スナックおのれ
毛。



 桜の樹の下には。

 たとえば、
      横断歩道の白黒の白の部分だけ踏まないと死ぬ、
                            と考える。

あの遊びはなんなのでしょう。なんで、そんなことを始めたのかなんて、今となっては想像も出来ません。でも、多くの人が考え付いて、それと似たようなことを体験している。もしかしたら、人間の成長プログラムかなんかに入りこんでいるのかしら。自分に恐怖を与えて、それを避けて、有頂天。何が楽しかったんでしょう。しかも、思いこむうちにそれが真理のように思えてきます。

しかし、不思議なことがおこります。
何の変哲もないあの横断歩道の白の部分が、白く白く、とても白く、神秘的なものなって、浮き出してくるのです。あの時は、気づかなかったけれど、あの横断歩道ほど、真実に近い横断歩道はなかった。


梶井基次郎の「桜の樹の下には」を読みました。文庫本にして4P。短い短いお話です。家族もなく、女もなく、友人もなく、「俺」と「お前」と「桜」がいるだけのお話です。4Pで完成される小説を私は今まで読んだことがありませんでした。しかし、この4Pの中には、濃密な空気と広くてとても狭い空間、そして、桜の樹の下には死体が埋まっているという発想から生まれた、とてつもなく神々しい桜がありました。

私は、こんなにきれいな桜を見たことがないような気がします。

2002年05月31日(金)



 忙しいとは、いいことだ。

私にとって忙しいとは良いことです。かえって、忙しすぎてハイになっている時の方がまっとうな人間のような気もするくらいです。(ミスが多いのがタマニキズ)前傾姿勢で1日に挑んでいる、そんな気がします。一時期の低迷期に比べて、景気の方も安定してきたのか、仕事が入ってくるようになりました。すると、必然、私もウゴウゴしていることが多いわけで。以前だと、ワーワーとなっちまって、本業の方であるコピー業はグチャ〜ッとなることが多かったのですが、今はちょっと違います。忙しいなかで、やってやろうという気になります。ああ、私、生きてる、存在してる、仕事してる、社会とつながってる、という気持ちです。

あ、ちなみに、私。今、酒、呑んでます。ヘラヘラヘラ。

いいことです、大変良いことです。忙しいのは本当に嬉しい。やっている最中は、もちろん、くっそーと思っている時もあるんですよ。あります。認めます。ただ、その手がちょっとでも休まる時の充実感ったら!

そういえば、学園祭の時の私って、一番、勤勉でした。やらなきゃいけないことが山積みですからね。朝から晩まで、校内中を駈け回っていました。ご飯もろくに食べられなくて、夜もほとんど寝てなかったけれど、それはそれなりに楽しかった。みんなが遊んでいるなかで働いて、自分の手元には残らないけれど、40万くらいの仕事をして。半端な仕事して、クレーム対応に追われたり。馬鹿なことばっかりしてました。

忙しいことは良いことです。
でも、その一方で、忙しくなけりゃ、自分の存在意義とかわからなくなっちゃう私もどうかと思いますが、私には、それしかないのかもしれない。
哀しいけれど。性分なんだろうなあって思います。

2002年05月29日(水)



 ねむいぞ。

その昔、愛読していたドラえもんの不思議武器のひとつに「眠らなくても良い薬」ってのがありました。名前は忘れちゃったけれど、きっと「ネムラーズ」とか、ちょっと楽しそうな名だったに違いありません。今、それが欲しい。私、無性にネムイ病気にかかっています。睡眠時間?足りてないかもしれない。けれど、私より寝てない人でも、車を運転したり、商談したり、バリバリ働いている人はいるわけで。なんなんだ、眠すぎる。

凝縮して色々なことができる人がいます。モノスゴイ集中力で、目の前のミッションに立ち向かう人がいます。私は、そうありたい。それは訓練でどうにかなるものでしょうか。くっそう、集中力か。アミノ酸が足りてないのか?

頭がぼんやりします。前後左右に揺れています。でも、これではいけません。どうにか、しないと。カフェインか!あのカフェインの登場か?





2002年05月28日(火)



 尻切れトンボの大冒険。

ちょっと哀しくて、でも一方で楽しい題名を付けようとしたら、↑こんなんになりました。いいのか、自分。気は確かですか?私。大きな声では言えないんですけど、私、もう少しで25歳になります。「いよいよ、きたか〜」なんて、ここ数年、誕生日の都度、言っているのでもう使えません。「私は、まだ子供だから」なんて、本当に滅相もありません。いいかげん、そんなこと言ってられない年です。

ついこの間、中学生の時のクラス会が催されました。もちろん、誘いはきましたが、いかんせん日曜日の晩とくらァ、渋々、断りを入れました。で、近況だけでも聞いたんですね。「誰々はどうしてる?」なんて、たわいもない話。でもね、ここにトラップは隠されていたんですね。みんな、結婚しまくり。節操、なさすぎ!と、ミョウチキリンな説教をしそうなくらい、ウエディングベルを通りぬけていました。確かにね。確かにね。それはまっとうよね。だって、私、今、24歳。もうすぐ25歳。私の母親だって、既に赤ん坊の私を抱いていました。でも、その時の母親の写真を見る限り、自分と同じ年とは思えないんです。ファッションかしら?いえいえ、そんなことはないはず。精神面の問題ね。きっと。いいかげん、生き様が顔に出る年頃になっていると、私は反省すべきです。

2002年05月27日(月)



 チャリン公からあなたへ。

少し前に、チャリンコウがなくなりました。最寄駅の前に置いて、会社に行ったら、帰宅時、ない。そんな事件簿です。盗まれたか?とも思いましたが、いかんせん、置いておいたところが“駐輪禁止域”。拉致監禁されているか、それとも拿捕か。持っていった人の意図だけで、こうも自分の置かれる地位が変わるとは。かたや、被害者。かたや、加害者ですからね。で、とりあえず、電話したんです。北大井ナントか所、っつう所に。そしたらですね。ありましたですね。拉致監禁されていましたですね。僕のトルシエ号。(誰が名付けたとも知れぬ、私のチャリンコウの名前。トルシエと同じ機種だったと言うだけですけれど)

行きしな、バイクでブィーンと運んでもらって。途中で、道路の真中を悠々と自転車で走りやがる小学校3年程度、3流大学程度、教室で不安定な地位を保ち続けているであろう、馬鹿餓鬼に注意をしようかしまいか、迷いながら、つきましたよ。大井ナントか所。これが良い場所にあってですね。品川の埋立地中の埋立地みたいな。まわりなーんにもなくて、遠くに赤と白の煙突ともおぼつかぬものが、そびえち、道ばっかりが馬鹿広いところでした。

その高架の下、明るい都市から隠された場所に北大井なんとか所はありました。件の小学生などで、腹をたてていた私は、むっつり構えてやろうかと思っていたんです、係りのおっさんに。電話口でも、偏屈な対応しかされていなかったし。ところが、迎えてくれたのは、定年退職してやってきました、大井の外れっちゅう感じの人の良さそうなおじさんです。自転車を丁寧に探してくれて、しかも、私のトルシエ号を誉めてくれる、「良い自転車だねぇ」、その上、磨いてくれる。言わば、ここで私は犯罪者ですからね。犯罪者にやさしくしてくれるんですよ。そりゃね、容疑者もカツ丼出されりゃ、自白しますよ。犯罪者ですもん。犯罪者の後ろめた−い心にチクリチクリと、やさしさ注射を刺すわけですよ。

そんなわけで、3000円も払ったのにもかかわらず、私、終始、良い人。ローマの時代に生きてたら、間違いなく、殺されていそうな理髪師。殺されなくても、騙されます。なんで、理髪師かって言うと、さして意味はないです、イメージです。感じてください。察してください。私の心。

で、なんとなく自分に哀しみを覚えながら、帰り道。
気持ち良いですねぇ。作られた都市も良いですねぇ。休日の昼下がりが良く似合います。でも、私って、なにか忘れてない?忘れん坊になってない?いろいろ理不尽、あったはず。嗚呼。

とりあえず、この夜更けの気分が良いことに感謝したいから。ソレ、重視で行こう!ギャ−!!

2002年05月25日(土)



 松尾スズキへ告ぐ。

だるーい本を読んでいます。「ぬるい地獄の歩き方」(?)と言います。松尾スズキという、巷では有名な死んだ魚の目のおっさんが書いています。ボスの一番最初のCMにでてました。「あいつ、けっこう強いよ」と言って、バタリと倒れたあの人です。そうです、あの人が松尾スズキです。意外な事に、最近は「突入せよ!あさま山荘」にでてるみたいです。なんだか、不思議な行動をするイイトシコイタおっさんです。

おっさんは、大人計画と言うこれまたワケのわからないアングラ劇集団のボスをしています。おっさんは、ボスであり、脚本家であり、演出家であり、俳優でもあります。おっさん自身は、だるーい芝居をします。でも、芝居の内容は近親相姦やカタワ、なんか世の中のいやーなところばっかりに焦点をしぼった、とてもイヤーなものです。でも、おっさんの劇団にはそれ相応にファンと言ったものがついていて、よく、首にくさりをまいた女とかいます。間違ってるなあ、と思いますが、それは個人の自由ですから。

さて、そんなおっさんは小銭を稼ぐのが上手です。雑誌にコラムやらエッセイと表して、連載を持っています。これがなかなかのもんで、おっさん、文章、おもしろいよ。愉快だよ。だてに死んだ魚の目じゃないよ。ただね、おっさん。「ぬるい地獄の歩き方」のほとんどはインタヴューで、しかもその相手のほとんどが、劇団関係の人。おいおい、おっさん、もっと対決しようや。冒険しようや。“いじめられっこ、世にはばかる”が本のコンセプトなら、いっそのこと、明るい世界の人と接して、辛口チェックでいこうや。

おっさん、私ら、影の住民は世間に憧れていかないと、生きていけませんよ。
なめるように羨ましがって。

2002年05月16日(木)



 内面的な風邪の考察。

食い過ぎなのです。本当は食い過ぎなのです。食道まで、食べ物出身のものがぎっしり、みっしり詰まっている感じです。こりゃ、こまった。
人間は弱きもので、ちょっと暑さ、寒さが交互にやってきただけで死んじゃったりします。若い人なら臨終とまではいかなくとも、風邪。更年期障害の方なら不眠。ほかにも、むくみ、冷え性、下痢、五月病・・・とまあ、さまざまな疾患が私たちを悩ませます。気をつければ、良いんですよ。気をつけても無駄なのもあるけれど、大抵のことは気をつければ大丈夫。でもね、私も初体験だったんですけれど、そんな外的変化ではなく、内的変化でおかしくなるとは。やはり、体も心といっしょなのか。昨日の私、家を売る話を聞いて衝撃。今日の私、ちょっと仕事で良いことがあって、衝撃。帰路、自転車盗まれて、どんぞこ。気分が心が右往左往。どころか、上下右左、北へ南へ東へ西へ。大変なことになっています。ちょっとした竜巻心理です。持ち上げられて、いっきに蹴落とされて。やっぱり、つかれますね。気象の変化でどれほど体が大変だったかを、しみじみと感じます。こりゃ、キツイ。風邪もひくし、食欲のひとつもなくすってもんです。涅槃も見えちゃいます。
はあ、さてさて。それでもそれでも、どこまでも。死ぬまで続くから、毎日が。それでもいいよ。許してやるよ。つかれてナンボの人生のはず、ですよね?

2002年05月15日(水)



 リニューアルと言うなの卒業。

大崎の駅がリニューアルです。来年の埼京線来襲に向けてリニューアルです。駅名にもハングル文字が登場、改札の数も倍、狭い階段もエスカレーターに一新、駅員の半数が女性に!切符が縦型に!トイレがバロック調に!キヨスクがドンキホーテに!後半のいくつかは嘘ですが、最近、山手線沿線の駅が次々に生まれ変わっていますね。新しくなっていく駅が、どんな便利さと不便さをもちあわせるようになるのか、まだ私にはわかりかねますが、大崎の駅は今のままのしょぼ〜い駅の方がよいのではないかな〜とも思います。まるで、娘を東京の大学にやる気分!まるで、別れた彼女がホストに入れ込んでいる気分!まるで、生まれた子犬をお金持ちの家にくれてやる気分。なにごとも、自分の管轄外に出ていってしまうと、なんだか寂しい、というか、空虚感と言うか、なんというか。心に穴ぽっかりです。

そう、家もね。

2002年05月14日(火)



 

家がなくなるんです。
あー、家がなくなるよー。
まあ、良いんだけれどもさ。

家ねぇ。
住む人あってだから、そうだよねぇ。

ああ、家がなくなるよー。
家が。

2002年05月13日(月)



 食べすぎラプソディー

食べすぎた。
ドーナツ2個とポップコーン一袋、ワインを半分。
他にもなにか食べていたような気がしますが、もはやそれが夢か現か怪しいもの。おかげさまで、胃もたれ、腹痛。次の日には復活していましたが、どうにもこうにも臓器の疾患には頭が痛くなる思いです。吐いちゃおっかなあ、なんて思うんですけれど、私、吐くということが本当に嫌いで。酒にでも酔っていない限りは、嫌です。ウプッとそこまで来てても飲み干すタイプの人間です。寝てまえ、寝てまえ、と思うんですけれど、酒が少し入っていると、ホラ、目がグルグルまわり始めるでしょ?あれが、嫌ですね。気をしっかり持っていれば、そんなことならないのに、目を閉じて少し気を緩めたとたんにグルグルグルグル。それで、酔っちゃう感じ、車酔いみたいな感じ。
なんにしても腹八分目がよろしござんす。胃ばっかりじゃなくて、幸せも不幸せも。それが、体の健康と人生の健康を守る秘訣でしょう。

2002年05月05日(日)



 道で出会った異文化交流。

午前1時。あたりには寂しい気配すら感じる夜更け。大崎の駅付近を徒歩で家路に就いておりましたら、「戸越銀座ハ、ドコデスカ」と、アジア系の姉さんに尋ねられました。確かに私は戸越銀座の通りっぱたに住んではおりますが、住居暦1年。地理を把握しているわけではない。彼女は私が行く逆方向の方が早いと言われたのですが、といっておりましたが、そちらの道順を私は覚えていなかったので、「私も戸越銀座の通りに住んでいるのです、いっしょにいきませんか?」と誘い、帰路を共にしてみました。一緒にいた時間は10分そこら。でも、彼女に東京特有の悪い予感はしませんでしたし、本当に困っている様子でしたので、私もなんとなく、酒にも酔っていたこたこともあって、フラフラと一緒にしました。
彼女の名前はデヴィ:本人は「デヴィ夫人じゃないよ」と冗談を言っておりました。ネパール人、28歳。戸越に住んで4年。
手探りでお互いの話題を探している様子が、とても良い時間でなんとなく本当に彼女に感謝してしまいました。
そして、分岐点。戸越の通りを前にして、彼女の行く方向は右、私は左。「戸越銀座であったら、声をかけて下さいね」とお互いに不思議と自然に笑い合って、別れました。
ああ、私が求めていたのは、悪意のない手探りの思いやりだった、そう思いました。

2002年05月04日(土)
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