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学術論文≠エッセイ=創作物? - 2003年09月28日(日)
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今月の頭に、うちの大学の紀要に、修士論文の一部分を投稿しようと思い立ち、 今月中はかなりそれに力を入れていた。
まあ昔書いたものだしそんなに手間はかからないかな、とタカくくり状態だったんだけど、 やっぱり授業のレポートなんかとは違って一般に公表されるものだし、 何よりもし載ればこれが自分の処女作、研究生活のスタートとなるわけで、 手を入れてはプリントアウトし、読み返してみては赤ペンで推敲し、 また手を入れてはプリントアウトし、読み返してみては赤ペンで推敲。 そんなこんなで9月22日からこの日までで実に9稿。
今日は、2稿をお渡しして読んで頂いていたある先生からコメントが送られてくる。 その先生から当然来ることが予想されたダメ出しだったんだけど、 あらためて指摘されると、やっぱり凹む。
簡潔に言うと、「君の文章は学術論文ではなくて、エッセイです」ということ。
つまり、学術論文は形式が重要であり、 要らないことは一切盛り込んではならないし、くだらない比喩表現は削るべきです、 ということをその先生に指摘されたわけ。
実は、僕は相当程度、確信犯的にこういう文章を提出した。 あきらかにこれが学術論文というフォーマットから少なからず逸脱していることは十分自覚している。 それでも押し通したのは、何よりも、読み手を楽しませたかったからなのだ。
学術論文に楽しみ、娯楽性など要らないというのが常識的な考え方だろう。 けれど僕は、例えばエンデの『はてしない物語』と、自分の書いた論文が、 決定的に断絶した世界にあるものとは考えたくない。
もちろん『はてしない物語』は、想像力と創造力の産物であり、 学術論文は、議論の説得力を担保するための客観性を持たなければならないという点で、 両者が決定的に異なっているのはもちろんである。
しかし、両者は「創作物」であるという一点においては同じものだと思う。
だからこそ僕は、「誰が書いても同じ」ような、鋳型に嵌めたような窮屈な文章だけは絶対に書きたくない。 願わくば、ああ、これはあいつが書いたものだな、とまず分かってもらえるような文章が書きたいのだ。
学術論文であるのならば、当然それを発表するにふさわしい、 新しい事実の発見や理論の構築といった成果が盛り込まれている必要があるのはもちろんだ。 けれど、せっかくそれを見つけるなり思い付くなりしたんだから、 それをできるだけ多くの人に、できるだけ楽しく伝えようと考えて、 その方向で学術論文を「創作」するというのは、間違った考えなのだろうか?
その先生の指摘に沿って自分の書いた文章を潰していくのは、本当に辛くて、悲しくて、空しくて、 バカみたいな話だけど、キーボードが壊れそうな勢いでデリートキィを叩きながら、正直泣きそうになった。
「学術論文は、創作物である」 「学問とは、創作する行為である」
こんな考えは、浅はかなのだろうか? 「厳しい」学問の世界に生きている先生方から見れば、 未熟でモノを知らない若造の、噴飯至極の発想なのだろうか?
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