みゆきの日記
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2003年07月31日(木) ドキドキ

日本で普通に子育てしている人って、どこでママ友だちをみつけるのかしら。
やっぱり公園カナ?

私の住んでいる国には結構日本人は多くて、同じくらいの赤ちゃんを持つ人もたくさんいるはずなんだけど、
なんといってもまだ歩く前の赤ちゃんだから外に連れ出す人も少ないらしくて、
出逢いがないのよね。
公園で会う子ども達はみんな走り回っているし。






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菜子がまだ3ヶ月くらいのときに、ママ友だちがほしくて登録したんだけど、
これで結構お友だちができました。
まずはメールで何度かやり取りしてから、会う約束をする。
初めて会うときは結構緊張するけど、メールでお話してるし共通の話題があるから、
わりとすんなり仲良くなれたりするの。
メールでお友だちを作るなんて、もちろん今までしたことがなかったので
結構新鮮だったりする。
外国に来て、初めて子育てして、みんな気持ちは一緒だもんね。
イメージがあまりにも違ってビックリしたなんてこともありマス。

ところで、登録したのはずっと前なのでもう忘れかけていたんだけど、
今週になってポツンと新しいメールが届いた。
9ヶ月の女の子のママですって。
家も近いことがわかって、今日これから遊びに来てもらうことに。


やっぱりちょっとドキドキ。
他のお友だちも呼んで、どんな人かなぁなんてあれこれ想像してみる。
年も近いみたいだし、お友だちになれるといいな。





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2003年07月30日(水) がっかり

あー、もうショック。すごいショック。






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昨日、料理の本をパラパラめくっていて思いついた今日のお弁当は、
ちょっといつもと違う鶏のから揚げ。
普段は、お酒とお醤油で下味をつけて片栗粉をまぶして揚げるのがベースで、
それににんにくと生姜や、豆板醤なんかで変化をつけていたんだけど、
今日のレシピはすりおろした玉葱とにんにくで下味をつけるの。
塩、黒胡椒とタイムを少し混ぜて、衣は卵白とコーンスターチと強力粉をもみもみ。

昨日のうちにお肉をつけこんでおいて、今朝揚げてみたらすごーく美味しい。
これはトモユキも喜ぶかなァ、とホクホクで他のお菜を作っていたんだけど、
ご飯がなかなか炊けないのよね。
おかしいなぁーと思ってよーく見ると、なんか蒸気がシュウシュウ漏れているみたいで、
全然圧力がかかってないの。
嘘ーーー。

ご飯はいつも圧力鍋で炊く。
母がいつもそうしていて、結婚したときに圧力鍋をプレゼントしてくれた。
だからうちには炊飯器ってないのよね。困ったなァ。

こういうとき、日本にいたらコンビニとかで白いご飯って買えますよね?
こっちにはそういうのないし、ご飯がなくちゃ食べられないから、
今日のお弁当はパァになっちゃった。
お昼にでも食べようかな。
それより、これからご飯が炊けないとすごく困る。

日本から送ってもらったお鍋だから、どこで修理してもらえるかわからないけど、
とりあえず日系のデパートにでも持っていってみようかな。

あーあ。
がっかり。


2003年07月29日(火) ヤバイ/物欲

最近、なんか太ったカモ。
洗濯したてのジーンズがきつい。
ヤバイわ。
今日も菜子を連れて歩きに行こう。
暑そうだなァ。


=================================

私はあんまり物欲がないほうだと思う。
でも、時々ものすごーく欲しくなっちゃうものにたてつづけに出会うときがあって、
今がそうだったりする。
週末、ショッピングに行ってまた出会ってしまいました。






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「ダメだよ。みゆちゃん先週も靴買ったじゃない。」

と、トモユキはにべもない。

大体、私がなにか欲しいというと、トモユキはとりあえずダメといって様子をみるところがあって、
本当に本当に欲しいのかどうかを見きわめているつもりらしい。
だから、本当に本当に欲しいというところを見せるとたいていはお許しが出る。
つまりしつこく言ったり、目につくようにインターネットでお目当てのものを検索したり、
今日またアレ見に行ってきちゃった、などと言ったりすればいいの。

でもね。
私、なんだか考えこんじゃいました。
最近は菜子が夜中に起きるからという理由でお弁当もサボりがち、
料理もあんまり一生懸命してないし、
私って掃除もアイロンがけもしないし(メイドがしてくれる)、
最近太ったし、
ちょっと気が抜けてるかなァ。
家計簿もロクにつけてないわ。
コレじゃダメだ、と一念発起。
自分への戒めのためグッチの靴をあきらめてまずは主婦業をがんばろう、と心に誓った私。

とりあえず、昨日と今日はちゃんと5時半に起きてお弁当を作ったわ。
たまってた家計簿も昨日整理したし、ちょっと掃除でもしようかな。

昨日の夜は、4時に目を覚ました菜子が5時過ぎまで寝なかったので、
私はほとんど4時起きに等しい。
それでもお弁当作ったんだからエライよね。
やっぱり少し昼寝しようかナ。


2003年07月28日(月) 影響

来月、父と一緒にこっちに遊びに来る母から電話がかかってきた。
父の仕事の都合で4泊しかできないというので、
お母さんだけもう少しいたら、と勧めていて、母もそうするつもりでいたらしいのだけど、

「お父さんがね、あと1日延ばすから一緒に帰ろうって。」

もう。
3日か4日くらい一人でいられないの?
私の父は本当に母にべったりなのだ。
こっちにいる間中、ずーっとゴルフをいれているみたいだし、
全然ゆっくりできないじゃない。
本当は、母も久しぶりに会う菜子とゆっくり遊びたいみたいなのに。

一人だと荷物持つ人がいない、ゴルフバッグは誰が持って帰るんだ、なんて
駄々をこねて(うちでは重いものを持つのは母の役割なのだ)、
母を残らせようとしないので、私はあきれて言った。

「お父さん、そんなに一人になるのが嫌なの?」

「それもあるだろうけどね、お父さん、事故とかが怖いんちゃうかなァって思うねん。」

そっかァ。
滅多なことはないだろうけど、私もトモユキが出張で飛行機に乗るといつもちょっと怖い。
無事着くまでは安心できないもんね。
わかるわ、その気持ち・・・。
もしなにかあっても一緒なら安心だよね。






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トモユキは影響を受けやすい性格らしく、私の父にも影響されているフシがあるの。
結婚したばかりの頃、母がうっかり父は新婚の頃から家の鍵を持って出たことがないと話したら、
それ以来、絶対に鍵を持っていかなくなったという実績もあるし。
まあ、トモユキが帰ってくる時間には大体家にいるけど、たまに夕方出かける時なんかは、
ハラハラしたこともある。
携帯を忘れて出て、トモユキが家に入れなかったことも2回あるし。
やっぱり、鍵持ったら?
そう言っても絶対に持っていかないのよね。
これは絶対に私の父の影響だと思う。

今まで2回菜子を連れて一時帰国したんだけど、2回ともトモユキは先にこっちに帰ってきて、
私と菜子だけ1週間くらい実家に残るというワガママを許してもらっていた。
母は、それをとっても楽しみにしているようなのだ。

私と菜子がいない1週間、トモユキはものすごく寂しいらしく、
毎晩電話とチャット三昧になるので、
この話を聞いたら父のマネをして一緒に帰ろうって言いそう。
絶対言いそう(笑)。

せっかく来るお母さんにゆっくりしていってほしいな。
お父さんがいるとできない話もいろいろあるし。

さて、どうなることでしょうか。


2003年07月25日(金) 朝ごはん

自分のためにコーヒーをいれてパンを焼き、菜子のためにロールサンドを作る。
中身はジャムだったり、チーズだったり、お手製の野菜ペーストだったり。
私のパンにはバターをつけて。
バナナとオレンジは半分こ。
菜子のバナナはざっとつぶしてヨーグルトをかける。

前はね、これに野菜を足さなきゃ、とブロッコリーやにんじんをゆでてつぶしたり、
ポテトサラダや野菜のシチューをつくってみたりしていたんだけど。
別になければこれだけでもいいや、と思うようになってから、
離乳食作りがだいぶ楽になった。

「野菜が足りなければ、お昼に野菜を増やせばいいの。
 お昼も夜も足りなくても、翌日たくさん食べさせればいいの。
 1週間単位で考えないと、一食で全部取らせようと思うとしんどいよ。」

近所に住む、3人の子どもを育てた人がそう言ってくれた。

最近、朝の散歩のときのお母さん同士の交流がとてもありがたかったりする。
先輩ママが多いから、いろいろ教えてもらっちゃう。

菜子との朝ご飯も楽しくなってきたし、いい感じ。
自分でロールサンドを手に持ってモグモグ必死で食べている姿を見ると、
なごむのよね。

トモユキは、朝早く家を出て行くので朝食は家で食べない。
休みの日も遅くまで寝ているから食べないし。
家族で朝ごはんを食べられないのが残念なんだけど、
少なくとも、私には一人パートナーができたわけよね。

一緒に朝ごはんを食べる家族がいるって幸せなことだな。
ジャムでベタベタの菜子の顔を見て、そう思った朝。


2003年07月24日(木) 未来のお話

10日も遅れて生理が来たのでからだがだるくて何もする気になれない。
でもこんなに遅れて、まさか二人め・・・?とちょっと心配していたので、
本当にほっとした。

去年の8月に菜子を帝王切開で出産している私は、次の妊娠の時期には注意をする必要があって、
医師には一年くらいあけて、と言われていたのだ。
妊娠には十分気をつけていたけど、10日も遅れるとちょっと不安だったのよね。
万が一ってこともあるし・・・。

妊娠してたらどうしよう。
来月で1年だし、もう生んでも大丈夫かも。
でも、もしダメですって言われたら・・なんて考えてかなり恐ろしかった。

「そんなわけないじゃん。
 だって、みゆちゃんが買ってきたの『エクストラセーフ』だぜー。」

「でも、もしかしたら失敗してたかもよ?」

「それはないって。
 まさか、みゆちゃんわざと細工した?
 僕と結婚してもらうために・・・キヒヒ。
 そういうことする女いるんだよなぁ、、イヒヒ。」

トモユキはまったく心配していなかったみたいで、
セイリきたってメールを送ると、わーいわーい、と一言。

ま、そうだよね。そんなわけはなかったか。

でも、二人めかぁ、、いつになるんだろう。
楽しみ。
妊娠中って楽しかったな。
おなかがだんだん大きくなって、けられたりして、
赤ちゃんと二人、完全に一心同体状態のラブラブ期間。
そしてやっと会えたときの興奮と感動、
ふにゃふにゃの赤ちゃんを抱っこする喜び。

私は妊娠がわかったときに、子宮筋腫がふたつ見つかっていて、
今回の出産にはなにも影響がなかったんだけど、出産は早いほうがいいかも、と
言われている。

街で、10歳くらいの子どもと一緒に乳母車を押しているお母さんを見ると、
子どもと一緒に子育てなんて楽しそうで、
年が離れた兄弟っていうのもいいなぁーなんて思ったりもするんだけど。

3人子どもを生んだ母にそう言ったら、3人めを離したらいいやん、と言っていた。

「まーちゃんの時は楽やったわ。
 あんたとなっちゃんで面倒みてくれて。」

いいな、いいな。楽しそう。

子どもはたくさんほしいな。
もうちょっとでカイキンかしら。


2003年07月22日(火) しゃぼん玉

最近、NHKの赤ちゃん向け番組を菜子が喜ぶようになったので、
お昼ごろテレビをつけていたら、「しゃぼん玉」が流れてきた。

私、童謡って結構好きで菜子にもいっぱい歌ってあげているんだけど、
この歌だけはダメ。苦手なのよね。
すごく悲しくなっちゃうし、怖くなる。

昔はなんとも思わなかった。
この歌の意味を知ってからも、特になんとも思わなかった。
きっと、今の私には守るべき愛しいものがあるから、
『死』というものがこれほど恐ろしいのだろう。

テレビの前にちょこんとすわって、画面に釘づけになっている菜子の姿を見ると、
ここまですくすく大きくなったことを奇跡のようにありがたいと思う。
どうか、これからも何事もなく成長しますように。

夜、思いついて、昔のビデオをひっぱり出してトモユキと二人で見た。
菜子が生まれたばかりの時、病院で撮ったものだ。

「わぁー、ちっちゃいねー。」

あらためて言い合う。
私とトモユキがふにゃふにゃの菜子を相手に悪戦苦闘しているのがおかしくて笑った。
ビデオを傍らに置いて、撮っているのをすっかり忘れていたらしいトモユキが、
私がいないすきに菜子を抱いてこっそりキスをしていて、
(虫歯がうつるからダメ、と私がきつく言っていた)
菜子がとうとう泣き出してオロオロしているところとか(笑)。

菜子はこれからの人生で、どれだけ幸せな想いをするんだろうな。
できるだけ、たくさんたくさん幸せを感じられる人生を送ってほしいと思う。
人間はそのために生まれてくるんだもの、きっと・・・。

今日は菜子が15歩、自分の足で歩いた。
トモユキと二人で興奮して数えながら、私とトモユキの笑顔を見て、
菜子も満面の笑みで一歩、一歩こちらに手を差し伸べて歩いてくる。

そのイノセントな笑顔を見ていたら、ちょっと涙が出た。


2003年07月21日(月) 休暇

トモユキは日本の祝日にあわせて休んでいるので、久しぶりの3連休になった。
それなのに、なんとなーく二人とも機嫌が悪くてイライラ。
ちょっとしたことで、また口げんかをした後、トモユキが言った。

「どっか、泊まりにいこっか。」

「え・・・?」

「みゆちゃんもさー、久しぶりに家事から解放されるっていうのはどう?
 ホテルに一泊してスパでも行って。
 主婦業にも休暇をあげよう。」

一時帰国のとき以外、菜子を連れて外泊したことはなかったので、
ご飯のこととかちょっと心配だったりしたけど、

「9月の休みに旅行に行くでしょ?練習、練習。」

と、トモユキが言うので近場の島に行ってきました。
ここには、二人の超お気に入りホテルがあって、何度か来たことがあるんだけど、
もちろん、菜子を連れてくるのは初めてで。
突然思いつきで来たんだけど、こっちは祝日ではないので部屋はあいていた。
そうそう、この前来たとき、菜子はおなかの中にいたんだわ。

「なーんか、懐かしいねー。」

なんて言いながらビーチを歩いて、スパでオイルマッサージをしてもらって
戻ってきたときにはすっかりリラックスしていた。
菜子を遊ばせていたトモユキと交代して、今度はトモユキがスパに行く。
眠ってしまった菜子の横でぼーっと本を読みながら、
あーーーシアワセって気分。

そりゃ、前回来たときのように何日もぼんやり過ごしたりはできないし、
菜子に食事をさせたり、オムツを替えたり遊ばせたりあやしたり、
なにかと忙しかったりもするんだけど、
でも、シアワセ。

ここのホテルって、インドネシア風のコテージが広い敷地内にいくつも点在しているスタイルになっていて、
どのコテージにもアウトドアのジャグジーがついている。
プールヴィラなんかに泊まったら、ものすごくゴージャスな気分になれます。
プライベートプールの向こうは海で、プールと海が続いているように見える。
寝室には大きな天蓋つきのお姫さまベッドがあるし、リビングエリアは
半分屋外になっていて、大きな気持ちのいいインドネシア風ソファが
どーんと置いてある。
夕食は部屋でとり(インドネシア風BBQだったんだけど、コックさんが来て焼いてくれる)、
夜は星を見ながら二人でジャグジーに入っていたら、

「あー、ゴクラクゴクラク。」

と、トモユキが言った。

「なんか温泉風だよね。」と私。

これって、まさに露天風呂って感じ。
外が寒くてさー、雪なんて降ってたら最高だよねー。

ここは南国なので、空気はねっとりと湿って重く
椰子の木の間から星が見える。
冬の露天風呂もいいけどこれもいいよね、と二人で話した。

リラックスした休暇だった。


2003年07月18日(金) 限界?

最近、髪がヒドイ。
先週美容院に行って、カラーリングだけはしたんだけど、
私の髪は多い、太い、固いの三重苦に加えて結構強いクセがある。
高校生の頃から、いつも定期的にくせ毛矯正パーマをかけてごまかしていたんだけど、
もう8ヶ月くらいかけてないから伸びてきた部分にはだいぶ癖がでちゃって。
ブロウをしないでほうっておくとくしゃくしゃに広がってしまうので、
顔の周りだけブロウして毎日ひっつめにしているという体たらく。

あーあ、ミスターハビットやりたいな。

「みゆちゃんの髪ってインモーみたい。
 僕、だまされたよ。
 茶色くてさらさらの綺麗な髪だと思ってたのに。」

トモユキがまた言う。
お金と手間と時間をいっぱいかけて、なんとか普通の人の髪になってたのよ。
パーマで針みたいにまっすぐにした髪を、さらにカーラーでゆるくカールを作って、
毎朝支度に2時間かけていたあの頃・・・。
美容院だって、引越しのたびにいろいろ探して大変だったわ。
海外に住んでいるときなんて、美容院に行くだけのために週末だけ日本に帰る、
なんてことを本当にしていたのだ。
周りにはバカにされていたけど、当時の私にとってはすごく大切なことだったのよね。

今は、もっと大切なことが他にいっぱいあるからもちろんそんなことはしないけど、
こっちにも似たようなくせ毛矯正パーマってあるらしいから、
一度ためしてみようかな。

菜子の髪はつやつやだけど、毛先がくりんくりんとカールしている。
赤ちゃんのうちはこれで可愛いけど、大人になったら私のように苦労するのかな・・。
ちょっとかわいそう。
もうちょっと顔がブスでもいいからまっすぐで綺麗な髪がほしい、と思ったこともあるけど、
顔をなおすよりは髪をなおすほうが楽だもんね。

「あーあ、菜子ちゃんの髪みゆちゃんに似たんだね、かわいそう。」

ホントにね。
でも、美人になればそう悪くないけどね(笑)。

でも私の髪も、もう結構限界かも。


2003年07月17日(木) 眠りを妨げるもの

夜中の3時に突然部屋が明るくなった。
反射的に掛け布団をかぶる。

「ダメだ、蚊を殺さなきゃ寝られない。」

トモユキが言っていて、私はやっと状況を把握する。
さっき起きて泣いた菜子を寝かしつけて2時半にベッドに戻ったばかりだったのよね。
そういえば私のひじも痒い。
トモユキの方が圧倒的に蚊に好まれるらしく、すでに腕や足に数ヶ所の痕。
かわいそうに・・・。
トモユキの仕事には睡眠不足が大敵なので、眠りにはいつもかなり気を使っているのにね。
うちはわりと高層階にあって滅多に蚊はこないので、つい油断したわ。
菜子のベビーベッドに吊ってある蚊帳も最近ちゃんと閉めてなくて、
ついでに菜子の寝ている部屋に行って蚊帳のすきまをあわせてきた。

挿しっぱなしのジェル状の蚊取り線香のスイッチを入れて、二人でじっと空をにらむ。

「あっいたっ!」

パンパンと手を叩きながら部屋中を飛び回る二人。
なんとかしとめてベッドにもぐりこんだ時は3時半をまわっていた。

「おやすみィ・・」

トモユキって本当に「のび太くん」なんだよね。
次の瞬間にはもうイビキをかいていて、私はほっとして眠りについた。

かと思ったら、菜子の泣き声で目を覚ます。
時計を見ると、4時。

トモユキは早番だから、お弁当を作るためには4時半に起きなくてはならない。
菜子を寝かしつけた4時15分。
今寝たら絶対に起きられないと知りつつ、あまりの眠たさに目を閉じてしまった。

なんだかでたらめに分断された睡眠のおかげで、朝もきちんと起きられなくて
今日はからだがだるい感じ・・・。
でも菜子はちゃんと起きるから、ぼーっとしながら菜子の朝食をととのえて、
熱いコーヒーを飲んだらやっとからだが動き出した。

6時間くらいまとめて眠れるようになるのはいつなんだろうナ。
でも小刻みにでもちゃんと眠れてそれでやっていけるんだから、
人間のからだってうまくできているんだな・・なんて、
ちょっと感心したりしちゃった朝。

すっかり目も覚めたしお買い物行こうかな。


2003年07月16日(水) 茉莉花茶

私は基本的にコーヒー党なんだけど、紅茶も日本茶も中国茶も結構好きだ。
朝は必ずコーヒーだけど、お昼とか夕飯の後はそのときの気分で選んで飲んでいる。
最近のお気に入りはジャスミンティで、夕食後の定番になってきた。

いつも行く中華料理の店で出されるジャスミンティがあまりに美味しいので、
同じ味を探し求めて、すごく高いやつを買っちゃいました。
いつも買うお茶の5倍くらいの値段のもの。

「高いの、買っちゃったよー。」

トモユキに言うと、

「キミ、高いのばっかり買って最近贅沢なんじゃないの?
 昨日もシャネルのなんか買ってたね、僕に黙って。」

それは基礎化粧品だってば。

「あ、そうか。」

トモユキは突然思い立ったように細かくなっていろいろチェックしたりするんだけど、
基本的に無頓着なので、その辺把握していないのが笑える。
何にどれくらいかかっているのか全然知らないから、
お給料の半分くらい私が着服しててもわからないだろうな。
しないけど。
っていうか半分もあまらないけど。

そのお茶はすごく香りがよくて美味しいお茶だったので、
私はささやかな贅沢を毎晩楽しんでいます。
小さな幸せってこういうのかナ。


2003年07月15日(火) 料理熱

今日はこれから友だちの家に遊びに行くので、夕飯の支度は朝のうちにしておいた。
今日はビーフストロガノフ。
市販のルウを使った手抜きデス。

最近、ちゃんと料理してないなぁ。
週末はトモユキが突然、これ作りたい、と言い出して、
牛肉の赤ワイン煮を作ってくれた。
彼は、まったく料理をしないんだけど(だからか?)、
作ると言い出すとものすごく凝って、すべてレシピ通りにしないと気がすまない。
赤ワインと香味野菜と数種類のハーブに半日漬け込んだお肉を、
二日がかりでぐつぐつ煮込んで、ソースは丁寧に裏ごしする。
お肉がパサつかないように、マリネにする前に切り込みをいくつも入れて、
ベーコンの脂をはさんでおくという徹底ぶり。

出来上がった料理はすごく美味しかったです。
でも、トモユキには納得がいかなかったようで、
もう一回作ると言っている。

それで料理熱に火がついたのか、珍しく昨日も夕飯を作ってくれた。
今度はホタテとアスパラのあんかけ炒飯ですって。
私は炒飯にはあまり興味がなかったので、結婚してから今まで
一度も作ったことがなかった。

「炒飯ってすっげー美味いんだぜ。
 興味がないなんて信じられないよ。
 みゆちゃん、美味しい炒飯食べたことないんじゃないの?
 よし、俺が作ってやる!」

こんな感じで、作ってくれることになりました。
例によって、材料すべてを油通ししてから炒めてあんを作り、
卵の炒飯にかける。

結果は・・・すっごく美味しかった。
炒飯にたいする考え方が変わりました、マジで。

トモユキは褒められるとすごく喜ぶ可愛いヤツなので、
私はいつも大げさにしつこく褒めるんだけど、
昨日はそんなことをたくらむ余裕もなく手ばなしで褒めてしまった。
トモユキはすごく得意そう。

「これからさ、みゆちゃんご飯作るの面倒くさくなったら言ってね。
 僕炒飯作ってあげるから。」

だって(笑)。
嬉しー。
ま、昨日は「月曜日の早番」で、お昼ごろ帰ってきて夕方まで眠っていたので、
パワーがあまってたってこともあるんだけどね。
でも、本当に美味しかったです。

今日も手抜きしちゃってゴメンネ・・。
明日からはちゃんと作りマス。


2003年07月12日(土) 幸せの基準

中学・高校時代にもてた人がすごく羨ましい、と昨日の日記に書いたんだけど、
そういう人が私のごくごく身近に一人いたのよね。
私の妹のなつき。
彼女はものすごーく、もてた。
いつも学年で一番可愛いとか学校で一番可愛いとか言われて、
一番カッコイイ男の子とつきあっているような子だったのだ。

私より二つ年下の彼女が同じ中学校に入学してきたときは、
私の同級生たちの間でもちょっとしたざわめきが起こった。

「あの子、お前のイモートなんだって?
 すっげー可愛いじゃん!」

なんて、好きだった男の子に言われちゃったりもした。
でも私にとっても自慢の妹だったから嬉しかったりしたんだけど。

美人でしっかりもので昔からおマセさんだったなつきは、
あらゆる点で、ちょっとぼんやりだった私をリードしていて、
私は彼女のことが自慢だったり、ちょっと複雑だったり、
まあその時々で変わったけど、大体において大好きな仲のいい妹で。
楽天的でいきあたりばったりな私は、ちょっと傷つきやすくて心配性な面もある彼女のことを、
心配したりもしたものだ。

複雑な気持ちが表面化したのは私が大学生のとき、
高校をアメリカで卒業したなつきが帰国して日本の大学に入ったときだった。
一旦日本に帰ってきた家族はまた海外に行っちゃってて、
私は一人で日本に残っていた。
大学はあと1年で終わろうとしていて、なつきが帰ってきて一緒に暮らせるのを
私は楽しみにしていた。

「みゆちゃん、日本の大学ってどう?
 私、すごく不安なんだよね。
 アメリカの大学に行かなくてよかったかな?」

私は、大丈夫、楽しいよ、と答えた。

「なっちゃんならどこでも大丈夫よ。
 それにあの大学をでておけば、就職もいいところにできるじゃない。」

なつきはわりと名の通った私大の、当時もてはやされていた学部に合格していて、
その学部を卒業した学生の就職率は100パーセントに近いとも言われていた。
そしてなつきは日本に帰ってきた。
大学生活はうまくいっているように見えた。
彼女は相変わらずすごく美人でもてたし、男も女もたくさん彼女の周りに集まってきて、
家にはいつもたくさんの友だちが訪ねてきたし、
電話はひっきりなしにかかってきた。

でも、なつきはちっとも楽しんでいなかった。

「みゆちゃん、あたしダメ、やっぱり。
 アメリカに帰りたい。」

そう言ってアメリカの大学の入学書類を取り寄せたり、
父に電話をしてアメリカの大学に行かせてほしいと頼むようになった。

「お願い、お父さん。
 アメリカに帰らせてください。」

毎晩泣きながら父に電話で懇願するのを聞きながら、私は複雑な気持ちでいた。
一体、なにが不満なの?

父が仕事で帰国したとき、二人が話し合った時私も同席していて、

アメリカに『帰る』って、お前はなんなんだ、日本人だろう。
そう言う父が傷ついているような気がしてなつきが憎らしいと思った。

私よりずっとたくさんのものを持っているなつき。
それなのに、もっとほしいって言って泣いている。
そして病気になるのだ。
どうしてそれに同情したり共感したりできるだろう?

その時私はそう思ったけれど、それはやはり間違いで、
人はそれぞれに自分なりの『幸せ』の基準をもっていて、
それは他人には推し量れない種類のものだということが今ではわかる。

「日本の大学じゃダメなの。あたし絶対にお金持ちになりたいの。
 アメリカに行かなきゃダメなの。」

どうしてアメリカの大学に行くとお金持ちになれるのか私にはわからなかったし、
どっちがいいのかなんて、父にも、きっと誰にもわからなかっただろう。

でも、とにかくなつきは父を説得してアメリカに戻り、大学を卒業した。
卒業後、帰国した彼女はある外資系の会社に入社して、今年で3年めなのだけれど、
うまくやっているみたい。

先日、なつきから電話がかかってきた。

「みゆちゃん、聞いてよ。あたしお給料倍になったのよ。」

「ええー、倍?なっちゃん、すごいじゃない!」

「そう。部署が変わってからすごく成績があがってさー。
 同期でトップになっちゃったの、スゴイでしょ?」

部署異動になる前はトモユキと同じ仕事をしていて、それには数学の素養が求められるらしく、
かなり苦労していたのを知っているので、私は嬉しかった。
トモユキもその話を聞いて喜んでくれた。

今年27歳で2000万円近い収入を得ることになったなつきは、
「成功してお金持ちになりたい」と言ったあの日の言葉をちゃくちゃくと
実現させていっている。
コレってすごいことよね。

「残された人生の楽しみは、子どもを産むことだわ。
 あたし、みゆちゃんが羨ましい。」

菜子を抱きながらなつきが言う。
私が得たものの中でまちがいなく一番素晴らしいものはトモユキと菜子で、
何もしてこなかったあたしにはあなたを羨ましいと言う権利はないけれど、
あなたをすごく自慢に思うよ・・。
自分の人生を自分で切りひらいてきたがんばっている彼女が、
どうか幸せになれますように、と願う。
私みたいに・・ね。


2003年07月11日(金) 遠い昔のお話(つづき)

ああ、なんか書くのがつらくなってきちゃったな。
私、どうしてこんな大昔のつまんない話をひっぱりだしているんでしょうか。
当時のことをいろいろ思い出して書いていたら、ものすごくブルーになってきてしまった。
死にたいとさえ、ちらっと頭をかすめた16歳の冬・・・。
かいつまんで書いてしまおう。

結局ね、おばあちゃんは精神的ストレスから一時的に記憶をなくしたりする病気になってしまって、
(一過性健忘症とかいう病気だった)
私の世話は大変なので、私は寮に入ることになったのでした。
そこに至るまでには結構私が傷つくこともいろいろとあったのだけれど、
結局はそれが一番の選択だったのだろう、誰にとっても。
私の行っていた高校に寮があってよかったなぁ、と思う。
そうでなければ、母が帰国するとか、もっと大事になっていただろうから。

そして私のジャンクフード漬けの一年間は終わったのだった。
よかったわ、一年で終わって。
もっと続いていたら、取り返しのつかないからだになっていたかも。
本当に、今では信じられないくらいの量を毎日食べていたもんね。
あの頃部活もやってたし(テニス部だった)、よく食べる年頃でもあったのカモ。
だけど、食事って大事だからね。
あの時そんなものばかり食べていたから生理不順になったのかしら。

今考えると、私は年齢のわりに幼い、世間知らずの15歳だったな、と思う。
うまくやっていく方法はいくらでもあっただろうから。
私がつらい想いをしているので、母もよく泣いていたらしい。
(そんなこと当時はちっとも知らなかったけど)
母と、祖母が決してうまくいっていないことや、
祖母と曾祖母との間の確執なんかを知ったのもその頃だった。

私の母も、はやく実母を亡くして、継母とのことではいろいろ苦労をした人なのだ。
でも今は幸せと笑う。
幸せってなんなんだろうな。

菜子が私の足にしがみついて、頭をぶんぶんと振っている。
私にも同じことをしてほしいのだ。
これは最近彼女が覚えた遊びで、私がまねして頭を振るとキャッキャッと声を立てて笑う。
やめると怒るのでフラフラしてくるまで、頭を左右に振りながら、
なんだか涙がでちゃうくらい、幸せだなーなんて思ったり。
菜子が、私たちがいなくなっても一人でも幸せになれるように、
きちんと育ててあげなくちゃと思ったり。


2003年07月10日(木) 過去の栄光/遠い昔のお話

トモユキの高校時代の写真が出てきた。
すごーく痩せている。
彼は、身長が176センチくらいで体重は60キロないから、
今でも結構痩せているんだけど、こうして見ると顔のラインがぜんぜん違うのよね。
別人?ってほど今はほっぺたがふくらんでいる。
当時は50キロきっていたんだって。
いくらなんでもそれは痩せすぎよね・・。

「この頃はすっげーもてたんだぜ。
 カコの栄光・・・。
 ねえ、みゆちゃんの高校時代の写真も見せてよ。」

ヤダー。それだけは嫌。
私は高校生のとき太っていたのでなんだかんだ理由をつけて写真は見せないように画策している。
ぽちゃぽちゃと遠慮のない脂肪があちこちについた垢抜けない高校生だったワ。
顔にも脂肪がついていたから、まぶたははれぼったくて、輪郭もぼんやりしていたと思う。
当然、まったくもてなかった。
だからかなあ、中学、高校時代にもてたっていう人がすごく羨ましい。
トモユキは、中学、高校時代はすごくもてたんですって。

「特に中学時代なんかなー、すごかったんだぜー。
 バレンタインのときなんて一日中呼び出されてさ・・・くっくっくっ。
 僕硬派だったから、いつも断ってたけど。ぷぷぷ。」

「あー、またカコの栄光語ってるー。カッコ悪い。」

「ああん、自慢させてよー。
 僕カコしか自慢できないんだからー。」

でも、いいなー。
あの頃もてたら楽しかっただろうな。
私なんか、好きな人がずーっといたけど告白もできなくて、
彼が次々にきれいな彼女をつくるのを見ていつも泣いてたっけ。
なんてサエない高校時代・・・。

あーあ、嫌なことを思い出しちゃったわ。
それなりに楽しい高校時代だったとは思うけれど、
自分にはいつも自信がなくて、ダイエットするたびに失敗して、
友だちとは恋の話ばかりしていたっけ。

その頃の私は、まあものすごく太っていたというわけではなかったけれど、
今よりも8キロ以上も重くて最高で53キロちかくあった。
私の妊娠中の臨月の体重は、高校時代一番太っていたときの体重を越えなかったのだから、
そう考えると結構すごいと思う。
157センチで53キロはヤバイでしょー。

どうしてそんなに太っていたかというと、原因ははっきりわかっている。

ジャンクフード。

スナック菓子とかチョコレートとかアイスクリームとかを、
毎日、毎日、ほんと、病気じゃないかと思うくらい大量に食べていたのだ。

あー恥ずかしいな、この話。
一種の病気だったのではないかと思う。
生活環境の激変によるストレス・・とかだったんじゃないかと、
今では推測するけれど、その頃は特に原因を考えてみることもなかった。
私はただ食べ続けて、どんどん太っていった。

そんな生活は長くは続かなかったけれど、
私にとってつらい時代だったなぁ、と思う。

その頃の話、たいして思い出したくもないことだけれど、
ちょっと思い出したので書いてみることにしよう。

=============================

私は、中学生の頃父の仕事の都合で海外で暮らしていて、高校進学のために帰国した。
家族はそのまま海外にいて、私だけ日本の高校に入学したのだ。
私は母方の祖父の家から学校に通うことになった。

その家には、祖父、祖母と、ひいおばあちゃんの3人が暮らしていた。
私の母は高校生のときにお母さんを病気で亡くしていて、その祖母は祖父の後妻だった。
当時、まだ50台だったと思う。

祖母は、血のつながらない私を引き取るのを面倒くさがっていたみたいだった。
彼女は公務員で、その頃まだ現役で働いていたから忙しくもあったのかもしれない。
祖母が私の悪口を陰で祖父に言うようになるまで、
そう時間はかからなかった。

「ほんまに可愛げのない子やわ。」

苦々しい口調で祖母がそういうのを聞いたとき、私はショックで部屋で泣き、
それから祖母の作るご飯が食べられなくなった。

(つづく)


2003年07月09日(水) 報われない努力

今日は菜子がぜんぜんご飯を食べなかった。

一日に一回くらいはそういう時もあるんだけど、今日は3回とも機嫌が悪くて、
二口、三口食べたと思ったら泣き出してしまう。
あとは、フルーツとかヨーグルトとか菜子の好きなものを食べさせて、
機嫌を取りつつ、さっと口にいれる。
普段、ぐちゃぐちゃになるのが嫌であまり食事にさわらせないんだけど、
(本当はさわらせたほうがいいらしいデス)
仕方がないのでさわらせて、夢中で遊んでいる間に口にいれたり。

それでもやっと半分くらい食べたあたりでもう手がつけられないほど泣きわめく。
バナナでさんざん遊んだ菜子は、全身バナナだらけ。
せっかくきれいに作ったロールサンドは振り回されて、
パンの切れ端があっちこっちに飛んでいる。
ほとんど食べられなかった無残な食べ物の残骸と、髪の毛にまでバナナをいっぱい
くっつけてギャーギャー泣いている菜子の姿に思わずため息が出た。

あー疲れた。
お風呂に入れなくちゃ。

それが朝昼夜と続いたので、私はすっかり倦怠モード。

「今日菜子ちゃんぜんぜんご飯食べなかったのよ。
 もう私疲れたよー。
 せっかくイロイロ作ったのにさ。」

「今日何作ったの?」

トモユキが聞いてくれる。

「朝はね、バナナヨーグルトと苺のロールサンドとジャガイモとブロッコリーのチーズ焼きとオレンジ、
 お昼は、ほうれん草と桜えびの和風おじやとお豆腐のあんかけ。
 あんは鳥のひき肉としいたけとしめじとにんじんで作ったの。
 それに白身魚とキャベツのトロトロ煮。
 夜はしらす入りおかゆと赤ちゃん肉じゃが・・・。」

私はくどくどと説明する。
今日は結構がんばって作ったのよね。
って言っても出汁とかお肉とか魚とかはいろいろ冷凍してストックしてあるから、
それほど時間がかかるわけじゃないけど、
わりと手間はかけたし、できばえも悪くなかったと思うのに。

「へぇー、すげーうまそうじゃん。
 どれどれ?」

菜子が残したものを、トモユキは味見して、

「肉じゃがうまい!
 このあんかけはダメだよ。鶏肉がパサパサしてるし変なきのこの味がする。」

私は笑ってしまう。

「変なきのこって・・・しいたけでしょ。」

トモユキはしいたけが嫌いなのだ。

「おじやはあんまり味ないなァ。
 でもトロトロしてて食感はいいね。」

「味はあんまりなくてもいいのよ。
 まだ味が濃いものは食べられないから。」

こんな話をしているうちに私の疲れはだんだん消えていった。

「報われない努力はないんだよ。
 いや、あるけどさ。
 子育てに関しては、それはない!
 絶対、そうだよ。
 みゆちゃんが一生懸命作ってくれたことは絶対菜子ちゃんに伝わってるよ。」

離乳食作りって、孤独なのよね。
がんばって作っても美味しいって言ってくれるわけでもないし、
機嫌が悪いと全部ぐちゃぐちゃにして食べないし。
私の友だちは何を作ってもほとんど食べないから、もう作る気がしないって
言っている。
菜子は普段わりとよく食べるから、私は楽しんでいろいろ作っていたけど、
今日はその気持ちがわかったなァ。

でも、トモユキがこう言ってくれたおかげで今日の私の仕事はちょっと報われた気がした。

「みゆちゃん、ありがと。
 いつも菜子ちゃんにも俺にも美味しいご飯作ってくれて。」

こちらこそ、ありがと・・・。

明日は何を作ってあげようか。
いっぱい食べてくれるといいな。


2003年07月08日(火) カード

誕生日にインターネットのグリーティングカードを送っておいた母から、
返事のカードが届いた。
こんなこともできるようになったんだ・・・。
50歳を過ぎてからパソコンを使い始めた母は、
メールを見るのが精一杯で他のことは何もできなかったのに。

と思っていたら、こんなことが書かれていた。

『カードありがとう。
 みゆきちゃんにもらったカード、あけ方がわからなくて
 お父さんにあけてもらいました。
 今となりにいて、あけられなかったことを書くように、と
 きびしく言われています。』

あはは(笑)やっぱりね。

二人とももう50台半ばだけど、仲良くやっているみたいだ。
娘の私から見ても、いい感じの夫婦だなァと思う。
来月、二人でゴルフをしにこっちに来るということ。
私も一回くらい一緒にやろうかな。


2003年07月07日(月) 七夕

朝と夜、着替えのときに菜子のからだを乾いた布で軽くこする。
母に口うるさく言われて、この習慣がついた。

「菜子ちゃん、乾布摩擦してあげや。
 あんたたちが小さい時は毎日したっててんで。
 乾布摩擦のおかげでみんなほとんど熱もださへんかったし。」

そういえば、私はほとんど風邪ひかないしあまり熱も出さないなァ。
小さい頃からそうだった。
学校を休んだこともあまりない。

「肌も丈夫になるんやって。」

そうですか。
冬の寒い日にも裸になって乾布摩擦してもらわなきゃならなくて、
私は寒くて嫌がっていたような気がするけど。
そういうことを私が覚えているということは、母は私たちが物心つく年齢になっても、
それを続けていたということなのだろう。
私は赤ちゃんのとき肌が弱かったから、お医者さんに勧められたのだというけれど、
丈夫になるようにと毎日してくれていたんだろうな。

菜子は嫌いじゃないらしく、ちょっとくすぐったそうな顔をして身をよじるけれど
暴れたりはせずに、わりとおとなしくしている。

はだかんぼの菜子のからだはいかにも小さくてすべすべしていて、
『できたて』っていう感じ。
こんなに小さいのに、ちゃーんと一人前の人間のからだをしていることに、
涙がでちゃうくらい感動する。
小さい小さい背中や腕やおしりや足を順番に布でこすって、
ついでに手でもなでなでしてみる。

ぷにゅぷにゅ。
気持ちいい〜。

これって、母と娘のコミュニケーションの時間でもあるのかも。
そうやって手を抜かず、大事に私たちを育ててくれた母の誕生日は、
今日、七夕なのだ。

あとで電話してみよう。


2003年07月04日(金) お出かけ/赤ちゃんの名前

友だちの家に遊びに行った。
菜子よりも3ヶ月くらい小さい赤ちゃんがいる家で、
大体同じくらいの赤ちゃんをもつ人たちが、何人かでこうして時々集まっている。

そのメンバーのうち4人が1ヶ月くらいの長い一時帰国をしていたので、
久しぶりの集まりになった。
前回は私の家でやったんだけど、そのとき菜子は一番のお姉さんで
まだハイハイができないほかの赤ちゃんに目もくれずひとりで活発に動き回り、
人がたくさん来ても泣きもしなかったので、
私はこの子は結構度胸があって活発なのかなーと思っていたら、
今回は泣きまくりでびっくりだった。

他の家に行ったときも、自分の家みたいに遊んでいたのに、
今回は、

「菜子ちゃん、久しぶりー。
 元気だった?」

と、レイコちゃん(その家のママ)に抱き上げられた途端に顔がゆがみ、
私のほうに手を差し伸べてくる。
赤ちゃんの絵麻ちゃんが腹ばいになっているマットに座らせようとすると、
泣いて私にしがみつき、離そうとしない。

「久しぶりだから緊張してるのかな?」

絵麻ちゃんは菜子とは対照的に愛想のいい赤ちゃんで、菜子ににっこり笑いかける。
菜子はにこりともしないでじーっと絵麻ちゃんを見つめてから、
やおら手を伸ばして絵麻ちゃんの顔をさわろうとした。

「お顔はダメ。」

菜子を抱き上げてすこし絵麻ちゃんから離して座らせた。
おもちゃで遊び始めたので私が立とうとすると、また泣いてしがみつくので、
私はほとんどお茶を飲むこともできなかった。

最近は、朝夕公園やプールサイドに連れ出して、子どもたちが遊ぶのを見せて、
他の人に慣れさせるようにしてはいるんだけど、
圧倒的に私と二人ですごす時間が長いから、勝手が違うとおびえるのかしら。
だんだん大人になってきたってことかな。

余談ですが、今日来ていた赤ちゃんたちの名前って、
絵麻(エマ)ちゃんに夏音(カノン)ちゃんに映美(エイミー)ちゃんに、
愛里(アイリ)ちゃんに美月(みつき)ちゃんですって。
菜子っていうのは本当の名前じゃないけど、まあ普通のシンプルな名前なのに、

「子がつく名前って今はかえって珍しいね。」

なんて言われてしまう。
中に一人、「太郎くん」っていう男の子がいた・・・。
仲良くなれそう(笑)。

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続きを書こうと思っていた「妥協点」のことは、今日も長くなってしまったので、
できればまた明日。


2003年07月03日(木) 妥協点

私は納豆が食べられない。
あの匂いが大嫌いで、同じ食卓に納豆があるのも嫌で息を止めたくなってしまう。
独身の頃は、家族が納豆を食べるたびに文句を言っていたんだけど、
困ったことにトモユキは納豆が大好きで時々食べたがるのだ。

「菜子ちゃんにも納豆食べさせて。お願い。」

小さい頃から納豆を食べて育ったというトモユキは、
離乳食メニューに納豆を加えるべきだと主張していて、
私は、うん、、そうね、なんて曖昧に返事をしていた。

「納豆はからだにいいし、頭もよくなるんだよ。
 俺も昔から納豆食べてたから頭よくなったんだから。」

トモユキは理系で、数学のできる人こそが頭のいい人だと信じている(笑)。
私は数学は大嫌いで数字も苦手なのであまり反論できない。

トモユキが食べたいというのでたまに納豆を入れたオムレツを作ると聞いて、
私の父はすごくびっくりしていた。

「みゆきは、誰かが納豆を食べただけでやめてよーって怒ってたのに、
 納豆オムレツなんか作るのか。
 変わるもんやなぁ。」

「そんなの当たり前ですよ。旦那さまが食べたいって言ったら、
 それくらい作らなきゃ。」

母はそう言って笑ったけど、父は納得いかないって顔をして、

「フーン。変わるもんやなぁ。」

とまた言った。

私は納豆オムレツを作るし、トモユキが同じ食卓で食べても文句を言わないし、
食器だってちゃんと洗うけど、

「みゆちゃんも食べてみなよ。美味しいから。
 ね、一口だけ食べてみて。お願い。」

そう言われても、絶対に食べない。
だけど、菜子には食べさせたほうがいいのかな、、と思い、
重い腰をやっとあげて納豆を取り出した。

やっぱりすごい匂いだなぁ。
こんなの、菜子に食べさせていいのだろうか。
離乳食の本にはちゃんと納豆メニューが載っているから多分いいのだろう。
こまかくすりつぶしてからちょっと多めのだしでのばして、
水溶き片栗粉でとろみをつける。
これでもやっぱりすごい匂い。
おそるおそるスプーンですくって菜子の口にいれると・・・

菜子はこの世のものとも思えない顔をして、それをたらたら口からこぼし、
一部やっと飲み込むと、火がついたように泣き出した。

やっぱりダメじゃない。

いそいで菜子の好きなりんごヨーグルトを別のスプーンですくって口に持っていったけれど、
菜子はのけぞって泣くばかりで食べようとしない。
またあの変なものを食べさせられる、と思うのかしら・・・。

「菜子ちゃん、これ、菜子ちゃんの好きなりんごヨーグルトだってば。
 ほら、りんごちゃんだよー。おいしいよー。
 ベロベロベロベロバー。」

菜子の信用を取り戻そうと私は必死。
あとでこの話を聞いたトモユキはとてもがっかりしていた。

「そうかぁ、ダメだったか。」

「菜子ちゃん、私と一緒で納豆嫌いなんじゃない?」

「そんなことないよ!今度は食べるかもしれないから、
 お願い、また食べさせてみて。ね?」

「うん・・・。」

そうだね。
私は主婦だし母親だから、トモユキと菜子が食べることには協力しなくちゃね。
結婚して他人だった二人が家族になるんだから、いろいろと主張がぶつかり合うこともあるけれど、
なんとか私たちの妥協点を見つけていかなくちゃね。

納豆に関していえば、私はトモユキと菜子に食べさせること、料理をすることはゆずるけれど、
自分が食べないというところはゆずらない。
トモユキも、私に食べさせるということはゆずらなくてはならない。

母乳のこともそうだった。
こんな風に簡単に妥協点が見つかることばかりではないけれど、
家族なんだから、なんとか見つけていかなくちゃなぁ、と思う。

今日書きたかった「妥協点を見つけるべき問題」は、そう簡単ではないんだけど、
ちょっと長くなっちゃったので、明日に続く。


2003年07月02日(水) 歩く/注文の多い人

今日も歩いてお買い物。
なんだかとっても気持ちがいい。
やっぱり毎日スーパーマーケットにタクシーで行くなんて間違っていたんだわ(笑)。

歩いていると、妊婦時代を思い出した。
あの頃も、こうやってよく歩いたっけ。
6ヶ月くらいまではほとんど増えなかった体重が、7ヶ月を過ぎた頃からどんどん増えて、
ちょっと気を抜くとテキメンに数字に表れるし絶対に減らないので、
買い物は歩いて行くようにしていたんだった。
私はつわりもなかったし、体重も最終的には8キロプラスくらいで、
最後に逆子だったことをのぞけば、比較的問題のない妊娠生活を送ったと思うけど、
その最中にはやっぱりいろいろ心配ごともあったりしたものだ。
こうして無事菜子が生まれて、一緒にお買い物に行けるなんて、
ほんとに幸せなことだと思う。

海老とイカとムール貝とアサリを買って帰った。
今日は私の大好きな魚貝のトマトソーススパゲッティにしよう。

「今日のご飯なあに?」

電話をかけてきたトモユキにそう言うと、

「トマトソース裏ごししてね。
 あとスパゲッティーニがいいな。」

だって。
うるさい人だなぁ。
丁寧に煮込んできちんと裏ごししたトマトソースはたしかに美味しい。
そろそろ作り始めなくちゃ。


2003年07月01日(火) ペンキ塗り/ちょっと節約/ハンバーグ

2週間ほど前から私の住んでいるアパートでは外壁の塗り替えをやっていて、
私の部屋がある棟でも作業が始まった。

窓は開けられないし、突然ベランダにこんにちはって作業員が現れたりするので、
なんだか落ち着かない。
外から派手にホースで水をかけていくんだけど、窓にあたると結構すごい音がして、
菜子は驚いて泣き出しちゃうし。

でも塗りあがったクリーム色の壁はとっても綺麗。
早く終わるといいのにな。




税金を支払う時期が来たのをきっかけに、ちょっとトモユキと家計について話し合ったんだけど、

「使いすぎ」

ってことで意見が一致したので、ちょっと節約モードに入ることにした。

とりあえずの目標はタクシー代の節約ってことで、
なるべく買い物は歩いていくことに。
今日も乳母車を押してお散歩がてら日系のデパートまで歩いて行った。
かなり迷ったけど帰りも歩いて帰る。
片道だいたい20分くらいかな。まあいい運動になっていいか。
それにしても、暑いんだけど・・。

タクシー代なんて日本と違ってものすごく安いから節約っていってもたかがしれているんだけど、
まずは心構えよね。
上手なお金の使い方をしなければ。


夜はハンバーグを作った。
石鍋シェフの「新 家庭のお料理ノート」のレシピで、このレシピで作るとすごく美味しい。
今まで私が知っていたハンバーグの作り方とはちょっと違う感じ。
たまねぎを炒めないで生のままお肉と混ぜると、
食べたときにしっかりとたまねぎの味がしてとっても美味しい。
なんで今まであんなに一生懸命炒めてたんだろう。
それからかぼちゃの冷たいスープと簡単なサラダ。

明日もトモユキは早番なので早めにベッドに入った。


みゆき |MAIL

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