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岡本太郎に会えた日 - 2003年04月09日(水)
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岡本太郎リヴェンジ。 この3日で太郎のために使った熱量はかなりのもの。
+++++ "C'est tous, tous, tous!" (すべて、すべて、すべてだ!)
とあるインタビュー映画で岡本太郎は 狂ったように「tous」を繰り返したらしい。 すべてのことを知る、すべてのことをやる、全存在として生きる。
毎回この美術館に来るたびに、必ずこのことを思い出す。 思い出すのは多分、思考が止まったっきりになっているからだ。
「全存在として生きる」という言葉は言葉として理解できるし、 そうありたいとも思う。
ではどうすればいいのか。
あまり深く考えたことがない。 考えられないのか。考えるのが恐いのか。 考えてそんなの自分には無理だと思ってしまうのが恐いのか。
そもそも、分かった気になっているけれど 「全存在として生きる」っていうのはどういうことなんだ。 分かってないのだ。
僕がただこうして毎日目覚めたり食事したり博士論文のこと考えたり電車に乗ったり自転車に乗ったり読書したりテレビ見たり酒飲んだり凹んだり笑ったりしながら生きていることと、 「全存在として生きる」ってこと違うのか? 恐らく全く違う。では何が違う? 逆の言い方をすれば、何をすれば全存在として生きている実感を持てるのか?
岡本がよく口にする他の言葉に、 「瞬間、瞬間に[の]」というのがある。
これだってそうだ。 言葉としては分かった気になっている。 だけど、日常生活の瞬間瞬間を意識しながら生きることなんてできるのか?
さらに悪いことに岡本はこの二つを一緒に使う。
「瞬間、瞬間に、全存在として生きる」
こうなるとかなりお手上げ状態だ。 こんなふうに生きれる気がしない。
こういうわけで僕の思考は停止し、 岡本の作品を見るたびに岡本がtousと叫んでいたことを思い出しては、 自分が一歩も進んでいないことだけを再確認する。
でも、僕がこの岡本の思想に引っ掛かっているということは、 きっとそれこそが僕が求める生き方であり、死に方なのだろう。
相変わらず岡本は僕にとっては大きすぎる存在だ。
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