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名前のある死、名前のない死 - 2004年11月01日(月)
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どうしても気になることがある。
当初香田君だと言われていた頭と胸を撃ち抜かれた死体は、 いったい誰で、どういう経緯で殺されたのだろう、ということだ。
「香田君じゃなかった」 かつて確かにこの世界で生きていて、そして無惨に銃殺された死体が、 こんな風にあっさりと我々の記憶を通過していってしまっていいのか。
確かに、我々は誰も、すべての人の死を均等に悲しんだり、 あらゆる理不尽な死を同じように怒り、戦慄することはできない。 そんなことは解っているつもりだ。
「名前のある死」を悲しみ、その理不尽さに震えることは、誰でも簡単にできる。 一方「名前のある死」よりも圧倒的に数が多く、 自分にとっての身体性に欠ける「名前のない死」に感情移入するのは難しいし、 もっと言えば、それらにいちいち感情移入をしていれば、 はっきり言ってココロがもたないのかもしれない。
しかし。「名前のない死」を軽んじることは、 我々の死への感覚を麻痺させることにつながるのではないか。 すべての「名前のない死」に共観を試みることは、僕にはできない。 けれど、もう少しくらい、感受性のアンテナを高くのばしてみてもいいのではないか。
ひとまず僕は、香田君の死と共に、無名の死者をも悼みたいと思う。
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