほうに向いているせいだろう。 おいちゃんのことは別として、テレビなどで生き物の特集をやっていると、つい見入ってしまう。 先日、『鉄腕!DASH!!』で八木橋の子供たちの映像や、アイガモが卵からかえるシーンが流れていたが、ぼくはなぜかそれを真剣に見ていた。 そういう動物たちに、何かすごく憧れのようなものを感じるのだ。 彼らは誰に教わったわけでもないのに、ひとりで出産したり、卵を温めたりしている。 元々生き物には、そういうことがインプットされているのだと思う。
それを考えると、人間はなんと情けない生き物なんだろう。 何事も、他人から教えてもらわないとやっていけない。 他人の力を借りないとやっていけない。 機械の力を借りないとやっていけない。 そういうことは、すべて「人間は偉い!」と思ったときから始まったのだと思う。 しかし、「人間は偉い!」と思うことは間違いである。 いや、勘違いである。 他の動物がひとりで出来ることを、人間は一人では出来ないのだから。 もしかしたら、いつかこういう甘えたシステムを変えなければならない時期が来るのかもしれない。
6月20日の日記に「お茶の効用」というのを書いたが、今日はその中間報告である。 あの時、濃いお茶を顔に塗ると書いた。 しかし、やっているうちに「男が化粧みたいなことができるか!」という気持ちになって、塗るのをやめた。 代わりに、それまで1日1リットル飲んでいたお茶を、2リットルに増やした。 それまで、1リットル入る水筒に緑茶を入れて持っていったのだが、それをやめて、朝出勤してから隣のスーパーで2リットル入りのお茶のペットボトルを買うことにした。 香料などの余計なものが入っているお茶は避け、なるべく自然に近いものを選んでいる。
さて、その効用である。 まずうちのパートさんから「顔の肌つやがよくなった」と言われた。 それまでは、「顔がカサカサ」していたそうだ。 そう言われて気をよくしたぼくは、毎日鏡を見るようになった。 心なしか、シミが薄くなっていっているような気がする。 今日も風呂に入っている時に鏡を見たのだが、あるシミなどは、目を凝らして見ないとわからなくなっている。 これは大きな進歩だ。 さらにお茶2リットルを続けていけば、シミはいつか消滅してしまうだろう。 今日、ぼくはそれを確信した。
シミ撃退で始めたお茶2リットルであるが、意外なところで効果があった。 それは、おしっこの出がよくなったことである。 このサイトを始めてから、毎日寝不足の状態が続いている。 その影響が、排尿に出ていた。 何となく出が悪い。 勢いもない。 少し痛みも感じる。 いつか日記の長期休暇を取って治さなければならない、と思っていたところだった。 ところが、お茶2リットルを始めて、すぐにその状態が快方に向かっているのを自覚した。 しょっちゅうトイレに駆け込まなければならないが、出がよく、勢いがあり、全然痛みを感じない。 「やっぱりお茶は凄い!」と確信せざるを得なかった。
さらにもうひとつの効用があった。 それは居眠りをしなくなったことだ。 やはりHP更新の影響で、仕事中居眠りをしてしまうことがある。 それも立ったままでだ。 最近それがなくなった。 仕事中、どういうわけか気力が充実している。 何かしていないと、気がすまないようになったのだ。 おかげで、よく体を動かすようになった。 それがまた健康管理に役に立っているというのだから、お茶の効用というのは計り知れないものがある。 もしかしたら、お茶は癌も治すかもしれない、とまで思うようになってきた。 こういう思い込みも、「お茶の効用」だと言えるかもしれない。
最近小説を読んでない。 司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだのが一昨年だから、もう2年近く読んでいないことになる。 若い頃はいろいろな種類の小説を読んでいたが、30歳を過ぎた頃から歴史小説しか読まないようになってしまった。 面白い小説があれば、ジャンルにこだわらずに読んでみたいと思っているのだが、どうも興味が歴史物にしかいかなくなったのだ。
歴史小説は、歴史の勉強になるというのがもちろんあるが、何よりもいいのが自分がその人になりきったり、その時代の中で遊んだりすることができるという点にある。 先にあげた『坂の上の雲』でいえば、203高地を攻めた時、乃木大将は作戦ミスから何万人もの兵隊を死なせているが、自分が乃木大将なら、もっと人を死なせないようなこういう作戦をとる、などと考えていた。 また江戸が舞台の小説などを読んでいると、自分がその時代に生きているような気分になる。
こんなふうだから、読む時間もけっこうかかる。 人の倍はかかっているのかもしれない。 以前読んだ『項羽と劉邦』はたった3巻なのに2ヶ月の時間を要したものだった。 この時も、「自分が劉邦なら・・・」という読み方をやっていた。 「この時代の中国のトイレはどうなっていたんだろうか?」などと、余計なことも考えていた。
さて、ぼくが本を読み始めたそもそものきっかけは、中学生の頃に読んだ大山倍達の自叙伝に「人には一冊の本との出会いがある」というようなことが書いてあった。 大山倍達にとっての一冊の本は、吉川英治の『宮本武蔵』であったという。 それを読んだ時、「自分にとっての一冊の本とは何か?」と考えた。 しかし、当時はそんなに本を読んでいなかったので、そういう本は存在しなかった。 「じゃあこれから探してやろうじゃないか」と思い、ぼくの読書人生が始まった。 しかし、そうそう一冊の本は見つかるものではない。 小説・ビジネス書・思想書・哲学書・宗教書・マンガと、ありとあらゆる本を読んだがその答は出てこない。 読書を始めて10年ほどは、そんなことばかり意識して読書をしていた。
10年位前だったろうか、ある本を読んでいると、「人には一冊の本が備わっている」ということが書いてあった。 それを読んでハタと思った。 「そうか、今まで一冊の本を探していたけど、自分にとっての一冊の本とは一生のうちに読む全部の本のことだ」 そういえば、ぼくは本を探す時、前に読んだ本で紹介されたものや、その本に関連あるものを探している。 そう、全部繋がっているのだ。 今日読む本が、「一冊の本」の中の一部というわけだ。 そのことを悟ってから、ぼくは「一冊の本」というのにこだわらずに、読書を楽しむようになった。 しかし、ぼくの「一冊の本」というのは、実に膨大な量である。
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