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♪今日は何の日 フッフー - 2003年02月11日(火)
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引っ越しに備えて、半日部屋の整理。 懐かしいものが一杯出てきて、時間がかかる。 かわいかった頃の自分の写真発掘。 すごいカワイイ。自分で言うのもアレだけど。 ただ、当時から左目が二重で右目が一重っていうのは変わらないらしい。 当たり前か。
夕方、久々に運転してブクオフへ。
+++++++ <今日の建国記念の日>
ところで、昨日tとタイ料理を食べながら、 「建国記念日って何の日?」という話になった。 その時はうろ覚えでtに教えたんだけど、 家に帰って調べてみたら、だいたい合ってた。
これは、戦前に「紀元節」と呼ばれていた日で、 神武天皇が即位した日。
ちなみに神武天皇ってのは、実在した人物ではありません。 記紀が生み出した神話上の人物です。 このことについては歴史学者の間で論争の余地は全くないそうです。 大日本帝国は、その神話上の天皇の神話上の「即位」の日を、 「天皇を中心とした神の国」という一大フィクションを支えるための いわば精神的支柱として、重大な日に設定したわけです。
紀元節が設定されたのは明治5年11月。 翌6年3月には「太政官布告」によって祝日となり、 毎年この日には、「臣民」がこぞって「奉祝大会」なるものを行ってきました。 しかし太平洋戦争の終結により、紀元節は、 天皇制神話を支える象徴として当然廃止となったのです。
ところが、いつの時代にも過去へのノスタルジイを捨てられない方々が居るようです。 1957年2月27日の衆議院内閣委員会に、 議員提出法案として祝日法改正法が付託され、 3月5日に小川半次衆議院議員による以下の趣旨説明が行われています。
------ ○小川半次君 ただいま議題となりました、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案の趣旨について御説明申し上げます。 この法律は、昭和二十三年七月、芦田内閣の時代に制定せられたものであります。この法律の制定に先立って、同年一月、政府は総理庁審議室に命じて、世論調査を行いましたが、その結果、第一位は新年で九九・九%、第二位天皇誕生の日八六・七%、第三位建国の記念日八一・三%、第四位お盆八〇・一%、第五位平和を記念する日七一・八%、など約三十に及ぶ候補日があげられたのであります。この世論調査とほとんど時を同じうして、時事通信社でも世論調査を行なっております。これらの世論調査の結果に基いて、国会の両院文化委員会は、各方面の資料をできるだけだけ多く集め、また専門家の意見などを聞き、約半歳にわたって慎重審議を重ねて、現行の祝日が決定されたのでありますが、その際一番問題になったのは、建国の記念日で、その日をいつにするかということでありました。結局、二月十一日を建国記念日とすることに、両院文化委員会で多数が賛成せられのでありますが、当時占領軍当局の強い反対があって、遂に建国の記念日は国民の圧倒的支持があったにもかかわらず、保留のやむなきに至ったのでありました。講和条約成立後、独立いたしました後におきまして、再び建国の記念日を祝日に加えるべきだとの声がほうはいとして起って参りました。昭和二十七年四月には、読売新聞社で紀元節復活についての世論調査が行われ、賛成六三・七%、反対八・六%という結果を見たのであります。また二十九年の一月と二月の二回にわたって、NHK放送文化研究所で行なった世論調査では、紀元節復活の賛成者は八四・五%、八七・四%、反対六・一%、 四・五%となり、二月十一日がよいという者が七四・二%、七三・三%という圧倒的な支持を得たのであります。一方、国民の盛り上る紀元節奉祝国民大会は、二十九年以来引続き行われ、年とともにその参加者は激増し、本年のごときは各地において、奉祝大会が盛大に行われたのであります。この国民の世論を尊重して、二月十一日を建国の記念日として、国民こぞってお祝いする国民の祝日に追加したいと思うのであります。 次に、二月十一日を選んだ根拠としては、我国の正史である日本書紀、巻三に、「辛酉春正月、庚辰朔天皇橿原宮に即位、是年を天皇元年となす」と明記されており、また明治に至りわが国が維持を断行し、近代国家としての体制を確立した際、すなわち明治五年十一月、神武天皇即位の年を日本紀元元年として、日本紀元を定められたことによるものであります。翌六年三月、紀元節が国の祝祭日として決定せられ、神武天皇即位の日を太陽暦に換算した二月十一日をもって、この日に当てられたのであります。 この二月十一日は、正史の記載によれば、神武天皇が高千穂宮を出て東征せられ、各地を平定して大和に入られ、古代国家を建設し、橿原の宮において即位せられた日であって、建国の日とするには最もふさわしい日であります。さらに、明治以降・大正、昭和の三代にわたり、すでに七十余年の長い間、国家の三大節の一つである紀元節として、国をあげて祝われてきた伝統と抜きがたい国民の愛着とを持つ日であって、この日を生かすことが民意にこたえるゆえんであると存じます。 独立後、物質的方面の復興は著しいものがありますが、真の祖国復興は、国民精神の覚醒、伝統の恢弘によらねばなりません。日本人が真に日本人としての自覚を持つことこそが、喫緊の要務であり、この意味においても建国記念日を祝日とすることはきわめて意義深いものと存じます。 以上をもって本法案の趣旨の説明といたします。 ------
この趣旨説明は、非常に勉強になりました。 1)紀元節復活構想自体は1948年からすでにあったが、GHQの意向によって流産させられた(らしい)。 2)紀元節の復活に対しては、少なくとも昭和20年代には圧倒的な国民の支持があった(という統計がある)。 3)2月11日という日付は、ご丁寧にもちゃんと太陰暦から太陽暦に変換されている。
それにしても、
「独立後、物質的方面の復興は著しいものがありますが、真の祖国復興は、国民精神の覚醒、伝統の恢弘によらねばなりません。日本人が真に日本人としての自覚を持つことこそが、喫緊の要務であり、この意味においても建国記念日を祝日とすることはきわめて意義深いものと存じます」
という結びは、「いかにも右寄りの主張」という感じで滑稽ですね。 論理性というものがどこにも感じられない。 ま、結局こういうことを声高に主張する人に論理はないわけですが。
特に「国民精神の覚醒、伝統の恢弘」っていうあたりに、 戦前の「国民精神総動員運動」のスローガンみたいな響きが感じられて、 ぞっとするのは僕だけでしょうか。
紀元節を祝日とすることと、 「日本人が真に日本人としての自覚を持つこと」にどんな関係があるのでしょうかね? 有りもしない神話上の日を持ち上げて、 お気楽に日の丸をハタハタさせて束の間の(それもフィクショナルな)一体感を持つことが、 「真の祖国復興」のために本当に必要なことなんでしょうかね?
・・・これ以降の国会の審議もすごく面白いんだけど、 めちゃくちゃ長くなるので残念ながら割愛。
ともかく結果だけいえば、 侃々諤々の議論の末、ようやく1966年(つまり9年後)に祝日法が改正され、 紀元節は「建国記念の日」として見事に復活しました。
>>>>>>>> ※後記 (2003.2.9 22:21) もう少し調べてみたところ、この上の段落は少し正確さを欠いています。 国会を通過した祝日法改正法には、建国記念の日は「別に政令で定める」としか書かれていません。 その「政令」は1966年の12月9日に制定されており、 その内容は以下の通りです。 ◆建国記念の日となる日を定める政令 (昭和四十一年十二月九日政令第三百七十六号)
内閣は、国民の祝日に関する法律 (昭和二十三年法律第百七十八号)第二条 の規定に基づき、この政令を制定する。
国民の祝日に関する法律第二条 に規定する建国記念の日は、二月十一日とする。
附則 この政令は、公布の日から施行する。
というわけで、国会を通さない「政令」という法形式によって、 建国記念日は紀元節の日、すなわち2月11日に決められたのでありました。 >>>>>>>>
こうして僕たちは、今でも神話上の天皇がご即位奉られた日をめでたくお祝いしているわけです。
なんか、かなりアヤシイ感じがしますね、この祝日。 +++++++
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