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おひさしブリーフ - 2003年03月30日(日)
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夕方、ダンディ坂野が「笑点」に出た。
ハードディスクに録画して見た。
鈍器で殴打されたような衝撃を受けた。


 つまらない!!


そして繰り返し3回も見てしまった。
なんなんだコレは。
なんでこんなにつまらないのに面白いのか。
どうしてこんなに「つまらない」を面白くできるのだろう。
以下は私の研究成果の一部である。



「ダンディ坂野におけるシュールレアリスム」

「手術台におけるミシンと蝙蝠傘の出会い」というロートレアモンの言葉に象徴的に表されているごとく、
常識的にはあり得そうにない物体・事象の組合せによって、鑑賞者に衝撃をもたらすというのが、
シュール(レアリスム)=超現実主義の本質である。

ダンディは、このシュールレアリスムを巧みに利用している。
彼は「ネタ」たる短い小話をした後、鑑賞者の反応を探りつつ、
必ず一つ、「決め」となるフレーズを投げかけてくる。

例として、
「オーケー、リメンバー」
「オーケー、レッツビギン」
「オーケー、サンキューフォンドボー」
「オーケー、サンキューマニュファクチュア」

などである。

前2者については、「場のシュール」が認められる。
すなわち、
「オーケー、リメンバー(覚えとけ)」
「オーケー、レッツビギン(じゃあ始めようか!)」
というフレーズは、常識的に見れば、
ネタ終わりの決め台詞としてはなんら意味を持たないものである。
すなわち「決め台詞」という場と、それにふさわしくないフレーズの出会いというシュールが、
そこには存在していると言えよう。

後2者については、上述の「場のシュール」に加えて、
「フレーズ(自体)のシュール」が認められる。
すなわち、
「オーケー、サンキューフォンドボー(ありがとう子牛のダシ)」
「オーケー、サンキューマニュファクチュア(ありがとう工場制手工業)」
といったフレーズは、
「子牛のダシ」や「工場制手工業」という無生物に対して感謝の意を表明しており、
これが「感謝は生物(特に人間)に対して表明される感情である」という常識に捕らわれた我々に対し、
ある種の奇異さを孕んだ驚きを与えるのである。
これらのフレーズが「決め台詞」という場との齟齬を来していることは、
あらためて言及するまでもないだろう。

これらのシュールレアリスティックなフレーズが投げかけられたとき、
「常識人」たる我々は「現実」とのズレに衝撃を受け、戸惑う。
しかしそのズレは、「現実」にとらわれ、その窮屈な枠に押し込められながら日々を過ごしている我々を、
しばし超現実という空想(あるいは理想として想定された)世界へといざなう。
そこに我々はやすらぎを見出し、そのやすらぎと共に笑いが生まれる。
やがてそのやすらぎとダンディ坂野という表象を同一視せしめるのである。


以上のような考察を、俗に「考えすぎ」と言う。
(σ´∀`)σ ゲッツ!

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 マエ    ツギ    モクジ



∴オキニイリニツイカ∵
























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