スナックおのれ
毛。



 色恋。

 スキとかって、どうしてこうも人を翻弄するのかしら、と思っている今日この頃。しかも、スキとかの文章を書くのって、イヤに恥ずかしくて、おもいあがっているようで、実は私はどうしようもなく、嫌いです。素直な気持ちを伝えるとか、お互いを思いやるとか、そういうことも、文に書くと、「私は良い人で〜す!」と宣伝しているようでイヤなんです。同じような感覚を色恋ネタを書く自分に感じます。しかも、なんだか、自分がとても女々しく感じてしまうし、それに翻弄されっぱなしって!と反感すら覚えます。けれど、実際は、そうなんですよね。私の場合、文に落とすとそれをまざまざと見せつけられるようで、イヤなのかもしれない。結局は、自分のまだ幼い部分に蓋をしているだけなのかもしれない。
 この間、恋愛小説を久しぶりに読みました。吉田修一の「東京湾景」という本です。メールで知り合った男女が、だんだんと「恋」の本質に向かって、突っ走っていく様がとても印象的な本でした。グッとくる、というよりは、ヒリヒリする。ジュクジュクしたところをえぐられる感じ。同じような感覚を覚えたのが以前読んだ「赤目四十八滝心中未遂」という車谷長吉の本。毛色は「東京湾景」と全く違うものですが、なんだか同じように「ヒリヒリ」します。
 なんか、もう、私の色恋文に対するモヤモヤなんて、ホントどうでも良いいや。だって「色恋」という題材で、今の私が思い浮かべるものが、その二冊でほとんど書かれているんだもの。

2003年10月28日(火)



 26歳ショック。

まあ、驚くのはここ数ヶ月間で身の回りに起こる、男女間の別れる別れないの問題と結婚しますとか、していたとか、そんなこと。別れる別れない問題、うち三件は私が叩き出したものだけれども、それに呼応するようにまわりで数軒。もはや呪いか、とも思えるくらいにちらほらとそんな話が舞いこむ。また、それと時同じくしてやってきたのが、結婚します、実は結婚していたよとかそんな知らせ。皆、私と同じ年頃、26歳。かたや五年付き合った人たちが別れ、同じくらい付き合っていた人が結婚する。かと思うと、付き合ってちょうど一周年だったからね、と軽く独身生活に会釈して、新婚生活に入る友人もいる。なにかあったか26歳、大学卒業三年目。私に一番近い所では、結婚する者はまだいないけれども、逆にそれが私とその周辺がなにか同じ世代とは少し違う運命を予感させる。

2003年10月27日(月)



 風邪民、悟るの巻。

本当は2〜3日で完治させる予定だった風邪に一週間ちかくやられています。熱って言う奴は不思議なもんで、夜に上がるみたいですね。ここ数日、微熱感満載の就寝が続いています。しかし、朝になればすっかり熱が下がり、体が生まれ変わったように感じるので、もしかしてトクしてるのか!?とも思いましたけれど、まあ、健康が一番ってことはわかりきっているので、自分を言いくるめるための世迷言にすぎないでしょう。
そういえば、最近、やっと風邪の諸症状について、自分がこれまで気付いていなかったことを発見しました。風邪を引くと、体がダルイなあ、とか、あたまがぼんやりするなあ、とかあると思うんですが、今まで私はそれをすべて寝不足のせいにしてたんです。だから、風邪薬を飲んだりとか医者に行くとか、風邪の治癒に関して前向きな行動をあまりとらなかったんです。せいぜいやって、朝と夜のうがい、それと喉飴をしこたま舐めるぐらい。けれど、それは間違っていました、ごめんなさい。今回の風邪で、私は始めて決まった時間に薬を飲んだり、はやめに就寝するなどの風邪の治癒に対して前向き行動し、わかりました。頭がぼんやりする、体がダルイ、ひいては仕事が手につかない、それ、風邪のせいでした。薬も飲まずに早く治します、気合で直します!なんて、無理な話だったんですね。
風邪民は風邪民らしく。身分相応に。薬を飲んで、早めに就寝します。
ホント、早く治さなきゃ。

2003年10月26日(日)



 ケンコー。

先週の中頃、久しぶりにドキドキする本にあって、良い感じ。一昨日、聴いた後に泣きそうになるくらい元気のでる音楽に出会って、良い感じ。昨日、欲しくてたまらなかったソファーが、思いのほか、体を心地よく包み込んでくれて、嬉しい。辛いことも哀しいことも、もちろんあるし、嫌だなあと思うことも、億劫だなあと思うこともあるけれど、最近、毎日がとても充実しているような気がします。けれど、今日。私はセキをしはじめた自分に気付きました。気管支のあたりが、ざらざらして、喉がすこし乾いています。しかも、なんだか熱っぽいみたい。私の生活を取り囲むすべてがこんなにもバランス良く進んでいるにもかかわらず、私は風邪なぞひいている。「不可抗力」。そう言ってしまうのは、とてもカンタン。けれど、今の私にそんな暇はありません。だから、今日は、ゆっくりとお風呂に入った後、のんびりと肌のお手入れでもして、ガッチリうがいをし、ゆるりと布団に行きたいと思います。自分の健康が本当に大切に感じる時こそ、人って毎日が充実しているのかもしれない。そんなことを考えながら、今夜は眠ります。

2003年10月20日(月)



 あ、うん。の呼吸。

現在、派遣の仕事をしている私。派遣先は、女の方が多くて、まるで女子高。実に仲が良いわけです。たとえば、会社の人と休みの日を一緒に過ごしたり、同じ部署の方同士でフランクに飲みに行ったり。そういうことが始めてだった私は、最初、戸惑っていました。良い付き合いは良い付き合いだけれど、それが仕事に入りこんできたら仕事に支障をきたすんではないか、そんな心配をしてしまったわけです。ですが、回りの人は私が考えているよりも、ずっとずっと大人でした。仕事とそんな付き合いは、まったく別。仕事になると、なにかお互いの関係のカチリとスイッチが入るようにも思います。最近、そんな仕事モードへのシフト感、スイッチ入った感が心地よくてたまらない。良い関係は良い関係でおいておいて、仕事はドライにお互いつつがなく。決める所は、しっかり決める、譲らない所は譲らない。日々、良い関係で培われ続けている信頼とお互いの仕事に対する意欲。それこそ「あ、うん。」の呼吸で仕事を進んでいます。
しかし、この派遣の仕事も残すところ1ヶ月。少し寂しく思いながらも、みんな、これからも東京のどこかで「あ、うん。」の呼吸を誰かと作り出していくのだろうなあ、と感じています。それって、ちょっと頼もしい。そう言う関係に出会えたことに、ホント感謝しています。


2003年10月19日(日)



 でかい葬式。

ミッシェルガンエレファントのgo last heaven、幕張メッセを観に行きました。最後の最後の公演。時同じくして、下北で開かれていたピーズのライブでハルは「千葉の方では、デカイ葬式、やってるみたいだね」と言っていたそうです。まさにデカイ葬式。息つぐ暇もないほどのデカイデカイ葬式でした。
千葉氏のいちばん始めの言葉は「よく来たね」、その後すぐに爆音で奏でられる曲の数々。私はこの流れに無性に参り、困るくらい嬉しくて乱舞しました。
ミッシェル解散の理由は千葉氏曰く「ミッシェルでやることはもうない」。そう言って解散していくバンドはいくつもあったので、私はその理由を流していました。しかし、今回のライブを見てその発言に納得。というのも、がなリ続ける千葉氏の歌とか動き、アベフトシのピックの扱い、ウエノ氏の軽快で太いベースの音色とか、クハラさんのバチさばきとか、すべてが完成されていて、ミッシェルとしてやることはねぇ、と言いきった彼の言い分がするりと飲みこめたのです。それはたのもしく嬉しくもあり、また哀しいことでもあります。けれど、あの場所にいたすべての観客が、今までの成長段階のミッシェルを見つづけ、完成した彼らを祝い乱舞しました。あのライブにはミッシェルの本当の意味での「完成」があったのだと思います。
アンコールで千葉氏が「どっか、行こうぜ」と言い、アベフトシとウエノ氏が「ありがとう」と言い、クハラさんは会釈して行ってしまいました。アンコールの「世界の終わり」が終わった後、会場が明るくなり、人が帰る中、私は片付けられる楽器たちを見ながら、しばらく呆然とあたりを見ていました。後々知ったところによると、集まった観客の数は3万人。ライブ中は遠くに見えていた彼らのステージがすごく近くに見えました。そして、改めてミッシェルガンエレファントが解散することを実感し、また完全に成長して「どっかに行く」であろう彼らをたのもしく感じました。


2003年10月13日(月)



 携帯つれづれ。

携帯電話を変えることにしました。私の携帯電話は、今や大変希少種となったモノクロ携帯。カラーやカメラ付きが常識となった今、ここまで時代おくれになると、むしろ面白い。しかし、いかんせん4年も使っているので、とうとう電池とメモリーにガタがきたらしく、最近調子が芳しくありません。学生の頃から使っている携帯だし、愛着ももちろんある。できれば手放したくないけれど、いかんせんこればかりは仕方がない。寿命ってヤツです。携帯にしてみれば、天寿をまっとうできたというもの。だから、明日、ついに変えます。仕事の休み時間にちょいちょいと15分で変えてやります。けれど、4年使ってきた携帯も半年使った携帯も、変える時は一瞬なのね、と少し思いにふける部分があります。新しい携帯には移植することのできない画像やメール。すでにこのモノクロ携帯は、私の4年間のちょっとしたアルバムや日記として機能しているのかもしれません。けれど、私は明日新しい携帯片手にウキウキ、ルンルンすることでしょう。4年使った携帯のことも忘れて、新参者にうつつをぬかすに違いありません。ああ、それってもしかして恋愛に似てる?そんな風に考えるのは、私が今、フラれたばっかりだからですかね。なんだか、携帯1個変えるのにも今の自分をぬいて考えられない自分がふがいない。

2003年10月08日(水)



 くるり。

今年の夏は、たくさん「くるり」を聞きました。家にいる時もくるり、でかけても、くるり、旅先でもくるり、寝る時もくるり、引越し先でもひとりになってもくるり、くるり。ホント、3ヶ月間、くるりばっかりです。特にワールドイズマインは購入当初、ほとんど聞いていなかったのにもかかわらず、急に聞き出し、今や、曲間のタイミングまでわかるくらいです。
でも、なんでこんなにくるりを聞いてしまったのか、それを説明しようとするとちょっと難しい。仕事を辞めたり、就職活動をしたり、ひとつの恋愛が終わったり、そんな時節の問題かな、とも思うけれど、やっぱり、それに付随する私の気持ちがくるりの曲に反応してしまったのだろうと、今、思います。私が思うに、くるりの曲には少し寂しさみたいなものがあるような気がします。どんなに明るい歌でも「いずれ終わる寂しさ」みたいなものが漂っている。おそらくそこに私は反応したのでしょう。歌詞だけではなく、ギターやドラム、キーボード、声、くるりの音楽が持つ要素すべてにそれは吹きこまれているような気がしてなりません。
しばらくは、また、お世話になりそうです。いつも、音楽をありがとう、くるり。

2003年10月07日(火)



 失恋。

いまさらながら、やっときちんとした失恋を経験しました。友人たちには、遅すぎる、とかなんとか、怒られてますが、ホント諸症状にびっくりです。まさか、自分が食欲を無くすと思わなかったし、寝れなくなるとも思わなかった。朝、起きれば、突然、哀しくなるし、人と楽しく話をしていても、どこかうわのそら。相手のことが本当に好きだったんだなあ、と感心する気持ちと、立ち直れるに違いない、と信じられる心強さ、それともう一生その人と関わることのできない哀しさ。色んな気持ちに板ばさみで、落ち込んだり、ハイになったり、まったくもって不思議です。そして、面白いのが周囲の反応。心配してくれる人もいると思いきや、心配する人の気がしれない、とつっぱねる友人もいる。彼女曰く、あんたとアイツがやっていけるわけがない。それが的を得ているから、私は何も言えないし、彼女を友達に持って良かったなあ、と改めて感じました。なんにしても、周囲にはありがたいなあ、と思うことばかりが続いています。もしかしたら、そう思えた分だけ、この失恋は無駄じゃなかったのかもしれません。もちろん、失恋して一週間とたっていないので、まだまだ元気ではないけれど、そんな人たちが回りにいるだけ、私は早く元気になれるような気がしています。

2003年10月06日(月)
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