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ペログリ戦争 - 2002年07月04日(木)
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NYから帰ってきたカノジョとキャレルでおはなし大会。
そしてバイト。

そういえばかなり前、tに「最近政治コラムやらないね」と言われたので、久々にやってみます。

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今日の政治コラム(小学生向け)

<長野県議会>5日に知事不信任案提出 田中知事は出直し選に

 長野県議会(議員数60)の5会派のうち3会派(県政会、政信会、県民クラブ計48人)は4日、代表者会議を開き、田中康夫知事に対する不信任決議案を5日午後の本会議に提案することを正式決定した。「社会県民連合」(7人)は採決時に退席、共産党県議団(5人)は反対するが、可決される見通し。
 田中知事は失職を選び、出直し知事選に再出馬するとみられる。県議会も自主解散の方向で調整しており、ダブル選挙になる可能性がある。
 県政会の下崎保団長は「これ以上、知事の独裁手法を許しては県議として責務を果たしているとは言えない」と不信任案の理由を説明した。
 田中知事は「まだ議会が開かれていないので申し上げられることはない。私は県民のために県民と共に改革を続けている」と話した。
【西田進一郎、木村健二】 毎日新聞 2002年7月4日


ええ、みなさんもうご存じだと思います、このニュース。
長野県議会の古い考えのおじさんたちが、長野県知事のペログリちゃんに不信任案を突きつけ、
決議案は明日可決される見通しです。
僕がしたいのは、化石みたいなおじさんたちが悪いとか、
ペログリしてるくせに知事の資質なんてないとか
そういう話ではありません。

そうではなく、僕の興味は、
そもそも県議会が県知事に不信任を突きつけられる仕組み自体に問題があるのではないか、ということです。

どうして議会にそれができるのか。
単純な答えは、「法律で認められているから」です。
地方自治法の第178条にはこうあります。
 「普通地方公共団体の議会において、当該普通地方公共団体の長の不信任の議決をしたときは、直ちに議長からその旨を当該普通地方公共団体の長に通知しなければならない。この場合においては、普通地方公共団体の長は、その通知を受けた日から十日以内に議会を解散することができる。」

 要するに、県議会のおじさんたちが溜まりに溜まった鬱憤をはらさんと、ペログリやめろ!という決定をしたときには、おじさんのなかの一番偉い人が、ペログリに「あんたにやめてもらうことにしたよ」と伝える。ペログリは、それを聞いた日から10日以内なら、おじさんたちをやめさせることができる、ということです。

ではペログリがおじさんたちをやめさせないとどうなるか。
同条第2項にはこうあります。

 「議会において当該普通地方公共団体の長の不信任の議決をした場合において、前項の期間内に議会を解散しないとき、(中略)普通地方公共団体の長は、同項の期間が経過した日(中略)においてその職を失う。」

つまり、ペログリは10日後に知事でなくなってしまうのです。

ではペログリがおじさんたちをやめさせた場合ですが、
もう一度同じ第2項を見ると、
 
 「議会において当該普通地方公共団体の長の不信任の議決をした場合において、...解散後初めて招集された議会において再び不信任の議決があり、議長から当該普通地方公共団体の長に対しその旨の通知があつたときは、普通地方公共団体の長は、(中略)議長から通知があつた日においてその職を失う。」

というわけで、選挙をやって新しく選ばれたおじさんたちがまたペログリやめろ!という決定をした場合、今度は問答無用でペログリは退場となります。

ペログリがこの先どう動くか、議会のおじさんたちはどうするか。
それはここでの興味ではありません。
そんなことは明日になればはっきりします。
僕が気になるのはそんなことではないのです。

僕が思ったのは、「県議会が県知事に不信任を突きつけられるのはおかしい」ということでした。
それはつまり、「地方自治法のこの条文自体がおかしい」ということにつながります。

ところで、これと似た仕組みは、日本国憲法にも定められています。
国会(衆議院)と内閣の関係です。
つまり、

「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」(第69条)

よく似ています。
衆議院が、もうこんな内閣には行政は任せられん!という決定をした場合は、内閣が衆議院を解散させることができるわけです。
しかし、そうしない場合には、内閣のメンバーは全員失職です。

では、内閣が衆議院を解散した場合はどうなるのか。

「(略)衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない」(第70条)

というわけで、どのみち総選挙で新しい衆議院議員が決まって、そのメンバーで国会が開かれたときに
内閣を解体しなければなりません。

地方自治法にある仕組みとちょっと違うのは、
総選挙後に内閣が当然にリニューアルされなければならないとされていることです。
地方自治法187条では、総選挙後の新議会がまた不信任案を可決しなければ、首長は失職しませんでした。

さて、ようやく本題です。
憲法が定める仕組みと地方自治法が定める仕組みの違い、
いってみれば国レヴェルの議会と行政の指揮者たる内閣の関係と、
自治体レヴェルの議会と行政の指揮者たる首長の関係の違いはどこにあるでしょうか。

明快です。
後者において「行政の指揮者」は住民の直接選挙で選ばれます。
それに対し、前者において「行政の指揮者」を国民が直接選ぶことはできません。

後者をよく「二元代表制」と言ったりします。
つまり、議会のメンバーも行政府の長も国民が選ぶから、どちらも国民の「代表」として存在しているということです。
アメリカの大統領制はこれです。
それに対して前者はイギリスの政治体制と同じで、議院内閣制と言います。
これは、国民が選んだ人たちで作られる議会が、議会の中から行政権の長たる内閣総理大臣を決め、
総理大臣を中心に結成された内閣というチームで行政をコントロールさせようとする仕組みです。

まどろっこしいので、
結論から言ってしまいましょう。

「議会に内閣の不信任議決権を認める仕組みは、議院内閣制を前提にしている」

のです。

どういうことか。
議院内閣制における内閣は、議会がこの内閣に行政を任せたい!と思う限りにおいて活動を許されます。
総理大臣も内閣のメンバーも、国民の手で直接選ばれたわけではありませんから、
内閣を支えているのは、議会の支持だけなのです。
その議会が内閣に対して、もうお前らには任せておけん!となった場合(つまり不信任決議を可決した場合)、
内閣が解体されなければならないのは、制度が期待している、いわば当然のことと言えるでしょう。

もう僕が言いたいことがお分かりかもしれません。
自治体の行政の長(首長)は、どう選ばれていましたか?
そう、住民の手で、直接選ばれているのです。
つまり、首長は住民に直接選ばれた、という事実によってささえられているのであって、
最初から議会の支持など必要としていないのです。
ならば、その議会が、首長を支持しないよ!などといっても、
本来首長がやめる筋合いなどないのです。

実際、アメリカの連邦議会は、大統領の不信任決議など行うことはできませんし、
逆に大統領も議会を解散させることはできません。

しかし、日本の地方自治法はそうではない、ということはすでに見たとおりです。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
それをしっかりと研究したら、エラい学者さんになれます。それくらい難しい話です。
なのでここではとりあえず「どうして」の答えは探しません。

僕が言いたかったことはつまり、大統領制のような外見を持ちながら、
議院内閣制を前提とした不信任議決権を議会に持たせてしまっている地方自治法に
そもそも問題があるのではないだろうか、ということなのです。
僕は、二元代表制を徹底する、つまり議会から不信任議決権を奪い、
首長からも議会の解散権を奪うべきなのではないかと思っています。

ともあれ、今回のペログリ戦争は、
地方自治法50数年の歴史の中で今までほとんど機能したことがなかったこの仕組みが、
実際にどのようなはたらきをするかを示してくれるよい例となりそうです。

明日以降の長野県政に注目しましょう。
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 マエ    ツギ    モクジ



∴オキニイリニツイカ∵
























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