スナックおのれ
毛。



 繰り返し

中学生の頃、新聞部だった。毎月、記事をまとめてページ構成を考え、四コマ書いたり、クロスワードパズルつくったり。でも、がんばりのわりに誰も気にもとめなかったし、私自身気にしなかった。ゴミクズのように捨てられても、誰かたった一人が一行読んでくれるだけで良いと思ってた。
今思えばもう少しみんなが読んでくれるような工夫をしたほうがよかったんじゃないか、と思うけど。なんにせよ、今も同じことしているよなあ…と思う日々。

2015年06月13日(土)



 地球上のカタチに対する問題定義

それはとても水平だった。本来のカタチを、その場所にあってもなお保っていた。まるで机の上に置いてあるような、ウインドウにディスプレイされているような、稀に見る水平感。
それはある意味で、本来の使われ方の姿を失っている。普段は見落とすくらい当たり前な、使用時のラインが存在していなかった。融合して作られるアイデンティティが形成されず、そのもののもつ個性だけが際立っている。
先日、私はそんな帽子を見た。かぶられているはずなのに、なぜか水平に保たれた、置かれている時のカタチをまったく失っていない「帽子」を見た。使用者と帽子の間に結ばれるはずであろう「つながり」がなく、ただそれぞれが偶然にそこに隣り合って存在していたかのような不可思議な取り合わせだった。
あの帽子は、今日も水平だろうか。融合を求められる場所にあって、個を失うことなく、存在しているだろうか。あの帽子は、今日も、「のっかちゃっている」んだろうか。

2015年06月05日(金)
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