”BLACK BEAUTY”な日々
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2006年10月13日(金) 本当にどうでもいい話

【ご注意】
本日の拙文にはあなたの体調に支障をきたすおそれがあります。
よって現在お食事中の方、または体調の悪い方は、今すぐブラウザを閉じる事を強くお勧めいたします。

週末に友人と食事をし、帰路に着く途中、その友人からこんな質問を受けた。

【友人の疑問】
例えばある小学生が授業中に教室で大便を漏らしてしまった。彼はその後、周囲から「ウンコマン」とか、そういった不名誉なレッテルを貼られてしまう。
では、その小学生が大便を漏らしたのではなく、嘔吐してしまった場合はどうだろうか?
この場合、その小学生は周囲の心配と介抱を一身に受ける事となる。

つまり、大便も嘔吐物も同じ「汚物」というカテゴリーに属するにも拘らず、この扱いの違いにはいかなる理由が存在するのか?という話だ。

暫くの後、私はこんな仮説を立ててみた。

1.大便はすでに消化器官によって全ての栄養分を吸収された後に排泄される汚物で、そこには全くの価値はない。
 余談だが人間の異常性欲の一つにに「スカトロ」があるが、これは「全く価値のないものに価値を見出している」点において「異常」と言える事になる。

2.嘔吐物は未消化の段階で体外に放出されるが、「未消化」という事はまだそこには栄養分が残っているのであり、「価値」を見出す事ができる。

3.以上、たとえ同じ「汚物」であっても「栄養分の有無」によって人間は無意識の内に一定の線引きをしている。

友人は「なるほど」とつぶやいた。私の仮説は彼に支持されたらしく、その後は全く別の話題に移っていった。

ところが、今日になって前述のロジックが見事に崩壊してしまった。

新橋でさんざん会社の愚痴をこぼした挙句、飲みすぎで嘔吐したサラリーマンと、大便を漏らしてしまったお年寄り、という組み合わせを想像してほしい。

前者は単なる自己管理の甘いオヤジで嘔吐に対する同情の余地はない。自業自得である。
それに対して後者は人間である限り必ず直面する老化現象の具現であるから、非難や軽蔑などできる訳がない。

結局、大便と嘔吐物の相違を栄養分の有無に見出す事ができなくなり、振り出しに戻ってしまった。

カントやヘーゲルにこの疑問をぶつけたら何と答えてくれるだろうか?

【追記】
たまに日記を更新したと思えば、こんな有様です。すみません。
最近、嬉しいなと思うのは、昔からのバンド仲間の人から昔と同じようにライブの告知を受ける事です。
時間の許す範囲で足を運ぼうと思っています。今後ともよろしくです。
メールの中で「じんくんのバンド、早く観たいよ」と言ってくれる方も多く、励みになっています。

今、バンドはメンバー同士の名刺交換が終わって、本格的な商談の前に軽く世間話をしている、といった段階です。
ゆっくりですが、3人の音が少しずつ共鳴しはじめているのを感じています。
初ライブは未定ですが、その際には出来る範囲内で最良の音楽を贈りたいと願っています。


JIN |MAIL TOThrill freaks offcial web.

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