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『昭和天皇の終戦史』 - 2003年01月17日(金)
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今日は、授業も木部先生の仕事もバイトもない日。 つまるところ学校に行かなくてもよいオフ。 しかし11:00には登校。 本棚にあった吉田裕『昭和天皇の終戦史』(岩波新書、1992)をふと手に取り、読み始める。 これがなかなか面白い。 今日一日で読めそう。 ・・・と思ったら昼寝。
午後、jeudi jauneの練習。 毎度のことながら、この練習の場にいるのは楽しい。 自分の書いたことばが第二の生をうける現場。
夜、『昭和天皇の終戦史』の続きを読む。 1:00頃読破。
+++++++ 極めて政治的(自身の戦争責任の追及を逃れようと、宮内官僚を中心とした宮中グループといろいろ画策する。近年公開された『天皇独白録』はその成果としての政治的文書だというのが著者の見解)で、 人の好き嫌いのはっきりした(天皇は太平洋戦争の開戦にあたって慎重な姿勢を示し、戦後も天皇の退位論を支持した近衛文麿や、同じく天皇の戦争責任を公然と口にし、退位した場合の摂政候補と目されていた弟・高松宮を嫌っていたとされている)、 非常に人間臭い昭和天皇像が描かれていて、興味深かった。
こういう天皇像が「意外」に感じられるいうことは、 僕はどこかで天皇は非政治的で、公平無私で、どこか一般人とは違う、 現世とは断絶した「人間臭くない人間」だと思っていたわけだ。 それに気付かされてはっとした。
この天皇イメージは、いつの間に僕の頭に刷り込まれたのだろうか。
面白いと思ったのは、枢密院本会議の議事録が、 明治の創設期からすべて公開されているにもかかわらず、 戦後〜昭和22年5月の廃止までだけ未だに非公開だという事実。 著者によれば、この時期には親王(嫡出の皇子・皇孫男子)が出席し、 さらに直宮(じきみや:天皇の兄弟や息子)がかなり自由に発言しており、 そうした皇族の「政治的発言」を封印するための措置であるという。
このように戦後、日本政府は、天皇や皇族の政治性を覆い隠すことに躍起になってきた。 さらに象徴天皇制という制度は、 皇室をめぐる数々の非現代的な儀式やことば・概念、 そしてTV等でくり返し与えられる、彼・彼女らの独特のモーションやふるまい、語り口などによって、 天皇や皇族は「人間であるがわれわれとは断絶した特別な人間」というイメージを 国民の間に浸透させておくことに成功している。
そういう「社会化」の過程に自らが無意識にすんなりと飲み込まれていた事実に、 今更ながら気付かされたわけで。 富良野は、今日も雪なわけで。 +++++++
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