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「異常」と「正常」について考えよう - 2003年05月01日(木)
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最近の午前中のワイドショー系報道番組は、 米・イラク戦争と北朝鮮関連とパナウェーヴ研究所関連で埋め尽くされている。 戦争が「終結」して以来、重点は後二者に移ってきているように思えるが、 その後二者(つまり北朝鮮とパナ研)に類似の構造が見て取れることに気付いた。
端的に言えば、「彼此隔離願望」とでも呼べるだろうか。 つまり、 此岸にいる我々一般人が、彼岸にいる人々・集団を理解不可能で「異常」なものとして取り扱うという構造である。
「木やトランシーバーにまで白い布を巻き付けてます。(不可解ですねえ。キモチワルイですねえ)」 「あの渦巻きの絵によって電磁波を逃がすというのだ。(そんなこと出来るわけないですねえ。バカですねえ。キモチワルイですねえ)」 「北朝鮮では金日成の死後91年たっても、命日には盛大な祝典が催される。(何考えてるんですかねえ。不可解ですねえ。キモチワルイですねえ)」 「これら老人律動体操・少年律動体操、あるいは健康テコンドーという一糸乱れぬ運動を行うことによって、国民は健康になれるとされているのである。(不気味ですねえ。キモチワルイですねえ。)」
( )内はもちろん言っていないが、僕にはそう言いたがっているようにしか見えない。 これらの報道の背後にあるのは、同じスペクトル上に彼此が存在していることの拒絶である。 言い換えれば、彼はどうやっても我々のようにはならない(本質を異にしている)し、 我々はどうやっても彼のようにはならない(本質を異にしている)、という姿勢である。
しかし。 我々は葬式の時、白と黒の大きな布でいろんな所を覆う。 紙切れを布で巻いただけの「オマモリ」などという物体によって災厄を逃がそうとしている。 戦前の日本は、神武天皇という神話上の天皇の即位の日を毎年毎年盛大な祝典で祝っていた。 ラジオ体操は「国民の健康向上のために国民体操を作る」目的で作られ、今でも児童・生徒は強制的に行わされる。
3点目だけは現在の日本においては「異常」と見る人の方が多いだろうが、 その他は極めて「正常」な行動様式として行われているものだろう。 (3点目にしたって、今でも「正常」であるべきだという信念を持っているひとはいるし、 50年ちょっと時代をさかのぼれば、同じ国の人々の大多数がその信念を持って行動していた)
僕には、これらのことと、報道されるパナ研・北朝鮮の言動の間に本質的な差異を見つけ出すことができない。 彼此が決定的に隔絶されているとは到底思えない。
それなのに、キャスター諸君は、平然とした顔で、 あいつらは理解不能だ、不気味だ、キモチワルイ、我々とは根本的に違うジンシュだというオーラを発散させる。 何故こうなってしまうのか。
それはおそらく、我々の中に「正常への強迫観念」が住み着いているからなのだと思う。 我々は常に「正常」でありたい。 裏返せば「異常」と見られたくない。 「正常」でなければ社会から排斥され、生活を送れなくなる(と信じられている)からだ。
ところが、一つ問題がある。 「正常」なるものは、実は本質的に定義できないのである。 (例えば「普通の服装って何だよ!」と問いつめる子供に対して親が「普通は普通だ!」としか言い返せないように) それは常に「異常」の補集合としてしか存在しえない、かなり曖昧なものにすぎない。 それゆえ、人々は自分が「正常」でありたいと願うことの裏返しとして、 「異常」なるものを明確にし、そこに厳然たる境界線を引くのではないか。 そうやって「異常」を囲い込み、自らが「正常」であることを確認し続けようとするのではないか。 「異常」の外にあれば、我々は「正常」である!と。
面白いことに、何が「正常」なのかについては、個々人がかなり異なった主観を持っているのに比べて、 どうやら、何が「異常」なのかについての合意の方は形成しやすいようなのである。 したがって、我々は「異常」の確定によって「正常の確信」を得る途を選びやすい。 あるいは、「異常」の確定によってのみ「正常の確信」が得られるからこそ、 「異常」についての合意が形成しやすいのかもしれない。
「異常」と「正常」の間には対話は生まれないし、したがって創造的な関係も生まれない。 「異常」と「正常」を区別するという思考方法(「彼此隔離願望」)を持ち続ける限り、 我々は「正常であることへの強迫観念」、あるいは「異常と見なされることへの恐怖」から逃れられない。 そこでは境界画定ゲームが絶えることなくくり返され、 たまたま現在の「異常」の域内に囲い込まれた人々はヒステリックに排斥され、 排斥している側も、いつ自分が排斥される側、すなわち「異常」の側に立たされるかわからないこと(すなわち未来の「異常」の影)に怯え、 自身が「正常」であることの確信を得るためにますますヒステリックに現在の「異常」を排斥する。
こんな不幸な連鎖反応はもうやめにすべきだ。
そのためにはまず一人一人が、自分とは異質なものを「異常」とみなし彼岸に置こうとする思考方法を極めて意識的に止めなければならない。 自戒を込めて。
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